『アンセルメ指揮・スイス・ロマンドorch. / マルタン:小協奏交響曲etc.』

Martin_petiteConcertante.jpg 同じく、クラシックから現代音楽へと時代が移っていく瞬間に生まれた素晴らしい音楽です。これほどの音楽があまり広く知られていないように思われるのは、本当に信じられない。僕としては、マルタンの音楽は、ベートーヴェンよりもバッハよりもモーツアルトよりも、あるいはシェーンベルクよりもシュトックハウゼンよりもはるか上を行く音楽です。それは、ジャズもロックも民族音楽も片っ端から聴くことが出来るという今の私たち、という視点が生み出すものの測り方でそうなると思うのですが、つまり、古典と現代をひっくるめて、双方の良さを生かしたまま次の音楽を作れ、というお題が出たら、こういう音楽になるのではないかと思われるのです。作曲年は2次大戦前後が多いですが、これは2013年現在に聴いても、最もモダンであり、かつ最も音楽の根源にあるところも捉えた音楽と言えるのではにでしょうか。

 マルタンという作曲家は、スイス生まれで、大学では数学と物理学を専攻。音楽を聴くに、バッハから新古典という所に根差しながら、その先にある12音音楽にもひかれた、という感じなんじゃないかと。で、マルタンが何をやったかというと、新しい音楽語法に飛びついて古いものを捨てるのでもなく、古い音楽に固執して新しい音楽に目をつぶるわけでもなく、その双方を活かし切ったんじゃないかと。もう、こういうセンスを持っている時点で、勝ちは決まったようなものだと思います。

 はじめてマルタンの「小協奏交響曲」という音楽を聴いた時、釘付けになってしまいました。「うおおっ!」って盛り上がるのではなく、1音1音に息をのむような感じ。短調系の暗い響きを持ちながら、非常に現代的という独特な色彩感を持つ響きの上を、12音音楽ような動きを見せる旋律が音楽を動かしていく。コントラバスが「ズーン」とアルコを重ねていく最初の瞬間の鳥肌の立つような感覚。最初の独奏楽器であるチェンバロがあらわれた瞬間のあの感覚も、この音楽以外では体験した事のない、古さと新しさが同居しているような、感動と不安が同時にあらわれているような、唯一無比の感覚でした。

 きっと、音楽そのものから離れて何かを紹介する時って、極端なものが目立ちやすくなると思うんです。「バロックの極み」とか「最先端」とか「ジャズそのもの」とか「これぞロック」とか。あるいは「演奏ナンバーワン」とか「作曲ナンバーワン」とか。でも、本当に良いものって、そういう局所的に優れたものではなくって、全体のバランスがいいものだと思うんですよ。演奏ナンバーワンでダメな曲よりも、あるいは演奏ダメで良い曲よりも、ナンバーワンでなくてもどちらも良いものの方が圧倒的に良いに決まってると思いませんか?少なくとも音楽に関して、僕はそう思います。現代音楽というと、音が一度も出て来ない曲とか、無調の極みとかが、言葉の上では目立ってしまう。逆にクラシックというと、「あの調整の感じがないとクラシックじゃない」とか、なんか恐ろしく理解力のないところに行ってしまったり。でも、本当に良いものは、その双方をひっくるめて超えていくところにあるんじゃないかと。近現代で最も良い音楽というのは、最初から最後までノイズまみれの音楽でも、既に何万回も焼き直しされ続けた音楽の繰り返しでもないと面んですよ。近現代には、相克しているがゆえに目立たなくなってしまったが、しかし相克しているがゆえに最も素晴らしい音楽に辿り着いたという音楽家や音楽が、数多く眠っていると思うのです。マルタンの"petite symphonie concertante" などを聴くと、ものすごい感動と同時に、そういう事を考えさせられてしまいます。

 あ、そうそう、このCDは2枚組で、他にも"concerto for 7 wind instruments"とか"violin concerto"とか、マルタンのオーケストラ曲が満載です。で、よくぞここまで、と思わされる作品が多い。僕はこの作曲家を知ることが出来て、本当に良かった。あの時、もし何気なくテレビをつけていなかったら…(笑)。。



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『R.シュトラウス:変容、死と浄化 / カラヤン指揮、ベルリン・フィル』

RStrauss_Metamorphosen.jpg クラシックという言葉は、狭義には古典派とロマン派の音楽だけを指す言葉だそうで、それ以降の現代音楽や、あるいはそれ以前のバッハとかのバロック音楽なんかはクラシックと呼ばないそうです。でも、もっと広く音楽全般をカテゴライズするときなんかには、こういうものもひっくるめてクラシックと呼んでいると思います。で、音楽的特徴から狭義の意味での「クラシック」を表現すると、これは長短両調の機能和声音楽、という事になるんじゃないかと。機能和声というものの特徴は、それぞれの和音が全体の中で、それぞれに与えられた役割を果たしているという事。このシステムの中では、メインになる主調という響きがあって、他の和音はすべてこの主張に対しての関係役割という視点から機能されている。ここに機能和声音楽の長所と弱点がある。長所は、すべての和音が意味役割化されているから、響きそれぞれに有機的なつながりが出来て、音楽を全体として劇的にすることが可能になる。弱点は、和音の形が最初から決定されているから、主調の響きとか、それぞれの響きそれ自体が、どの曲も似たり寄ったりになる。だから、典型的なクラシックは、今の耳で聞くと、ベートヴェンだろうがモーツアルトだろうが響き自体は退屈で、しかし機能和声特有の和声進行のグッとくる瞬間はこれでないと味わえない、という諸刃の剣状態になる。
 これが、近代になると、様相が変わってきます。たとえば、ロマン派音楽が終わる直前にあったロマン派音楽。そこには、今までの典型的な響きではない和声への試みがあったり、劇的構造に対する挑戦があったりします。独特の色彩感が出てくる。そうでありながら、機能和声音楽の、あの独特な和声進行の妙が残されている。…素晴らしいんですよ、これが。多分、こういう理由で、僕は近代音楽が好きなんじゃないかと思います。

 リヒャルト・シュトラウスという作曲家も、ロマン派崩壊寸前という時代を生きた作曲家です。とはいっても、その作品の多くは、やっぱり典型的なロマン派音楽なんですが、「メタモルフォーゼン(変容)」という曲は、何とも言えない独特な響き、独特な構造を持った音楽になっています。最初に聴いた時、なんて素晴らしいサウンドなんだ、なんて素晴らしい音楽なんだと惹きつけられてしまいました。弦楽なんですが、「23の独奏弦楽器のための」という副題の通り、通常のオケ編成ではありません。
 音楽は、ベートーヴェンの葬送行進曲のテーマ(だったよな?スミマセン、間違ってるかも)が何度も変奏されていきます。これが機能和声でありながら、劇的に進行して頂点に上り詰めてドッカ~ンときて最初に戻って…というのではなく、無限旋律的に漂います。この、どれが主調であったのか分からなくなるような、しかし和声の連結は実に見事に機能しているような、白昼夢の中を彷徨うような浮いた感じが、何とも言えない不思議な感覚に陥ります。これが本当に素晴らしい。世紀末ロマン派音楽未体験の方は、ぜひ一度味わってみてください!

 で、以下は余談。この記事を書いているとき、このCDを久しぶりに引っ張り出して、もうひとつ入っていた「死と浄化」も聴いたんですが…おお、いい曲じゃないか!昔聴いた時は、「なんだ、また叙情性の押し売りロマン派音楽かよ」なんて思ったんですが(^^;ゞ、いやいやどうしてそれがいい。映画版スタートレックの音楽がこの曲のパクリである事も分かりました。。

 あ、そうそう、もうひとつ。クラシックでシュトラウスというと、もうひとりヨハン・シュトラウスという人がいますので、気をつけてください。そちらの人は、優雅なワルツなんか書いていたりして、全くの別人です(゚ω゚*)





『黒夢 / DRUG TREATMENT』

Kuroyume_DrugTreatment.jpg 90年代半ば、「ビジュアル系」とう言葉がありました。日本のメタル系のバンドの流れで、髪を染めてメイクして、客層は女子の中高生で…みたいな感じ。LUNA SEA とか黒夢は、名の知れた存在だったと思います。その頃の私は、年齢的にもそういうものはとっくに通過してしまっている頃。いわんや女相手のビジュアル系なんて、ルックス先行の色物で、プレイも曲も稚拙すぎで子供だましだよな…と思ってました。まあ、これはあながち的外れとは思いませんが。

 そんなときに、仕事の関係で、新宿の某ライブハウス(と言ってもキャパがでかい!)で行われていたビジュアル系バンドのイベントに行くことになりました。…いやいや、これは馬鹿に出来ないと思いました。名前も知らないようなバンドばかりだというのに、どれだけリハーサルを積んできたかが分かります。いろいろとダメな所はあるんですよ。僕ですら名前を知っているようなバンドですら、メジャーコードとマイナーコードの違いすら分かってなかったり、技術的にも致命的な問題点があったり。しかし、そういう些末事は置いておいて、口先だけでなく、本気でぶつかってきているのが分かるのです。決めの多い曲でも、全員バッチリ合わせてくる。この何とか伝えようとする情熱がアツい。客層は女子高生が殆どでしたが、彼女たちが狂うのも分かる気がしました。こういう熱気の塊みたいなものを生でぶつけられたら魅せられて当然と思いました。

 その時に、僕が認識を改めた点がもうひとつあります。音楽面を除いても、ビジュアル系は「軟派」「軟弱」というイメージでした。ところが、いやいやどうして、これはリアルなアンダーグラウンド文化だと思いました。ほら、人間って社会的動物という側面があるじゃないですか。社会である以上、そこにはルールもモラルもある。ところが、それは理屈の上では分かっていても、本能的な欲求とか感情という部分がそれに折り合いがつかなかったりすることもある。あるいは社会というものが持っている制度的な部分もある。この制度というものに対してどうにも息苦しくてたまらなくなってしまう時がある。ここに折り合いをつけていくのが大人になる道だと思うのですが、その折り合いのつけ方のカッコ悪い大人を見ていると、唾棄したくなる。う~ん、えらく決めつけた物言いではありますが(笑)、カウンターカルチャーの原理というのは、こういうものだと思うんですよ。こういう局面で重要な役割を果たす道具として、音楽というものは昔から使われてきたんじゃないかと思います。で、ビジュアル系という音楽は、見事にその役割を果たしている。AKBやジャニーズを追っかける若者より、夜の街をふらついて、大音量のライブハウスに行って…という若い子の方が、飼いならされていない分、センスとしては健常だと思いませんか?まあ、これは受け止め方の問題だと思いますが。。
 結局、僕が何となく耳にしていた「ビジュアル系」は、メジャーレコード会社とかの検閲を通過して、また本人たちもいつの間にか牙を抜かれて、形だけが残ったものだったんじゃないかと。実際には、バンドマンは女を狂わせ貢がせ、オーバーグラウンドでは咎められてしまう部分を吐き出して…。ここに強い存在意義があったんじゃないかと思うのです。で、黒夢というのは、この大事な部分をメジャーデビュー後も保ったレアなケースだたんじゃないかと。

 このアルバムに、「DRIVE」という曲が入ってます。「君を犯したい」「マゾの見分け方」みたいな詞が出てきます。いや、これを批判する人の気持ちは分かるし、それは正常というものだと思うのですが、しかしこのバンドのファンの多くが若い女性だったという事も事実です。で、黒夢ですが、以前はどうなのか知りませんが、この段階ではヴォーカルとベースだけで、あとはスタジオミュージシャンにサポートしてもらってます。エンジニアもまさにプロで、サウンドメイクが実に見事。これは、アマチュアには無理でしょう。こうしたプロダクションも素晴らしかったのかもしれません。ビジュアル系の大事な部分を本人たちが守り、ビジュアル系に足りなかった部分をプロが作る。「DRIVE」に限らず、アルバム全体の曲もサウンドも、それ以上にコアな部分にあるこの音楽の意味というものが実にしっかりしている。これこそが、カウンターカルチャーとしてのロックというものではないかと思うのです。この役回りは、クラシックやジャズでは演じることは出来ない。

 ビジュアル系というだけで敬遠している人は少なくないと思います。まして、20代を過ぎてしまえば、今からこれを聴く人などありえないかもしれません。しかし、ここにあるものは本当に素晴らしい。ぜひ一度は耳にしてほしいと思う「ロック」そのもの。ロックという言葉すら邪魔かもしれない。



『THE MAD CAPSULE MARKET'S』

MadCapsuleMarkets.jpg ジャケットや名前だけでは判断しにくいですが、ザックリ分ければ日本のロックバンド。発売が1996年なので、僕はロックも日本のポピュラーも聴かなくなった頃。しかし、これは格好良かった。
 90年代の日本の大衆音楽シーンというのは、商音楽が完全に子供だましの音楽のオンパレードになっていて、少しでも音楽が好きな人であったら、リアルタイムの商音楽には何も見るべきものがなくなっていて、プロが作る音楽よりも、アンダーグラウンドとかロックバンドの方が全然面白いという状況だったと記憶しています。このバンドは売れた方ですが、全然売れないバンドにも格好いいバンドがありました。で、この時代のロックというと、やる側に日本というナショナリズムや地域音楽的自覚というのは全くなくなっていたみたいで、洋楽のロックと完全に地続きだったと思います。西洋側がどう思っていたかは知りませんが、音楽的には区分けする意味は全くないというか、物によっては向こうのものより遥かに格好いいものもあった気がします。な~んて、この頃はもうロックを聴かなくなっていたので、偉そうなことは言えないのですが(^^;ゞイヤァ。

 音楽的には、スラッシュ的な要素もあり、要所をコンプで潰しまくったサウンド、ヴォーカルにディストーションをかけたり、ドラムンベースそのものといった曲もあったり、プロツールズ特有のデジタルエフェクト、ワーミーのような当時のロックの必殺武器のようなエフェクターなど、90年代ロック・レコーディングの格好良さが片っ端から詰まってる感じです。文化としても完全にカウンター、ロックは社会の中でこういう位置にあって欲しいと思うばかり。これ、自分が中学生ぐらいの時にリアルタイムだったら、確実にハマってたんじゃないかと思います。暴発したい時、人を殴りたくして仕方がない夜、犯したくてどうしようもない時などにおススメ。


『尾崎豊 / 15の夜(ライブ)』

OzakiYutaka_15noYoru.jpg 尾崎豊がデビューしたのは、僕が中学生ぐらいの頃。歌詞の内容からしても、僕はタイムリーな年齢だったと思うのですが、ぜんぜん食いつきませんでした(^^;ゞイヤァ。当時、日本のポピュラー音楽シーンは、ニューミュージックの次世代のタレントを発掘して売り出しているという感じでした。ソニーというレコード会社はここにかなり力を入れていて、新人をどんどんデビューさせ、その紹介のためにシングルを片っ端から収録したオムニバスアルバムなんかも大量に出してました。で、この手の音楽にハマった友人が、そのテープをダビングしてくれたんですが…クソつまらない(^^;)。どれもこれも、チャラい音楽だとしか思えなかったのです。ドアーズやルー・リードあたりも聴いていた頃なので、日本の「初恋が切なくて」みたいなガキくさいナルシスト歌詞オンパレードの音楽が安っぽく見えても仕方がなかったんでしょうね。で、尾崎豊の「15の夜」も入ってたんですが、全然つまらなかったです。

 しかし、あるきっかけで、このシングルCDになったライブ版「15の夜」を聴いたのですが…これが素晴らしかった。ナイス・ヴォーカル、思春期特有の鋭敏なセンス、反抗心、苦悩が入り混じったような詞。シンガーとはこういうものであって欲しいと思わずにはいられませんでした。

 なぜ、スタジオレコーディングされた「15の夜」がダメで、同じ曲のライブには感じ入ったのでしょう。スタジオ盤は、ニューミュージックの4リズムという典型的なバンドアレンジという型に嵌められてしまって、音楽が他に何万曲もあるような音楽と同じになって埋もれたんじゃないかと。参加している意味すら分からない、8ビートをただ叩くばかりのクズなドラムとか、「ダンダンダンダン…」という、誰が聞いたってウンザリするようなフィルとか、音楽を勉強した人なら2時間もあれば書けるようないい加減極まりないやっつけ仕事のアレンジとか。こういう雑な仕事に埋もれて、尾崎豊というシンガーが持っていた良さが全部かき消された。ヴォーカルのアーティキュレーションはかき消され、ニューミュージック特有のえらく細い音の録音で迫力は消え…すべてが台無しになった。ディレクターもエンジニアもアレンジャーも、クズとしか言いようがない。日本の大手レコード会社のスタッフというのは、よくもまあここまでセンスのない人が揃ったもんだなと思わされる事が(以下自粛)。
 しかし、このライブは違いました。エレアコ1本の弾き語りなんですが、これが尾崎豊というシンガーの良さを見事に伝えている。えらく生々しい叫びのような声、その表情、震えるような言葉。

 思春期特有の苦悩というものは、真剣であればあるほど深いものになるんじゃないかと思います。で、それに対して何らかの解答を自分で見つけて超えていく。超えてしまえば何という事はないと思うんですが、超えるまでは出口が見えない、死ぬほど苦しい、実際に自殺しちゃう人だっている。こうした頃を過ぎてからこの音楽を聴いても感じないかもしれませんが、苦悩の真っただ中にいる人にとって、これほどのカタルシスを得られる歌はなかなかないんじゃないかと思います。また、そういう頃を体験した人には、何とも言えない郷愁を覚える音楽ではないかと。いや、齢を取ってからこういうのを書くってのは恥ずかしすぎるんですが(^^;)、しかし尾崎豊という人、自分の言葉を持った、得難いシンガーであったと思います。


『MODERN JAZZ QUARTET / PORGY & BESS』

MJQ_PorgyandBess.jpg 「ポギーとベス」は言わずと知れたガーシュウィンの舞台音楽。中でも「サマータイム」は名曲として、今ではジャズ・スタンダードになっています。で、MJQは、このサマータイムのテーマに実に独創的なアレンジを加えます。リアレンジって、元曲を壊すだけだと何で元曲をとりあげる必要があったのか分からなくなってしまうし、では元曲に忠実だと全然アレンジになってないじゃないか、というわけで、アレンジものを聴く楽しさがなくなってしまうと思うんです。また、アレンジした方が元曲よりつまらなくなってしまうと、何でアレンジしたのかの意味すら分からなくなってしまう。というわけで、アレンジ物って、想像以上に、作る方のセンスが相当に問われると思うのです。それは、音楽の中だけのアンテナしか持ってない人には出来ない作業だと思うんですよね。ヴィブラフォンとピアノとコントラバスとドラムというカルテット編成に合わせたのMJQの「ポギートベス」のアレンジは、センスの良さの塊というか、聴いていて「ああ、いい…」と、音楽の悦楽に浸ってしまいました(^^)。

 「サマータイム」は、テーマ部分で、ペダルノートならぬペダルフレーズを使うのですが、これがノートだけなくリズム面でもテーマとポリリズミックな関係になって、実に良い!中古レコード屋でこれがかかっていて、即買いしてしまった。。それぐらい、グッと来たのです。で、2曲目は明るいけど落ち着いた、まるで春のような曲なのですが、これが途中からアッチェルしてドラムのビートがそこだけ強調されて、実に良い感じです。こういう阿吽の呼吸の演奏は、長年連れ添っているアンサンブルならではの妙技です。

 という具合で、何とも独創的で、しかし元の音楽の良さを壊してしまわず、これこそアレンジの妙というジャズ・アンサンブル版の「ポギーとベス」なのでした。これは素晴らしい音楽です。




『MODERN JAZZ QUARTET / SPACE』

MJQ_SPACE.jpg オーケストレーション志向としてのジャズは、ビッグバンドだけじゃなくって、スモールコンボでもあります。モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)は、アレンジをしっかり組み立てるジャズ・グループとして有名。ピアノのジョン・ルイスや、ヴィブラフォンのミルト・ジャクソンは、ピンでも有名です。あ、そうそう、同じ略称で「Manhattan Jazz Quintet」というグループもあるんですが、そちらはゴミのような音楽を(以下自粛)。

 で、このアルバムは、彼らのアルバムの中でもかなり異色な感じ。MJQは、当たり障りのないシャンパンジャズみたいな音楽をやったり、一変して非常にアーティスティックな挑戦をしたりと、気をつけて手を出さないと危険なグループなんですが(^^;)、このアルバムはアーティスティックな色が強めな方で、かなり作品コンセプトがはっきりしているように思えます。かなり複雑な和声も出てくるし、曲も劇的な進行をさせず、どこにも行きつくことなくフワフワと漂うだけの曲もあったりします。シーンの作り方でも、ヴィブラフォンのロータリー・サウンドを効果的に使ったり、ドラムのシンバルの響きだけでひとつのシーンを作ったりと、音のカラーリング先行の作りがあったりします。これは演奏志向の強いジャズではかなり異色のアプローチじゃないかと。しかし、難しすぎるところに行きすぎないのは、センスの良さを感じます。モダンのサウンドに挑戦しながら、アンサンブルの妙を追及しながら、全体としては落ち着いてリラックスした感じ。なんとも、他ではなかなか体験できないような音楽なのです。
 書きアンサンブルでしか出来ない良さもあります。一気にリズムチェンジしたり、例の解決しない響きのままの不思議なインタープレイがいきなり一気にアンサンブルしたり。実に良く出来た作品だと思います。芸術的でもありながら、紅茶でも飲みながらBGMに流しても心地よいという、実に不思議で、しかし実に良い音楽、と思います。


『GEORGE RUSSELL and his Orchestra / JAZZ IN THE SPACE AGE』

GeorgeRussell_JazzinthSpaceAge.jpg もうひとり、どうしても紹介したいモダンビッグバンドの作曲家/アレンジャーがいます。それが、このジョージ・ラッセル。この人に辿り着いたのは、ジャズの脈ではなく、現代音楽の勉強をしていた時でした。武満徹の作曲技法を勉強している過程で、「リディアン・クロマチック・コンセプト」という、ジョージ・ラッセルの理論が出て来たのです。で、音楽を聴くより先に、その理論を先に勉強していました。で、参考に、彼の名盤と言われているアルバムを何枚か聴いていたのですが、それほどピンとくるものはなかったのですが…このアルバムに出会って評価が変わりました。サウンドの新しさと、アレンジの見事さに驚かされましたいや、そんなものではないな、感動しました。それも、猛烈に。

 1曲目から2曲目にかけての流れが、ものすごいです。ファンを回さない現代音楽的な響きを持つヴィブラフォンのイントロから、6拍子系のコントラバスのミニマルなビートとジャズ特有のドラムのコンビネーションが斬り込み、左右に振られた2台ピアノが別の拍子でヴァースの交換をしながらインタープレイに入っていきます。…いやあ、これだけでも格好良さの片鱗は伝わってくれるのではないかと思うのですが、そのピアノが半音階と、アッパーストラクチャーの和声でクールに音を紡ぎだします。凄すぎる…。このサウンドは聴かないと伝わらないと思うのですが、この手のサウンドは、先鋭的なモダンジャズ以外では聴くことが出来ないんじゃないかと。その中でも、このアルバムのサウンドは、ちょっと図抜けている感じです。で、このインタープレイが終わると2曲目になだれ込み、サックスのモーダルなテーマ。そして、プロッフェショナルの極致ともいえるモダン・ビッグバンドのブラス・アレンジのグラフィック・アートのような見事な構造とサウンドです。
 
 この音楽を面白くないという人がいるとしたら、その人はもう音楽に向いていないと思います。本当に素晴らしい音楽。すべてのビッグバンドの音楽の中で、ベスト3に入る作品だと思います。僕の中では、これがナンバーワン。モダン・ビグバンドの、芸術性とジャズ的な不良性の両方が見事に合わさった、格好良すぎるサウンドの洪水です。


『THE GIL EVANS ORCHESTRA / OUT OF THE COOL』

GilEvans_OutofCool.jpg ジャズの中で、最も興味がなかったのが、ビッグバンド。僕はモダンジャズからジャズに入ったという事もあり、やっぱりソロイストの壮絶なプレイとか、アーティスティックな音楽性とか、ジャズのそういう所に魅かれていたのです。しかし、ビッグバンドというと、トゥッティで「ババッバッババ~」みたいな感じで、えらくご陽気なエンターテイメントという感じで好きでなかったのです。同じジャズでも、モダンジャズの持っている美観とは全然違う音楽、そう思っていました。で、この感想はあながち外れでもない。
 ではモダンジャズの個人技的なアドリブプレイが最高かというと、そちらに走れば走るほど、音楽のうちの曲という素晴らしさというものが消えて行ってしまう。派手で華麗なプレイを追っていくと、どんどんフリージャズ方面に行ってしまうのですが、そうなるとフォルムが消えてしまう。で、フォルムを追うと、今度はクラシック系の現代音楽をあさる事になって、そちらはフォルムの制約が厳しすぎて、演奏の迫力が奪われてしまうものが多い。で、フリージャズと現代音楽を交互に聴く、みたいになってしまったのですが、もちろん望むべくは、その両方が共存した音楽です。で、出会ったのが、このCD。見事にアレンジされた全体構造の中で、ソロイストもドラムも縦横無尽に暴れまわります。サウンドもご陽気なジャズ・ビッグバンドのイメージとは全然違い、テンション入りまくり、モードもありまくりで、モダンジャズの先鋭的なサウンドの最前線という感じ。カッコよすぎます!!よく考えてみたら、ギル・エヴァンス自体がモダンジャズの理論的中心のひとりだったのですから、彼のサウンドがモダンであるのは当たり前ですね。。僕が抱いていたビッグバンドのイメージが、根底から覆される衝撃的な作品でした。

 1曲目「ラ・ネバダ」の疾走感がハンパではありません。もう、スモールコンボと見紛うばかりで、ビッグバンドのドッカンドッカンくる感じではなくて、タイトでスパンスパンくる疾走感。で、ソロをスケールや和声で縛りすぎずに泳がせるから、各ソロイストの疾走感がハンパでない。こうなると大概は構造が失われていくもんなんですが、ここでモダン・ビッグバンドの本領発揮!音楽をグイグイ作りあげていきます。この曲を聴くと、爽快感と、モダンなサウンドの格好良さと、ほんの少しのアーティスティックな探求と、こういうものに魅せられて、いつも感激してしまいます。2曲目「フラミンゴ」も見事。スロー曲なんですが、これも実に素晴らしい構造、素晴らしいサウンド!そして脅威的なのは5曲目「SUNKEN TREASURE」。…よくぞこんな和声を、こんなアレンジを作り出したものです。芸術的な感動を覚えてしまい、背筋がゾワッと来てしまった事を覚えています。

 ビッグバンドの中にも、モダン・ビッグバンドという区分けがある事を、この作品を通して初めて知りました。で、大名盤扱いのこのCDですが、ジャズ好きの友人の中でも、意外と聞いている人が少なかったです。理由は、僕と同じなんじゃないでしょうか。しかし、これほどの音楽を、聞き逃してはあまりに勿体ない。商業音楽一辺倒に傾いていく中で、音楽家が芸術的探究を続けた先に辿り着いた、本当に見事な音楽と思います。。



『LOU REED / BERLIN』

LouReed_Berlin.jpg いくつか前の記事で、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドはルー・リードが詞と曲を作って、ジョン・ケイルがアレンジを完成させてたんじゃないか、みたいな事を書きました。あの強烈なアレンジですから、ピアノもベースもヴィオラも弾きこなして、またそれでアレンジを完成させちゃうジョン・ケイルがベルベッツの影の主役で、リアル・ミュージシャンだと思っていました。でも、ヴェルベッツ解散後のアルバムを聴き比べると…どういうわけか、ルー・リードの方が面白い。これって、ルー・リードがアーティストで、ジョン・ケイルは職人だった、という事なのかもしれません。

 で、ルー・リードのアルバムで一番好きなのが、これ。アルバム1枚でひとつの物語になっています。ベルリンで生きている娼婦の物語。キャバレーのビッグバンドみたいなモンタージュから始まって、沈み込むような陰鬱なピア弾き語り。以後も、ギター弾き語りとか、バンド曲とか、色々入ってるんですが、これが全部一貫性があって、また実に良い曲がいくつもある。CDを聴いている間、他の人の人生を生きているような気分になります。なんというのか、純粋詩を曲つきで聴いている気分。で、その詩が連作で、まとまるとひとつの物語になっている、みたいな。いや、本当に素晴らしいですよ、これは。

 このCD、中学生の頃、ヴェルベッツが良かったので、ルー・リードの作品というのも聴いてみたいな、と思って、レンタルCD屋で借りたのでした。本当は『トランスフォーマー』みたいなタイトルのCD目当てだったんですが、それがレンタル中で、あるもので良いや、と思って借りたら、この素晴らしさ。で、後に『トランスフォーマー』も聴いたんですが、こちらのCDの方が全然良かった。あの時、目当てのCDが貸し出し中でなかったら、僕はこの大名作を一生聴いていなかったことになります。音楽との出会いって、何がきっかけになるか分かりませんね。




たまたまあった彼の作品がこれしかなくって、

『NICO / MARBLE INDEX』

Nico_MarbleIndex.jpg さて、ひとつ前の記事でボロクソに書いたヴェルヴェッツと共演したアランドロンの奥さん女優というのが、この人。女優と言いつつ、歌手としてCDをけっこうたくさん出しています。で、いつまでたっても歌がヘタなんですが(SMAP以下です。いや、マジで…)、音楽性はヴェルヴェッツに影響されたのか、けっこうダークな感じなものもあります。このアルバムは、中でも格別の出来で、歌は兎も角、音楽が素晴らしすぎて愛聴盤になってしまいました。アヴァンギャルドでポップ、曲の作り込みが見事で、聴いていてため息が出てしまうほどすばらしい。メリーゴーランドで鳴っているようなマーチングベルのような音を背景に、3拍子でふわふわした音楽の上に、アコーディオンで半音程の反復が重なり、心地よい音楽と不穏な音楽が同時進行し、何とも言えない幻想的な曲が始まる。2曲目では、ヴィオラと歌。…なんという独創性。大量生産システムの中にあるポップスでは、絶対に作れない音楽です。


 で、クレジットを見ると、ディレクションや作曲を行っているのが、ジョン・ケイル。ヴェルベット・アンダーグラウンドの音楽の中心人物です。なるほど、これで納得。音楽そのものだけを見れば、ジョン・ケイルのアルバムというわけですね。このアルバム、本当におススメです。

 ちょっと注意しなくてはならない事が。このアルバムは、ジョン・ケイルというプロフェッショナルの作った見事な作品として、間違いなくおススメできます。しかしじゃあジョン・ケイルのアルバムがみんな良いかというと…そうでもないんですね、これが。ヴェルヴェッツにハマった後、ヴェルヴェッツの音楽の中心人物はジョン・ケイルだと思い、彼の『VINTAGE VIOLENCE』というアルバムを買ったところ、これが単なるロックンロールみたいなもので、しかも曲も演奏もクズ。なんか、ヴェルヴェッツをパンクな視点から捉えたディレクターがいて、そういうのをやらせたんでしょうか。ダメダメです。他に、ケイルのピアノ作品だけを集めた作品なんていうのもあって、フレデリック・ジェフスキーみたいな感じになるのかな、なんて聞いてみたんですが…音大の学生が頑張って卒業記念に作りました、みたいなレベル。こんなの作るなよ。。あと、ジョン・ケイルがディレクターのニコの作品で、『チェルシーガール』というのもあるんですが、これもレコード会社の意向を受けて作ったやっつけ仕事みたいな、ただのポピュラー・アルバム。

 というわけで、この作品だけ、どういうわけかケイルの作品でちょっと特別にいいのです。あ、あと、ジョン・ケイルが関わっているかどうかは分からないけど、『NICO / THE END』というアルバムは、ポピュラーを全曲ドローンにしてしまうという、かなり面白いアルバムでした。でも、このアルバムの神がかった完成度には到底及びませんが。。




『THE VELVET UNDERGROUND & NICO』

VelvetUnderground_1st.jpg さて、前の記事で書いた、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのデビューアルバムです。しかしこのアルバム、美術家であるアンディー・ウォーホールのアート作品絡みで世に出たものらしく、彼のショーでモデルをしたアラン・ドロンの奥さんをヴォーカルにするように強いられたりとか、音楽の事を美術的な視点でしか理解できないディレクションを強いられたりとか、そういう企画ものというハンデを抱えながら制作されたという、こと音楽に関しては不幸なアルバムに思えます。しかし、バンド側が、ウォーホールという現代アートの巨匠のネームバリューを利用したという事も事実で、単に音楽だけに留まらせることなく、トータルな芸術(といってもポップアートなので、芸術といってもニュアンスが若干異なるかも)の一側面として音楽を活用するというのも、それはそれで良い事だと思います。が、レコードになっちゃうと、やっぱり音楽として聴いてしまいますよねえ。

 ええと、何が言いたいのかというと、このレコードを聴いていると、そういう虚の部分と実の部分がどちらも聞こえてきてしまう、という事なのです。で、それが曲によって露骨に色分けされている。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドというバンド名は、SM雑誌から取られたそうです。音楽は、アメリカン・オールディーズみたいな曲を書きながらビート詩人のような詩を書くルー・リードが曲を書き、現代音楽の勉強をしていた筋金入りの音楽家であるジョン・ケイルがそれをアレンジしてアヴァンギャルド・ポップを作るという形で作られたように聞こえる。で、彼らにしか出来そうにない音楽が生まれた瞬間というのは、すべてこの構図の中にある。このアルバムでいうと、「ヘロイン」「ヨーロピアン・サン」「黒い天使の死の歌」「毛皮のヴィーナス」の4曲。このアルバムでは、この4曲だけが、バンドの本質を捉えていたのではないかと。「ヘロイン」なんかは、ヴィオラをドローンとして使い、曲はコーラスごとにアッチェルしては元テンポに戻すという構造。これは格好いい。
 しかし残りの曲は、ディレクターの意向に引っ張られていたり、女優のバックバンドに徹していたり。…それでも、バンドもタダでは終わりません。いかに古き良き50’sみたいな爽やかな冒頭曲「サンデー・モーニング」も、歌も最後にはリヴァーブまみれにされて遥か彼方に消えていきます。ディレクターや女優の機嫌を損ねないようにしながら、見えないように自分たちの意図を仕込んだと考えるのが自然でしょう。

 こういう構図に気づけるかどうかで、このアルバムの評価は大きく変わってくるんじゃないかと思います。僕は、例の4曲ばかりを聴いていました。それが分かり易い聴き方だと思いますが、裏側から音楽を聴けるようになってきたら、他の曲も楽しめるようになると思います。他の曲を字面通りに読んでいるうちは、ヴェルヴェット地の底(アンダーグラウンド)に隠された、本当の意味は分かりません。…こういう屈折した読み時を楽しむ人なんかには、間違いなくおススメできるアルバムです(^^)。


『THE VELVET UNDERGROUND / WHITE LIGHT, WHITE HEAT』

VelvetUnderground_White.jpg ニューヨーク・アヴァンギャルドとでもいうべきか、商音楽として産声をあげたロックが行為する思想として成立した最初の瞬間というか、これを最初に聴いた時の衝撃といったら、ありませんでした。

 ヴェルヴェット・アンダーグラウンドといって有名なのは、あのバナナのジャケットのファーストアルバム。あれもいいアルバムだとは思うんですが、もしあれを聴いて、ヴェルヴェットのこのアルバムを聴いていないとしたら、それはあまりに勿体ないと思います。あれは、アンディ・ウォホールという美術家の企画に嵌められて、ヴェルヴェッツの凄さは半分しか出ていないという感じ。しかし、このアルバムは違います。こんな音楽、ロックでなくてはありえなかったんじゃないかと思います。

 ヴァイオリンもギターもベースも、アンプを最大のヴォリュームにして演奏したという事で、ものすごい歪みまくり。スタジオ録音なのに、音が割れちゃってます。アメリカの精神的暗部が全開です。しかしこれ、日本の頭の弱そうなアングラ系の人がやっているような、理性も芸も能もない感じではなくて、コンセプトはものすごく見えているし、これほど暴力的でありながら、実に知的に聞こえる。ジョン・ケイルというメンバーが、現代音楽の作曲を学んでいる人なんですね。で、これがセリーとかの頭でっかち系の音楽ではなくて、完全なアヴァンギャルド。例えば、2曲目「Lady Dodiva's Operation」は、左チャンネルが完全な物語の朗読、右チャンネルがワンノートのアドリブ・インプロヴィゼーション。この場合、完全にオーバーロードさせてしまうこと自体が、既に作曲の範疇にあるという事なんだと思います。それは、ひとつの思想として成り立っているというか、クラシックやジャズがどんどん無意識のうちに型にはまっていく中で、明らかにそういうものを視野に入れた上で壊しに行く。しかも、最も暴力的な方法で。

 う~ん、これは素晴らしい。中学生の時にこの音楽に出会えて、本当に良かったです。人間って、物を理解しやすくするために自分の中に理解の枠を作っていく事が重要なんだと思うのですが、それと同じぐらいに重要な事は、それが凝り固まった意固地なものにならないように、常にその外にあるものというものを捉えて、それを壊していく必要があると思うのです。僕は、例えばブラームスのヴァイオリンソナタを良いと思えない人は、相当に音楽的センスがないと思ってしまいます。しかし、ブラームスとかベートーヴェンこそが至上で、あるいはマイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスこそが至上で、ヴェルヴェッツのような音楽はダメだという人は、やっぱりものすごく貧しい感性の人だと思ってしまいます。その両方を含んだところにあるもの、それが音楽だと僕は思うのです。ヴェルヴェッツは「アンダーグラウンド」であって、そのオーヴァーグラウンドにあるものを明らかに把握したうえで、このサウンドを吐き出しているのだと思います。暴力という知的な思想音楽。




『琵琶 (超絶のサウンド・シリーズ9)』

ChouzetuSoundBiwa.jpg タイトルがあまりにゾンザイすぎてどういうCDだか全然わかりませんが(^^;)、これは薩摩琵琶系の琵琶奏者・田中之雄さんという人のCDという事でいいと思います。田中之雄さんという人は、ノーヴェンバー・ステップスでも琵琶を弾いていた薩摩琵琶の革命家・鶴田錦糸さんの直弟子だそうです。

 で、このCDには曲が3曲入っているのですが、このバランスがもの凄く良いです。
 1曲目が、琵琶と笛のデュオ。幽玄です。これは素晴らしい。もう、耳なし芳一の世界というか、深さの中になにかおどろおどろしいものすら感じてしまいます。
 2曲目は琵琶で一番オーソドックスなフォーマットである、琵琶の弾き語り。しかし、詞の内容が源平合戦ではなく、明智光秀の重臣の物語というのがマニアックすぎ渋い。日本の琵琶の弾き語りを聴いていていつも思うのは、どれも音楽は全部同じで、テキストだけ違うんじゃないかという事。これは、浪曲の前弾きなんかにも同じようなものを感じます。アメリカの古いブルースなんかも似たような感じがありますが、日本の語り物は、それ以上に同じに感じます。が、本当のところはどうなんだろう。外人の顔が同じに見えるのに似ていて、分かってくると実は違うとか、そんな事があるのかなあ。しかし、これがいい。序破急というか、起承転結というか、ものすごく重いところから始まって、物語のクライマックスでは畳み掛けるようにベンベン来ます。これ、津軽三味線よりすごいんじゃないか?!少なくとも、音が太い分、三味線よりえらい迫力があります。
 3曲目は、前の2曲に比べると現代曲風というか、新たな描き下ろしという感じじゃないかと思います。琵琶が2台に尺八という編成。尺八と琵琶の相性の良さといったらないと思うんですが、特にこの曲でのキーは2台目の琵琶。ずっと弦をこすって、アンビエントのようなドローンのような効果を出し続けます。これがモードのように機能して、点画的な世界になりがちな尺八や琵琶の音楽が、和声音楽のように聞こえてきます。で、重い間を縫って尺八が「ブウォオオオン…」、琵琶が「ズビャアアアン…」。。これは格好いい。残念なのは、最後にエンジニアが余計な事をして、リヴァーブをいっぱいかけてヘタな演出をしている事。せっかくの素晴らしい器楽曲に余計な事を。。

 本当に素晴らしいCDだと思うのですが、残念なことに、今となっては入手困難のようです。でも、中古で出さえすれば、500円とかで買えると思うので、見つけたら即買いだと思います!


『日本の伝統音楽 琵琶~哀・吟遊』

biwa_AiGinyuu.jpg 日本の伝統音楽を純邦楽なんて呼びます。純邦楽というと、なんだか一種の芸術音楽みたいに感じてしまいますが、その中心にあるのは三味線とか琴みたいな江戸時代の音楽で、けっこう大衆音楽の趣の強い。そんな純邦楽の中で、「これはすごいな」と思わされた音楽が3つあります。ひとつは能楽、ひとつは尺八、そしてもうひとつが琵琶です。いずれも、ちょっと大衆音楽ではない、独特の精神性という背景を持っています。能なんて、神様に捧げられていますしね。

 琵琶はアジア一帯に広がっている楽器ですが、日本の琵琶はかなり独特な音楽性を持っています。もともとは他のアジア地域の琵琶楽と似た音楽だったのでしょうが、これが盲僧琵琶という日本の盲いた僧侶が吟遊していた音楽以降、かなりヤバい感じの音楽になったみたいです。今の中国の琵琶を聴くと、フレットはたくさんあるし、ものすごい速いトレモロなど、えらくテクニカル。ところが、日本の琵琶はその真逆で、フレット数はどんどん減り、音数も少なくなり、しかしその1激の音がもの凄い。「ギュジャ~~~~ンン…」という感じです。1音だけでものすごい説得力のある楽器というのは、南アジアの方にあるシタール系の楽器とか、バスクラリネットとか、僕の中では数えるほどしかありません。で、日本の琵琶は、そんな中でもナンバーワンの物凄さなんじゃないかと。

 しかし、ひとことで日本の琵琶音楽といっても、種類が色々あるみたいです。先ほどの盲僧琵琶なんて言うのは、それこそ源平合戦の後とかに僧侶が全国を渡り歩きながら流したものなので、今では聞くことが出来ないんだと思います。他にも、平家琵琶なんていうのもあって、これもほぼ絶滅状態だったと思います。というわけで、今残っている日本琵琶の流れは、大きく分けて筑前琵琶と薩摩琵琶のふたつ。で、薩摩琵琶の方は薩摩の武士が修練のために演奏したなんていう歴史的な過程もあるらしくって、それだけに豪壮。楽器自体の大きさも全然違くって、薩摩琵琶の方が大きく、音自体もものすごく野太いです。武満徹の「ノーヴェンバー・ステップス」なんかで使われているのが、薩摩琵琶ですね。筑前琵琶は、薩摩琵琶に比べると小ぶりで、三味線の太棹により近づく感じ。

 で、このCDの何がいいかというと、平家琵琶、筑前琵琶、薩摩琵琶のすべての演奏が入っているところです。たぶん、既発のCDのオムニバスなんじゃないかと思います。で、単なる寄せ集めじゃなくって、みな素晴らしい演奏です。日本に生まれて、琵琶音楽を聴かないのはもったいない。これほどのサウンド、他の世界ではちょっと聞く事の出来ない迫力の音楽です!


『ジョージ・クラム / 幼子たちの古えの声、マクロコスモスⅢ』

Crumb_AncientVoices.jpg クロノス・カルテットの吹き込んだクラムの「ブラック・エンジェルズ」を聴いて、アヴァンギャルドにハマりました。もともとフリージャズや現代音楽も大好きだったので、必然といえば必然だったかもしれません。で、クラムのCDはお金を貯めては片っ端から聴いていきました。レンタルCDにあるような作曲家でなかったのは当然ですが、輸入盤でも探すのに苦労しました。で、日本盤も出ていたこのCDは、比較的手に入れやすかったです。

 このCDには、「Ancient Voices of Children」という曲と、「Makrocosmos Ⅲ」という2曲が入っています。前者は、ガルシア・ロルカのテキストに、チェンバー・サンサンブル、ソプラノ、ボーイソプラノという編成。で、綿密に書きこまれたアヴァンギャルドです。カッコよすぎる。。これは必聴です!
 そして、もうひとつの「マクロコスモスⅢ」です。マクロコスモスというのは、クラムが書き続けたピアノ曲です。僕は、4番までは知っているのですが、それ以降はあるのかどうかも分かりません。で、4番は楽譜を手に入れて弾いた事があるのですが(ふたりで弾きました)…内部奏法バリバリで、しかも図形譜とかそんないい加減なものではなくて、綿密に指定があるものだから、死ぬほど大変。ピアノの内部奏法って、ピアノの弦を指で直接触って弾くんですが、あれだけ弦があると、どの弦がどの音だかわからねえ(^^;)。。で、ピアノの弦に「ドは赤…」みたいにして色の紐をつけて弾いたんですが、あれは地獄でした。2度と弾きたくないと思ったんですが、しかしいい曲すぎて弾かずにいられなかったのです。で、このCDに入っているのは第3番。これがまた格好いい!!3番は2台ピアノに、ふたりの打楽器。いま、現代音楽のピアノ曲の作曲の分野では、内部奏法というのはもう忘れ去られているというか、違う所にテーマが移ってると思います。しかし、普通の鍵盤による音と合わせて内部奏法を使えると、ものすごい色彩感覚になるのです。手を突っ込んでメチャクチャやるだけの人は嫌いですが(^^)、クラムは凶暴さと理性が同居している感じで、実に格好いいのです!

 この音楽、もし気に入ったら楽譜も入手する事をおススメします!聴いているだけでは把握しきれなかった音楽の構造が、これでもかとばかりに見えてくると思います。なるほど、こういうことだったのか、みたいな。まさに、マクロコスモス(ピアノの内なる宇宙)でした!




『KRONOS QUARTET / BLACK ANGELS』

KronosQuartet_BlackAngels.jpg クロノス・カルテットは、現代曲を専門に演奏する弦楽四重奏団。僕が高校生の頃、小遣いが貯まると近所のレコード屋に足繁く通ってハードな音楽のCDを買いあさっていたのですが、そのよく行く店の店長さんから「クロノス・クァルテットって、知ってる?」と教えてもらいました。どんな音楽なのか訊くと「う~ん…すごいアヴァンギャルドなんだよ」という事。で、店長さん、新品の封を切って(^^)、僕に聴かせてくれたのがこの『ブラック・エンジェルズ』。…啞然。凄すぎて、声も出ない。。もう、ぶっ飛びました。で、即買ったのですが、あれ、買わなかったら、封を開けたまま新品として売り続けてたんだろうか?

 白眉は、なんといっても1曲目のジョージ・クラム曲「ブラック・エンジェルズ」です!冒頭のヴァイオリンの気狂いじみたトレモロ、急転直下のメゾピアノの後に奏者自らが囁く声のピチカート…素晴らしいとしか言いようのない体験でした。クラムという作曲家を知ったのは、この時が初めて。あまりの衝撃に、クラムの音楽は追いかけまくる事になりました。。
 また、アルバム全体のバランスもいい。他にも、チャールズ・アイヴスというアメリカの前衛の走りみたいな作曲家の曲とか、ショスタコーヴィチの曲とか、なかなかセンスのいい選曲をしています。大アバンギャルドの直後に、旧約聖書の外伝のラテン語テキストから作られたタリスの40声部のモテットのアレンジ版を持ってくるというのもカッコいい。中にはひどい外れもあって、デジタルシンセのプリセット音と、リズムマシンのこれまたプリセット音をそのまま使った曲なんかも入っています((>_<)。クラシックの人は、こういう事を恥ずかしいと思わない所がダメですね。まあこれは愛嬌という事で。

 もしかすると、本物のアヴァンギャルドに触れたのは、この時が初めてだったかもしれません。アヴァンギャルドというと、ただ単にノイズだったり、ろくに音楽が出来ない人のハッタリの方便だったりと、そういうマイナスイメージも少なからず持っているんですが、しかし理性も身体性も兼ね備えた本物のアヴァンギャルドというのは、ものすごい。クロノス・カルテットも、ジミヘンの曲をやって見たり(これが格好良ければいいんですけど、すげえつまんない)、けっこう商売っ気あることをやっちゃったり、なんというかクラシック系の人特有の空気の読めなさ加減を披露しちゃう楽団でもあるんですが、ことアヴァンギャルドものの演奏に関しては本物と思います。特にこのCDは、初期の頃のクロノスの中では、商売っ気を抜きに音楽に取り組んだ、入魂の1作と思います!



プロフィール

Bach Bach

Author:Bach Bach
神戸住まい、奥さんとネコと暮らす音楽好きです(ノ^-^)ノ
音大は卒業したのですが、成績はトホホ状態でした(*゚ー゚)

ずっとつきあってきたCDやビデオの備忘録をつけようと思い、ブログをはじめてみました。
プロでも評論家でもありませんので、たいした事は書けないかも知れませんが、いい音楽、いい映画、いい本などを探している方の参考にでもなれば、大変嬉しく思います(ノ^-^)ノ

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少し前に取りあげたエリザベス・コットンですが、ライブ盤なんてあるのか?!これは聴きたい… オスマン時代から現代までのトルコ音楽のガイド本みたいです。おおお~、これは絶対に読もう!! レコ芸に載っていた近藤譲さんの新譜、室内楽作品集みたい。好きな作曲家なんで聴きたいんですが、持っている2枚のALM盤と4曲かぶってるので悩み中… 楽器屋で演奏してみたら、木製鍵盤で、タッチがけっこう本物のピアノに近かった!うちにあるアップライトがけっこうヤバいので、フルメンテして貰うか、こういうので間に合わせようか大いに悩み中。
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