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『David Bowie / Let's Dance』

スティーヴィー・レイ・ヴォーン以外の参加者で目立ったビッグネームは、ドラマーのオマー・ハキムとギターのナイル・ロジャース。ナイル・ロジャースが入ると誰のアルバムでもぜんぶ同じになりますが(^^;)、このアルバムも例に漏れず、ビートの強いブラック・ミュージック系AORに仕上がってました。似たサウンドで思い出すのは、シーナ・イーストンにドン・ジョンソン、デュラン・デュランもこんな感じだったかな?間奏部分で転調したり、ゲート・ドラムだったり。こういうパーカッシヴなポップスって、一時期のニューウェイヴがこういう路線に走っていたし、ある意味で時代の音だったのかも知れませんね。
あの時代、こういうサウンドって新しく感じてカッコよかったし、また流行りもしました。70年代後半のブライアン・イーノ起用もそうですが、デヴィッド・ボウイが自分で作ったわけじゃないけど、時代の最先端を行く人にアルバム制作を任せるその嗅覚がデヴィッド・ボウイの長所だったのかも知れません。自分から進んで聴こうとはなかなか思わないけど、いざ聴くと「あ、こういうのってたしかにカッコいいと感じてたかも」と懐かしくなったりして。いい時代だったなあ。
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『David Bowie / Diamond Dogs』

アルバム冒頭が意味深。ちょっとカッコよさげなサウンドをしたSEから始まって、「お、これは」と思ったものの、1分ほどでいつものけばけばしくて安っぽいロックンロールに(^^;)。と思ったら次の曲でテープの逆回転が始まって「おおっ」と思ったらまた芝居がかった安っぽい音楽。次の曲にはシームレスでつながって、ニューウェイヴなサウンドをしたギターが決まって、「今度こそきたか?!」と思ったら音楽は馬鹿みたいに単純、そのうちにリズムが出てきてまたしてもいかにもグラムロックな安っぽいロックンロール。この期待させて何も始まらない芸風こそ、このアルバムの狙いと見ました(^^;)。
それでも、僕的には名盤扱いされている『ジギー・スターダスト』より楽しく感じました。歌も演奏もうまくない、作曲もスリーコードに毛が生えた程度しか出来ない、だからギミックやコンセプト・アルバムという方法に走るんだと思うんですが、それが意外にも功を奏してカッコいいと思う所が多い、みたいな。いやあ、変化球を馬鹿にしてはいけませんね。
グラム・ロック時代のデヴィッド・ボウイの音楽は、とにかくチープ、大袈裟、そしてロックオペラ的。ストーリーを軸に作った音楽なんだろうと感じます。詞と言えば、このアルバムの詞ってカットアップを使ったらしいですが、僕の英語力ではそういうのは全然わからなかったので、そこが分かったらなお面白いかも。というわけで、英語に自信がない方は、日本語訳付きの日本盤を手に入れるといいかも知れません。
『David Bowie / Hunky Dory』

ポップで、大げさで、なんとなくロック・オペラ調で、ピアノが活躍して…こういう音楽なので、Tレックスやクイーンと同じ匂いの音楽に感じました。歌い方はルー・リードの影響強し。物語を語るのが中心で、音や曲はその添え物と感じました。音楽がコードかバスを押さえているだけだったり、そうでない所もみんな歌メロのオブリに聴こえるんですよね。演奏も迫力あるものじゃなくて、なんというか…チャラい伴奏(^^;)。それでも、何回も聴いているといい曲かもと思えるものがありました。「Changes」なんて、もっとちゃんとアレンジしたら何倍もよく出来るんだろうな、みたいな。それにしてもこの時代のロックのピアノの音ってひどいですね、なんで低音全部カットなんだろう、これじゃ今の無料のサンプリングされたピアノの方がいい音だよ‥。
詞が分かれば面白いのかも知れませんが、音楽を中心に聴いてしまった若い頃の僕は、安っぽく感じてしまってもう一歩に感じました。あー詞をちゃんと聴いておけばよかったなあ…でも中学生だったし、実際には無理な相談ですね(^^;)。
『David Bowie』

フォークギターの弾き語りをベースに、ホルンやチェンバロやバグパイプ(?)など、ちょっと民族楽器っぽい楽器を取り入れたアレンジの入った、ポップなブリティッシュ・トラッドとでもいうような音楽でした。雰囲気はけっこうほのぼのとしていて、音楽というより、物語を語っているようにも感じました。ああ~これは詞が分からないと面白くないヤツかも。
ただでさえボンクラの僕が、学生時代にこの英語を聴きとるなんて無理。で、音楽だけ聴いたわけですが、あまりいい曲とは思えず、アレンジもアレだし、何よりヴォーカルが音痴で(^^;)。でも天下のDeramからデビューしたんだから、何か光るものがあったんでしょうね。それっていかにも何かを語っていそうな構成の詞なんじゃないかなあ…歌詞を理解したうえで聴きなおしてみたいアルバムですが、人生でもう聴けるチャンスはないかもなあ(^^;)。
『Keith Jarrett / My Song』

僕のミュージシャン仲間に、ドイツでヨーロピアン・カルテットの演奏を聴いたという人がいて、その人いわく「ぬるいフュージョンじゃなかったよ。キース・ジャレットを聴くならヨーロピアン・カルテットかもね」とのこと。へえ、そうなのか…と思っていたんですが、あるバンドに入ってライブ・ツアーをしていた時、小さなライブハウスでのアフターアワーズにオーナーがこのCDを流していて、ついにヨーロピアン・カルテットを耳にしたわけですが…これはポップスじゃないの?というのが正直なところでした。70年代のジャズって、良くも悪くもフュージョンの時代だったんですよね。ECMも70~80年代は特にこういうポップなアルバムもいっぱい出してました…パット・メセニーとか。フリーっぽい曲も1曲入ってたんですが、それすら「ポップスじゃないよ!売れたいために魂を売ったわけじゃないからね!」と弁解したいために入れたんじゃなかろうかと思うほどにポップスでした(^^;)。なぜフリーにしなくてはいけないのかという哲学が何もない、みたいな。
僕に「生で聞いたヨーロピアン・カルテットは良かった」と教えてくれたミュージシャンは、音楽面で僕は信頼を寄せていた人だったので、きっと本当によい音楽を演奏していたんだろうと思います。さっきチョロッとYoutubeを見たら、たしかにいい音楽をやってるライブがありました…全部は観ませんでしたけど(^^;)。じゃ、なんでこういうアルバムを出したんでしょう。硬派も軟派もどちらも好きなストライクゾーンが広いミュージシャンだった?レーベルからの要請だった?売れたかった?
僕が怖いと思うのは、硬派だったり高尚だったりする外套だけを着て、中身がそうでないものに騙されてしまう人が生まれてしまう事です。じっさい、ジャズやクラシックのレコードのレビューをアマゾンなんかで見ると、まるで評論家のような口調で(^^;)こういうレコードを「比類なき○○」とか書いちゃう人がいっぱいいるじゃないですか。こういう音楽が悪いだなんて思いませんが、やる側や売る側がこういうもので高尚なふりをしたり、あるいは聴く人がこれを高尚なものみたいに持ち上げないで欲しいと思ってしまうんですよね。これはとっても上手なポップス、そういう音楽だと思います。