
久々に登場、
マーラーです!前回にマーラーの記事を書いたのは…3年前か、やっぱり労働者階級の一般人の生活では、マーラーの巨大な音楽を聴くひまがないんだな(-ω-。)。
マーラーの音楽を簡単にいうと、機能和声法という音楽の描き方を使って、映画や小説のように色んなシーンをたどってエンディングに行きつくというもの。マーラーは交響曲と歌曲の大家で、歌曲も管弦による伴奏のものが多いので、結局ほとんどの曲が大規模。一方の交響曲もどこかに歌が入っている事が多くて、この曲もそうです。この、色んなシーンをめぐりめぐるというのと、詩が入っているという所で、音楽だけでない文学性というか劇性というか、音そのものだけで音を構成するわけではないドラマ構築みたいなものを感じます。この曲、マーラー自身は「交響曲 大地の歌」とタイトルをつけてますが、なんせ声がメインなもので、交響曲じゃなくって管弦伴奏の歌曲とされることもあります。
僕は、マーラーの音楽の良さがいまいち分からない人なんですが、マーラーを聴いて良いと感じるときのパターンがありまして…それは曲の最後。いろんなドラマを通過して、最後にとても美しい所にたどり着いたりするんです。交響曲3番もそうですが、この大地の歌もそうです。この曲の最終楽章には「告別」というタイトルが付けられていて、この
第6楽章の最後がとんでもなく美しいです。最初は重々しいハ短調のハーモニック・マイナーから始まって、色々なシーンを渡り、最後に行きつくのがハ長調への同主調、マイナーからメジャーに抜ける快感がたまらない、しかもとんでもなく美しい。この楽章も歌がついてるんですが、元ネタは中国の詩。重々しく始まった最終楽章は、最後に「いとしきこの大地に春がきて一面に花開き、新緑が生える。遠き果てまで永久に青い光。永久に、永久に…」。この楽章、タイトルが「告別」ですが、つまり
一面に永久に続いてる光や花って…死の事ですよね、きっと。マーラーの音楽って、長時間かけて最後は永遠に続くような静かで美しいところに到達しますが、それって死の事じゃないかと僕は思っています。そしてその死が、恐怖とか終わりというんじゃなくって、浄化とか救いとか、そういうイメージ。マーラーはずっとその事を音楽で表現し続けたんじゃないかと。
というわけで、
僕にとっての「大地の歌」は、最終楽章の最後の3分を聴くための音楽なのでした。逆にいうと、最終楽章のラスト3分の美しさを感じるために、その前の57分がある音楽。でも、57分を耐えるのは僕にはしんどいので、いつも最終楽章だけ聴いてしまいます。それだって30分ぐらいあるんですけどね(^^;)。。
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