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『David Bowie / Diamond Dogs』

アルバム冒頭が意味深。ちょっとカッコよさげなサウンドをしたSEから始まって、「お、これは」と思ったものの、1分ほどでいつものけばけばしくて安っぽいロックンロールに(^^;)。と思ったら次の曲でテープの逆回転が始まって「おおっ」と思ったらまた芝居がかった安っぽい音楽。次の曲にはシームレスでつながって、ニューウェイヴなサウンドをしたギターが決まって、「今度こそきたか?!」と思ったら音楽は馬鹿みたいに単純、そのうちにリズムが出てきてまたしてもいかにもグラムロックな安っぽいロックンロール。この期待させて何も始まらない芸風こそ、このアルバムの狙いと見ました(^^;)。
それでも、僕的には名盤扱いされている『ジギー・スターダスト』より楽しく感じました。歌も演奏もうまくない、作曲もスリーコードに毛が生えた程度しか出来ない、だからギミックやコンセプト・アルバムという方法に走るんだと思うんですが、それが意外にも功を奏してカッコいいと思う所が多い、みたいな。いやあ、変化球を馬鹿にしてはいけませんね。
グラム・ロック時代のデヴィッド・ボウイの音楽は、とにかくチープ、大袈裟、そしてロックオペラ的。ストーリーを軸に作った音楽なんだろうと感じます。詞と言えば、このアルバムの詞ってカットアップを使ったらしいですが、僕の英語力ではそういうのは全然わからなかったので、そこが分かったらなお面白いかも。というわけで、英語に自信がない方は、日本語訳付きの日本盤を手に入れるといいかも知れません。
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『David Bowie / Hunky Dory』

ポップで、大げさで、なんとなくロック・オペラ調で、ピアノが活躍して…こういう音楽なので、Tレックスやクイーンと同じ匂いの音楽に感じました。歌い方はルー・リードの影響強し。物語を語るのが中心で、音や曲はその添え物と感じました。音楽がコードかバスを押さえているだけだったり、そうでない所もみんな歌メロのオブリに聴こえるんですよね。演奏も迫力あるものじゃなくて、なんというか…チャラい伴奏(^^;)。それでも、何回も聴いているといい曲かもと思えるものがありました。「Changes」なんて、もっとちゃんとアレンジしたら何倍もよく出来るんだろうな、みたいな。それにしてもこの時代のロックのピアノの音ってひどいですね、なんで低音全部カットなんだろう、これじゃ今の無料のサンプリングされたピアノの方がいい音だよ‥。
詞が分かれば面白いのかも知れませんが、音楽を中心に聴いてしまった若い頃の僕は、安っぽく感じてしまってもう一歩に感じました。あー詞をちゃんと聴いておけばよかったなあ…でも中学生だったし、実際には無理な相談ですね(^^;)。
『David Bowie』

フォークギターの弾き語りをベースに、ホルンやチェンバロやバグパイプ(?)など、ちょっと民族楽器っぽい楽器を取り入れたアレンジの入った、ポップなブリティッシュ・トラッドとでもいうような音楽でした。雰囲気はけっこうほのぼのとしていて、音楽というより、物語を語っているようにも感じました。ああ~これは詞が分からないと面白くないヤツかも。
ただでさえボンクラの僕が、学生時代にこの英語を聴きとるなんて無理。で、音楽だけ聴いたわけですが、あまりいい曲とは思えず、アレンジもアレだし、何よりヴォーカルが音痴で(^^;)。でも天下のDeramからデビューしたんだから、何か光るものがあったんでしょうね。それっていかにも何かを語っていそうな構成の詞なんじゃないかなあ…歌詞を理解したうえで聴きなおしてみたいアルバムですが、人生でもう聴けるチャンスはないかもなあ(^^;)。
『Keith Jarrett / My Song』

僕のミュージシャン仲間に、ドイツでヨーロピアン・カルテットの演奏を聴いたという人がいて、その人いわく「ぬるいフュージョンじゃなかったよ。キース・ジャレットを聴くならヨーロピアン・カルテットかもね」とのこと。へえ、そうなのか…と思っていたんですが、あるバンドに入ってライブ・ツアーをしていた時、小さなライブハウスでのアフターアワーズにオーナーがこのCDを流していて、ついにヨーロピアン・カルテットを耳にしたわけですが…これはポップスじゃないの?というのが正直なところでした。70年代のジャズって、良くも悪くもフュージョンの時代だったんですよね。ECMも70~80年代は特にこういうポップなアルバムもいっぱい出してました…パット・メセニーとか。フリーっぽい曲も1曲入ってたんですが、それすら「ポップスじゃないよ!売れたいために魂を売ったわけじゃないからね!」と弁解したいために入れたんじゃなかろうかと思うほどにポップスでした(^^;)。なぜフリーにしなくてはいけないのかという哲学が何もない、みたいな。
僕に「生で聞いたヨーロピアン・カルテットは良かった」と教えてくれたミュージシャンは、音楽面で僕は信頼を寄せていた人だったので、きっと本当によい音楽を演奏していたんだろうと思います。さっきチョロッとYoutubeを見たら、たしかにいい音楽をやってるライブがありました…全部は観ませんでしたけど(^^;)。じゃ、なんでこういうアルバムを出したんでしょう。硬派も軟派もどちらも好きなストライクゾーンが広いミュージシャンだった?レーベルからの要請だった?売れたかった?
僕が怖いと思うのは、硬派だったり高尚だったりする外套だけを着て、中身がそうでないものに騙されてしまう人が生まれてしまう事です。じっさい、ジャズやクラシックのレコードのレビューをアマゾンなんかで見ると、まるで評論家のような口調で(^^;)こういうレコードを「比類なき○○」とか書いちゃう人がいっぱいいるじゃないですか。こういう音楽が悪いだなんて思いませんが、やる側や売る側がこういうもので高尚なふりをしたり、あるいは聴く人がこれを高尚なものみたいに持ち上げないで欲しいと思ってしまうんですよね。これはとっても上手なポップス、そういう音楽だと思います。
『Keith Jarrett / The Koln Concert』

即興演奏は実に幅が広い音楽で、本当に何の準備をしないで演奏に入るものや、決まった和声進行の上でアドリブするものまで色々。このアルバムでのキースさんの演奏は、クラシックを学んでからジャズに行った人の即興演奏と感じました。和声は基本的に7音音階の調音楽、つまり現代の西洋ポピュラー和声。ジャズ特有のオルタード感は薄く、インテンポのリズムの上でポンピングしながら右手でメロディをパラパラと演奏する、みたいな。曲あたまのアイデアある程度は作曲していた気がしますが、いざ演奏をし始めたら、以降は全体の構成も含めて即興で生み出しているように聴こえました。
LP2枚組で、メドレーのように切れるところが少なく次々に演奏されるので(これ、CDだとトラックが3つだったりするのでしょうか。LPだと1面1曲の全4曲扱いで、拍手が入るのは1Aラスト、2Aのラスト、2Bラストでした)、若いころ聴いた時には「僕には分らない凄い事やってるのかも」という「自分では理解できなかったけど世間的に高く評価されているものを妙に神格化する現象」にハマっていた気がするですが、いま聴くとこれはポピュラー和声で場当たり的にアドリブしただけだよな、みたいな(^^;)。ただ、キース・ジャレットさんの即興演奏ではそうじゃないものも聴いたことがあるので、このアルバムだけでキースさんの即興演奏を決めつけるのは危険だとは思いますが。
聴きながら、こういう音楽を即興する意味はどのへんにあるのかと考えてしまいました。演奏する方としてはスコアから解放されて思うがままに弾ける快楽はあるでしょうが、聴く方にしてみれば、楽式にしてもアレンジにしても書いて練り上げた音楽の方が、よほど良いものが聴けますよね?だって、失敗したら何度も何度も修正して作れるんですから。演奏は、即興演奏にした方が慣れない運指とかを使わずに済むので、練習不足のスコア音楽を弾くぐらいならよほど勢い良く弾けるみたいな有利さもあるかな?そうなると、作曲部分では「即興でここまで出来るのか」と思うとか、演奏ならスコア音楽ではなかなかできないカデンツァ的な速弾き箇所とか、そういう所が聴きどころになるのかな…
まあそうやって必死に良いところを探している時点で、僕はこういうポピュラー和声とシンプルなリズムのうえで指を転がすだけの即興演奏が好きじゃないのでしょうね(^^;)。書いた方がいいところは書いて、即興した方がいいところは即興して…みたいにした方が間違いなく良いものになると思ってしまいました。
そうそう、録音は後づけのリヴァーブがちょっとわざとらしく感じましたが、まあ70年代のECMらしいといえばらしいかも。ピアノのコンディションは高音部でハーモニクス気味だったりして、あまり良くないと思ったので、それをどうにかするためにこういうミックスにした可能性も少しはある…のかな?