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『マーラー:交響曲第3番 バーンスタイン指揮、ニューヨークフィル』 1961年版

前回も書きましたが、ことホールで演奏される事になる管弦楽曲ともなると、演奏なみに録音が重要。特にマーラーの3番は最終楽章のアダージョの和弦がどれだけきれいに響くのかで、けっこう変わってきちゃうと思うのでね(^^)。
そしていざ聴いてみると…ああああ~これだ、これしかない、これに決めた!!もしかしたらワンポイント・ステレオ録音がメインの録音なんじゃないかと思うんですが、そういう意味でいうと聞き比べたほかの録音とはこれだけが毛色違いでした。そんなステレオ感たっぷりの音で聴くマンハッタン・センターのアコースティックを含む和弦の美しさとオーケストラの一体感、そして音場感が本当に見事!!いや、もうサウンドだけで持っていかれてしまいました。。
でもそんな事を思ってしまったのは和弦だらけのアダージョな第6楽章を聴いたからかも知れない、管や打との絡みが出てくるとファイデリティや立体感が損なわれる事もあるかも…と思って第1楽章も聴きましたが、もう素晴らしいことこの上なし!!というわけで、この録音はけっきょく全曲を聴いてしまいました。
ところで、マーラーの交響曲第3番って、なんで6楽章なのか…初めて気づいたんですが、このCDの日本語ライナーには、各楽章の標題が書いてありました。いわく…
1. パンの目覚め―夏がやってくる
2. 草原の花が私に語ること
3. 森の動物が私に語ること
4. 夜が私に語ること
5. 朝の鐘が私に語ること
6. 愛が私に語ること
ああ…各楽章の標題を文字通りにとれば、このシンフォニーは生まれ落ちたこの世界への賛歌なのかも。で、最終楽章のアダージョはいかにも天に召されていくような楽章なので、死んだ後の自分を含むすべて、それを指して愛、的なものじゃないかなあ。それと対比された1楽章の「夏」とは人生の始まりの事、人間そのものであり、だから長大な楽章になっているのかも。2から5は生きているこの世界の自分以外のもの。つまりは人間の誕生から死までへの参加なのかも知れません。う~ん、これは出会えてよかったマーラーの3番の演奏でした!
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『マーラー:交響曲第3番 バーンスタイン指揮、ニューヨークフィル』 1987年版

第6楽章は和弦の響きが感動に直結するような曲想でもあるので、聴いていて、クラシックの管弦楽曲は録音が大事なんだなと改めて思ってしまいました。僕がプレイヤーだったからかも知れませんが、どうしても録音って曲や演奏に耳が行っちゃうじゃないですか。でもオーケストラともなると、どの楽器が聴こえて、どういう風に音が混じって…という部分が、オケだけじゃなくて録音にも相当に左右されますよね。弦の第4プルト以降より録音エンジニアの方が作品尾完成度を左右するんじゃないかと思うほどです。だって、サウンドって感動の中でもかなり大きなウェイトだと思いませんか?
この録音を現代的な視点からいえば、録音の良さは今回聴き比べた4つのCDの中で最高でした。音場、音像、低音の充実感、SNの良さなど文句なし!ところが…もしかするとステレオ感を強くした録音だからか、オケがバラバラで交響していないようにも感じてしまいました。ここはオケというよりも録音なんでしょうね。立体感を優先しすぎてバラバラになった、みたいな。
また録音を含めた音のハイファイさ加減に騙されて感動しちゃいそうになりましたが、演奏が溜めすぎて、溜めよりも歌わなくなっているのが気になってしまいました。いかにアダージョとはいえ音楽は流れるようにしないと止まっちゃうよな、みたいな。
でもそれって他のCDと聴き比べたらそう感じただけのことで、この演奏と録音だけを聴いたら普通に感動したのではないかと思ったりもしました。やっぱり聴き比べなんてするもんじゃないな…しかしどうして友人のマーレリアンは、マーラーなのにアメリカのオケばかり推薦したんでしょうかね。。
『マーラー:交響曲第3番 ショルティ指揮、シカゴ響』

ところが何の因果か、今回はマーラーの交響曲第3番の聴き比べをする事に。仕事の都合でマーラーの交響曲第3番を聴きこまないといけなくなったんですが、僕が持っているシノーポリ&フィルハーモニア管弦楽団の録音は、悪くないけどどこかに物足りなさを感じていたんですよね。というわけで、知り合いのマーレリアンに「誰の演奏&録音が良いの?」と訊いたところ、「俺ならショルティ&シカゴ響かバーンスタイン&ニューヨークフィルを推薦するね」との事。というわけで、その方の家でそれぞれ6楽章だけを聴かせていただきました。
まずはショルティ&シカゴ響、1982年のシカゴのオーケストラ・ホールでの録音です。演奏は…僕はかなりショルティびいきな人間で、マーラーではショルティ&シカゴ響の2番や8番は聴いた瞬間に「あ、これだ!!」と思ったほどでした。だけど3番はちょっと劇的な感じが薄いかな。。ショルティってスコアの読み込みが深くて作曲家を尊重する人らしいですが、もっと芸的でもいいかも。あと、録音なのか演奏なのか分かりませんが、よく聴こえる楽器と潜る楽器があるというか、演奏がちょっとデコボコ。
録音は、ちょっとハイファイさに欠け、SN荷がやや悪く、音もあまり突っ込んでませんでしたが、実際のダイナミックレンジはこれぐらいにした方が広くとれるのかも知れませんね。また録音自体は立体的で僕個人はきらいじゃないぜ、みたいな。
とか言って、それは今回4つのレコードを聴き比べたからそう思っただけで、このCDだけ聴いたら絶対に気にならないと思いますけどね(^^)。大きくみれば間違いなくいい演奏だと思いました‥6楽章と1楽章の一部しか聴きませんでしたけど(^^;)スマヌス。。
『世良公則 / Do(動)』

このアルバムには「鼓動」という新曲と、ペドロ&カプリシャスがヒットさせた「別れの朝」のカバーが入っていて、どちらもCMで使われたんですよね。僕は後者を聴いて「世良さんだ、懐かしい!相変わらずすごいなあ」と思って惹きつけられたのでした。
このアルバム、全曲ではないものの、ほとんどが「Sera Band」というロック・バンドの演奏。世良さんはヴォーカルだけでなくギターも弾いていました。そのバンドの演奏も録音もメッチャいいんですよ!いやあ、もし自分がレコーディング・エンジニアだったら、ロック・バンドの音作りのリファレンスにしたくなるアルバムです。
そして、世良さんのヴォーカルがツイスト時代以上に凄かったです。あの迫力に耳が行きがちですが、実はピッチもリズムもいいんですよね。けっこう歌いまわすんですが、大事な音はきちんとアプローチしてるので、曲が崩れないんですよね。「別れの朝」なんて、世良さんを聴いた後だと、ペドロ&カプリシャスが音痴に聴こえましたし(^^;)。でも、ペドロ&カプリシャスのヴォーカルは前野陽子さんで、60年代後半の日本人のポピュラー・ヴォーカリストでは屈指の名シンガーです。それぐらい世良さんが素晴らしいという事なんでしょう。
それなのに、僕はこのアルバムを楽しめませんでした。演奏も録音も良くて、超強力なヴォーカルがいて、それでも楽しめないんということは…曲か詞がつまらないんでしょう(^^;)。詞は「憂鬱な顔はよせよ」「ためらう前に走り出せ」的な世良節、作曲は世良さん本人。パフォーマンスはいいのに作品がつまらない…天は二物を与えずって事かな(^^;)。
『ツイスト / BEST HIT SINGLES』

ツイストはやっぱりいい!ヴォーカルの押しの強さも素晴らしいし、なにより詞が胸にグサッと刺さります。世良さんの詞って、働いてはいるけど貧乏で、ボロボロのアパートに住んで銭湯行ったり、夢もなかなか実現できず夢のままで、彼女とも同棲したり別れたり…みたいな60~70年代の日本の若い労働者階級の生活感がにじみ出ていて、それが自分とオーバーラップして泣けるのです。そういえば世良さんが出演していた映画『Wの悲劇』もそういう世界観だったな…。ロックと言っても、舞台はまだ貧しさと暗さの抜けきらない70年代日本って感じ。それが飾ってばかりの言葉じゃなくて、生々しい本音のように感じるから、胸に刺さるのです。
あんたと暮らした2年の日々を、今さら返せとは言わないわ (あんたのバラード)
おいらは宿無し、お前にはあたたかな温もりもやれやしない (宿無し)
また、こういう生々しい言葉を伝える世良さんのヴォーカルがすごい!当時のスタジオ録音の限界か、世良さんの迫力を拾いきれてませんが、それでもカッコいい!ロックって、全身から何か発さないといけない、若い頃の世良さんや矢沢永吉さんの熱唱からはそれをビシビシ感じます。メロディをなぞるんじゃなく、感情そのもののような歌、素晴らしいヴォーカル!今こういう風に「歌に自分を全部託す」みたいな事をやるとダサいと思われるのかも知れませんが、歌ってこうありたいもんですよね。子供のころはがに股で力んで歌うsらさんの物まねをみんなでして笑ったりしてましたが、あれって好きの裏返しだったんだな…やっぱりツイストは最高でした!