
「フランス6人組」って、オネゲルと
プーランク以外の作曲家の作品はなかなか聞く事が出来ませんでした。しかも、オネゲルとプーランクの音楽が素晴らしいもんだからよけい気になったものです(^^;)。。デュレとかオーリックになるとまったく聴く機会なしでしたが、きわどいのがミヨー。たま~にコンサートやCDで取りあげられる事があるんです。そんな聴けそうで聴けない
ミヨーの作品だけを取りあげたCDというだけでも貴重ですが、このCDのすごい所はそれに加えてミヨー自作自演という所。中古屋さんで見つけた時は、「おおっ、これは俺に買ってほしくてここにあるに違いない!」と飛びつきました(^^)。演奏はパリ・フィルハーモニック管弦楽団、録音は1953年から63年でした。
「焔の城」は、ユダヤ人だったミヨーがナチの猛威を逃れてアメリカに亡命した時に作られたカンタータ。詩の内容はかなりディープで、
火をくべられた城に幽閉された犠牲者たちの「開けてくれ!」という言葉が何度も繰り返されます。でも音楽自体は時代の先端でも宗教音楽の荘厳さが漂うでもなく、ドミナントがしっかり見える大衆的な劇伴調でした。あと、録音が古いからか、管弦伴奏のはずなのに、妙にオケの人数が少なく感じたりして(^^;)。
「ある暴君の死」は、4世紀の歴史家ランプリディウスの一節を歌詞にした合唱曲です。ここでいう暴君とは17代ローマ皇帝コモドゥスの事…だそうですが、これは時代的にも比喩ですよね、きっと。音楽というより、打楽器に合わせたセリフの大合唱という感じでした。
そして、
ミヨーの代表的な管弦楽曲として名高い「プロヴァンス組曲」、これに期待していたのですが、これも新しい表現や自分独自の語法を用いた作品ではなく、機能和声を使った普通の劇音楽のようでした。なるほど、劇音楽どうこうではなく、こういう作風なのか。。
ミヨーは舞台音楽や映画/テレビ音楽を大量に書いた人で、演奏会用の作品とそれらの音楽に大きな違いは感じませんでした。フランス音楽って、僕の場合はフランク、
ドビュッシー、
メシアン、
ブーレーズという流れをついつい追ってしまいますが、それは後からアカデミックな場で評価された作曲家をつないだラインであって、実際に同時代に支持されてきたのはビゼー、
サン=サーンス、サティ、そしてプーランクやミヨーみたいな大衆的な音楽なのかも知れません。このフランス音楽の流れって、コープランドからハリウッド映画音楽というアメリカの管弦楽曲の流れを先取りしているような感じだなあ。20世紀も大戦を繰り返し、いよいよ資本主義の価値観がフランス音楽にもあらわれたという事かな?
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