
90年代半ば、「ビジュアル系」とう言葉がありました。日本のメタル系のバンドの流れで、髪を染めてメイクして、客層は女子の中高生で…みたいな感じ。LUNA SEA とか黒夢は、名の知れた存在だったと思います。その頃の私は、年齢的にもそういうものはとっくに通過してしまっている頃。いわんや女相手のビジュアル系なんて、ルックス先行の色物で、プレイも曲も稚拙すぎで子供だましだよな…と思ってました。まあ、これはあながち的外れとは思いませんが。
そんなときに、仕事の関係で、新宿の某ライブハウス(と言ってもキャパがでかい!)で行われていたビジュアル系バンドのイベントに行くことになりました。…いやいや、これは馬鹿に出来ないと思いました。名前も知らないようなバンドばかりだというのに、どれだけリハーサルを積んできたかが分かります。いろいろとダメな所はあるんですよ。僕ですら名前を知っているようなバンドですら、メジャーコードとマイナーコードの違いすら分かってなかったり、技術的にも致命的な問題点があったり。しかし、そういう些末事は置いておいて、口先だけでなく、本気でぶつかってきているのが分かるのです。決めの多い曲でも、全員バッチリ合わせてくる。この何とか伝えようとする情熱がアツい。客層は女子高生が殆どでしたが、彼女たちが狂うのも分かる気がしました。こういう熱気の塊みたいなものを生でぶつけられたら魅せられて当然と思いました。
その時に、僕が認識を改めた点がもうひとつあります。音楽面を除いても、ビジュアル系は「軟派」「軟弱」というイメージでした。ところが、いやいやどうして、これはリアルなアンダーグラウンド文化だと思いました。ほら、人間って社会的動物という側面があるじゃないですか。社会である以上、そこにはルールもモラルもある。ところが、それは理屈の上では分かっていても、本能的な欲求とか感情という部分がそれに折り合いがつかなかったりすることもある。あるいは社会というものが持っている制度的な部分もある。この制度というものに対してどうにも息苦しくてたまらなくなってしまう時がある。ここに折り合いをつけていくのが大人になる道だと思うのですが、その折り合いのつけ方のカッコ悪い大人を見ていると、唾棄したくなる。う~ん、えらく決めつけた物言いではありますが(笑)、カウンターカルチャーの原理というのは、こういうものだと思うんですよ。こういう局面で重要な役割を果たす道具として、音楽というものは昔から使われてきたんじゃないかと思います。で、ビジュアル系という音楽は、見事にその役割を果たしている。AKBやジャニーズを追っかける若者より、夜の街をふらついて、大音量のライブハウスに行って…という若い子の方が、飼いならされていない分、センスとしては健常だと思いませんか?まあ、これは受け止め方の問題だと思いますが。。
結局、僕が何となく耳にしていた「ビジュアル系」は、メジャーレコード会社とかの検閲を通過して、また本人たちもいつの間にか牙を抜かれて、形だけが残ったものだったんじゃないかと。実際には、バンドマンは女を狂わせ貢がせ、オーバーグラウンドでは咎められてしまう部分を吐き出して…。ここに強い存在意義があったんじゃないかと思うのです。で、黒夢というのは、この大事な部分をメジャーデビュー後も保ったレアなケースだたんじゃないかと。
このアルバムに、「DRIVE」という曲が入ってます。「君を犯したい」「マゾの見分け方」みたいな詞が出てきます。いや、これを批判する人の気持ちは分かるし、それは正常というものだと思うのですが、しかしこのバンドのファンの多くが若い女性だったという事も事実です。で、黒夢ですが、以前はどうなのか知りませんが、この段階ではヴォーカルとベースだけで、あとはスタジオミュージシャンにサポートしてもらってます。エンジニアもまさにプロで、サウンドメイクが実に見事。これは、アマチュアには無理でしょう。こうしたプロダクションも素晴らしかったのかもしれません。ビジュアル系の大事な部分を本人たちが守り、ビジュアル系に足りなかった部分をプロが作る。「DRIVE」に限らず、アルバム全体の曲もサウンドも、それ以上にコアな部分にあるこの音楽の意味というものが実にしっかりしている。これこそが、カウンターカルチャーとしてのロックというものではないかと思うのです。この役回りは、クラシックやジャズでは演じることは出来ない。
ビジュアル系というだけで敬遠している人は少なくないと思います。まして、20代を過ぎてしまえば、今からこれを聴く人などありえないかもしれません。しかし、ここにあるものは本当に素晴らしい。ぜひ一度は耳にしてほしいと思う「ロック」そのもの。ロックという言葉すら邪魔かもしれない。
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