
いまさら僕が力説するまでもない日本漫画の代表作のひとつです!
サブカルチャーとしての70年代日本漫画の頂点に立つ作品ってこれじゃないでしょうか。幼いころ、
僕はデビルマンをTVアニメの「あれは~誰だっ!」だと思ってたんですが、小学校高学年になってはじめて漫画を読んで、あまりの違いに驚愕。原作漫画こそがデビルマンだ!!…って、テレビアニメも別物として好きなのですけどね(^^;)。
■あらすじ 氷河期に氷づけにされた悪魔たちが徐々に現代に蘇ります。この事にいち早く気づいた考古学者の息子・飛鳥了は、悪魔と合体する事で悪魔の能力を得、悪魔に対抗することに。しかし悪魔に精神を乗っ取られないためには、善良かつ強靭な精神を持つ人間でなければならず、了はその条件を満たす男として、親友の不動明を誘います。悪魔人間になる事に成功した明ですが、悪魔の侵略によって数々に悲劇が起こり、また人間は悪魔に押され、絶望的な歴史を歩む事に。そしてついに姿を現した悪魔神サタンは…
■恐怖が凄い!怖すぎてトイレに行けない、一人でふろに入れない! 子供の頃に読んだ
デビルマンの素晴らしさは、なにより恐怖でした。10歳までの自分の体験で、最大の恐怖を感じたものは心霊写真集とこれだったんじゃないかなあ。狐に憑かれた両親に食い殺される、亀の化け物に食われ、甲羅に食われた人の顔が浮かびだす、恋人の首が落とされ串刺しに…デビルマンを読んだ日は、ひとりで風呂に入る事すら出来なくなってました(^^;)。
でも、恐怖なんてなければないほど良さそうですよね。なんで恐怖がいいのか…うまく説明できないんですが、リアリティなんじゃないかと。映画や小説だと、ストーリーがあって、そのストーリーを頭で理解して、その後に感動するなりなんなりが来る、みたいな。これって、頭で記号を追っていますよね。でも恐怖って、頭で考えてからどうじゃなくて、いきなり感覚にズドンと来るじゃないですか。直接五感に訴える生々しさ、そこが恐怖の凄さじゃないかと。しかも感覚からもろに伝わってくるもののなかで、いちばん衝撃が大きいのって、喜びとかなんとかじゃなくて恐怖だと思うんですよ。だからすごかったんじゃないかと。
■時代背景 恐怖以外にも、意識はしてなかったけど魅力を感じている所があった気がします。例えば、悪魔に襲われ、人間が疑心暗鬼になって殺しあってしまい、人類がほとんど滅んでしまった世界。あるいは、人間以前に地球にいた人間「のような」存在。こういう設定や世界観にも魅せられていたんじゃないかと思います。歳を重ねるにしたがって、今度は恐怖以外のこういう所にも興味を持ち始めました。
まず、終末論的な世界の描写。これって、当時の時代背景が影響しているんでしょうね。デビルマンが書かれたのは1972~3年。冷戦時代で、核戦争の危機や環境汚染問題などがあった時代です。社会全体に「どうにかしないと」という気分もあっただろうし、一方で「一回ぜんぶぶっ壊して、最初からきれいにやり直したい」という思いもどこかにあったかも。「空から悪の大王が降ってくる」というノストラダムスの予言日時が近づいていて、その予言が新約聖書の黙示文書に近い部分があったもんだから、ある種の神秘性も持っていた気もします。これらをうまく表現したのがデビルマンだったのだと思います。
人類以前に地球にいた存在が戻ってきて、人間を襲う…デビルマンを読んでいた頃は知りませんでしたが、以降の僕は、これと似た設定の物語に色々と出会う事になりました。栗本薫さんの『魔界水滸伝』や『グイン・サーガ』を読んで、「あ、これってデビルマンだな」と思いましたしね。これらが
ラヴクラフトの生み出したクトゥルー神話に影響を受けた作品群である事を知ったのは、ずいぶん後のことでした。
■子供の頃に理解できなかったことの解題1:塩の柱、地球を覆う光 デビルマンは途中で作者が勢いで一気に書いてしまったのか、説明されていない事もいろいろあり(僕は説明せずに勢いで書いたことは正解だったと思っています)、子供の頃にはよく理解できない事がいくつかありました。悪魔が支配したはずのソ連が白く光って塩になる。悪魔と悪魔人間の最終決戦の前に、光が地球から離れる。これらの意味が分からなかったんですよね。でも久々に読んだら、自分なりに理解できた気がするものがありました。理解するにはこの作品だけを読むのでは不可能、少しばかり教養が必要なんですね(^^;)。それをちょっと解題してみようかと。
まず、ソ連占領を成功させたかに見えた
悪魔も、悪魔を倒そうと思った人間も、光に包まれて滅亡し、塩の柱になったというくだり。これ、旧約聖書の「創世記」に出てくるソドムとゴモラの話です。ソドムという町は欲や傲慢にまみれて退廃し、神に天罰を下されて滅びます。で、その中のひとりの女性(ロトの妻)が、神に「振り返るな」といわれたのに振り返ってしまい塩の柱にされた、というものです。これは中学の社会の授業で旧約聖書の話を聞くまで、まったくわかりませんでした。教室で「デビルマンだ!」という声が上がったのは言うまでもありません(^^;)。先生は何のことかさっぱりわからないという顔をしてましたが。
■子供の頃に理解できなかったことの解題2:地球から離れる光 そして、最後の悪魔と悪魔人間の最終決戦。善と悪に分かれた最終決戦が黙示文書である事は理解できますが、その前に地球から光が離れるシーンの意味がまったく分かりませんでした。終盤になるとイメージだけのコマが増えるので、何となくそういうものかと思ってたんですよね。
これって、要するに光に包まれたソ連が、悪魔も人間も滅ぼされたという伏線から繋がっているんでしょう。ここで言う神は旧約聖書的な「神」であって、モーゼやキリストなどの預言者は含まれないと考えると理解しやすいかも。つまり、サタン(飛鳥涼)は堕天使であって神じゃない。こうした神概念は「姿もなく、言葉ももちろん話さない」ので、光として表現。しかしこの神は意志も意図も持っていて、傲慢さが現れると、人も悪魔も区別せず、ソドムやゴモラのように滅ぼす恐怖の大王となります。そして
最終決戦となると、神が審判するのではなく、自分たちで決着させるために地球から離れた。で、これらのコンテキストに、旧約聖書と新約の黙示文書がある、みたいな。
デビルマンのこういう描写に一貫性がなくあちらこちらからの引用になっているのは、デビルマンという物語がプロットを入念に練って書かれたものではなく、連載が始まってから勢いがついて感覚的に書かれたからなんでしょうね。で、勢いで書いたものだからつじつまが合わない所があって、それをどうにかするために、永井豪さんは延々と関連作品を書き続ける事になった…多分これが正解でしょう(^^)。
■大人になってから読んでも面白かった! 頭でいろいろ考えた素晴らしいストーリーを持つ小説や漫画はたくさんあると思います。でも、感覚に直接来る漫画、これは僕の場合、デビルマン以上のものは思いつかないです。そしてそれをやるためには、平然とタブーを破っていくぐらいじゃないと出来ないんでしょう。話もすごいですが、絵の迫力もすごいです。世界中に熱狂的なファンを生み出しただけのことはある、日本漫画の金字塔のひとつではないでしょうか!
そうそう、デビルマンは再販されるたびに新しい描き下ろしページが追加されていくんですが、追加ページはすべて蛇足。読むなら全5巻のオリジナル版がオススメです。ジャズやロックみたいなもんで、細かい事はいいんです、この作品は勢いだ!