
アルゼンチン関連という事で、モダン・フォルクローレのCDを。JUANJO DOMINGUEZ(ファンホ・ドミンゲス)というギタリストのCDです。
フォルクローレというと、無知な僕なんかは「コンドルは飛んでいく」とか、アタワルパ・ユパンキとかを思い浮かべてしまいます。ざっくり説明すると、南米のフォーク音楽全般が「フォルクローレ」と呼ばれてるんですよね。でも南米って広いから、地域によって色の違いが出てくる。ネイティブ・アメリカン色の強いペルーとかの音楽になるとそれこそ「コンドルはとんでいく」的な音楽が増えていくし、白人色の強いアルゼンチンとかになると、アルゼンチンに移民してきたヨーロッパから持ち込まれたクラシカルなフォーク音楽が増えます。というわけで、アルゼンチンのフォルクローレのひとつの軸には、クラシック・ギターをベースにしたフォーク音楽が多くなるわけです。その代表的な例がユパンキなんじゃないかと。完全にインストゥルメンタルで、歌がないやつまであります。ファンホ・ドミンゲスはこの流れにある人。
で、なるほどフォルクローレとはこういう意味か、というのが分かった気がしました。アメリカ合衆国のフォーク音楽なんかは、もっとギターがシンプルなものが多いというか、極端に言えばコードを押さえてジャカジャカやるだけでも通用しちゃう。だけどアルゼンチンのフォルクローレは、「禁じられた遊び」みたいでクラシック・ギター的な、ちょっとアマチュアでは真似しにくいようなテクニックが基礎にあります。これは簡単じゃないと思うんですけど、だからといって持ち上げるほどのものでもない気が。日本でも、プロのギタリストはいっぱいいるけど、クラシック的なベース&和声&旋律の一人多重奏が出来る人は多くない。でも、じゃアマチュアで出来ない人はいないかというと…クラシック・ギターさえ学んでいれば、町の教室に通う主婦でも子供でも、結構みんな出来ますよね。「簡単じゃない」「高度だ」といっても、それぐらいのニュアンスです。フォルクローレのギターは、難しいといってもそれぐらいのものだし、またそれを演奏する側も器楽的な高度な表現を求めてやっているわけじゃなくって、自分の心情をギターで演奏する「フォークロア」としてやっているんだと思うのです。技術を聴くんじゃなくって、聴いてホッコリする感じ。そこがいいと思うんですよ。このCDも、インストゥルメンタルではあるんですが、モダンジャズの「うおお、なんと熱い演奏だ!」というのでもなく、ロマン派クラシックの「おお、なんという超絶の器楽!」というんでもなく、「あ、なんかあったくっていいな、これ」みたいなものだと感じます。
ところが…気に食わないのが、レコード会社や評論家の文句。ギター音楽ファンでもある僕は、このCDの宣伝文句にだまされました。「アルゼンチンのギターの超人」「テクニックが抜群」…いや、この演奏を簡単だという気はさらさらないけど、さっき言った程度のもので、そこまで持ち上げるのはまったくの嘘だよ。もしクラシックギターを少しでも聞いた事があるなら、口が裂けてもこんな言葉は言えない。小学生だって言わないでしょう。アマチュアのコンクールでも、これよりうまい演奏家は結構いるぞ。これを本気で「超絶的なテクニック」と言っているのだとしたら評論家のレベルを疑うし、売るために言っているならリスナーを騙していいのか、という気になってしまいます。レコード会社の太鼓持ちでしかない評論家、クズです。宣伝文句が「繊細な心の機微をそのまま演奏の機微に反映させたフォークロアとしての音楽」みたいなものだったら、僕は騙された気もしなかっただろうに。ドミンゲスさん本人だって、いい迷惑でしょう。評論家さんもレコード会社さんも、あんまりいい加減なことは言わないで欲しいものです。
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