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心に残った音楽♪

おすすめCDの紹介のほか、本や映画の感想などを (*^ー゜)v

 

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書籍『今日は死ぬのにもってこいの日』 ナンシー・ウッド著、金関寿夫訳

Kyouha Sinunoni Mottekoi no hi 北米インディアンに関しては、こんな本を読んだ事があります。ニューメキシコ州に居住しているプエブロ・インディアンと深く関わったらしい白人女性のナンシー・ウッドという女性作家が、プエブロ・インディアンの老人たちから聞いたた言葉をまとめたものです。

 読んでいて、どの言葉もおおむね以下3つのどれかにカテゴライズできると思いました。第1は人生観や死生観を示したもの。第2は自然の中に自分が生きているという世界観や生命観を示したもの。第3は、プエブロ・インディアンと白人との考え方の差を示したものです。

 第1の死生観は、死が視野に入っているだろう老人たちから聞いた事も大きいかも。でもって、この死生観がまったく人間本位ではなく、そこが素晴らしかったです。たとえば、こんな言葉がありました。

 どちらを向いても、悲しみというものはありません。というのは、すべてはそのとき、そうあるべき姿、そしてそうあるべきだった姿、また永久にそうあるべきだろう姿を、とっていたからです。ねえ、そうでしょう、自然は何ものとも戦おうとはしません。死がやって来ると、喜びがあるのです。年老いたものの死とともに、生の新しい円環が始まります。(P.66)

 こういう死生観って、「死んでも自分は何かになって生まれ変わるから大丈夫だ」という人間本位なものじゃない所が素晴らしいと感じます。だって科学的知識がある現代人としての僕は、「また別の命になって…」と言われても、今自分が持っている意識がなかったら意味ないじゃんと思うわけですが、でもそういう事を約束しないで「何かほかの形になる」と言われればそれはそうだし、その状態でそれで良いのだといわれたら、納得がいった状態で死を迎え入れる事が出来そうな気がするんですよね。

 第2は世界観や生命観は、第1と繋がっているものと感じました。

 わたしの部族の人々は、一人の中の大勢だ。たくさんの声が彼らの中にある。様々な存在となって、彼らは数多くの生を生きてきた。熊だったかもしれない、ライオンだったかもしれない、鷲、それとも岩、川、木でさえあったかもしれない。誰にも分からない。とにかくこれらの存在が、彼らの中に住んでいるのだ。
 彼らは、こうした存在を好きな時に使える。木になっていると、とても気持ちのいい日々がある、あらゆる方向が、一度に見渡せるからだ。岩になっているほうがいいような日々もある、目を閉ざして、何も見ずに。日によっては、できることはただ一つ それはライオンのように猛烈に戦うこと。それからまた、鷲になるのも悪くない理由がある。ここでの人生があまりにもつらくなったとき、鷲となって大空を飛翔して、いかに地球がちっぽけかを上から見ることができるからだ。すると彼らは大笑いして、巣にまた戻ってくる。(P.78)


 つまり、こういう自然すべてでひとつである、みたいな共生感や一体感が、第1の死生観に繋がっているのではないかと感じました。これですよね、現代人が日常に追いまくられているうちに忘れている感覚って。

 第3の白人の考え方との差は、これらプリブロ・インディアンの世界観と比較してのもので、要約して言えば「白人はそのうち自滅してしまうだろう」、なぜなら「彼らにはルーツがない」(p.6) という論理でした。ルーツというのは解釈が色々できそうですが、彼らの世界観から推察すると、彼らを成立させている根幹の正しい理解という所じゃないかと。これを理解できていないから、自分を成立させている自然を平気で破壊したり、神でもないものを神と崇めたりするわけで、そんなやつは自滅しないわけがないだろ、という事なんじゃないかと。

 そして、正しく生きて正しく死ぬことを判断できるようになるための「究極の理解への鍵」(P.5) というのが、こういう世界観や死生観なんじゃないかと感じました。書かれている言葉は単純だし、正直いって「そんな事知ってるよ」と通り過ぎそうになってしまいそうになった自分もいたんですが、知識として「知っている」事と、こうした自然観を身をもって「知っている」事はまったく別と思います。そして「あ、知識だけじゃダメなんだな」と理解させてくれたのが、実は訳者の金関寿夫さんという方が書いた、むちゃくちゃ詳しい解説つきのあとがきでした。本文よりこっちの方が素晴らしかったです(^^)。訳者や編集者の方って、作家よりも博学だったり理解が深かったりする事がありますが、この本なんてその典型じゃないかと。

 故事成句や詩の類だったりしますが、お金や職業に振り回される現代人の僕にとってはグサリとくるものでした。北米インディアンの思想は西洋思想の反省点として注目される事があって、これはそういう流れの中でベストセラーとなった1冊。あんまり深く哲学している本じゃなくて、1日もあればサラッと読めてしまうので、北米インディアン思想への入門書として最適の一冊じゃないかと!


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小説『完訳アンデルセン童話集1』 大畑末吉訳

Kanyaku_AnderusenDouwashu1_Oohata1.jpg 「ある母親の物語」を読みたくて買ったアンデルセン物語の第3集でしたが、これが深い読み解きを必要とする物語の数々で、宗教心を感じさせる話もあれば、マリ〇ァナでも吸いながら書いたんじゃないかというぶっとんだ話もあって、なかなか凄かった!というわけで、第1集にも手を出してみたのでした。以下、印象に残った話だけ抜粋して感想なんぞを書き残しておこうかと。

 「いたずらっ子」。大雨の日に、やさしい老詩人がずぶぬれになった子供を家に入れてあげてあげます。でもこの子が悪がきで、老詩人の心臓を矢で撃ち抜いてしまいます。このいたずらっ子は人をだますのがうまくて、みんなだまされて心臓を撃ち抜かれてしまいます。この子どもの名前はアモール(キューピッドの事)。

 「旅の道づれ」。何を言いたい話なのかは分かりませんでしたが面白かった!ある心のきれいな若者のお父さんが死んでしまいます。悲しんだ若者が父親の死体の近くで寝ると、父親が少女を連れて「お前のお嫁さんを見てごらん、世界一の美人だよ」と言います、でも目覚めると少女は消えしまいます。他に身寄りのない若者は旅立つ事にします。ある村で、死体を墓の外に放り出そうとした悪人を見て、「全財産をあげるから、その死体をお墓の中に反してあげてください」とお願いします。こうした善行を行ないながら旅を続けていると、旅に道連れが出来ます。ある大きな街に着くと、お姫様が王子を募集していました。しかし、お姫様の3つの質問に答えられないと、求婚した男は殺されます。ひどいお姫様だと思ったのですが、いざ見てみると夢の中で見たあの世界一の美人の少女でした。俄然やる気になった旅人は婚約者に立候補します。そして…ね?先が読みたくなるでしょ?面白かったです!

 「親指姫」。これは名前はきいた事がありましたが、内容を知ったのは今回が初めて。子どもの欲しい女が、魔法使いに相談します。すると種をひとつ貰い、それを育てると花の中から親指サイズの女の子が登場。そんなばかな、頭湧いているな…じゃなかったロマンチックだな。でもって、親指姫はみにくいカエルにさらわれ、カエルの息子と結婚させられそうになります。逃げ出して野ねずみに助けを求めると、野ねずみは親切にしてくれましたが、こんどはネズミのお隣さんのモグラと結婚させられそうになります。義理を欠くわけにはいかないのでげんなりしつつ運命を受け入れようとしたところで、今度はツバメに救われます。ツバメは親指姫が好きだし、親指姫もツバメが好きでしたが、今度は親指姫と同じ小さな人と出会ってめでたしめでたし。でも親指姫を救って、しかも両想いだったはずのツバメの気持ちは…。これって、向こうから勝手に幸せが飛び込んでくるシンデレラストーリーじゃなくて、昨日まで「あなたが好き」と言っていた女にわけも分からないまま振られる男の話なんじゃ…。

 「人魚姫」。これは深い話でした。人魚が人間の王子に一目ぼれ。魔女に相談すると、自分の魚のような尻尾を脚に変えてくれる薬を作ってくれるが、ひきかえに舌を切られて喋れなくなります。ついでに、その魔法は王子が自分を選ばず他の人と結婚してしまうと、自分は泡になってしまいます。結末は、自分より王子の命を選んだ人魚姫の悲劇で終わります。
 この話、アンデルセンの生命観があらわれているようで、そこに深さを感じました。人魚の世界では、「人魚は300年生きられるが死んだら泡になり、あとには何も残らない。だから、与えられた300年を楽しく暮らすのだ」「人間は私たちよりもずっと早く死ぬ。でも人間の魂は永遠で、死んだ後も魂が天に昇って行くのだ」というもの。前者が無慈悲な現実、後者はキリスト教が用意した死の恐怖を和らげる世界観。そして、人魚姫の臨死体験の描写が異様に細かいです。光が死のように冷たい泡をおだやかに照らし、自分は少しも死んだような気がせず、空中に無数のキラキラしたものが漂い…死ぬ時って、実際にこんなものなのかも。

 「皇帝の新しい着物」。タイトルは違いましたが、要するにこれは「裸の王様」でした(^^)。

 「しっかり者の錫の兵隊」。恥ずかしながら「錫」を読めませんでした(゚ω゚*)。この機会にしっかり覚えたいと思います。子どもにプレゼントされたおもちゃの兵隊が、紙で出来たダンサーに思いを寄せます。実はダンサーも兵隊が好きみたい。しかしひょんなことから兵隊は窓の外に落ち、紙の船に乗ってどぶ川を流されます。どぶの蓋の中に入るとネズミが出てきて「通行税を払え」といいますが、すずだから話せるはずもなくどんどん流されます。最後には魚に食われますが、その魚が釣られて食卓にあがると、なんとびっくり元の子供のもとへ。でも、子供のひとりが兵隊をつかんでストーブの中に放り込み、ついでに風に飛ばされたダンサーもストーブの中に入って、どちらも燃えてしまいました。最後には、ハートの形をした錫だけが残りましたとさ。…ぶっとんだ話だな(^^;)。

 「幸福の長靴」。履くと、その人が望むどの時代のどの場所にも行けるという長靴があります。これで色んな人がいろんな時代のいろんな場所に行ってしまうのですが、脱ぐと元の場所に帰ってくるという仕様。素敵だね。色んな人が長靴を履いていろんな世界を見てくるのですが、深かったのは最後のふたり。ひとりは警察署の書記係で、「詩人の心の中に入って、ああいう人になってみたいもんだ」と願います。すると、普段は感じないようなものの見え方がしてきます。植物学者が何時間も抗議してようやく説明できるような事が、そのへんにあった花を1分見ているだけで理解できます。水のしずくを見ているだけで、その中に入っている無数の生物に思いが馳せるようになります。おお、これは素晴らしい。。
 最後のひとりは大学生。大学生が「すべてのものの中で一番の幸福を」と望むと、大学生は棺の中に入り、棺の中で息を引き取ります。…いやあ、棺の中の永遠の眠りが一番の幸福という世界観がすごい。ちょっと考えさせられました。

 「野の白鳥」。11人の王子と1人の王女が幸せに暮らしていましたが、悪い魔女のお妃が来て、王女は貧乏な家に売り飛ばされ、王子たちは白鳥に変えられてしまいます。王女は兄さんたちを元の姿に戻したいと望みますが、その為には棘だらけのイラクサで鎧を11人分編まなくてはならず、またそれを編み上げるまで口をきいてはいけません。王女は棘で手から血を流しながら鎧を編み…まあこんな感じで、ファンタジーで面白かったっす(^^)。

 「パラダイスの園」。王子が森で迷子になると、年をとった女に助けられます。そして、女の4人の子供達が帰ってきます。ひとりは北風、ひとりは南風、ひとりは西風、ひとりは東風。それぞれ自分が行った世界の話をしますが、東風がパラダイスに行ってきたと話すと、王子はがぜんやる気満々。そして東風にそこまで連れて行ってもらうんですが、そこにある知恵の木の林檎にも触っちゃいけないし、仙女にキスしてもいけません。しかし王子は…
 ようするにこれ、旧約聖書のアダムとイブのいた失楽園の事ですよね。キリスト教圏ならこの話は意味が通りそうですが、日本だと子供に読んであげるにしても補足が必要だろうなあ。この話の中に、ひとつ印象的な記述がありました。それは、東風と一緒にパラダイスに向かう途中で、寒い世界を通り抜けるのですが、そこで王子が東風に行ったセリフ。「死の道を通ってパラダイスに行くんだね。」いやあ、「幸福の長靴」同様に、これは実にキリスト教的な世界観だと思いました。死の先を用意してない世界観って多いじゃないですか。でも、キリスト教では死の先に別の世界があるんですよね。

 3集は大人でもうならされる話が多かったですが、1集は子ども向けのファンタジーな童話が多かったです。含蓄のある話もあるけど、基本はいろんな世界を見たり、先が知りたくなるようなファンタジー。「しっかり者の錫の兵隊」や「裸の王様」あたりはその典型で、特に訴えたい何かを童話に託したわけではなく、人や子供が楽しんでくれるものを描いた印象です。でもこれ、子供の時に聴いたらワクワクするような話なんだろうなあ、紙の船に乗ってどぶ川を流されるのなんて、冒険談としてめっちゃくちゃワクワクしそうですし。この本、幼児が読むのは不可能。逆に中高校生にもなったらもうちょっと高度な文学を読みたいところ。じゃ、対象年齢はどれぐらいかというと…小学校中高学年、そして実は壮年期以上の大人が読む本なんじゃないかと。


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小説『完訳アンデルセン童話集3』 大畑末吉訳

KanyakuAnderusenDouwashuu3.jpg アンデルセンが書いた童話をすべて収録した岩波文庫の第3集です。虫プロ制作のアニメ『アンデルセン物語』の中で僕が感動した話「がんばれママ」の原作が載っていたので買いました。この第3集は、僕が知っているような有名な話は収録されていませんでした。そうそう、この文庫、挿絵も入っているのがなかなか良かったです(^^)。以下、自分の中に何かが残った話だけ抜粋して感想を(^^)。

 まずは例の母親の話、「ある母親の物語」。たった11ページですが、これは子どもがいるなら、幼いうちに何度も読み聞かせるべき。この話を知っていたら、虐待でもしない限り、親を親とも思わないような子どもには絶対にならないんじゃないかと。死神に我が子を奪われた母親が、子どもを取りかえしに行く途中の湖で、湖に目を奪われるシーンが強烈。湖に「お前のその真珠(両目の事)をくれたら、この湖の向こうまではこんでやろう」みたいに言われるのですが、母親は子どもを取り返すために自分の両目を差し出すのです、ああ…。。
 そして、病弱で苦しみながら生きている子どもと、死んであの世で幸せに暮らすのとどちらが良いのかという死神の問い、ここには(少なくともかつての)西洋の死生観が出ていると思いました。日本だと死はマイナスのイメージで最後にあきらめて受け入れるもの、キリスト教だと死は救いで場合によっては憧れるもの、なんていう世界観があるそうです。僕は「キリスト教だからと言って死に憧れるなんてありえないだろ」と思っていたのですが、この物語の場合、苦しい生より救いの死を選択しています。これは宗教的というか哲学的というか、実はものすごい深い問いが根底にあるんじゃないかと。というわけで人間の死をどう受け入れるかで悩んでいる人は、「ある母親の物語」をぜひ一度読んでみて欲しいです!

 「おとなりさん」。いや~この話はちょっと意味が分からなかった(^^;)。でも、いかにも意味ありげだったので、強引に解釈してみました。お隣さんというのはいろんな生き物の事で、カモやハトやスズメやバラや人など、同じ生存圏にいるものどうしのこと…かな?そのメインはスズメと薔薇で、スズメのお母さんは薔薇をボロクソに言うのに、薔薇はスズメを愛でます。そして、「美しいというのが何か分からない」という母スズメは人に軽く見られてるのに、薔薇は人に美しいと言われます。母スズメは子どものためにエサを取りに行ったところで、人につかまって、色々あった結果死亡。瀕死のスズメのお母さんをかわいそうと思った薔薇はかくまおうとしまいますが努力空しくダメ。スズメの子たちは母がいなくなって飛ぶ練習をしますが、家を守っていたスズメは火事にあって死亡。薔薇は特に何もしてないけれど豪邸に植えかえられてまたも美しく咲きます。以上。…う~ん、要するに、心が美しい者は見た目も美しく、また周りに愛されるが、そうでない者はむごい運命が待っているという事でしょうか。もしそうだとして、子どもがそう理解するのはたぶん無理だぞ。。

 「影法師」、これはヤバい。。学者の影がいつの間にかなくなって、しばらく経つと他の影が育ってきた。何年もしたら、昔消えた影が帰ってきた。学者はなかなか芽が出ず、影法師に誘われて一緒に旅に出る。いつの間にか影を「あなた」と呼ぶようになり、影からは「君」と呼ばれるようになり、立場が逆転していく。影法師は王女と仲良くなり、学者は影から「あいつは自分が本物の人間だと思ってるんだから始末に負えない」と言われ、王女と影の結婚の際には、学者はとうに殺されていた。なんだこのシュールな話は。アンデルセン、ヤバすぎる。

 「カラーの話」もシュールでした。カラー(多分、学生服の襟につけるあれの事)が主人公で、彼はアイロンや靴ベラやハサミに求婚するものの断られます。そのうち、求婚がしつこかったのでハサミに深く切られ、製紙工場に回収され、紙になってしまいます。その紙が、いま読んでいる本のページ…アンデルセン、絶対にラリッてるな。。

 「ある物語」。牧師が教会で「悪い事をすると死後に地獄で永遠に焼かれ続けますよ」と説教をします。そんな時に妻が死んでしまい、妻の亡霊が牧師に「永遠に焼かれ続けるほどの罪人の髪の毛を持っていかないと、私が永遠に焼かれ続ける事になってしまいます」と訴えます。それは大変d菜と牧師は罪人を探しますが、極悪だと思っていた罪人ですら何かしらいい所があり、永遠に焼かれ続けるほどの悪人がいません。夜明けが近づき、牧師は神に必死に訴えます。「どうぞ、人間というものをお知りになって下さいませ。どんな悪い人の中にも、神様の一部が宿っているのです。そしてそれは地獄の業火に打ち勝って、それをなおす事が出来るのです!」。その時、牧師は妻にキスをされて目覚めます。神様が見せた夢だったのです。
 こういう話を読んでいたら、少し過ちを犯したからといって、その人のすべてが悪のように叩きまくる今の異常な風潮は改善されるんじゃないでしょうか。罪に匹敵する罰だけ受ければ充分、今はオーバーキルし過ぎというか、少しの事で叩きすぎだと思います。子どもだけじゃなくて大人もアンデルセン童話を読むべきだ!

 「もの言わぬ本」。ある青年が死に、彼が愛していた本が棺にしまわれます。各ページには花が挟んであって、それぞれの花にはこの青年の想い出が詰まっています。学生時代の親友との思い出、異国の地でのお嬢さんとの思い出…この青年はこの本の上に頭を乗せて眠りにつき、そして忘れ去られる。

 「年の話」。これは季節を比喩的に話していく物語ですが、要するに冬がすべてを死滅させても、次に一巡してまた春が来る、みたいな。そして、その死の象徴の冬を、春が来ても「死んだように見えて死んじゃいない」「春の後見人」と説明しているのがすごい。これって、アンデルセンの死生観なんでしょうね。比喩として、人間の死も死んでいるように見えるけど、次の生命の後見人であって、季節のように循環していると表現したかったんじゃないかと。この話を、子供がそのように理解するのは難しいと思うんですが、大人だったらそう読めてしまう…のは僕だけなんだろうか。

 「上きげん」。霊柩車の御者が主人公の話で、彼がそれぞれの墓に埋まっている人の生涯を説明していきます。ここは金持ちで、家じゅうを飾っていた人が埋まっている。ここは、生涯をずっと研究のために費やした人が埋まっている。ここは生きている間はけちだった人が埋まってる。そしてこの御者は、死んだら墓碑銘に「上機嫌な男の墓」と掘ってくれ…みたいな。つまりこれ、死んだ瞬間い自分の人生をどう振り返るか、これを考えさせる話だったんじゃないかと。

 「柳の木の下で」。とても仲のいい小さい男の子と女の子が、柳の下で遊んでいました。でもある日に女の子が引越しする事になり、ふたりは離ればなれ。成人して男の子は職人になり、女の子は歌手になります。ある時、青年は彼女に会いに行って彼女に愛を告白しますが、彼女は「あなたは私の大事なお兄さん」と言ってそれを受け付けません。青年は寒い冬の中、歩いて幼い頃に一緒に遊んだ柳の木のある故郷まで歩いて帰り、その木の下でゆっくりと休んでかつての幸せだった時の事を思い出して眠り、そのまま死んでいきました。ああ…

 この話の逆が、「イブと小さいクリスティーネ」でした。やはり仲のいい小さい男の子と女の子が結婚の約束をして、離ればなれになって、女が結婚をして…という話でした。でも結末が逆で、今度は別の男と結婚して贅沢三昧だった女の方が没落して不幸の死を迎えるというもの。
 
 「あの女はろくでなし」。ある男の子が、えらい町長さんから「君は見どころがあるが、君の母親は酒飲みのろくでなしだ」と聞かされます。男の子の母親は、男の子を食べさせるために一日中洗濯をしている洗濯女でしたが、過労で倒れ、そして死んでしまいます。町長は気に入っていた男の子を引き取って育てる事にしますが、やはり死んだ母親の事を悪く言います。でも、この母親を知っているおばさんは、「やさしかったお母さん」と嘆く男の子に、「あの人は天国の神様にも愛されるぐらい立派だった。世間の人には勝手に言わせるがいいさ」と伝えます。

 アンデルセン童話の完訳全集の3巻は、物語の真意はどう考えたって大人じゃないと理解不能なんじゃなかいか、いや、大人だってボ~っとしてる人は理解できないんじゃないかという物語のオンパレード。そして、教訓的な話というよりも、人生観や死生観、それにキリスト教的な世界観が語られているものが多いと感じました。「ケチな人は損をする」とか、そういう事が書いてあるんじゃなくて、人の生をどうとらえるか、そしてどう生きるか、それが書いてある物語が多かったように思います。アンデルセン物語、深いです…ちょっとぶっ飛んでるけどね(^^)。。
 

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書籍『光GENJIへ・元フォーリーブス北公次の禁断の半生記』 北公次

HikaruGenji he_Kitakouji ジャニー喜多川さんやジャニーズ事務所と言って、僕が真っ先に思い出すのがこの本です。著者の北公次さんは、ジャニーさんの作ったフォーリーブスというアイドルグループの元メンバーで、これは自伝であると同時に暴露本でもありました。僕がこの本を読んだのは大学生の頃で、ツアーメンバーだった友人が駅の本屋で買ったものを借りて、移動の新幹線の中で読みました。そんなもんで、「読んだ」という印象は強く残ってるんですが、何十年も前に1度読んだだけなので内容は忘れてるところが多いです。ただ、忘れられない記述がいくつかありまして…

 北さんはこの本でフォーリーブスの事を「ステージでバク転もする初のグループだった」みたいに書いてました。僕は世代的にフォーリーブスを知らないもので、「それって衝撃だったんじゃないかな」なんて思ったり。あと、ジャニーズ事務所を離れて町で座っていたらジャニーさんが見つけてくれて助けてくれた、とか。なるほど、昔のグルーピーというヤツだな…みたいに、序盤は北さんの自伝風。でも途中で空気が怪しくなってきて…

 事務所の男子寮で、男色のジャニーさんが北さんの布団の中に入ってきた、とか書かれてるんですよ。しかも、その描写が細かくてねちっこい。しゃ○られたとか、必死に抵抗したのに指技が凄くてイ○されたとか。嫌悪感を持っていても〇っちゃうもんなのか、ジャニーやるな。また、実名はあげられてなかったと思いますが、他の寮生もジャニーさんの夜這いの被害にあった奴が…みたいな記述もあったような。なるほど、エロい目で少年を見てたから、中性的な男の子を見定める審美眼が確かだったという事なのかな?ところで、嫌がる未成年者に手を出しちゃまずいですよね、それは立派な犯罪だよ。
 もうひとつ覚えてるのは、事務所の斡旋で北さんがバーのママに夜の世話をしてもらってたという話。少年好きななママだったら趣味と実益を兼ねたいい仕事だったかもね( ´∀`)。

 まあ、こういう事自体はそこまで珍しい事じゃないので驚かないんですが、書いて出版しちゃう所が凄いなと思いました。日本人って報復を怖がって泣き寝入りしちゃう事が多いじゃないですか。そうしなかったのは立派かも。
 プロレスや芸能界関係のこういう暴露本って、どこまで真実か分からないですが、ジャニーさんの未成年者に対する男色は裁判でも認められた例があるらしいですし、ジャニー喜多川さんの男色を告発したジャニタレの暴露本は大量にあるそうなので、根も葉もない事じゃないんでしょうね。レズはいいけどゲイは生理的に受けつけない(あ、互いが合意ある場合にとやかく言う気はありません。当事者にはなりたくないという事です。)僕にはキツい本でした。以降、ジャニーズのタレントくんたちを見るたびに、「ああ、この僕ちゃんも掘られちゃったのかな」な~んて思うようになって、ジャニーズ恐怖症になってしまったんですよ…。


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小説『闇の奥』 ジョセフ・コンラッド著、藤永茂訳

Yami no Oku_Conrad コンゴザイールの音楽を取りあげてきましたが、このへんの土地の歴史を知る上で読まないわけにはいかない小説をひとつ。「世界の英語圏諸国の大学で、教材として、20世紀で最も多く使用された文学作品」(本文まえがきより引用)という近代イギリス文学屈指の名作…というより、僕的には衝撃だった作品、『闇の奥』です。1899年発表で、欧米諸国が植民地支配を行っていた時代の小説です。小説というものの、これがほぼノンフィクションだという事が、色んな文学者の研究で分かってるみたい。

 舞台は19世紀末のベルギー領コンゴ。マーロウは、うまいこと貿易会社の蒸気船船長の座に潜り込み、意気揚々とコンゴへ向かいます。しかしコンゴはヨーロッパ人だったマーロウには想像以上の地で、奴隷政策のむごい惨状、灼熱のアフリカの厳しさに圧倒されます。現地に着くと、川を遡ったさらに奥地に赴任し、知る人皆から称賛される天才クルツの話を聞かされます。クルツは、コンゴに赴任した白人全員をあわせたより多くの象牙を奥地から送ってきますが、現地から帰ってこようとしません。マーロウはクルツの赴任先まで、蒸気船でコンゴ川をのぼっていくのですが…

 未開のジャングルの奥地に行ったきり帰ってこない怪人物を追って、地獄の様相を呈するジャングルを川で遡っていく…最初に読んだ時の僕の感想は、「なんだこれ、『地獄の黙示録』そのものじゃないか!」というものでした。しかも『地獄の黙示録』と違ってこれはほぼノンフィクションらしいし、文章の表現が強烈で生々しくて、その衝撃は『地獄の黙示録』の比ではありませんでした。「イギリス文学の名作」なんて言葉で想像するような生易しいものじゃなかったのです。
 そんな『闇の奥』ですが、僕的には3つ重要な事が書かれてると思いました。ひとつは、ベルギー領コンゴの植民地政策の惨状。ひとつは、クルツのいう異形の人物に迫る小説としての側面。もうひとつは、人が人を支配する植民地支配の資料、この3つです。

 ひとつめのベルギー領コンゴの植民地支配の惨状。実は、この小説には地名やら何やらはほとんど書いてありません。でも、後のイギリス文学研究家たちの調べで、マーロウ(これが作者コンラッドの事)が就職したのは「北部コンゴ貿易株式会社」で、遡った川はコンゴ川…な~んてことも今では分かってるそうです。で、植民地の惨状が強烈。コンゴ領に着き、森を散歩したマーロウは、捨てられた奴隷たちの地獄の光景を目にします。

「彼らはゆるりゆるりと死につつある―それはもうはっきり分かった。」彼らは敵じゃなかった。罪人たちでもない。もはや、この世のものではない―この緑がかったうす暗闇の中に雑然と横たわっている病苦と飢餓の黒い影以外の何ものでもなかった」(P.47)

「もう一方の幽霊は、あまりの疲労に打ちひしがれたかのように、その額を膝の頭に押し当てていた。そして、そのあたり全体に、同じようなのが、大虐殺か悪疫の惨状図さながらに、あらゆるポーズに体をよじ曲げた姿で、ごろごろ散らばっていた」(P.49)


 ふたつめの、クルツという人物の描写としての小説として。この小説はかなり映画的な書き方がされていて、謎めいた恐怖でも尊敬の対象でもあるようなクルツという人物がいて、彼を追って未知の森の奥へと入って行く…みたいな感じ。マーロウは、クルツの赴任地に向かう途中のコンゴ川上で、人を受け付けない未開のアフリカの自然の驚異を目の当りにします。真っ暗闇の中で鳴り続ける太鼓の音、赴任して数年もすれば次々に病に侵されて死んでいく白人。そんな中、ずば抜けた業績をあげながら、とつぜん本社に背を向けて別の赴任者との交替を拒み、人のいない死の待つ地獄の森の奥へと入って行くクルツ。ようやくマーロウがクルツの元に辿りついた時には、とつぜん闇から現地人たちのやりの奇襲を受け、またマーロウの家には生首が象徴として見せつけてあります。
 コンラッド自身は、クルツをこんなふうに結論付けています。「彼は、原始の大自然から、自由に呼吸のできる空間、どんどん分け入って行けるだけの空間の他には何ものも求めなかった。彼が求めたのは生きている事であり、できる限りの大きな危険を冒し、最大限の窮乏に耐えて、前に進む事だった。」彼の心情は分かる気がしたんですよ。詩人のランボーが、天才と言われながらフランスを捨ててアフリカに入って武器商人になり、アフリカで死にましたよね。ちょっとチープな言い方になっちゃうけど、死んでもいい、ギリギリのところを垣間見たい…そんな思いなんでしょう。
 あと、小説の最後が胸に来ます。クルツの最後の言葉は、「The horror! The horror! (地獄だ!地獄だ!)」なのですが、彼の辞世の句を聴いたマーロウは、クルツの婚約者には、「彼の口に上った最後の言葉は―あなたのお名前でした」と伝えます。婚約者はクルツを分かった気になっていますが、なぜクルツの最後の言葉が「地獄」であるのかは、伝えてもきっと理解できなかったのではないか…そんな気がしました。アウトサイダーなんですよ、クルツはきっと。

 3つめの、植民地支配の資料としての価値。この本が出た時は、まだビデオカメラがない時代なので、こういうルポが植民地支配の実態を訴える唯一の手段だったんでしょう。昔、NHKとABCが共同で作った『映像の世紀』というドキュメンタリー番組がありましたが、その中で、現地人を鎖でつないで強制労働させているリアルな植民地での強制労働の写真を見た事があります。これが人間のすることか…。そして、その地獄絵図の最たるものが、ベルギー王レオポルド二世のコンゴの私有地化で、その人類史の闇を表に出したのがこの本、というわけです。レオポルド2世は自分では一度もアフリカに行かないまま、植民地での実態は現地開拓などせずに現地人を強制労働で600万から900万の人を虐殺(本書あとがきにあった数字)した悪魔のような人間です。しかし、自分が悪魔のような所業を働いているという自覚すらなかったんじゃないでしょうか。ヒトラーのナチが虐殺したユダヤ人の数が800万なんて言われてますが、それ以上の虐殺が行われた事があまり知られていないのは、犠牲者がアフリカ人だからでしょうか。せめてもの救いは、この惨状を伝えたのがヨーロッパ人自身だった事でしょうか。

 さて、この本は何度か日本語訳されたそうですが、これは2006年の藤永茂さん訳。50年代の岩波書店の訳本を元にしつつ、誤訳を訂正し、ついでに時代背景などの詳細をまえがき、あとがき、訳注などにビッシリ。今から読むなら間違いなくこの訳本じゃないかと。ザイールのCDのところで、「モブツ大統領をいたずらに独裁者と言って批判したくない」と僕が書いたのは、ヨーロッパのこういう残虐極まる植民地支配を、アフリカ人当人が軍事クーデターによって独立させたからで、それを西側の論理「独裁国家だ」の一言で悪と信じてしまうのは、事実をちゃんと知るまでは留保しておきたい、という気持ちが僕にあるからでした。いまだに資本主義的帝国主義の続く現代に生きる僕たち現代人は、読んでおきたい本なんじゃないかと。


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プロフィール

Bach Bach

Author:Bach Bach
神戸住まい、奥さんとネコと暮らす音楽好きです。音大は卒業したのですが、成績はトホホ状態でした(*゚ー゚)

ずっとつきあってきたCDやビデオの備忘録をつけようと思い、ブログをはじめてみました。趣味で書いている程度ですが、いい音楽、いい映画、いい本などを探している方の参考にでもなれば、大変嬉しく思います(ノ^-^)ノ

最近気になってるCDとか本とか映画とか
intoxicateに載っていた1枚。「Vyacheslav Artyomov」、ロシアの作曲家は名前が読めなくってムズカシイ。。「ヴャチェスラーフ・アルチョーモフ」と読むらしいです。伝説の「フレンニコフの7人」のひとりとの事ですが、それって何かすら僕は知らず(^^;)。作風的には初期は新古典的、後に民族的な様式、十二音技法や、複調性、ミニマルなんかも用いたみたい。ロシアの前衛は強烈なものが多いので、聴いてみたいです。アマゾンで買おうと思ったらダウンロード版しかなかった(;_;)。 オスマン時代から現代までのトルコ音楽のガイド本みたいです。おおお~、これは絶対に読もう!!
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