
前の中島みゆきさんの記事で、「日本語と洋楽のシラブルが食い違ちゃってて、うまく行ってないんじゃないか?」みたいなことを書きました。英米ポピュラーの丸コピーと化し、1字1音のスタイルが定着した今では気にもしない事かもしれませんが、しかし洋ポピュラーが日本のポピュラーに食い込んできた時代は、これが大変な課題だったんじゃないかと。きっと当時の人は、それぞれの方法で対処したんじゃないかと思いますが、中島みゆきさんみたいなフォーク系だと、「四畳半フォーク」なんて言われる音楽は、この問題をかなりうまく克服したんじゃないかと思います。で、その中でもかなり好きな人が、「酒と泪と男と女」で有名な、河島英五さんです。
有名な「酒と泪と男と女」でいえば、例えば冒頭の一節は、日本語の言葉一音が16分音符で綺麗に割り振られています。4分音符ごとに分割して書くと…「--わす/れて-し/まいたい/--こと/や---」みたいな感じ。これでまったく問題ないというか、16分音符を一音に振ると、日本語は洋楽のようなメロディ構造にはめ込んでも
待たずに済むんですよね。これを8分音符にしちゃうと、音楽が進行しても言葉の進みが遅くって待ってられなくなってしまって、そうなると「物語」を語るのは不可能で、「詩」的な言語表現にしないといけなくなっちゃう。こうやって結論だけを言語化するとえらく単純に聴こえますが、しかしここに辿り着くまでに、色んな人の色んな努力があったんじゃないかと思います。これって、日本の詩吟や小唄・端唄の伝統の逆を行くわけですからね、けっこうなコロンブスの卵だったんじゃないかと。
さらに河島さんは、もっと音楽的な「歌い方」で深く踏み込みます。これを16分音符で綺麗に歌うのではなく、言葉のシラブルのほうを優先して歌い上げています。「わすれてしまいたい~ことや~」という風に歌うわけですが…いやあ、こうなると言葉としての説得力が凄い!ポップスで、メロディは死ぬほど覚えているのに、歌詞はラララでしか歌えない曲って結構あると思うんですが、それって「詞を言葉として捉えていなくて、自分の中に全然入ってきていない」証拠だと思うんですよね。しかしこの河島さんみたいな歌い方をされれば、詞が入ってこないという事はあり得ないんじゃないかと思うのです。もう、音楽とかメロディよりも先に、言葉として聴く側は捉えに行くと思うのです。これが本当に素晴らしい。
これって、詞が大事だからそうするのだと思うのですが、河島さんの書く詩というのは、本当に日常のさりげない会話のような、カッコつけていない等身大の言葉が並びます。いやあ、これが素晴らしい。「今日は風がひゅうひゅうと、ちょっと寒い日だったな/帰るとこたつがちょこんと/もうそんな季節なんだな…」みたいな感じ。で、こういう言葉に入っている「こたつがある日常」とかが、本当にいい世界観だな、と思います。
そしてこのCD、ライブでの弾き語り音源が並んでいます。スタジオ録音で、取ってつけたようなバンドアレンジがされたものよりも、絶対にこっちの方がいい。途中にたくさん入っているMCも、人と等身大で接して会話しているみたいで、実に楽しい、素晴らしい!僕は河島さんの現役時代というのをリアルタイムでは体験していないもので、思い入れのようなものは無いんですが、しかし「大学生が四畳半の部屋で、友達と語ったり彼女と過ごしたり、バイトしたり勉強したり、悩んだり喜んだりしてる」というような風景を、ある種の憧れと共に聴いてしまいます。未発表楽曲なんかも目白押しみたいなので、往年のファンの方にとっても素晴らしいCDではないでしょうか。これは超おススメです!