
1920年に生まれ、1970年に入水自殺したユダヤ系ドイツ人の詩人パウル・ツェランの詩集です。もともとはルーマニアに住んでいたそうですが、これは時代的にナチの迫害を逃れるためだったのかも。実際、ツェランの両親はナチのユダヤ人強制収容所に送り込まれて消息を絶っています。処女詩集はウィーンから発行され、1950年以降はパリに住んでいたそうですが、国はあまり関係なく、
第2次世界大戦を挟んだ20世紀を生きたユダヤ系ドイツ人だったところが重要なのだと思います。僕の偏見とは思えないぐらいに、2次大戦時のヨーロッパのユダヤ人の悲劇が関係したとしか思えない詩が多いのです。
飯吉光夫さん訳で『パウル・ツェラン詩集』というタイトルの本は、この思潮社版のほかに小沢書店から出版されたものもあり、両者は同じ内容ではありません。比較すると、思潮社版はツェランの創作を彼の生涯からまんべんなくセレクトしているかわりにそれぞれの詩集からの抜粋。小沢書店版は創作初期のものに集中しているかわりに抜粋の比率が少なく、また詩以外にもエッセイ、また批評家の書いたツェラン論なども収録されています。
というわけで、小沢書店版と重複する初期の詩は飛ばし、小沢書店版未収録の後期詩編の感想なんぞを書いてみようかと。
今回読んで面白いと思った詩は、詩集『息のめぐらし』収録の「絲の太陽たち」、詩集『絲の太陽たち』収録の「刻々」と「白く」、『迫る光』収録の「かつて」この4つでした。一部分を抜粋すると…
まだ歌える歌がある、人間のかなたに。 (絲の太陽たち)
あかるさはすみずみまで眠っていない。
おまえはのがれ成る事なくいたるところで、心をあつめよ、
立て。 (刻々)
掟らが列にくわわる、行進する、内へ。 (白く)
光が生じた、救いが。 (かつて) 詩なのである程度の抽象化は行われてますが、でも具体的なイメージがあるのではないかと思えました。「まだ歌える歌がある」とは、この世界でまだ歌える歌があるという事であって、裏返して言えば死を意識した上での言葉に感じます。「刻々」も、何が刻々とであるかというと、刻々って時間の事ですし、まだ光は完全には失われておらず(隅々まで眠っていない)、でも刻々と迫ってくるその時からは逃れる事は出来ないので、「立て」と自分を鼓舞しているように思えます。
「白く」で、列にくわわって行進するイメージって、強制収容所に連行される人々のイメージと、一神教世界で死のあちら側に連れて行かれる死者の列のイメージのふたつが重ねられているのではないかと。そして、そのどれもが、2次大戦時のユダヤ人の体験と無縁ではないと思えました。
ところで、この4つの詩が良いと思えたのは、そうした体験の一般化が、あらゆる人にとって普遍的なところまで進んでいるから、読んでいる僕にとっても切実なものとして言葉が刺さったからと思うのです。ところがツェランの詩って、ここまで抽象化が進んだ「詩として見事なもの」というのが少ない印象でした。だから、詩として見事なのではなく、あまりに強烈だった戦争体験を拭い去れない精神疾病患者が書いた混乱した言葉の断片みたいに思えてしまったり。
20世紀って詩に限らず、哲学でも美術でも音楽でも、ふたつの大戦がテーマになる事が多いです。個人どころか人類自体が滅亡しかねない状態になった戦争を前提にするのは自然な事かとは思うんですが、でもその分野が暗に持っている最大のテーマから逸れた行為にも感じてしまうんです。だって、例えば音楽を例にとると、音が組み合わされて、それが人間移動受け取られるかというのが音楽のベースにあるものじゃないですか。それと戦争を繋ぎ合わせるのは、不可能じゃないけど根本にあるものからは遠ざかると思うんですよね。詩や美術も同じで、詩が戦争をテーマにしても別にいいと思うんですが、本気で戦争に取り組みたいんだったら詩や音楽をやってないで倫理や社会学や政治に踏み込まないと嘘のような気がしてしまうんです。また、詩や音楽というものから見ても、その主題からちょっと外れてしまっているというか。
というわけで、この詩集を読んだ僕の感想は、
これは詩として素晴らしいのではなく、2次大戦を体験したユダヤ人のリアルな肉声としての価値があるものに感じました。それだって重要なものと思いますが、普遍的なものを言葉で射抜いた詩ではなく、あくまで戦争詩に特化された言葉、みたいな。