
どちらかというと、こちらの方が往年のフリージャズファンのパティ・ウォーターズのイメージに近いアルバムかも。1966年のライブパフォーマンスを収録したアルバムです。フリー系とはいっても、絶叫して恐怖のヴォーカリーズを叩きこんでくるというんじゃなくって、どちらかというと囁くように"ahhh…"と声を出しながら、徐々に音楽に入って行く感じ。フリージャズというよりも、ヨーロッパのフリーインプロヴィゼーションに近いイメージでしょうか。そして、このトランスに入って行く過程の音楽が素晴らしい!
このCDを買った頃の僕というのは、フリー系のヴォイスというのがどうも好きになれませんでした。じゃあなぜこのCDに手を出したかというと、参加ミュージシャンのメンツに魅かれたからでした。一番目を惹いたのが、フルートでクレジットされていた
ジュゼッピ・ローガン。この人については前に記事を書いた事がありますが、ものすごくデーモニッシュな呪術的なフリージャズ系の管楽器奏者で、しかし発表作が少なくあっという間にシーンから消え去り、ジャケットには写真も写っていないので、僕は大好きな人なのに顔すら知らないという(^^;)。そんな謎めいた人が参加しているレコードだったというだけで、買う動機としては十分だったのです。で、これが素晴らしい。共演者を無視して勝手に吹きまくっちゃうという事は絶対に無くって、すごく音楽全体のムードを感じながらおどろおどろしく音を出してくる。いやあ、これはハマります。また、他の共演者も素晴らしくって、バートン・グリーン、デイヴ・バレルなどなど。いやあ、フリージャズ好きな人だったら、このメンバーを見ただけで聴きたくなっちゃう気持ちも分かってもらえると思います。で、彼らが揃って「自分勝手にやかましくメチャクチャに演奏しちゃうフリー系のダメなパターンの演奏家」からはほど遠い所にいて、主人公であるパティ・ウォーターズさんのトランス具合に交感していくというか、彼女が表現しているものを大事にしながら、それを具体的な音にかえて行っているという感じです。時には悲鳴のような絶叫シーンにも達するんですが、基本的には静かに、どんどん自分の中に入って行く静かな感じ。その中に、ピアノやウッドベースやフルートの音が(時には普段音楽に使わないような特殊な音を用いて)ポーンと放り込まれた時の独特の質感がたまりません。で、魂が夜中の森をさまよっているようなフワフワした世界がずっと続いていたところで、5曲目でいきなり美しい美しいジャジーな音楽に繋がった瞬間の美しさ…これはちょっと形容しがたいものがありました。
どう聴いても完全なインプロヴィゼーションだと思いますが、ヨーロッパのフリー・インプロヴィゼーションと違って、かなり情念的な所を大事にした、相当に深い音楽と思います。あ、そうそう、BGMとか癒しとか、そういうレベルで聴くのは難しい音楽と思います。好きとか嫌いで語るのすら間違っていると感じるというか、「観賞用のものとしての音楽」というのとは、基本的にあり方が違うんじゃないかと。これも大好きなレコードです。いわゆる「ポップス」「ジャズ」「ロック」なんていうものだけが音楽だと思っていた了見の狭い昔の僕の既成概念を吹き飛ばしてくれた1枚でした。こういう音楽って、楽器よりも歌にこそふさわしいという気も。
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