
民族音楽を含めた色んな音楽を先に聴いてしまった私にとって、モーツアルトや
ベートーベンなどのクラシックの3和音は、音として退屈すぎる代物でした。だから、
武満徹さんみたいな、独特の響きを持つようなクラシックに出会うまでは、クラシックが好きでなかったんだと思います。もちろん、子供にクラシックの複雑な構造を理解する事は到底不可能だったというのも大きな理由だったと思うのですが、それ以前に、音がつまらないから聴き始めようという気になれない。。音楽一家に育ったわけでもなかったので、切っ掛けもありませんでした。しかし、武満さんを知るはるか以前の幼少時、クラシック・オーケストラが非常に不思議な音を奏でるという音体験はしていたのでした。同時に、機能和声を用いたクラシックの良さも、少しは感じていました。その原体験が、テレビ番組「ウルトラセブン」のBGMです。作曲は冬木透という人で、この方はたしか音大で作曲を教えていたかと思います。
劇音楽というのは、音楽が音楽作品の完成を目的にしてなくて、ドラマのシーンに合わせて何かの効果を狙って作るという点が、実は逆説的に音楽の根源的なところを突く事になる事があると思うのです。例えば、音それそのもので恐怖を感じさせるとか。ウルトラセブンの音楽には、これを強く感じていたのです。ドラマ自体が、侵略者が影のように人の生活の中に入ってくる、みたいなものが多かったので、認知不安をあおるようなシーンが多かったのですが、そこで流れる音楽は、子供が不安を覚えるには十分なものでした。また、宇宙空間で流れるBGMなどは、もう完全にいわゆる音楽ではなくって、無機質で、どこにも行きつく事のないサウンドだったり。
また、クラシックの伝統的作曲技法の曲でも、感動させられたものがありました。ウルトラセブンの最終回といえば、
シューマンのピアノ協奏曲ですが、これではない管弦楽の曲が、えらく劇的な音楽で、感動してしまったのです。
クラシックや今のポピュラー音楽は、そのほとんどが機能和声という手法で書かれています。この手法の長所は、それぞれの和声が全体の中で機能するという点で、和声の移り変わるその瞬間のよじれる感じ、ここが肝なんじゃないかと思っています。感覚的には、泣く前の胸のむずがゆいような感じになるのです。でも、クラシックもポピュラーも、ここでグッと来させることが出来る曲ばかりではありません。むしろ、グッと来ない曲が大半です。オーソドックスなクラシックが好きになれるかどうかは、クラシックはつまらないと感じる前に、こうした和声のよじれる瞬間のある曲に出会えるかどうかにかかっている気がします(偏見ですね^^;)。ウルトラセブンでは、1年近く続いたドラマの最後の最後に、このよじれるような、泣きたくなるような機能和声のずれる瞬間が来るのです。それもオーケストラで。
というわけで、私のクラシック原体験は、ウルトラセブンなんじゃないかと思っています。ここには、社会化されたクラシックが見失ってしまった音楽の根源にあるものと、機能和声を使っていた頃のクラシック音楽のエッセンシャルな部分の両方が詰まっていると思います。では、作曲家の冬木さんという人が、こういうバランスに優れた人かというと…そうでもない気がします。この後のウルトラマンのシリーズでも音楽を書いているんですが、どんどん突っ張ったところがなくなるというか、オーダーに応じた仕事をするという感じで、どうすれば良いBGMが書けるかとか、そういう視点はどんどん失われていった気がします。ウルトラセブンは、この辺りのバランスが取れた作曲家のピークだったのかもしれません。
私が子供の頃に買ったのは『冬木透の世界 ウルトラセブン』みたいなタイトルのLP。これが、うまくまとめられた、すごくいいLPでした。それが親に捨てられ(;;)、大人になってから買い直したのが『ウルトラセブン 総音楽集』。これ、今は廃盤みたいです。音楽が3倍ぐらい入ってるんですが、同じもののミックス違いとか編集違いがやたら出てくるので、ちょっと聞きにくいです。で、今手に入るのは『ウルトラセブン ミュージックファイル』というものみたいです。
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