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『Bukka White / Parchman Farm』

Bukka White Parchman Farm デルタ・ブルースで印象に残っている人をもうひとり。これもミシシッピ・デルタのブルースマンで人気のひとり、ブッカ・ホワイトです!ブッカ・ホワイトは1904年生まれ、セミプロで演奏活動をしていた鉄道員の父親の影響で音楽を始め、チャーリー・パットンに憧れたブルースマンです。
 このアルバムは、1937年と40年にシカゴで行われた3つのセッションを集めた、ブッカ・ホワイトのコンピレーション盤です。実はこの37年と40年のセッションの間に、ブッカ・ホワイトは銃で男を撃ち、殺人罪で終身刑を宣告されています。このアルバムのタイトルとなっている「パーチマン・ファーム」とは、ブッカ・ホワイトが収監されたミシシッピ州刑務所の事です。
 このレコード、日本では75年にCBSソニーが日本盤LPを出し、以降CDでも何度かリイシューしてきたので、ブッカ・ホワイトといえばこのアルバムを聴いた人も多いのではないでしょうか。私もその口でしたね(^^)。

■戦前ブルースの侮れない存在…洗濯板!
 このアルバムはブッカ・ホワイトのひとり弾き語り…かと思いきや、よくこんなにカッティングしながらボトルネックを使えるものだなと思ったら、ウォッシュボード・サムが洗濯板を演奏しているものがありました。「え、これってどこにウォッシュボードが入ってるの?」と思うものもありましたが、スピーディーにガシガシと進んでいく「Special Streamline」という曲では、洗濯板の演奏が隠し味として絶妙。洗濯板…って思う方もいらっしゃるかもしれませんが、戦前ブルースで洗濯板を使うのは常套手段で、しかも七味や胡椒のように目立ちはしないけど入っているといないでは雲泥の差、みたいな。隠し味ではあるけど、ウォッシュボードが入っていると音楽がグルーヴするんですね。。
 そうそう、このアルバムで洗濯板を演奏したウォッシュボード・サムは、洗濯板の演奏では大有名人です。ちなみにブッカ・ホワイトがウォッシュボード・サムと知り合ったのは1935年の事。ピーティー・ウィートストローと一緒に、はじめてシカゴを訪れたときで、他にはビッグ・ビル・ブルーンジーともこの時に知り合ったそうです。ブルースってミシシッピ・デルタからシカゴへと主戦場を移していきましたが、そのルートは30年代にはすでに出来上がっていたんですね。

■野太い!男くさい!豪放磊落なヴォーカルこそブッカ・ホワイト
 そして、ブッカ・ホワイトの歌を聴いて最初に印象に残ったのが、低音が響きまくる野太いヴォーカルでした!同じデルタ・ブルースでも、ロバート・ジョンソンサン・ハウスはギターの方に耳がつられた私でしたが、ブッカ・ホワイトはなによりまずヴォーカルでした。ブルースのこういう低音を響かせて声を張るヴォーカルって、B.B.キングもそうだし、マディ・ウォーターズオーティス・ラッシュもそうだし、ゴスペルやスピリチャルからの流れもあるのかも知れません。あ、そうそう、ブッカ・ホワイトは1930年にゴスペルの曲も録音していたので、これは間違いないところかも。
 このアルバムで言うと、「Aberdeen, Mississippi」でのヴォーカルは絶品でした。ちなみに「Aberdeen」は、19世紀末に鉄道の分岐点となったサウスダコタ州にある都市のことではなく、ミシシッピ州モンローにある町の事です。2020年での人口が5000人弱という町ですが、モンローの郡庁所在地。ブッカ・ホワイトは二番目の奥さんと、この場所で農場を営んでいたそうです。

■ギターはデルタにしてはシンプル…かと思いきや
 そして伴奏となるギターですが、このアルバムに収録されている曲の多くは、ジャカジャカといったコード・ストローク。デルタ・ブルースというから、それこそロバート・ジョンソンやサン・ハウスのようなひとり多重層的な演奏をイメージしてしまいましたが、コード・ストロークだけで歌うタイプのフォーク・ミュージックに近い音楽でした。「high Fever Blues」なんて、その良い例。野太い歌にシンプルな伴奏なので、「豪放磊落」が、ブッカ・ホワイトの一番強いイメージになるかも。

 ところが、さすがはチャーリー・パットンに憧れたミシシッピ・デルタのブルースマン。それだけで終わるはずがありませんでした。数は少なかったですが、ストロークとボトルネックを見事に同時演奏した曲も入っていたのでした。それが「Fixin' To Die」、「Bukka's Jitterbug Swing」、そして「Special Streamline」の3曲。演奏が潰れて録音されてしまっているチャーリー・パットンやロバジョンよりも録音が良い事もあるのでしょうが、ボトルネックのこのカッコよさはブルース以外では聴けない特別なもの。貨物列車が荷物を運んでやってきたアメリカ南部の小さな駅舎の横で、階段に腰掛けながらこういう音楽を聴かされたらたまらないでしょうね。もう、そういう光景が浮かんできそうな音楽でした。この3曲を聴けるだけでも、お釣りがくると思ってしまいました。
 ちなみに、「Fixin' To Die」は、フォークの超大物ボブ・ディランデビュー・アルバムでカバーしました。50年代に入るとロックンロールなどの流行でかき消されてしまったブッカ・ホワイトが、ボブ・ディランが「Fixin' To Die」をカバーした事で、60年代にリバイバルする事になりました。
 しかし、これだけ素晴らしい演奏が出来るのに、なぜなかなかやってくれないんでしょう。その私なりの推論はまたあとで。

Bukka White_pic1■リゾネーター・ギターの独特の響きがここに!
 ブッカ・ホワイトといえばリゾネーター・ギター。ギターのサウンド・ホールのところに鉄板を張って音量を稼げるようにしてあるアレです。ちなみに、ブルースでは鉄板をつけますが、ブルーグラスでは木の板をつけるらしいですね。ちなみに、よく言うドブロ・ギターというのは、ギター・メーカーの名前。ドブロ・ギター社の作ったリゾネーター・ギター、みたいな感じです。リゾネーター・ギターはドブロ社の専売特許ではなく、他にはナショナル・ギター社なども作っています。ブッカ・ホワイトのギターって、ヘッド部分に「ナショナル」という刻印が見えるので、もしかするとナショナル社のリゾネーター・ギターを使っていたのかも知れません。
 
 そのレゾネーター・ギターの破壊力。レゾネーター・ギターって、元々は弱音楽器であるギターの音量を稼ぐ目的で製造されたそうですが、実際にはあまり音量があがらなかったそうですね。そのかわりに、鉄板に跳ね返った音がギランギラン。よく言えばえらい派手で、悪く言えば下品な音がします。このアルバムには、正直のところレゾネーター・ギターなのかどうかよく分からないものも多く入っていましたが、1曲だけものすごくギラギラした音の演奏が入っていました。それが、アルバムのトップを飾る「Pinebluff, Arkansas」。この曲はレゾネーター・ギターだけでなくボトルネックも使っているんですが、ボトルネックで演奏した部分のサウンドが特にギラッギラでカッコよかったです!!

■典型的なブルース曲かと思いきや…
 曲について。1930年あたりに録音されたチャーリー・パットンやサン・ハウスのデルタ・ブルースと比べると、スリーコードでワンコーラス12小節というブルースの定型がかなりはっきりしてきていました。せいぜい10年ぐらいしか離れていないんですが、ラジオや録音が発明されて以降の音楽の進化って速いですよね。
 ところが、聴いていると定型のはずが「おっ?」と思わされることがしばしば。ブルースの12小節って、歌で言うと4小節で一節というものが多いですが、こうすると節と節のあいだにスペースがあって、バンド・ブルースになると、この隙間でギターやハーモニカがフレーズをバンバン叩き込んできて、歌といい掛け合いになります。でもこのレコードでのブッカ・ホワイトは独奏なので、コード・ストロークだけでは間が開いてしまいます。ではどうするか…なんと拍数自体縮めてしまうのでした。
 一番多いのは、2つ目の節の最後となる8小節目を、4拍から2拍に変えてしまう事。曲で言うと「Where Can I Change My Clothes」や「Sleepy Man Blues」でこれをやっていましたが、今まで4拍で来ていたものが2拍になるので、えらくトリッキーになり、シンプルな構成で出来ているブルースにとって、いいアクセントになっていました。
 どうしてブッカ・ホワイトはこういう事をやったんでしょう。推論のひとつは、せっかちだから。先ほど述べた、「テクニカルなストローク伴奏とボトルネックのコンビネーションを演奏できるのにしない」ことや、豪快なヴォーカルに繋がる感性の気がするんですよね。レベルの高い演奏をできるのにしないのが「面倒だから」、繊細ではなく豪放なヴォーカルとなった理由は「細かい事を気にしないから」だとしたら、ブッカ・ホワイトというブルースマンの音楽が、何となくわかる気がしませんか?

■この録音とブッカ・ホワイトの人生の関係
 このレコードに収められた曲以前のブッカ・ホワイトの録音は、1930年5月、ビクターが行ったメンフィスでの録音があります。
その次がこのレコードに収められた14曲で、その内訳は、37年2月9日録音が2曲、40年7月3日録音が6曲、40年8月3日録音が6曲、いずれもシカゴでの録音です。37年に録音されたのは、先ほど「いかにもレゾネーター・ギター」と言った「パイングラフ・アーカンソー」と「シェイク・エム・オン・ダウン」。という事は、少なくとも37年の録音ではレゾネーター・ギターが使われていたのかも知れません。
 シカゴでの録音が終わり、ミシシッピにある故郷アバディーンに戻ったホワイトは、10月に銃撃事件を起こし、11月に殺人罪で終身刑を言い渡されました。結局、37年録音がEPとしてリリースされたのは、ホワイトが刑務所に入っている最中で、皮肉にも「シェイク・エム・オン・ダウン」は大ヒット。ブルースのスタンダード・ナンバーになりました。
 アメリカでの終身刑というのがどういうものかよく分かりませんが、ホワイトは2年間服役したのちに釈放。そして録音されたのが、このレコードに入っている40年録音の12曲というわけです。なんでも、ありものの曲を録音しようと思ったら、プロデューサーから「他の人がもう録音してるから売れねえ。新曲を書け」といわれ、急いで何曲か書いたんだそうです。
 この新曲の中には、ブッカ・ホワイトが服役した刑務所での実体験を語ったものがあって、そのひとつが「パーチマン・ファーム・ブルース」というわけです。この曲、ワンコーラスが裁判の模様、セカンドコーラスが妻への思い、次が終身刑を喰らった自分からこの歌を聴いている人へのメッセージ、次に日が昇ってから沈むまで労働を強いられる刑務所生活について、という順で進んでいきます。フィクションではなく実体験の追想という所が、実にブルースです…。

■このレコードのバリエーション
 レコード『Parchman Farm』の初出は、CBSが69年にイギリスとドイツでリリースした『Bukka White』というコンピレーションです。内容は1937年から40年までの録音を集めたものでした。それが今回紹介した『Parchman Farm』というタイトルとドアップジャケットになったのは、翌70年にアメリカでコロンビアが出した時からです。さらに、85年には『Aberdeen Mississippi Blues 1937-1940』なんてタイトルのレコードもイギリスで出されました。ジャケとタイトル違いとなったこの3つのレコードですが、収録曲は曲順まで含め、どれも同じ。
 チャーリー・パットンに憧れた人の全盛期がいつだったのかを考えても、パットンの活躍時代に少し遅れた37年から40年の録音であるこのレコードは、ブッカ・ホワイトを聴きはじめるファースト・チョイスにふさわしいと思うんですよね。このコンピを気に入ったなら、その次が、歴史的な意味合いも含め、30年5月に行われたビクターでの録音。その次がボブ・ディランがブッカ・ホワイトの曲を取り上げたことをきっかけに起きた、1962年以降のリバイバル録音のどれか、という順が良いのではないでしょうか。

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 豪放磊落な中にもチラチラと本物の匂いがするブッカ・ホワイトの音楽の背景には、終身刑を宣告されるという、人生を丸ごと左右するような出来事がありました。そりゃ迫力も出ますよね…。というわけで、ブッカ・ホワイトを聴くなら、僕的なお薦め第1位はこれ。全曲がそういう曲というわけではないのですが、レゾネーター・ギターの魅力が伝わる曲と、ボトルネックの妙技を聴くことが出来る曲は必聴。ブルースが好きな方はぜひ!


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『Charley Patton / Founder Of The Delta Blues 1929-1934』

Charley Patton Founder Of The Delta Blues 1929-1934 ロバート・ジョンソンをきっかけに始まったデルタ・ブルースの旅は、時代をさかのぼる形で進み、最後に行き着いたのがチャーリー・パットンでした。間にサン・ハウスを挟むかどうかは人によって差がありそうですが、いずれにしても日本ではロバジョンがスタートでパットンに至るルートを辿った人が多いのでは?ソニーが版権を持ったこともあって、日本でのレコードの紹介もロバート・ジョンソンは強力でしたしね。
 でも当時の人気ではチャーリー・パットンが圧倒的だったそうです。ブルースでのデルタ・スタイルを確立したばかりでなく、ブルース以外の音楽もなんでも弾いてしまうわ、ギターを背中に背負って弾くなどのエンターテイメント性も高いわで、他のブルースマンはパットンがいない時の代役ぐらいの格差で、パットンの独占状態に近かったみたいです。
 このCDは戦前ブルース発掘の雄ヤズーがリリースした超有名なコンピレーション盤。なにせ元よりヴィニール盤もLPもない時代なので、この時代のブルースのLPやCDは、ほぼSP時代のシングル盤を集めたコンピレーションなんですよね。

■すでにアコースティック・ブルースの技術がすべてあるような
 1920年代、しかも情報の制限された南部アメリカの黒人音楽だというのに、アコースティック・ブルースののギター弾き語りの演奏スタイルが相当なところまで確立されている事に驚きました。ストローク部分が多く、平歌部分はまさにストロークだけでの伴奏という曲もそれなりにあったんですが、そういう曲ですら要所でバスの下降ラインを使ったり(Screamin’ And Hollerin’ The Blues。そうそう、チャーリー・パットンって、バスが短7、長6、完全5と下ってくるパターンを多く使うんですが、これが最高に気持ちいい^^)、ストロークしながらボトルネックでループするフレーズを演奏したり(Mississippi Bo Weavil Blues)。このちょっと挟み込んでくるサムシングが猛烈にカッコいいです。

 で、この猛烈にカッコいい部分は、本人なりお客さんなりもやっぱりカッコいいと感じたのだろうと思います。というのは、カッコいい技巧的なギター演奏部分が曲の一部だけじゃなく、だんだん全体に広がっていっているんですよね。デルタ・ブルースの録音を、パットン、サン・ハウス、ロバート・ジョンソンという年代順に並べると、スタイルは共通しているけど、だんだん技巧部分が曲全体に広がっていくのが分かります。それはパットン自身もそうで、パットンの演奏の中にも、バスとコードをストロークでコンビネーションしながらメロディとなるリフをスライドで弾き続ける曲もありました(たとえば「A Spoonful Blues」)。ここまでくると、少し後の世代のロバジョンやライトニン・ホプキンスが使った技巧ですら、その基礎がすでにメソッド化されていると感じました。
 ただ、ボトルネックは常に使うわけでもなくて、これならなんちゃってだけどギリギリ真似できそう(^^)。そういう意味で言うとたしかに初期スタイルなのかも…あ、でも歌いながらこれを弾くのはやっぱり簡単じゃないかな…。

 一方、このあたりのブルースって、楽器演奏部分が仮にテクニカルであったにせよ、表現にはそれほど重きを置いていないように感じました。これはチャーリー・パットンに限った話ではなく、ブラインド・レモン・ジェファーソンやサン・ハウスもそう。表現やエモーショナルな部分は歌や詞が分担していて、ギターはそれをがっちりと受け止めている、みたいな。
 ほら、後年のブルースになってくると、西の方に広がっていったモダン・ブルースやアーバン・ブルースなんかは、かなり楽器表現が豊かじゃないですか。Tボーン・ウォーカーもB.B.キングもそうですが、溜めた後にチョイーンと鳴らしたり。ギター弾き語りの戦前のデルタ・ブルースは、そういうブルースとはギターの役割がそもそも違っていたのだと思います。

charley patton_pic1■漠然とした南部音楽が「ブルース」に
 チャーリー・パットンって、「色々と乱れ咲いていた当時の南部音楽を【ブルース】というひとつの確立したアメリカ音楽にまとめあげた人だ」、なんて言われることがあります。私はそこまで20年代のブルースを多く聴いていないので、それが事実かどうかは分かりませんが、たしかにいろいろな音楽とは未分化のままの歌音楽ではなく、統一したひとつのスタイルが出来上がっているとは感じます。
 ところで、何が音楽をひとつの統一したスタイルにしているのでしょうね。私的には、軸にはソングフォームの確立ととギター演奏のメソッド化があると感じました。それってワンパターン化という意味ではなく、チャーリー・パットンとしてのひとつの型が出来たという意味。曲や曲想のバリエーションは大変に多いんですよね!実際、パットンは「何でも屋」と呼ばれたほどで、色んな音楽を演奏した人だったらしいです。ブロードサイド・バラッドでも、白人音楽だったヒルビリーでも、あるいは各種ダンス音楽でも、それこそなんでも。プロとしてけっこうエンターテイメント意識も高かったみたいで、ギターを首の後ろに乗せて演奏したりして、お客さんを楽しませていたらしいです。

 それだけ多様でありながら、その多様さがバラバラに聴こえないのは、まずがギターの演奏メソッドがある程度統一されているからじゃないかと。バスとコードはストローク。その上でボトルネックを使うにせよ使わないにせよ、メロディを上に乗せて同時に演奏することがある。ターンバックではバスの下降ラインを使う…こういうものが、違う曲想であっても共通して演奏に用いられるので、同じ音楽という統一感を出していると感じます。
 ギターの演奏メソッド自体が「ブルース」というスタイルを確立している、みたいな。このアルバムに入っていた「Mississippi Bo Weavil Blues」なんて、当時の他の南部音楽とは明らかに違っていて、これを何と呼ぶかというと、やっぱり「ブルース」と呼びたくなります。

■他の音楽との違いもまたブルース
 「ブルース」というジャンルの確立は、他の音楽との違いでも起きたように感じます。チャーリー・パットンって、他のブルースマンみたいに旅をうつ事をあまりせず、ミシシッピ・デルタに留まって演奏していたらしいです。そんなパットンの留まったドッカリーというミシシッピの地域って、南下すればジャズのメッカであるニューオリンズだし、北上すればエルヴィス・プレスリーのメンフィス、西に行けばカウボーイ・ソングどころかメキシコ音楽なんかも入ってきているテキサスです。アメリカのアーリータイム・ミュージックの宝庫になってる地域なんですよね。
 例えば、同じ黒人音楽だった南部ジャズと比較してみると、1920年代後半だと、ルイ・アームストロングホット・ファイブやホット・セブンが大ブレイクした頃です。あのズン・チャッ・ズン・チャッってリズムに乗せて、みんな同時にアドリブしちゃうやつです。アームストロング関連で言うと、彼が参加したキング・オリヴァーの楽団なんかはそれがもっと原始的で、クレオール音楽的な感じ。同じ南部でも白人音楽のカウボーイ・ソングは、ギターをストロークして歌う部分はブルースに共通します。これらの音楽は共通項がいっぱいあって、未分化な部分も多いんですよね。
 それが、少なくともチャーリー・パットンとなると、弾き語りであって、ギターがメカニカルな演奏をして…みたいなひとつのスタイルとして、他の音楽と明らかに切り分けられる特徴を持つところまで来ていました。
 デルタ・ブルースは歌いものと語りものの中間にあるものだと思いますが、あのスタイルが他の音楽と区別された「ブルース」スタイルとしてはっきりしていったのが、チャーリー・パットンやその時代のミュージシャンが築き上げたものだったのでしょう…適当な推測ですけど(^^;)>。

■下世話、悲しみ、時事ネタ…飾る事をしない赤裸々な詩こそブルース!
 ブルースの詞って、隠喩が大量に使われますが抽象的という事はなく、むしろ日常生活にべったりくっついたものと感じます。チャーリー・パットンには「ポニー・ブルース」という、アメリカ政府が保護対象にまでした有名な曲があるんですが、これなんて隠喩を使った下世話の極み。「ベイビー、俺のポニーに鞍を付けてくれ、俺の黒馬に鞍を付けてくれ。でも俺に乗ってくれるやつは見つからない」みたいな詞なんですが、ここでいうポニーや黒馬って…。切実さもそうですがユーモアもあるんでしょうね。
 「34 Blues」という曲のばあい。34というのは銃の口径の事かと最初は思っていたんですが、誰が車を買って、誰が仕事にあぶれ…みたいに実際にあった事を朗々と語って、最後に「それは悲しみとなるだろう、神よ、そしてそれは涙となる」で締める所を見ると、もしかするとミシシッピの1934年を歌っているのかも。

 むかし、三井徹さんという方の書いた『黒人ブルースの現代』という本を読んだことがあります。なにせ昔に読んだので正確な文言は覚えていないのですが、そこで三井さんは「ブルースというのは悲しみでもあるけど、同時に安堵でもあって、そのコンプレックス」みたいなことをおっしゃっていました。チャーリー・パットンの歌を聴いていると、三井さんの言わんとしている事は何となくわかって、「Pony Blues」なんて男の欲望や悩みがそのまま語られると同時にユーモアでもあるし、「34 Blues」は時事ネタを絡めた悲しみではあるんだろうけど、それが悲しみで終わらずある種のカタルシスになっているので、悲しみの歌を聴いて悲しみで終わらずに何かスッキリする感覚があります。こういう詞って、当時のアメリカ南部の黒人コミュニティで共有されていた生活感とリンクしたものなんでしょうね。
 チャーリー・パットンの歌を聴いていると、だんだんタイムスリップした感覚に襲われる自分がいて、それって最高に素晴らしい体験なんですけど、このタイムスリップ感覚は詩によるところが多いと思っています。

■美声からだみ声に…喉を掻き切られたパットン
 そして、1929年から34年というたった5年の間に、本当に同じ人かというほど、声質が変わっていてビックリ。先ほどの「A Spoonful Blues」は澄んだ声なのに、「High Water Everywhere」はすごいだみ声。
 そうそう、チャーリー・パットンって喉をナイフで切られたことがあって、さらに酒好きも重なって、43歳で死んじゃうんですよね。もしかすると29年から34年までの間にのどを斬られたんじゃ…。そのへんも実にブルースマンです。本当は綿花栽培してなきゃいけないのに、遊芸民として生きた戦前ブルースマンの結末って、こういうものが多いです。ロバジョンは愛人の旦那に毒を盛られた説があるし、警察から逃げまくったブラインド・ジョー・レイノルズは眼を散弾で吹き飛ばされてるし、ブラインド・レモン・ジェファーソンは職を失って吹雪の中で死んだというし。綿花農場の小作人として生きていけないアウトサイダーが流れた先、それが30年代の南部アメリカで生きたブルースマンなのかも知れませんね。

 久しぶりに聴きましたが、もともと好きだったとはいえ、想像以上に耳を奪われました。詞がまた赤裸々で面白い。デルタ・ブルースって、聴き始めるとずっと聴いていたくなります。う~んこれはいい…そしてこのCD、なんと曲ごとにどういうオープンチューニングが使われたのかが書かれていました!自分で採譜して、ボトルネックを使ってもきちんと弾けるチューニングを考えるのがめんどくさい人にとっては、これは宝じゃないでしょうか。。というわけで、昔から聴かれてきたYAZOO の名コンピレーション、おすすめです!


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『Son House And The Great Delta Singers / Complete Recorded Works 1928 -1930』

Son House and great delta singers_1928 1930 タイトルだけを見ると「Son House And The Great Delta Singers」というグループ名にも見えますがそうではなく、サン・ハウスをはじめとしたデルタ・ブルースの歌手のオムニバスレコードです。録音が1928年から30年ということは…そうです、伝説のサン・ハウスの初期録音が入っているのです!1930年って、パラマウント・レコードがチャーリー・パットンを中心にデルタ・ブルースのミュージシャンを集めた録音セッションを行っていて、その録音を中心に編んだコンピレーションがこのアルバム、という事だと思います。チャーリー・パットン自体は大物なので、別途パットンだけの録音を集めていて、結果サン・ハウスが最大の大物になった、みたいな。
 このCDの内訳は、サン・ハウスの弾き語り6曲(3曲が各前後半で合計6)、サン・ハウスとウィリー・ブラウンのデュオ1曲、ウィリー・ブラウン2曲、キッド・ベイリー2曲、サン・ハウスが参考にしたというルービィ・レイシー2曲、ブラインド・ジョー・レイノルズ4曲、ガーフィールド・エイカーズ4曲、ジョー・カリコット2曲、ジム・トンプキンス1曲。ちなみに、ウィリー・ブラウンという人は、当時のデルタ・ブルースきってのサポート・ギタリストで、彼の歌や演奏を聴けるのも、このコンピレーションの大きな魅力です。

■1928年から30年のデルタ・ブルースは…
 全体の印象は、1928年から30年までのデルタ・ブルースは、影や深みのあるタイプのブルースよりも、白人のフォークロアやカントリーにも繋がるのほほんとした音楽が多かったのだな、と感じました。それこそ「カントリー・ブルース」という言葉がピッタリ。
 基本はギター弾き語りで、ギターは前奏が済むと、あとは基本的にループ・ミュージック。そのループがバスとコードのひとり二重奏となっている、みたいな。語られる物語があくまでメインなんでしょうが、このギターの技も大道芸的なセールス・ポイントだったんでしょうね。若い頃、ロック・ギタリストのジミ・ヘンドリックスの演奏を聴いて、「ギターだけでもすごいのに、これを歌いながら弾いてるのか」と驚いたことがありましたが、そういうジミヘンのスタイルってベースにアコースティック・ブルースがあったんじゃないか、と思ったりして。
 曲もワンコーラスが12小節と決まっているわけではなく、またスリーコードどころかトニックとサブドミナントだけ、なんてものも普通にありました。

■サン・ハウス初録音!
 サン・ハウスは1930年に行われたこの録音が初レコーディングです。ちなみにこのセッションに参加したのはパットンとハウスのほか、ウィリー・ブラウンとルイーズ・ジョンソン。サン・ハウスは9曲を録音したと言われていますが、このレコードに入っていないあと2曲が現存するのかは不明です。
 そしてサン・ハウスのパフォーマンスですが、ダミ声を張り上げるようなヴォーカルと、ループするギター伴奏のコンビネーションがカッコイイです!これはもうほとんど浄瑠璃の世界、語りものといった方が近い音楽だと思いました。
 サン・ハウスの有名セッションを挙げると、初録音となったこれ、41~42年にアメリカ議会図書館のために録音されたもの、戦後サン・ハウスの再発見となった65年『Father Of Folk Blues』の3つでしょうが、ギターのテクニックこそ65年録音の『Father Of Folk Blues』に軍配を上げたいですが、ヴォーカルは間違いなく30年録音が圧倒的だと思いました。すごい。
WillieBrown.png
■デルタ・ブルースのギター実力1位?!ウィリー・ブラウン
 そして、サン・ハウスとのセッションにも1曲参加したウィリー・ブラウン。ウィリー・ブラウンはサイドマンとしての活躍で知られたギタリストで、チャーリー・パットン、サン・ハウス、ロバート・ジョンソンにサポートを任された凄腕。このレコードではヴォーカルも取った弾き語りを2曲披露していますが、それがまた絶品で、サポートじゃなくて自分がフロントでいいじゃないかと思いました。私の趣味だけでいえば、サン・ハウスやチャーリー・パットンより好きなヴォーカルで、ハスキーで叫ぶその声に、味も迫力もあるんですよ!いやあ、名前しか知らなかったんですが、ウィリー・ブラウンを聴けるだけでも価値があるレコードだと思いました。

■散弾銃で眼球を吹き飛ばされた脱獄囚 ブラインド・ジョー・レイノルズ
 ブラインド・ジョー・レイノルズ。名前からして目が不自由と分かりますが、そうなった理由は顔面に散弾が炸裂したため。だから、レイノルズは目が不自由どころか、眼球自体がありません。そこまでひどいと、顔に散弾が当たったのに命を落とさなくて良かったと思えてしまいますね。数センチずれていたら命はなかったかも知れないです。
Blind Joe Reynols 実際の音もやさぐれた不良感ただようもので、メッチャカッコよかったです!ただ、この人の歌って詞が現在のポリコレ的な感覚で言うとちょっとヤバくて、このレコードに入っている4曲のうち「Outside Woman Blues」と「B Third Street Woman Blues」は、ちょっと女性蔑視が…まあでも、時代の違うものですからね。そういう風潮を知ることが出来る資料という価値もあるかも知れません。そうそう、「Outside Woman Blues」は、ロック・バンドのクリームがカバーしています。クリームでのエリック・クラプトンの演奏以上に、レイノルズの演奏がカッコイイと私は感じました。歌の合いの手に入れるフレーズのやさぐれ感がすごいんですよ!
 レイノルズは実際の品行も良くなかったらしく、子供のころから懲役刑を喰らい、偽名を使って警察から逃げ、脱獄した事もあったそうです。彼が戦前に発表したレコードには「ブラインド・ウィリー・レイノルズ」を名乗っているものもありますが、この改名も警察を逃れてのものだったのかも知れません。こういう事を擁護するつもりはありませんが、たしかにそういう不良っぽさが音に滲み出てるんですよね。
 彼は、このレコードに入っている人の中では、汎的なブルースのイメージに一番近い音楽をやっていると感じましたが、ハスキー・ヴォイスや畳みかけるように弾くギターのやさぐれ感がすごいので、ブルースを通り越してひとりR&BやR&Rとすら感じてしまいました。う~ん、こと音響面では本当に素晴らしかったです。

■28~30年のデルタには実力者しかいないのか?!すごい
 他の人たちも、お世辞ぬきでで素晴らしくて、聞き惚れてしまいました。以下、特に印象に強く残った人について、簡単に触れておきます。

 キッド・ベイリー。20年代から50年代に活躍した人と言われていますが、詳細は分かっていません。現存する録音も、このアルバムに入っている2曲がすべて。
 ところがそれが良く無い音楽かというとまったくそんなことはなく、曲もヴォーカルを含めた演奏も(でもギターは本人でないという説もあるみたいです)、サン・ハウスやウィリー・ブラウンに比べると牧歌的。でもそこが長所で、いつまでも聴いていたいと思ってしまう魅力を感じました。こういう音楽もいいですねえ。

 1曲だけ入っていたジム・トンプキンス。デチューンするようにコードがずり落ちてくるボトルネックの味わいは強烈、一度は聴くべし。声も美しく歌い回しも調子が良くて、良かったです。なんで1曲なんだろ、良かっただけにもっと聴きたかったです。

■というわけで
 全員は書ききれませんでしたが、書かなかった他の人も、ギターや歌が下手な人なんてひとりりもいませんでした。さすがは流しでお金を貰っていた人たち、プロは違いますね。ダメなら下ろされるだけだろうし、変なステマが聞かない世界で強く生き延びた人なだけありました。
 デルタ・ブルースというとチャーリー・パットン、サン・ハウス、ロバート・ジョンソンが御三家かと思いますが、それに付け加えて、こういうコンピレーションをひとつ聴いておくと、デルタ・ブルースへの理解がより深まると思いました。私はコンピレーションやベスト盤って好きではない方なんですが、こういうものはコンピレーション以外の形にするのが難しいでしょうから、話は別。実にいいレコードでした!デルタ・ブルースのファンの方は必聴じゃないかと!


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『Son House / The Legendary 1941-1942 Recordings In Chronological Sequence』

Son House_ Legendary 1941-1942 Recordings In Chronological Sequence デルタ・ブルースの雄サン・ハウスの泣く子も黙る大名盤『Father Of Folk Blues』に、僕はなかなか手を出せませんでした。だって60年代の録音だったので、ロバート・ジョンソンよりも先輩という戦前ブルースマンの全盛期の録音とは思えなかったんです。
 サン・ハウスには1930年にパラマウントで吹き込まれた有名な録音もあるのですが、数曲しか吹込みがないもので、だいたいは色々なミュージシャンの録音と一緒になったオムニバス盤しか見つけることが出来ず、レコードやCDはアーティストごとに集めたい私は、二の足を踏んでいました。つまりサン・ハウスはどのレコードから聴けばよいのか、むずかしかったんですよね。
 そんなある時、中古レコード屋で、ついにこのレコードと出会ってしまったのでした。41~42年録音という所に惹かれ、しかもジャケットがカッコイイ!というわけで、これがどんなレコードもよく分からないまま、勢いで買いました。若いころって小遣いのほとんどすべてを音楽に充てていたんですよね。昼食代を浮かせてレコードを買うなんて、ほとんど日課でした。あ、だから体が細かったのか…レコード・ダイエット、今こそやるべきかも。

■明るいブルースって、聴いたことがありますか?
 18歳ではじめて聴いたときの印象は、「ブルースとは思えないほど明るい音楽だな」というものでした。僕、アコースティック・ブルースって、スリーピー・ジョン・エステスの「Rat in my kitchen」のようなレイドバック感の凄いものか、アラジンやゴールドスターに録音したライトニン・ホプキンス初期録音「Down baby」みたいな、ディープでダークな憂いあるスロー・ブルースが好きだったんです。
 でもブルースって、深堀りしていくと決して暗いばかりの音楽じゃないんですよね。テキサス・ブルースの重鎮ブラインド・レモン・ジェファーソンですら明るい曲がありますし。若い頃は、このアルバムに入っていた音楽のそういう類いの明るさかと思ってたんですが、久々に聴き直したら、理由は違うところにあるんじゃないかと思えてきたのでした。

■この明るさの正体は…
 このアルバムの明るさの半分は、実際の曲の明るさ。ブルースも演奏しているんですが、白人のカントリー・ミュージックじゃないのかと疑いたくなるような音楽も演奏しているんですよね。「American Defence」なんて思いっきり長調だし。サイドBの前半は、「え、本当にサン・ハウスのレコードなの?」と思うほどです。
 もうひとつは、ヴォーカルとギターの演奏の軽やかさです。ちょっとつま弾いてサラッとうたったようなパフォーマンスなんですよね。曲によっては、どう聴いても流して弾き語っていました。たしかに、30年の録音とかになると、サン・ハウスってもっとだみ声で叫ぶように歌うし、65年の『Father Of Folk Blues』もドブロ・ギターをスライドさせてギターがギュンギュン鳴って迫力でした。それに比べると、この録音はボトルネックも多くはないし、ヴォーカルも叫ぶというにはほど遠い。たしかに軽さを感じるんです。だから、1930年の録音や、逆に1965年の録音に比べると、サン・ハウスの別な側面が見える音楽にも感じるのが、このレコード。

 あくまで推論ですが、このレコードの裏ジャケットに書いてあるクレジットにヒントがあるのかも知れません。「Recorded by Alan Lomax for the Library of Congress.」と書いてあるんですが、これを直訳すると「アメリカ議会図書館のために録音したもの」という事。喋っているトラックもあるし、チューニングまで録音されてるし、アメリカの音楽文化の調査資料としての録音だったのかも知れません。そういう意味で言うと、ブルースマンとしてのサン・ハウスが演奏してきた音楽の王道ではなく、サン・ハウスが知っている古いアメリカ音楽を幅広く演奏してもらったもの、というのがこのレコードの正体なのかも。

 というわけで、このレコードをサン・ハウスの音楽のど真ん中と思わない方がいいかも知れません。そういう意味で言うと、最初の1枚にはふさわしくないかも。でもつまらないかというとそんな事はなく、アメリカのアーリータイム・ミュージックの実態に触れるものとして、すごく面白い音楽だと思いました。なにより、ブルースマンがこういう白人っぽい音楽を演奏するのが驚き。黒人酒場で演奏する時はブルースを演奏していただろうけど、多数派の白人の前で演奏する事もあっただろうし、そういう時にはそういう音楽のレパートリーも持っていたのかも知れません。あ、でもミシシッピ・ジョン・ハートみたいな人もいるか。。
 そして、これが戦中録音、『Father Of Folk Blues』が戦後だとすれば、サン・ハウスには有名な戦前の録音がありまして…その話はまた今度させていただきます!

Category: CD・レコード > ブルース・ソウル   Tags: ---

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『Son House / Father Of Folk Blues』

Son House Father Of Folk Blues デルタ・ブルース全盛だった1920年代からしばらく、ロバート・ジョンソンはそれほど名が知られていたわけでなく、チャーリー・パットンやサン・ハウスの方が名を知られた存在だったそうです。でもブルース自体が流しの弾き語り音楽なのでレコードよりライブで聴く音楽だったうえ、1930年に行われたサン・ハウスの初録音があまり売れなかったものだから、以降しばらく録音が行われず、サン・ハウスはローカル人気こそあるものの、レコードの上では忘れかけられた存在でした。

■60年代に再発見されたサン・ハウス
 60年代になって、サン・ハウスがふたたびクローズアップされるようになったのは、ローリング・ストーンズアニマルズのヒットで、ブルースに再度注目が集まったからでしょう。というわけで、おそらくいちばんよく知られたサン・ハウスのこのアルバムが録音されたのは1965年のニューヨークのこと。さすがに戦前ブルースのあのチリパチがうるさいレコードとは違って、いい音でした!変なリヴァーヴなんかもかけられてないのが良かったです(^^)。
 これはサン・ハウス初のLPアルバムですが、65年録音という事もあってか、デルタ・ブルースとは言うものの1曲9分とか、けっこう長いものもありました。はじめてこのレコードを聴いた頃、僕はブルースってもっと短い曲をどんどんやるんだと思ってたんです。昔ブルースの本で読んだことがありますが、実際デルタ・ブルースやテキサス・ブルースといった戦前ブルースって、酒場で演奏する時は1曲がすごく長くなる時も普通にあったそうです。まあ即興で物語や時事問題を語る事もあったらしい音楽だし、循環するリート形式なので、そうなるのも自然かも。録音される時はEPの収録時間に合わせて数コーラスだけ演奏するように縮めただけで。リアルな戦前ブルースのスタイルが戦後になってようやく録音できるようになったというのは、なかなか面白い現象だと思いました。

■達人ぞろいのデルタ・ブルースで名を成したギターは…
 2曲が手拍子だけの独唱、2曲でアル・ウィルソン(Al Wilson)のセカンド・ギターまたはハーモニカが入っていましたが、基本的にひとりギター弾き語りでした。サン・ハウスの強烈なヴォーカルと巧みなギターにびっくり!サン・ハウスって30~40年代が全盛で、その後何年も音楽をやめていた時期があったらしいので、60歳代となったこの時期はとうにピークを過ぎたころかと思いきや、いやいやそんなものではありませんでした。

 さすがはギターの達人揃いのデルタ・ブルースで名を成した人、まずはギターが素晴らしかったです。サン・ハウスのギターって、1930年の録音のころから、1小節で出来たパターンを繰り返すものが多いんですが、カッコいいパターンが執拗に繰り返されるので、なんかトランス状態に入っちゃうような感覚があるんですよね。
 その中でコードとバスはつかず離れずで、これはコード・ストロークの中でバスとコードを弾き分けている感じ。そして、その上に乗っかるボトル・ネックを使った旋律部分がむっちゃくちゃカッコよくて、キュイーンと決まってました。サン・ハウスといえばボトルネックを使った演奏が代名詞となっていますが、これが悶絶もの。このカッコよさは体験しないとなかなか分からないかも。

Son House Father Of Folk Blues_CD たとえば、このアルバムに入っている大有名曲「デス・レター」を例に説明してみます。私にはGのペンタトニックに聴こえるこの曲の演奏トリックの鍵はオープン・チューニング。間違っているかも知れませんが、恐らくギターのチューニングを、下からD,G,D,G,B,Dとしている気がします。少なくとも、1弦と2弦はこうしないとボトルネックで協和音程を作れないので、まあ間違いないのではないかと。
 下から2番目(ギターの5弦)でGとB♭(またはその1フレット下のF)を弾いて、これがベース。その上の3つの弦(4,3,2弦)は指で抑えずそのまま弾いても綺麗にGメジャーの構成音が鳴ります。という事は、曲の大半で鳴っているG部分では、左手は指一本でバスとコードを弾くことが出来るんですよね。あとは旋律部分を担当しているボトルネックなので、演奏する時の脳みその使い方としては「バスコードとメロ」だけに限定できるんだな、みたいな。こうなると小指につけているだろうボトルネックにけっこう集中できそうです。それが簡単じゃないんですけどね。。

 他には、ハー音の使い方が実にブルースで、独特のニュアンスでした。リフの中ではベー(B♭)なのに、コードの中ではハー(B)なんですよね。このふたつの音は、コードGに対しては短3度と長3度にあたる音。西洋音楽でいえばマイナーとメジャーを分ける重要な音です。この3度を自由に行き来するのがいかにもでもブルースで、本当にいい味を出していると感じました。

 ギターの事ばかり語ってしまいましたが、ギターの上に乗っかるヴォーカルが歌というより語りのよう。語りのような自由さを持つ歌がギターとは対照的で、この歌があるからこそギターのループが生きてくるわけで、なるほどある意味でこれは完成した様式だと思いました。やっぱりギターだけじゃなくて、全体なんですね。

■全盛を過ぎた時期の録音だなんて思っていた私が馬鹿でした
 このレコードをはじめて聴いたとき(私は大学生でした)、クレジットされていないだけでリードギターが別にいて、よもやギターをひとりで弾いているとは思わなかったんです。後日、ブルースは小指や薬指にボトルネックをつけて演奏する事で、これをひとりで演奏しているのだと知った時にはビックリしすぎてうしろにひっくり返りました。
 アコースティック・ブルースのギターというと、ロバートジョンソンばかりがやけに神格化されっている雰囲気を感じますが、いやいやどうして、みんなすごいんですよね。デルタ・ブルースのシーン自体が、最低でもバスとコードを同時演奏できないとブルースマンを名乗る資格がない、みたいな。サン・ハウスは、間違いなくその中に入る重要人物のひとりだと思います。

 というわけで、デルタ・ブルースどころか、アコースティック・ブルースを聴くならこれはマスト・アイテム。60年代の録音という事で、若い頃の私は「これって全盛期の演奏じゃないんだろうな」と思って買うのを躊躇していましたが、いやいやとんでもない、聴き損じちゃいけない必殺の1枚と思います!久々に聴きましたが素晴らしかったです(^^)。


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Author:Bach Bach
狭いながらも居心地のいい宿で、奥さんとペット数匹と仲良く暮らしている音楽好きです。若いころに音楽を学びましたが、成績はトホホ状態でした(*゚ー゚)

ずっとつきあってきたレコード/CDやビデオの備忘録をつけようと思い、ブログをはじめてみました。趣味で書いている程度のものですが、いい音楽、いい映画、いい本などを探している方の参考にでもなれば嬉しく思います(ノ^-^)ノ

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