
ニューヨーク・アヴァンギャルドとでもいうべきか、商音楽として産声をあげたロックが行為する思想として成立した最初の瞬間というか、これを最初に聴いた時の衝撃といったら、ありませんでした。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドといって有名なのは、あのバナナのジャケットのファーストアルバム。あれもいいアルバムだとは思うんですが、もしあれを聴いて、ヴェルヴェットのこのアルバムを聴いていないとしたら、それはあまりに勿体ないと思います。あれは、アンディ・ウォホールという美術家の企画に嵌められて、ヴェルヴェッツの凄さは半分しか出ていないという感じ。しかし、このアルバムは違います。こんな音楽、ロックでなくてはありえなかったんじゃないかと思います。
ヴァイオリンもギターもベースも、アンプを最大のヴォリュームにして演奏したという事で、ものすごい歪みまくり。スタジオ録音なのに、音が割れちゃってます。アメリカの精神的暗部が全開です。しかしこれ、日本の頭の弱そうなアングラ系の人がやっているような、理性も芸も能もない感じではなくて、コンセプトはものすごく見えているし、これほど暴力的でありながら、実に知的に聞こえる。ジョン・ケイルというメンバーが、現代音楽の作曲を学んでいる人なんですね。で、これがセリーとかの頭でっかち系の音楽ではなくて、完全なアヴァンギャルド。例えば、2曲目「Lady Dodiva's Operation」は、左チャンネルが完全な物語の朗読、右チャンネルがワンノートのアドリブ・インプロヴィゼーション。この場合、完全にオーバーロードさせてしまうこと自体が、既に作曲の範疇にあるという事なんだと思います。それは、ひとつの思想として成り立っているというか、クラシックやジャズがどんどん無意識のうちに型にはまっていく中で、明らかにそういうものを視野に入れた上で壊しに行く。しかも、最も暴力的な方法で。
う~ん、これは素晴らしい。中学生の時にこの音楽に出会えて、本当に良かったです。人間って、物を理解しやすくするために自分の中に理解の枠を作っていく事が重要なんだと思うのですが、それと同じぐらいに重要な事は、それが凝り固まった意固地なものにならないように、常にその外にあるものというものを捉えて、それを壊していく必要があると思うのです。僕は、例えばブラームスのヴァイオリンソナタを良いと思えない人は、相当に音楽的センスがないと思ってしまいます。しかし、ブラームスとかベートーヴェンこそが至上で、あるいはマイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスこそが至上で、ヴェルヴェッツのような音楽はダメだという人は、やっぱりものすごく貧しい感性の人だと思ってしまいます。その両方を含んだところにあるもの、それが音楽だと僕は思うのです。ヴェルヴェッツは「アンダーグラウンド」であって、そのオーヴァーグラウンドにあるものを明らかに把握したうえで、このサウンドを吐き出しているのだと思います。暴力という知的な思想音楽。
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