第13位 『ZZ TOP / Rio Grande Mud』 80年代の単純でデジタルドラムなZZトップしか知らなかった僕は、初期の凄さをまったく知らなかった。。ジミヘンがのけぞったというビリー・ギボンスのギターのいなたさがムッチャカッコいい! ZZトップの2~4枚目の前ではオールマン・ブラザーズ・バンドもレーナード・スキナードも霞んでしまいます。青春の1枚でした。
第12位 『Chet Baker / Touch of Your Lips』 センチメンタルという事の深さに触れた気がした1枚。、これが心に突き刺さるのは芝居でやってるからではなくて、本当に悲しみを背負ったまま生きているからなんじゃないか…そんなふうに思わされる、ジャズ・ヴォーカルのチェット・ベイカー生涯の傑作です。チェット・ベイカーはこれのほかにもうひとつ、ポール・ブレイとやっているものすごいアルバムがあるんですが、それもいつか紹介したいと思います(^^)。
第11位 『Frank Zappa / Shut Up 'n Play Yer Guitar』 フュージョン期のフランク・ザッパのライブでのギター・インストだけを集めた特殊なアルバムですが、曲とギターが凄すぎて痺れまくった!ザッパの悲劇は、どんどんショービズ化していくロック界の音楽レベルとザッパの音楽レベルが違いすぎた事なんじゃないかと。振る舞いがニヒルになのは、そこに原因があるんじゃないかと。ロックからは生まれるはずもなかった次元の音楽が生まれた、奇跡の1枚と思います。
第9位 『Carmen McRae / The Great American Songbook』 歌がうまい!演奏が大人!これが大人の音楽というもんだとため息の出た1枚です。こういうレコードに出会って、色々と卒業し、徐々に大人になっていったんだなあ。特に、ジョー・パスの歌伴がすばらしすぎ。今の日本は、大人の聴く音楽が極端に少ないのが不幸ですよね。音楽文化が未成熟なんですよね。
第8位 『Frank Zappa (the Mothers of Invention) / Weasels Ripped My Flesh』 フランク・ザッパほど、レコードがいっぱいあり過ぎて何から聴いていいか分からないロック・ミュージシャンもいないんじゃないかと。名盤として挙げられる機会のない1枚ですが、僕がザッパのレコードで1枚だけ無人島に持っていくなら、これです。「ザッパはよく分からない」という方は、これを聴いて欲しいです。アヴァンギャルドでポップでジャズでガレージという、お気楽にいつまでもドミソをやり続けてるロックをあざ笑う1枚。これが分からないというなら、僕もあなたをあきらめます(^^;)。
第2位 『ブルガリアン・ヴォイス / カテドラル・コンサート』 LE MYSTERE DES VOIX BULGARES 民族音楽の恐ろしい所は、その音楽だけを若い頃から死ぬまでひたすらに演奏しているからか、熟練度が半端ない事です。熟練した民族音楽のプレイヤーの前では、クラシックの演奏家も職業演奏家も歯が立ちません。東欧からロシアにかけての声楽のレベルの高さは地球最強と思っていますが、ブルガリアの民族音楽のプレイヤーとプロ作曲家が手を組んで完成させたブルガリアン・ヴォイスは世界遺産ものの凄さ!特に、教会コンサートの録音であるこのCDは音の迫力が段違いで、有名なブルガリアン・ヴォイスのCDなんか目じゃないほどの破壊力。こんな音楽に出会えて、本当に生まれて良かったと思えるほどでした。
このアルバムの時点で、バンドの2枚看板のひとりであるギタリスト・ピーター・フランプトンは既にバンドを去っていたそうです。しかし変わって入ったギタリストがこれまたカッコいい!!僕は、このアルバムの印象って「ロック」「ロックンロール」なんですが、それって"Hot 'n' Nasty"とか"30days in the Hole"とか"C'Mon Everybody"あたりのナンバーの印象が強いのかも。で、いずれもギターとオルガンのコンビネーションが素晴らしい。そしてど真ん中にロック最高のヴォーカリスト(私個人の見解です^^)であるスティーヴ・マリオットのあの凄いヴォーカル!いやあ、これでカッコよくならない筈が無いですね…。
いずれも普通のロックナンバーなんですが、なんでこんなにカッコよくなるのか。きっと演奏のあり方に、その理由があるんじゃないかと。このアルバムはスタジオ録音だと思うんですが、どの曲もスタジオ・セッションという感じ。1曲目"Hot 'n' Nasty"なんて、セッション途中からいきなり曲に入って行ったような始まり方。"30 Days in the Hole"も、ハーモニーの練習をしながら、そのまま曲に入って行ったような感じです。こういう風にちゃんとバンドとしての合わせをしながら、楽譜には書けないような阿吽の呼吸をバンド全体が掴んでいったからこそ、こういうカッコ良さが出たんじゃないかと。 なんでこういう事を書くかというと…若い頃、仕事でポピュラー音楽のレコーディングの仕事をさせていただいた事がありました。その時にビックリしたのは、スタジオに入っていきなり楽譜を渡され、ヘッドフォンからはクリック音が聞こえてきて、僕が演奏するピアノの前に、コンピュータの打ち込みでサンプルのピアノ演奏が入っていて、それを生の演奏に差し替えていくという作業だったんです。「え?バンドやオケ全体で音楽を作っていかなくていいの?」とか、色々と思う事があったんですが、仕事は流れ作業のようにどんどん進んでいきます。ピアノのソロパートもオープンで用意してあったんですが、歌とか主メロの把握も良く出来ないまま、2~3テイクほど演奏しただけでオッケーが出てオシマイ。こういった体験はこの時のレコーディングだけでなくって、ある有名なロックバンドのサポートレコーディングでも同じような事が起きました。またクリックに合わせて演奏か、信じられない。。いやあ、こんな作り方ではロックならではのあのグルーブなんて出るはずもないわ、80年代以降のロックのレコードがつまらないのは、こんな工業生産的なプロダクションをしているのも理由のひとつなんじゃないかと思ったのでした。で、その時のレコーディングエンジニアさん曰く、「今ではジャズでもクリックを使うのが当たり前ですよ」との事。ま、マジか…。90年代以降のメジャーレコード会社制作の日本ジャズがクソつまらないのはその為か。。しかしハンブル・パイのこのアルバム全体に感じる事の出来る「これぞロック!!」という感じは、バンド全体が生々しく動いているからだと思うんですよね。ロックはノリですよ!!
これは、彼らのサード・アルバム。日本では『大地と海の歌』なんてタイトルで出ていました。ファーストがバンド名のみというのはよくある話ですが、サードがバンド名のみというのはちょっと珍しい(^^)。レコード会社も変わったし、心機一転、これこそが俺たちのアルバムだ!という感じなのかも。でもって…僕的にも、ハンブル・パイの作品の中では、これが一番好きです!!はっきり言ってダントツです。 ハンブル・パイというと、ギターのピーター・フランプトンと、ヴォーカルのスティーヴ・マリオットのふたりがとにかく有名。そして…アルバムの詳細をウダウダいう前に、まずはヴォーカルのスティーヴ・マリオットの凄さを伝えたい!僕的には、ロックで一番すごいヴォーカリストは、ジャニス・ジョプリンでもロバート・プラントでもなく、ハンブル・パイ在籍時のスティーヴ・マリオットなのです!!発声が際立ってスゴイのは聴いたままですが、抑えて出して溜めて突っ込んで、更に潰したり綺麗に出したり、震わせたり張ったり…その表現力が凄すぎる!!そして、その表現力が最も発揮されたパフォーマンスが、このアルバムの1曲目"Live with Me"だと思っているのです。ここにはロック・ヴォーカルに託された表現というものが全て詰まってる!!この曲の謡い出しは"in the midst of all my sorrow…"という感じなんですが(俺のヒアリングが間違ってなければ、です^^;)、アタックだけ少し強くしたピアノから、次第にフォルテして行きながらのトップノートまでもって行き、その間にクリアな声色をだみ声調に変化させ(記号的に書くと、mminnnnnzzzzzthemmmmi-----st みたいな感じ)、トップ前いった直後に少し溜めて…みたいな感じで、たった4拍の間の表現がものすごい。表現の情報量がけた違いです。また、オペラとかジャズみたいな舞台用の歌唱ではなくって、あくまで話し言葉の延長でこういう歌につながっていくという境界侵犯的なニュアンスが素晴らしい!!なんか、「舞台のための」というある種の「用意された聖域の中だけの日常からの逸脱」ではなくって、「日常から地続きに存在する空間で行われる逸脱」という感じなのです!自分でも何言ってるのか分かりませんがww。。また、この冒頭の歌詞だけでも、引きずり込まれませんか?"in the midst of all my sorrow…"って、うわあって思っちゃいます。。
う~ん、なんだか1曲目に関してだけでもいくらでも書けそうですが、日本盤のアルバムタイトルとなった"Earth and Water Song"も素晴らしい。アコースティックギターの、メロディを交えた非常にきれいなストロークプレイが素晴らしいんですが、これをエレクトリックなロック・バンドのサウンドの中に交えていくこのサウンドデザインが秀逸。次第にバンドサウンドを交えていく構成といい、Bパートの和声進行がギター音楽ならではの美しさといい、2コーラスBパートで初めてうっすらと出てくるハモンドの美しさ、エンディングの作り方、コーラスを簡単に循環させずにエレキギターのソロパートを1順前に予兆させるブリッジの挟み込み…これも書き始めたら終わりそうにないなあ(^^;)。いやあ、構成的な事ばかり言ってますが、それを音楽的に表現していくバンドもヴォーカルも素晴らしいです。ロックバンド、侮れません。。
このCD、そんな近代音楽の中で保守的な傾向を示した、あるフランス人作曲家の作品集です。気をつけなくてはいけないのは、この作曲家の名がフロラン・シュミット Florent Schmitt である点。実は、同世代の作曲家にフランツ・シュミット Franz Schmitt という人がいまして、僕はず~っと長い事、この二人を混同していました(´・ω・`)。というか、「シュミット作曲」とあったら、全部フランツかと思っていたのです。ああ恥ずかしい、死にたい気分です。いやあ、どちらも音楽がロマン派的な傾向にある(フランスとはいえ、シュミットという名前から察するにドイツ/オーストリア系なのかな?)し、このCDの表紙も"Schmitt"とは書いてあるけど、ファーストネームなんて書いてなかったし…。で、多分このフロランさんの方がマイナー。マイナーなんですが…いやあ、このロマン派ならではの官能性の中に、フランスならではの色彩感、またこの作曲家特有の感傷的な描き出しなんかもあって、これがなかなか素晴らしかった! このCDには、フロランさんの代表作2曲が収められているんですが、またその中でも代表的名演と言われている物だそうです(他のオケの演奏を聴いた事がないので、僕には判断できない^^;)。どちらも、題材が面白い!
ひとつは"La Tragedie De Salome"。サロメって色々と有名人がいますが、新約聖書の福音書に描かれているヘロディアの娘のサロメです。聖者ヨハネの首を持っている、あの美女の絵画のサロメです。カラヴァッジョの絵のサロメは凄かったな。。ところでカラヴァッジョって、首を切る絵が多い気がする…。おっと脱線、そのサロメ物語が2楽章形式で音によって描かれるんですが…いやあ、機能和声の官能性ここに極まれりという感じで、各シーンでの色彩感も素晴らしければ、ドラマ展開も素晴らしい!この作品、テキストは全く使われていないんですが、音楽を聴いているだけで物語の筋が解ってしまうからすごい(あ、もちろんサロメ伝説を知っているとしての話しですが…)。ポピュラーもジャズもクラシックも、片っ端からオクターブ7音の3度積み和音の機能和声音楽オンパレード状態に反吐が出そうだった若かりし頃の僕でしたが、そうでない音楽をたくさん聴いてから、こういう西洋音楽の中心的作風に戻ってくると、やっぱり西洋のクラシック音楽の伝統は偉大だと言わざるを得ない気分になってしまいます。あの精緻なインド芸術音楽ですら、ここまで緻密で、響きが多彩で、ドラマ展開に柔軟な語法には辿りつけていないわけですから。ベートーヴェンの『田園』の記事で同じことを書きましたが、音を使って絵画的な描き出しをするというこの西洋クラシックのロマン派限定の技術というのは、本当にすごいと思います。もう、この凄すぎる時間に沿って動く音的絵画を堪能するだけでも、このCDは買いです!!
もうひとつ収録されているのは、デュミエールの詩をテキストとして用いた"Psaume 47"。冒頭からいきなり打楽器的展開、"Gloire au Seigneur!!"(神の栄光!!)の大合唱で始まります。それにしてもこのパーカッシヴな展開、ヴァレーズの現代曲ほどとは言いませんが、少なくともストラヴィンスキーの"春の祭典"あたりからの影響は受けていそう。こういう「既にある伝統のバリエーションの大量生産」的な所が保守的作曲の残念な所なんだよなあ…な~んて思いながらこの作曲年を見ると…1904年?!うおおおお、、信じられない、春の祭典より先じゃねえか!!!!これは驚き、もしかするとストラヴィンスキーの方がこのシュミットの詩篇から影響を受けたのかも。思いつきですが、このシュミットの「詩編47」が、ストラヴィンスキー「春の祭典」の原典となった可能性もあるんじゃないでしょうか?!そして…この打楽器的で祝祭的な展開の合唱が終わった途端にマイナー転調するその瞬間の落差が、これまたロマン主義的な悦楽。そして、ソプラノの独白パートをハープで支えるシーンでの美しさと言ったら…いやあ、これも素晴らしい作品でした(^^)。
ジャズとポピュラーは、使っている音楽理論がおおむね同じです。違うのは、ジャズの方が和声の動きを重視する事。ポップスなんかだと、コーラスの最後にある和音(例えばG7)をジャーンと1~2小節演奏しちゃう事も平気でありますが、ジャズの場合はこういう事はせずに、そこで小さな何らかの進行を作って(例えば、Dm7→Am7→Dm7-5→G7+9みたいな流れとか…)演奏する事が殆どです。コード・プログレッション自体で劇的構成を作っちゃうんですよね。で、この時にはコードの変化によって変わる音と変わらない音というのがあって、変わる音だけを拾っていくと、それだけでメロディの体をなしたりして、残りの音は変わらないのだからそれは和音のような役割となっていたりして…みたいな捉え方もできると思うのです。で、この本ですが、ジョー・パスのあの見事なコード・ソロが、有名曲になぞらえて(というのは、著作権使用料を払わないためか、タイトルが有名曲とちょっと変えてあります。"Wine and Roses"とかね^^;)これでもかとばかりに書かれています。エクステンションの変化、代理進行、ツーファイブモーション時の付加音、メロディとの兼ね合い…いやあ、ギター1本でここまでやってしまうのか、一人二重奏だわ、すげえ…。この本を見た時、初めてジャズ・ギターの本質的なシステムに触れる事が出来たような気がしました。
また、歌の伴奏が小編成であるところが好きです。ギター、ピアノ、ウッドベース、ドラムのカルテット。ブラスバンドを入れてドッカンドッカン来る歌伴も時として悪くないですが、しかし伴奏が派手すぎると、ジャズヴォーカルの見せどころのひとつである「メロディの後のヴィブラートのコントロールの妙」が消されちゃうんですよねえ。特に、マクレエさんは、メロディが終わった後からの声の伸び方、ヴィブラートのコントロール、最後の息の抜き方が凄くって、このパフォーマンスだとこれらが全部きれいに聞こえる。それを見事に描き出した原因は、恐らくバンドマスターと思われるジョー・パスのギターなんじゃないかと思います。ジョー・パスという人はジャズギターの最高峰のひとりですが、残念なのは音に無頓着であること。名盤扱いのギター独奏のレコードなんか、ラインで録ったんだじゃなかろうかというぐらいに細い音で、音がしょぼすぎて聴けたものじゃありませんでした(T-T)。しかしこのライブでのジョー・パスのギターの音といったら、美しすぎる。ワイングラスを叩いているんじゃないかというぐらいに澄んでいて、夜鳥が鳴いているんじゃないかというぐらいにあったかい。そして、歌の合間を縫って、必要最小限にカウンターラインを入れてくるんですが…いやあ、これだけ隙間を作っておきながら、なんだこの説得力は!!ここまで音を省いて、しかしリズムを失わないでメロディを和声をまとめ上げるというのは並大抵じゃないだろ…僕的には、どのジョー・パスさんのリーダーアルバムよりも、このアルバムでのジョーパスが、彼のベストパフォーマンスだと思っています。特に、小節を倍に増やしてアレンジした"The Days of Wine and Roses"のスペースを広く残しながら歌を飾っていくギター、鳥肌モノです。