
若いころは、「あ、このミュージシャンのアルバムは全部聴きたい」と思う事が何百回もありましたがお金がなくて無理。ところが大人になってそれも不可能ではなくなってくると、今度は逆に全部聴きたいアーティストの方が少なくなったりして。そんな中、大人になってから「これは素晴らしい」と、次から次に特定のアーティストのCDを買った経験が何度かあります。ナイジェリアのジュジュの
サニー・アデやキューバのクラシック・ギターのレオ・ブローウェルあたりには、どれぐらい散財したでしょう。アルゼンチン・フォルクローレの
メルセデス・ソーサもそのひとりでした。ものすごく感動して他のアルバムを買うとそれも素晴らしくて、次のアルバムを買うとそれもまた素晴らしくて…という具合で、気がつけばタワーレコードのその棚1列を自分ひとりで買っちゃってる、みたいな(^^;)。。これは1973年のアルバム。
いやあ、これも素晴らしかった。なんと形容していいか分からないですけど、ジーンと胸にしみる感じ…。前後のアルバムでいうと、ギター弾き語り的なシンプルな楽器編成の曲が多くて、フォーク的。チャランゴみたいな楽器も使ってるという意味では、
70年代以降のソーサさんのアルバムでは、いちばんアンデス系のフォルクローレ的な音をしているかも。それだけシンプルな楽器編成なのに独特の詩情があって妙に物悲しくて、深くて、曲も実によく出来ていて、気がつくといつも聴き入ってしまうのです。音楽に関しては、僕はいい意味でも悪い意味でも決断が速い方で、「あ、これは○○だな」みたいな感想をすぐに持つ方なんですが、メルセデス・ソーサさんの音楽は心をものすごく揺すぶられるのに、それが何かをうまく言い当てる事が出来ません。自分で言葉にしても、なんか自分の感動とちょっと違う気がするんですよね。もしかすると、音楽そのものじゃない所に感動している部分もあるのかなあ。
こういう歌を聴いていると、英米のポップスやロック、そしてそれに影響されている日本のポップスやロックが、とても子供じみて感じてしまいます。音楽的にはこれよりうまかったり高度な事をやってるものもあると思うのに「子供っぽいな」と感じてしまうのは、詞や音楽の内容や質感がそう思わせるのかも。「うた」とは何かという部分が、ちょっと一段上のレベルの事をやってるのかなあ。。30代、40代と
大人になっていくにしたがって音楽を聴かなくなる人って多いと思いますが、大人になって歌を聴きたいと思った方は、メルセデス・ソーサは超おススメ。ただ、スペイン語なので、できれば日本語訳のついている国内盤がオススメ…って、これが少ないのがきついんですけどね(^^;)。
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