
ジャズって、面白い音楽だと思います。元々はエンターテイメント音楽の極み。アメリカ合衆国という文化後進国から生まれた大衆音楽かつ職業音楽、商音楽の極みたいな音楽であったのが、色々な音楽をアーカイブしていくような側面を持ち始めて、モダン・ジャズあたりになると、その最先端は芸術音楽という所にまで発展したという。で、そのジャズの芸術音楽としての最高峰というのは、当のジャズ・ファンからは理解されない(場合によっては毛嫌いされてる)というのも面白いです。たいそうな評論家であっても、あるいはアマゾンでレビューを書きまくっているようなジャズ・キャットであっても、セシル・テイラーやブラクストンの音楽を「何を考えているのか分からない」とか、平然と書いちゃってます。いや、皮肉じゃなくって、ああいう人たちには、本当にセシル・テイラーとかアンソニー・ブラクストンの音楽がデタラメやっているように聞こえてるんでしょうね。
さて、前置きが長くなりましたが、芸術音楽としてのジャズの、ピアノの分野での最高峰がセシル・テイラーなら、サックスの最高峰はアンソニー・ブラクストンじゃないかと思います。そして、1972年のタウンホールでのコンサートを収めた本作が、その中でも一番分かり易いというか、ディレクションの明確な最高傑作なんじゃないかと思います。
アンソニー・ブラクストンという人を理解するには、ふたつのポイントを押さえておけば、大変に理解しやすくなるんじゃないかと思います。ひとつは、作曲技法をちゃんと修めているという事。それは、いわゆるポピュラー音楽の機能和声音楽(つまり、クラシックもジャズも含めての、ドミソの3和声の音楽です)という意味じゃなくって、無論それもおさめているんだけど(というのも、普通にスタンダードのソロを演奏しても、とんでもなく巧い!!)、フランス系のモード音楽とか、それ以外の音階音楽とか、現代の西洋作曲音楽の一部あたりもしっかり修めているんだろうな、という事です。まあ、そう思える理由は色々とあるんですが、手っ取り早くは、このCDを聴けば納得できるんじゃないかと。
もうひとつの特徴は、チャーリー・パーカーから繋がってくるような、ジャズのバカテク・サックス・ソロアドリブというものの達人であるという事です。本作でいえば、冒頭のアドリブ・パートといい、その直後に繋がってくるテーマのプレイなんかにも、その超絶ぶりがあらわれています。その技術たるや、とんでもないレベル。ブローやフラジオでごまかすなんてことは絶対にしません。
そして、このCDです。もう、上の説明で、ブラクストンの音楽の傾向は伝わったんじゃないかと思います。要するに、現代音楽やモダン・ジャズというものを全てひっくるめたコンポジションを完成していて、その上をサックスがソロで縦横無尽に駆け回る、というわけです。メンバーもどちらかというとフリー一色の人じゃなくって、クラシックからジャズからフリーから何でもこなしちゃう人たちばかり。デイブ・ホランドがベースで、フィリップ・ウィルソンがドラムで、現代音楽とジャズ的なスケール音楽の真ん中にあるコンポジションが骨格にあって、音の選択そのものはジャズ的なアドリブ・ソロに一任されていると言えば、その凄さが少しは伝わるんじゃないかと。
いやあ、これほどの音楽は、ちょっとやそっとでは出会うことが出来ないんじゃないかと思います。驚異の大傑作。ただ、ブラクストンというのは器用貧乏というか、やりたいことがたくさんありすぎる人で、ミニマル的なコンポジションに没頭してサックスを全然吹かなかったり、逆にチャーリーパーカーの曲ばかりを1時間近くぶっ通しで超高速で吹きまくるだけとか、とにかくやる事が極端なので、彼のCD1枚だけを聴いて評価しちゃったりすると、時として危険なのです。しかし本作は、アタマの2曲が比較的現代コンポジションよりのジャズ、ラスト曲が比較的ジャズ寄りの現代コンポジションという感じで、ブラクストンの音楽の最良の部分がバランスよく音楽化された名作なんじゃないかと。名盤中の名盤、大名盤だと思います!