ドン・ジョンソンときたら、すぐに思い出すのがシーナ・イーストンさんです。マイアミ・バイスで恋人役でしたからね(^^)。シーナ・イーストンさんを語れるほど知っているわけではないのですが、「Follow my rainbow」というバラードの詞は心にグッとくるものがあって好きでした。
シーナ・イーストンさんはアメリカで大ブレイクという印象もありますが、イギリス(スコットランド)の出身です。ヴォーカルオーディションの番組で優勝して大抜擢、そのあとは音楽もファッションもアーティストイメージもコロコロと変わりながら、とうとう飽きて捨てられたと思われたところで再ブレイクしたのが1988年のこのアルバム。80年代終わりになると
プリンスとかベビーフェイスとかのブラック・コンテンポラリーなんて呼ばれる音楽が洗練されたサウンドを作っていた頃で、この時のイーストンさんはベビーフェイスのチームに音楽を依頼。いま聴くと「ああ実に薄っぺらい音だ」と思わなくもないんですが、当時は…やっぱり薄っぺらいと思ってた(^^;)。でも、このアルバムに入ってる「Follow my Rainbow」の歌詞を聴いた時、僕はしびれてしまったんです。
I’m not just looking for an answer to my prayers or my dreams
It’s just I feel my love needs more consistancy
I’m about out of luck, half out of time, I’m just about to lose my mind, I’m starting to lose touch with my reality
祈りや夢に答えなんか期待していない
ただ愛に一貫性を感じたいだけ
運に見放され、時間切れになりかけ、正気も失いかけ、現実が分からなくなりかけている
I never wished on stars, I never thought that dreams came true, yet in the midst of all my disbelief
Darlin’ now I feel like I am long overdue
I search high and low to find my pot of gold and that’s why…
星に祈った事もなければ夢が実現するなんて考えた事もない、不信感さえ募りつつある
ダーリン、待っているだけでは駄目だと今は感じる(=長年の懸案はそういう私だと感じる)
(自分で)どこへでも幸せを探すわ、だから… 例によって怪しい訳で申し訳ないですが(^^;)、この詞にしびれました。ある種の空しさや諦めがあって、それはそうなんだけどそれって「feel like I am long overdue」なんじゃないかと思えてならなくなってきた私は「to find my pot of gold」に踏み込むわけですよね。いやあ、すばらしい詞なもんだから、月並みな曲とアレンジまですばらしく感じてしまう(^^)。。本当に心に刺さったんです。
シーナ・イーストンさんって、日本でいう産業音楽の歌手さんという位置にある人だと思います。音楽を作るのはプロのクリエイターさんチーム、売るための戦略やイメージ作りをするのはレコード会社のディレクターさんをはじめとした販売戦略チーム。イーストンさん自身は歌が好きで一生懸命トレーニングをして、歌を歌っていたいからオトナの業界人のひとたちの言うとおりに音楽性も主張もコロコロ変え、イメージも素朴な清純派みたいな歌詞やファッションになったり、金髪ソバージュにほとんど下着同然のステージ衣装でおっぱい半見えで挑発的な言葉を吐き出すセックスシンボルになったり、黒のストレートでエキゾチックになったり、ポピュラー音楽界に踊らされ続けた操り人形のよう。80年代の音楽界って、日本も英米もまさにそういう産業界だったように思います。でも、こういうザ・資本主義な今の社会の中で「lose my mind」で「lose touch with my reality」になってる人って、実は僕たちみんななんじゃないかという気がするんですよね。だから、この詞を聴いて僕はしびれたんじゃないかと思います。彼女自身が努力してオーディションでグランプリを取ったり、離婚を4回も繰り返したり、一方でボランティアで多額の寄付をしたり。ただの産業軽音楽といってしまえばそれまでなんですが、完全な人なんていないわけですから、迷い、足を踏み外し、天狗になったりした事もあり、でも芯のところは一生懸命マジメに生きようとしている小市民な感じがして、僕はすごく好感を覚えるのでした(^^)。