『Andrew Hill / Point of Departure』

AndrewHill_PointofDeparture.jpg モダンジャズに、ブルーノートという名門レーベルがあります。ジャズのレーベルというのは不思議なもので、大手レコード会社が作ったレコードというのは大概つまらなくて、個人経営なんかの小さなレーベルが良い作品を量産したりします。これって、商品として大量に売れるものを作ろうとするのか、それとも作品として良いものを作ろうとするのかの差なんじゃないかなあ。80年代以降は大手レコード会社みたいなつまらないレーベルになってしまったブルーノートですが、50年代から60年代にかけてはすごくいいレーベルでした。

 そんなブルーノートが、60年代初頭ぐらいに力を入れていたのは、いわゆるスタンダードとかメインストリームというよりも、もう少し踏み込んだジャズ。長調でのありきたりなスケールのアドリブとかじゃなくって、モードとかフリーとかの要素を取り入れたジャズって感じです。その時期に、ブルーノートが精力的に録音をしたのが、このアンドリュー・ヒルというピアニスト。しかしこの人、ピアニストとしては正直のところいいピアニストとは思えません。結構たどたどしいし(^^;)。しかし、書く曲が実に理知的。それはセンスがいいとか悪いとかの問題ではなくて、ジャズは今何をやるべきなのかとか、こういう所をしっかりと見据えて、真摯に取り組んだ曲を書くのです。

 ジャズの文脈にあるので、素晴らしい作曲といっても、作曲の裏にある和声とか旋律とかの構築原理と、それを用いて作った和声進行とメロディがセットになったデザインというところに留まっていて、アンサンブル・アレンジが出来ていません。そういう意味でいうと、まだ作曲は完成していない感じ(こんなこと言ったら、かなりのジャズはそうなってしまうだろうけど)。しかしそれを含めても、この独特な曲調には引き込まれます。せっかくの3管なのだから、ここから曲のアレンジを丁寧に書きあげていったら、時代を代表するような作品になったんじゃなかろうか。

 この作品、他にも欠陥がチラホラあります。まず、主役のヒル自身のオープンパートでのアドリブがダメ。ヨチヨチです。あと、3管のうちのひとりであるジョー・ヘンダーソンのソロもひどい。恐らくモード調だからだと思うのですが、ただフレーズを垂れ流すだけで、ソロを構築できていません。自分の得意フレーズを組み合わせてソロを構築するタイプの人は、モード系の音楽になるときつい。。こういう傷がチョコマカあるので、「一点の曇りもない名盤だ!」という気にはなれないのですが、しかしここには、ジャズが進んでも良かったもうひとつの道が見える気がするのです。それは本当に素晴らしい道で、この作品の先をジャズマンたちが作れたら、ジャズは素晴らしいところまで行けたんじゃないかと思えて仕方がないのです。しかし、ジャズはこういった純粋に音楽的な方面に進むのではなく、お客さんと一緒に盛りあがったり、食事のつまみに聴くようなエンターテイメントの道を王道にしてしまった。…極みを目指すのではなく、知らない人に分かってもらおうと精神は、大量消費社会にはマッチしているかもしれませんが、芸術家が選ぶべき道ではないと思うのです。ジャズは、実に残念な道を歩んでしまった。

 いわゆるメインストリームじゃないと言っても、メインストリーム・ジャズの視線で音楽を捉えていて、それを正当に突き詰めた感じ。これがモダンジャズの本流にならなかった事が不思議なぐらい。難解でもフリーでもないので、独特のムードを漂わせながらも聴きやすい音楽です。ぼくはこのアルバムが大好きです。



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『Eric Dolphy / IRON MAN』

EricDolphy_IronMan.jpg 録音の残っているドルフィーの音楽は、大きく2つに分けることが出来ると思います。ひとつがジャズ・スタンダードを演奏したもので、大概の場合で見事なプレイを聴くことが出来ます。しかし、ジャズ、スタンダードを演奏しようとすると、ジャズの典型的な和声進行とドルフィーの独特な歌い回しがぶつかってしまい、ドルフィーのフレージングの方が封印される結果になる事が多いです。もうひとつが、ドルフィーの書いた作品を演奏したもの。なんといっても夭折してしまったミュージシャンなもので、この試みは始められた最初の段階で止まってしまった。しかし残された作品は、もうドルフィーのフレージングをそのままテーマにしたような独特の色彩を放っていて…なんというか、ある種グロテスクにも聞こえる強さと、儚いほどの美しさというふたつの価値観を併せ持ったセンスの持ち主だったんだろうな、と思います。

 後者であるドルフィー作曲作を集めたセッションの録音としては、ブルーノートというモダンジャズの名門レーベルから出たドルフィーの作品に『OUT TO LUNCH』というものが有名。2管のクインテットで、ピアノの代わりにヴィブラフォンが入って、評論家も、また日本のジャズミュージシャンも、こぞって名盤なんて言うのですが…バンドの演奏が固すぎです。楽譜を見ながら演奏するので手いっぱいという感じ。クールなんていう人もいますが、そんなんじゃなくって、単にバンドが音楽をものに出来ていないだけだと思います。いや、コンポジションは素晴らしいと思うんですが…そんなに持ち上げるほどのものとは思えない。

 では、アンサンブルもので、ドルフィーのコンポジションを活かしたまま演奏しきった録音がないかというと…あるのです!それがこの『IRON MAN』。セッションは大きくふたつに分かれ、ひとつは最大で9重奏にまで膨れ上がるアンサンブル。もうひとつは、ベースのリチャード・デイヴィスとのデュオ。まず、アンサンブルの音楽的な傾向は「OUT TO LUNCH」とまったく同じで、ドルフィーのフレージングがそのままテーマになったような、まるでモンクが書いたような独創性あふれる曲。違いは、そのバンドのグルーブ。「OUT TO LUNCH」であれだけ固かったバンドが、ここでは生きたような素晴らしい演奏を見せます!おお、これは格好いい!!曲のテンポも若干あげ目で、本来はこのぐらいのテンポで演奏されるべき音楽なんだろうな、と思わされました。そして、ドルフィーのソロ。…う~ん、ドルフィーのソロのために作られたような曲なんじゃないかというぐらい、ものすごく生き生きとしています。スタンダードを演奏するときに感じる、ドルフィー独特のフレージングに対する制約みたいなものも、まったく感じません。アンサンブルもので、ドルフィーの狙っていた音楽のひとつが、初めて実を結んだ瞬間だったのではないでしょうか。ピアノレスにして、管楽器アンサンブルに絞り込んだ意図も理解できる気がします。
 そして、大編成アンサンブルと対比するように配置された、ベースとのデュオ。これが、音楽の中でもインタープレイによるデュオでしか聴く事の出来ないような、対話的な音楽。向かっている方向も、アンサンブルものに対比させることを意識したかのように、実に美しいところに向かっています。これは素晴らしい。

 さて、このレコードには『CONVERSATIONS』という姉妹盤があります。アルバムの構成もほとんど同じで、同一セッションなんじゃないかと思います。しかし、アンサンブルものが「JITTERBUG WALTZ」とかで、ドルフィーの曲じゃないんですよ。そんなわけで、あのドルフィーの持っている毒のような部分が出て来ない感じ。しかし、そこに入っている、ドルフィーのアルトソロで聴かせるビクター・ヤングの名曲「LOVE ME」と、やはりリチャード・デイヴィスとのデュオ「ALONE TOGETHER」、この2つが素晴らしい。。そんなわけで、もし『IRON MAN』に入っているデュオが気に入ったら、『CONVERSATION』のB面も、きっと気に入るのではないかと思います。






『Eric Dolphy / OTHER ASPECTS』

EricDolphy_OtherAspects.jpg エリック・ドルフィーの死後、残されていた録音を集めた作品みたいです。しかしこれ…若くして死んだ天才サックス奏者が、まるで自分の死を悟って、自分に向けて奏でた鎮魂歌でもあるかの様な、ゾッとするような感覚を覚えるアルバムです。若い頃に初めて聞いた時には、何とも言えない感動を覚え、悲しいとか嬉しいとか、そういうのではない涙が出てきてしまった。

 ライブ録音でない所がミソ。それだけに、ジャズが否応なく持ち合わせる事になってしまう、お客さん相手のエンターテイメント的な側面から完全に逃れています。さらに、他のドルフィーのアルバムと音楽的な傾向がかなり違っていて、ジャズはすでに過去に離れたという感じ。オーソドックスから離れ、まだ誰も歩んでいない地に踏み込んで。こういうところに、ドルフィーという不世出のサックス奏者が、楽器奏者としてではなく、音楽家としてどのような事を考えていたのか、純粋な音楽的な思想みたいなものを感じさせられました。

 若い頃に聴いた時の印象は、なんと内省的な音楽か、と思いました。恐らくそれは、アルバムのA面とB面の両方に入っているフルート独奏によるところが大きいのではないかと思います。特に先に入っている「Inner Flight #1」、これがゾッとするような素晴らしさ。まったく熱くなることなく、かといって寡黙というのでもなく、テーマと同じキーで全音階と7音音階を行き来するのですが…なんというか、そういう理屈ではなくって、これが生み出す不思議な音の感覚が、凍りつくような美しさ。もし臨死体験をした時に音楽が聞こえるとしたら、こういう音なんじゃないだろうか。
 もうひとつ、冒頭の「Jim Crow」という曲も、既にジャズより先に踏み込んだという感じの音楽です。これぞ音楽。タイトルからすると、これ、ジム・クロウ法と関係あるんでしょうね。しかし、詞が聞き取れないので、そこには触れない事にして(^^;)…ドルフィーはアルトサックス、フルート、バスクラリネットを持ち替えながら演奏。他にテノール、ベース、ピアノが入っていますが、同時に演奏する事はありません。現代音楽のような乾いた響きの作曲部分がこの曲の強い印象で、途中のブリッジで一気にジャズコンボ的なビート音楽になり、最後にまた現代音楽、みたいな感じ。プッスールのシアトリカルな作品を聴いているような感じ。ドルフィーという人の音楽的な意識は、ジャズがどうこうとかいうところには既になかったんでしょうね。
 こうして書くと、異色作かと思われがちですが、ウッドベースとアルトサックスにより、モダンジャズのアドリブソロの極めつけのようなデュオも入っています。で、このサックスがもの凄い速さ。。マシンガンですね、こりゃ。

 ドルフィーの表に出されていなかった色々な側面が入ったアルバム、これはジャズとかそういうラベリングがむなしくなってしまう、ひとりのアーティストの魂を聴かされるような素晴らしいアルバムだと思います。芸術家に望まれているものの全てに正面から向き合いながら先へと進んでいった、本当に素晴らしいアーティストであったと思います。



『Eric Dolphy / Last Date』

EricDolphy_LastDate.jpg モダン・ジャズというのは、ソロ奏者の即興がひとつの売りとなっている音楽だと思います。楽曲も、曲の最初と最後にテーマと呼ばれるパートが演奏されるだけで、真ん中部分はソロ奏者のアドリブ演奏が延々と続く感じ。昔の日本のジャズ喫茶なんかでは、このソロを聴いて演奏者を当てるというゲームまで流行ったとか。
 ところが、メインストリームのジャズって、曲は基本的に機能和声の長調か短調で書かれるので、ソロアドリブもその和声内で演奏される事になり、それほどソロに差を出せる筈もありません。それこそ、「ある人特有のフレージングが」とか「すごく速い演奏」とか、ほとんどのソロというものが、この範囲からはみ出る事がありません。そこに独創的なアプローチを持ち込むというのは、ソロがいいとか悪いとかそんな生易しいものではなく、楽理から掘り返さないと難しい。そんな中、若い頃にジャズのアドリブ・ソロを聴いて「うわ、これは凄い…」と思わされた演奏家がいました。それが、エリック・ドルフィーです。

 この人、ものすごく巧いのは間違いないんですが、この人の音楽を聴いて「すげえ」って思う人のほとんどは、うまいからすごいと思っているのではないと思うのです。とにかく、独創的なソロをとります。フレーズも非常に跳躍的なラインを作ってみたり、基調で悪魔の音程を挟み込んだり、とにかく個性の塊。かといって奇をてらうというのでもなく、実に見事にソロを構成していきます。
 また、最初に聴いた時に驚かされたのが、バス・クラリネットの演奏。バス・クラリネットなんて、きちんと聞いたことが無かったのですが、ものすごい野太い音で、びっくりしました。もう、この音だけでやられてしまった。。

 今となっては、ただただ様式を模倣するばかりで、たまにそこからはみ出てくる人も、いかにも浮ついたエンターテイメントっぽいのばかりになってしまった感のあるジャズ。しかし、ジャズが芸術と呼ぶに値する領域に足を踏み入れた時期も、確かにあったんじゃないかと思います。50年代から60年代にかけてのジャズを愛する人が多いのは、まさにこうしたジャズを愛する人が多いという事なんじゃないかと思います。それは、たまたま時代がそうだったというのではなくて、そういうことをやる人たちがいたから、時代がそうなったんじゃないかと思うのです。ドルフィーは、そのど真ん中にいたプレイヤーじゃないかと思っています。あまりに優秀なプレイヤーであったが故、チャールズ・ミンガスとか、ジョン・コルトレーンとか、数多のジャズ・ジャイアンツから引っ張りだこ。それが故に自身のリーダーグループを結成するのが遅れ、しかも結成から僅かの年月で若くして客死。プレイヤーとしてだけでなく、音楽家としても色々な可能性を感じさせる録音を残しているドルフィーですが、それがはっきりとした形になる前の死が悔やまれます。このCDは、プレイヤーとしてのオリジナリティーを存分に感じさせた名盤と思います。サックス吹きで誰が1番好きかといわれて、真っ先に浮かぶのが、僕の場合はエリック・ドルフィーです。




『KING CRIMSON / THE GREAT DECIEVER -live 1973-1974』

KingCrimson_GreatDeciever.jpg 前の記事で絶賛しまくっていたキング・クリムゾン黄金メンバー時の、4枚組ライブ・アルバムです。

 キング・クリムゾンの伝説のファーストアルバムを聴いて、ベーシストの女の先輩が「これ、ライブで出来るの?」なんて事をいっていたことがあります。こういう意見って、スタジオでオーバー・ダビングがいくらでも可能になったビートルズ以降のポピュラー音楽では、当然出てくる疑問かと思います。まして、プログレッシブ・ロックと呼ばれているジャンルでは、けっこう手の込んだこともしていたりするので、あながち外れでもない。私自身、プログレの場合、スタジオ録音の音楽とライブで演奏される音楽は別物と考えていました。しかしこのライブアルバム…聴いてびっくり、『暗黒の世界』に入っていたスタジオワークの賜物と思っていた曲が、そのままフルで入っていたりしました。あれ、ライブ演奏だったのか(゚ロ゚ノ)ノ …恐るべし、キング・クリムゾン。

 ライブで必ず演奏する事にしていたという、インプロヴィゼーションがかなり聴けるというのが、このアルバムの特徴じゃないかと思います。う~ん、これはカッコいい。。もうひとつライブ繋がりでいうと、いつもはリーダーとして楽曲の構造だったり、音楽がまとまるように常に尽力するギタリストでバンドマスターのロバート・フリップが、唯一自分のソロを全力で発揮する「21世紀の精神異常者」。このライブでのこの曲の演奏、バンド自体が黄金期のマイルス・デイヴィスQに匹敵するほどのすさまじさなんですが、その中でもギターソロ、超絶です。。このギター・ソロの為だけにこのCDを買っても損はないというぐらいの物凄さ。こんなにギターのうまい人だったのか。このギター・ソロを聴いて以降、キング・クリムゾンのライブ盤は、ブートを含めて片っ端から聞いたんですが、「21世紀の精神異常者」だけは思いっきりギターソロをインプロヴィゼーションで演奏する事にしていたみたいで、どれも全く違ったアプローチ、書きソロなんかじゃないんですね。インプロヴィゼーションを売りにしているモダンジャズですら、リックの組み合わせでソロを構築している人が殆どだというのに、これは脅威です。

 4枚組で凄いボックスに入っていて、ブックレットもロバート・フリップ本人の描き下ろしという事で、こういう高額なものを人に薦めるのはちょっとなあ、と思っていたんですが…おお、今だと中古で2500円ぐらいで買えちゃうのか!もし、前の記事で紹介したアルバムを気に入っていただけたなら、これは確実に買いです!!




『KING CRIMSON / RED』

KingCrimson_red.jpg 70年代キング・クリムゾンのラスト・アルバムです。音楽の傾向は『太陽と戦慄』『暗黒の世界』と同じですが、その中ではこれが一番ロック色が強いというか、分かり易いアルバムだと思います。前の2作に比べて、非常に音楽面でのバランスが良い。アヴァンギャルドとメインストリームのバランスとか、インプロヴィゼーションとコンポジションのバランスとか。何をやればバンドの音楽が最大に輝くか、2年以上同じメンバーで、ものすごい数のライブパフォーマンスを続けてきた先で、こういうものが見えて来たのではないかと思います。若い頃は、キング・クリムゾンの中でこのアルバムが一番好きでした。

 A面をつまらないというロック・ファンはまずいないのではないかと思います。1曲目「RED」なんて、イントロを聴いただけでゾクゾク来ます。それぐらい、A面は良くまとまっています。しかし、クリムゾン的な凄さが凝縮されているのはB面。「PROVIDENCE」は恐らくフリー・インプロヴィゼーションでしょう。ヴァイオリンの奏でる怪しいメロディと、ギターが作り出す色彩感覚が見事。ここにベースとドラムが次第にリズムを作っていき、一瞬にして場面が変わって音楽をトップに持っていきます。また、この押してく感じがロック的というか、他の音楽では味わえないようなダイナミックな感じで、燃えます!!
 続く「STARLESS」は、メロトロンというストリング・オーケストラの代替のようなテープ楽器が、実にきれいな雰囲気を作り出すバラード…かと思いきや、これも実に見事な構造が用意されています。まったく対立した主題が用意され、それが変奏されながらクライマックスに近づき、頂点になった瞬間に元テーマが倍速で奏でられる。…楽曲構造に関する、西洋の音楽アカデミズムが作り上げてきた知恵が見事に結晶した名曲だと思います。前曲がインプロヴィゼーションでこの曲がコンポジションという違いこそありながら、劇的構造という意味では全く共通していて、よくぞこれだけの音楽に辿り着いたと思うばかりです。何十回このB面を聴いた事か。

 クリムゾンを聴いていた頃、僕はどちらかというとジャズを聴いている事の方が多かったです。でも、ジャズのインプロヴィゼーションって、和声進行のうちで何度もぐるぐる回るアドリブというのが殆どなんですよね。まあ、それでも少しは劇性を持ち込むことは可能なんですが、自ずと限界は知れたもので、ロマン派クラシックのような頂点に向かって行く強い劇性には遠く及ばない。しかしクリムゾンの場合、コンポジションであれインプロヴィゼーションであれ、劇的構造を作りに行った場合のそれは、ジャズを遥かに凌駕しています。しかし、これだけの作品を作り続け、驚くほどの数のライブを続け、疲れ切ってしまったのでしょうか、このアルバムを最後にバンドは解散してしまいます。70年代のキング・クリムゾンというのは、ロックの立場から作り上げられた、最上の芸術音楽だったのではないかと思います。そこには、知性も凶暴性も、美しさも危険さも、こうしたふたつの対立した価値を併せ持つ、実に70年代的な音楽だったのではないでしょうか。。



『KING CRIMSON / 暗黒の世界 Starless and Bible Black』

KingCrimson_StarlessBible.jpg 音楽のアルバムって、1曲目が重要というか、1曲目がダメだとそこでゲンナリしちゃう事があります。で、2~3曲目もつまらなかったりすると、以降はもう聴かなくなっちゃたり。このアルバム、とにかく1曲目がダメ。だから、最初に聴いた頃は、あまり印象が良くありませんでした。しかし…それ以降は、キング・クリムゾン最高のパフォーマンスのひとつなんじゃないかと思っています。

 ひとつ前の記事『太陽と戦慄 Larks' Tongues in Aspic』では、その現代の作曲技法とクリムゾンの関係の事を書きました。しかし、この時期のクリムゾンの凄いところは、作曲面だけでなく、即興演奏能力もものすごい!何かで読んだ記憶があるのですが、この時期、キング・クリムゾンのライブでは、インプロヴィゼーションを絶対に何曲か演奏する事にしていたそうで。そしてこの『Starless and Bible Black』は、この時期のクリムゾンのアルバムの中では、もっともインプロヴィゼーション色が強いものです。インプロヴィゼーションといっても、ある曲中でアドリブでソロを演奏するというタイプのものではなく、曲自体をインプロヴァイズしてしまうというもの。フリー・インプロヴィゼーションに近いものですね。しかし、大友良○とかの最近の日本人なんかがやっているような、単なるヘタクソがメチャクチャやっているやつじゃありません。即興とかいって、デタラメな結果でいいんであれば、猫の歩いたピアノだってインプロヴィゼーションだとか言えちゃうと思うんですよ。しかし、クリムゾンはそうはならなくて、フォルムまで相当な精度で塑像されていく見事なもの。そうなるにはちゃんと理由があって、コンセプトがしっかりしているから。例えば、3曲目「We'll Let You Know」では、徹底してホールトーンと呼ばれるスケールでインプロヴィゼーションが押し通されます。しかも、その使われ方が、機能和声のドミナントで使われるとかじゃなくって(ホールトーンというスケールは、ジャズとかの西洋ポピュラー音楽では、普通の長調や短調の曲だと、ドミナントで使われる時がある)、ホールトーン自体が主調。コンセプト自体が明確なだけに、フォルムもしっかりしてくるんじゃないかと思うんですよね。同様の構造は、7曲目「Starless and Bible Black」なんかにも聴くことが出来ます。

 そして、アルバムの白眉は、終曲「Fracture」。キング・クリムゾンが蓄積してきた、作曲技法に対する考えとか、インプロヴィゼーションとか、あの独特な音楽ニュアンスとか、明らかにクラシック音楽の影響がみられる楽曲構造とか、これら全ての音楽的な成果が、この1曲に結晶しています。私、ギターは弾けないんですが、このギターって、ものすごい難しいんでは?テーマ的な部分は、2つの主題の対比で構築されているんですが、これが展開されていくにしたがってものすごい技術を要求されるようなプレイになっていきます。また、曲のダイナミクスもオーケストラ並みで、ピアニッシモからフォルテッシモまでを使いこなした楽曲をロックで聴いたのは、この曲が初めてでした。この曲、何十回聴いたか分からないぐらいに、聴き込みました。。

 本気で音楽に取り組んできたからこそ辿りつけた場所なんじゃないかと思います。いまだにベートベンとかやっている事に疑問を持たないクラシックとか、いまだにマイルスとかやっている事に疑問を持たないジャズとかに比べて、なんという高いミュージシャンシップを持っている事か。本当に素晴らしいアルバムだと思います。…1曲目さえダサくなかったら、語り継がれるアルバムになっていたんじゃないかと(^^;)。



『KING CRIMSON / 太陽と戦慄 Larks' Tongues in Aspic』

KingCrimson_LarksTongue.jpg 空前絶後、これ以上のロック・バンドは、後にも先にも登場する事はないんじゃないか。それほどの衝撃を覚えたのが、1972年から1974年の間のキングクリムゾンというロックバンドです。この期間に発表されたスタジオ録音のアルバムは3枚。ロックを好きであろうがなかろうが、音楽を好きだというのであれば、この3枚を聞き逃してしまってはあまりに勿体ない!そのぐらいに素晴らしい音楽です。

 キング・クリムゾンというと、「21世紀の精神異常者」というナンバーの入ったデビュー作『クリムゾンキングの宮殿』があまりに有名です。これもものすごい作品なのですが、この『太陽と戦慄』から続く驚異の3作品のクオリティは、それを遥かに凌駕するほどの域に達しています。脅威というか、ちょっと異次元です。『クリムゾンキングの宮殿』が、プロのスタジオ・ミュージシャンが丁寧に作り上げたスタジオ作業の作曲作品という感じであるのに対し、『太陽と戦慄』以降の3作品は、それと同等もしくはそれ以上の見事な作曲に、圧倒的な演奏が加わります。

 更に、キング・クリムゾンの良さのベースには、「何をやるのか」という、コンセプトにもあると思います。なんというか、現代の音楽状況が見えている感じなんですよね。ロックにしてもポップスにしても、あるいはジャズやクラシックですら、今の西洋音楽が作曲の基礎にしているのは、3和音をベースとした長調と短調の2調での作曲技法が圧倒的です。これが恐ろしいほどの金太郎アメ状態で、新作が出ても、また同じような音楽。

 しかし、20世紀の西洋の作曲界とメインテーマは、そういう道筋を歩んでいないんですよね。長調と短調でどういう曲を作るか、というのではなくって、作曲というものの原理を根本から見直して、それ以外の作曲技法を発見したり、発掘したり、生みだしたりしました。これらの技法が長調と短調の2調に劣るという事は全然なくって、素晴らしい曲も書かれました。ところが…こういう本流を使いこなせる作曲家がいない。72年以降のキング・クリムゾンは、この西洋作曲界の現在の本質の上に立った、数少ない(もしかすると、ロックバンドでは唯一かも?)バンドだと思います。

 こういう視点に立つことが出来ている時点で、バンドは様々な技法を選択する事が可能となっています。もう、ここで既に他の音楽よりも優位に立っているわけです。もちろん、長調や短調も選択可能。しかし、クリムゾンが選んだ選択は…ヤバい方向のサウンド、時間軸的にはストレートだが関係構造は複雑であるという構造の音楽なのでした(^^)。これが格好いい!!そして、難しくなってしまってもおかしくないこういった選択をしておきながら、驚異の演奏で一気に押し切ってしまいます!!

 白眉は、アルバム冒頭とラストを挟み込む「 Larks' Tongues in Aspic」。直訳すれば「ひばりの舌入りゼリー」でしょうか。いずれもインストゥルメンタルなんですが、背景にあるものの深さが、同時代のポップスやロックと比べて桁違いです。ミニマル、モード、フリー・インプロヴィゼーションの技法…。書きたいことはいっぱいあるんですが、この音楽、体験してみないと分からないと思います。最後にひとこと…すげえ!!



『YELLOW MAGIC ORCHESTRA / ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』

YMO_SlidState.jpg YMOが大流行した頃、僕は小学生。まだウルトラマンとかドラえもんに夢中になっていておかしくない年齢でした。そんな中で、一部の男友達の中で、YMOが大流行。レコードからカセットにダビングして、出回りまくりでした。多分、お兄ちゃんがいる子供たちの中で広まったんじゃないかと思うのです。
 5歳以上齢の離れた兄がいる子って、マセるじゃないですか。あれって、兄の世代の文化から影響を受けてると思うんですよ。他の子供たちがドラえもんの映画を見に行っているときに、年の離れたお兄ちゃんのいる子供は、マッドマックスとか、猿の惑星とか、燃えよドラゴンの話をしている。他の子がドリフのコントを見て笑っているときに、お兄ちゃんのいる子は深夜のラジオ番組のツービートの毒舌漫才の話をしている。…そんな年齢で、深夜放送のラジオなんて聴けるわけないんですから、これは絶対にお兄ちゃん世代の文化の影響だと思うんですよね。YMOは、そういったものの象徴的な音楽として聴いていた気がします。お兄ちゃん世代の文化への憧れみたいなものも少し入っているというか。

 それでも、いいと思うから流行するんだと思います。YMOは、小学生が聴いても、分かり易く、ポップで、格好良かった。今ではちょっとニュアンスが違うかもしれませんが、当時はシンセサイザーという楽器が、ポピュラー音楽に入り込んできた最初の頃だと思います。シンセサイザーが、新しくって、格好いい楽器に映っていたんですよね。そのシンセ・サウンドだけで、ポップな音楽をインストで演奏するバンド…これはもういずれ登場する事になる音楽というか、時代の必然みたいな感じだったんじゃないでしょうか。もうコンセプト自体で勝ちが決定したようなものです。

でも最初は、YMOというより、スネークマン・ショーが流行っていたのですけどね(*゚∀゚)。



『来生たかお / バラードセレクション』

KisugiTakao_BalladSelection.jpg 80年代、僕は小学生。ザ・ベストテンとかトップテンとかヒットスタジオとか、テレビで歌番組を毎日やっている状態でした。演歌とかニューミュージックとか、色々聴くことが出来たのですが、その中心はアイドル歌謡だったような気がします。松田聖子さんとか田原俊彦さんあたりが、その代表的存在でした。アイドル歌謡というのは、小学生でもみんな「音痴だ」と馬鹿にしていた記憶があります。実際に、子供だましなものが少なくありませんでしたしね。でも、そんな中で「これは凄いなあ」と思った曲が、中森明菜さんの唄った「セカンド・ラブ」という曲。オーボエに主旋律を取らせてのウィズ・ストリングス。そして、いつかの記事で機能和声について書いた、グッとくるところのある、きちんとした作曲です。この曲の場合は、SUS4というコードからの解決がそれなんですが、これがジワッとくるんですよ。素人ばかりの日本のアイドル音楽文化の中で、どう考えてもこれはプロの仕事でした。

 この作曲/編曲を行っていたのが、来生たかおさん。来生さんの作曲は、曲中にグッとくるような和声進行部分を作り、転調も実にきれいに作ります。アレンジにはストリングスを用いる事が多く、このストリングスのアレンジが実に見事。来生さんの前の時代にも、ポピュラー音楽の弦アレンジの専門家みたいな人はいるのですが(宮○さんとか)、技術レベルが違います。来生さんというのは、こういうプロフェッショナルな技術を持って、日本の歌謡曲を陰から支えた人なんじゃないかと思います。いわば、アイドル歌謡の、影の主人公です。表には決して出て来ないが、実は本当の本物みたいな人に出会うと、うれしくなっちゃいませんか(`-^*)。なんだか、本質に迫れたような気がして。

 で、このアルバムは、来生さんの書いたバラード集です。曲ごとのアレンジも凄く丁寧。スピード重視で未完成状態としか思えないような状態でボンボンと新曲が発表されていく歌謡曲の中に混じると、アレンジの丁寧さがよけいに目立ちます。技術力が高く、しかも丁寧に作るものだから、それはいいものになるに決まってますね。「セカンド・ラヴ」「マイ・ラグジュアリー・ナイト」「シルエット・ロマンス」「無口な夜」…名曲ぞろいで、詞の内容も音楽の作りも、子供だましではない、大人の歌謡曲です。



『田園の交響詩 ~チルボンのガムラン』

Cirebon no Gamelon 同じガムランでも、こちらはバリ島ではなくジャワ島のガムランです。ジャワ島のガムランの方が宮廷色が強いというか、すごく優雅で、ゆったりとしていて、BGM的というか、癒し系というか、聴いていて心地がいいです。あのバリ島の大迫力で圧倒するようなガムランとは対照的です。しかしさすがはガムラン。リズムはどんどん速くなっていき…と思うとあっという間にゆったりとして、変幻自在です。

 私は、太平洋の島というと、バリ島やジャワ島といったインドネシアの島のほかに、ハワイ島にいった事があります。で、不思議な感覚なんですが、このジャワの宮廷ガムランを聴いていると、インドネシアよりも、ハワイにいるような気分になります。ハワイの、クーラーの効きまくったリゾートホテルで、朝食のバイキングでパイナップルとかヨーグルトなんが食べ放題で、外に棕櫚の木がずっと見えているようなところで、涼みながら時間を過ごしている気分。…きっと、暑いところで涼んでいる心地よさ、みたいなものを感じてしまうんでしょうね。音階を持つゴングがアンサンブルの中心にあるんですが、ゴングとはいっても、まるで水の入ったグラスを叩いているような、ものすごく澄んだサウンドです。

 で、所々に女性の歌が入るんですが、この歌唱がインド音楽の歌い回しにそっくりです。でも、歌詞の内容は「アラーよ~」みたいな感じで、イスラム色が強いです。これも、暑苦しくなくって、すごく心地よい。色んな文化が折り重なって、色んな色彩が混じっているのでしょうね。
 私は、暑い夏に涼みたいときに、たまにこのCDをかけます。他の季節にはまったく合わない音楽です(^^)。これは実に心地よい音楽。リゾートに行ってる気分になれます!!



『バリ 彩りのガムラン&ケチャ』

bari_Irodorino gamran kecak バリの音楽といって、ケチャに並んで有名なのがガムランです。ケチャが土着音楽に近いものであるのに対し、ガムランは宮廷音楽に近い音楽です。バリ島のあるインドネシアは、無数の島からなる国で、多くの島にガムランがあり、それぞれに特色があります。ジャワ島のガムランが優雅な、まるで癒しのイージーリスニングのような響きを持っているのに対し、バリのガムランはかなり激しい、ものすごい迫力の巨大アンサンブルです。

 このCDには、1960年代という古い年代の現地録音が大半を占めていて、まだ相当に泥臭かった頃のバリ島のガムランを聴くことが出来ます。これがもの凄い迫力で、バリ島という事からか、ケチャに通じるようなものすごい入れ子細工のアンサンブルが、ものすごい統率力で変幻自在に絡まっていきます。ガムランのオーケストラの主要楽器に、音階を持つ金属製のゴングのようなものがあるんですが、この音階が、今のポップスやジャズやクラシックに慣れた耳からすると、非常に変わった音程感覚で、もしかして西洋の音階にはない音程で作られている気がします。これが大変にエキゾチックな感じで、格好いいです。あの有名な、ギラギラの装飾具をつけて踊るバロン・ダンスのバック・ミュージックのパートも収録されています。バロン・ダンスは生で見たことがあるんですが、私が見たものはかなり優雅な感じのものでした。なるほど、宮廷文化なんだな。

 あと、このCDにはケチャも収録されています。これもまたド迫力なんですが、残念ながら4分ほどの抜粋。これ、フルで聴いてみたかったなあ。



『究極の声絵巻 ~バリ島ボナのケチャ』

Kyuukyoku_Bari_kecak.jpg 僕は日本の都市部に生まれて、人生のほとんどを日本の都市部で育ったものだから、日本の都市部的な常識が身に染みてしまっています。今もそうなんでしょうが、若い頃というのは、自分の持っている常識というものが、いちばん正しい常識だと勘違いしまっていた節がありました。これは音楽に限った話ではないんですが、音楽でいうと、あまりに自分が持っている価値観と違うものに出くわすと「それは変」と判断してしまう、とか。
 こういった評価の仕方って、実は、音楽そのものの出来の問題ではない可能性がありますよね。評価する価値基準の違い、物差しの違いによるものかも知れません。測る物差しを変えれば、価値は逆転するかも知れません。だいたい、音楽というもの自体が、サッカーみたいにひとつのルールの上にあるものじゃなくって、ルールすら1から作ってもいいようなものですよね。大人になっても、別の物差しがあるという事が分からないとか、あるいは分かろうとしないというのは、人間的な弱点だと思うのです。で、音楽の上で、自分は無意識のうちに、すごく偏った音楽的価値観しか持っていないんじゃないか、もっと違った、そしてそれを知ることが出来れば今までとは全く違った音楽の悦楽があるんじゃないか、と思うようになりました。もし「これはジャズじゃないからダメ」という考えの人がいたとしたら…すごくかわいそうですよね。そういう人って、自分で音楽の素晴らしさを知る道をふさいでいる気がします。自分を開きさえすれば、もっと素晴らしい事が待っているのに。。しかし、私もそんな一人であったと思うのです。そんな事を思わされた音楽が、民族音楽と呼ばれる音楽でした。民族音楽を聴く悦楽というのは、自分の知らないものを知ることが出来る点にあると思います。ここが楽しくなってくると、うまいとかヘタとか、あるいは好きとか嫌いとか、そんなものはどうでもよくなってきます。ほら、海外の田舎を旅しているときに、ボロボロの家があったとしても、その家が良く出来ているかいないかとか、あるいは好きとか嫌いとかじゃないじゃないですか。「おお!こういう所で暮らして、どんな人生を送っているのかなあ」とか、感慨しかないわけです。背景にあるものに魅せられるんでじゃないかと。僕にとって、民族音楽体験の中で特に決定的であったのが、バリ島のケチャという舞踊音楽です。

 ケチャを音楽といってよいか、ちょっと微妙です。もともとは非常に呪術的要素の強い、集団でトランス状態に陥るような、強烈な祭儀の際に用いられていた舞踊であったそうです。音楽は伴奏に近い位置というか、囃しの一種みたいだったんじゃないかと想像してます。バリ島を訪れた西洋の画家がこの音楽を聴いて驚き、やや西洋音楽風に形を整えて、いわゆる音楽という形式にまとめたものが、今残っているケチャだそうで。音楽は、多人数が何チームかに分かれ、それぞれのパートを同時にコーラスします。これが入れ子細工様になっていて、ものすごいポリリズム。更に、リーダーのような人が掛け声をかけると、シーンが一気に展開して大迫力の合唱。合唱というか、叫びに近い感じですが、しかしこれが一糸乱れぬものすごい一体感。これがまだ合図で収まり、また拍のずれたコーラスが…これが何度も繰り返され、繰り返されるたびにどんどん白熱していき、ほとんどトランス状態に入っていき、その頂点ではとんでもない状態に達します。

 こんな音楽、ケチャに出会うまでは聴いたことがありませんでした。歌唱される内容も、インドから流れてきた文化の影響を受け、インドのラーマヤナの物語が進んでいきます。こういうわけで、詞ひとつとっても、作詞家が作って売っているような歌謡曲と比較するのが失礼なほど、深さというものが違いすぎます。

 なんという強烈な音楽!私は、無人島に1枚だけCDを持って行っても良いと言われたら、このCDを持っていく気がします。アマゾンで調べたところ…おお、今なら中古が300円ぐらいで買えるみたいです!まったく、金銭的な価値っていうのは、当てになりませんね。これは、人類の作り出した最高の音楽のひとつだと、私は思っています。



『ハイティンク指揮・アムステルダムorch. / ショスタコーヴィチ:交響曲13番"バビ・ヤール"』

shostakovich_BabiYar.jpg 音大生だった頃、クラシックを学ぶ学校に行っていたくせに、聴くのはフリージャズとか現代音楽とか、そういうものばかりでした。普通のクラシックって、響き的につまらなくって(。_。*)))。そんな僕が、王道にあるようなクラシックの中でよくきいていたのが、ショスタコーヴィチのこの曲でした。

 この音楽、重く、暗く、そして深いです。交響曲ではありますがバスのソロと合唱が入っています。出だしは「バビ・ヤールに記念碑はない」。その後も「今、私は自分がユダヤ人であるように感じる」と、そんな詞が続きます。更に、ショスタコーヴィチ自身がスターリン時代のソ連の作曲家であって、支配体制から活動を制限されていたり(独裁者にうまいこと取り入って作曲家活動を続けられるように賢く生きた人、みたいなヒドい言い方をする人もいる)、そんな具合で、政治的な側面なんかから語られる事も少ない作曲家です。確かにそういう側面もあるかとは思いますが…この見事な曲と見事なオーケストレーションを前にして、「体制にうまく取り入っただけの人」みたいな言葉を言う気には到底なれません。私は、冒頭のアダージョの部分を聴いただけで、もう全身の震えが止まらなくなるぐらいに、感情を揺さぶられました。これだけ見事にオーケストレーションを操る事の出来る作曲家って、ひとつの時代にそう何人もいないと思います。構造は、物語の進行に合わせて色々なシーンがフラッシュするかのように出てきて…バラバラであったようなこれらが、音楽が進むにつれて見事にひとつにまとまっていく感じ。

 そんなわけで、私はナチに占領され、多くのユダヤ人やウクライナ人が虐殺されたキエフの一都市バビ・ヤールを題材としたこの音楽を、そうした社会派的な側面と音楽をある程度切り離して、かなり音の方面に重点を置いて聴いていたような気がします。とはいえ歌のパートが音楽でど真ん中にあるので、無視して聞く事なんてできないんですが、それでもこの暗く、重く、鎮魂歌のように鳴り響くこの音の圧倒的な迫力のほうが、僕にはえらくリアルなものに感じられたのでした。




『アーヴィン・アルディッティ(vln)他 / ノーノ:未来のユートピア的ノスタルジー的遠方』

Nono_LaLontananza_arditti.jpg 前の記事のノーノの「力と光の波のように」はノーノの活動中期の作品ですが、この「未来のユートピア的ノスタルジー的遠方」は晩年の作品。そして、クラシックのレビューなんかを見ていると、「ノーノ晩年の作品はたいへんに静か」みたいに言われてたりします。この「未来のユートピア的ノスタルジー的遠方」は、その部類に入る作品の代表的なひとつだそうで…。しかし、個人的には全然そういう風には思いません。これほどに音を衝突させている音楽を「たいへん静か」って…。。

 「未来のユートピア的ノスタルジー的遠方」について、私は良く知りませんでした。ただ、ノーノが大好きだったもので、ノーノのCDを見つけるたびに、昼飯を抜いて、浮いたお金でCDを買い漁って聴いていただけ。「未来の~」は、その中でも「ああ、これは凄くいいな」と思っていたという程度。僕が行っていた音大の図書館って、ベートーヴェンとかバッハとかの楽譜はいっぱいあったんですが、現代曲の楽譜って、極端に少なかったので、ノーノの作品は楽譜も見た事ありませんでした。この作品にどういう制作意図であるかを知ったのは、恥ずかしながらつい最近の事。「未来のユートピア的ノスタルジー的遠方」の5.1chサラウンドのCDが出ていて、それに飛びついたんです。で、その日本版に日本語解説がついていまして、ここに実に細かくこの作品の全貌が書かれていたのでした。

 「未来の~」は、ヴァイオリンのソロと、録音されたテープの共演という形の作品です。面白いのが、そのテープが8チャンネルで、それぞれのチャンネルごとにオン/オフが出来て、どのチャンネルを出すのかは、オペレーターの判断に任されている点。もともとこの曲はクレーメルのヴァイオリン演奏を前提にしていたそうで、テープにはクレーメルが予め吹き込んだ音が入っているチャンネルとか、スタジオ内の会話とかが入ったチャンネルとかがある。要するに、クレーメルは自分のヴァイオリンと差しで共演する事になるわけです。で、入っている音が、ハイトーンで演奏されるヴァイオリンのオブリとか、例によってノーノっぽい密集した和音とか。
 これって、どういう意味があるのか、何となく分かる気がしませんか?作曲する時って、いきなり楽器同士の複雑な絡みを全部書き上げるわけではなく、メインになるものを最初に作って、それに対する対メロとか、エクステンションとかを追加して、少しずつ肉付けしていくことが殆どだと思うんです。で、この肉付けって、可能性のひとつとしてあるんであって、絶対にこうでないといけない、というものじゃないと思うんです。例えば、すごく演奏するのが大変なリストの曲で、32分音符でスケールをものすごい速さで駆け上がるところとか、あれって、こんな感じがいいと思っているだけであって、あれ以外にありえないというわけじゃないと思うんですよ。あくまで、一例。リスト自身も、自分の曲を演奏するときは結構即興でやってたみたいですしね。曲の骨子を毎回バラバラにしていたのでは音楽になりませんが、しかし細かい部分での最善の音を決定できるのは、本番の瞬間だけである気がします。これは勝手な推測ですが、こういう事を作曲家は考えていたんじゃないだろうか。偶然性とかチャンスオペレーションとかじゃなくって、再現芸術が持っている問題点を解決に行った、必然性の追求なんじゃないかと。他にも色々と思う所はあるのですが、それを全部書いているときりがなさそうなので、今日はこの辺で(なんだそりゃ)。

 わたし、この曲のCDを3種類持っています。ひとつは、例のクレーメルが演奏し、ノーノ本人が立ち会ったCD。ひとつは、さっきの日本語ライナーの入っている5.1chサラウンドCD。そしてもうひとつが、ここでとりあげたアルディッティによるCD。このような可変形式を持つ音楽なので、それぞれものすごく違う音楽になっています。中でも好きなのが、このCD。テープと生楽器が、これぐらい有機的に絡んだ音楽というのは、他にないんじゃないかというぐらいの見事さです。他のCDに比べると、テープパートの選択が結構ガッツリしていて、例のクラスター気味のヴァイオリン多重層のパートがグイグイ来る場面が多いです。ソロのヴァイオリンも、クレーメルが非常に流暢な演奏をしているのに対して、こちらはガツガツくる感じ。で、このコンビネーションが強烈。音楽のデザインも、長調とか短調とかのバリエーション違いの音楽を色々漁って聴いているのが馬鹿らしくなるぐらいに、ゾッとするような刺激的なサウンドがここにあります。

 自分があまりに感動してしまった音楽なもので、余計なお世話とは知りながら、どうしても他の人にも聴いてほしい!って、思っちゃうんです。これも、アマゾンで見たらプレミアついてる。。もし、これが手に入らないようでしたら、クレーメルの方もメチャクチャに素晴らしいですので、そちらもおススメです。5.1chの再生環境があるようでしたら、5.1chのCDも良かったです(僕はDVDデッキで再生しました)。これは、すごくすっきりした感じの演奏です。考えてみれば、もともとバラバラのスピーカー8本から音を出そうとしていた作品なので、サラウンドシステムで聴く音楽といって、この曲ほどふさわしい音楽もないのかもしれませんね。


プロフィール

Bach Bach

Author:Bach Bach
神戸住まい、奥さんとネコと暮らす音楽好きです(ノ^-^)ノ
音大は卒業したのですが、成績はトホホ状態でした(*゚ー゚)

ずっとつきあってきたCDやビデオの備忘録をつけようと思い、ブログをはじめてみました。
プロでも評論家でもありませんので、たいした事は書けないかも知れませんが、いい音楽、いい映画、いい本などを探している方の参考にでもなれば、大変嬉しく思います(ノ^-^)ノ

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少し前に取りあげたエリザベス・コットンですが、ライブ盤なんてあるのか?!これは聴きたい… オスマン時代から現代までのトルコ音楽のガイド本みたいです。おおお~、これは絶対に読もう!! レコ芸に載っていた近藤譲さんの新譜、室内楽作品集みたい。好きな作曲家なんで聴きたいんですが、持っている2枚のALM盤と4曲かぶってるので悩み中… 楽器屋で演奏してみたら、木製鍵盤で、タッチがけっこう本物のピアノに近かった!うちにあるアップライトがけっこうヤバいので、フルメンテして貰うか、こういうので間に合わせようか大いに悩み中。
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