
これも無知で申し訳ないのですが、クレジットが途中から”柳ジョージ&レイニーウッド”ではなくて”柳ジョージ”になったので、バンドは解散し、途中からはピンでの活動という形になったんじゃないかと思います。で、ピンになってからの柳ジョージのベスト盤です。でも、この後も活動は続いたので、ある時点までのベストという感じでしょうか。
柳ジョージが横浜のゴールデンカップスからキャリアをスタートさせたことは前の記事で書きましたが、この横浜という町は、柳ジョージにとって大きな帰属意識を覚えるものとしてあったように思います。矢沢永吉さんなんかも横浜には特別な感慨があるらしいですよね。僕は若い頃にバンド活動をしていたのですが、ライブで横浜の方に行くと、町は綺麗なんだけど人は少ないし、店は古いし寂れているしで、横浜にはちょっと独特な印象を持っています。僕は関西人なんですが、横浜って関東ではあるんですが、文化としては東京よりも神戸に近い印象を覚えます。ニューヨークでいえば、アップタウンではなくってダウンタウンに近い感じ。路地裏なんかに入ると、特にそう思います。柳さんの場合、横浜への思い入れは相当なものみたいで、「YOKOHAMA」なんてアルバムも作ってるし、このベスト盤に入っている「さらばミシシッピー」とか「青い瞳のステラ、1962年夏」なんて曲にもそれを感じる事が出来ます。なんというか…あの寂れた街で、米兵の客が来るライブハウスを通してアメリカのポピュラー音楽を見て、独学でギターを覚えて…という感じがするんです。
「青い瞳のステラ」なんて、詞にジワッと来てしまいます。「”今ごろ国のテネシーあたりは刈り入れ時さ”と片言混じりで ~バルコニーから覗くあんたはブロンドさえも色あせて ~好きなブルースかけてた夜は決まって夜明けにすすり泣いてた」。これ、どういう人物像なんでしょうね。米軍キャンプの人?日本に来たアメリカ人の恋人?母親?で、主人公の私は、その「あんた」にテネシーワルツのステップを教わって、「しゃがれた声で褒めてくれよ、芝生の下で眠っていずに」とつぶやきます。芝生の「上」じゃなくって「下」なんですね…。芝生という事は、日本の墓地ではなくって、外人墓地でしょうね。アメリカ出身の母親、かな…。そう、柳ジョージの音楽や詞に感じる叙情性って、アメリカのポピュラーそのものじゃなくって、横浜という視点からのアメリカのポピュラー音楽、という感じなのです。逆説的ですが、そのアイデンティティーは横浜という寂れかけた都市にあるという。
オケがスタジオミュージシャンの演奏なのか、録音技術が発達したのか、レイニーウッドの頃に比べると演奏がすごくプロフェッショナルになったのと引き換えに、大量生産品についてまわる無個性さが出てしまってますが、それでも名曲ぞろいです。それも柳さんらしい、1.5流の名曲ぞろい、そしてそれがいい。僕が好きなタイプの音楽ではない筈なのに、たまに聞きたくなってしまうレコードなのです。
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