Octopus Daughter を聴いていて感じたのは、作曲がフュージョンっぽくてプログレっぽくてゲーム音楽っぽい事でした。要するに、打ち込み音楽です。そして真っ先に連想したのが、「スタークルーザー」のBGMでした。いきなりそんな事言われても分かりませんよね(^^;)。
スタークルーザーというのは、昔パソコンやメガドライブというセガのゲーム機で出来た、スペースアドベンチャーゲームです。時代を超先取りしていて、前後上下左右という本当に3Dな世界を、ポリゴンで描かれた宇宙船で飛び回って物語を進めていくというゲームでした。このゲームの事はいずれまた触れるとして、今回はこのサントラについて。
このゲームのBGMなんですが、まず曲がいいです。このゲームが出たのは1988年。というわけで、この5~6年前ぐらいだと、まだゲームのBGMって、本当に単純な曲しかなかったんですよね。ロックで言えばまだ
チャック・ベリーぐらいの段階、クラシックで言えばまだグレゴリオ聖歌ぐらいな感じでした。それが85年ごろから一気に進化しました。アニメの音楽は、80年ぐらいにいきなりロック/フュージョン化したので、それから4~5年遅れでゲームのBGMが追いついた感じなのかな?理由はよく分かりませんが、たぶん理由は3つ。ひとつは、単純にゲーム機の同時発音数と音色のパレットが増えて、色々な和音やアンサンブルを表現できるようになった事。ひとつは、テレビゲーム産業が巨大化して競争力があがって、ひとつひとつのゲームのクオリティの高さが求められるようになり、(たぶん)音楽も作曲家に依頼するようになってきたこと。ひとつは、DTMが進化して、打ち込みで音楽が作れるようになった事。多分、このへんが要因だったんじゃないでしょうか。
打ちこみ音楽の良さというものを、このゲームのBGMから感じました。もしこの音楽を人間が演奏したら、プログレかフュージョンみたいに聴こえた気がするんですよね。そうなったら、僕はその演奏している人たちを思いうかべちゃった気がするんです。でも、これは無機的な機械のサウンド。それが、SFゲームの無機質っぽい感じに妙にマッチしたのです。表現がなくて曲の構造はいい…って、まさにDTMにもってこいな感じがしませんか?そして、それに近い音楽って、80年代のデジタルなプログレとか、表現の薄いタイプのフュージョンとか。これがピッタリはまったんじゃないかと。当時だとグラディウスとかダライアスとかのBGMも、これに近いものを感じます。
無機質感の独特の魅力って、このCDのパッケージにもあらわれてると思います。CGを現実に似せるんじゃなくて、無機物そのものとして提示する…みたいな。このジャケットを音にしたのが、まさにこのBGMって感じ。
音楽の世界にコンピューターが入ってきて、1920年代から50年代まではクラシックの前衛の人たちがそれを活用して作曲してたんだけど、60年代になると民間のプロミュージシャンでも使えるようになり、80年代まで来るとアマチュアでもコンピューターで音楽を作れる環境が整った、という事なんでしょう。そんな流れで、個人用のコンピューターで民間人が作ったDTMの初期の作品、って感じ。今もその真っ只中だと思うんですが、80年代から2020年あたりまでのコンピュータ絡みの音楽って、100年後にはどういう風に感じられるのでしょうか。
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