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『Andrew Hill / Point of Departure』

AndrewHill_PointofDeparture.jpg モダンジャズに、ブルーノートという名門レーベルがあります。ジャズのレーベルというのは不思議なもので、大手レコード会社が作ったレコードというのは大概つまらなくて、個人経営なんかの小さなレーベルが良い作品を量産したりします。これって、商品として大量に売れるものを作ろうとするのか、それとも作品として良いものを作ろうとするのかの差なんじゃないかなあ。80年代以降は大手レコード会社みたいなつまらないレーベルになってしまったブルーノートですが、50年代から60年代にかけてはすごくいいレーベルでした。

 そんなブルーノートが、60年代初頭ぐらいに力を入れていたのは、いわゆるスタンダードとかメインストリームというよりも、もう少し踏み込んだジャズ。長調でのありきたりなスケールのアドリブとかじゃなくって、モードとかフリーとかの要素を取り入れたジャズって感じです。その時期に、ブルーノートが精力的に録音をしたのが、このアンドリュー・ヒルというピアニスト。しかしこの人、ピアニストとしては正直のところいいピアニストとは思えません。結構たどたどしいし(^^;)。しかし、書く曲が実に理知的。それはセンスがいいとか悪いとかの問題ではなくて、ジャズは今何をやるべきなのかとか、こういう所をしっかりと見据えて、真摯に取り組んだ曲を書くのです。

 ジャズの文脈にあるので、素晴らしい作曲といっても、作曲の裏にある和声とか旋律とかの構築原理と、それを用いて作った和声進行とメロディがセットになったデザインというところに留まっていて、アンサンブル・アレンジが出来ていません。そういう意味でいうと、まだ作曲は完成していない感じ(こんなこと言ったら、かなりのジャズはそうなってしまうだろうけど)。しかしそれを含めても、この独特な曲調には引き込まれます。せっかくの3管なのだから、ここから曲のアレンジを丁寧に書きあげていったら、時代を代表するような作品になったんじゃなかろうか。

 この作品、他にも欠陥がチラホラあります。まず、主役のヒル自身のオープンパートでのアドリブがダメ。ヨチヨチです。あと、3管のうちのひとりであるジョー・ヘンダーソンのソロもひどい。恐らくモード調だからだと思うのですが、ただフレーズを垂れ流すだけで、ソロを構築できていません。自分の得意フレーズを組み合わせてソロを構築するタイプの人は、モード系の音楽になるときつい。。こういう傷がチョコマカあるので、「一点の曇りもない名盤だ!」という気にはなれないのですが、しかしここには、ジャズが進んでも良かったもうひとつの道が見える気がするのです。それは本当に素晴らしい道で、この作品の先をジャズマンたちが作れたら、ジャズは素晴らしいところまで行けたんじゃないかと思えて仕方がないのです。しかし、ジャズはこういった純粋に音楽的な方面に進むのではなく、お客さんと一緒に盛りあがったり、食事のつまみに聴くようなエンターテイメントの道を王道にしてしまった。…極みを目指すのではなく、知らない人に分かってもらおうと精神は、大量消費社会にはマッチしているかもしれませんが、芸術家が選ぶべき道ではないと思うのです。ジャズは、実に残念な道を歩んでしまった。

 いわゆるメインストリームじゃないと言っても、メインストリーム・ジャズの視線で音楽を捉えていて、それを正当に突き詰めた感じ。これがモダンジャズの本流にならなかった事が不思議なぐらい。難解でもフリーでもないので、独特のムードを漂わせながらも聴きやすい音楽です。ぼくはこのアルバムが大好きです。




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『Eric Dolphy / Conversations』 『Iron Man』

eric dolphy conversations 夭折した天才ジャズ・サクソフォニストのエリック・ドルフィー。これは1963年7月1 日と3日に録音された音源から作られた、ふたつのアルバムです。生前にドルフィーは4作のスタジオ録音のリーダー・アルバムを残しましたが、『Conversations』はその最後のもの。そして、『Conversations』が生前に発表された最後のリーダー・アルバムでもあったんですよね。そして、このレコーディング・セッションを用意したのは、アラン・ダグラス…って、ジミヘンのプロデューサやないかい!60年代初期はジャズも手掛けていたんですね!
 バンドは最大4管となるコンボ編成と、ドルフィーの独奏またはベースのリチャード・デイヴィスとのデュオという小編成のもののミックスでした。

 コンボの特徴のひとつと感じたのは、ピアノがおらず、かわりにボビー・ハッチャーソンのヴィブラフォンが入っている事。ドルフィーって、62年に自分のバンドを作るべくコルトレーン・バンドを抜けましたが、それで最初に組んだ和声楽器のパートナーって、ピアノのハービー・ハンコックだったんですよね。このセッションのコンボ演奏を聴いて思うのは、和声楽器が60年代前半のジャズの最前線に追いつけていない事。どういう方向に進めるのかは人それぞれですが、ジミー・ジュフリー・トリオのようなフランス4度に行くにせよ、ハンコックやマッコイ・タイナーのようなモード方面を進めるにせよ、ラン・ブレイクみたいな独自路線を行くにせよ、どのルートに対しても、このセッションは和声がジャズ最前線に追いつけてないな、みたいな。これ、もしハンコックがマイルス・デイヴィスのバンドの正式メンバーになっていなかったら、このセッションってもう少し前に進んだ音楽になっていたんじゃないかと思うんですよね。その方向がドルフィーの音楽の傾向にあっていたかどうかはまた別ですが、そこはちょっと残念でした。

 選曲面でも、「ん?」と思ってしまうところがありました。生前に発表された『カンバセイションズ』で言えば、サイドA収録の2曲は、ドルフィーがそのアドリブ演奏の中で明らかに志向しているものと違う方向を向いた曲に聴こえてしまいました。だって、ドルフィーの素晴らしさってアドリブ演奏にかなりの部分が要約されていて、そのアドリブってドルフィーなりのリハーモニゼーションがベースになっているわけじゃないですか。で、そういうリハモとはかけ離れた曲想のものが演奏されてるんです。1曲目はファッツ・ウァーラ―が書いたあの爽やかな曲「ジターバグ・ワルツ」ですし、2曲目なんてカリプソみたいな能天気な曲なんですよ…。半音階に跳躍フレーズ、そして減5度を含むホールトーンまで駆使する人が、リーダー・アルバムで選ぶべき曲に思えないんですよね…。

eric dolphy iron man ところが、ドルフィーが志向していただろう音楽をそのままリアライズできた曲なんじゃないかと思えるほど素晴らしい曲が入っていたのも、このセッションでした。変な言い方になりますが、ドルフィーのソロや、これ以降に録音されたドルフィーの音楽から察して、恐らく「ドルフィーが狙っていた音楽ってこのへんだったのでは?」というものだけ拾って聴くと、素晴らしいセッションなんですよ!
 コンボ作品で言うと、アルバム『Iron Man』に入っていた「Irom Man」は見事!!もう、ドルフィーのアドリブで行われたフレージングやハーモニゼーションがそのまま曲になったような曲です。ドルフィーが生前に発表したスタジオ録音に収録されたオリジナル曲で、いちばんドルフィーの志向に近い曲ってこれじゃないでしょうか?!
 同じことが、「Mandrake」と「Burning Spear」にも言えると思います。この3曲ってすべてドルフィー作曲で、しかも生前発表のアルバム『Conversations』からはすべて外されましたが、そんな公約数的なリスナーの傾向なんて考えないで、ミュージシャンが思うところの最善をぶつけた方がいいと思うなあ…。ちなみに「Mandrake」って、僕の大愛聴盤『Last Date』にも違うタイトル(「The Madrig Speaks, The Panther Walks」)で入っていました。ミシャ・メンゲルベルクのトリオが演奏したあれがまたカッコいい…あ、この話はアルバム『Last Date』の所で書いていますので、興味ある方は是非(^^)。

 そして、コンボ以外の音楽は、ドルフィーのアドリブの個人技や、デュオでのインタープレイの濃密さがあって、当た別の素晴らしい魅力がありました。
 無伴奏アルト・サックス「Love Me」は神がかりのアドリブ!アドリブといったってフリーに演奏するわけではなくて、やっぱり楽曲のリハーモニゼーションを前提にしたアドリブなので、ニュージャズ的な匂いの施されたチャーリー・パーカーのような演奏なんですよね。いやあ、これは凄いです。。
 そしてリチャード・デイヴィスとのデュオ「Alone Together」は、曲だけでなく共演者に対して呼応する紛うきインタープレイ。その内省的なやり取りと密度と言ったら、見事としか言いようがありませんでした。こういうインタープレイってジャズの人はうまくない人が多くて、むしろフリー・インプロヴィゼーションの人の方がうまい人が多い印象を僕は持っていますが、ドルフィーはフリー・インプロヴィゼーションに進んだとしても超一流だったんだろうなあ。。あ、そうそう、ふたりのデュオでは、「Come Sunday」の演奏も見事でした。

 というわけで、律儀に生前に発表されたアルバム『カンバセイションズ』のサイドAから聴きはじめると、ちょっと理解するのに時間がかかる録音セッションかも…いやいや、それは『Last Date』やミンガスでのコンボのドルフィーが好きな僕の傾向であって、ブッカ・リトルとの双頭バンドや、ジョン・コルトレーン『OLE』あたりのドルフィーが好きな人だと、そんな事はないのかも知れませんが。。あくまであのアブストラクトで、超高速で、ある意味グロテスクですらあるドルフィーが好きという僕みたいな人なら、まずはアルバム『アイアン・マン』を先に聴いて、次に『カンバセイションズ』のB面、という順で聴き進めたら、かなりドツボになる音楽ではないかと思います…主観だらけの殴り書きでスマヌス。。


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『Eric Dolphy / Other Aspects』

EricDolphy_OtherAspects.jpg 1960年から1964年の間に録音されたらしい(もしかすると、今も正確な録音年月日は分かってないのかも)、ジャズのリード楽器奏者エリック・ドルフィーの死後にブルーノートがリリースした未発表音源集です。全5曲で、うち2曲は無伴奏フルート、1曲は現代音楽調、1曲はジャズを超え始めたアドリブを聴かせるロン・カーターとのデュオ、1曲はインド音楽、という構成でした。ちなみにですが、ドルフィー狂だった僕が、一番素晴らしいと思っているドルフィーのアルバムって、『Last Date』とこれだったりします(^^)。

 現代音楽調と書いたのは、「Jim Crow」という曲。曲はテキストを含む現代音楽調のパートと、ジャズ・バンド的な部分で構成されていて、恐らくこの構成自体がこの作品の狙いなのではないかと。編成はヴォーカル(デヴィッド・シュワルツ)、アルト・サックス(ドルフィー)、ピアノ(ボブ・ジェームス)コントラバス、ドラムス。僕はこのアルバムをLPで持っているんですが、LPにはこの曲は62年ニューヨーク録音となっていて(新しい資料だと64年になっている)、作曲者は明確に書かれていませんでした。これ、実はボブ・ジェームスの書いた作品らしいですね。
 いやあ、テキストを抜きにしても、現音とジャズ、前衛と伝統など、色々な部分でのコントラストが素晴らしかったです。演奏も、ドルフィーのみならずみな素晴らしかったです。このメンバー、ジャズ以外の音楽でも対応できてしまうんでしょうね…トータル・ミュージックのレベルまで来ている人たちだわ。62年というと、ドルフィーは西海岸で「オージェイ・エクスペリメンタル・ミュージック・アンド・ジャズ・フェスティバル」というものにも出演して、ヴァレーズの作品も演奏していたというので、そのために用意された曲だったんじゃないかなあ…知らんけど。

 現代音楽風で言うと、2曲目と4曲目がこのアルバムの白眉と僕は思っています。盲、今までに何回聴き、あまりの素晴らしさにフルーティストでもない自分がアナリーゼまでした日が懐かしい…ジャズをもっと現音に近づけたような2曲のフルート独奏「Inner Flight」が、本当に素晴らしかったです。特にパート1の素晴らしさと言ったら…雅楽みたいな第1主題があって、第2主題はホールトーンからコンディミへと変化させて…みたいな感じで、ある音型に対して変化和音を当てる形で発展させるんですが、これはもう作曲と即興演奏が表裏一体。ドルフィーが志向してきた音楽そのものと言って良い音楽だと思います。
 ちなみにこの曲の録音はドルフィーが作曲家のヘイル・スミスに預けていたのだそうですが、その時点でドルフィーがなにを考えていたのか、察しがつきますよね。。

 ロン・カーターとのデュオ「Dolphy'n」は、もうほとんどアドリブだけで構成された音楽。しかもドルフォーのアルト・サックスの爆発的な勢いとスピードと来たら…。

 アルバムのラスト「Improvisations and Tukras」は、なんと思いっきりインド音楽。タブラとタンブーラ、そしてドルフィーのフルートの3重奏でした。ところで、タブラって叩くときにどう叩くのかを音韻で伝えてきたらしいですが、この演奏ではそれを全部声に出しながら叩いているものの気がするんですよね。だから模範演奏的に聴こえるんですが、そうだとしたら研究かワークショップのようなもののための演奏だったのかも…いや、分からないですけどね。ただ、ドルフィーがジャズの範囲だけで音楽を見ていた人ではない事の例のひとつとして十分な資料ですね(^^)。

 独自の境地に達していたフルート独奏が、このアルバム編纂のスタートになったのだと思いますが、残りをこのフルート独奏に絡めたものにしたのは、プロデュースを務めたジェームス・ニュートンの腕なのでしょうね。アルバムタイトル通りのこのディレクションはによって、ジャズから離れ、音楽をもう少しトータルなものとしてドルフィーが見つめていたものが分かりやすくなったように感じます。このアルバムの発表は1987年と、ドルフィーの死から23年が経過してからのものでしたが、自覚があったにせよなかったにせよ、ドルフィーの演奏が暗に志向していた音楽が目指していたものって、このアルバムに近いものになっていったような気がするんですよね。発売年が新しいのでドルフィーのファンの方でも聴き逃していらっしゃる人もいるかも知れないレコードですが、大名盤だと思います。


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『Eric Dolphy / Last Date』

EricDolphy_LastDate.jpg 1964年6月2日録音、チャールズ・ミンガスのヨーロッパ・ツアーに帯同し、そのままヨーロッパに残ったエリック・ドルフィーがオランダに残した録音です。拍手喝采から始まるのでライヴ録音かと思いきや、実はあれってスタッフの拍手なんだそうです(^^;)。

 ワンホーン・カルテットでの演奏で、ドルフィーを支えたのはミシャ・メンゲルベルクのトリオ、ドラマーはなんとハン・ベニンク!ミシャ・メンゲルベルクもハン・ベニンクもオランダのフリー・インプロヴィゼーションの超大物で、ミシャ・メンゲルベルクはICPオーケストラという前衛色の強い即興音楽のオーケストラを率い、たしか若い頃に現代音楽で作曲の賞も受賞していたはず。ハン・ベニンクの凄まじいドラミングは、ジャズやインプロヴァイズド・ミュージックを聴いている人なら、ペーター・ブレッツマンのグループなどでさんざん体験済みでしょうから、今さら僕が書く事なんて何もないですね(^^)。

 とはいえ、ベースとドラムはキープに徹していて、このアルバムの凄さはドルフィーとミシャが創り上げた独創的なジャズ。セロニアス・モンクのねじれたナンバー「Epistrophy」をこういうハーモニゼーションを施して演奏できるドルフィーとミシャが凄いです。しかもジャズ的な即興の範囲でこれをやるのは、付け焼刃ではとても無理。このセッションに挑む前から、自分の中にこういうアドリブのメソッドを作り上げていたとしか思えません。これは凄い…あ、この曲の最後のテーマでドルフィーが1拍数え間違えて、ミシャが戸惑って演奏をやめてしまうのはご愛敬です。きっと、ドルフィーがわざとずらしたのか数え間違ったのか、判断がつきかねたんでしょうね(^^;)。
 この「Epistrophy」と同類のハーモニゼーションを加えた曲が、ドルフィー自身が書いた「The madrig speaks, the panther walks」(アルバム『Iron Man』には「Mandrake」の名前で収録)ですが、なぜハーモニゼーションが重要かというと、ドルフィーのアドリブはリハーモニゼーションに対するアプローチとしてアドリブを取るからです。これがレギュラーグループではなく、初顔合わせ同士の演奏とは到底思えません…。
 そして…驚くべき事に、ミシャの曲「Hypochristmutreefuzz」も同様のハーモニゼーションで処理されるんですよ!

 エリック・ドルフィーって、はじめてここで自分と同じ視点と次元でジャズを捉える事のできる和声楽器奏者と出会えたのではないでしょうか。ハービー・ハンコックはカッコよかったけどドルフィーとはリハーモニゼーションの方向と、なぜそうするのかの根底にある音楽観が違っていたように感じましたし、ボビー・ハッチャーソンはまだドルフィーと音楽観を共有し演奏できる所までたどり着いていないように聴こえました。指揮者/作曲家を父に持ち、自分も作曲での受賞歴を持ちつつオランダの即興演奏界を牽引したミシャ・メンゲルベルクとの出会いは、ついに自分の演奏が暗に目指していた音楽を音に出来る和声楽器奏者との出会いだったのではないかと思います。実際、ドルフィーはこのレコーディングのあと、このトリオに再共演を切望する手紙を書いて送ったんだそうです。しかし時すでに遅し、このレコードングが行われてからひと月と絶たないうちにドルフィーはあの世に旅立ってしまったのでした…。
 このアルバムは、ミシャの1曲を除けば、ドルフィーがすでに演奏してきた曲ばかり。ついに意中の共演者を得たドルフィーが、このカルテットを想定して曲を書き下ろし、次のステップに踏み込んでいたらどうなっていたかを考えずにはいられません。紛う事なき世紀の大名盤、ジャズを好きと言っておきながら、このアルバムを聴いていないとかいうのはナシでお願いします(^^)。


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『KING CRIMSON / THE GREAT DECIEVER -live 1973-1974』

KingCrimson_GreatDeciever.jpg 前の記事で絶賛しまくっていたキング・クリムゾン黄金メンバー時の、4枚組ライブ・アルバムです。

 キング・クリムゾンの伝説のファーストアルバムを聴いて、ベーシストの女の先輩が「これ、ライブで出来るの?」なんて事をいっていたことがあります。こういう意見って、スタジオでオーバー・ダビングがいくらでも可能になったビートルズ以降のポピュラー音楽では、当然出てくる疑問かと思います。まして、プログレッシブ・ロックと呼ばれているジャンルでは、けっこう手の込んだこともしていたりするので、あながち外れでもない。私自身、プログレの場合、スタジオ録音の音楽とライブで演奏される音楽は別物と考えていました。しかしこのライブアルバム…聴いてびっくり、『暗黒の世界』に入っていたスタジオワークの賜物と思っていた曲が、そのままフルで入っていたりしました。あれ、ライブ演奏だったのか(゚ロ゚ノ)ノ …恐るべし、キング・クリムゾン。

 ライブで必ず演奏する事にしていたという、インプロヴィゼーションがかなり聴けるというのが、このアルバムの特徴じゃないかと思います。う~ん、これはカッコいい。。もうひとつライブ繋がりでいうと、いつもはリーダーとして楽曲の構造だったり、音楽がまとまるように常に尽力するギタリストでバンドマスターのロバート・フリップが、唯一自分のソロを全力で発揮する「21世紀の精神異常者」。このライブでのこの曲の演奏、バンド自体が黄金期のマイルス・デイヴィスQに匹敵するほどのすさまじさなんですが、その中でもギターソロ、超絶です。。このギター・ソロの為だけにこのCDを買っても損はないというぐらいの物凄さ。こんなにギターのうまい人だったのか。このギター・ソロを聴いて以降、キング・クリムゾンのライブ盤は、ブートを含めて片っ端から聞いたんですが、「21世紀の精神異常者」だけは思いっきりギターソロをインプロヴィゼーションで演奏する事にしていたみたいで、どれも全く違ったアプローチ、書きソロなんかじゃないんですね。インプロヴィゼーションを売りにしているモダンジャズですら、リックの組み合わせでソロを構築している人が殆どだというのに、これは脅威です。

 4枚組で凄いボックスに入っていて、ブックレットもロバート・フリップ本人の描き下ろしという事で、こういう高額なものを人に薦めるのはちょっとなあ、と思っていたんですが…おお、今だと中古で2500円ぐらいで買えちゃうのか!もし、前の記事で紹介したアルバムを気に入っていただけたなら、これは確実に買いです!!





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『KING CRIMSON / RED』

KingCrimson_red.jpg 70年代キング・クリムゾンのラスト・アルバムです。音楽の傾向は『太陽と戦慄』『暗黒の世界』と同じですが、その中ではこれが一番ロック色が強いというか、分かり易いアルバムだと思います。前の2作に比べて、非常に音楽面でのバランスが良い。アヴァンギャルドとメインストリームのバランスとか、インプロヴィゼーションとコンポジションのバランスとか。何をやればバンドの音楽が最大に輝くか、2年以上同じメンバーで、ものすごい数のライブパフォーマンスを続けてきた先で、こういうものが見えて来たのではないかと思います。若い頃は、キング・クリムゾンの中でこのアルバムが一番好きでした。

 A面をつまらないというロック・ファンはまずいないのではないかと思います。1曲目「RED」なんて、イントロを聴いただけでゾクゾク来ます。それぐらい、A面は良くまとまっています。しかし、クリムゾン的な凄さが凝縮されているのはB面。「PROVIDENCE」は恐らくフリー・インプロヴィゼーションでしょう。ヴァイオリンの奏でる怪しいメロディと、ギターが作り出す色彩感覚が見事。ここにベースとドラムが次第にリズムを作っていき、一瞬にして場面が変わって音楽をトップに持っていきます。また、この押してく感じがロック的というか、他の音楽では味わえないようなダイナミックな感じで、燃えます!!
 続く「STARLESS」は、メロトロンというストリング・オーケストラの代替のようなテープ楽器が、実にきれいな雰囲気を作り出すバラード…かと思いきや、これも実に見事な構造が用意されています。まったく対立した主題が用意され、それが変奏されながらクライマックスに近づき、頂点になった瞬間に元テーマが倍速で奏でられる。…楽曲構造に関する、西洋の音楽アカデミズムが作り上げてきた知恵が見事に結晶した名曲だと思います。前曲がインプロヴィゼーションでこの曲がコンポジションという違いこそありながら、劇的構造という意味では全く共通していて、よくぞこれだけの音楽に辿り着いたと思うばかりです。何十回このB面を聴いた事か。

 クリムゾンを聴いていた頃、僕はどちらかというとジャズを聴いている事の方が多かったです。でも、ジャズのインプロヴィゼーションって、和声進行のうちで何度もぐるぐる回るアドリブというのが殆どなんですよね。まあ、それでも少しは劇性を持ち込むことは可能なんですが、自ずと限界は知れたもので、ロマン派クラシックのような頂点に向かって行く強い劇性には遠く及ばない。しかしクリムゾンの場合、コンポジションであれインプロヴィゼーションであれ、劇的構造を作りに行った場合のそれは、ジャズを遥かに凌駕しています。しかし、これだけの作品を作り続け、驚くほどの数のライブを続け、疲れ切ってしまったのでしょうか、このアルバムを最後にバンドは解散してしまいます。70年代のキング・クリムゾンというのは、ロックの立場から作り上げられた、最上の芸術音楽だったのではないかと思います。そこには、知性も凶暴性も、美しさも危険さも、こうしたふたつの対立した価値を併せ持つ、実に70年代的な音楽だったのではないでしょうか。。




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『KING CRIMSON / 暗黒の世界 Starless and Bible Black』

KingCrimson_StarlessBible.jpg 音楽のアルバムって、1曲目が重要というか、1曲目がダメだとそこでゲンナリしちゃう事があります。で、2~3曲目もつまらなかったりすると、以降はもう聴かなくなっちゃたり。このアルバム、とにかく1曲目がダメ。だから、最初に聴いた頃は、あまり印象が良くありませんでした。しかし…それ以降は、キング・クリムゾン最高のパフォーマンスのひとつなんじゃないかと思っています。

 ひとつ前の記事『太陽と戦慄 Larks' Tongues in Aspic』では、その現代の作曲技法とクリムゾンの関係の事を書きました。しかし、この時期のクリムゾンの凄いところは、作曲面だけでなく、即興演奏能力もものすごい!何かで読んだ記憶があるのですが、この時期、キング・クリムゾンのライブでは、インプロヴィゼーションを絶対に何曲か演奏する事にしていたそうで。そしてこの『Starless and Bible Black』は、この時期のクリムゾンのアルバムの中では、もっともインプロヴィゼーション色が強いものです。インプロヴィゼーションといっても、ある曲中でアドリブでソロを演奏するというタイプのものではなく、曲自体をインプロヴァイズしてしまうというもの。フリー・インプロヴィゼーションに近いものですね。しかし、大友良○とかの最近の日本人なんかがやっているような、単なるヘタクソがメチャクチャやっているやつじゃありません。即興とかいって、デタラメな結果でいいんであれば、猫の歩いたピアノだってインプロヴィゼーションだとか言えちゃうと思うんですよ。しかし、クリムゾンはそうはならなくて、フォルムまで相当な精度で塑像されていく見事なもの。そうなるにはちゃんと理由があって、コンセプトがしっかりしているから。例えば、3曲目「We'll Let You Know」では、徹底してホールトーンと呼ばれるスケールでインプロヴィゼーションが押し通されます。しかも、その使われ方が、機能和声のドミナントで使われるとかじゃなくって(ホールトーンというスケールは、ジャズとかの西洋ポピュラー音楽では、普通の長調や短調の曲だと、ドミナントで使われる時がある)、ホールトーン自体が主調。コンセプト自体が明確なだけに、フォルムもしっかりしてくるんじゃないかと思うんですよね。同様の構造は、7曲目「Starless and Bible Black」なんかにも聴くことが出来ます。

 そして、アルバムの白眉は、終曲「Fracture」。キング・クリムゾンが蓄積してきた、作曲技法に対する考えとか、インプロヴィゼーションとか、あの独特な音楽ニュアンスとか、明らかにクラシック音楽の影響がみられる楽曲構造とか、これら全ての音楽的な成果が、この1曲に結晶しています。私、ギターは弾けないんですが、このギターって、ものすごい難しいんでは?テーマ的な部分は、2つの主題の対比で構築されているんですが、これが展開されていくにしたがってものすごい技術を要求されるようなプレイになっていきます。また、曲のダイナミクスもオーケストラ並みで、ピアニッシモからフォルテッシモまでを使いこなした楽曲をロックで聴いたのは、この曲が初めてでした。この曲、何十回聴いたか分からないぐらいに、聴き込みました。。

 本気で音楽に取り組んできたからこそ辿りつけた場所なんじゃないかと思います。いまだにベートベンとかやっている事に疑問を持たないクラシックとか、いまだにマイルスとかやっている事に疑問を持たないジャズとかに比べて、なんという高いミュージシャンシップを持っている事か。本当に素晴らしいアルバムだと思います。…1曲目さえダサくなかったら、語り継がれるアルバムになっていたんじゃないかと(^^;)。




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『KING CRIMSON / 太陽と戦慄 Larks' Tongues in Aspic』

KingCrimson_LarksTongue.jpg 空前絶後、これ以上のロック・バンドは、後にも先にも登場する事はないんじゃないか。それほどの衝撃を覚えたのが、1972年から1974年の間のキングクリムゾンというロックバンドです。この期間に発表されたスタジオ録音のアルバムは3枚。ロックを好きであろうがなかろうが、音楽を好きだというのであれば、この3枚を聞き逃してしまってはあまりに勿体ない!そのぐらいに素晴らしい音楽です。

 キング・クリムゾンというと、「21世紀の精神異常者」というナンバーの入ったデビュー作『クリムゾンキングの宮殿』があまりに有名です。これもものすごい作品なのですが、この『太陽と戦慄』から続く驚異の3作品のクオリティは、それを遥かに凌駕するほどの域に達しています。脅威というか、ちょっと異次元です。『クリムゾンキングの宮殿』が、プロのスタジオ・ミュージシャンが丁寧に作り上げたスタジオ作業の作曲作品という感じであるのに対し、『太陽と戦慄』以降の3作品は、それと同等もしくはそれ以上の見事な作曲に、圧倒的な演奏が加わります。

 更に、キング・クリムゾンの良さのベースには、「何をやるのか」という、コンセプトにもあると思います。なんというか、現代の音楽状況が見えている感じなんですよね。ロックにしてもポップスにしても、あるいはジャズやクラシックですら、今の西洋音楽が作曲の基礎にしているのは、3和音をベースとした長調と短調の2調での作曲技法が圧倒的です。これが恐ろしいほどの金太郎アメ状態で、新作が出ても、また同じような音楽。

 しかし、20世紀の西洋の作曲界とメインテーマは、そういう道筋を歩んでいないんですよね。長調と短調でどういう曲を作るか、というのではなくって、作曲というものの原理を根本から見直して、それ以外の作曲技法を発見したり、発掘したり、生みだしたりしました。これらの技法が長調と短調の2調に劣るという事は全然なくって、素晴らしい曲も書かれました。ところが…こういう本流を使いこなせる作曲家がいない。72年以降のキング・クリムゾンは、この西洋作曲界の現在の本質の上に立った、数少ない(もしかすると、ロックバンドでは唯一かも?)バンドだと思います。

 こういう視点に立つことが出来ている時点で、バンドは様々な技法を選択する事が可能となっています。もう、ここで既に他の音楽よりも優位に立っているわけです。もちろん、長調や短調も選択可能。しかし、クリムゾンが選んだ選択は…ヤバい方向のサウンド、時間軸的にはストレートだが関係構造は複雑であるという構造の音楽なのでした(^^)。これが格好いい!!そして、難しくなってしまってもおかしくないこういった選択をしておきながら、驚異の演奏で一気に押し切ってしまいます!!

 白眉は、アルバム冒頭とラストを挟み込む「 Larks' Tongues in Aspic」。直訳すれば「ひばりの舌入りゼリー」でしょうか。いずれもインストゥルメンタルなんですが、背景にあるものの深さが、同時代のポップスやロックと比べて桁違いです。ミニマル、モード、フリー・インプロヴィゼーションの技法…。書きたいことはいっぱいあるんですが、この音楽、体験してみないと分からないと思います。最後にひとこと…すげえ!!




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『YELLOW MAGIC ORCHESTRA / ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』

YMO_SlidState.jpg YMOが大流行した頃、僕は小学生。まだウルトラマンとかドラえもんに夢中になっていておかしくない年齢でした。そんな中で、一部の男友達の中で、YMOが大流行。レコードからカセットにダビングして、出回りまくりでした。多分、お兄ちゃんがいる子供たちの中で広まったんじゃないかと思うのです。
 5歳以上齢の離れた兄がいる子って、マセるじゃないですか。あれって、兄の世代の文化から影響を受けてると思うんですよ。他の子供たちがドラえもんの映画を見に行っているときに、年の離れたお兄ちゃんのいる子供は、マッドマックスとか、猿の惑星とか、燃えよドラゴンの話をしている。他の子がドリフのコントを見て笑っているときに、お兄ちゃんのいる子は深夜のラジオ番組のツービートの毒舌漫才の話をしている。…そんな年齢で、深夜放送のラジオなんて聴けるわけないんですから、これは絶対にお兄ちゃん世代の文化の影響だと思うんですよね。YMOは、そういったものの象徴的な音楽として聴いていた気がします。お兄ちゃん世代の文化への憧れみたいなものも少し入っているというか。

 それでも、いいと思うから流行するんだと思います。YMOは、小学生が聴いても、分かり易く、ポップで、格好良かった。今ではちょっとニュアンスが違うかもしれませんが、当時はシンセサイザーという楽器が、ポピュラー音楽に入り込んできた最初の頃だと思います。シンセサイザーが、新しくって、格好いい楽器に映っていたんですよね。そのシンセ・サウンドだけで、ポップな音楽をインストで演奏するバンド…これはもういずれ登場する事になる音楽というか、時代の必然みたいな感じだったんじゃないでしょうか。もうコンセプト自体で勝ちが決定したようなものです。

でも最初は、YMOというより、スネークマン・ショーが流行っていたのですけどね(*゚∀゚)。


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『来生たかお / バラードセレクション』

KisugiTakao_BalladSelection.jpg 80年代、僕は小学生。ザ・ベストテンとかトップテンとかヒットスタジオとか、テレビで歌番組を毎日やっている状態でした。演歌とかニューミュージックとか、色々聴くことが出来たのですが、その中心はアイドル歌謡だったような気がします。松田聖子さんとか田原俊彦さんあたりが、その代表的存在でした。アイドル歌謡というのは、小学生でもみんな「音痴だ」と馬鹿にしていた記憶があります。実際に、子供だましなものが少なくありませんでしたしね。でも、そんな中で「これは凄いなあ」と思った曲が、中森明菜さんの唄った「セカンド・ラブ」という曲。オーボエに主旋律を取らせてのウィズ・ストリングス。そして、いつかの記事で機能和声について書いた、グッとくるところのある、きちんとした作曲です。この曲の場合は、SUS4というコードからの解決がそれなんですが、これがジワッとくるんですよ。素人ばかりの日本のアイドル音楽文化の中で、どう考えてもこれはプロの仕事でした。

 この作曲/編曲を行っていたのが、来生たかおさん。来生さんの作曲は、曲中にグッとくるような和声進行部分を作り、転調も実にきれいに作ります。アレンジにはストリングスを用いる事が多く、このストリングスのアレンジが実に見事。来生さんの前の時代にも、ポピュラー音楽の弦アレンジの専門家みたいな人はいるのですが(宮○さんとか)、技術レベルが違います。来生さんというのは、こういうプロフェッショナルな技術を持って、日本の歌謡曲を陰から支えた人なんじゃないかと思います。いわば、アイドル歌謡の、影の主人公です。表には決して出て来ないが、実は本当の本物みたいな人に出会うと、うれしくなっちゃいませんか(`-^*)。なんだか、本質に迫れたような気がして。

 で、このアルバムは、来生さんの書いたバラード集です。曲ごとのアレンジも凄く丁寧。スピード重視で未完成状態としか思えないような状態でボンボンと新曲が発表されていく歌謡曲の中に混じると、アレンジの丁寧さがよけいに目立ちます。技術力が高く、しかも丁寧に作るものだから、それはいいものになるに決まってますね。「セカンド・ラヴ」「マイ・ラグジュアリー・ナイト」「シルエット・ロマンス」「無口な夜」…名曲ぞろいで、詞の内容も音楽の作りも、子供だましではない、大人の歌謡曲です。




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『田園の交響詩 ~チルボンのガムラン』

Cirebon no Gamelon 同じガムランでも、こちらはバリ島ではなくジャワ島のガムランです。ジャワ島のガムランの方が宮廷色が強いというか、すごく優雅で、ゆったりとしていて、BGM的というか、癒し系というか、聴いていて心地がいいです。あのバリ島の大迫力で圧倒するようなガムランとは対照的です。しかしさすがはガムラン。リズムはどんどん速くなっていき…と思うとあっという間にゆったりとして、変幻自在です。

 私は、太平洋の島というと、バリ島やジャワ島といったインドネシアの島のほかに、ハワイ島にいった事があります。で、不思議な感覚なんですが、このジャワの宮廷ガムランを聴いていると、インドネシアよりも、ハワイにいるような気分になります。ハワイの、クーラーの効きまくったリゾートホテルで、朝食のバイキングでパイナップルとかヨーグルトなんが食べ放題で、外に棕櫚の木がずっと見えているようなところで、涼みながら時間を過ごしている気分。…きっと、暑いところで涼んでいる心地よさ、みたいなものを感じてしまうんでしょうね。音階を持つゴングがアンサンブルの中心にあるんですが、ゴングとはいっても、まるで水の入ったグラスを叩いているような、ものすごく澄んだサウンドです。

 で、所々に女性の歌が入るんですが、この歌唱がインド音楽の歌い回しにそっくりです。でも、歌詞の内容は「アラーよ~」みたいな感じで、イスラム色が強いです。これも、暑苦しくなくって、すごく心地よい。色んな文化が折り重なって、色んな色彩が混じっているのでしょうね。
 私は、暑い夏に涼みたいときに、たまにこのCDをかけます。他の季節にはまったく合わない音楽です(^^)。これは実に心地よい音楽。リゾートに行ってる気分になれます!!




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『バリ 彩りのガムラン&ケチャ』

bari_Irodorino gamran kecak バリの音楽といって、ケチャに並んで有名なのがガムランです。ケチャが土着音楽に近いものであるのに対し、ガムランは宮廷音楽に近い音楽です。バリ島のあるインドネシアは、無数の島からなる国で、多くの島にガムランがあり、それぞれに特色があります。ジャワ島のガムランが優雅な、まるで癒しのイージーリスニングのような響きを持っているのに対し、バリのガムランはかなり激しい、ものすごい迫力の巨大アンサンブルです。

 このCDには、1960年代という古い年代の現地録音が大半を占めていて、まだ相当に泥臭かった頃のバリ島のガムランを聴くことが出来ます。これがもの凄い迫力で、バリ島という事からか、ケチャに通じるようなものすごい入れ子細工のアンサンブルが、ものすごい統率力で変幻自在に絡まっていきます。ガムランのオーケストラの主要楽器に、音階を持つ金属製のゴングのようなものがあるんですが、この音階が、今のポップスやジャズやクラシックに慣れた耳からすると、非常に変わった音程感覚で、もしかして西洋の音階にはない音程で作られている気がします。これが大変にエキゾチックな感じで、格好いいです。あの有名な、ギラギラの装飾具をつけて踊るバロン・ダンスのバック・ミュージックのパートも収録されています。バロン・ダンスは生で見たことがあるんですが、私が見たものはかなり優雅な感じのものでした。なるほど、宮廷文化なんだな。

 あと、このCDにはケチャも収録されています。これもまたド迫力なんですが、残念ながら4分ほどの抜粋。これ、フルで聴いてみたかったなあ。



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『究極の声絵巻 ~バリ島ボナのケチャ』

Kyuukyoku_Bari_kecak.jpg 僕は日本の都市部に生まれて、人生のほとんどを日本の都市部で育ったものだから、日本の都市部的な常識が身に染みてしまっています。今もそうなんでしょうが、若い頃というのは、自分の持っている常識というものが、いちばん正しい常識だと勘違いしまっていた節がありました。これは音楽に限った話ではないんですが、音楽でいうと、あまりに自分が持っている価値観と違うものに出くわすと「それは変」と判断してしまう、とか。
 こういった評価の仕方って、実は、音楽そのものの出来の問題ではない可能性がありますよね。評価する価値基準の違い、物差しの違いによるものかも知れません。測る物差しを変えれば、価値は逆転するかも知れません。だいたい、音楽というもの自体が、サッカーみたいにひとつのルールの上にあるものじゃなくって、ルールすら1から作ってもいいようなものですよね。大人になっても、別の物差しがあるという事が分からないとか、あるいは分かろうとしないというのは、人間的な弱点だと思うのです。で、音楽の上で、自分は無意識のうちに、すごく偏った音楽的価値観しか持っていないんじゃないか、もっと違った、そしてそれを知ることが出来れば今までとは全く違った音楽の悦楽があるんじゃないか、と思うようになりました。もし「これはジャズじゃないからダメ」という考えの人がいたとしたら…すごくかわいそうですよね。そういう人って、自分で音楽の素晴らしさを知る道をふさいでいる気がします。自分を開きさえすれば、もっと素晴らしい事が待っているのに。。しかし、私もそんな一人であったと思うのです。そんな事を思わされた音楽が、民族音楽と呼ばれる音楽でした。民族音楽を聴く悦楽というのは、自分の知らないものを知ることが出来る点にあると思います。ここが楽しくなってくると、うまいとかヘタとか、あるいは好きとか嫌いとか、そんなものはどうでもよくなってきます。ほら、海外の田舎を旅しているときに、ボロボロの家があったとしても、その家が良く出来ているかいないかとか、あるいは好きとか嫌いとかじゃないじゃないですか。「おお!こういう所で暮らして、どんな人生を送っているのかなあ」とか、感慨しかないわけです。背景にあるものに魅せられるんでじゃないかと。僕にとって、民族音楽体験の中で特に決定的であったのが、バリ島のケチャという舞踊音楽です。

 ケチャを音楽といってよいか、ちょっと微妙です。もともとは非常に呪術的要素の強い、集団でトランス状態に陥るような、強烈な祭儀の際に用いられていた舞踊であったそうです。音楽は伴奏に近い位置というか、囃しの一種みたいだったんじゃないかと想像してます。バリ島を訪れた西洋の画家がこの音楽を聴いて驚き、やや西洋音楽風に形を整えて、いわゆる音楽という形式にまとめたものが、今残っているケチャだそうで。音楽は、多人数が何チームかに分かれ、それぞれのパートを同時にコーラスします。これが入れ子細工様になっていて、ものすごいポリリズム。更に、リーダーのような人が掛け声をかけると、シーンが一気に展開して大迫力の合唱。合唱というか、叫びに近い感じですが、しかしこれが一糸乱れぬものすごい一体感。これがまだ合図で収まり、また拍のずれたコーラスが…これが何度も繰り返され、繰り返されるたびにどんどん白熱していき、ほとんどトランス状態に入っていき、その頂点ではとんでもない状態に達します。

 こんな音楽、ケチャに出会うまでは聴いたことがありませんでした。歌唱される内容も、インドから流れてきた文化の影響を受け、インドのラーマヤナの物語が進んでいきます。こういうわけで、詞ひとつとっても、作詞家が作って売っているような歌謡曲と比較するのが失礼なほど、深さというものが違いすぎます。

 なんという強烈な音楽!私は、無人島に1枚だけCDを持って行っても良いと言われたら、このCDを持っていく気がします。アマゾンで調べたところ…おお、今なら中古が300円ぐらいで買えるみたいです!まったく、金銭的な価値っていうのは、当てになりませんね。これは、人類の作り出した最高の音楽のひとつだと、私は思っています。




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『ショスタコーヴィチ:交響曲13番《バビ・ヤール》 ハイティンク指揮・アムステルダム響』

shostakovich_BabiYar.jpg 音大生だった頃、クラシックを学ぶ学校に行っていたくせに、聴くのはフリージャズとか現代音楽とか、そういうものばかりでした。古典派やロマン派のクラシックって、響き的につまらなくって(。_。*)>。そんな僕が、王道にあるようなクラシックの中でよくきいていたのが、ショスタコーヴィチのこの曲でした。

 この音楽、重く、暗く、そして深いです。交響曲ではありますがバスのソロと合唱が入っています。出だしは「バビ・ヤールに記念碑はない」。その後も「今、私は自分がユダヤ人であるように感じる」と、そんな詞が続きます。更に、ショスタコーヴィチ自身がスターリン時代のソ連の作曲家であって、支配体制から活動を制限されていたり(独裁者にうまいこと取り入って作曲家活動を続けられるように賢く生きた人、みたいなヒドい言い方をする人もいる)、そんな具合で、政治的な側面なんかから語られる事も少ない作曲家です。確かにそういう側面もあるのかも知れませんが、この見事な曲と見事なオーケストレーションを前にして、「体制にうまく取り入っただけの人」みたいな言葉を言う気には到底なれません。
 冒頭のアダージョを聴いただけで感情を揺さぶられました。これだけ見事にオーケストレーションを操る事の出来る作曲家って、ひとつの時代にそう何人もいないと思います。構造は、詩に合わせて色々なシーンがフラッシュするかのように出てきて…バラバラであったようなこれらが、音楽が進むにつれて見事にひとつにまとまっていく感じがしました。

 そんなわけで、ナチに占領され、多くのユダヤ人やウクライナ人が虐殺されたキエフの一都市バビ・ヤールを題材とした詩を中心にしたこの音楽を、そうした社会派的な側面と音楽をある程度切り離して、かなり音の方面に重点を置いて聴いていたような気がします。とはいえこれは標題音楽、歌のパートが音楽でど真ん中にあるので、無視して聞く事なんてできないんですが、それでもこの暗く、重く、鎮魂歌のように鳴り響くこの音の圧倒的な迫力のほうが、僕にはえらくリアルなものに感じられたのでした。


(2023年3月追記)
 あいかわらず素晴らしい音楽だと感じました。この悲壮感は心に迫る…。
 その前提で、初めて体験した頃と違って感じた事がありました。はじめてこのシンフォニーを体験した学生時代は、これが単純な機能和声音楽ではない近代音楽に聴こえたんですよ。また、13番から前のシンフォニーとはサウンド自体がぜんぜん違うとすら感じたのです。でもいま聴くとそうは感じませんでした。機能和声をベースに作った標題音楽だし、また11番《1905年》や12番《1917年》といった直前のシンフォニーと同類の音楽に聴こえました。これって、人生ではじめてショスタコのシンフォニーを順番通りに聴いたからこそ、感じることができた事なのかも知れません。

 それから、むかし書いた感想文は、はじめてこのシンフォニーを聴いた時の自分の感動ばかりを一生懸命書いていて、音楽や詩についてほとんどなにも書いてない事に気づきました(^^;)。スマヌス。
 元々はエフゲニー・エフトゥシェンコという詩人が書いた詩「バビ・ヤール」を使った交響詩が書かれ、そのあとでエフトゥシェンコの他の詩にも管弦を充てて、それらをまとめてひとつのシンフォニーにしたというのがこの作品です。だから全5楽章すべてに朗読に近い歌と合唱がついていて、かつそれらの詩はひとつの物語ではないのですが、内容はどれもロシアとそこに生きる人が題材で、どれも悲劇的な内容でした。これが重かったり激しかったり短調だったりという音楽に繋がるんですね。個人的には、鎮魂歌風の第1楽章とフリジアンを半音階的に発展させたような第3楽章という、ふたつの短調系のアダージョがすごく好きです。


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『ノーノ:未来のユートピア的ノスタルジー的遠方 アーヴィン・アルディッティ(vln) 他』

Nono_LaLontananza_arditti.jpg 前の記事のノーノの「力と光の波のように」はノーノの活動中期の作品ですが、この「未来のユートピア的ノスタルジー的遠方」は晩年の作品。そして、クラシックのレビューなんかを見ていると、「ノーノ晩年の作品はたいへんに静か」みたいに言われてたりします。この「未来のユートピア的ノスタルジー的遠方」は、その部類に入る作品の代表的なひとつだそうで…。しかし、個人的には全然そういう風には思いません。これほどに音を衝突させている音楽を「たいへん静か」って…。。

 「未来のユートピア的ノスタルジー的遠方」について、私は良く知りませんでした。ただ、ノーノが大好きだったもので、ノーノのCDを見つけるたびに、昼飯を抜いて、浮いたお金でCDを買い漁って聴いていただけ。「未来の~」は、その中でも「ああ、これは凄くいいな」と思っていたという程度。この作品にどういう制作意図であるかを知ったのは、恥ずかしながらつい最近の事。「未来のユートピア的ノスタルジー的遠方」の5.1chサラウンドのCDが出ていて、それに飛びついたんです。で、その日本版に日本語解説がついていまして、ここに実に細かく作品の全貌が書かれていたのでした。

 「未来の~」は、ヴァイオリンのソロと、録音されたテープの共演という形の作品です。面白いのが、そのテープが8チャンネルで、それぞれのチャンネルごとにオン/オフが出来て、どのチャンネルを出すのかは、オペレーターの判断に任されている点。もともとこの曲はクレーメルのヴァイオリン演奏を前提にしていたそうで、テープにはクレーメルが予め吹き込んだ音が入っているチャンネルとか、スタジオ内の会話とかが入ったチャンネルとかがある。要するに、クレーメルは自分のヴァイオリンと差しで共演する事になるわけです。で、入っている音が、ハイトーンで演奏されるヴァイオリンのオブリとか、例によってノーノっぽい密集した和音とか。
 これって、どういう意味があるのか、何となく分かる気がしませんか?作曲する時って、いきなり楽器同士の複雑な絡みを全部書き上げるわけではなく、メインになるものを最初に作って、それに対する対メロとか、エクステンションとかを追加して、少しずつ肉付けしていくことが殆どだと思うんです。で、この肉付けって、可能性のひとつとしてあるんであって、絶対にこうでないといけない、というものじゃないと思うんです。例えば、すごく演奏するのが大変なリストの曲で、32分音符でスケールをものすごい速さで駆け上がるところとか、あれって、こんな感じがいいと思っているだけであって、あれ以外にありえないというわけじゃないと思うんですよ。あくまで、一例。リスト自身も、自分の曲を演奏するときは結構即興でやってたみたいですしね。曲の骨子を毎回バラバラにしていたのでは音楽になりませんが、しかし細かい部分での最善の音を決定できるのは、本番の瞬間だけである気がします。これは勝手な推測ですが、こういう事を作曲家は考えていたんじゃないだろうか。偶然性とかチャンスオペレーションとかじゃなくって、再現芸術が持っている問題点を解決に行った、必然性の追求なんじゃないかと。他にも色々と思う所はあるのですが、それを全部書いているときりがなさそうなので、今日はこの辺で(なんだそりゃ)。

 わたし、この曲のCDを3種類持っています。ひとつは、例のクレーメルが演奏し、ノーノ本人が立ち会ったCD。ひとつは、さっきの日本語ライナーの入っている5.1chサラウンドCD。そしてもうひとつが、ここでとりあげたアルディッティによるCD。このような可変形式を持つ音楽なので、それぞれものすごく違う音楽になっています。中でも好きなのが、このCD。テープと生楽器が、これぐらい有機的に絡んだ音楽というのは、他にないんじゃないかというぐらいの見事さです。他のCDに比べると、テープパートの選択が結構ガッツリしていて、例のクラスター気味のヴァイオリン多重層のパートがグイグイ来る場面が多いです。ソロのヴァイオリンも、クレーメルが非常に流暢な演奏をしているのに対して、こちらはガツガツくる感じ。で、このコンビネーションが強烈。音楽のデザインも、長調とか短調とかのバリエーション違いの音楽を色々漁って聴いているのが馬鹿らしくなるぐらいに、ゾッとするような刺激的なサウンドがここにあります。

 自分があまりに感動してしまった音楽なもので、余計なお世話とは知りながら、どうしても他の人にも聴いてほしい!って、思っちゃうんです。これも、アマゾンで見たらプレミアついてる。。もし、これが手に入らないようでしたら、クレーメルの方もメチャクチャに素晴らしいですので、そちらもおススメです。5.1chの再生環境があるようでしたら、5.1chのCDも良かったです(僕はDVDデッキで再生しました)。これは、すごくすっきりした感じの演奏です。考えてみれば、もともとバラバラのスピーカー8本から音を出そうとしていた作品なので、サラウンドシステムで聴く音楽といって、この曲ほどふさわしい音楽もないのかもしれませんね。



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Bach Bach

Author:Bach Bach
狭いながらも居心地のいい宿で、奥さんとペット数匹と仲良く暮らしている音楽好きです。若いころに音楽を学びましたが、成績はトホホ状態でした(*゚ー゚)

ずっとつきあってきたレコード/CDやビデオの備忘録をつけようと思い、ブログをはじめてみました。趣味で書いている程度のものですが、いい音楽、いい映画、いい本などを探している方の参考にでもなれば嬉しく思います(ノ^-^)ノ

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ロシアとウクライナがほぼ戦争状態に入りましたが、僕はソ連解体後のウクライナについて本当に無知…。これは2016年にオリバー・ストーン監督が作ったウクライナのドキュメンタリー映画。日本語字幕版が出たらぜひ観たい このブログをYoutube にアップしようか迷い中。するなら作業効率としては早いほど良いんですよね。。その時にはVOICEROIDに話してもらおうかと思ってるけど、誰の声がいいのか考え中
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