
今日(2022年10月1日)、
アントニオ猪木さんが他界しました。ずっと難病と闘われていたので覚悟はしていましたが、いざこの日を迎えると、自分の人生の一部が奪われたような気分になります。自分の一部が死んでなくなった、そんな気分です。
子供のころほど、色々なものに影響された事もありません。いま振り返ると、音楽でも映画でも、現在まで続く自分の趣味のほとんどすべてが小学生時代に体験したもの。それぐらい、幼少時に体験したものというのは絶対のものなのでしょう。僕が子供のころに感化されたものにひとつに、プロレスがありました。
ウルトラマンにばかり夢中になっていた頃もあるし、プロレスばかりに夢中になっていた頃もありました。小学2年の頃、クラスメイトの中で卍固めの掛け方を知っているのは僕だけだったし、プロレスに一番夢中になった小学校高学年から中学のころは、休み時間にずっとプロレスをやっていました。そのプロレスというのが、ほとんどスパーリング。相手にわざと技を決めさせるなんてことはせず、ルールの範囲内で相手を決めて、相手がギブアップしたら技を解いて終わり。そういうほぼスパーリングのプロレスごっこのベースにあったのは、柔道や合気道教室などに通っていた友人の使う技と、猪木や
佐山やUWFのあれ。
見る専ではなく実践もどきでじゃれ遊んでいる僕たちにとって、アントニオ猪木の創った格闘技色の強い実践的なあれこそがプロレスでした。いじめが社会問題となった80年代に音楽をやっていたのだから、僕はいじめられっ子になってもまったくおかしくなかったと思うのですが、そんな僕がいじめられっ子にならなかった(一部ではいじめっ子とすら思われていた?)のも、プロレスのおかげ、完全に護身術でした。
実際の強さはともかく、ビビらない事、舐めさせない事、そう思っていられるために「いざとなったら目に指を突っ込んででも〇る」という覚悟を普段からしておく事。でもそれだけではならず者と変わらなくなってしまうから正義を持っている事、懐の深い人間である事。どれも人生を生きていくうえで重要な事だと今でも思っていますが、こういう事は夢中になって観ていた猪木さんや佐山さんのプロレスや本から学んだ事でした。

猪木さんのやることには夢がありました。今では舞台裏も色々と分かってきて色あせた部分もありますが、世界のプロレスのベルトを統一する、いずれエキシビジョンではない格闘技としてのプロレスを始める…こういう夢って、技術とロマンの両方がないと出来ないと思います。音楽で言えば、技術があってもベートーヴェンばかりでその先への挑戦がない人はだめだし、逆に野心があっても作曲や演奏の技術が一定以上に達していない人には挑戦する権利すらありません。猪木さんのプロレスには挑戦があって、そこにロマンを感じ、エネルギーを貰い、「頑張ろう」と感化されている自分がいました。
そんな猪木さんがくれるロマンももう終わるのだと、はじめて僕が感じたのが、はじめて長期欠場した頃の猪木さんが書いた『勇気』という本でした。そこには、実は猪木さんが重度の糖尿病を引きずりながらリングに上がっていた事が書かれていました。異種格闘技戦であんなに憧れていた猪木さんの足が細くなり、ブリッジも利かなくなった理由が、そこで分かりました。その後、ようやく実現した第1回IWGP を、猪木さんの最後を飾るために用意された花道なのだと感じ、花道なのだからとうぜん最後は…というこちらの予想の上を行こうとするのも、また猪木さん。有終の美ではなく、無残きわまる敗北を見せてきたのでした。あそこが夢の終着点。
以降の猪木さんは、さすがの技術を見せる試合も残して、オリンピック選手の長州戦やサブミッションの伝道師である藤原戦などは、それまでの「ロマンを与える」スタイルだけではなく、高専柔道やビリー・ライレー・ジム系のシュート・レスリングが混ざったような格闘術を見せに来て、それは見事なものでしたが、それでも肉体としてはいわば残滓。自分が作ったはずの硬いプロレスに自分が耐えられなくなっているのが、子どもの僕にすら分かりました。でも自分の英雄だった人を切り捨てるような割り切りが出来なくて、僕は、猪木さんが思い描いた夢を引き継ぎ、物語のその先を綴ったのは、猪木さんではなく前田さんや佐山さんなのだと思うようになり、プロレスから格闘技色が薄れていくとともに、プロレス自体を忘れました。
いまの日本って暗い状況にあると思います。政治腐敗が進み過ぎ、経済は停滞し、意見が対立した時に止揚するのではなく反対意見にレッテル張りをして問題解決の手続きにすら踏み込めず、詭弁を論理と取り違えているような人を見抜く知力すらなくなり、若い人は結婚すら贅沢と感じているように見えるほどで、夢すら持てなくなったように見えます。でもそもそも50年代から70年代前半あたりまでの日本だって、似たような雰囲気だったそうですよね。そういう中で、若い人が今のようにうつむいてしまわずに夢を持てたのは、夢を与える人がいたから、口先ではなく実際に体を張って前に進んでロマンを与えた人がいたから。それが、ある時代には長嶋茂雄、ある時代にはアントニオ猪木、ある時代には矢沢永吉だったのだと思います。こういう人たちの職業は、一義には野球選手やプロレスラーなのでしょうが、本質的には夢を与える事だったのだと思います。
あまり意識した事はありませんでしたが、僕に最初から諦めるような生き方をしない事、大志を抱くという事、情熱的に生きる事、こういう事を教えてくれたのが、アントニオ猪木という人だったのだと思います。ご冥福をお祈りします。