
ひとつ前の記事で、ジャクソン5のバンドを音を「バタバタして泥臭い」みたいな事を書きましたが、それって70年代の日本のロックバンドもそっくりなんですよね。ドラムでいえば、スネアはローチューニングでキックはミュートしまくり。ギターはなんかまだビートルズに毛の生えた程度のミャンミャンした音しか出ない、みたいな。そういう色の部分だけじゃなくって、ミュージシャン自体もそんなにうまくない。
その頃、日本の歌謡曲は、テレビの歌番組のバックバンドにもロックバンドが入り込んできていて、ジャズのビッグバンドとロックのリズムセクションの混在になっていたように思います。沢田研二やピンクレディーが「8時だよ!全員集合」みたいな生演奏の番組で歌を歌う時も、耳につくのはロックの8ビート、ギターサウンド、そしてブラスセクション、という感じだった気がします。じゃあその日本の黎明期のロックバンドのミュージシャンって、どうやって音楽を学んでいたのでしょうか。なんといったって黎明期なので、専門学校や教室みたいなものがあったとは思えないし、みんな独学だったんじゃないかなあ。だから、約束されたプロフェッショナルな技術体系も業界構造も無いも同然で、全員アマチュア。そんな人たちがライブハウスに出て必死にやってたんじゃないかなあ。70年代前半ごろだと、ロックのライブハウスがけっこうたくさんあった街って、関東でいえば東京と横浜のふたつぐらいしかなかったそうです。
そんな中で、横浜で実力ナンバーワンみたいに言われていたバンドがゴールデンカップスだったそうです。ゴールデンカップスはレコード会社からデビューもしているし、レコード産業的にはグループサウンズという歌謡音楽を彼らに歌わせていたのですが、ことライブとなるとレコードと全然違って、洋楽のロックのカバーとかばっかりをやっているハードなパフォーマンスだったそうです。僕もライブ盤を聴いたことがあるんですけど、えらいロックで、しかも巧くてびっくりした事があります。で、柳ジョージというのは、ゴールデンカップスに途中から参加した人だったと記憶してます。でも、年齢がひとりだけ若くって、ギターがうまいのにベースを弾かされたとか何とか(^^;)。
さて、何を言いたかったかというと、柳ジョージ&レイニーウッドというバンドの音楽には、これらの要素の匂いがプンプンするのです。70年代のバンドのバタバタ感、横浜という町の情緒はあるけど垢抜けない感じ、独学で楽器を覚えた感…。今聴いても、やっぱり垢抜けないし、古臭く、暑苦しいんですよね。でも、それがすごくいい感じを出しているというか、いい意味で時代や地域性や文化を感じさせるのです。柳ジョージって、センスが良くって二枚目で…というタイプではありません。むしろ、ちょっと古臭いセンスをしていて三枚目。都市部に出て来た田舎者という感じすらします。ただ、ギターはストラト弾いてるクラプトンそっくりで、横浜のバンド周辺では「ちょっと冴えないやつだけど、ギターはうまいな」みたいに言われてたんじゃないかという気がします。そして、その冴えない感じが凄くいいんです。ダサカッコいいという感じ。レイニーウッドの持ち曲に「遺言」という曲があります。「俺がいつか死んだら、亡骸を小さな船に乗せて、生まれたこの町の港から…」みたいな歌い出しで始まります。お世辞にも格好いいヤツが吐くセリフではないですよね。しかし、なんかそういうところが、洗練されない事の良さ、みたいに僕には感じられてしまうのです。
音楽的には、バンドブルースやってる時のクラプトンとか、それこそジャクソン5なんかのソウル系の音楽とかに、黎明期の日本のロックバンドのバタバタした感じが混じっている感じ。さて、柳ジョージ&レイニーウッドのアルバムというのを全部聴いてきたわけではありませんが、曲としては
「雨に泣いてる」「同じ時代に」「時は流れて」「遺言」「FENCEの向こうのアメリカ」という曲が僕は好きです。どれもベスト盤に入っていたり、ライブの常連ナンバーだったりするのですが、この全部が入っているCDというのが無い(;;)。組み合わせの問題ですね。。ここでは、「柳ジョージです。が、頑張ります!」みたいに緊張しまくりのMCをしている、しかし演奏の白熱度がすこぶる高い、ライブ盤を紹介しておきます。しかし、これだと「遺言」が聴けなかったりする(^^;)。
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