はっぴいえんどのデビュー作(70年)と
大瀧詠一のアルバム(81年)を取りあげましたが、僕にとっての日本の70年代と80年代のイメージは、暗くシリアスでハードなのが70年代、明るく軽薄なのが80年代、といった感じ。そういう意味でいうと、
頭脳警察や
矢沢永吉や
松田優作やあしたのジョーは70年代的で、
山下達郎や松田聖子や角川映画は80年代的と感じます。まるで真逆ですが、じゃあその境い目って、どんな感じだったっけ?そのへんの空気をすごく感じる事が出来るものに、「翔んだカップル」というマンガがあります(^^)。映画やTVドラマにもなるぐらいヒットしましたが、原作の
コミックが断トツで面白い!! このコミック、マセガキだった小学生の頃に、夢中で読んでました。主人公は男子高生の田代くんで、ドロッドロのメロドラマ(^^)。それなのに面白い。このマンガの場合、男1女2の三角関係が悩みの中心で、ヒロイン(圭ちゃん:画像左)じゃない方の女性(杉村さん:画像左から二人目)が異常に魅力的。ヒロイン圭ちゃんはおてんばでヒステリックで生意気なんだけど、ライバル杉村さんはクールで理知的で、主人公を好きでいてくれて、才女で、学年一の美女で、
しかもエッチ(*゚∀゚)b。。男からすると申し分なし、恋してしまいそうなぐらい魅力的なキャラでした。読者心理としては、杉村さんとくっつけばいいのにという一心なんですが(きっと多くの読者がそう感じたんじゃないかと)、葛藤やら事件やら色々あって、なかなかそうはならず。
なんでこのマンガに70年代と80年代の境いを感じるかというと、時代による人間の重要なテーマの移り変わりをそこに感じるから。「翔んだカップル」の前のマンガやTVドラマだと、テーマが生き方であったり人間ドラマであったりします。それが80年代になると、テーマのひとつに恋愛が加わったんじゃないかと。もちろん、70年代以前も恋愛は重要なテーマだったでしょうが、80年代以降の恋愛に対する切迫感や危機感は、前の時代のものと違う質のものの気がするんですよね。

ダーティーハリーでも高倉健でも、70年代以前のヒーローはアウトローと相場が決まっていたのが、80年代で女性の地位が向上して、そうはいかなくなった。ついでに80年代で見合いも激減して、恋愛できないとパートナーの作りにくい時代になった。これで、恋愛が「たかが恋愛」では済まなくなったんだと思います。このマンガの主人公の勇介くんは青春で人間関係や部活や勉強など、悩みがいっぱいですが、悩みの大半は恋愛。これがマンガの中だけの話とは思えなくなってしまった所が、70年代と80年代の境い目あたりで起きた変化のひとつだったんじゃないかと。こういう恋愛的な危機感というのは、現在にまで繋がっているんじゃないかなあ。女性アイドルやタレントが、大人の美女から子供っぽい愛嬌ある子にシフトしているのも、「このぐらいなら」みたいな、今の男の子たちの自信のなさのあらわれにも思えます。少子化問題も、恋愛と無関係ではないですよね。恋愛が、軽く見ることの出来ないテーマになったんだろうな、と。
まあでも、こんふうに感じるようになったのはずいぶん後になってから。子供のころは、単純に恋愛を克明に描き出したところが新鮮で面白かった。ファーストキスとか、同棲とか、初体験とか、そういうのが克明に描かれているこのマンガはドキドキでしたし、その恋愛の心理描写が実にリアルだったのが夢中になった理由だとおもいます。しかし主人公は残念だ、俺なら迷わず杉村さんを選ぶのに(^^;)。翔んだカップル、若い頃に面白くって夢中で読んだ人も多いと思います。久々に読んでみるのも面白いかも(^^)。