『バレンボイム他 / メシアン: 世の終わりのための四重奏曲』

Messiaen_Yonoowarino.jpg 子どもの頃、音楽一家に育ったわけでもピアノを習っていたわけでもなかった僕にとって、音楽家というのは畏敬の対象でした。野球やサッカーなら誰でも通り一遍は真似できるけど、楽器の演奏って、多少の努力程度ではちょっと真似できないですよね。で、音楽は大好きだったんですが、それを自分がやるなんてとても無理…そんな感じだったんです。それが、高校ぐらいになると本気で音大に行きたいと望むようになって、楽理や演奏を必死に学んで、小遣いも全部音楽書やCDに注ぎ込んで。そんな頃、とにかく衝撃の連続だったのが、フリージャズと現代音楽。こんなに凄い音楽があるのか…驚きの連続でした。まあ、驚くだけなら外連味だらけの音楽なんかいくらでもあるんですが、こと現代音楽に関しては正真正銘のホンモノと思えるものが結構あって、心から感銘を受けたものもありました。で、この『世の終わりの為の四重奏曲』というのは、そんな高校生の頃、あまりの素晴らしさに心を奪われ、何十回も聴き、楽譜も買ってきて研究して、そして作曲家であるメシアンの作曲技法を学びたいと思って以降の自分の進路選択にまで影響したという、僕にとっては至上の音楽。

 「世の終わりの為の四重奏曲」…タイトルからしてスゴイですが、クラシックジャーナルという本に連載されていたこの曲のための連載記事によると、直訳は「時の終わりに」ぐらいの感じらしいです。で、これは作曲家であるメシアンが、ナチ政権下のドイツに捕えられて強制収容所にいた時に、その収容所内で他の演奏家と出会い、そこで曲を書いて自作自演したとの事。凄い時代背景、これだけの状況であれば死もあり得るという所からの作曲行為になるでしょうね。。この曲、言葉で表現すれば従来の西洋音楽では想像できないような響き、透明感というか、冷たい感じというか、これがもの凄い。もう少し専門的に言えば、移調の限られた旋法とか、そこから引き出されてくる和声とか、そういうメシアン的な語法で出来てます。これって、かなり厳密にシステム化された技法で、「こういう曲想で音楽を作りたいから、今回はこの語法で行ってみよう」とか、そういうのではなくって、技法自体を作り上げて、そこから音楽を引きだしてくる。近現代に限って言えば、そして西洋の大学文化という音楽の最先端を行く作曲あという立場の人であってみれば、これこそが本当の作曲なのでしょう。僅かな調的重力をしか伴うことなく転調を繰り返しながら紡がれていく無限旋律的な曲とか…う~ん、「時の終わりに」というタイトルの意味するところが、何となく分かる気がします。

 この音楽に出会う事で、僕は人生自体が大きく変わってしまいました。メシアンの音楽語法なんて、音大の時の作曲課程での僕の専門になりましたし。僕が感銘を受けたのは、まずはそのリクツではなくってそのサウンドや音響構造に感銘を受けたからでした。メシアンって、リズムまでメソッド化して体系化しているんですが、こういうシステムそれそのものの中から、心を動かされるものを引き出してくるのが物凄くうまい作曲家と思うんです。現代音楽に関して言えば、リクツさえ通っていれば、心が動かされるかどうかなんて問題じゃない、という作曲家もいます。でも、僕にとってはそれは音楽じゃなくって、それでいいんだったら数学を追求した方がよほど面白いと思うんですよね。「構造が素晴らしい」という人だって、その構造がどのように素晴らしいかというのを判断するときに感情が関わることが無いという事は、ありえないと思うんですよ。人間と音楽という関係のうちでは、構造と感動というのは完全に別のものじゃなくって、コインの裏表というか、無関係でいる事ができない、重なる部分を含んでいるものだと思うのです。ヴァイオリン、クラリネット、チェロ、ピアノ…この独創的な編成の中で、聞いていて鳥肌が立つような澄み切った音楽が鳴り続けます。高校生の時から中年になった今まで、ずっと心を震わせ続けている音楽です。必聴!!




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『ダミア』

damia.jpg 知名度としてはエディト・ピアフの方が上かとは思うのですが、僕が持っているシャンソンというもののイメージといえば、ダミアです。これもエディット・ピアフのベストと同じように、昔の東芝EMIが発売したベスト盤。相変わらず、ジャケットがダセええ(x_x)。。どうせメーカー所属のデザイナーの仕事なんでしょうが、買う気が失せるほどのダサさです。しかし、やっぱりフランス語の分からない身としては、日本語訳の出ている日本盤に手を出すしか道がなく、泣きそうになりながら買った記憶があります。う~ん、それにしても、物語調で、暗い詩が多いな。これこそ、僕の持っているシャンソンのイメージなんですよね。

 で、ダミアのイメージに決定的となっているのが、聞いた人が絶望して自殺者が絶えなくなり、ラジオ放送が禁止されたといういわくつきの曲「暗い日曜日」。イントロの合唱からして鎮魂歌のような響きです。振られた女性の切ない気持ちを歌った歌なんですが、オケと歌の関係がもの凄い。伴奏の上に歌が乗っかるという形ではないんですよね。どちらかというと歌が優先のルバートで…いやあ、これこそ歌というものではないでしょうか。また2曲目に入っている「人の気も知らないで」という曲がまた素晴らしい。僕がこの曲を聴いたのは淡谷のり子さんの唄が初めだったのですが、ただの面倒くさそうなババアと思っていた人の歌に感動させられたという、僕にとってはいわくつき思い出の歌です。しかし…オリジナルであるダミアの方のアレンジ、歌唱…う~~ん、これは素晴らしい。。やっぱりこれも恋に狂う女性の悲劇的な歌なんですが、なんかすごく心に響くんですよ。詩に関しては言わずもがなですが、歌唱も素晴らしくて、メロディを歌うというより、言葉がメロディを伴っているという感じで、突き刺さる感じがあります。歌を聞いているというより、古いフランス映画を見ているような気分。

 ところで…「シャンソン的」みたいな事を書いてきましたが、シャンソンって、フランス語では「うた」という意味だそうで、フランスにシャンソンというジャンル分けはないそうな。ところが日本にはシャンソンという認識があって、またシャンソン酒場というのが実際にあります。で、そこではシャンソンの定義がかなりキッチリしていて、伴奏の仕事なんかをすると、この日本製シャンソン・ルールというヤツを知っていないと伴奏できなかったりします。まあダミアとは関係ない話ではあるんですが、しかし日本人が持っているところのシャンソンのイメージって馬鹿に出来ないというか、ああいう線引きもアリだと思うんですよね。失恋、自殺、小市民の心情…こういう文学的な文化のなかにある舞台劇のような歌、それが僕にとってのシャンソンのイメージで、そのど真ん中にあるのがダミア、という感じです。



映画 【エディット・ピアフ 愛の讃歌】

EdithPiaf_BlueRay.jpg 前の記事でとりあげた、シャンソンの代表的歌手であるエディト・ピアフを題材にした映画です。ドキュメンタリーではなく、役者さんが演じてます。で、こういう誰かが誰かを演じた映画って、僕は嫌いなんです。変にドラマチックにしていたり、変にお涙ちょうだいにしていたり、そういうのが嫌なんですよね。また、映画でそれを扱うという事になると、音楽そのものではなく、その人の人生とかを扱う事になるわけじゃないですか。それが凄く嫌だったんです。しかし、この映画は良かった!

 何が良かったかというと、エディト・ピアフが生きていたパリという町の文化背景の描き出しが素晴らしかった!街中に吟遊詩人が生きていて、トルコ系のようなバレル・ドラムのような打楽器を使って音楽をする大道芸人がいて、ナイトクラブで流行歌を歌って稼ぐ少女がいて…いやあ、文化の坩堝です。ドイツのベルリンがどちらかというと純血主義的なイメージがあるのに比べると、フランスのパリというのは民族の交錯、文化の交錯がものすごいというイメージがあります。で、それがなんと2次大戦前でもそうだったという。う~ん、これは、当時のドキュメンタリーフィルムが存在していない今となっては、ドラマ化して再現するしかないですものね。当時の貧困層が着ていた服、当時の青空市場の街並み、当時の街にあふれていた音楽…う~ん、これは時代考証が実に素晴らしい。まずここに感銘を受けまくりでした。

 そして、当時のパリの文化的背景が分かった上でエディット・ピアフの歌を聞くと、またちょっと違う聞こえ方がするんですよね。売春宿で育ち、教育もろくに受けることなく、歌だけを頼りに生きてきた人ですから、痛いところもたくさんあった人なんだと思います。しかし、それが故に情緒的な人というか、すれてはいるんですがストレートというか、そういう意味ではピュアな人なんだろうなと思います。「愛の賛歌」が、ピアフの恋人で、飛行機事故で死んだボクサーのマルセル・セルダンに捧げられた曲だというのは、初めて知りました。…歌とか言葉って、売るものではなくて、根本的にはこういう私的なものだと思うんですよね。
 しかしこの映画、劇場に行ったときはガラガラだったのに、こういうものもDVDやブルーレイになっちゃうのか。う~ん、いい時代になったものですね。




『エディット・ピアフ』

EdithPiaf_best.jpg ひとつ前の記事で書いたアマリア・ロドリゲスと印象がダブるのが、シャンソンの代表的歌手のひとりである、エディット・ピアフです。僕にとっては、もうこの辺りは西洋の歌音楽を個別に分割する意味があまりなくって、「20世紀初頭のヨーロッパの歌音楽」という感じで括りをつけています(^^)。

 で、ファドのアマリア・ロドリゲスとダブるというのは、その声とか歌い回しとかに滲み出ている、独特のやさぐれた感じなんだと思います。貧しい家庭に育った不良少女的な匂い。しかし、そこはパリ、ポルトガルという場末の斜陽な街ではなく、ヨーロッパの中心といってもいい街です。しかも、色んな国から色んな人が来る、文化の交錯する街。ポピュラー楽団も、結構あったみたいです。そんなわけで、エディット・ピアフの方が、プロ楽団お抱えの歌姫といった感じ。だから、音楽そのものはファドよりもジャズに近い感じです。オケもストリングスが入っていたりで、実に豪華です。で、オリジナルは録音がとにかく古いので、弦楽器の音が古くさいったらないんですが、しかしそれが実にいい!!シャンソン、って感じがするんですよね。で、誰もがそうだと思うんですが、「ラヴィアンローズ」とか「愛の賛歌」なんて、本当に大名曲、大名演、大名唱だと思います。「愛の賛歌」なんて、あのストリングスのイントロ、それが落ちてエディット・ピアフ独特のヴィブラートの利いた歌が始まる瞬間…聴いていて、素晴らしいと思ってしまいます。
 第1次世界大戦が始まる直前までは、ヨーロッパでは大きな戦争はなく、市民も裕福で、永遠に続くのではないかという「ヨーロッパ・コンセンサス」と呼ばれる時代があったそうです。しかし、それは植民地主義という犠牲の上に成り立っている偽りの平和で、ヨーロッパはやがて1次大戦から2次大戦という地獄を味わう事になります。この本当の悪役が誰であったかはさておいて、そこに生きている市民というのは、本当に辛い時期を過ごしたのではないかと思うのです。それは歌にも反映されていて、同じフランスにあるミュゼットという音楽も、とても明るい音楽とは言えない。で、こうした背景の上で、貧困層の不良少女から上り詰めた歌い手であるエディット・ピアフという人の歌う「愛の賛歌」を聴くと…もう、ジ~ンと来ちゃうんです。

 このCDは日本編集のベスト盤。現在デザインで生計を立てている身としては、こんなにダサいジャケットデザインでいいのか?と思ってしまいますが、しかし音楽の特性上、日本語訳のついたCDを手に入れる事をおススメします。昔は、これぐらいしかなかったんですよ。今ならあるのかなあ。輸入物の安い10枚組セットとかも悪くないんですが、日本語訳がないとフランス語が分からん!という点と、大事な曲が収録されてなかったりもするので、この手のベスト盤を買うときは、ちょっと慎重に選んだ方がいいと思います。このCDは、ジャケットのダサさにさえ目をつぶれば、あとはパーフェクトではないかと。





 

『アマリア・ロドリゲス / ファドの女王』

AmariaRodrigues_QueenOfFado.jpg いやあ、この端正な顔立ち、まるで往年のハリウッド女優のようですが、歌手なんですね。それも、美人に歌を歌わせたというのではなく、ナイトクラブで歌を歌って、実力で這い上がってきた人。ポルトガルの酒場音楽「ファド」の代表的歌手である、アマリア・ロドリゲスです。

 さて、ファドといっても、僕には詳しい事は分かりません。それどころか、僕にとっては、音楽が録音されるようになった20世紀初頭から第2次世界大戦が終わるまでの西洋の歌音楽というのは、みな同じ音楽に聴こえます。ポルトガルのファド、フランスのシャンソン、アメリカのヴォーカル・ジャズ、イタリアのカンツォーネ…もちろん多少の差は感じるんですが、それよりも共通項の方が目につくというか。これらの音楽の中でファドの特徴といえば、ジャズやカンツォーネといった他の歌音楽がプロ楽団が作って大々的に売った商音楽であったのに対し、もう少しフォルクローレに近いというか、酒場で歌い継がれたという所でしょうか。これは、南部イタリアの歌にも共通したものを感じます。ファドに漂うこの悲しげでエキゾチックな部分は、隣接するスペインのフラメンコにも近いものを感じます。酒場音楽というだけあって伴奏の編成もシンプルで、ギターとマンドリン(もしかしたら違うかも?いずれにしても復弦のギター属の楽器です)だけというものが多く、オーケストラやビッグバンドがつくという事はありません。
 そしてアマリア・ロドリゲスの歌声…う~ん、何と言えばいいか、うまいというより、強いというか。語弊を恐れずに言えば、貧困層の持つ独特の匂いというか、そういうものを感じます。で、これがマイナー調の曲の多さとか、シンプルなオケの素朴さと相まって、両大戦で火の海となったヨーロッパ独特の情緒を感じさせます。ハスキーで、哀愁漂う感じで、やっぱりフラメンコ的なものを少し感じるんですよね。これは国別の違いというよりも、ヨーロッパの地中海沿岸沿いの歌文化全てに感じることの出来る特徴かもしれません。教会の聖歌の流れではなくて、船乗りと酒場というものに育まれた歌文化の特徴なのかもしれませんね。海路が結びつける文化の流れというのがあって、大西洋を渡ったアルゼンチンのなんかにも同様の匂いを感じることが出来ます。

 いま、ポピュラー音楽というと、大量生産の商業音楽というものが大半であるという気がします。プロが作曲して、プロ演奏家が伴奏して、プロ歌手なりタレントなりが歌うという感じ。でも、歌というのは、もともとは子守唄であったり遊び歌であったり、プロでない普通の人たちが、洗濯しながら歌ったり、みなで集まって合奏したりして楽しんだりしたものだと思うんですよね。そういう匂いが残っているところに、「売る為」ではなく、本音が出たような良さが滲み出てきているんじゃないかという思います。最後にはプロ歌手の典型となったアマリア・ロドリゲスですが、その声の中に本当の歌を感じる気がします。



『PINK FLOYD / MEDDLE』

PinkFloyd_Medle.jpg 邦題は「おせっかい」。何というネーミングセンスのなさ(笑)。ピンク・フロイドの何枚目のアルバムなんでしょうか、「神秘」や「ウマグマ」よりも後で、「狂気」よりも前、というあたりじゃないかと思うのですが。で、このアルバム、「神秘」や「ウマグマ」ほどではないのですがやっぱり好きで、若い頃は何度もききました。

 単純すぎて恥ずかしいのですが、1曲目の「One of the these days」が、子供の頃に見ていたプロレスの、ブッチャーのテーマ曲として使われていて、メチャクチャ格好いい曲だな、と思って、大好きでした。いやあ、今はどうか知りませんが、昔のプロレスの入場曲って、けっこうセンスある選曲が多かった気がします。ミル・マスカラスの「スカイハイ」とか、ブルーザー・ブロディの「移民の歌」とか、あと新日本プロレスの時期シリーズの選手紹介で掛かっていたジェフ・ベックの「スター・サイクル」とか。そうそう、前田日明も、キャメルか何かの曲を使っていましたね。しかし、ブッチャーのテーマ曲がピンク・フロイドの曲だなんて全然知らずに、初めてこのアルバムを聴いた時に「おおっブッチャーのテーマじゃないか!!」と燃え上がったのは秘密です(*゚∀゚)。このアルバムというとみんな"ECHOES"を絶賛するんですが、本当はブッチャーの曲がいちばん好きなクセに、ブッチャーの曲を褒めるのが照れくさいだけなんじゃないかと思っているのは私だけではないハズ。。

 で、このアルバムでよく言われるのが"ECHOES"という曲。結構長尺な曲なんですが、まったりといつまでも聴いていられる感じの、ちょっとフワフワした曲。アルバムのジャケット写真を音にしたような音楽です。これは好きというより、気持ちいいなあ、と思って何となくいつまでもかけている、という感じでした。で、このエコーズという曲のイメージにつながるのが、ブッチャーのテーマ曲を除いたアルバムのそのほかの曲のすべて。楽器編成とか、多少のアレンジの違いはあるのですが、基本的にイギリスやスコットランドのトラディショナル音楽みたいなんですよね。フォークギターを弾いたりして。考えてみれば、ピンク・フロイドというのはイギリスのバンドなので、音楽的ルーツのひとつがイギリスのトラディショナルであったとしても全然おかしくはないです。これはレッド・ツェッペリンなんかにも同じような事を感じた事があります。で、なんでピンク・フロイドみたいな、非常に挑戦的なバンドが、いきなり原点回帰みたいな事をしたのかというと…もう、「神秘」とか「ウマグマ」の時点で、バンドがなすべき到達点に辿り着いてしまったんじゃないかと。変な話ですが、バンドって生き物みたいなもので、目的に辿り着くまでの間は、目的に辿り着いていないのだから音楽的には不満があるわけですが、目的を達成した途端に、もうモチベーションが維持できなくなっちゃうような気がします(これは私の体験談^^;)。で、ブッチャーの曲を除いたこのアルバムというのは、次に何をすればいいのか、暗中模索だったんじゃないかという気がします。
 しかし、単なるリスナーとしてこれらブリティッシュ・トラッドみたいな曲を聴いた時…ピンク・フロイドとかいう固定観念を抜きにして、いい曲なんですよ。アートとしてのピンク・フロイドではなく、音楽としてのピンク・フロイドのルーツを知ったような気持ちになったものでした。そんなわけで、このアルバムをピンク・フロイドの代表作にあげる人はいないでしょうが、このアルバムが好きという人は結構多いんじゃないかという気がします。僕も、そのひとりです。しかし、一番好きなのはブッチャーの…(以下略)。



『PINK FLOYD / Ummagumma』

PinkFloyd_Umaguma.jpg 前の記事で書いた、ピンク・フロイド最強のレコードのもうひとつが、これ。「ウマグマ」と発音するみたいです。2枚組で、1枚目がライブ録音。そしてこのライブのパフォーマンスがもの凄い!特に「ユージン、斧を取れ」という曲が、パフォーマンスと曲の両方がもの凄い!

 前の記事でも書きましたが、サイケデリック・ロックというものを、こと音楽的な側面から定義しようとすると、大変に困難な事になると思うのです。サイケデリックの定義自体が、既にサウンド面以外のものを含んでしまっているし、だからそれは当たり前のことだと思うんですが。しかしそれでも、サイケデリックを音で表現して、しかもそれを音のコラージュとか、そういう安易なところで終わらせようとせずに、もっと音楽的なところに置換しようとすれば、このアルバムこそがサイケデリック・ミュージックの最高峰なんじゃないかと個人的には思います。もう、そのぐらいにこのアルバムの1枚目は大好きで、何度聴いたか分かりません。

 僕は、ロックというのは、高校の頃に卒業してしまったんですが、いやいやその意味が分かりますね。それは、ロックが子供の音楽であるというわけではなくって、僕が高校を卒業するぐらいの頃にリアルタイムだったロックというものは、既に子供相手の音楽になっていたり、純粋な表現としての音楽ではなく、商品として製造された音楽であったりというものばかりになっていました。それは、音楽を掘り下げていけば卒業せざるを得ないですよね(悲)。ピンク・フロイドだって、メンバーが40歳になったら、その音楽を40歳なりの大人な音楽にまで発展出来たら、充分に大人の鑑賞に耐える音楽家で居続けられたと思うんですよ。しかし、自分が40になっても50になっても若い音楽をいつまでもやっているから、それは子供の音楽になってしまいますよね。これが返す返すも残念。若い頃はアーティストであったのに、大人になるにつれて職業ミュージシャンになってしまうロック・ミュージシャンというのが多すぎて、個人的にはそれがとても残念に思います。
 いま聴くと、シド・バレット脱退後、「ATOM HEART MOTHER」前までのピンク・フロイドは、純粋に音楽が好きだった若者が、純粋な音楽的理想だけを追求して作り上げた、正真正銘のアートであったんじゃないかと思います。芸術家が大人になった時に芸術を続けるには、社会枠から見た芸術の位置というものを測ることが出来ないと無理なのかな、と思ってしまいます。そうでないと、単なる変わり者になってしまうというか。で、この「ウマグマ」は、芸術を目指していたピンク・フロイドの最後の到達点であって、創造性という意味ではロック史のみならず音楽史に残る傑作であったのだと思います。




『PINK FLOYD / A SAUCERFUL OF SECRETS』

PinkFloyd_Sauceful.jpg
 日本タイトルは「神秘」。ピンク・フロイドというプログレッシブ・ロックのグループのセカンドアルバムです。ですが、この頃はプログレッシブ・ロックというよりも、サイケデリックなイメージの方が強いです。

 な~んて言ってますが、サイケデリック・ロックって、何のことだかよく分かりません。「サイケデリック」って、絵なんかのアートだとイメージし易い気がします。極彩色で、グニャグニャしてて、でっかい目がビローンとしてたりとか、飛行機に羽が生えていたりとか。…つまりはドラッグやっている時のモノの見え方みたいなものを絵にしてるんじゃないかと。じゃ、サイケデリック・ロックって?文字通り受け取れば、ドラッグやっている時の聴覚上のイメージを音楽にしたもの、という事になりそうなんですが、では「サイケデリック・ロック」と言われるバンドのレコードを聴いていくと…あんまり共通項がないんですよ。詞を除いて音だけでいえば、フォーク・ミュージックと判別不能の弾き語りみたいなものも結構あります。あと、ビート・バンドとの差が全くないものもあります。ひとつ前の記事のドアーズなんて、サイケの代表格みたいな扱いですが、音楽はこれでもかというぐらいにプロフェッショナルできっちりしているし、全然グニャグニャしてません。詞がドラッグやってるときみたいに支離滅裂、ぐらいの感覚なんでしょうか。いやいや、そんなこと言ったら優れた詩なんか、ランボーだろうがボードレールだろうがサイケデリックになっちゃうだろう…と思えちゃうんですよね。ドアーズの詩をドラッグで片づけるとしたら、それは相当にセンスが無いと思えてしまいます。滅茶苦茶なだけでいいんだったら、いくらでも作れますよね。ドラッグ詩というなら、ロックであるドアーズの詩の方がよほど自覚的で、むしろギンズバーグの詩とかの方が、リアルにドラッグな気がします。

 じゃ、詩ではなく、サウンド面でサイケデリックと言ったら?…う~ん、これは様々なんですが、同じフレーズばかりを延々と繰り返すというようなパターンのサイケデリックもありますね。これは理屈としては理解できる気がしますが、僕がドラッグをやらないのもので、実感としては理解できないんですよ。単純に退屈な音楽なだけに聴こえちゃう。グレイトフル・デッドなんていうサイケ・バンドがこの傾向です。このバンド、アメリカでは絶大な人気らしいですが、日本ではぜんぜん人気がないというのは、ドラッグ文化の有無がそのまま反映された数字であるのかもしれませんね。むしろ、ドラッグをやらない僕のような人間からすれば、グニャ~ってしてる感じの音を作り出すサイケデリックのほうが、自分の感覚としてリアルに理解できるのです。理解できるというより、音楽としてものすごく面白い。
 でも実際のサイケ・バンドが作り出す、サウンド面でのグンニャリ感って…単にリバーブをいっぱいかけるとか、フランジャーとかリングモジュレーターのような特殊な機械効果を与えるとか、そういう安易なところで終わっているものが少なくないです。というか、リアルタイムな60年代のバンドでは、そういうものの方が大多数とすら思います。しかし、そのサウンド面でのグンニャリ感を、作曲面とか、そいういう音楽的な点から表現したバンドというのがいたのでした。それが、ピンク・フロイド。

 普通でない感覚のサウンド化というのは、例えば音程の選択にも出てきます。短2度の使用とか、半音階の使用とか、フィフティーズやビートルズといったポピュラー音楽では絶対に出て来ないような音の使い方をしたりして、これがサウンドとして実に暗く不気味かつ新鮮。普通のクラシックよりもよほど刺激があります。また、楽曲構造もアイデアの塊。ABCとかAABAとかいった普通のポピュラー音楽の形式なんてどんどん無視していきます。ではそれがテキトーな事をやっているかというと…いやいや、これが実に理知的で、見事な楽曲構造となっています。クラシックやジャズなんかよりも、よっぽどクリエイティブです。ピンクフロイドの作品というのを、僕は中学から高校にかけて片っ端から聴きましたが、このアルバムと「ウマグマ」というアルバムの2枚は抜群です。

 ピンク・フロイドも、デビューアルバムではシド・バレットという重度の麻薬患者がヴォーカルをやっている頃は、サウンド的には別にサイケデリックな感ではありません。普通のフォークロックっぽい。で、有名な「原子心母」や「狂気」というアルバム辺りまで来ると、逆に職業化したロック・ミュージックの成れの果てにしか聞こえません。ピンク・フロイドが驚異であったのは、本物の麻薬中毒患者がバンドから抜けたこのセカンドアルバム「神秘」からしばらくの間の僅かな期間です。これが本当に素晴らしい。音楽面でこれほどの創造性に溢れた音楽というものが、ロックから出て来たというのは驚異です。というか、誤解を恐れずに言えば、今のクラシックやジャズでは太刀打ちできない創造性。芸術の名に値するアルバムと思います。



『THE DOORS』

doors.jpg ロックの大名盤。本当に素晴らしいレコードで、若い頃は何十回このレコードを聴いたか分からないほどでした。ところが、僕はこのドアーズというグループについて何も知らないのです。だから、ドアーズについて大したことを書くことが出来ないのですが。

 最初にこのバンドを教えてくれたのは、やっぱり例によって中学の時の同級生。まず、バンド名に啞然。ドア?…扉の向こうに何があるのか、という事か?で、早速借りて聴いたのですが…いやあ、あまりに素晴らしすぎて、もう自分で買ってきてしまいました。アルバム全部でひとつの作品となっているというぐらいに、捨て曲ナシ、完全無欠の大傑作なのですが、中でも最後の"THE END"が衝撃でした。非常にダークなギターの旋律、それに重なるオルガン。ここに、現代詩どころか黙示文書に近いような、何を暗示しているのかははっきりとは理解できないが、しかし何かを案じているとしか思えない言葉がこの音の上に覆いかぶさっていきます。

There's danger on the edge of town, Ride the King's highway, baby.
Weird scenes inside the gold mine, Ride the highway West.
Ride the snake, Ride the snake to the lake, The ancient lake.
The snake is long, seven miles, Ride the snake.
He's old and his skin is cold.The West is the best, The West is the best...
(街の外れは危険だ、王のハイウェイに乗れ
金鉱の異様な景色、王のハイウェイに乗って西へ向かえ
蛇に乗れ、蛇に乗って湖に行け、古代の湖に
蛇は長い、7マイル、蛇に乗れ…
蛇は年老いて、その皮膚は冷たい
西が最善だ、西が最善…)

 …まるで黙示文書のような暗示の山のようなこの物語が進むにつれ、曲のテンポは上がっていき、音楽は次第にカオスの中へと埋没していきます。その後ろで木霊する「kill, kill...」の言葉。中学生になりたてで、ついこの前まで日本の歌謡曲ばかりを聴いていた僕にとって、この音楽は凄まじ過ぎました。

 また、1曲目"Break on through to the other side" も凄かったです。リムショットを使ったドラムのコンビネーションから、また見事なギターのサウンド。いやあ、ビートルズのようなチャカチャカしたギターでもなく、メタルミュージックのようなディストーションサウンドでもない、フェンダーのアンプから出したようなナチュラルな歪みとエコー感が暗く、そして美しすぎます。更に重なるドアーズ・サウンドの象徴であるオルガンの音!そして、またもや詩が凄まじい世界観で世界を切り抜きます。

The day destroys the night, Night divides the day
Tried to run, Tried to hide
Break on through to the other side...
(昼は夜を破壊し、夜は昼を齎す
走れ、隠せ、あちら側へと突きぬけろ…)

 なるほど、other side に突き抜ける境界にあるものとしてのドアなのか…と、当時は思ったものです。クラシックでもジャズでもポピュラー音楽でも果たせない、表沙汰にはしにくい暗部の役割を、ロックは背負えていたのだと思います。それに気づきながらも人が隠して来た、人間自身の本質的かつ闇の部分。ロックって、いつしか商業音楽の代表のような、あるいは英知も芸もない、恰好ばかりで中身の薄い二流文化の代表のような音楽になってしまいましたが、そうではない時代というものがあったと思います。その頂点にあったのが、60年代末から70年代前半だったのではないかと。ジム・モリソンという、もう詩人と言っても良いようなヴォーカルに、恐らくジャズ上りと思われるドラマー、聞いた事はありませんがもしクラシックを弾かせたら恐らくうまいんだろうなと思えて仕方がないギター、そしてドアーズ・サウンドの中心であるオルガンのレイ・マンザレク…メンバーがひとりでも替わっていたらこの音楽は出来なかったんじゃないかと思わせるようなバンドです。そして、丹念に作り込まれた詩・曲・録音、その全てが素晴らしい!これは、ロック史上のみならず、音楽史上に残る奇跡の1枚と思います。

 ところが不思議な事に、これほどの作品をデビュー作品で作り上げておきながら、以降のドアーズのアルバムはみんなイマイチ。ライブは素晴らしいんですが、しかしそれも感動するのはやっぱり"Break on through" と"THE END"の2曲だったりします。ライブバンドというより、やはりこのファーストアルバムに凝縮された世界を作り上げた創造力こそがドアーズの魅力と思います。というわけで、僕はドアーズが大好きというよりも、ファーストアルバムのドアーズが大好きという事なのかもしれません。




『Bill Evans & Jeremy Steig / What's New』

BillEvans_WhatsNew.jpg ビル・エヴァンスのピアノトリオに、フルートのジェレミー・スタイグが参加した形のジャズです。このジェレミー・スタイグというフルーティストが実に個性的で、簡単に言うとすごく熱いんですよね。これがカッコいい!!
 ビル・エヴァンスというと、その性格上の事かとは思うのですが、非常にメロウな方というか、音楽的にいえば和声アプローチ上のサウンド方面に意識が流れてしまいがちなピアニストかと思うのですが、このセッションではジェレミー・スタイグに引っ張られるかのように、非常にストレートで激しい演奏を聴かせてくれます。うわ、ストレートなアップテンポ曲でもこんなに弾ける人だったのか…と驚かされてしまいました。それが際立っているのが1曲目の"STRAIGHT NO CHASER"。いやあ、フルートといいピアノといい、またスナッピーの効いた、煽るようでありながら軽快なドラムのブラシ捌きといい、聴いていて実に気持ちのよい演奏です!!"AUTUMN LEAVES"も、ミディアムではなくアップで演奏していて、すごく気持ちいい!ここではベースのエディ・ゴメスのソロが実に見事です。この人、うまいなあ。
 他にも"LOVER MAN"とか"WHAT'S NEW"のような、いかにもエヴァンス・トリオの得意そうなスロー~ミディアム・ナンバーはいいに決まっているのですが、ここでもスタイグのフルートがすごくいい!!なんというか、フルートという楽器はもともと息の成分が強い楽器だとは思うのですが、この人の演奏はそれがとても顕著で、例えばアタック音のところで尺八みたいにブレスだけが「ブシュッ」と入ってからフルートの音が入ってくるような表現を使ったりして、ある意味で肉声であるかのよう。これが、曲にすごい表情を与えているし、またフルートの表現にも強く影響しているように思えるのです。いやあ、素晴らしいです!
 もうひとつは、B面に入っている"SPARTACUS LOVE THEME"。これは映画「スパルタカス」に入っている曲ですが、大変に美しい和声進行とメロディを持った曲…なんですが、劇的構成に欠けるというか、同じコード進行を何度も繰り返すだけという弱点を持った曲でもあります。しかしそれが、アレンジの妙でまったく飽きる事無く、大変に素晴らしい音楽になっています。いやあ、これはセッションなんていう一言で片づけられるものではありませんね。すばらしいです!

 というわけで、ビル・エヴァンス作品としてはちょっと異色のアルバムかも知れませんが、このアルバムを嫌いなんていう人はまずいないんじゃないかと。大おススメの1枚です!



『Bill Evans / Portrait in Jazz』

BillEvans_Portrait.jpg ジャケット写真だけでも有名すぎるぐらいに有名なジャズのレコードです。ビル・エヴァンスのピアノ・トリオです。で、ジャズファンの人に言わせると「3者のインタープレイが凄い」「ピアノの音がもの凄く綺麗」「斬新なアプローチだ」…な~んて、美辞麗句がこれでもかとばかりに続きます。このレコードを批判でもしようものなら、袋叩きにあいそうなぐらいの勢いです。この美辞麗句は、ジャズファンだけじゃなくって、ジャズ評論家も、ビル・エヴァンス・トリオの演奏を褒める時に良く使われています。
 で、僕にはこれらの褒め言葉が到底信じられないのです。せっかくの素晴らしい肉料理があるのに、「この魚は実にうまいですね!これが分からないなんて素人ですね!」みたいな感じで、まったく見当違いのところが褒められているような気分。僕はまず、この美辞麗句を批判するところから始めたいです。

 まず、「3者のインタープレイが凄い」ですが…まあ、ジャズのトリオというのは、一定水準以上の1流どころになったら、どのグループだってこのぐらいのインタープレイは普通だと思います。評論家が、エヴァンスのトリオというとやたらと「インタープレイが~」というものだから、聴いている方もそう言えば通っぽく聞こえるから、そういっているだけなのでは?と思ってしまいます。
 次に「ピアノの音がもの凄く綺麗」。スコット・ラファロというベーシストの参加したビル・エヴァンスのトリオの録音は、リバーサイドというレーベルから発表されたものが大半だと思います。本作もそうです。で、リバーサイドから発表されたビル・エヴァンスのレコードを僕はかなり大量に聴いているのですが、ピアノの状態にしても、録音の状態にしても、グッド・コンディションのものを僕は聴いたことがありません。エヴァンスがタッチを変化させているように思えるところも、全部音が潰れて、正直のところ聴けたものではありません。更に、ビル・エヴァンス自体のピアノのタッチも…別に格別とは到底思えないんですよね。音色表現としては、色々な音をピアノから出すのはあまり得意な人ではないというか、むしろ下手な人だと思います。つまり…どこをとっても、ピアノの音は悪いんですよ。
 最後の「斬新なアプローチだ」。いやあ、これはジャズ・ピアノの歴史から穿り返さないと何とも言えないのですが…これって、ジャズの王道中の王道のアプローチではないでしょうか?ただし、ビル・エヴァンス以前のジャズ・ピアノの歴史というものを、僕はあまりよく知りません。例えば、アッパー・ストラクチュアのようなアプローチがビル・エヴァンス辺りから始まったのだとすれば、それ以前のジャズ・ピアノとの比較の上で斬新、という事はあるかもしれません。しかし、現時点の評価で「斬新」はありえないと思うのです。

 さて、さんざん文句みたいな事ばかり書いてきましたが、しかしぼくはこのアルバムを何十回と聴きました。理由は、ジャズ・ピアノの勉強のため。このアルバム、"Come Rain or Come Shine"とか"Autumn Leaves"とか、ジャズのスタンダードばかりを取りあげています。いわば、ビル・エヴァンス版のスタンダード集。で、和声アプローチがモダンなのです。エヴァンス以前のジャズ・ピアニストというのを僕は詳しく知らないんですが、例えばケニー・ドリューとかレッド・ガーラントなんかの50年代録音でいえば、和声はせいぜいテンションまで、メロディは片手でスケールと5度のオルタード、そしてツーファイブのストックフレーズ、みたいな感じです。しかし、ビル・エヴァンス以降となると、和声上の技法が一気に増えて、和声面からの曲の構成方法まで変わってしまいます。で、それは現在まで続いているという。で、ビル・エヴァンスのピアノは、これが実にオーソドックスというか、分かり易くアプローチしてくるので、凄く勉強になるからなのでした。ジャズ・ファンの人がこのアルバムを愛聴しているのは、評論家の弁に惑わされた「インタープレイが~」ではないんじゃないかと。また「斬新な」というのは、適当な麗句を挙げただけなんじゃないかと。で、「音が綺麗」は、音が綺麗なんじゃなくって、和声が綺麗と感じているんじゃないかと。きっと「よく分からないけど、この音楽が気持ちいいと僕は思うんです!」でいいんじゃないかと思うんですよ。分かってもいないクセに能書きばかりを垂れ流し、しかもそれが間違っているというクズみたいな日本のジャズ評論家の真似なんかしなくていいと思うんです。ジャズのリクツが分からなければジャズは聴いてはいけないとか、そういう事は全然ないと思うんです。でも、ジャズのリクツが分からないのに分かったような物言いを評論家やリスナーが押しなべてするというのは、日本の「聴く」ジャズ文化の悪い風習だと思えて仕方がないんです。分からないのであれば、知ったような理屈をこねくり回すよりも、「ジャズ・ピアノが現代的な響きを持つようになった最初期の録音、ビル・エヴァンスが精魂込めて弾き切ったスタンダード集」というだけで、この素晴らしいアルバムへの賛辞は十分じゃないでしょうか。

 最後に、好き過ぎて、死ぬほど聴きまくった曲がひとつ。アルバムの最後に入っている"Blue in Green"です。これは過去の記事に書いたマイルス・デイヴィスの"カインド・オブ・ブルー"で決定的名演を聴くことが出来ますが、ピアノのアプローチとしてはこちらの演奏も聴き入ってしまいます。パッと聴きの印象としてはメロウなのですが、よく聴くと、もの凄い弾いているんですよね。メロディラインでも、あまり1本にすることはなくって、和音まで行かなくても復音にはしていたり、とか。こういうサウンドに対する気配りというのは、いやあ、美しいです。また、この曲はジャズである事に加えてモードでもあるので、しかも10小節でひと回りという変な構造でもあるので、始まりも終わりも分かりにくくて、えらく単調になってもおかしくないと思うのですが、そこらじゅうにちりばめられている様々なアイデアが活きていて、ものすごく良く構成された演奏になっています。良く出来たとか、そんなものではなく、正直のところ尊敬し、そして感動してしまいました。ジャズというのは、ポピュラー音楽と同じようにコーラス形式になるので、同じコード進行を何度も繰り返すことになります。で、モダンジャズとなると、この範囲の中でアドリブソロをとり続けるわけですが、同じ構造をぐるぐる回っているだけなので、原理的には起伏のないソロの垂れ流しになってしまう可能性があります。実際、プロの演奏を聴いていても、そういう演奏は少なくありません。しかし、ビル・エヴァンスの演奏というのは、この処理が実に見事で、同じコードをぐるぐる回っているとは到底思えないぐらいに、演奏に起承転結が生まれるのです。これは言葉では言い尽くせないというか、間違いなく楽曲をデザインするイメージを作ってから演奏に挑んだしか思えないです。途中で、和声を半音進行するようにリハーモニゼーションし直して、同じモチーフがずれるように移動していくクライマックスの作り方など、これはアドリブというにはあまりに作曲的。絶対に「その時に感じたインスピレーションに従って思うがままに演奏する」とう演奏ではなく、もの凄い理性的なものを感じます。演奏時間は5分程度と短いのですが、この5分の演奏の組み立て方、その背景にあるものの深さと言ったら、並大抵ではありません。最初に聴いた時には普通のジャズに思えたのですが、聴けば聴くほど…いやあ、この"Blue in Green"は、ものすごい。。



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Bach Bach

Author:Bach Bach
神戸住まい、奥さんとネコと暮らす音楽好きです(ノ^-^)ノ
音大は卒業したのですが、成績はトホホ状態でした(*゚ー゚)

ずっとつきあってきたCDやビデオの備忘録をつけようと思い、ブログをはじめてみました。
プロでも評論家でもありませんので、たいした事は書けないかも知れませんが、いい音楽、いい映画、いい本などを探している方の参考にでもなれば、大変嬉しく思います(ノ^-^)ノ

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少し前に取りあげたエリザベス・コットンですが、ライブ盤なんてあるのか?!これは聴きたい… オスマン時代から現代までのトルコ音楽のガイド本みたいです。おおお~、これは絶対に読もう!! レコ芸に載っていた近藤譲さんの新譜、室内楽作品集みたい。好きな作曲家なんで聴きたいんですが、持っている2枚のALM盤と4曲かぶってるので悩み中… 楽器屋で演奏してみたら、木製鍵盤で、タッチがけっこう本物のピアノに近かった!うちにあるアップライトがけっこうヤバいので、フルメンテして貰うか、こういうので間に合わせようか大いに悩み中。
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