
伝説のロックンロール・バンドのキャロル解散後に
矢沢永吉さんが発表したファースト・アルバムです。1975年発表…75年かあ、ここから数年が戦後日本で最高の時代だった気がするなあ、熱さという意味で。
ビックリするのは、録音がハリウッドのA&Mスタジオ、アレンジはアメリカのアレンジャーに丸投げという事。プレイヤーも全員外人で、西海岸のスタジオミュージシャンがズラリ。
宇多田ヒカルみたいな人ならこういうAOR志向でもいいと思うけど、日本で社会現象にまでなったロックバンドのリーダーが目指す方向とは思えません。不本意なバンドの解散をむかえた矢沢さんが「もっと大きく」と、アメリカに夢を見たのかも知れないけど、なんでAORなんだ?そして結果は…なんか映画のサントラのような仕上がり。演奏も、スタジオでカラオケ作ってざっと録音してオシマイ、みたいな。ホーンセクションはダサいし、ギターもドラムもショボイです。
A&Mからしたら、「日本からおいしいバイト仕事が来た」ぐらいの感覚だったんじゃないかなあ。
ただ、曲はいいなと思うものがいくつか入ってました。僕が好きなのは、「ウイスキー・コーク」と「キャロル」の2曲。「ウイスキー・コーク」は、後に日本人バンドでライブ演奏したロック・アレンジの方が100倍カッコいいですが、こちらのハワイアン調も悪くないです。「キャロル」はクリシェが良くて、このあたりにポール・マッカートニーあたりのポップスからの影響があるのかも。どちらも、なんでキャロルや矢沢さんが支持されたのかが分かるような詩でした。
酔ったふりしながらキスのチャンスを探したのは本気だったからさ (ウイスキー・コーク)
外した指輪は今もお前のものなんだぜ、あの日のままさ
その気ならお前と暮らせたくせに、意地はって背中を向けてた (キャロル)
当時の矢沢さんは暴走族のカリスマだったそうですが(子どものころ、うちの近所にも「E.YAZAWA」と書かれた族車が走ってて怖かった^^;。そして友達とキモ試し気分でタイヤの下に爆竹仕掛けたのはいい思い出です)、暴走族に限らず、社会が不安定で未来に不安を抱えた若者のカリスマだったんですよね。こういう歌詞にあらわれているのって、
当時の若者の心情を代弁しているだけでなく、強い答えを出している所が「兄貴」って感じに受け取られたのかも。日本の昭和歌謡やアイドル歌謡の感傷じゃなくて、リアルに辛い中を生きながら、その中で強く生きて、そしてサクセスする、みたいな。