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心に残った音楽♪

おすすめCDの紹介のほか、本や映画の感想などを (*^ー゜)v

 

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アーティスト、プロ演奏家、プロ音楽家…のハナシ

backband.jpg 前回のキース・エマーソンの記事で、「プロ演奏家、プロ音楽家、アーティストは違う」みたいな事を書きました。そのあたりのハナシをちょっと。

(プロ演奏家について)
 プロ演奏家という職業があります。仕事で来た演奏を全部やる商売。僕もそうやって食っていた時期があるんですが、ロックバンドやアイドルのサポート、レコーディング、ホテルや野球場のイベント、来日アーティストの伴奏などなど、来たものは何でもやって稼ぎにする仕事です。特に鍵盤奏者は数が多いので、中でもレベルが高かったり。ソルフェージュ能力や読譜能力に優れるという意味では、クラシック系のプロ演奏家は、中堅クラスですらポップ・ロック系で天才扱いされているアーティストよりも数段上なんて事もざらです。
 音大生の時、最終的に僕は作曲科に転科したんですが、もとはクラシックの鍵盤科でした。演奏科は技術養成所みたいなもんですから、学生は食えるかどうかをずっと意識していて、それは卒業が近づくほどに強まります。先輩や同級生との実力差が痛いほど分かるので、トップランナー以外は徐々に追い詰められ、年々脱落していきます。実力がないと思った人は、色々手を打ちます。ポピュラーのインストグループを作ってレコード会社や音楽事務所に売り込みに走る人、競争相手の少ない別ジャンルに生き残りをかける人…3年にあがる頃にもなると、転科する人まで現れます。僕からしたら羨ましいような受賞歴を持つ友人のピアニストが、競争相手の少ないジャズのパーカッション科に移った事もありました。こうした中から勝ち残った人がプロの道に進むんですが、ピアノ科でクラシックの道に進んで食っていけるようになった人は、僕の期では院に進んだ人を含めてゼロ。ジャズなどのポピュラーに転身してプロになった人はそれなりにいましたが(僕はその一人)、年を重ねるごとに減り、卒業から20年以上たった今、何人が生き残ってるのか分かりません。僕はジャズをメインに、プロ演奏の仕事を事務所からもらって凌ぎにしていたんですが、その収入は居酒屋のバイトより安いぐらいでした。それでも10年ぐらいはプロとして活動していたんですが、結婚する時に「プレイヤーでは経済的に無理だ」と思い、ついにリタイア(・_・、)。同期の中では生き残っていた方だったんですが…。その後、ポピュラー界では女性アイドルグループのライブが大流行、今ではプレイヤー数が足りない…なんて話をきくと、もう少し続けてれば良かったと思わなくもないんですが、でも40を超えてアイドルものなんて、お客さんだって嫌か(^^)。まあ、これは音大→プロの道のハナシであって、ロック/ポップス系のプロは音大関係ない人も多いです。そっち方面はあんまり分からないけど、バンドでデビューした後、そのバンドが解散してプロ演奏家に転向、というパターンが多いのかな?

orch_riha.jpg(プロ演奏家とアーティストの違い)
 前回書いた「プロ演奏家であってアーティストではない」というハナシについて。クラシック系のプロ演奏家の技術の高さが創造とイコールかというと…別と思うんですよね。アーティストというのはクリエイティブが条件と思うので、仮に楽譜を演奏するにしても、「こういうスケールや和音がお決まりだし安全だけど、違うアプローチで違う効果を出す事」とか、メロコード譜の演奏ですらクリエイティブさが出る場所というのは随所にあって、作曲どころか演奏ですらアーティスト演奏とプロ演奏は根本から違うと僕は思ってます。キース・エマーソンのハナシが出たので、この例をプログレでいえば、以下のような感じ。あくまで僕の主観ですので異論はあると思いますが許してね(^^)。
 『太陽と戦慄』のロバート・フリップ:アーティストでありプロ演奏家
 ・ELPのキース・エマーソン:アーティストじゃないけどプロ演奏家
 ・『Join Inn』のマニュエル・ゲッチング:アーティストだけどプロ演奏家じゃない


 僕はとっくにリタイアしてしまったので、今では音楽を聴いて楽しむ事の方が多くなりました。CDなんかで、いくらでも超一流の演奏が聴けるようになった今では、超絶にうまいのが当たり前に感じちゃう。だから、演奏技術(指がはやく動くとか、そういう低レベルのハナシじゃなくって、ソルフェージュ能力も表現能力も含めた音楽的な演奏技術、みたいな感じ)の凄さなんて、それこそ若い頃のアルゲリッチとか、極端に突き抜けていないと「すげえ」とならなくなっちゃいました(^^;)。それに比べるとアーティスト性は目につきやすいです。で、身内を悪く言うようで気がひけるんですが、プロ演奏家養成所である音大出身のプロ演奏家は、どうもアーティスト性に劣る気がしてなりません。これは、演奏の技術や表現じゃなくって、もっと根本的なアーティストとしての挑戦という所で…これはしかたない面もあって、僕も音大生時代に「アーティスト活動なんて好きにやったらいい。それよりも、まずプロとして一本立ちして食えるようになるのが先」と、何人かの先生から言われました。これって一理あると思うんです。でも今になって思うのは…現音やフリージャズが好きな思いっきりアーティストタイプだったくせに、収入を優先してプロ演奏家の道を優先させた事で、一体何が残ったのかという事。ELPを聴きながら考え込んでしまったのは、この点でした。プロ音楽家でも、アーティストものが好きな人と、アーティストものは好き嫌い以前に「分からない」という人がいる事は知っておいていいんじゃないかと。例えば…昔、ジョン・コルトレーンの「ライブ・イン・ジャパン」メシアンの「主題と変奏」を褒めちぎった事がありますが、あれらを「よく分からない」という人は、プロでも結構いました。理解できているかどうかは、少しでも話していると分かるもんなんですよね…。それ以前に、芸術音楽に触れた事すらないというプロ音楽家もいますしね。演奏や作曲を職業としている人が、音楽を理解できているとは限らない、というわけです。

(アーティスト、プロ演奏家、プロ音楽家の違いについて)
 アーティスト性について。ミュージシャンの事を「アーティスト」と呼ぶ事がありますが、僕がいうアーティストはすこし意味が違うのでちょっと注意。これを、今度はジャズ・ピアニストの例でいえば…
 ・ビル・エバンス:△アーティスト/○プロ演奏家/△プロ音楽家
 ・デイブ・バレル:○アーティスト/×プロ演奏家/×プロ音楽家
 ・ライル・メイズ:×アーティスト/△プロ演奏家/○プロ音楽家


 全部○である必要なんてないし、そんなのほぼ不可能。ひとつでも○があれば凄いと思います。で、僕が言っている「アーティスト」性が高くなればなるほど、音楽を専門に聴いているわけではない人からは「わけの分からないモノ」「意識高い系」みたいな扱いになりがちで(これは日本に限らず)、プロ音楽家として成立しにくくなる。去年の最後に「今年聴いたCDのベストテン」みたいな日記を書きましたが、その1、3、4位は日本人ミュージシャンでした。この方々はどう聴いたって凄い超一流アーティストですが、じゃあ食えるかどうかのプロ音楽家という判断でいうと、多分苦労してるんじゃないかと。つまり、「超一流のアーティストだけど、プロ音楽家ではない」事になるんじゃないかと思います。というか、稼ぐときは「プロ音楽家」として、アーティスト性を殺して稼いでる気が(・ω・)。この手のアーティスト問題というのは、クラシックの世界でいうと、演奏家よりも作曲家にとって深刻。最後にはややこしい現代の作曲技法を専門にしたボクですが、作曲やアレンジの仕事でそれが役に立った事はありませんでした。仕事ではオーダーのTPOに合わせた曲しか書けず、アーティスト性を盛り込んだ音楽を書きたかったら、自分で勝手にやるしかない。でも、クラシック界でいうと、管弦どころか室内楽曲ですら、賞を取って、何らかの文化的保護を受けられるようにならないと、それだけやって生きていく事はキツイ…というか、ほぼ無理。フルオケものを書いて、プレイヤーを雇ってホールでリサイタルなんてしたら、1回で破産です。芸術は経済構造と馴染まないので、保護しないと枯渇してしまう。だから芸術を価値ある文化とみなして保護する…という考え方はヨーロッパには結構あるんだけど、日本にはほぼ皆無で、企業メセナですら超古典のクラシックか純邦楽の保護…みたいな若干ズレた方向を向いてます。そのヨーロッパですら最近は資本主義が強くなってるみたいで、まして日本は「売れない音楽を保護する必要がどこにあるの?」というのが一般的な考え方だと感じるんですよね…。外国のパクリが殆ど、たまにあっても海外で評価されて逆輸入じゃないと自分じゃ評価できない…みたいな日本の芸術音楽の惨状の背景は、結局はこういう日本全体にボンヤリ漂っている芸術に対する考え方があるんじゃないかと。2020東京五輪ではAKBが指名されましたが、それをFIFAワールドカップのドイツ大会で作られた音楽と比較すると…これ以上書くと悲しくなるのでこの辺で(x_x;)。ちょっと話がそれましたが、芸術を保護しろと言いたいんじゃなくて、本当の「アーティスト」と、EXILEあたりを「アーティスト」と呼ぶのは全然別、という事を言いたかったです。こういう基準でいえば、エマーソンは、ロックでいえばプロ演奏家○、アーティスト×、プロ音楽家◎ぐらい?60年代後半ににやっとアーティスティックな道を開いたロックも、70年代中盤~80年代にはけっきょく商業音楽方面ばかりになりましたが、エマーソンの活動がこの流れと大体一致してるのは面白いです。

(アーティスト音楽のむずかしさ)
 アーティスト音楽にも危険があって、挑戦という面があるだけに、詐欺師が出やすくもあるのかな~、とも思います。24時間に1音しか鳴らない音楽を「このアートが分からないのか?」と言い張ることだって可能。ここがアーティスト音楽のむずかしい所で、音楽家当人だけじゃなくって、それを理解する人のレベルまで重要になっちゃいます。日本の場合、佐村河内さんの例ひとつ取ってみても、批評家が音楽を自分できちんと判断できるレベルになる日はまだ遠いのかな?話題になった交響曲"HIROSHIMA"は、作曲技術は一流ですが、芸術音楽としては何もしてないですからね。それを、「広島の悲劇」とか、音楽とは全然関係ない部分で詭弁を使われただけでコロッと行っちゃう批評家のレベルときたら…。僕だったら、芸術音楽を作る時に「広島」や「ベルリンの壁」を出す事自体に抵抗を覚えます(社会活動として評価されてもいいのかも知れませんが、純音楽という点からはむしろ自分から純音楽を否定するやり方だ、という意味で。もっとストレートにいうと、こういう題材を評価につなげようとする嫌らしさが大嫌い)。でも、クラシックの批評界はまだマシで、ジャズなんて最悪。ポピュラーと芸術の区別すらつかないライター山の如し。けっきょく、アーティスティックな音楽の中でも評価しやすいものって、今までの音楽をちゃんと前提にした上で、その先を行くものに限定されるのかも。根本から覆すんじゃなくって、全体の2~3割を革新していく感じが、芸術に許されたバランスなのかも知れません。そういう意味で言うと、ピカソよりもジャコメッティやキーファーの方が評価しやすいかも。それでも評価しにくいものに挑む場合は、現音みたいに、作曲家が作曲意図と技法面での工夫や挑戦を説明するようにしないとダメなのかも知れません。というわけで、芸術音楽がライズアップするには、音楽家だけじゃなくって音楽界全体のレベルが向上しないと、芸術音楽の本当に凄いモノや人が日の目を見る日なんて来ないのかも…。でも、絵でも造形芸術でも映画でも、本当のアーティストというのはだいたい日の目を見ないですから、そういうものなのかな。
 ただ、アーティスト系の音楽には決してデタラメでない絶対的な軸もあって、またそれがプロ演奏家レベルの精度で音になった時は、とんでもなく凄い事になる…というのを、僕は人生で何度も体験してきました。そして、その手の強烈な音楽を実現するためには、「アーティスト」と「卓越した演奏技術」のふたつが必要だけど、これを作り上げるのに、多くのミュージシャンが気にかけている「プロ演奏家」や「プロ音楽家」という条件を満たす必要はまったくなかったりします。結局は何を目指すかなんでしょうけど、インチキじゃない「絶対的な軸の上にあるアーティスト音楽」に取り組んで作り上げたのであれば、それが社会にどう評価されたかなんて関係なく、既にミュージシャンとしては超一流なのかも知れません。それに、純粋に音として強烈な衝撃を僕に与えてくれた音楽は、ジャズだろうがクラシックだろうが、「芸術音楽」と呼ぶに値する姿勢で作られたものがほとんどだったんじゃないか、という気がします。

 な~んてダラダラと長文を書いてしまいましたが、ほぼ聴く側に回った今の僕はお気楽なもん。感動に吹っ飛ばされたいときは「芸術音楽の凄いやつ」、清涼飲料を飲むみたいにパーッと行きたいときはロックやバップ、ふうっと落ち着きたいときは室内楽やジャズヴォーカル、ちょっと音楽旅行したいときはワールドミュージック…みたいに、うまく音楽と付き合えていけると、日々が3割増しぐらいで心地よくなるんじゃないかな~、な~んて思ってます(^^)。



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『Emerson, Lake, and Palmer / Brain Salad Surgery』

ELP_Brain.jpg エマーソン・レイク&パーマーの最高傑作と呼ぶ人も多いアルバムです。そう言われるだけのものがあって、曲も演奏も隙がなく完成度が高い!でも若い頃、ELPの『トリロジー』をすごくいいと感じたくせに、このアルバムには触手が動きませんでした。なんでかというと…まず、邦題が『恐怖の頭脳改革』であった事。くっそダセえ…(^^;)。次に、ジャケットがギーガーの絵だったこと。いや、ギーガー自体は嫌いじゃなくって、エイリアンのデザインとか大好きなんですけど、やっぱりセンスが子供っぽいかな…。こういうジャケやタイトルを採用している時点で、浅い考えなんだろうな…と感じちゃったのです。
 もうひとつは、ELPの音楽が、音楽の内容に深さがあるわけじゃなくって、クラシック系ピアノ教室あがりの鍵盤奏者がパンパンやりたいだけのものに思え始めていたこと。で、ジャケットやタイトルのセンスと、ELPの音楽に感じ始めていたことが、僕の中でつながっちゃった。なんていうのかなあ…絵でも音楽でも、テクニックは合格点まで行ってるんだけど、やる事そのものが子供っぽい人っているじゃないですか。絵がうまいのに、アニメの美少女ばっかり書いてる人、みたいな。。ああいうのを想像しちゃったんですよね。この頃はジャズや現音や民音にも手を出し始めていた頃なので、僕自身がもう商業ロックから卒業しないといけない時期だったのかも知れません。でも、中古盤屋で『展覧会の絵』とこのLPはいつも数百円で売っていた(それだけヒットしたんでしょうね)ので、ついに購入。で、聴いてみたら…「あれ、けっこういいじゃん」(^^)。食わず嫌いは駄目ですね。。でも内容は全然覚えてなくって、久々に聴いたのが今、という次第。

 ナイスの時から、キース・エマーソンは変わりません。若い頃から、自分の音楽が確立されてたんでしょうね。なので、他のアルバムを良いと感じる人は、このアルバムも良いと感じるんじゃないかと。他のアルバムと比べて素晴らしい点は、曲も演奏も精度が高い所。この点ではELPの到達点みたいなアルバムなのかも。逆にマイナス面は…大好きな『トリロジー』との比較でいうと、作曲も演奏も細かい所ばかりに向きすぎていて、木を見て森を見ず感があり。バランスを失っている感じかな?これって多分、「俺たちらしさはここだ!」みたいな自覚が出てきて、そこを強く押そうとしたらバランスが崩れた、みたいな感じ?この辺の感覚って難しそうです。例えばディープ・パープルのギターのアーミングって、メッチャかっこいいじゃないですか。でも、「あ、これはカッコいいぞ」とそればかりやるようになっちゃうと「ギュンギュンやってばかりいないで、もっとちゃんと弾けよ」みたいになっちゃう。ミュージシャンって、音楽よりも自分らしさを追求し出すと、大体いい結果にならないですよね(^^;)。あ、でも、大作志向でなくって、ちいさな曲の詰め合わせみたいなのが好きな人なら、このアルバムは聴きやすくていいかも(^^)。

 久々にキース・エマーソン関連のアルバムをいろいろ聴いてみた感想は…ロック界の素晴らしいプロ演奏家、そしてプロ音楽家。意外と、アーティストというのとはちょっと違うんだな、と思いました。音楽って共同作業になる事が多くて、素晴らしい曲があっても、それをカッコよく演奏できる演奏家がいなかったら、どうにもならないです。そういう点でいうと、他の音楽ジャンルに比べると演奏レベルの低かったロックの演奏技術をひきあげたパイオニアのひとりだったのかも。演奏としてのロックをプロ演奏家のレベルにまで引き上げた、すごくいいプレイヤーだったんだな、と思います。


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『The Nice / Five Bridges』

Nice_FiveBridges.jpg ELPの『展覧会の絵』に触れた以上、触れないわけにはいかないアルバムかも。キース・エマーソンがエマーソン・レイク&パーマーの前に在籍していたロックバンド「ザ・ナイス」のアルバムです。邦題は「組曲 五つの橋」。ザ・ナイスって、僕はこのアルバムしか聴いてないんですが、他のアルバムではどういう事をやっているのか、ちょっと興味があったりして(^^)。

 このアルバムの表題曲は、管弦がロックバンドの演奏と交互に入ってくるような形になった組曲形式で、すごくストーリー性があります。「5つの橋」から、ルパン三世の「7番目の橋が落ちる時」を想像したのは、僕以外にも1000人ぐらいいるはず(^^)。エマーソンは、ELPの『展覧会の絵』と同じコンセプトのアルバムを既に発表していたわけですね。ところで、この管弦のアレンジって誰?キース・エマーソン?いや~、ある程度クラシックの勉強をした人がロックバンドに参加して、管弦楽のアレンジも出来るチャンスが回ってきたら、それはメッチャ嬉しいでしょうね(^^)。そういえば、ディープ・パープルのジョン・ロードもロイヤル・フィルとのジョイントの際は、バンドそっちのけで管弦のアレンジに夢中になっていたそうで(^^)。
 で、肝心のロック・バンド部分ですが、もう既にELPとあんまり変わらない感じ、エマーソンのこういう音楽は既に完成してたんですね。エマーソンのオルガンやらピアノやらシンセが音楽の中心、歌なんてオマケです(゚∀゚*)。決めだらけのロックフュージョン的な意味の「プログレ」、でも音楽は全部基礎和声という、子供が習うクラシックピアノ教室で腕を磨いた人が作ったロックみたいです(^^)。僕にはあまりにもいい子ちゃん過ぎて、ちょっと刺激が足りませんでした。すべて教科書の範囲内という所がね…。でも、ものすごくよく出来ていて、いいモノを作ろうという気合いがビシビシ伝わってきます!和声にはそんなに刺激を求めてなくってむしろカッチリ安定している方が好き、そしてあんまりヘビーじゃない、ある程度ポップな雰囲気もあるテクニック系プログレが好み…みたいな人にとっては大ビンゴかも?!



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『Emerson, Lake & Palmer / Pictures At An Exhibition』

ELP_Picture.jpg 僕がELPで最初に聴いたのは、たぶんこのアルバム。ムソグルスキーの『展覧会の絵』というクラシックのピアノ作品(管弦楽アレンジの方が有名?)を、ロックバンドのELPがやったもの。ライブ録音です。このアルバム以前にも、キング・クリムゾンやフランク・ザッパがホルストの『惑星』の一部を引用した事はありましたが、ロックバンドがここまでクラシックの作品に大々的に取り組んだ事は、それまでなかったんじゃないかと。とはいえ、原曲は一部抜粋だったり、アレンジも「あ、こんなふうにしても著作権は大丈夫なのか」という所もあったり、ELPのオリジナル曲や即興っぽい演奏も入っていたり…と、完全なアレンジ物というわけではありません。ロックですね~(^^)。

 僕はこのアルバムをマジメに聴いた事が、3回あります(マジメじゃなければけっこう聴いてきました^^;)。それぞれに感想が違うんですよね。最初に聴いたのは、中学生の時。プログレ大好きだった僕にとって、このアルバムはちょっとだけ退屈でした。和声/スケールもリズムも、とにかくインサイド。これって、クラシックのオーケストラの音楽を「退屈だ」と感じてしまう感覚に近いんでしょうね。というわけで、『太陽と戦慄』時期のクリムゾンや『ウマグマ』期のフロイドが素晴らしいと感じ、『危機』時期のイエスとかをつまらないと感じるようなセンスだった僕にとっては、これは演奏の良し悪し以前に、相性が合わなかった(;_;)。

 2回目に聴いたのは、音大生のころ。音大に入った頃、お願いするピアノの調律師の方を変えました。その調律師さんはピアノもうまくクラシックも本当に詳しかったので、僕は大尊敬。そしてその人がELPが好きだと聞いてびっくり。その調律師さんのハナシでは、ELPが一世を風靡したのって、72年ぐらい(?)からほんの数年。でもその時のロックは、グランドファンクの大雨の中での爆音来日公演に、このELPの来日公演…「また何か起こる?!」みたいなワクワク感があったそうです。ひとつ言えるのは、単純にこのサウンドに感動したかどうかという世代間ギャップはあるかも。確実にサウンドは大きな魅力で、かっこいいです。でも、僕の時代まで来ちゃうと、安いデジタルシンセのプリセットにすらこういう音は山ほど入っていて、こういう音にありがたみを感じにくくなっちゃっていたのかも。そうそう、クラシックもその頃は凄くワクワクしたそうで、「大学生は今みたいに馬鹿じゃなくって、クラシックもジャズも聴くし、本も読んだもんだったよ」との事。ああ、それ、ちょっとうらやましいなあ。。

 そして今回。このアルバムを楽しむにはコツがあるのかも。まず『展覧会の絵』の原曲やクラシック界での演奏がどうこうという考えはナンセンス。ラヴェル版アレンジのゲルギエフ&ウィーン・フィルあたりを知っている人が、この演奏を「すごいテクニックだ」とか「理解するのに10年かかる傑作だ」なんて讃える人たちに「そうじゃないだろ」と言いたくなっても当たり前なんですよね。たぶんこのレコードに感動した人は、先にELP体験をした人が圧倒的に多いと思うんですが、その人たちがどこに感動したか、という所が重要なんじゃないかと。音楽の教科書からはみ出してないとか、表現が「押す」しかないとか、そういう音楽的な聴き方をしちゃダメ。ひっくり返して言えば、クラシックピアノでこういう爽快感を感じた事はあんまりないので、やってる部分が違うんだと思います。指が動くという意味で「フュージョン」(チック・コリアのエレクトリック・バンドとか)とほとんど同じ意味で使われる「プログレ」として聴けば、指が動くのを楽しんでいるようなこの音楽は楽しい!やってる方も、すっごい楽しかったんじゃないかな~。この疾走感や爽快感を楽しめれば、すっごく楽しいです。でもそうなると、『展覧会の絵』である必要はどこにもなくなっちゃうんですが(・ω・)。

 僕はロックとクラシックのどちらかだけ無人島に持って行って良い…と訊かれたら、悩んだ挙句にクラシックを選んじゃうと思います。でも、クラシックって、窮屈に感じる時があるんですよね。ピアノでいえば、今鍵盤を押さえている指のどれをいちばん強くして、どれを弱くして…なんていうのをひたすら追求していくので、「ああ、もっと自由にガンガン演奏したい!」な~んて思っちゃう時もあったりして(^^)。クラシック・ピアノをリスペクトしつつ拒否もしているように見えるエマーソンさんにも、こういう感覚があったのかも。このアルバム、さすがに賛否両論の出る音楽と思います。全員がリスペクトしたら絶対におかしいし、かといって全否定もありえない。やってる事が子供っぽいので、大人になってしまった今の僕が推薦したいとは思わないアルバムですが、当時のロックのキラキラ感につながっていただろう、この賛の部分を楽しめたら…ロックに新しいやり方を持ちこんだ、ロック好きなら聴かずに通過は許されない類のアルバムと思います。な~んて、これ以前にもエマーソンは同じような事をやってるんですが(^^)、それは次回にでも。



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『Emerson, Lake, and Palmer / Trilogy』

ELP_Trilogy.jpg キース・エマーソンが拳銃自殺してしまいました。享年71歳、理由は病気を苦にした所からくる鬱…だったそうです。これは本当に悲しい。あらためて、ご冥福をお祈りします。

 さて、僕が一番好きなキース・エマーソン関連のアルバムがこれ。ELP(エマーソン、レイク&パーマー)のトリロジーです。特に、連続で演奏されるアルバムA面の冒頭3曲“The Endless Enigma, Part 1~Fugue~The Endless Enigma, Part 2” の流れ、これが素晴らし~(^^)!冒頭はシンセ単音の簡単なメロディ。これを受ける形でピアノが入り、次第に打楽器セクションが出てきて、バグパイプが重なり、対立していたシンセとピアノが3連譜のユニゾンで加速して一気にメインテーマになだれ込みます。最高にスリリング、「盛り上がってきた、これは来るぞ?!」という感じ、やっぱりこういうドラマ性の高い音楽は興奮します!!そしていよいよ出てきたメインテーマも、メロディラインがすごくきれい。このメインテーマは大切に扱われ、主題転調し(いかにもクラシック的なやり方ですが、そういえばポピュラーでこういうやり方ってあんまり聴かないですね)、そこから調の違う2曲目になだれ込み、ここからアコースティックピアノの演奏…かと思いきや、引きまくった後で1曲目のメインテーマの再現部に戻します。つまり、このクラシカルなピアノソロは、冒頭3曲をひとつとして見立てれば、ソナタでいう所の展開部として使われるわけですが、この楽曲構成力が素晴らしいです。以降も、ところどころにクラシックの名曲のフレーズがチラチラ出てきながら、しっかりした曲とか、あるいはアドリブ演奏重視の曲とか、バラエティに富んだ形でアルバムが進行していきます。最初から最後まで本当に楽しいアルバム、おススメです!!

 僕がELPを初めて聴いたのは中学生の時で、その時は既にリアルタイムでは無く(80年代)、最強布陣時のキング・クリムゾンや初期ピンク・フロイド体験よりあとでした。「プログレって凄いな」と新鮮に感激していた頃で、プログレの名盤と言われているものを片っ端から漁っていた流れでELPと出会いました。クリムゾンの『太陽と戦慄』とかフロイドの『ウマグマ』に比べると軽く、ポピュラー寄りのプログレというのもあるんだな…というのが最初の印象でした。この軽さのために、ELPは1~2枚聴いて終わりだった可能性もあったんじゃないかと思いますが、この『トリロジー』が素晴らしすぎました。トリロジーを聴かずに他を何枚か先に聴いていたら、危なかったかもしれません(^^)。というわけで、僕にとってのキース・エマーソンは、ELPのこのアルバムに尽きます。他は全部手放しても(手放さないけどね ̄ー ̄)、これだけは一生持っていると思います。冒頭3曲の流れは素晴らしすぎ、必聴です!!


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『高柳昌行、阿部薫 / 解体的交感』

TakayanagiAbe_Kaitai.jpg 日本のフリージャズ伝説の1枚、サックスとエレキ・ギターによるフリージャズです。エレキ・ギターとはいっても、最近のエフェクターをたくさん使って音を作ってるんとはだいぶ違くて、古めのチューブ系アンプにダイレクトに突っ込んた音みたいな感触。で、使っているのがボディが空洞のジャズギターだからハウリングしまくり、それがフィードバックみたいな効果を出していてやたらとカッコいい(^^)。ただし、これはLPの話。ここが死ぬほど重要です。

 この音楽はデュオですが、ちょっと変わってます。デュオってプレイヤーが相手にする自分以外の音は、ぜんぶひとりの共演者の出した音になるんですから、即興だとどうしたって対話的な感じになりがちと思います。ところがこのアルバムの演奏は、相手の音を聴いて…というコール&レスポンス的にも、あるは主役とバックという風にもならないです。かといって、自分だけの音を延々と出しているかというと、そうでもないです。たしかに相手ありきの音楽なんですが、自分の音も相手の音もコンセプトもひっくるめて、お互いに音を出している気がします。ここは、聴いた瞬間に「あ、なるほど」と、妙に感心してしまいました。ギターなんてかなり恣意的、指癖や勢いで行ったらメジャーコードなんて簡単に鳴っちゃうと思うんですが、そういう幸せな音は絶対に鳴りません(^^)。ひたすらハード、シリアスな音の塊。サックスも、指先だけの早さじゃなくって、かなり息を深く入れて太く艶やかな音を生み出したうえでの高速プレイ。小手先じゃないです。こういう音の緊張感を途切れさせないまま一気に突っ走るんですが、このブレない精神力がすげえええ。

 でも、悲しい物語がありまして。僕はこのアルバムがCDで再発された時に飛びついて買ったんですが(LPは高いどころの騒ぎではなく、神戸と大阪では見た事すらナシ。ライブで東京に行ったときに初めて見たんですが、10万円!!買えねえ…=_=)、全然つまらなくってダメでした。ビックリするほど音がチープ。しょぼ過ぎて、期待に胸ふくらませて買ったのに「全然つまんないや」となってしまったのです。悲しい…。ところが、それから何年も経ってから、友人の超ジャズマニアさんからこのLPを聴かせて貰ったんですが…すげえええ、音が全然違う、メッチャクチャカッコいい!!!この音質の差、絶対にCDとLPというマテリアルの差じゃない。マスタリングとかミックスとか、そういうポストプロダクションでのミスじゃないかと。このCD、結構音がパチパチ鳴ってるので、マスターテープではなくLPから拾ったと思うんですが、その時の作業が絶対にマズかったと思います。CDには音が小さい所でレコードの走行音がはっきり聞こえる所があるんですが、そこを聴くと、どういうイコライザーをかけたのか想像できます。…中低音スッカスカ、生楽器にとってこんな重要な帯域をイコライザーでがっつりカットするなんて馬鹿じゃないのか。リマスターCDに食指の動かない僕なので、音には無頓着な方だと思うんですが、さすがにこれだけ改悪されると洒落になりません。僕が持っているCDは初CD化時のものですが、今は改善されたのかなあ。

 もうひとつ。CD盤はあらたにライナーが付け加えられていますが、これもちょっと…。CDのライナーを一部抜粋すると…「まず演奏=音楽を「投射」であるとする部分について。Projectionとは「投影=映写」でもあり、そこにはおのずと「光源」と「スクリーン」というものが措定される。これをそのまま「演奏者」=「主体」と「聴取者」=「客体」としていいのかどうか?」…掘り下げている所がまるで見当違いな気が(^^;)。仮にクラシックでこんなライナー書いたら、国外追放ものと思います。フリーを含めて日本のジャズをダメにしたのは、実は評論家じゃないかと思ってるんですが、レコード会社やミュージシャンの太鼓持ちとか、評論にかこつけた自分のポエムを書いちゃう人とか、やたらに多いんですよね…。

 この作品のCD化の不幸は、CD化に当たってのディレクター、マスタリングエンジニア、ライナー執筆者…90年代以降の日本のフリージャズを取り巻く一部伝え手のマズさによって起きたんじゃないかと。というわけで僕の中では、LPは名盤、CDは超駄作という感じですが…LPの入手は骨董品クラスでほぼ不可能かも。この二人のデュオでは、『集団投射-Mass Projection』と『漸次投射』という2枚を以前に紹介しましたが、音楽的にも入手のしやすさでも、まずはそちらをおススメしたいです。そちらも価格が高騰しちゃってるみたいですが、入手不能レベルではないです。特に『集団投射』は大名演!


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たくさんのミュージシャンが召されていく

KeithEmerson.jpg ここ一週間ほどで、アーノンクール(指揮者)、ナナ・ヴァスコンセロス(エグベルト・ジスモンチの盟友パーカッショニスト)、そしてキース・エマーソンが逝去。キース・エマーソンはなんと自殺だそうで。ほんの少し前には、デビッド・ボウイ、グレン・フライ、ポール・ブレイが…。追悼でブログを書きたい所ですが、このペースで逝かれてしまっては、たぶん追悼だけでブログが埋まってしまいそう。特に思い入れのある人のアルバムなんて、辛すぎてすぐに聴く気になれません。
 ヴァスコンセロスは超フェイバリット、ハンドパーカッションの神業を神のように崇めてました。エマーソンは、ナイスよりも頭脳改革よりも『TRILOGY』に心が震えました。グレン・フライは、僕の中では今でも若くてかっこいい人のまま。アーノンクールに至っては…ああ、言葉も出ません。もし僕の人生の中に、アーノンクールの古楽革命も、ヴァスコンセロスのパーカッションも、エマーソンのシンセも、ポール・ブレイの透き通ったピアノも、イーグルスのニュー・キッズ・イン・タウンも無かったとしたら…本当に、無味乾燥な青年時代を過ごしていたんじゃないかと思います。これらの音の中に自分の青春がギュッと詰まっている感じがします。

 人間いつか死ぬとはいえ、僕が若い頃にアイドルにしていた人たちが…60~70年代という、戦後音楽のピーク期に活躍していた人たちが、今ちょうどこの世を去る年齢に差し掛かってきているのでしょうね。そう考えると、人生って本当に走馬灯のよう。いずれ自分もそうなるのだから、その時を迎えるまでにどう生きるか、本当に真剣に考えなくちゃ。合掌とともに…いい音楽を、本当にありがとう。



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『高柳昌行とニューディレクション・フォー・ジ・アーツ / フリーフォーム組曲』

Takayanagi_FreeFormSuite.jpg 若い頃、このジャケットに感動。かっこいい…。なんかすごい音楽が聴けそう、ジャズでダブルドラム、やたらたくさん置かれた楽器…ものスゴそう(^^)。日本のフリージャズの偉人・高柳昌行さんの1枚で、お客さんを入れたスタジオライブ。ブルース、スタンダードジャズ、モード、フリーと、アルバムが進むにしたがって音楽が先鋭化していくように出来てます。どういうコンセプトだったかは分かりませんが、ギター音楽として高柳さんが追ってきたものをひと通りやった感じなのかな?ひとつのコンセプトでひとつのアルバムを貫き通すことの多い高柳さんとしては、珍しいスタイルのアルバムです。

 とはいえ、スタンダードですら一筋縄ではいかない演奏で、もうこのあたりの感覚が、プロミュージシャンではなくアーティストなんでしょうね。ジャズ・スタンダードの"You don't know what love is" ですが、過激というのとは違くって…いや~、言葉が見つかりませんが、なんともアーティスティックな表現です。戻って1曲目はブルース。演奏的にはジャズブルースではなく、なんとフォークブルース。ジャズギターの大御所がよもやこういうスイング的なものをやるとは意外。しかし…うまい。3曲目はオリジナルのモードですが、本当にワンノートのモードなので、今の耳で聴くとちょっとロック的かな?そして最後はアルバムタイトルになっているフリーフォーム組曲。さすがにこれが一番良いなあ。音楽が時間で区切られているようで(タイムコンダクターというクレジットがある!)、それぞれの時間に沿って奏法やらなにやらが色々と指示してあるみたいです。う~んなるほど、崩れてしまうとばらばらになってしまいそうなフリーをこうやってまとめるのか。しかし聴いていて一番感じるのは、時間うんぬんよりも、ミュージシャンの演奏の素晴しさ。冒頭は森剣治さんのフルートと高柳さんのクラシックギターから始まり、そこのパーカッションの金物が被さっていくのですが、これは素晴らしい演奏だぞ。この3者以外は演奏に入ってこないので、演奏者の指定もあったのかも。ただ、第1楽章は、ひと盛り上がりして、もう次に進んでも良さそうな感じなのに、そこで時間待ちしているような感じもあって、タイムコンダクションというのは良し悪しだな…とも思っちゃいました(^^;)。

 最近思うんですが、クラシック以外の音楽って、アドリブパートとかフリーの部分の方が安心して聴ける…というのは、僕の感覚がおかしくなってるんでしょうか(^^)。楽譜演奏部分は、ミスとか表現とか、色々とひやひやしながら聴いちゃうんですが、アドリブ部分は一流のプレイヤーになると、音楽そのものの出来不出来はあるにせよ、演奏と表現には文句のつけようがないものがおおい…というか、すごい。このフリーフォーム組曲は、フリーフォームのパフォーマンスが凄くカッコいいんですが、でもフリーの上手い人たちだから普通にやっても平均点が高くって(ジャズ専門のプロミュージシャンが枯葉をやれば、どんな演奏をしようがある程度高得点になる、みたいな感覚かな)、すばらしいっす。でも、白熱度は他のニューディレクションのアルバムの方があるかも。タイムコンダクションと言うのも、このアルバムでは「6分単位でフリーの演奏がどうなるかという別の例を3つ示してください」みたいなマイナス面に出ちゃった気もします。でも、高柳さんというギタリストの色んなギター演奏を1枚で聴くことが出来るという意味で、うれしいアルバムかも。
 あと…このCD、再発されたみたいですが、再発版のジャケットがクソださい(>_<)。昔のジャケットは黒でカッコいい写真に、冊子状のライナーがついていて素晴らしかったのに。CDって内容あってこそと思うんですが、それにしたってジャケットも買うわけだから、カッコよくして出してほしいな。昔の僕が今のジャケットなら買ってなかっただろうな…と思うのは、私がデザイナーだからでしょうか(^^)。



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『高柳昌行とニューディレクション・ユニット / メルス・ニュー・ジャズ・フェスティバル '80』

takayanagi_Moers.jpg  メールス・ジャズ・フェスティバルというのは、フリー系のジャズばかりをやっているドイツの音楽祭で有名(今は変わっちゃったらしい)。このレコードは、メールス・ジャズ・フェスティバルに高柳昌行ユニットが出演した時のライブ盤で、メンバーは高柳さん(g)、飯島晃(g)、森剣治(sax, flute, cla, bass-cla)、井野信義(cello)、山崎泰弘(perc)。4曲収録なんですが、ぜんぶやってることが違います。たいがいの音楽って、同じジャンルで違う曲をやるもんじゃないですか。しかし、そうじゃないところが、かなり色んなことを考えてたんだろうな~、という印象です。で、やってる事がめっちゃくちゃカッコいい!!
 1曲目は、とにかく曲想が見事。パーカッションの音は綺麗だし、その上に重なるチェロの延々と続くバス音、それからギターで重なる鋭い和音。もうこれだけで独特の世界観、鳥肌立ちまくりです。普通のジャズではまず味わえないサウンドじゃないかと。で、ここに重なるクラリネットの演奏がまたすごい。僕的には、この1曲目が強烈でした。2曲目は何か雅楽みたいなはじまり方から、韓国語?の詩の朗読みたいなのが重なって、とつとつとしたフリー。3曲目は恐らくかなりの音量で演奏したであろう、爆音系のパフォーマンス…なんですが、サックスやギターがやってることがかなりカッコ良い。15分近く、音楽がつながってます。出す音も「いい音出すなあ、いい音選ぶなあ」という感じ。4曲目がギターソロで、リー・コニッツのジャズ・ナンバー。というわけで、これだけ違うと、どの曲も始めるまで何も決めないというフリーでは全然なくて、演奏する前に「この曲はこういうコンセプトで」みたいなしめし合わせはあったんじゃないかと思いました。まあ、その方が音楽は圧倒的に良くなるでしょうから、能力あるミュージシャンなら、いくらフリー系だろうがそういう事をする方が自然かも。

 さて、高柳さんの音楽を聴いていていつも思うのは、音の選び方がうまい事です。音符の選択もそうだし、作り出す音色もすごくカッコいい。実際には、さっきチラッと触れたコンセプトの立て方とか、色んなところに凄く深いものを感じますが、そういう深い所に行く以前の音の選択の時点で既にカッコいいっす(^^)。
 しかし残念なことに、最近の高柳さんへの評価は「ノイズ」「爆音の始祖」…そこか?だったら、ノイズ系でいくらでも音のでかい、ノイズな音楽はあると思うんですが…。リスナーなら何を言ってもいいと思うんですが、ミュージシャンや評論家でこの音楽をそういう風にしか聴けない人がいるという状況は、ちょっとさみしいっす。ピカソやジョルジュ・ブラックの絵を見て「デタラメ」というようなもんですからね。というわけで、素晴らしい音楽をやっているのに、間違った伝わりをしちゃっている不運な音楽家の気がします。というか、無理解は、残念な事ではあるけれど、先鋭的な芸術家の宿命なのかも知れませんね。高柳さんの名作のひとつじゃないかと。


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『Blue Cheer / Outsideinside』

BlueCheer_OutsideInside.jpg デビューアルバムと同じ1968年に出されたブルー・チアーのセカンド・アルバムです。最初に輸入盤屋で見た時は、なんだかパッとしないジャケットだな…と思ってたんですが、よく見るとドロドロ、思いっきりサイケです(^^;)。

 さて、内容はというと、前作のようなヘヴィーロック調の演奏のほかに、けっこうグダグダなブルースセッション調の曲も入ってまして(しかしそれをうまいこと構成してセッションに聴かせないのはアレンジの努力でしょうか、ディレクターの手腕でしょうか)、なるほどこのバンドがサイケのくくりで語られる事があるのは、ファースト以外のアルバムで思いっきりそういう傾向のものがあるのか…と思いました。ストーンズの「サティスファクション」なんかもやってますが、なんかダレダレ(サイケ的ないい意味で、です( ̄ー ̄))。他には、アルバート・キングのカバーとか、バンドのルーツを感じさせる面も。しかし全体としては、サイケなグンニャリ具合と、ヘヴィーロック的な要素が混じったアルバムだと思います。フラワーロックの能天気なトリップ感の対局にあるアメリカン・サイケみたいに言われることもあるバンドですが、しかし少なくともこのアルバムは、ジャニスのいたビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーとか、カントリー・ジョー・フィッシュとか、あの辺とのつながりを強く感じました。

 何となくですが、今の時代って、サイケとかガレージとかからはすごく遠い時代な気がします。それは最近のロックとかポピュラーとか、あるいはジャズやクラシックを聴いても、そう感じます。でも、ハードロックばかりを聴いてロックに飽き始めたころの僕は、ロックならサイケやプログレばかり聴いてました。プログレも楽譜に書けるような縦線キッチリなリズムのものは全然退屈でダメ、サイケデリックな感覚のものとか、あるいはフリージャズ的な疾走感があるものじゃないと刺激が足りなくなっちゃってました(^^;)。きっと、普通のものに飽きちゃってたんでしょうね。いま、この音楽をべた褒めする気にはなれませんが、でもサイケ独特の匂いみたいなものはやっぱり嫌いじゃないです。サイケ方面を押し出したブルー・チアーを聴いてみたい方にはおすすめです!



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Bach Bach

Author:Bach Bach
狭いながらも居心地のいい宿で、奥さんとペット数匹と仲良く暮らしている音楽好きです。若いころに音楽を学びましたが、成績はトホホ状態でした(*゚ー゚)

ずっとつきあってきたレコード/CDやビデオの備忘録をつけようと思い、ブログをはじめてみました。趣味で書いている程度のものですが、いい音楽、いい映画、いい本などを探している方の参考にでもなれば嬉しく思います(ノ^-^)ノ

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ロシアとウクライナがほぼ戦争状態に入りましたが、僕はソ連解体後のウクライナについて本当に無知…。これは2016年にオリバー・ストーン監督が作ったウクライナのドキュメンタリー映画。日本語字幕版が出たらぜひ観たい このブログをYoutube にアップしようか迷い中。するなら作業効率としては早いほど良いんですよね。。その時にはVOICEROIDに話してもらおうかと思ってるけど、誰の声がいいのか考え中
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