
セシル・テイラーの1990年のカルテットによる音楽です。まず、メンバーが凄い。セシル、テイラー(ピアノ)に、エヴァン・パーカー(サックス)、バリー・ガイ(ベース)、トニー・オックスリー(ドラム)。いや、もうこのメンバーである時点で、ある程度以上のクオリティは保証されたようなものですが、これが予想を上回るほどの良さです。まず、セシル・テイラーの音楽の狙っているところを、バンドが理解している。これ自体がなかなか無い事で、伝統的な西洋音楽の音楽構造&前衛的な和声&これを即興で実現させる&演奏のテンションもハイレベルに保つ…口でいうと簡単ですが、これを実現できるという時点で、もうプレイヤーが限られてくる気がします。そして、セシル・テイラーとエヴァン・パーカーの演奏のテンションがものすごい!
エヴァン・パーカーというサクソフォニストは、フリー・インプロヴィゼーションの世界では超有名な人。ノンブレスでの循環呼吸奏法(鼻で息を吸いながら口から息を出し続ける奏法で、だから息継ぎなしで延々音を出し続ける事の出来る奏法)とか、普通のアンサンブルでは使いにくいような色々な奏法を駆使しながら、かなり変わった音楽をやっている人なんですが、僕はこの人の音楽があんまり好きじゃない…のですが、このCDでの演奏はもの凄かった!!もしかすると、このバンドではバンドマスターの音楽の方向性を最も理解できてないんじゃないかという気がしますが(^^;)、ここではリーダーや他のメンバーがそれを逆手にとって、パーカーにはバンドの熱っぽい部分を表現してもらう役回りを与えて、勝手にやらせてます。これが良い方に出た感じです。
あと、90年のライブという所にも注目です。セシル・テイラーって、50年代からアメリカのジャズ・シーンで活躍していますよね。しかも、その中ではかなり先鋭的というか、芸術的な方面のトップランナーとして。でもアメリカって、実際に行ってみると、都市部であってもかなり保守的です。ニューヨークなんかも芸術の街みたいに思えて、実際にジャズのライブハウスに行くと、スタンダードとか、そんなのばっかり。ましてや田舎に行くと、ジャズどころじゃないぐらいに保守的。70年代末ぐらいになると、もうセシル・テイラーのような前衛芸術のような方面に伸びていく人には生きにくい国だったんじゃないかと思います。で、60年代とか、良くて70年代ぐらいを最後に、テイラーの音楽はアメリカでの居場所を失ったんじゃないかと。その頃、テイラーの音楽を理解できたのは、ヨーロッパだったんじゃないかと。ヨーロッパって、知的なものを受け入れる文化が浸透しているし、また聴衆もそれだけの耳に育っている地域である気がします。このCDはドイツのFMPというレーベルからリリースされているんですが、FMPはセシル・テイラーのCDをかなりたくさん出しています。これが玉石混合で、お粗末で状態の悪いセッションも片っ端から出してみたり、歴史的名演といってよいぐらいのものも出してみたりで、買う側としては翻弄されっぱなしです(笑)。で、これはその中でも大当たりの1枚。要するに、70年代以降のテイラーの音楽がつまらなくなったわけではなくて、あのダメダメな80年代以降のアメリカ音楽シーンの中に、テイラーの生きる場所がなかったというだけの事なんだと思います。
それにしても、このCDはいい!セシル・テイラーの音楽を聴くとき、僕はたいがいその作曲センスと演奏のバランスの見事さに感服してしまう事が多く、ハイテンション一本槍の演奏のものは好きじゃないんですが、これは例外で、デザインは最低限にとどめた上で演奏を活かしきったもの凄いパフォーマンスと思います。マジで凄い。。大おススメです!が…手に入れにくいかも。
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