
ビリー・ホリディのレコードで一番有名なものではないでしょうか。名盤ガイドには絶対に出てくる1枚で、10インチ盤の時代は『Billie Holiday』『Billie Holiday volume 2』の2作に分かれており、日本ではこの2枚を12インチLP1枚にまとめて
『奇妙な果実』のタイトルで発売。ビリー・ホリディの自伝も『奇妙な果実』になっていました。レーベルは
COMMODORE RECORDS 、世界初のジャズ専門レーベルだったそうです。録音は1939年と44年、4回のセッションに分かれていて、後日未発表音源も発表されています。
若い頃の僕はこのレコードからビリー・ホリディに入り(きっと多くの人がそうなんじゃないかと)、そして良いとは思えず(>_<)。若い頃なんて今以上に貧乏ですから、それでも何回も聴いたんですが、やっぱり駄目。原因は、このアルバムに対する日本での紹介のされ方にあったんじゃないかと。表題曲は、ポプラの木にぶら下がった奇妙な果実…人種差別下にあった黒人の絞殺死体ですが、その背景とか、それを訴えたうたが戦慄だとか、レディ・デイの不幸な生い立ちや死についてとか、そんな言及ばかりだったんですよね。いまのAmazon でも、そういう「黒人の迫害された状況を伝える歌唱に戦慄」みたいなレビューがドッサリ。いかに昔のメディアがリスナーに影響を与えたかという事なんだと思います。ところが僕は、この曲やパフォーマンス自体が良くなければ、いくらそういう背景ばかりを有り難く語られても…みたいな感じでした。はっきりいうと、幅を利かせているそれらのお話や解説と、ここにある音楽の質や内容は、かなりかけ離れていると感じたのでした。「黒人の迫害」と、歌やバンドの技術は別問題なんですよね。だから、この音楽の内容を好きというのは分かるけれど、それを凄いヴォーカル、凄い音楽とすり変えるのは、詭弁だと感じたわけです。
というわけで、戦後の日本へのジャズ流入期という時代を経験していない僕みたいな世代の人間のひとりとしての、僕なりの感想を。まずは音楽性。「ジャズ」という言葉に引っ張られ過ぎると、違和感を覚えるかも。バンドからして、ジャズ楽団と言い切っていいかどうか微妙、戦前のアメリカに数多く存在した「ビッグバンド編成の楽団」とだけ思っておいた方が良いと思います。だから、古いハリウッド映画で聴かれるような演奏と音の印象、"Fine and Mellow""I love my man" に至っては、
Tボーンウォーカーあたりのビッグバンドつきのブルースに近く感じました。つまり、
ジャズも映画音楽もショーも何でもこなすアメリカ特有のプロ・ビッグバンドが伴奏を務めた、商業的アメリカ音楽、が正解ではないかと。そういうものとして楽しめば、当時の社会情勢を知らない僕みたいな世代の人でも、純粋に音楽面だけを楽しめる気がしますし、音楽と評論の変なギャップに苦しむことからも救われると思います。
次に、音楽のクオリティについて。バンドは下手です。このセッションのアウトテイク集も聴いた事がありますが、バンドがとにかく合いません。ビリー・ホリディの歌については…美空ひばりみたいなもので、あれはうまいとも言えるけれど、そのうまいという意味が、純粋な技巧面だけではない点は認識しておいてよいかと。ビリー・ホリディの歌を「ものすごい歌だ!」とか褒められると、技術面を伴った凄さと思ってしまう可能性があるじゃないですか。うまいといっても、「技巧面のレベルが高い」「表現力がある」「味がある」は、それぞれ違う事だと思うんです。レディ・デイの場合、うまいには違いないんでしょうが、「味わいがある」的な意味でのうまいという部分が大きいと思うので、万人に成立するうまさとはちょっと違うと思います。だから、このレイドバックしたムードを楽しめるかどうか、というところが評価の分かれ目かも。
さて、久々に聴いた感想は…う~ん、「ジャズエイジ以降、モダンジャズ以前のジャズのあの雰囲気を残した音楽で、一時代を築いたヴォーカリストが、世界初のジャズレーベルに残した作品」みたいな歴史的意味はあるかもしれませんが、単純に音楽そのものを楽しみたいなら、僕は『ビリー・ホリディの魂』の方を断然プッシュしたいなあ。色々言われているサイドストーリーに左右されすぎないようにして、あまり他の音楽と分化され切っていなかった時代の古ーいジャズに触れてみる、ぐらいの気分で聴いた方が、案外楽しめる1枚じゃないかと思います。
*追記(2022.1.) これだけ否定的な意見を書いておいて、久々(7年後ぶり!)にこのレコードを聴いたら、ちょっと泣けてしまいました。きっかけは、ネットラジオを聴いていた時に、すごくあったかい雰囲気のアーリータイム・ジャズが流れてきて、「お、なんて気持ちよくてあったかい音楽なんだろう」と思ったところ、なんとビリー・ホリデイ。しかも、「暗くて辛くて聴いてられないわ」と思っていたあのアルバム『奇妙な果実』収録の曲でした(「My old flame」)。いやいや、これはちょっと聴きなおさないといけないかも…そんなわけで、久々に聴いたら感動してしまったという。
聴きなおして思った事が色々あります。第1は、曲順のアヤ。僕が持ってる12インチLPレコードはもともと10インチ盤で出ていた2つのアルバムを合体させて、ビリー・ホリデイのコモドア録音全集として出したもの。LP全盛以降に日本で知られた『奇妙な果実』はほぼこの形で、曲の並びが白人による黒人リンチ殺害を歌った「奇妙な果実」、以降は暗めのブルースが前半に並びます。これで僕は「暗い」という印象を持ってしまったんじゃないかと。でも実は、ビリー・ホリデイの声ってすごくあったかいし、収録されている曲は「Fine and mellow」みたいなレイドバックした気持ち良さを持つ曲や、「Embraceable you」「As times goes by」なんていうロマンチックな曲がいっぱい入ってるんですよね。こういう曲がアルバムの最初に来ていたら印象はまた違ったかも。なぜ日本の再編集盤では暗い曲を先に並べたかというと、人種差別に抗議したセンセーショナル性や、ビリーの不幸な最期などを日本おレコード会社が売りにしようとしたからなのかも知れませんね。
第2は、昔の日本男ジャズ・ファンがこのレコードに心酔した理由って、音や詩そのものものより、それを通して彼女の人生に感情移入出来たところにあったのかも。というか、今回感動させられた僕がまさにこのケース。若いころの僕は絶対音楽主義者で、それは職業音楽人としては絶対に持ってないといけない視点だったと思うんですが、でも音楽ってもっと色んな成立の仕方が出来るし、それでも個人で楽しむ分には別に構わないと思うんですよね。今回、そんな事をこのレコードから教わった気がします。
ビリー・ホリデイの両親は結婚していなくて、しかも13歳とかそのぐらいで一緒になった人。で、母子家庭となった家庭で、母親は売春をしてなんとか生計を立てて、ビリーは親戚たらいまわし。彼女を抱っこして一緒に寝ていたひいおばあちゃんが、起きたら死んでいて、ビリーは死体に抱かれていたなんて言う逸話もあるほど。ビリーは教会の作った養護施設に入れられ、15歳の頃にはニューヨークのハーレムのナイトクラブに入り浸りだったんだそうです。そこで歌って日銭を稼いだのが彼女の人生を開くんだから、人生は分かりません。で、レスター・ヤングと浮名を流したり、レコードデビューしたり、つらい幼少期を送った彼女にも、拙しいながらも幸福を感じた時期だったんでしょう。
なんだかこのレコードを聴いていたら、辛さを味わった彼女も、貧しいながらも幸福を感じた彼女も、なんだか自分の事のように感情移入してしまって泣けてきた、みたいな。僕は若いころにある女の子と同棲して、すごい狭い部屋で二人暮らししていた事があるんですが、今からすればあんな狭いところに2人なんてよく住めたもんだと思うほどに貧しくて惨めに見えるその生活も、好きな人とずっと一緒にいられる幸福感でいっぱいだったんですよね。今回このレコードの聴いて感じた幸福感って、そんな感じ。
歌や音楽に「魂の」とか「悲しみが」とか、そういう形容をつけるのは、僕は好きじゃないです。僕が本当に凄い音楽体験をさせられた音楽って、そういう人情的なものをとっくに超えたところにあるものでしたし、音楽を悲しみとかに還元すること自体がナルシスト的というか、嫌だという心境もあったりしたもんでね。でも、今回この音楽で心を動かされた部分を端的に言うと、日常レベルで見た人の人生を情緒として語るとどうなるか、みたいな。苦手な映画や音楽が好きになる瞬間って、本当にあるんだなあと思いました。だからレコードはうかつには手放せないです(^^;)。