
ポール・ギルバート擁する
レーサーXが復活した時のアルバム、1999年リリースです。ポール・ギルバートは馬鹿テクベーシストのビリー・シーンも参加していた
MR.BIG という普通っぽいロックバンドも作ってましたが、僕はギター弾きまくりのRACER X の方が好きでした(^^)。
おお~これはMR.BIG と違ってタッピングしまくり、ザクザクとカッティングしまくり、
弾きまくり、やっぱりメッチャうまい!ギターだけでなく、ツーバスのドコドコいうドラムもいい!80年代がロックのリアルタイムだった僕には、やっぱり
イングウェイ・マルムスティーンやポール・ギルバートは無条件に燃えてしまいます(^^)。イングウェイにはモードを使ったスケールの曲がいくつかあって、メタルでそれをやるとポール・ギルバートが弾いてもイングウェイに聴こえるという新たな発見も(^^)。ホールトーンでインプロヴィゼーションすると色が強すぎて誰がやっても
キング・クリムゾンになっちゃうのと似てるのかな…似てないな。。そして、
さすが90年代、80年代のひどい録音だったレーサーX のデビュー作と違って、録音がめっちゃくちゃいいです(^^)。
ただ、解散前のレーサーXに比べると曲調がかなりポップになっていて、それが僕の趣味と少しずれてました。もっとハードにザクザク行ってほしかったという事なのか、やっぱり卒業した音楽という事なのか…。何で僕はこういうポップさにもの足りなさを覚えてしまうのかを考えてみたんですが、こういうポップさって娯楽以上の所に行けないからかも。パッと聴いてどう感じるかだけでやった音楽に聴こえてしまうんですよね。なんで「パッと聴いてよければいい」になるかというと、この疑問自体が「なんでそんなこと考えるの?」と言われてもおかしくないぐらい自明な事になっているのかも。アメリカ社会が持っている享楽志向というか、内容より費用対効果を優先するファーストフード文化というか、15秒のCMや偏向したTVニュースの印象だけでものを判断しちゃうような、自分で考える事すら放棄するようになったアメリカのマインドが現代の資本主義陣営の市民の思考様式に食い込みすぎてしまっていて、それが音楽にまで形となっていて…もうこれはレーサーXの感想じゃないな(^^;)。。あ、最後に書いた事は「だからダメ」というんじゃなくて、ポップを志向するマインドがどこにあるのかを想像してみただけです。ほら、
ロシアの文学とか映画とか音楽って対照的で、パッと見はかなり退屈に感じるけど、問い続けてるものが内容そのものみたいな所あるじゃないですか。その逆の価値観なんだな、みたいな。
技術的にすごくよく出来ているので、このアルバムを若い時に体験できていたら相当に感動出来たんじゃないかと。
ロックもここまで来たのかというぐらい、演奏がうまかったっす!
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