
何十回も観るほど
映画「寒椿」に感動たもんだから、とうとう原作にも手を出したのでした。すると意外な事実が。映画化された芸妓・貞子の話は、4章のうちの1章にすぎませんでした。しかも、
小説と映画は似ても似つかぬ話で、共通項と言えば美人というところだけ。選挙がどうだの、男気ある女衒がどうだの、そんな話は一切ありませんでした(^^;)。なんでここまで違う話に「寒椿」というタイトルをつけて映画化出来たのかと不思議に思うほど別物です。というわけで、映画との比較なんて違いすぎて無理。
ただ、まったく別のものとして、ものすごく面白かった! この小説には、太平洋戦争前の話で、土佐のある芸妓子方屋に集まった4人の女の子の半生が描かれていました。
芸妓子方屋とは、舞妓や芸妓を目指す女の子に、三味線や日本舞踊などの稽古をつけ、一人前になったら料亭や売春宿などに斡旋する仕事。集まってきた女の子たちは望んでここへ来たわけでなく、親の事情で奉公に出されています。売られた時に金額がつけられていて、それを働いて返し、返し終わったら晴れて自由の身、みたいな。ただ、売った親が鬼畜な事が多くて、子供を預けた後も、子どもにツケて借金を繰り返し、酒を飲んだり女を買ったりする親も少なくなく、女は働けど働けど親の借金を詰める所まで届かずに働きづめになる事がほとんど…みたいな。そして、ある子は満州に売られ、ある子は芸妓じゃなく娼妓(三味や踊りなどの芸を売るのでなく、体を売る商売)として部屋に鍵をかけられて軟禁され…。
まだ80年程度しか前じゃないのに、日本ってこんな簡単に人を売り買いしてたのか。驚きでした。厳しい時代だった事もあるだろうし、また芸妓という特殊な商売柄もあると思うんですが、売られる方の女だって体を売る事なんて慣れたもんだし、男は女を買うなんて当然、2号に家を買うのだってまるで当たり前。父親の汗の匂いに興奮する近親相姦まがいのエロ描写もあるんですが、どれここれもなんとも生々しい。環境だけでなく、価値観自体が現代と違うんですね。
また、この小説の
描写が実にリアルで、僕は満州もハルピンも行った事がないのに、その光景が目に浮かぶようでした。それだけに、女の子たちの目に映った事、感じた事がまるで自分で体験しているように痛かった…。
そんなわけで、太平洋戦争前夜の日本の風景というと、僕は夏目漱石の小説なんかから作られたイメージを持っていたんですが、あれはエリートから見えた表の顔だったのかも。それに比べこの小説は、その時代の裏の顔、もっといえば庶民にとって世界はこれぐらい厳しく見えていたのかもしれません。そんな世界でも、子どもどうしで一緒に布団に入って笑いあったりして素朴な喜びを感じたり、逆に落ちる所まで落ちて死を覚悟したりしてたんだな、と。これ、たぶん大半が実話だと思うんですが(この4人の娘と一緒に育った女衒の実子が宮尾さんなんじゃないかと)、ある時代の日本の空気感を肌で感じる事が出来た、いい小説でした。
そうそう、宮尾登美子さん、さすがは直木賞や太宰治賞を受賞しているだけあって、文章がうまいだけでなく良くものを知っていて、また昔の文筆家だから言葉もよく知っていて、読んでいてすごく勉強になりました。この本で「へえ」と思った豆知識をいくつか書いておきます。
・鉤の手がなおらない:物を取る癖がなおらない
・
娼妓の売れっ妓は大抵不感症:なるほど、いちいち本気で感じていたら身が持たないという事か。
・女郎に操なし:一度娼妓稼業をすると男に対する貞操観念が麻痺する事。これは、宮尾さんの言葉じゃなくて、こういう慣用句があるそうです。これもなるほど、俺も実際にそういう女を知ってるぞ。俺的には、こういう人はむしろ有り難かったけどね(^^;)。
・
玄人衆の習慣では、花模様の衣装は「素人柄」と言って着ない・とくに
椿は着物ばかりか一輪挿しさえ不吉なものとして避けられる:理由は、椿は首からもげるように花が散るから
そうそう、この小説、女の視点から打算もエロも隠さず書いていてけっこう生々しいので、そういう方面に免疫のない方はご注意!