
ひとつ前の記事で書いたアヴァンギャルドグループ・AMMの1968年の演奏です。CDだと2枚組。編成はこちらの方が大きくて、ピアノ&チェロ、パーカッションx2、ギター&エレクトロニクス、サクソフォン&ヴァイオリンという編成。多楽器主義的な編成ですね。しかし、器楽インプロヴィゼーションを想像しない方がいいです。もっとアヴァンギャルドというか、ギターなんて発信機のような音の連続ですし、パーカッションなんてふたりいるけれども、さざ波のような演奏です。いやあ、それにしてもこのセンスの良さは何なのでしょうか。アヴァンギャルドではあるのですが、実に音楽的なんですよね。
まず、僕はこの音楽を言葉でうまく説明することが出来ません。この人たちが楽器をうまく演奏できるかどうかも分かりません。でも、この実に音楽的なセンスを感じる素晴らしい音楽を前にして、「楽器の演奏が…」なんて言っている時点で、音楽的センスが無いとしか言いようがないでしょう。もっと「人間にとって、音はどうやって音楽として知覚されるのか」とか、もうそういう根源的な部分から音楽を立ち上げたんじゃないかというほどの素晴らしい音楽なのです。こういう音楽というのは、音楽というものの始まりにあった音楽と言われてもおかしくないとおもえますし、これが音楽の最終形だと言われても僕は納得する気がします。
とにかく強調しておきたいのは、こういった音楽のサウンド面だけを模倣したノイズ・ミュージックやそういうのとは、音楽的素養の点で決定的に違うという事です。日本でいう大友ナンチャラとか灰野ナンチャラ、あるいは海外のナンチャラ・オルークみたいな人と、こういう本物の音楽的アヴァンギャルドを一緒にしない方がいいです。「音楽的」と僕が言っている部分は1箇所ではなくって、色々なところに出てきます。例えば、こするような音やフィードバック的な音で音を出す表現。やかましければいいとか、そういう意味で音を使っているんじゃなくって、この音の変化のさせ方とか、音を挟み込むそのやり方が音楽的なんです。あるいは楽曲構造。デタラメに音を出し合っているだけでは、この構造は到底作る事が出来ないと思います。各パートに有機的な関係性が築かれていて、しかもそれが時間軸に沿って発展していく。ひどい即興ノイズのライブをさんざん聴かされてきたので、偶然にもこういう事は起きないと僕は断言できます。高いレベルでこれが出来る即興系のアヴァンギャルド・グループというのは、僕が知っている限りでは、このイギリスのAMMというグループと、日本のEXIAS-Jというグループしか知りません。
ところで、AMMって、一般にはどれぐらい知られているのでしょうね。これを聴いて「ノイズ・ミュージックだね」と一括りにする人がいたら、あるいは「デタラメじゃねえか」という感想を持つ人がいたら、それは悲しい事です。実に音楽的なアヴァンギャルド、それが僕にとってのAMMです。
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