
次から次へと未発表音源が発売されるので、今はどうかわかりませんが、私がこのアルバムを買った頃は、これがジョン・コルトレーンのラスト・アルバムという事でした。
このアルバムは、ジャズ的な側面とか、フリー的な側面とか、コルトレーンの色々な側面が映し出されていると思うのですが、何とも言えない感慨を感じるのは、2曲目に入っている"TO BE"というナンバーのフルート演奏でした。私の場合、これがこのアルバムの印象の全てとなっています。
コルトレーンさんってアドリブとか即興演奏とかを、エモーショナルな表現として捉えて、ひたすらそれを追及してきたみたいなところがある人だと思うんですが、どんどん過激化していく彼の演奏の中で、この曲は少し別のところを見ているような印象を受けます。音数は決して少なくないのに、なんだか妙に霊的というか、神妙に感じるというか、異様な雰囲気に包まれているのです。テーマのメロディが異様な雰囲気を醸し出しているところなんかも、そう思わせる理由のひとつになっているのかもしれません。
自分の魂を焦がして激しい演奏をしてきて、し続けてきて、そこにあったものって何だったのでしょうね。これはまったく私の勝手な想像ですが、そこに何か意味が欲しくなったのではないかと思っています。ほら、例えば、仕事をしていて、ふと「仕事して何になるんだ」とか考えてしまう事って、ありませんか?子どもだったら「学校行って何になるんだ」とか、飛躍した話をすれば「テニスやって何になるんだ」「生きていて何になるんだ」…まあ、何でもいいんですが、そういうことです。この時に、意味を見つけることが出来れば、何の問題もないんでしょうが、意味がみつからない時って、どうなるんでしょう。アグレッシブな人の中には、意味を見つけるんじゃなくって、自分で意味を作っちゃう人なんかもいるんじゃないかと思います。このアルバムには、そういう匂いを感じるんです。迷いなく突っ走り続けてきた人が、これ以上ないという所までたどり着いた時に感じてしまったもの、みたいな感じ。
こういう感想って、コルトレーンさんの音楽を片っ端から聴きまくってたから持つ感想なんでしょうね。久しぶりに聴いたら、もっと即物的な、音楽上の感想しか出てこないから不思議です。でも、初めてこのアルバムを聴いた18歳ぐらいの頃、そういった思索的なものを確かに感じていました。コルトレーンさんのアルバムで、最初に聴くべき作品とは到底思えませんが、同時に決して聞き逃すことのできない作品でもあると思います。
スポンサーサイト