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心に残った音楽♪

おすすめCDの紹介のほか、本や映画の感想などを (*^ー゜)v

 

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『ペルト:ヨハネ受難曲 サトマー指揮、カンドミノ合唱団』

Pert_YohaneJyunankyoku_Candomino.jpg アルヴォ・ペルトは20世紀のエストニアの作曲家です。エストニアは僕が大人になった時にはもう独立してましたが、ペルトの青春時代のエストニアはソ連統治下で、西側の音楽は敵対視されていたみたい。ペルトは新古典やセリーの技法を使って作曲しまくっていたらしいんですが、ソ連統治下でそんな西寄りの作曲をやったもんだからみんな発禁。こまったペルトは70年代後半にドイツ・オーストリア圏に移住したんですが、その頃には音楽の前線を行くより社会に意味ある音楽を書くべきという気持ちになってしまったのか、キリスト教音楽というかアーリー・ミュージックというか、そういうタイプの曲ばかり書くようになってたみたいです。「ヨハネ受難曲」もそうした曲で、ペルトが書いた曲の中では最も大きな曲みたい。

 ヨハネ受難曲と言えばバッハですが、ペルトのヨハネ受難曲も、バッハの頃には確立されていた受難曲のスタイルを踏襲しているように聴こえます。エヴァンゲリストが語り、イエスが喋り、教会音楽の伝統の流れにある作曲技法が使われます。バッハのヨハネ受難曲との違いは、バッハのヨハネ受難曲より古くて新しく感じられたのです。このへんのニュアンス、言葉でいうのが難しいんですが、「今のポピュラー作曲家が古楽を勉強して書いた受難曲」みたいな感じというのかな?なんでそう思うんだろうと思ったんですが、あんまり対位法的じゃなくて、やたらに3和音がきこえるからポップスっぽく聴こえるのかも。でも、元になってる旋律の旋律線や旋法が妙にモーダルなので、アーリー・ミュージックぽっく感じるのかも。録音は、オルガン付の声楽にしてはやたらとオンな感じで、壮大さに欠けたかな?

 このヨハネ受難曲も、キリストが十字架に架けられるという西洋世界のクライマックス・シーンを扱っていましたが、僕自身がキリスト教に詳しいわけでも、またキリスト教文化圏に生きているわけでもないもので、ペルトが考えていただろう宗教的な何かを感じる事が出来ず(>_<)。現代音楽の後で単純な三和音を鳴らしている所ばかりが聴こえてくるので、ウンダムヒルやECMあたりが作りそうなイージー・リスニングなアーリー・ミュージックに聴こえちゃいました。これは聴く側の僕の問題が半分ですが、日本に生きてるんだからこればっかりは仕方ないですよね(^^;)。


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『ペンデレツキ:アナクラシス、広島の犠牲者に捧げる哀歌 他 ペンデレツキ指揮, Polish Radio National Symphony Orch., London Symphony Orch.』

Penderecki _Hirosima こちらはペンデレツキの管弦楽曲集です。ペンデレツキの管弦楽曲は、宗教的な色彩の強い無伴奏合唱曲と違って、かなり前衛だったりするんですよね。しいて言えばシリアスなところが共通してるのかな?

 ペンデレツキの管弦楽曲といえば、日本で有名なのは「広島の犠牲者に捧げる哀歌」。僕はこの曲が入っている事で、このCDを買いました。演奏は、1曲目だけがロンドン響。あとは、ポーランド国営ラジオ交響楽団によるものでした。ちなみに、CDのジャケットに書いてる「MATRIX 5」というのは、ペンデレツキとはまったく関係なく、EMIクラシックスが「MATRIX」というシリーズを出していて、その5つ目という事みたいです(^^)。というわけで、収録曲は以下の通りでした。

1. Anaklasis (アナクラシス)
2. Threnody For The Victims Of Hiroshima (広島の犠牲者に捧げる哀歌)
3. Fonogrammi (フォノグラミ)
4. De Natura Sonoris No. 1 (デ・ナトゥーラ・ソノリス 第1番)
5. Capriccio (カプリッチョ)
6. Canticum Canticorum Salomonis
7. De Natura Sonoris No. 2 (デ・ナトゥーラ・ソノリス 第2番)
8. The Dream Of Jacob (ヤコブの夢)

 「アナクラシス」は前衛色が強くて、かなりヤバ目で緊張感が高く、しかもメッチャかっこいい!構造は単純なので、戦後50年代のヨーロッパ前衛を俯瞰しやすい曲とも言えるんじゃないかと。6分ほどの曲で、弦がクラスター気味にグワッときて、そこが終わると打楽器群が凶暴に襲い掛かってきます!途中で音階打楽器のパートに移って、最後に弦に戻ってくる、みたいな。

 「広島の犠牲者に捧げる哀歌」は、ペンデレツキの管弦楽曲の中ではいちばん有名かも。そして、これが強烈!タイトルこそ哀歌となっていますが、実際にはクラスターや、恐らく図形譜なり即興演奏していなりを使った細かいピチカートのせめぎあいがフォルテで迫ってきて、相当にアヴァンギャルド。音響作曲法なんて言われるもの走りのような曲ですが、メチャクチャかっこいい…。僕的には、「広島の犠牲者」とか、そういうところとつなげないで欲しかったかな、この音楽とそういうものは別だと思う。

 以降も、かなり刺激的で前衛的な楽曲が満載。前衛といってもセリーは感じず、構造の作曲部分以外は、けっこう図形譜なり即興演奏なりに任せてあるところも多い印象で、要素それぞれは音響作曲に頼っているのかな?これはスコアを見てみたいなあ。まったくの図形譜ではなく、基本音型や音域や技法の指定なんかは入ってるように聴こえるんですが、このへんの塩梅が絶妙。プレイヤーに丸投げしたらここまでまとまるとは思えません。デュナーミクに関していうとピアノに行くよりフォルテが多いところが個人的には好み。たまーに音がポロンと鳴るだけみたいなのは、意味ありげな振りして最高につまらない音楽だと思ってるのでね( ̄ー ̄)。かといってフォルテ一辺倒とかクラスター辺倒とかになる事はなく、バランスが絶妙。

 戦後のポーランド作曲家は、ルトスワフスキにしてもペンデレツキにしてもグレツキにしても、最高に良い音楽を作る人だらけ。頭でっかちにならず、かといって雰囲気だけにもならず、それでいて先鋭的で、メッチャかっこいいです。これ、ペンデレツキ本人が棒を振ってますけど、これらの曲はこのCDが極めつけなんじゃないでしょうか。他の人の指揮では、これ以上に作曲意図を反映させることは不可能の気がします。静謐な宗教音楽ではなく、前衛でアグレッシブなペンデレツキの一面を聴きたい方には、これが決定打。超おススメです!


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『ペンデレツキ:悲しみの聖母 –ペンデレツキ無伴奏合唱宗教曲全集– ユハ・クイヴァネン指揮、タピオラ室内合唱団』

penderecki_stabat mater_Tapiola ペンデレツキは、1933年生まれのポーランド人作曲家です。ところがペンデレツキの音楽は、ものによってはぜんぜん現代音楽に聴こえないものもあります。モダンに行くと、モダンどころか超アヴァンギャルドなものも多いけど、とっても調的で宗教音楽的なものもあったりして。このアルバムは後者で、タイトルとなっている「悲しみの聖母」のオリジナル・タイトルは「スターバト・マーテル Stabat Mater」、色んな作曲家が扱ってきたキリスト教の題材で、ペンデレツキの代表作のひとつと言われている曲です。というわけで、最近ゲッチュしたこのCDを聴いてみよう、そうしよう(^^)。

 全体としては、雰囲気は思いっきり古い修道院の無伴奏合唱や、今の正教系の合唱みたい。でも、響きのそこかしこに現代が入ってる感じです。しかも、プロテスタント的な讃美歌なんてなくて、どれも鎮魂歌のよう。現代曲とかポストモダンといった概念を忘れる必要があるんじゃないか…技法とかそういうものを取っ払って、この音楽が扱っているものを聴くと、まさに正教会系の音楽にある物そのものなんじゃないかと感じました。音楽というより、「祈り」っぽいんですよね。短調系の鎮魂歌のような雰囲気の曲が多いので、余計に悲痛というか…。いつか、ロシア正教の合唱について書いた事がありますが、あれと同じです。

 僕がヨーロッパを思い浮かべる時、その文化の中心はドイツとフランスであって、あとは周縁という形でイメージしている気がします。いつぞや「戦場のピアニスト」という映画の感想を書いた事がありますが、ポーランドって左隣のドイツと右隣のロシアに占領支配されてばかりで、悲劇的な土地なんでしょうね。二重帝国を誇った時代なんてはるか昔の事で、地図から国が消えた事も1度や2度じゃないみたいですし。ヨーロッパで厳しい状況に見舞われたのって、東になればなるほどそうですが、そういう地域ほど純粋な形でキリスト教を残したのは偶然じゃない気がします。ペンデレツキにとって、現代の作曲技法がどうとかよりも、そういう宗教が果たした役割の方が重要だったという事なのかも知れません。
 そして、現代音楽的な目で見た場合。このCDでいうと、1曲目「悲しみの聖母」、2曲目「憐れみたまえ」、4曲目「われらの祖先に告げたまいしごとく」、7曲目「来たれ、造り主なる聖霊よ」あたりの和音に、現代曲ならではのものを感じます。でも、それが使われるのはあくまで「祈り」としての宗教音楽上の効果というだけの事であって、技法の開拓とは関係ないように聴こえます。ある時代やある地域の趨勢として、ひとつのものしか見ないという事自体が、もう現代的ではないのかもしれません。ブーレーズやシュトックハウゼンと並行して、こういう音楽が普通に作られるのが、それこそ現代なのかも。

 とてつもなく素晴らしかったです。タピオラ室内合唱団のハーモニーも恐ろしく見事。大推薦!


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『Monomono / The Dawn of Awareness』

Monomono_TheDawn of Awareness アフリカ産のファンク・ロックといえば、ファンキーズの他にMonomono もナイジェリアのバンドで、これもレア・グルーヴ系でめちゃくちゃカッコいい!どちらもいいけど2択ならこっちの方が洗練されてる感じかな?マジでカッコいいので超推薦、レア・グルーヴ系のファンクとして、下手したらアメリカのバンドよりカッコいいかも。それぐらいいいです!

 どこに行きつくでもなく気持ちいいリズムでグルーヴし続けるのは、レコードやラジオやコンサートで聴く音楽とはちょっと違うんでしょうね。クラブでひたすらダラダラ流れていて、踊りたい奴は踊る、キメちゃいたい奴はキメる…みたいな文化の中にある音楽じゃないかと。ナイジェリアって、キング・サニー・アデで有名なジュジュ・ミュージックなんかにしても、ほとんどワンコードで30分ぐらい演奏し続けて妙に気持ちよくなっちゃったりする音楽が元々ある土地だから、レア・グルーヴ系の音楽をやるのにピッタリな土地柄なのかも知れません。アメリカのファンクが黒人チャートを意識したようなものがどうしても多くなっちゃうのに、こっちはラゴスの怪しい小屋でマジでキメちゃう事だけ考えてる音楽みたいな雰囲気があってアングラ感満載、最高です(^^)。

 レア・グルーヴの気持ち良さを僕が最初に知ったのは、スライの『フレッシュ』というアルバムでしたが、そんなにファンクを掘り進めなかったもんで、他にあまりピンときたものに出会えないまま通り過ぎてしまいました。そんな時に出会ったナイジェリアのモノモノのこのアルバムはカッコよかった!これはオススメです!


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『The Funkees / Now I’m a Man』

Funkees_NowImAMan.jpg アフリカ系の人が作ったファンク・ロック・バンドとはいっても、オシビサはやっぱりイギリスのバンド。どこかで「西洋文化の中にある黒人音楽だよな」みたいに感じてしまいました。そうではないリアルなアフリカのファンクというと、僕が知ってるのはナイジェリアのファンキーズとモノモノぐらいかも。これは大昔にHMVの試聴機で聴いて「カッコいい!」と思って衝動買いした1枚。というわけで、詳しい事は全然知らないんですが、アフリカだからと言ってもまあそこそこだろうと舐めると痛い目にあうカッコよさです!

 何が良いかって、けっこうガッツリとファンク・ロックしてる事です。ファンクって、ものによっては妙にポップだったりディスコに近づいたりして、ガッツリとファンクロックなものって意外と見つけるのが大変。そんな中、これはギターはワカチコ、ベースはブンブン、これはいい!

 アフリカの打楽器が入った曲もありましたが、基本的にはアフリカやナイジェリアを期待しない方がいいです。そういうフュージョンした音楽じゃなくて、普通にアフリカに土着化したファンク・ロックとしてカッコいい音楽でした。ジェームス・ブラウンの『Love Power Peace』スライのウッドストックみたいな超攻撃的ファンクじゃなくて、レア・グルーヴという感じ。これはいいっすよ!


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『Osibisa / Woyaya』

『Osibisa Woyaya』 マンドリルを聴くと思い出すのが、ファンクロック・バンドのオシビサです。イギリスで結成とは言っても、メンバーの出身国はナイジェリアやガーナなどの旧イギリス領出身のアフリカ系。ブラスセクションが入って、エレピやオルガンが入ってて、ディスコじゃなくてロック色の強いファンクで、やっぱりパーカッションも入っていて、しかし有名な曲というのがぜんぜんなくて、でも上手くて…というわけで、マンドリルにかなり似ています。でも、出身がアフリカだからか、打楽器にアフリカ色を感じました。これは、オシビサが発表したセカンド・アルバムで、1971年発表…って、時代もマンドリルと丸かぶりなのか!時代がファンクだったんですね。

 このアルバム、モハメッド・アリのドキュメンタリー映画でアメリカの黒人音楽とアフリカの音楽の交流の模様を見てなかったら、かなり理解に苦しんだんじゃないかと思います。ついでに、ハイライフやジュジュあたりからサリフ・ケイタあたりまでの、洋楽に影響されたアフリカン・ポップスを知ってなかったら、聴こえ方が違っていたかも。この音を聴いてパッと想像するのはファンクなんですが、じゃあ似たバンドに何があるかと考えると、いないんですよ。Pファンクともスライとも違うし、ニューオリンズファンクともオハイオ・ファンクとも違う…タワー・オブ・パワーがちょっとだけ近いかな?要するに洋楽に寄せるんじゃなくて、洋楽を自分たちの音楽に塗り直しちゃうわけです。これはアフリカン・ポップス全体に言える事で、日本みたいに丸パクリするんじゃなくて、自分たちの言葉に一度咀嚼するんでしょうね。

 極めつけは6曲目の「Rabiatu」、西アフリカのタムタム音楽とロックが混じったような感じで、これはかっこいい!この曲はオルガンの決まり具合もギターソロもサンタナ的、そして展開部で炸裂するブラスセクションのトゥッティも最高!全体的には、スパッと切れ味がいいというより、ドスドスとボディブローが効いてくるようなロック。でも、マンドリルとオシビサは、いいと思ったのに1枚しか聴かずじまいだったなあ。アフリカン・ポップス系は、サリフ・ケイタやキング・サニー・アデみたいに心地よいものが多い中、こういうロック色の強いものは僕的には経験がなかったもんで、ちょっとばかり驚いた音楽でした。そういえば、サリフ・ケイタやキング・サニー・アデみたいに大ハマりした音楽ですらまだ日記で書いてないですね…本当に持ってるレコードを死ぬまでに全部書き終わるんでしょうか、心配になってきたぞ。。


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『Mandrill / Mandrill is』

Mandrill Mandrill is 日本でこのバンドを知っている人は、99%がアントニオ猪木の入場テーマで知ったんじゃないかと(^^)。僕もそのひとりでした。僕は「アリ・ボンバイエ」のイメージがあったもので、マンドリルはメキシコあたりのラテン・ロック・バンドと思い込んでました。サンタナに大ハマりした時に、ラテン・ロックときくだけでなんでも飛びついてまして、中古盤屋でこのアルバムを見つけた時は迷う事なく即購入!これは1971年発表のセカンド・アルバムです。

 ぜんぜんメキシコじゃなかった(^^;)。。ニューヨークで結成されてるんですね。ブラスセクションがいて、ラテン・パーカッション隊がいて、オルガンがいて、曲によってファンク色が強かったり、ラテンロックっぽかったり、ブラスロックっぽかったりと多彩です。ファンクっぽい時はディスコ色よりロック色が強めなので、思いっきり僕の趣味。これはなかなかいいです!

 でも、いまいち有名になれずに消えてしまいました。スタープレイヤーがいないのは確かですが、バンドには何の弱点も感じません。うまいしまとまってるし、弱点なし。でも、何でもできるもんだから色んな事をやりすぎて、何をやりたいバンドなのか分かりにくかったのかも。ヒット曲に恵まれなかったのもキツかったのかも知れませんね。猪木の入場テーマを知らなかったら、僕も聴かずじまいに終わっていたバンドだろうし、ポピュラー音楽の世界で売れるという事は大変な事なんだなあ。クラシックやジャズなら、実力あれば売れなくとも最低限の仕事はあるけど、ポップスやロックだと実力があろうがなかろうが売れなければオシマイ。こんなにうまいのに、厳しい世界だなあ。


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書籍『アリ対猪木 アメリカから見た世界格闘史の特異点』 ジョシュ・グロス

Ali tai Inoki_JoshGross アリと猪木の話題になった以上、猪木vsアリ戦について触れないといけないっすよね(^^)。これはアメリカ人が書いた、モハメッド・アリアントニオ猪木のノンフィクションです。そうそう、猪木vsアリ戦というのは、プロボクシングの現役世界ヘビー級チャンピオンだったモハメッド・アリが、「誰でもいい、俺に挑戦する奴はいないのか」とファンにリップサービスした所、プロレスラーの猪木に絡まれ、しかもヤラセだと思ってのほほんと来日したらシュートマッチを仕掛けられてしまったという、今の総合格闘技の走りみたいになった戦いの事です。

 昔と違い、いろんな人の丁寧な取材で猪木vsアリ戦の実態がだいたい固まっている現在なので、新しい事実とか、面白いエピソードみたいなものは書かれていませんでした。個人的にこの本でいちばん面白かったのは、この試合そのものじゃなくて、アリ対猪木以前にあった、アメリカでのグラップラー対ボクサーの試合の詳細。日本の総合格闘技の源流は猪木と新日本プロレスにあると言っていい状況なので、猪木vsアリや猪木vsペールワン以前というのを、僕は知らないんですよね。でもアメリカではそれ以前の歴史もけっこう深いみたいで、この詳細が面白かったです。ジーン・ラベールだけは名前を知っていましたが、どういう試合を戦ってきたかとか、まったく知りませんでした。他に出てくるエド・ルイスとかマーティー・バーンズなんて名前すら知りませんでした。そして、アメリカの異種格闘技戦の歴史は「普段からリアル格闘を行なってるボクサーの方がさすがに強いだろう」という予想とに反した結果で…ここはかなりの格闘技ファンでもなかなか知らない現実だと思うので、一読に値すると思います。
Inoki vs Ali もうひとつ面白かったのは、アリvs猪木のあとの総合格闘技についてでした。僕はアルティメットあたりは格闘技をあまり見なくなってしまったので、どんな感じに発展したのかがよく分かって有り難かったです。それにしても、この著者の人は日本の格闘技事情にもめっちゃ詳しくてびっくりでした。

 アメリカ人の本なのでアリ寄りかボクシング寄りの本かと思いきや、猪木やグラップラーをかなり高く評価していたのが意外。変な自説や情緒は挟まず公平に評価してるのが、ノンフィクションとして優れていると思います。最後に取材相手も書いていますが、ものすごい人数!ろくに取材もせずに自分の知っている情報だけで書いてしまう似非ルポライターとはぜんぜん違います。ただ、翻訳本だからか、はたまたこの著者の処女作だからか…よく出来たルポ本とは思うんですが、文章が読ませる感じになってなくて、あんまり面白くはなかったっす(^^;)。


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『炎のファイター アントニオ猪木のテーマ』(EP)

Honoo no Fighter_Siro アリ・ボンバイエ、僕はEP(シングル盤)遍歴があるんです。そういえばEPを扱うのはこのブロク初かも(^^)。プロレスで入場曲が使われるようになったのがいつからなのか知りませんが、アントニオ猪木vsタイガー・ジェット・シンあたりを見ると入場曲は流れてないので、70年代なかばぐらいからだったのかも。さて、「猪木ボンバイエ」のあの音楽で僕が最初に買ったのはひとつ前の日記で書いた『Muhammed Ali in “THE GREATEST”』のサントラじゃなくて、ドーナツ盤でした。そうそう、僕が子どもの頃は、シングルというよりドーナツ盤と言う方が多かったなあ。

 まず、友だちの家で聴かせてもらったレコードが、アリと猪木の写った白っぽいジャケットの「炎のファイター」というレコード。これはマンドリル演奏のオリジナルで、A面がパート1(これが有名なヤツ)、B面がパート2(パート1のバリエーションで、これがパート1以上にカッコいい!!)。ところがマンドリル演奏のものは、「猪木ボンバイエ!」とは言ってなくて、「アリ、ボンバイエ!」と言っているんです。これにはまだ小学生だった僕も友人も納得いかず。だって、猪木のレコード買ってきたのに、アリと言ってるんですから。

Moerutoukon_AntonioInokinoTheme_aka.png 次に、僕がなけなしの小遣いをはたいて近所の古本屋で買ってきたのが、猪木がレッドシューズ・ドゥーガンに手をあげられている写真の「燃える闘魂アントニオ猪木のテーマ」というドーナツ盤。なんの根拠もなかったんですが、小学3年だった僕は、友だちの持ってる白いヤツとは違うレコードだしこっちにはアリが写ってないから、これは「猪木ボンバイエ!」と言ってるんだろうと思ったんです。この写真の猪木カッコいいと思ったもんで、単に欲しくなったというのもあるかも。ところが、帰ってきて聴くと、やっぱり「アリ、ボンバイエ!」とか言ってるし。小3って、大人が思っている以上に馬鹿なんですよね(^^;)。。ところで、このレフェリーが世界の名レフェリーと言われたレッドシューズ・ドゥーガンだと分かるのは、猪木のNWF戦を見ていた人か、梶原一騎原作「四角いジャングル」またはギャグ漫画「1・2の三四郎」を読んでいた人ぐらいじゃないかと(^^)。。

 そして、さらに別の友達が買ったのが、猪木がカメラ目線でファイティング・ポーズをとっている「炎のファイター アントニオ猪木のテーマ」というシングル盤。これがまさしく「猪木、ボンバイエ!」と叫んでる1枚でした。「アリ」じゃなくて「猪木」と言ってるそのレコードが欲しかった僕がどうしたかというと、色んなことを言って、自分が持ってるレッドシューズ・ドゥーガン盤と友達の日本語盤を無理やり交換させた…ろくでもないガキだな(*゚∀゚*)。。
HononoFighter_Japan.jpg ちなみのこの日本語盤は、B面で当時猪木の奥さんだった倍賞美津子が「炎のファイター」に詞をつけたものを歌ってます。金管セクションが「タ~ラ~ラ~、タ~ラ~ラ~ラ~」と演奏してる部分で、「い~つ~も~、一緒に~」と歌ってる…聴いてるこっちが恥かしくなる状態で、これがネタ化して友達たちの間で流行してしまったのでした(^^;)。

 ところが何度も聴いてるうちに、「あれ?日本語のやつより、マンドリルというグループのバージョンの方が演奏がカッコよくないか?」と思いはじめてしまったんです。たしかにそうで、なんてったって日本語版は演奏が「アントニオ猪木とザ・ファイターズ」という意味不明なバンド。たぶん、スタジオミュージシャンに演奏させて、実在しない適当なバンド名をつけただけなんじゃないかと。この演奏も決して悪いものでなく、細かい所まで本物に近づけた実に素晴らしいコピーではあったんですが、子どもながらに何か違うと思ったんでしょうね。今このレコードを持ってないもんで、どこに違いを感じたのかは分からないんですが、些細なグルーヴとか、言葉に出来ない所で何かが違うと感じたんでしょう。

 そんなわけで、僕はまたマンドリルのレコードを買い直したわけですが、それがドーナツ盤じゃない『THE GREATEST』のサントラ盤LPだった、というわけです。そうそう、この素晴らしい演奏をしていたマンドリルというグループが何者かというと…それはまた次回!


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『Muhammed Ali in “THE GREATEST” original soundtrack』

『Muhammed Ali in THE GREATEST original soundtrack』 モハメッド・アリといえば、僕的にはアントニオ猪木のテーマソングにもなった「アリ・ボンバイエ」に尽きるわけです(^^)。僕が人生ではじめてジョージ・ベンソンの名を知ったのは、ブラコンなギタリスト/シンガーとしてでも、ジャズギタリストとしてでもなく、アントニオ猪木のテーマソングにつられて買ったこのレコードでしたしね(^^;)。なんで「アリ・ボンバイエ」が猪木のテーマになったかというと、世紀の凡戦&まさかのリアルファイトとなった猪木vsアリの異種格闘技戦での猪木の勇気をたたえて、アリが猪木にプレゼントしたんだそうで。

 とはいえ、あの曲を演奏してるのは「マンドリル」というバンドで、作曲者はマイケル・マッサー。ジョージ・ベンソンはたぶんあんまり関係ありません。猪木のテーマのシングル盤では、「演奏:マンドリル」となっているので、僕はこれでマンドリルの名前を覚えたました。作曲のマイケル・マッサーはブラコン系のポップスの作曲をたくさんしている人で、ホイットニー・ヒューストンとかジョージ・ベンソンとかダイアナ・ロスとかロバータ・フラックとか、そのへんの人に楽曲提供してます。表には出ませんが、80年代の産業ブラック・ミュージックを実際に作っていた影武者のひとり、というわけです。

 そして有名な「ボンバイエ」ですが…オリジナルは「アリ、ブンバイエ!」の大合唱がメチャメチャ熱い!ギターのワウをかませたカッティングがひたすらカッコいい!!コンガやボンゴを含んだ打楽器群のグルーヴがヤバいほどカッコいい!!燃え上がりながらもDマイナーなので、熱いけど哀愁漂うというラテン音楽気質がムンムン。戦う人間の悲壮感みたいなものも感じて、1回聴きはじめると病みつきで止まらない(^^)。さらに、「アリ、ボンバイエ」にはパート2というのもあって、こっちがアレンジがパート1以上にカッコいい!日本ではマンドリル演奏のものではない「猪木ボンバイエ」というシングル盤も発売されてましたが、僕は絶対にマンドリル演奏の「アリ・ボンバイエ」を推薦したいっす(^^)。

 そうそう、僕は落ち込んだ時に自分を復活させるレコードというのを何枚か持ってるんですが、「燃えよドラゴン」「ロッキーのテーマ」同様に「アリ・ボンバイエ」も鉄板。聴きはじめると10秒で元気がでます(๑و•̀ω•́)وナンダコノヤロウ!


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映画『モハメド・アリ かけがえのない日々』

MohameddoAli_KakegaenonaiHibi.jpg コンゴ/ザイール関連ネタ、もうちょっとだけ引っ張らせて下さい。これがこのブロクでザイールについて書く最後の機会かもしれませんので(^^)。という事は、僕が人生でザイールについて振り返る最後の機会かもしれませんしね。これは、ボクシング伝説の世界ヘビー級チャンピオンだったモハメド・アリのドキュメンタリー映画です。

 なんでこの映画がザイールと関係あるかというと、この映画がザイールのキンシャサで行われたアリvsフォアマンのWBA・WBCの統一世界ヘビー級タイトル戦のドキュメンタリーだからです。このタイトル戦が行われた頃のザイールは、クーデターで欧米植民地から逃れた時期で、アメリカ合衆国のやり方に噛みついたモハメッド・アリを英雄視して、当時のモブツ大統領がスポンサーとなってこのタイトル戦が実現したそうです。この試合は「キンシャサの奇跡」と呼ばれる名試合で、フォアマンに追い込まれ続けたアリが逆転勝ちするという、ビッグマッチに相応しい劇的な展開(^^)。アリは全盛期をとっくに過ぎてますが、やっぱり持ってるな。。

Kinshasa no kiseki この映画、ボクシングだけじゃなくて独立ラッシュとなった当時のアフリカの状況とか、いろんなものをドキュメントしていて、ものすごくいい映画です。アリ自体が単なるスポーツ選手という枠にはもういなくて、戦争参加に反対して懲役を拒否、イスラム教へ入信してカシアス・クレイからモハメド・アリに改名、など、合衆国内にとどまらずアフリカでも大変な英雄になった人でもあります。そうした思想がこの大イベントにもつながっているわけですね。このドキュメンタリーには音楽的な見どころもありまして、タイトル戦に合わせて、音楽のイベントも開催されたみたい。ジェームス・ブラウンなどのアフリカン・アメリカンのミュージシャンが多数アフリカに渡ってパフォーマンス、また同じ舞台に現地のアフリカ人ミュージシャンもパフォーマンスするんですが、これがアメリカのエンターテイメント感満載の音楽と違って、ものすごくいいんですよ。。また、当時のザイールの状況も伝わってきて、土の地面の上で子どもたちが宙返りして遊んだり(すげえ!)、村の人たちが娯楽でちょっとやったようなポリリズムの打楽器群と声の演奏がむっちゃくちゃ凄かったり。音楽はお金払って聴くものじゃなくて、自分たちでやるもんなんでしょうね、少なくとも当時のザイールでは。その様子はちょっと前に紹介したCDなんかでも想像できます。

 というわけで、たんなるボクシング映画じゃない、アフリカ独立の頃のアフリカの雰囲気と、アメリカの迷走を見事に描いた素晴らしいドキュメンタリー映画じゃないかと思います!


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映画『地獄の黙示録』 フランシス・フォード・コッポラ監督

Jigoku no mokusiroku コンラッド衝撃の小説『闇の奥』よりも先に観ていたのが、ベトナム戦争を題材にしたコッポラ監督の映画『地獄の黙示録』です。最初に見た時はそんなこと知らないもんで、「ドアーズの『The End』が主題歌だ」とか「すごい映画だぞ」というだけで見ていて、実際に見た時も「これは凄まじい映画だ」と思ったんですが、よもや小説の方がそれをはるかに上回る地獄絵巻だったとは、当時は知る由もありませんでした(^^;)。そうそう、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」をはじめて聴いたのもこの映画で、藤原喜明の入場テーマ体験よりはやかった…な~んて、こんな軽い感じで書いていられるような軽い映画じゃないです。

 原作『闇の奥』の舞台がベルギー領コンゴのジャングルの中での植民地支配の地獄だったのに対して、映画の方はベトナム戦争時の東南アジアのジャングルの地獄。西洋人からすればまったくの未開の地にしか見えないジャングルを、船で川をさかのぼって行く時の自然の恐怖、現地人の襲撃の恐怖、ジャングルの奥に行ったまま帰って来ずに現地人の崇拝の的となったカーツ大佐(マーロン・ブランド)の異常性と戦争の異常性…実に見事に映像化されていたと思います。言葉じゃなくて、映像でその恐怖や不安、異常性が伝わってくる感じで、凄い映画だと思いました。僕個人は戦争うんうんより、あえて自分をジャングルの奥に置き続けようとしたカーツ大佐の心理面に強く魅せられた映画でしたね。

 「ゴッド・ファーザー3」なんかを見てもそうなんですが、コッポラ監督って、豪華なセットを見せて売り物にしたり、不要なカットが多かったり無駄に長かったりで、金に任せて豪華ではあるけど、映像でも編集でも監督としての技量は微妙かも…なんて思ってました。でもこの映画は素晴らしい。終盤の、敵がいるのかもわからないまま、ただ前線で迫撃砲を打ち続けている部隊の狂気の映像化など(ただ暗闇に爆発だけが何度も映し出される)、見事な表現。単に「戦争反対!」なんて映画じゃなくって、個人の狂気やその実態を言葉じゃなくて映像で示したんじゃないかと感じたんですよね。部隊を裏切ってベトナムの奥地に留まったマーロン・ブランドの心理も分かる気がする…というのはヤバいのか?コッポラ監督では、『地獄の黙示録』『コットンクラブ』『コッポラの胡蝶の夢』の3作が名作だと僕は思ってます。そしてその3本の中で、他は観たくなければ見なくてもいいけど『地獄の黙示録』だけは現代人として観ておきたい映画じゃないかと。


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小説『闇の奥』 ジョセフ・コンラッド著、藤永茂訳

Yami no Oku_Conrad コンゴザイールの音楽を取りあげてきましたが、このへんの土地の歴史を知る上で読まないわけにはいかない小説をひとつ。「世界の英語圏諸国の大学で、教材として、20世紀で最も多く使用された文学作品」(本文まえがきより引用)という近代イギリス文学屈指の名作…というより、僕的には衝撃だった作品、『闇の奥』です。1899年発表で、欧米諸国が植民地支配を行っていた時代の小説です。小説というものの、これがほぼノンフィクションだという事が、色んな文学者の研究で分かってるみたい。

 舞台は19世紀末のベルギー領コンゴ。マーロウは、うまいこと貿易会社の蒸気船船長の座に潜り込み、意気揚々とコンゴへ向かいます。しかしコンゴはヨーロッパ人だったマーロウには想像以上の地で、奴隷政策のむごい惨状、灼熱のアフリカの厳しさに圧倒されます。現地に着くと、川を遡ったさらに奥地に赴任し、知る人皆から称賛される天才クルツの話を聞かされます。クルツは、コンゴに赴任した白人全員をあわせたより多くの象牙を奥地から送ってきますが、現地から帰ってこようとしません。マーロウはクルツの赴任先まで、蒸気船でコンゴ川をのぼっていくのですが…

 未開のジャングルの奥地に行ったきり帰ってこない怪人物を追って、地獄の様相を呈するジャングルを川で遡っていく…最初に読んだ時の僕の感想は、「なんだこれ、『地獄の黙示録』そのものじゃないか!」というものでした。しかも『地獄の黙示録』と違ってこれはほぼノンフィクションらしいし、文章の表現が強烈で生々しくて、その衝撃は『地獄の黙示録』の比ではありませんでした。「イギリス文学の名作」なんて言葉で想像するような生易しいものじゃなかったのです。
 そんな『闇の奥』ですが、僕的には3つ重要な事が書かれてると思いました。ひとつは、ベルギー領コンゴの植民地政策の惨状。ひとつは、クルツのいう異形の人物に迫る小説としての側面。もうひとつは、人が人を支配する植民地支配の資料、この3つです。

 ひとつめのベルギー領コンゴの植民地支配の惨状。実は、この小説には地名やら何やらはほとんど書いてありません。でも、後のイギリス文学研究家たちの調べで、マーロウ(これが作者コンラッドの事)が就職したのは「北部コンゴ貿易株式会社」で、遡った川はコンゴ川…な~んてことも今では分かってるそうです。で、植民地の惨状が強烈。コンゴ領に着き、森を散歩したマーロウは、捨てられた奴隷たちの地獄の光景を目にします。

「彼らはゆるりゆるりと死につつある―それはもうはっきり分かった。」彼らは敵じゃなかった。罪人たちでもない。もはや、この世のものではない―この緑がかったうす暗闇の中に雑然と横たわっている病苦と飢餓の黒い影以外の何ものでもなかった」(P.47)

「もう一方の幽霊は、あまりの疲労に打ちひしがれたかのように、その額を膝の頭に押し当てていた。そして、そのあたり全体に、同じようなのが、大虐殺か悪疫の惨状図さながらに、あらゆるポーズに体をよじ曲げた姿で、ごろごろ散らばっていた」(P.49)


 ふたつめの、クルツという人物の描写としての小説として。この小説はかなり映画的な書き方がされていて、謎めいた恐怖でも尊敬の対象でもあるようなクルツという人物がいて、彼を追って未知の森の奥へと入って行く…みたいな感じ。マーロウは、クルツの赴任地に向かう途中のコンゴ川上で、人を受け付けない未開のアフリカの自然の驚異を目の当りにします。真っ暗闇の中で鳴り続ける太鼓の音、赴任して数年もすれば次々に病に侵されて死んでいく白人。そんな中、ずば抜けた業績をあげながら、とつぜん本社に背を向けて別の赴任者との交替を拒み、人のいない死の待つ地獄の森の奥へと入って行くクルツ。ようやくマーロウがクルツの元に辿りついた時には、とつぜん闇から現地人たちのやりの奇襲を受け、またマーロウの家には生首が象徴として見せつけてあります。
 コンラッド自身は、クルツをこんなふうに結論付けています。「彼は、原始の大自然から、自由に呼吸のできる空間、どんどん分け入って行けるだけの空間の他には何ものも求めなかった。彼が求めたのは生きている事であり、できる限りの大きな危険を冒し、最大限の窮乏に耐えて、前に進む事だった。」彼の心情は分かる気がしたんですよ。詩人のランボーが、天才と言われながらフランスを捨ててアフリカに入って武器商人になり、アフリカで死にましたよね。ちょっとチープな言い方になっちゃうけど、死んでもいい、ギリギリのところを垣間見たい…そんな思いなんでしょう。
 あと、小説の最後が胸に来ます。クルツの最後の言葉は、「The horror! The horror! (地獄だ!地獄だ!)」なのですが、彼の辞世の句を聴いたマーロウは、クルツの婚約者には、「彼の口に上った最後の言葉は―あなたのお名前でした」と伝えます。婚約者はクルツを分かった気になっていますが、なぜクルツの最後の言葉が「地獄」であるのかは、伝えてもきっと理解できなかったのではないか…そんな気がしました。アウトサイダーなんですよ、クルツはきっと。

 3つめの、植民地支配の資料としての価値。この本が出た時は、まだビデオカメラがない時代なので、こういうルポが植民地支配の実態を訴える唯一の手段だったんでしょう。昔、NHKとABCが共同で作った『映像の世紀』というドキュメンタリー番組がありましたが、その中で、現地人を鎖でつないで強制労働させているリアルな植民地での強制労働の写真を見た事があります。これが人間のすることか…。そして、その地獄絵図の最たるものが、ベルギー王レオポルド二世のコンゴの私有地化で、その人類史の闇を表に出したのがこの本、というわけです。レオポルド2世は自分では一度もアフリカに行かないまま、植民地での実態は現地開拓などせずに現地人を強制労働で600万から900万の人を虐殺(本書あとがきにあった数字)した悪魔のような人間です。しかし、自分が悪魔のような所業を働いているという自覚すらなかったんじゃないでしょうか。ヒトラーのナチが虐殺したユダヤ人の数が800万なんて言われてますが、それ以上の虐殺が行われた事があまり知られていないのは、犠牲者がアフリカ人だからでしょうか。せめてもの救いは、この惨状を伝えたのがヨーロッパ人自身だった事でしょうか。

 さて、この本は何度か日本語訳されたそうですが、これは2006年の藤永茂さん訳。50年代の岩波書店の訳本を元にしつつ、誤訳を訂正し、ついでに時代背景などの詳細をまえがき、あとがき、訳注などにビッシリ。今から読むなら間違いなくこの訳本じゃないかと。ザイールのCDのところで、「モブツ大統領をいたずらに独裁者と言って批判したくない」と僕が書いたのは、ヨーロッパのこういう残虐極まる植民地支配を、アフリカ人当人が軍事クーデターによって独立させたからで、それを西側の論理「独裁国家だ」の一言で悪と信じてしまうのは、事実をちゃんと知るまでは留保しておきたい、という気持ちが僕にあるからでした。いまだに資本主義的帝国主義の続く現代に生きる僕たち現代人は、読んでおきたい本なんじゃないかと。


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『密林のポリフォニー イトゥリ森ピグミーの音楽』

Mitsurin no Polyphony_Pygmies ここまで聴いてきたザイールの音楽はバンツー系民族のものだと思うんですが、これはピグミーの音楽。ピグミーというのは、僕らが想像する背の高いニグロイド(これがバンツー系)とは対照的に、すごく背の低いニグロイド。アフリカ大陸の赤道直下に広がっているイトゥリの森なんかに棲んでるそうです。ところが、うちにある世界地図を広げても、イトゥリの森って出てないんですよ。ザイールの奥にあるそうなので、コンラッドの小説『闇の奥』に出てきた森の中に潜んでた恐ろしい現地人はピグミーの事だったのかも。

 音楽は、リケンベ(親指ピアノ)演奏の上で歌を歌うものとか、手拍子を打ちつつ皆で合唱するものなど。これがどれももの凄いポリリズムにポリフォニーで圧巻!リケンベの演奏なんて、最初は4分音符だと思ってたのが、そこに別のリケンベが別のリズムを重ねて、さらにその上に別のリズムを持つ歌が重なって…みたいな感じで、ものすごい線の音楽。すげえ、これはジャングルの中のバッハだ。合唱となるとそれどころではなく、皆で合唱しているフレーズがあると、それに別のフレーズがかさなり…という感じでどんどんポリリズム、ポリフォニー、ポリハーモニーになっていきます。何となく何人かが始めたのがどんどん人数が膨れ上がって、また何となく終わって行ったりするものが多いので、かなりの部分で即興な気もします。もしかすると、森の中での数少ない娯楽が音楽なのかも。そうそう、カエルの鳴き声までコーラス隊として使ってるように聴こえたパフォーマンスまでありました(^^)。しかも幻想的でいい音楽になってるし。

 これは驚異の音楽。どちらかというと自分の好きなジャンルばかりを聴き漁っていた僕が、色んな音楽を聴いてみたいと民族音楽に手を出して衝撃を受けた音楽のひとつです。それにしても、ピグミーって赤道直下の過酷なジャングルで生きている人々というだけでも神秘的な感じがします。


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『アーバン・ザイールの息吹 キンシャサの響き Zaïre: musiques urbaines à Kinshasa』

Zaïre musiques urbaines à Kinshasa ザイール音楽のオコラのレコードとしては、伝統音楽の録音だった『Zaire: Musiques de L'Ancien Royaume Kuba』と対になるような1枚で、こっちは都市部の音楽を集めたもの。西洋音楽とフュージョンしたような音でした。録音が1978年なので、71年にザイールがクーデターでモブツ政権となり西洋から切り離されたあたり。ここでザイール音楽が大きく変わったのかも。そしてこの音楽がめっちゃくちゃにカッコよかった!

 リンガラみたいにエレキギターやベースが入ってるわけではないだけに、ラテンアメリカのポピュラー音楽っぽさはなくて(M3のオルケストル・バンバラの演奏は、それでも比較的にリンガラとのつながりを感じるかな?)、ザイール土着の音楽が電化して、長い歌詞がついてメッセージ色が増した感じに聴こえました。中心はヴォーカル(といっても、まくしたてるように早口なラップのようなメインヴォーカル部分が多かった)で、そのメッセージ中心な感じは、このCDに入ってる曲の演奏時間が15分、28分、10分、23分と、かなり長かった所にもあらわれてるんじゃないかと。そして、ヴォーカルがカッコいい!1曲目「オルケストル・サンカイ」のツイン・ヴォーカルの5度のハーモニーなんてムッチャクチャかっこいい!!これだけ長いと、歌詞は、もともとのアフリカ音楽みたいにある程度は即興じゃないかなあ。
 演奏は、ひたすらループしていく感じが声の音楽を見事に支えてるな、みたいな。ザイールの音楽ではバントゥー系民族もピグミーも親指ピアノをたくみに使ってましたが、このCDもよく聴くとサム・ピアノが中心。これがPAされて独特の音に変質していて、トランス系でカッコいい!この変質された音を「カッコいい!」と思っただけで作ったと思われるのが、M2のオルケストル・トゥー・ピュイッサン・リケンベ・コノノ・ナンバー1の演奏。ひたすら同じビートの上でPAで歪んだ親指ピアノ(かスティール・パンみたいな音の楽器)の演奏が続く感じ。サンバ・ホイッスルは入るし、お祭りムードなので、ブラジルかトリニダード・トバゴのサンバを電化した音楽のようでもありました(^^)。

 このへんの音楽や文化の知識は僕は全然なくって、江波戸さんが書いた民族音楽のガイドブック『音楽の原理』あたりの受け売りなんですが、74年のモハメッド・アリの世界戦でアメリカのブラック・ミュージックがザイールに伝わったり、ボブ・マーリーの音楽が聴かれてラテンアメリカの黒人音楽が聴かれるようになったり、色々あったのかも。それにしても、これはラップや初期のカリプソとのつながりを感じる、なかなか攻撃的に感じる音楽でした。今もこういう音楽がザイールに残っているのかどうかは分かりませんが、もし残ってないんだとしたら、これは貴重なCDじゃないかと。超おススメ!


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『ザイール クバ国王の音楽 Zaïre: Musiques de L'Ancien Royaume Kuba』

Zaire Musiques de LAncien Royaume Kuba フランスOcora原盤のザイールの民族音楽のCDです。昔、モハメッド・アリのドキュメンタリー映画を見た事がありまして、その時にザイールの音楽を、ネイティブっぽいものも都市部の音楽も聴きました。それがビクター盤『ブルースの源流 ザイール シ人の歌とリケンベ』とあまりに違ったもんで、もっと違うものがあるんじゃないか…みたいなルートをたどって行きついたのがこのCD。大きく分けてクバ王国の王のための音楽と、ムベロ村の音楽のふたつが入ってました。録音は1970年…おお~モブツ政権の前の録音じゃないですか!すごい。

 まずはクバ王国の音楽。音楽の前にクバ王国って何かというと、ザイールの中に今も実際にある、人口7万5000人ほどの王国なんだそうです。すごい、国の中に王国があるのか。織物や工芸品がアフリカ随一のところだそうで、ネットで検索するといっぱい織物の写真が出てきます。ああ、こういう柄ってこの地域のものだったのか。で、音楽はというと、王の歌というだけあって、ゆったりして雄大な感じなものが多かったです。たとえば、低音の打楽器が「ドン、ドンドン」みたいにゆっくりとリズムを取りながら、ひとりが歌うとみんなが続いて歌う感じ。こう書くとアフリカのいろんなところで聴くことのできるコール&レスポンスみたいに感じるかも知れませんが、リーダーと民衆が掛け合いをしてる感じじゃなかったです。
 ムベロ村の音楽。リードヴォーカル(と言っていいのかどうか)が男であること以外は、音楽の形式なんかはほぼ同じ。ただ、こっちの方が音楽も詞も若干プリミティブで、たとえば曲種で言えば葬式の歌とか、呪術師の舞踊曲とか、そんな感じ。あ、あと、クバ王国の音楽には親指ピアノが無かったけどこっちにはあるので、こっちの方がフォルクローレに近い曲も入ってるって事かも。

 僕は、18歳ぐらいの時にはすでに民族音楽が好きでした。でもそれって、バリ島とかイランみたいな、演奏も曲も芸術音楽レベルに高いものが好きで、アフリカやオセアニアみたいなプリミティブなものは単純に思えてあまり好きじゃなかったです。でも今、昔買い集めた民族音楽のCDを聴き直すと、そういう音楽もすごく面白く感じます。たぶん、音として面白いかどうか以外に、そのうしろにある文化を感じて楽しくなってるのかも。
 このCDに入っていたクバ王国の音楽なんて、まさしく「音楽って元々はこういう感じだったんだろうな」という感じ。農耕民族であるバントゥー系アフリカン人が住んでるザイールは、間違いなく集団社会だと思うんですが、音楽を聴いてると、みんな同じ習慣や宗教を共有して、みんな一緒に畑を耕している…こういう情景が浮かんでくるよう。ザイールの伝統音楽は、個人的なものも集団のものも、どちらも素晴らしかったです!ついでに、ザイールは独立後に近代化したものもまた素晴らしいんですが…それはまた次回(^^)。

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『ブルースの源流 ザイール シ人の歌とリケンベ』

Blues no Genryuu_Sijin no Uta to Rikenbe 今のコンゴ民主共和国、僕が学生の頃はザイールと呼ばれていました。ザイールと呼ばれてた時期はクーデターで大統領に就任していたモブツさん政権時代の事。ただ、なんせ2次大戦であれだけ人類絶滅の危機を招きながらまた植民地主義を手を変え品を変えて続けようとした欧米への反発としてのアフリカや中南米の独立運動から生まれた国です。だから、世界史の勉強が不足してる僕は、正しい事実を知るより前に「クーデター」「独裁者」という印象だけでモブツさんを批判的に見るのは留保したいところ。

 そんなザイールの音楽ですが、このCDに入ってたのは、バントゥー系(背のすごく高いアフリカ大陸の黒人は、だいたいバントゥー系だそうです。コンゴやザイールあたりから南に位置する中部アフリカと東アフリカ一帯が彼らのエリア)の農耕民族シ人の音楽でした。リケンベ(親指ピアノ)の弾き語りで、後ろでシェーカーのような振りもの打楽器の伴奏がついていました。シ人のリケンベはボディに共鳴胴をくっつけているのが特徴みたい(ジャケット写真みたいな感じ)。なるほど、中央アフリカもそうでしたが、このへんは親指ピアノがけっこう普及してるんですね。「キン・コン・キキカコン」みたいに4音程度の音のパターンを反復しながら、ラップかリズムつき朗誦みたいな感じのヴォーカルがつく感じ。盛り上がったり展開したりはせず、ひたすら同じものを循環してる感じなので、ひとり呪術のように聴こえました。

 北米大陸に奴隷として連れて行かれたのはたしかにこのへんの住民だったんだろうけど、これを「ブルースの源流」みたいにして売るのはどうなんでしょうか。嘘じゃないだろうけど、これを聴いて「あ、ブルースに繋がるものがある」なんて思う人はいないほどに違う音楽。ライナーでは「ライトニン・ホプキンスの音楽に通じる」とかいろいろ書いてありましたが、これはこじつけすぎる(^^;)。。ブルースとか関係なしにこれはザイール付近のバントゥー系民族のルーツ・ミュージックという事でいいんじゃないでしょうか。ブルース関係なしに、プリミティブですっごいカッコいい音楽と思いました!


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『コンゴの音楽 CONGO: Musique traditionnelle』

CONGO Musique traditionnelle OCORAがリリースした「CONGO Musique traditionnelle」、1966年の録音です。コンゴという名の国は2つありますが、ここでいうコンゴとは今のコンゴ共和国で、中央アフリカの西側にある国の方です。ちなみに、コンゴ民主共和国という国の方は昔でいうザイール。ザイールはモハメッド・アリの映画で観ましたが、映画の中でも「アフリカ大陸の人のリズム感や身体能力って半端ないわ」と思わされたものでした(^^)。だって、小学生ぐらいの子供がそのへんで前宙して遊んでるんですよ。普通じゃねえ。。

 ザイールや中央アフリカと同じように、コンゴの音楽も強烈にプリミティブでした。ただ、歌の比重が強くて、打楽器は集団での強烈なポリリズムというのとは違って、歌のうしろでリズムを刻むぐらいの軽い感じのものが多かったです。ただ、そのリズム感が強烈。1曲目は、子ども2~3人がお手製の打楽器を叩きながらコール&レスポンスで歌ってるだけの遊び唄に聴こえるんですが、リズム感がヤベえええ!!いったい何なんだこの天性の音楽感は。やっぱりアフリカって身体能力が半端ないわ。。
 ただ、プリミティブなだけでなくて、異様に前衛的に感じる音楽が混じっているのが新鮮でした。色々とぶっ飛んでるんですよ。たとえば、プリペアドしたような音の楽器群。7曲目のバ・ベムべ族の物語歌は、弦楽器をプリペアドした演奏で、僕には思いっきり前衛音楽に聴こえました。4曲目のフィドル演奏も、「キー」っていう音しか出てなくて、しかしこれが異常にカッコいい!どちらもそこにアフリカの唄ならではの超絶な早口のマシンガンヴォーカルが重なって、メッチャクチャかっこいい!いやーこれは痺れるわ。。
 他には、西洋ではありえない和音。平均律でも純正律でもない調律の音がぐしゃっと重なるから、西洋音楽に侵された僕の耳には刺激が半端なかったです。8曲目の冒頭部分の角笛の合奏は、ありえないような和音で、プリミティブというよりも、一周回って超前衛音楽。11曲目の木製ラッパもの合奏も、どうも一つの楽器でひとつの音程しか出せないらしく、それが折り重なるので、なんとも斬新な音。

 民族音楽を聴く楽しさのひとつに、聴いた事もないような音楽を体験できる点がありますが、これは強烈だわ。これをつまらないと思う人は、きっと西洋音楽に毒され過ぎていて、西洋音楽の基準でしか音楽を評価できない人だと思うので気をつけろ!!一方で、創造力の豊かな人には、こんなに興味を惹かれる音楽もなかなかないんじゃないかと。いやあ、アフリカの音楽って、聴きはじめると止まらなくなります(^^)。


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小説『華麗なるギャツビー』 フィッツジェラルド著、大貫三郎訳

KareinaruGatsby_book.jpg ロバート・レッドフォード主演の映画「華麗なるギャツビー」を面白くないと感じた僕でしたが、アメリカ文学で傑作と言われているものがこんな程度の訳がないと、原作を読んでみたのでした。僕が読んだのは角川文庫版で、翻訳者は大貫三郎さんという方。

 ギャツビーは、映画より小説の方が圧倒的に良かった!小説は、いかにもアメリカ文学という感じでした。僕の中のアメリカ文学というと、ヘミングウェイ「兵士の故郷」とか、ヘンリー・ミラー「南回帰線」、ケルアック「路上」、エリス「レス・ザン・ゼロ」みたいなイメージです。これらの文学に共通するのは、主人公は楽観主義なアメリカ合衆国の中にあって虚無感を覚えていて…みたいな。そして、この虚無感のうしろにあるものの核心をつかれてグサッと来たりして。ストーリーを追っただけの映画では語られていない、この小説の核心たるモノローグ部分は、たとえばこんな感じです。

 「汽車が駅を出て、冬の夜のなかへ向かって進み、雪らしい雪、僕たちの雪が身近にずうっと拡がり、窓にキラキラし始めて、ウィスコンシンの小さい駅々のぼんやりした灯が、汽車の傍をすれ違うころともなると、鋭く荒々しく緊張したものが、さっと空気の中に入ってくる。夕食を済ませて、寒いデッキを戻ってきながら、その空気を深く吸い込み、この地方でこそ僕たちも水をえた魚のようになるのだという、なんともいえない意識が生まれるのだが、その不思議な一時間がすぎると、また今度はその空気のなかに、見分けがつかないぐらいに溶け込んでしまうのだ。
 それが僕の中西部なのだ―小麦でもなければ大草原でもなく、滅び去ったスウェーデン人の町々でもなく、青春時代の、胸もわくわくするような帰省の汽車であり、霜の降りた夜の街頭や橇の鈴であり、灯のついた窓から雪の上に投げ出された西洋柊の花輪の影がそうなのだ。(中略)いまになってわかるのだが、これは結局西部の物語だった―トムやギャツビー、デイジーやジョーダンや僕は、みんな西部の人間だ。そのためだろう、みんな申しあわせたように欠陥があって、不思議と東部の生活になじめないのだ。」
(P.232)

 「太陽の灰色の強い光線を避けるうちに癖になったやぶにらみの目を、真直ぐ前方に注いだままだったが、彼女は僕たちの関係をわざと変えたのだ。で、束の間彼女を愛しているような気がした。だが、僕は頭脳の回転が鈍くて、内心の規則がいっぱいあって、それがブレーキとなって僕の欲望を抑えつけてしまうのだ。まず第一にその縺れからきっぱりと脱け出して、本塁に還らなければいけない事は、僕も知っていた。」(P.79)

 いやあ、名文ではないですか。この物語で何を言いたいのかがズバリ書いてある。。なるほど、映画の失敗がどこにあるのかが分かった気がします。フィッツジェラルドはヘミングウェイと並ぶアメリカの「ロスト・ジェネレーション」の代表的な作家ですが、ロスト・ジェネレーション世代が抱えていた「もの」を小説はずばり言い当てていたのに、映画はストーリーを追うばかりで核心がぼやけたんじゃないかと。「華麗なるギャツビー」の場合、舞台は1次大戦後でジャズエイジとして湧きかえる合衆国社会で、まわりは金の事ばかり考えて浮かれていますが、主人公のギャツビーは大事なものを失っていて、それを取り返す為に金持ちになり、そしてそれを手に入れかけたところで死んでいきます。そして小説では、合衆国にあった良心や美徳の部分と、金ばかりに振り回されて大事なものを見失っていく負の部分を、合衆国の西部と東部という形で描き分けていたのではないかと。これが、ストーリーではなくモノローグの部分で語られて…。浮かれて誤った方向に進んでいるアメリカ文化の闇、それが原因で倦怠感から抜け出せない人の根源である、ロスト・ジェネレーションが失っているものを描いた作品だと思いました。…なんか、子どもの読書感想文みたいだぞ(^^;)>。。


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映画『華麗なるギャツビー』 ロバート・レッドフォード主演

KareinaruGyabbi_movie.jpg ロスト・ジェネレーションの作家といえば、ヘミングウィのほかにフィッツジェラルドも思い浮かびます。そしてフィッツジェラルドの代表作といえば「華麗なるギャツビー」!僕は小説よりも映画の方を先に観ました。何度も映画化されてるようですが、僕が観たのはロバート・レッドフォード主演のこの作品。1974年制作、ジャック・クレイトン監督。

 元軍人のギャツビー(ロバート・レッドフォード)は、貧乏がもとで、社交界で約束を交わしたデイジーと破局を迎えてしまう。8年後、豪華なギャツビー邸で、2週に一度のハイペースで盛大なパーティーがで開かれる。ギャツビーは裕福になり、デイジーと再会を果たす。すでに結婚していたデイジーだが、彼女の心はギャツビーに傾く。しかし…

 セットがものすごい!オープニングに、ギャツビー邸を徘徊するようにカメラが動くのですが、金のピアノ、城のように豪華絢爛な家、庭にあるプール、豪華な扉などなど。いや~西洋の金持ちはレベルが違うわ。資本主義の中心で世界中から搾取しまくってるだけに、勝ち組の人のリッチぶりがけた違いです。。
 ただ、この映画を観た印象として最初に思い出すものがセットというところが苦しい (^^;)。展開は無駄なカットが多くてだるいし、なによりメインテーマが伝わりにくかったです。この映画をみていちばん面白かったところって、僕の場合は妻を失った修理工のストーリーなんですが、そこって映画の主題ではなさそうだし(^^;)。

 この物語の主題がなんなのか、僕はこの映画ではわかりにくかったです。それを分かった気になれたのは小説を読んでからでした。時代は世界恐慌の頃の合衆国で、一気に大金持ちになった人とか、成金に憧れて何十年も働いて蓄えてきた全財産を一夜で失った人とかが、いっぱいいた頃。その「金に目がくらみ、人との約束も家族も徳も投げ出してしまった人だらけになった合衆国」の状況を批判的に描いたストーリーとは思ったんですが、ここがめっちゃ伝わりにくい作りをしていたのが、この映画の失敗ポイントなんじゃないかなあ。金に目がくらんでふらふらする馬鹿なヒロイン、金持ちの愛人になって喜んでる品のない女、金で愛を買おうとする主人公、それに対比させられたのは、生真面目で正直に生きる男が損をする悲劇…正義よりも金、病める拝金主義の現代そのものですが、ここをもっとわかりやすく描ければ、3倍は面白い映画に出来たんじゃないかな…な~んて上から目線で思ってしまったのでした(^^;)。


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『Dr.John / Dr. John's Gumbo』

Dr Johns Gumbo 『In a sentimental mood』同様、これもカバー集なんですが、こっちの方がドクター・ジョンさんの音楽に近いかも。ブラス入りのバンドで、ピアノをパンパン弾きながら、ドクター・ジョンさんの故郷ニューオリンズのR&Bやらなにやらを演奏しています。1972年発表。

 このアメリカ南部っぽい泥臭い感じ、デラニー&ボニーのアルバムを聴いた時がこんなだったなあ。プロフェッサー・ロングヘアーあたりの曲もやってるんですが、いなたいバンドが出す音がいかにもなので、古いニューロリンズ音楽というよりサザンロックそのものと感じました。そんな中でやっぱり光ってるのは、曲でもだみ声ヴォーカルでもなく、ドクター・ジョン本人のピアノでした。ピアノをフューチャーした曲ばかりじゃないんですが、ブルーノート全開で拳を転がすように弾くピアノはやっぱり南部音楽独特の味わいです。レオン・ラッセルやドクター・ジョンのピアノには、チャンピオン・ジャック・デュプリーとかメンフィス・スリムみたいなブルースピアノの味わいがどこかに入ってるように感じるんです。

 基本的に陽気で泥臭い音楽でした。こんなふうにどんちゃん騒ぎした日々が、人生で一番の思い出になったりするものなのかも。きっと、楽しい事がいっぱいあった人生だったんでしょうね。


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『Dr.John / In a sentimental mood』

DrJohn_In a sentimental mood 僕が最初に聴いたドクター・ジョンさんのアルバムです。僕にとってのドクター・ジョンのイメージは、アラン・トゥーサンあたりに似たアメリカ南部の音楽をやる人で、古いジャズとブルースの中間ぐらいのどろくさい音楽をだみ声で歌う…みたいな印象でした。若いころは、それにちょっとサイケが入ってる感じだったかな?

 タイトルで想像がつく通り、このアルバムはジャズナンバーで構成されてました。聴く前の僕の印象と違ったのは、意外と泥臭くなかった事です。レオン・ラッセルのデビュー作とか、若いころのトム・ウェイツみたいな、もっと泥臭い音楽だと思ってたんです。ところがこのアルバムはストリングスをバックにしたエンターテイメントなオケとアレンジ。それでも意外にもジ~ンと来てしまいました。なんでプロが仕立てたアレンジの前でやってるのに泥臭く聴こえるのか…たぶん、ピアノです。ジャズというよりピアノ・ブルースの方がイメージに近いぐらいのピアノだったんです。ピアノは、ドクター・ジョンさん本人が弾いてます。
 やってる曲はスタンダードなんですが、洒落たモダンジャズじゃなくて、田舎の酒場でブルースなんかと一緒にやっていた時のような古いホンキートンクなジャズの雰囲気。というわけで、良かったのは、そういうムーディーな南部アメリカ音楽らしさが出やすいレイドバックしたバラード。「My Buddy」「More than you know」もいいし、「In a sentimental mood」に至っては歌わずにピアノだけです。演奏だけで聴かせられるぐらいにいい感じなんです。

 企画ものっぽいので、このアルバムをドクター・ジョンさんの音楽のステレオタイプとは思わない方がいいんでしょうね。でも、同じ曲をビル・エヴァンスがやってもナット・キング・コールがやってもこうはならないでしょう。ピアノや歌い方などの端々に南部アメリカの美学が出ているようで、記憶に残ってる1枚です。どうぞ、やすらかに。


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ドクター・ジョン、逝去

DrJohn.jpg うわあ、知らなかった。数日前の6月6日に、ドクター・ジョンさんが亡くなったそうです。若い頃に胸躍らせて聴いていたミュージシャンが次々と去っていく…。

 ドクター・ジョンさんは、僕の中ではアラン・トゥーサンやレオン・ラッセルにイメージの近いミュージシャンでした。アメリカ南部独特の泥臭くてあったかい音楽を、ピアノをパンパン叩きながらだみ声で歌う、みたいなイメージ。外連味たっぷりで、陽気な音楽も泥臭い音楽もやってましたが、いちばん印象に残ってるのは、僕がはじめてドクター・ジョンさんを通して聴いた『In a sentimental mood』というアルバムでのピアノ演奏。なんとジャズ・スタンダード集なのですが、そこで弾くドクター・ジョンさんのピアノがレイドバックした南部アメリカ音楽的で素晴らしかった記憶があります。アメリカのピアノ音楽って、ラグタイムでもオールドジャズでもピアノ・ブルースでもブルーノートを使っていて、ヨーロッパ音楽にはない独特のレイドバック感があるじゃないですか。あれをネイティブで演奏できる人という感じでした。

 78歳なら「そろそろ俺の番かな」ぐらいは思ってたかも。もしドクター・ジョンさんが生まれ変わる事があっても、この人はまたアメリカ南部に生まれて欲しい。ニューオリンズの葬式は明るく大騒ぎするときいた事があるので、湿っぽい事を言うのはよそう。天国でも酔いどれながら歌を歌って陽気に騒いでね、バイバイ!


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小説『武器よさらば』 ヘミングウェイ著、大久保康雄訳

Hemingway_BukiyoSaraba.jpg ヘミングウェイで一番内容が良いと思ったのが短編集なら、いちばん面白かったのはこの本でした。これはヘミングウェイの代表作のひとつです。時は第1次世界大戦、場所はイタリア。主人公はイタリア軍に入ったアメリカ人で、入院先で看護婦キャサリンと恋に落ちます。しかし…

 まず、第1次世界大戦時の空気感や光景をビシビシ感じた文章力が素晴らしかった!1次大戦以降の戦争は、それ以前と違って市民も犠牲になる地獄…なんて聞いた事がありますが、それでも2次大戦のヨーロッパ戦線や太平洋戦争と比べると、どこかのどか。イタリア軍は戦争よりも昼飯の心配をしてるし、脱け出して女を口説きに行ってるし(^^;)。主人公は将校ですが、入院先で看護婦と出来て子供まで作っちゃうし、兵士たちも自分たちが死ぬなんて夢にも思ってなくて優雅なものです。この空気感はたぶんリアルなんでしょうね。アラン・ドロン主演映画『若者のすべて』や、スペクタクル映画『アラビアのロレンス』もこんな雰囲気でしたし。ところが、イタリア軍が撤退して敗走戦をする所から様相が一変。疑心暗鬼になったイタリア軍憲兵は、敗走する将校を捉えて銃殺。奥の部屋に連れて行かれる将校のすべてが殺されていく中、主人公は一瞬の隙を突いて川に飛び込み、窒息死寸前まで川から頭をあげず急流に流され、九死に一生を得ます。
 以降の描写がすごい。汽車の荷台にずぶ濡れのまま潜んで逃げ、何とかキャサリンのいる街までたどり着いてホテルに二人暮らし…かと思いきや、懇意にしていたホテルのボーイから憲兵が迫ってくる情報を得て、真夜中にふたりで手漕ぎボートで逃げ出し、手を血だらけにしてオールをこぎ、生きるか死ぬかの逃避行でスイスに亡命します。しかし亡命先のスイスもドイツ占領下。その中でなんとか嘘と見せ金で言いくるめ、ふたりで山奥の宿に身を潜めます。季節は冬、ようやく難を逃れたふたりは戦争が終わるまでここで愛の生活。戦争を忘れた、夢のような日々が始まります。しかし、キャサリンの出産が迫り、その時を迎えると…

 前半はゆったりしているので、ちょっとだるかったです。でも、イタリア軍敗走以降は迫真の描写で、物語の展開もリアルですごかった。ヘミングウェイは兵士としての戦争参加(スペイン内戦)も、従軍記者としての1次大戦経験もした人なので、描写がこれだけリアルなんでしょう。実際、「こんなの実際に見た人じゃないと知らない描写だろう」という部分がけっこうあって、埃の匂いまでしてきそうなほどリアル。というわけで、面白い面白くないだけで言うと、「前半は多少かったるくても我慢。後半はものすごく面白い!」というのが僕の感想。

 でも、面白いかどうかだけで、文学の名作にはならないですよね。この小説の何が文学として素晴らしいのか。チープな表現になってしまいますが、「生きるとは何か」がテーマだからだと思いました。面白いかどうかなんて、小説を読んでいる時は読む推進力として必要だけど、読み終わってしまえばどうでもいい事。本当に重要なのはテーマであって、もしテーマが「あんまんと饅頭のどちらがうまいか」だったら、あとに何も残らないわけです。じゃあ何がテーマだったら、読んでいる万人にとって重要なんでしょう。普遍的なテーマを扱っているかどうか、だと思うんです。これはロスト・ジェネレーションの代表的な作品というだけあって、ものすごく虚無的。この虚無が、ろくに行動もそれほどせずウジウジひとりで感傷に浸っているのではなく、戦場に本当に行き、実際に銃を取って戦い、生きるためにあらゆる手を尽くし、心から女性を愛し…と、全力で生きてきて、結果として空しさを拾っています。この虚無感を通して「生きるって…」と考えさせられた、そんな感じでした。じゃ、その答えは?僕の場合、そういった事に納得のいく答えを示してくれた小説は読んだ経験がないです。あ、サルトルの『嘔吐』やニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』やバタイユを小説というなら、ちょっと別ですけどね。その先に進むには、小説や哲学や音楽だけでも、科学だけでも駄目で、小説や哲学や音楽が訴えているものを科学的に理解する事でようやく結論が見える、という感じなのかな?

 そんな具合で、小説というのは、娯楽以上のものをそこに求めてしまうと飽き足らなくなってくる形態のものだと思うんですが(結論を書く場合、たぶんそれを小説として発表しようとしないだろうし、そもそもそういうものを小説とは呼ばない)、でも人間として自分の人生に真剣に取り組むときには絶好の入り口になってくれるものなのかも。
 一般的にヘミングウェイの代表作といったら『老人と海』と『誰がために鐘は鳴る』だと思うんですが、僕的にはロスト・ジェネレーションの核心を突いた『武器よさらば』と短編集の中のいくつか(「兵士の故郷」「挫けぬ男」あたり)こそが、ヘミングウェイ最高傑作だと思っています。今の大学生って、真面目に勉強はするけど、ジャズもクラシックも聴かない、小説も読まないと聞いた事がありますが、アイドル追っかけたりアニメ観たりするひまがあったらこういうのを読んだ方がいいよ(^^)。暗く真面目に悩んでいた僕の場合、高校や大学の頃に読んだ小説や観た映画、聴いた音楽が、自分の人生を生きるヒントをいっぱい与えてくれた素晴らしい経験だったと今にして思います。ああ、若いうちにこういう小説を読んでおいて本当に良かったよ、ヘミングウェイ万歳!


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小説『ヘミングウェイ短編集(1)』 ヘミングウェイ著、大久保康雄訳

Hemingway_Tanpenshuu1.jpg アメリカ文学の傑作と言われているヘミングウェイの『老人と海』を読んで、「マジで意味わかんねえし!」と思った僕は、しばらくヘミングウェイから離れておりました。でもまたヘミングウェイを読む機会が訪れたのです。きっかけは、コリン・ウイルソンが書いた『アウトサイダー』にヘミングウェイの短編小説「兵士の故郷」が紹介されていたから。これは読んでみたいと思ってさがしたところ、この短編集に収録されていました。この短編小説集は面白い話が結構あって、ここでヘミングウェイがちょっと理解出来始めた気がしたのでした。

 ヘミングウェイの小説って、彼の実体験から書かれたものが多いそうです。ヘミングウェイは1899年生まれ1961年没で、アメリカ人としてふたつの大戦を見てきた人です。たしか、1次大戦やスペイン内戦にも参加していて、釣りが好きで、お父さんが医者で、ボクシング経験もあった人のはず。こういう生き方をした人なので人生経験が多いと同時に虚無感にさいなまれる事も多かったようで、最後はショットガンで自殺しました。これらの経験が小説にひしひしと出てくる感じ。というわけで、この短編集で印象に残った作品をいくつか。

 まずは、恐らくヘミングウェイ自身と思われる「ニック」という人が主人公の短編群。ニックは少年から青年へと成長していきます。

 「インディアン部落」は、医者のお父さんと一緒にお産に出かけた少年ニックが、子どもが生まれると同時に、隣のベッドで妊婦の旦那さんが死ぬのを目の当りにするという話。これがぜんぜん劇的ではなく冷めた文体で書かれていて、読み終わった後に「ん?何を言いたかった話なんだ?」となったんですが、よく考えて自分なりに出した結論は、生と同じ数だけ死もある、という事なのかなという事でした。そして、こういうのを作者の見解をいっさい述べずに事実だけをサラリと書くこのクールさがヘミングウェイであって、ロスト・ジェネレーションであって、ハードボイルドなんだと思いました(^^)。アメリカン・ニューシネマがこんな感じですよね、前触れもなく当たり前のようにサラッと死んで終わる、みたいな。

 「医師とその妻」はその続編。医者のお父さんが患者とちょっとしたトラブルになり、診察を止めます。すると善意の塊のお母さんが猛抗議。お父さんはめんどくさそうに森に狩猟に行きますが、ニックはお母さんではなくお父さんの猟についていくというもの。これも、「え?何がいいたいの?」となったんですが、頑張って自分なりに解釈。「現実はお母ちゃんが言うような理屈だけじゃないんだぜベイビー」という男性理論のほうに息子は正義を感じた、ということなのかな?だんだん、ヘミングウェイにハマってきたぞ(^^)。でも、30年ほど前に一度読んだはずなのに、まったく覚えてません。。

 「拳闘家」、ああやっと覚えてる小説が出てきた!貨物列車に無賃乗車していたニックが車掌に汽車から突き落とされて林の近くをさまよっていると、たき火をしている2人組に遭遇。コーヒーをご馳走になったのはいいけど、途中でひとりがいきなり切れて暴行を加えてきます。もうひとりがそいつをうしろからボコッと殴って暴行野郎はあえなく気絶。キレやすい人のほうは元ボクサーで障害を負った人なのでした。というわけで、これもどうという話には感じなかったんですが、貨物列車に飛び乗って旅をするとか、焚き火して食事やコーヒーを沸かして生活してる人々とか、ほんのちょっと前の合衆国の生活ってこんなんだったんだな、と思って感慨深かったです。リアルな映画『スタンド・バイ・ミー』みたいな。

 「心が二つある大きな川」は、「兵士の故郷」に似た匂いのする短編で、ニックは青年になってます。川に釣りに出て、夜キャンプして、翌朝バッタを捉まえてそれをえさに釣りをするというもの。以上。え?ますますわからん…と思ったんですが、この釣りに行く主人公が戦争から帰ってきて、戦争症候群に陥った人なんでしょうね。それが、アメリカの大自然に触れて生き返った心地がするという。この話はなんどか読み返したんですが、読むたびに「バッタが焦げたような色をしているなんていう描写は戦争の表現なんだろうな」とか、読むたびに色んな事が見え始めて面白かったです。

 さて、ニックが主人公でない短編。まずは、そのうちで面白いと思ったもの。

 「兵士の故郷」、僕がこの短編集を読もうと思った動機になった話です。戦争から帰ってきた青年が、仕事につく事もせず虚無にさいなまれてぼんやり生きているというもの。心配した母親から声をかけられ、仕事につくよう促されますが駄目。「おまえはお母さんを愛していないのかい?」と訊かれても、「ぼくは誰も愛してなんかいないんだ」と答える始末…重症だね。で、おしまい。いつか紹介したカミュの『異邦人』にとても似た感じですが、これぞロスト・ジェネレーション文学、のちのアメリカン・ニューシネマにも匂いが似てます。

 「キリマンジャロの雪」。キリマンジャロ山で壊疽にかかった作家の男が、妻の看病を受けながらも自分の死を予期し、作家だというのに大事な事を何ひとつ書き残さなかった事を後悔。ある日妻が起きると、夫はハイエナに食い殺されていた。こんなに自分の胸に刺さる短編もないです、怠惰に過ごしてはいけない、生きているうちに心に決めた事のひとつでも実現しないと…。

 「挫けぬ男」、これも印象に残っていた話で、全盛期を過ぎた闘牛士の話。闘牛で病院送りになった男が、もう一度やらせてくれと直訴。闘牛士仲間やオーナーたちが止めますが、それでも「何度もやめようと思ったがやめられないんだ」といって牛に挑戦する話。しかし、牛に突かれて病院送り。この話、ちょっと胸が痛いです。音大を出たけどどこかで音楽をあきらめざるをえなくなった人、ずっと野球を挑戦して来たけどプロに入れず、それでもやめられない人…こういう人って、やめたらやめた事に一生付きまとわれるという恐怖があるんでしょうね。この短編では、「じゃ、どうすればいいのか」という結論は触れられていません。そこがロスト・ジェネレーション文学らしいです。

 「異国にて」は、戦争で負傷して病院に入った男の話。そこで、やはり負傷した少佐に出会い、「結婚なんかするもんじゃない」と激しく叱咤されます。なぜと訊いても少佐は怒り狂うばかり。医者に訊くと、少佐の若い奥さんが今死んだばかりだった。

 そして、僕では理解不能だった短編。

 「エリオット夫婦」、これがいちばん意味わからなかったです。年増のおばちゃんと結婚した詩人で大学院生が、ハネムーンに出かけてせっせと子供を作ろうとするけどうまくいかない。以上。ええ~~~分からねえ、まったく分からねえ。。でもなんか意味ありげなので、言いたい事があるのかも。それとも、これもしらけた日常に意味なんてないと言いたいとか、そういうこと?

 「世界の首都」。マドリードのバーで働いている男と少年が、ささいな口論から闘牛の真似をすることになり、少年が誤って刺されて死亡。

 「白い像のような山々」。スペインに来たアメリカ人カップルのうち、男が女に手術を勧めて、女が拒否。以上。嘘みたいでしょ?マジでそれで終わりなんです。理解できねえ。文学すげえ。

 「橋のたもとにいた老人」。戦争が始まって、戦いを避難した老人が、世話してきた動物たちの行く末を案ずる。

 僕が「何が言いたいのか分からん」と思った短編もそうですが、それ以外のものも、基本的に「作者が言いたい事」みたいなものは、僕には見えにくかったです。最低限の必要な事実しか書いてない乾いた文章なのです。でも、実はそこがいわゆるロスト・ジェネレーション文学とか、ハード・ボイルドというやつなんじゃないかと、今回読んだ段階では思いました。ある話があって、その背景に「こういうメッセージを伝えたいという作者の意図がある」と考えるのは、僕らが普段イヤというほど目にしている宣伝のコピーや、分かりやすく観客に寄せてある娯楽映画やポップスの歌詞などであって、ヘミングウェイは彼自身の見解を伝えたいんじゃなくて、読んでる人自身で考えろ、と言いたいのかも

 それが正しい解釈なのかはまったく自信がないんですが、そういうふうに「考えさせられた」という意味では、ノーベル文学賞を取った『老人と海』より、この短編集に収められた小説群の方が、ロスト・ジェネレーション文学として僕には好ましく感じられました。内容はそれぞれですが、基本的には虚無感を扱った小説が多いのかな?もしかすると、ヘミングウェイ自身が、生きているとどうしても付きまとってくる虚無感と戦っていた人なのかも知れません。
 淡々と写実的に描かれるこの文体は、ハードボイルドですらあると思います。最近は小説だと楽でアホなものしか読んでませんでしたが、たまに文学を読むと自分が高められる感じがしていいですね。逆にいうと、本を読まないとどんどん馬鹿になりそうで怖い…。ロックも好きだけど、バルトークを聴くと「ああ、レベルが段違いだわ、こういうの聴いてないとすぐにレベル落ちちゃうんだろうな」と感じるのに似た感覚…例えが下手ですね(^^;)。


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小説『老人と海』 ヘミングウェイ著、福田恆存訳

Hemingway_Roujin to Umi アメリカのロスト・ジェネレーションの代表的な作家と言うだけでなく、アメリカ文学で一番有名な人といってもいいほどの文豪ヘミングウェイ!この小説、僕は子どもの頃に読書感想文を書くために読みました。なぜこの本を選んだかというと、ページが少なかったから(^^)。でもこの薄さにだまされました。章分けされていないんです。だからどこで休んでいいか分からず、読みはじめたら一気に読まないといけない作りだったのです(゚ω゚*)。

 話は単純。メキシコ湾あたりに住んでいる老人の漁師は、ずっと不漁続き。でも久々に海で大物のかじきをヒット!3日間の格闘でボロボロになりながらゲット!でも魚がでかすぎて船上に上げる事が出来ず、船にくくりつけて帰ってきたら、帰路でサメにガンガン襲われて全部食われた(=_=)。以上。

 えええええ~~これで終わりか?!何がいいたいのかマジでわからねええええ!!読書感想文、むしろ超ムズカシイんですけど。。な~んて具合で、子どもの頃の僕は、こんな話のどのへんが名作なのかマジでわからず。ヘミングウェイが書いたから評価されてるだけじゃないのか、こんなんで良ければ俺でも書けるぜ。「1000円持って買い物に行ったら途中で落とした。とぼとぼ帰ってきた。」これと何が違うんだ…な~んて、世間がどう言おうが自分で納得しなければ意地でも納得しないロック少年だった僕は思ったのでした。

 それでも、読んだ後にこの小説の主旨を無理やり「考え」て、至った結論がひとつ。「死ぬ目にあって努力したものがあっけなく失われてしまった、な~んていう現実の虚しさを書いたのかな」みたいな。でも、まるで当たってる気がしませんでした。今ならロスト・ジェネレーションの知識が多少あるので、もう少しまともな感想文書けたかも。そして、文豪の傑作を「マジで意味わかんねえ、読んでるこっちが空しくなったぜ。これは文学というよりパンクロックじゃないのか」と書いた僕の読書感想文は国語教師に酷評されたのでした(^^;)>。。仮にもしこの本の主題が虚無だとしたら、ヘミングウェイには『老人と海』よりよほど凄いと思った小説がありまして…その話はまた次回に!

 (2019.6.7 追記:ブログ友達のAKISSH さんが、この本で作者が意図した事を「人生は自分の努力ではどうしようもない部分が大きいのだ、ということなのかなぁと」とした感想を寄せてくれました。そう聞いた瞬間、もうそれが答えだとしか思えなくなってしまった僕でした(^^)。AKISSH さん、貴重な書き込み、ありがとうございました!)


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『バルトーク:青ひげ公の城 小澤征爾指揮、サイトウ・キネン・オーケストラ』

Bartok_BluebearedsCastle_Ozawa.jpg バルトークが書いた唯一のオペラ「青ひげ公の城」です!同時に、バルトークがまだロマン派に影響を受けていた頃の初期作品という珍しい曲でもあります。脚本はバルトークの友人である作家ベーラ・バラージュで、バルトークとは他に「かかし王子」なんかも作ってます。

 僕はオペラがちょっと苦手です。単純に言葉が分からないし(´・ω・`)、どこまでいってもやっぱりお芝居なので、音楽だけの方が抽象度の高い高度な芸術様式に感じちゃうんです。というわけで、有名な「青ひげ公の城」すら一度も観た事なし。それでも音楽自体には興味がありました。
 この日本盤CD、セリフの日本語訳がぜんぶついていたので、はじめて物語の筋を読んだんですが、話が面白かった!ヨーロッパにある童話が元ネタ。グリムよりまえに童話集を書いたペローという人がまとめた民間童話を元に、「青い鳥」を書いたメーテルリンクが青ひげ公の物語に近いものを書き、それをバラージュがさらに変形させたそうです。城主青ひげ公と、彼の元に来た女性ユディッㇳのふたりしか登場しない話で、これがかなり意味深。青ひげ公の城には鍵のかかった7つの扉があります。青ひげ公は部屋を見せたがりませんが、ユディットはみたがり、ひとつずつ部屋を開けていきます。ひとつめの扉を開けると拷問部屋、ふたつ目は武器庫、3つ目は…と話が進み、6つ目は白い湖。湖の水は涙です。そして第7の扉の向こうには…ね、面白いでしょ?それぞれの扉の中にあるものや、7つ目の扉にあったものとユディットで完成されるそれはいかにも象徴で、これが何を象徴しているのかというところが、単なる見て楽しむ物語じゃなくって啓示的だと感じました。

 このCD、もともとは2011年の公演でCD化するつもりだったものが、小澤征爾さんが体調不良で公演の半分をキャンセルしたために一度お蔵入りになったんだそうです。でも、小澤さんがグラミー賞を受賞した途端にユニヴァーサルがリリースを決行。出すならグラミー賞取ろうがとるまいが出すべきだろ、こういうところが内容より商売優先のレコード会社らしいっすね(・ω・`)。とはいうものの、内容は…いやあ、音の良さに驚いてしまいました。オケも明瞭だし声もクリア、それでいながらオペラハウスの天井高い感じの響きもきれい。日本のレコーディングエンジニアって本当に優秀、イタリアあたりのぞんざいなクラシックの録音をたくさん聴いた後だと、日本の技術者って本当にすごいなと思ってしまいます。最近は、グラモフォンのCDでも「うわ、なんだこれ」というのがありますしね。。
 そして、マティアス・ゲルネ(バリトン)とエレーナ・ツィトコーワ(ソプラノ)がメッチャ素晴らしい!声楽って実はよく分からないんですが、みんなものすごくうまいなあ。こういうの聴いちゃうと、喉だけでか細く歌ってるロックやポップスはちょっと聴けなくなっちゃいそうです。サイトウ・キネン・オーケストラも文句なしですが、「青ひげ公」はスコアが難しくなさそうなので、さすがにプロ・オーケストラだったらこれぐらいは朝飯前なのかな?
 そして、バルトークの音楽ですが…初期作品なので、前衛時代の音楽って感じじゃなくて調音楽。でもドビュッシーシェーンベルクもすでに登場してる時代なので、長調と短調って感じでもなくて、シーンによって音楽が変わっていって、4度の響きとかいろいろ出てくる、みたいな。ホルストの「惑星」とかR.シュトラウスの「アルプス交響曲」みたいな、20世紀前半の標題音楽に近い印象を受けました。バルトークも最初は時代の雰囲気の中にいた作曲家だったんだなあ。

 というわけで、とにかく音の良さに驚いた一枚でした。「青ひげ公の城」、ストーリーが想像以上に深く面白かったので、いつかどこかのオペラハウスで観てみたいなあ。


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楽譜『バルトーク:ミクロコスモス』 ヘンレ社版

Bartok_MicroKosmos5-6_score.jpg そんなバルトークのミクロコスモスをピアノ練習用の教材としてみると…メッチャいいんじゃないかと!!ちなみにミクロコスモスは、第6巻まであります。

 僕は日本のオーソドックスなピアノ訓練法を受けてきた人間だと思うんですが、それ以外の練習法をきくだけで「その方法だとこういう問題点が出るんじゃないか」とか、とかく批判しがちになってしまう所があります。これは島国根性というやつで、実際に自分以外のものにどういう良さがあるかを考えるより先に、相手の違う部分を攻撃して自己正当化したくなるんでしょうね(^^;)。ダメですねえ。。でも僕がやってきた日本のオーソドックスなピアノ練習法は、根性がある人にはいいかも知れないけど、そうじゃない人には苦行みたいな側面もあったと思うんです。楽器の練習を嫌がる人って少なくないと思うんですが、あれは半分しかたない。だって、実際に苦痛を伴いますし、大体つまらないですからね(^^;)。でも、ミクロコスモスはいい!何がいいかというと、苦じゃない、飽きない、面白い!練習曲に求められてるものって色々あると思いますが、一番大事なのは、必要な技術が身につく事と、それを飽きずに継続できること、なによりここが一番だと思うんです。

 なんでミクロコスモスが苦じゃなく飽きないかというと、1曲が短いからです。特に最初の方は、1曲が8小節とかだったりするので、取り組んでからクリアするまでが速いんです。3巻だって16小節ぐらいで1曲だし。だから、自分がやりたい量に合わせられるし、1曲をクリアするのに何日も「俺、練習が進んでる!」感があって、やる気が持続できる(^^)。もちろん、どんな人も自分のレベルを超えた課題になったあたりから進むのが遅くなると思うんですが、それでも1曲が短いので、あるページの前で何週間も何カ月も停滞という事がなく、「突破できた!」みたいなゲーム的な達成感があるのです。ここがとにかくいいです。そうそう、バルトーク本人は「ピアノを練習し始めて1~2年の間に3巻までは演奏できるようになってね」みたいな事を言ってます。

 そして、一般論にはならないかも知れませんが、僕にとっての良さは、4巻以降の曲のよさ。5巻以降となると、演奏会で演奏しても十分通用するレベルです。古色蒼然としたピアノ教本をやると、指や音の動きは難しくなるのに音楽そのものは長調か短調ばかりで、学校でしか聴かないようなつまらない音楽に感じてしまうのです。でもミクロコスモスは、減五度、リディアン、ブルガリアのリズム、半音階に全音階…今の現代音楽やジャズやロックを聴いている人にとっても刺激的な音楽がバンバン出てきて、音楽自体が面白のです!バルトークはピアニストとしても一流だったそうですが、それ以上に学究肌の作曲家としてすごい人だったので、こういうものが作れたんでしょうね。

 達成感があって継続して練習できるうえに、音楽的にも引きつけられる見事な練習曲と思います。音大を目指すとか、そういう場合はこれを優先してやるわけにはいかないかも知れませんが、ピアノや音楽を楽しんで学びたいという方には、個人的に超おススメ!スコアは色々な音楽出版社が出していて、オリジナルはブージー&ホークス社から出たものですが(今でも入手可能)、個人的にはとっても読みやすいヘンレ社のものがオススメです(^^)。


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『バルトーク:ミクロコスモス 山崎孝(piano)』

Bartok_MicroKosmos_YamazakiTakasi.jpg ピアノ・ソナタ、ピアノ協奏曲2台のピアノと打楽器のためのソナタなどなど、バルトークにはピアノ曲やピアノが主人公の曲がいっぱいあるのに、僕がバルトークのピアノ曲と言って最初に思い浮かべるのは、ピアノ練習用に書かれたミクロコスモスなのでした(゚∀゚*)エヘヘ。でもね、これが練習曲なんて馬鹿に出来ないプログレ具合ですごいんです!これを聴いたら、「キース・エマーソンやリック・ウェイクマンは天才」とか「プログレはうまい」なんて恥ずかしくって口が裂けても言えなくなってしまうシロモノです。

 ピアノの技術習得用の曲集なので1曲1曲が短く、全部で153曲。6巻まであって、徐々に難しくなっていきます。序盤は「ドレミ、ファミレ」みたいに単純なので、音楽観賞用に聴くには面白くないと思います。それでも音楽のトレーニングをしてると思って聴くと、それなりに面白かったです。「模倣と倒置」とか「10度による旋律」というタイトルを見ながら聴くと、そこを意識して聴けるようになる、みたいな楽しさですね(^^)。ピアノを演奏しない人は、右手と左手がどういう動きをしているかを自分で想像しながら聴くと、「おお~これはゲーム的な面白さがある!」なんて思うかも(^^)。

 そして観賞用の音楽としてすごい事になるのは、曲が難しくなる後半。というか、3巻の後半あたりからは、すでに十分に観賞に堪える内容。半音階で作られたインベンションとか、すでにそのへんの月並みな響きの音楽より圧倒的に面白いんじゃないかと(^^)。4巻に入ったら、もう月並みなサウンドなんて出てこないので、今の時代の人が聴くなら、ベートーヴェンモーツァルト聴くよりこっちの方が好きな可能性すらあるんじゃないかなあ(あたしだよ!)。タイトルを見ながら聴くと、さらに面白さ倍増。「2つの5音音階で」とか「ぶつかり合う音」とか、音楽を印象で聴いてしまいがちな人は、構造的に聴くことが出来て、今まで聴いていた音楽とはまったく違うものが見えて「おおっ!!」となるかも。

 そして、第5巻と6巻。ここからはプロが演奏会で演奏してもお金を取っていいレベルの曲がズラリ。曲もかなり長くなって(といっても、普通のピアノ練習曲ぐらい)、バルトークワールド炸裂!制作年がバルトークが一番妥協せずに前衛色を進めてた時代のものなので、初期のロマン派時代やアメリカ亡命後のエンターテイメントな音楽より、ミクロコスモスの方が面白い!

 演奏と録音。練習曲という事を考慮してか、ホールでのおごそかな音ではなく、1音1音しっかり聴こえるぐらいの残響で、けっこうせまめの部屋でのナチュラルな響き。演奏は、第6巻も見事に弾きこなすのはさすがプロ、すげえ。脱帽です。ちなみに山崎さんはミクロコスモス全曲の日本初演ピアニストで、ミクロコスモスを使ってのピアノ指導法の本も出している、日本のミクロコスモスの第一人者です。が!最初の方は演奏している方も退屈なのか、子どもでも間違えないような曲でリズムが揺れたり怪しいタッチがあったり(^^;)。超ムズカシいシュートを決めるくせに、1対1でゴールポストの枠外に外す、みたいな。でも音楽観賞用としてこのCDを買う人は、3集か4集あたりから聴くと思うので、まあ問題ないんじゃないかと。練習の手本として欲しい方も、音楽として観賞したい方も、どちらにもバッチリのCDと思います。バルトーク、やっぱりすごいなあ。大好きな作曲家です。


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『バルトーク:2台のピアノと打楽器のためのソナタ ラヴェル:マ・メール・ロワ、スペイン狂詩曲 アルゲリッチ&フレイレ(p)、ザードロ&ガッジース(perc)』

Bartok 2daiPiano DagakkiSonata_Ravel MaMer バルトークラヴェルの、2台ピアノと打楽器のための曲を収めたCDです。というわけで、ラヴェルの「マ・メール・ロワ」は管弦楽版やバレエ版じゃなくて2台ピアノと打楽器版。ちなみに「マ・メール・ロワ」は、4手ピアノ版が最初なんだそうです。へえ~。演奏はピアノがマルタ・アルゲリッチとネルソン・フレイレ、打楽器がペーター・ザードロとエドガー・ガッジースです。僕はアルゲリッチ以外ぜんぜん知らないので、プレイヤーをまるで紹介できなくてすみませんm(_ _)m。

 バルトークの「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」は1937年作曲で、新古典と前衛を混ぜたような作風だった時期の作品です。バルトークの作風ではこれ系かさらに前衛に進んだ時期のものが好きな僕としては、弦チェレや弦Q3~6番に並んで大好きな曲です(^^)。冒頭のオスティナートなんて12音を使い切っているように感じますが、それでも調的な重力は明確、さらにバルトークらしく構造が明快、絵画や物語を音に還元して表現するのではなく、まさに音楽そのものを目指したといった感じの硬派作品。いや~素晴らしいなあ。

 一方のラヴェルは…バルトークと同時代の作曲家なのにここまで違うかというほど、音の色彩への配慮がものすごい印象派的な音楽です。「マ・メール・ロワ」の2台ピアノと打楽器版は初めて聴きましたが、これが見事!管弦より2台ピアノの方が曲の構造が明確に見えやすく感じました。「スペイン狂詩曲」は、当時の流行というか、スペイン系とかキューバから持ち帰りの音楽とか、独仏伊以外の外文化から持ち帰った音楽の影響が強い感じ。また、こういうのをすぐに音楽に反映させられる軽やかさがフランス音楽的でもあるなあと思いました(^^)。

 演奏は、これで4人だけなのかというほどに演奏が分厚くて立体的で驚きました!いや~やっぱりクラシックのプレイヤーってすごい。そして、めっちゃ録音がいい!!変に残響がうるさい事もなく、かといって妙に音が細いという事もなく、楽器のエッジが立ってるのにふくよかな音。それでいて空間も広い感じで、楽器は遠くない…なに言ってるんだかわかんないですね(^^;)>、素晴らしく良い音だと思いました!

 バルトークとラヴェル、作風はまったく違うんですが、どちらも500年後でも名が残っているだろうというほど素晴らしい作曲家です。素晴らしい1枚、これは大名盤じゃないでしょうか。超おススメです!


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プロフィール

Bach Bach

Author:Bach Bach
神戸住まい、奥さんとネコと暮らす音楽好きです。音大は卒業したのですが、成績はトホホ状態でした(*゚ー゚)

ずっとつきあってきたCDやビデオの備忘録をつけようと思い、ブログをはじめてみました。趣味で書いている程度ですが、いい音楽、いい映画、いい本などを探している方の参考にでもなれば、大変嬉しく思います(ノ^-^)ノ

最近気になってるCDとか本とか映画とか
intoxicateに載っていた1枚。「Vyacheslav Artyomov」、ロシアの作曲家は名前が読めなくってムズカシイ。。「ヴャチェスラーフ・アルチョーモフ」と読むらしいです。伝説の「フレンニコフの7人」のひとりとの事ですが、それって何かすら僕は知らず(^^;)。作風的には初期は新古典的、後に民族的な様式、十二音技法や、複調性、ミニマルなんかも用いたみたい。ロシアの前衛は強烈なものが多いので、聴いてみたいです。アマゾンで買おうと思ったらダウンロード版しかなかった(;_;)。 オスマン時代から現代までのトルコ音楽のガイド本みたいです。おおお~、これは絶対に読もう!!
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