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心に残った音楽♪

おすすめCDの紹介のほか、本や映画の感想などを (*^ー゜)v

 

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『モンテヴェルディ:歌劇《オルフェオ》 フィリップ・ピケット指揮、ニュー・ロンドン・コンソート』

Monteverdi_Orfeo_Pickett_NewLondonConsort.jpg ルネサンス音楽からバロックへの移行期の作曲家の代表といえば、間違いなくモンテヴェルディバッハはすごいと思うんですが、学者肌というか秀才型に感じるんですよね。でも16~17世紀にかけて活躍したモンテヴェルディは天才的!オルフェオは、オペラが始まったころの代表的作曲家として名を馳せたモンテヴェルディの有名なオペラで、モンテヴェルディの書いたオペラ最初期のもの(スコアがフルで現存しているものでは一番古い)、音楽史の中でも重要作と言われてます。なんてったって、最初期の作品なのに今でもたびたび上演されてるのがすごい。「最初」という歴史的な価値だけでなく、音楽自体が素晴らしいのです(^^)。

 このオペラは神話をモチーフにしたもので、アポロの息子で音楽の名手オルフェオが主人公です。森も動物も音楽で癒すオルフェオですが、妻エウリディーチェが蛇に噛まれて死に、オルフェオは冥府世界に彼女を迎えに行きます。しかし彼女を連れ戻すには条件があって、絶対に振り向いてはいけない…有名な話ですよね、僕は子どもの頃にこの話を大場久美子主演「コメットさん」の見た記憶が(^^)。僕がオペラ作家なら、エウリディーチェは「なに振り返ってんだこのボケェ!!生き返れなくなったじぇねえか!!」と怒り狂うセリフにしますが、そこはさすが400年以上も上演され続けている名作オペラ、エウリディーチェは怒るのではなく悲愴感ただようメロディに乗せて「ああ、私の夫であるひとよ」と嘆くのです。。
 このCDだと、アポロがオルフェオを天上に召すエンディングになってますが、初演時の結末はバッカスの巫女たちがオルフェオを八つ裂きにして饗宴を繰り広げるというものだったんだそうで…ギリシャ神話恐るべし。付属している解説を読むと「オルフェオ」には第5幕があるっぽいんですが、インデックスには第5幕はないです。でも、物語は第4幕でオルフェオが天に召されて終わってるっぽいし、どうなってるんだろ。

 音楽は…パッと聴きの印象だけをいうなら、ルネサンスとバロックの中間どころか、ルネサンス&バロック&古典派のチャンポンで、バッハやハイドンが登場する向こう200年ほどの新しいスタイルの音楽が、いきなり完成しちゃってる感じ、これは天才の音楽なんじゃないかい?なんでルネサンス&バロック&古典派と感じるかというと…まず、ルネサンス音楽的な対位法的なポリフォニー感が薄れていること。技法的にもうルネサンスじゃない…のですが、楽器の使い方はルネサンスっぽいので、音色的にルネサンス音楽の色がのこってる感じ。技法はモノディーです。モノディーというのは、旋律&伴奏的和音という様式の事で、このうち伴奏的和音は、この時代は通奏低音(コンティヌオ、またはゲネラルバス)という書法が取られていて、低声部の旋律を低弦楽器が演奏して、その上に数字で示された和音を鍵盤楽器がつけられます。このCDの場合、チェンバロやオルガンが和音を鳴らしてるのですが、これがメッチャ古風でカッコいい。この通奏低音という技法はバロック音楽の特徴のひとつなので、バロックも感じる、というわけです。古典派を感じるのは、ハイドンやモーツァルトを通り越して後期ベートーヴェンのような不完全協和音や不協和音が思いっきり有効活用されてるのです。美的に完璧なルネサンス音楽にこういうのは少ないし、バロックになると逆にこういう所をどんどん整除していくので、古典派後期か?!って感じるのかも。この時代に不協和音程を使いこなすって、モンテヴェルディという人はかなりサイケな人だったんじゃないかと(^^)。

 通奏低音を用いた音楽って、いってみれば今のポップスのコード譜みたいなもので、略号を用いて和声を示してあり、演奏によってかなり変わってきます。リアリゼーションの時にメジャーとマイナーすら入れ替わるので、そのバラつきは今のメロコード譜以上かも。400年後にジャズの録音を聴いた人が、そのスコアを見て24小節ほどのメロディとコードネームだけが書いてあるものだったら驚くでしょうね。でも、オルフェオのスコアはジャズのリードシートどころじゃなくて、マジでこれだけの楽譜からこの演奏を作りだしたのかと驚いてしまいました。ピケットとニュー・ロンドン・コンソート、すげえ。。ピケット指揮のこのオルフェオですが、録音も演奏もすごく綺麗なのに、印象がけっこうダークです。ライナーを読むと…「この時代の音楽を演奏する際に短和音が使われ過ぎだ」時代があって、それを反省して今度は長和音ばかり使われる演奏が増え、そしてピケットはスコアと内容を吟味して、またマイナーコードを増やしたみたい。それを総譜で調べようと思ったら…こんなの読めねええええ!!!
 そして通奏低音を随所に活用して作られた「オルフェオ」ですが、もういきなり完成形、すげえ。通奏低音って、モンテヴェルディが編み出したんでしょうか。仮にそうだとしたら、徐々に技法が移行していったんじゃなくて、初期作品にしていきなり前の時代の音楽と断絶してガラッと書法を変えたことになります、しかも新しい書法が初期作にして完璧。う~ん天才的だ。モンテヴェルディの音楽を聴いた事がない人は、彼の音楽に似たものを体験した事が無いはず。それぐらい独創性な唯一無比の音楽だと感じました。

 そして、CD2枚にビッチリ入った壮大なこのオペラの構造が、とっても面白かったです。最初がトッカータ、最後がモレスカ(ルネサンス期にあったダンスで、仮面をつけて脚に鈴をつけてエキゾチックに踊る)。これを除いたら、後のオペラでいうところのアリアやレチタティーヴォや合唱といった歌部分以外に、繰り返し出てくるリトルネッロ(何度も出てくる主題)、そしてシンフォニア(器楽合奏部分)、こういうものを使って全体の形を整えていました。お~なるほど、オペラの中のリトルネッロって、こうやって使うんだな(^^)。頻繁に出てくるけど、出てくるたびに調やリズムが変わるので飽きることなく、それでいて統一感が出て良かったです。このおかげで、物語なんですが、一直線に進んでいくというよりも、全体が巨大な建造物のように感じました。、

 このCD、演奏も録音も素晴らしいです。ロマン派以前の音楽って、劇場作品であっても巨大編成ではないので、楽器のバランスがいいものが多いのかな…。そしてこのCD、指揮をしているフィリップ・ピケット本人が書いた解説書がすごくて108ページ!単にオペラの日本語訳がついてるだけじゃなくて、初演時のいきさつ、リトルネッロの解説、「オルフェオ」での通奏低音の和声解題、通奏低音の楽器配置(!)まで、ものすごく細かくこの曲や当時の音楽についての解説が入ってます。読んでて「う~んなるほど…」な~んて感心しきりで夢中になって読んでいたら、解説を読むだけで3日もかかってしまいました(^^;)。そのへんにある古楽関連の本の10倍は詳しいです。あ、そうそう、ピケットという人は、デヴィッド・マンロウの弟子筋だそうです。バロック以前にも数えられるモンテヴェルディぐらいの古さの作曲家の音楽って、なかなか情報が少ないので、この解説はメッチャありがたかった!!というわけで、買うならメッチャ素晴らしい解説書のついた日本盤がオススメです!


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小説『完訳アンデルセン童話集1』 大畑末吉訳

Kanyaku_AnderusenDouwashu1_Oohata1.jpg 「ある母親の物語」を読みたくて買ったアンデルセン物語の第3集でしたが、これが深い読み解きを必要とする物語の数々で、宗教心を感じさせる話もあれば、マリ〇ァナでも吸いながら書いたんじゃないかというぶっとんだ話もあって、なかなか凄かった!というわけで、第1集にも手を出してみたのでした。以下、印象に残った話だけ抜粋して感想なんぞを書き残しておこうかと。

 「いたずらっ子」。大雨の日に、やさしい老詩人がずぶぬれになった子供を家に入れてあげてあげます。でもこの子が悪がきで、老詩人の心臓を矢で撃ち抜いてしまいます。このいたずらっ子は人をだますのがうまくて、みんなだまされて心臓を撃ち抜かれてしまいます。この子どもの名前はアモール(キューピッドの事)。

 「旅の道づれ」。何を言いたい話なのかは分かりませんでしたが面白かった!ある心のきれいな若者のお父さんが死んでしまいます。悲しんだ若者が父親の死体の近くで寝ると、父親が少女を連れて「お前のお嫁さんを見てごらん、世界一の美人だよ」と言います、でも目覚めると少女は消えしまいます。他に身寄りのない若者は旅立つ事にします。ある村で、死体を墓の外に放り出そうとした悪人を見て、「全財産をあげるから、その死体をお墓の中に反してあげてください」とお願いします。こうした善行を行ないながら旅を続けていると、旅に道連れが出来ます。ある大きな街に着くと、お姫様が王子を募集していました。しかし、お姫様の3つの質問に答えられないと、求婚した男は殺されます。ひどいお姫様だと思ったのですが、いざ見てみると夢の中で見たあの世界一の美人の少女でした。俄然やる気になった旅人は婚約者に立候補します。そして…ね?先が読みたくなるでしょ?面白かったです!

 「親指姫」。これは名前はきいた事がありましたが、内容を知ったのは今回が初めて。子どもの欲しい女が、魔法使いに相談します。すると種をひとつ貰い、それを育てると花の中から親指サイズの女の子が登場。そんなばかな、頭湧いているな…じゃなかったロマンチックだな。でもって、親指姫はみにくいカエルにさらわれ、カエルの息子と結婚させられそうになります。逃げ出して野ねずみに助けを求めると、野ねずみは親切にしてくれましたが、こんどはネズミのお隣さんのモグラと結婚させられそうになります。義理を欠くわけにはいかないのでげんなりしつつ運命を受け入れようとしたところで、今度はツバメに救われます。ツバメは親指姫が好きだし、親指姫もツバメが好きでしたが、今度は親指姫と同じ小さな人と出会ってめでたしめでたし。でも親指姫を救って、しかも両想いだったはずのツバメの気持ちは…。これって、向こうから勝手に幸せが飛び込んでくるシンデレラストーリーじゃなくて、昨日まで「あなたが好き」と言っていた女にわけも分からないまま振られる男の話なんじゃ…。

 「人魚姫」。これは深い話でした。人魚が人間の王子に一目ぼれ。魔女に相談すると、自分の魚のような尻尾を脚に変えてくれる薬を作ってくれるが、ひきかえに舌を切られて喋れなくなります。ついでに、その魔法は王子が自分を選ばず他の人と結婚してしまうと、自分は泡になってしまいます。結末は、自分より王子の命を選んだ人魚姫の悲劇で終わります。
 この話、アンデルセンの生命観があらわれているようで、そこに深さを感じました。人魚の世界では、「人魚は300年生きられるが死んだら泡になり、あとには何も残らない。だから、与えられた300年を楽しく暮らすのだ」「人間は私たちよりもずっと早く死ぬ。でも人間の魂は永遠で、死んだ後も魂が天に昇って行くのだ」というもの。前者が無慈悲な現実、後者はキリスト教が用意した死の恐怖を和らげる世界観。そして、人魚姫の臨死体験の描写が異様に細かいです。光が死のように冷たい泡をおだやかに照らし、自分は少しも死んだような気がせず、空中に無数のキラキラしたものが漂い…死ぬ時って、実際にこんなものなのかも。

 「皇帝の新しい着物」。タイトルは違いましたが、要するにこれは「裸の王様」でした(^^)。

 「しっかり者の錫の兵隊」。恥ずかしながら「錫」を読めませんでした(゚ω゚*)。この機会にしっかり覚えたいと思います。子どもにプレゼントされたおもちゃの兵隊が、紙で出来たダンサーに思いを寄せます。実はダンサーも兵隊が好きみたい。しかしひょんなことから兵隊は窓の外に落ち、紙の船に乗ってどぶ川を流されます。どぶの蓋の中に入るとネズミが出てきて「通行税を払え」といいますが、すずだから話せるはずもなくどんどん流されます。最後には魚に食われますが、その魚が釣られて食卓にあがると、なんとびっくり元の子供のもとへ。でも、子供のひとりが兵隊をつかんでストーブの中に放り込み、ついでに風に飛ばされたダンサーもストーブの中に入って、どちらも燃えてしまいました。最後には、ハートの形をした錫だけが残りましたとさ。…ぶっとんだ話だな(^^;)。

 「幸福の長靴」。履くと、その人が望むどの時代のどの場所にも行けるという長靴があります。これで色んな人がいろんな時代のいろんな場所に行ってしまうのですが、脱ぐと元の場所に帰ってくるという仕様。素敵だね。色んな人が長靴を履いていろんな世界を見てくるのですが、深かったのは最後のふたり。ひとりは警察署の書記係で、「詩人の心の中に入って、ああいう人になってみたいもんだ」と願います。すると、普段は感じないようなものの見え方がしてきます。植物学者が何時間も抗議してようやく説明できるような事が、そのへんにあった花を1分見ているだけで理解できます。水のしずくを見ているだけで、その中に入っている無数の生物に思いが馳せるようになります。おお、これは素晴らしい。。
 最後のひとりは大学生。大学生が「すべてのものの中で一番の幸福を」と望むと、大学生は棺の中に入り、棺の中で息を引き取ります。…いやあ、棺の中の永遠の眠りが一番の幸福という世界観がすごい。ちょっと考えさせられました。

 「野の白鳥」。11人の王子と1人の王女が幸せに暮らしていましたが、悪い魔女のお妃が来て、王女は貧乏な家に売り飛ばされ、王子たちは白鳥に変えられてしまいます。王女は兄さんたちを元の姿に戻したいと望みますが、その為には棘だらけのイラクサで鎧を11人分編まなくてはならず、またそれを編み上げるまで口をきいてはいけません。王女は棘で手から血を流しながら鎧を編み…まあこんな感じで、ファンタジーで面白かったっす(^^)。

 「パラダイスの園」。王子が森で迷子になると、年をとった女に助けられます。そして、女の4人の子供達が帰ってきます。ひとりは北風、ひとりは南風、ひとりは西風、ひとりは東風。それぞれ自分が行った世界の話をしますが、東風がパラダイスに行ってきたと話すと、王子はがぜんやる気満々。そして東風にそこまで連れて行ってもらうんですが、そこにある知恵の木の林檎にも触っちゃいけないし、仙女にキスしてもいけません。しかし王子は…
 ようするにこれ、旧約聖書のアダムとイブのいた失楽園の事ですよね。キリスト教圏ならこの話は意味が通りそうですが、日本だと子供に読んであげるにしても補足が必要だろうなあ。この話の中に、ひとつ印象的な記述がありました。それは、東風と一緒にパラダイスに向かう途中で、寒い世界を通り抜けるのですが、そこで王子が東風に行ったセリフ。「死の道を通ってパラダイスに行くんだね。」いやあ、「幸福の長靴」同様に、これは実にキリスト教的な世界観だと思いました。死の先を用意してない世界観って多いじゃないですか。でも、キリスト教では死の先に別の世界があるんですよね。

 3集は大人でもうならされる話が多かったですが、1集は子ども向けのファンタジーな童話が多かったです。含蓄のある話もあるけど、基本はいろんな世界を見たり、先が知りたくなるようなファンタジー。「しっかり者の錫の兵隊」や「裸の王様」あたりはその典型で、特に訴えたい何かを童話に託したわけではなく、人や子供が楽しんでくれるものを描いた印象です。でもこれ、子供の時に聴いたらワクワクするような話なんだろうなあ、紙の船に乗ってどぶ川を流されるのなんて、冒険談としてめっちゃくちゃワクワクしそうですし。この本、幼児が読むのは不可能。逆に中高校生にもなったらもうちょっと高度な文学を読みたいところ。じゃ、対象年齢はどれぐらいかというと…小学校中高学年、そして実は壮年期以上の大人が読む本なんじゃないかと。


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小説『完訳アンデルセン童話集3』 大畑末吉訳

KanyakuAnderusenDouwashuu3.jpg アンデルセンが書いた童話をすべて収録した岩波文庫の第3集です。虫プロ制作のアニメ『アンデルセン物語』の中で僕が感動した話「がんばれママ」の原作が載っていたので買いました。この第3集は、僕が知っているような有名な話は収録されていませんでした。そうそう、この文庫、挿絵も入っているのがなかなか良かったです(^^)。以下、自分の中に何かが残った話だけ抜粋して感想を(^^)。

 まずは例の母親の話、「ある母親の物語」。たった11ページですが、これは子どもがいるなら、幼いうちに何度も読み聞かせるべき。この話を知っていたら、虐待でもしない限り、親を親とも思わないような子どもには絶対にならないんじゃないかと。死神に我が子を奪われた母親が、子どもを取りかえしに行く途中の湖で、湖に目を奪われるシーンが強烈。湖に「お前のその真珠(両目の事)をくれたら、この湖の向こうまではこんでやろう」みたいに言われるのですが、母親は子どもを取り返すために自分の両目を差し出すのです、ああ…。。
 そして、病弱で苦しみながら生きている子どもと、死んであの世で幸せに暮らすのとどちらが良いのかという死神の問い、ここには(少なくともかつての)西洋の死生観が出ていると思いました。日本だと死はマイナスのイメージで最後にあきらめて受け入れるもの、キリスト教だと死は救いで場合によっては憧れるもの、なんていう世界観があるそうです。僕は「キリスト教だからと言って死に憧れるなんてありえないだろ」と思っていたのですが、この物語の場合、苦しい生より救いの死を選択しています。これは宗教的というか哲学的というか、実はものすごい深い問いが根底にあるんじゃないかと。というわけで人間の死をどう受け入れるかで悩んでいる人は、「ある母親の物語」をぜひ一度読んでみて欲しいです!

 「おとなりさん」。いや~この話はちょっと意味が分からなかった(^^;)。でも、いかにも意味ありげだったので、強引に解釈してみました。お隣さんというのはいろんな生き物の事で、カモやハトやスズメやバラや人など、同じ生存圏にいるものどうしのこと…かな?そのメインはスズメと薔薇で、スズメのお母さんは薔薇をボロクソに言うのに、薔薇はスズメを愛でます。そして、「美しいというのが何か分からない」という母スズメは人に軽く見られてるのに、薔薇は人に美しいと言われます。母スズメは子どものためにエサを取りに行ったところで、人につかまって、色々あった結果死亡。瀕死のスズメのお母さんをかわいそうと思った薔薇はかくまおうとしまいますが努力空しくダメ。スズメの子たちは母がいなくなって飛ぶ練習をしますが、家を守っていたスズメは火事にあって死亡。薔薇は特に何もしてないけれど豪邸に植えかえられてまたも美しく咲きます。以上。…う~ん、要するに、心が美しい者は見た目も美しく、また周りに愛されるが、そうでない者はむごい運命が待っているという事でしょうか。もしそうだとして、子どもがそう理解するのはたぶん無理だぞ。。

 「影法師」、これはヤバい。。学者の影がいつの間にかなくなって、しばらく経つと他の影が育ってきた。何年もしたら、昔消えた影が帰ってきた。学者はなかなか芽が出ず、影法師に誘われて一緒に旅に出る。いつの間にか影を「あなた」と呼ぶようになり、影からは「君」と呼ばれるようになり、立場が逆転していく。影法師は王女と仲良くなり、学者は影から「あいつは自分が本物の人間だと思ってるんだから始末に負えない」と言われ、王女と影の結婚の際には、学者はとうに殺されていた。なんだこのシュールな話は。アンデルセン、ヤバすぎる。

 「カラーの話」もシュールでした。カラー(多分、学生服の襟につけるあれの事)が主人公で、彼はアイロンや靴ベラやハサミに求婚するものの断られます。そのうち、求婚がしつこかったのでハサミに深く切られ、製紙工場に回収され、紙になってしまいます。その紙が、いま読んでいる本のページ…アンデルセン、絶対にラリッてるな。。

 「ある物語」。牧師が教会で「悪い事をすると死後に地獄で永遠に焼かれ続けますよ」と説教をします。そんな時に妻が死んでしまい、妻の亡霊が牧師に「永遠に焼かれ続けるほどの罪人の髪の毛を持っていかないと、私が永遠に焼かれ続ける事になってしまいます」と訴えます。それは大変d菜と牧師は罪人を探しますが、極悪だと思っていた罪人ですら何かしらいい所があり、永遠に焼かれ続けるほどの悪人がいません。夜明けが近づき、牧師は神に必死に訴えます。「どうぞ、人間というものをお知りになって下さいませ。どんな悪い人の中にも、神様の一部が宿っているのです。そしてそれは地獄の業火に打ち勝って、それをなおす事が出来るのです!」。その時、牧師は妻にキスをされて目覚めます。神様が見せた夢だったのです。
 こういう話を読んでいたら、少し過ちを犯したからといって、その人のすべてが悪のように叩きまくる今の異常な風潮は改善されるんじゃないでしょうか。罪に匹敵する罰だけ受ければ充分、今はオーバーキルし過ぎというか、少しの事で叩きすぎだと思います。子どもだけじゃなくて大人もアンデルセン童話を読むべきだ!

 「もの言わぬ本」。ある青年が死に、彼が愛していた本が棺にしまわれます。各ページには花が挟んであって、それぞれの花にはこの青年の想い出が詰まっています。学生時代の親友との思い出、異国の地でのお嬢さんとの思い出…この青年はこの本の上に頭を乗せて眠りにつき、そして忘れ去られる。

 「年の話」。これは季節を比喩的に話していく物語ですが、要するに冬がすべてを死滅させても、次に一巡してまた春が来る、みたいな。そして、その死の象徴の冬を、春が来ても「死んだように見えて死んじゃいない」「春の後見人」と説明しているのがすごい。これって、アンデルセンの死生観なんでしょうね。比喩として、人間の死も死んでいるように見えるけど、次の生命の後見人であって、季節のように循環していると表現したかったんじゃないかと。この話を、子供がそのように理解するのは難しいと思うんですが、大人だったらそう読めてしまう…のは僕だけなんだろうか。

 「上きげん」。霊柩車の御者が主人公の話で、彼がそれぞれの墓に埋まっている人の生涯を説明していきます。ここは金持ちで、家じゅうを飾っていた人が埋まっている。ここは、生涯をずっと研究のために費やした人が埋まっている。ここは生きている間はけちだった人が埋まってる。そしてこの御者は、死んだら墓碑銘に「上機嫌な男の墓」と掘ってくれ…みたいな。つまりこれ、死んだ瞬間い自分の人生をどう振り返るか、これを考えさせる話だったんじゃないかと。

 「柳の木の下で」。とても仲のいい小さい男の子と女の子が、柳の下で遊んでいました。でもある日に女の子が引越しする事になり、ふたりは離ればなれ。成人して男の子は職人になり、女の子は歌手になります。ある時、青年は彼女に会いに行って彼女に愛を告白しますが、彼女は「あなたは私の大事なお兄さん」と言ってそれを受け付けません。青年は寒い冬の中、歩いて幼い頃に一緒に遊んだ柳の木のある故郷まで歩いて帰り、その木の下でゆっくりと休んでかつての幸せだった時の事を思い出して眠り、そのまま死んでいきました。ああ…

 この話の逆が、「イブと小さいクリスティーネ」でした。やはり仲のいい小さい男の子と女の子が結婚の約束をして、離ればなれになって、女が結婚をして…という話でした。でも結末が逆で、今度は別の男と結婚して贅沢三昧だった女の方が没落して不幸の死を迎えるというもの。
 
 「あの女はろくでなし」。ある男の子が、えらい町長さんから「君は見どころがあるが、君の母親は酒飲みのろくでなしだ」と聞かされます。男の子の母親は、男の子を食べさせるために一日中洗濯をしている洗濯女でしたが、過労で倒れ、そして死んでしまいます。町長は気に入っていた男の子を引き取って育てる事にしますが、やはり死んだ母親の事を悪く言います。でも、この母親を知っているおばさんは、「やさしかったお母さん」と嘆く男の子に、「あの人は天国の神様にも愛されるぐらい立派だった。世間の人には勝手に言わせるがいいさ」と伝えます。

 アンデルセン童話の完訳全集の3巻は、物語の真意はどう考えたって大人じゃないと理解不能なんじゃなかいか、いや、大人だってボ~っとしてる人は理解できないんじゃないかという物語のオンパレード。そして、教訓的な話というよりも、人生観や死生観、それにキリスト教的な世界観が語られているものが多いと感じました。「ケチな人は損をする」とか、そういう事が書いてあるんじゃなくて、人の生をどうとらえるか、そしてどう生きるか、それが書いてある物語が多かったように思います。アンデルセン物語、深いです…ちょっとぶっ飛んでるけどね(^^)。。
 

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『コロムビア アニメ・特撮主題歌全集4』

Colomubia_AnimeTokusatsuZenshuu4.jpg おっと、音楽のブログなのに、虫プロ制作のアニメ『アンデルセン物語』の音楽に触れずに終わっちゃう所でした(^^;)。

 このアニメの「キャンティのうた」というエンディングテーマがムチャクチャにいい曲で、涙なくしては聴けないほどなのです。詞がとても子供番組とは思えない内容で、「いつか知らない街であなたと出会い、いつか知らないままにあなたと別れた」という内容。でも、こういう詞を聴いて、幼いながらに感じるものがあったんですから、子どもの感性って馬鹿に出来ないですよね。
 そして、詞の展開と音楽のリンク具合がヤバい。AABAという典型的なアメリカン・ソング・フォームの中で、ラストAが別れの場面に割り振られています。だからそのメロディは言ってみれば第1主題の再起部になるわけですが、最後のオチで和声進行に仕掛けが。「あ、元メロに戻った」と思った瞬間に、和声がグニャリと変化して…tonic はF なのでドミナントモーションを起こすツーファイブはGm-C7-F ですが、このツーファイブ直前の動きが「C - C7 - Cm6/E♭- Gm7 - C7 -F」。ほんの少しの工夫なんですが、その少しが絶大な効果で、これが泣ける。。

 でもこの「キャンティのうた」、CDが見つからなくて苦労しました。ようやく見つけたのが、コロムビア内で仕事を干されたディレクターが何の愛情もなくやっつけ仕事で終わらせた感がにじみ出たようなジャケットのこのCD(^^;)。でも、これを買うしか手がないのでした。やっぱり音楽は素晴らしかった!「ジャングル大帝」も「リボンの騎士」もそうですが、虫プロの初期アニメは管弦伴奏の歌曲が多くて素晴らしいです。

 ついでに、このCDに入っていた曲で、個人的に燃えたものをいくつか。「スペクトルマン」のオープニングは燃えた!スペクトルマンはドラマも面白かったので、いつか感想を書ければいいなと思ってます。「ガメラ」の音楽は懐かしすぎてちびりそうでした。逆に、「帰ってきたウルトラマン」や「仮面ライダー」は何度も聴いているので懐かしさを感じなかったのですが、つまりいまだに卒業できていないのかも。「キックの鬼」「魔法のマコちゃん」「さすらいの太陽」は、アニメの記憶はかすかにあるようなないような…という状態で、音楽に至っては聴いてもまったく覚えてませんでした(^^)。でも、これらのあまり振り返られる事のない曲が収録されてるって、貴重だと思います。こういうのって著作権が切れたら、国立国会図書館でデジタルライブラリー化して公開したらいいんじゃないかな~。


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TVアニメ『世界名作童話 アンデルセン物語』 虫プロ

AndersenMonogatari.jpg これも虫プロ制作、アンデルセン童話のTVアニメ化作品です。キャンティとズッコという妖精のようなキャラを狂言まわしに設定して、毎回登場人物の違う一話完結の短編を、うまくつなげていました。

 「雪の女王」「人魚姫」「みにくいあひるの子」などなど、アンデルセン童話の有名なお話は、全部このアニメで知りました。個人的なおススメが「がんばれママ」という話。幼稚園児の頃、これを見て号泣。この話だけは、大人も不良も一度は見て欲しい!親不孝者は悔い改め、やくざは足を洗う決心がつくかも。以下、そのストーリーを少し(ネタバレを含みますので、読みたくない方は◆◆◆◆の所まで飛んでください^^)。

GnbareMama.jpg 吹雪の夜、病気の子供とその母親が住んでいる家に、道に迷った旅の老人が訪れる。母親は老人を家に迎え入れ、スープを温め直しに台所へ。そしてスープをご馳走しようとリビングに戻ると、老人が子供をさらっていなくなっていた。その老人、実は神さま。子供を取り返そうと馬にそりを牽かせて吹雪中をさまよう母親。子供を見つける事と引きかえに、母親は色々なものを失っていく。夜の精からは馬とそりを取りあげられ、水の精には目玉を奪われ、木の精に「先に逝きたければ俺を温めろ」と言われて棘にしがみつかされて全身穴だらけ、魔女からは若さを奪われる。そこまでして辿りついた神さまのすみかでは、自分の子供のふたつの運命を見せられ…。

◆◆◆◆
 たまたま見ていた、たった24分のこの話から、色んな事を教わった気がします。人生の中の24分なんて一瞬のはずだけど、こんなに心を動かされ、いまだに忘れられないんだからすごい…。この話、大人が見ても心打たれるんじゃないかと。世界では、今も色んな嫌な事がありますよね。人間同士の社会に関して言うと、「相手の気持ちになって、相手の痛みを知る気持ち」というものが欠けると、人間はいくらでもエゴにも残忍にもなってしまうんじゃないかと思います。情操教育というものがありますが、その究極の目的は「相手の痛みを感じられるようになる事」にあると僕は思ってます。もし「がんばれママ」を見ていたら、親に暴力を振るう子供や、子供に残忍な行為をする大人なんて、そう簡単に生まれないんじゃないかと思うんです。そしてこの「相手の痛みを知る」という、社会に生きる人間にとっての大原則が人の世界にもっと広まったら、人間同士の争いも少しは減るんじゃないかと思うのでした。小さな子供のいるお父さんお母さんは、絶対にこのアニメを子供に見せてあげてほしいです。人の痛みの分かる大人に育ってくれるかも。それにしても、手塚治虫さんって、いい仕事をいっぱいしてますね~。話が面白いとかそういうレベルじゃなくって、「何を伝えるのか」というところがすごいんだと思います。


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TVアニメ『悟空の大冒険』 虫プロ制作、杉井ギサブロー監督、出崎統演出・作画監督

Gokuu no Daibouken 手塚治虫が創設したアニメ制作会社虫プロ制作のアニメーションです。内容はタイトル通りで、西遊記をベースにしたユーモラスな内容。主人公の悟空も2頭身で可愛らしいし、子どものころは好きでよく見てました。

 好きだったいちばんの理由は、絵柄の可愛らしさ。観ていたのは幼稚園ぐらいの年齢だったもんで、それぐらいしか覚えてなかったんですが、この前ふとしたきっかけで何話か観たら、その絵柄の素晴らしさに驚きました。いや~、アニメーションとしてめっちゃ優れてるじゃないですか。。ディズニー以来のアニメーションの技法がギッチリ詰まってる感じ。貧乏な日本のアニメなのでセル数が少なくてカクカク動くんですが、床に落ちれば穴が開き、走れば足がグルグル回って土煙が立つ、驚けば目が飛び出し、怒れば頭から湯気が出る(^^)。背景の山や建物も絶妙にデフォルメされていて、絵以外では不可能な表現。色も近似色や中間色を使って表現されていて、色彩感が見事。こういう所が、宮崎アニメになくて虫プロアニメにある所なんですね(^^)。

 これ、楽しようとしてデフォルメしたわけではないと思います。いや、そういう事情もあったかもしれませんが、実際のものをそのまま写し取るだけなら、絵画やアニメは写真やフィルムに勝てません。だから、アニメでしか出来ない事を追及していくのがアニメの生きる道であって、実写では不可能な描写、絵が動くイリュージョン、こういうところを見事に処理した、笑いとロマンを与える素晴らしいアニメだったと思います。作画監督は出崎統さんですが、この人の作画や演出や構成の素晴らしさ、僕はのちに「エースをねらえ!」という映画で知る事になります。その話はまたいつか(^^)。

 西遊記ベースの冒険談だから、面白くないわけがないんですよね(^^)。大人が観るもんじゃないですが、それでもなつかしかった。西遊記は堺正章もこれも好き、虫プロ作品では、「ジャングル大帝」や「リボンの騎士」より、「悟空の大冒険」や「アンデルセン物語」が好きだった僕でした(^^)。


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『Salvatore Adamo / A L'olympia (1965)』

Salvatore Adamo _A L olympia 1965 サルヴァトール・アダモの65年のライブ音源です。アダモは「Olympia」という名のレコードをいくつも出してまして、67年や77年もあったはず。日本でいう「Live at 日本武道館」みたいなものなのかな?

 「夜のヒットスタジオ」とか「ザ・ベストテン」とか、70年代の日本の歌謡番組って、こういう感じのアレンジやオケだったよな…。そういう意味で、これは僕の中ではシャンソンというよりフレンチ・ポップスにより近く感じました。シャンソンって、ダミアにしてもバルバラにしてもジュリエット・グレコにしても、クラシックの匂いが残ってるアコースティックなオケで、文学的な詩を歌う印象があるんです。でもこれはどう聴いても歌謡曲。

 アダモって、日本でヒットして、来日回数も20回とか30回とか、ものすごい回数だったはず。なるほど、日本の歌謡曲に限りなく近いから、当時の日本人には分かりやすかったのかも。そして、アダモやイヴ・モンタンやシルヴィ・バルタンやフランス・ギャルを聴くと、戦後から70年代までの日本のレコード会社主導の歌謡音楽って、アメリカ以上にフランスのポピュラーの影響の方が大きかったんじゃないかと思う時があるんですよね。板付きの4リズム&ビッグバンドのオケとか、そのアレンジの傾向とか、ショーのシステムとか、そっくりなんです。そして、その頃の日本の音楽って英米音楽べったりという訳じゃなく、フレンチ・ポップスも、マンボやルンバなんかのラテンも、ロシア歌謡も取り込んでたりします。そういう意味で、ポピュラー音楽は、同じ外国の物まねにしても、昔の方が豊かだったんじゃないか、な~んて思ったりして(^^)。


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『サルヴァトール・アダモ / アダモのすべて』

SalvatoreAdamo_Adamo no subete これも僕の中ではエンターテイメント系の男性シャンソン歌手、サルヴァトール・アダモの2枚組ベスト盤です。アダモっていうと、島崎俊郎の「アダモちゃんです!」を思い浮かべてしまう70年代生まれの僕ですが(^^;)、それ以前の方ならシャンソン歌手を思い浮かべる方が多いのでしょうね。「雪~は~降る~、あなたは来ない~」とか、越路吹雪が歌った「ろくでなし」なんかを書いた、作曲をするシンガーソングライターです。このCDは作りからして日本編集盤じゃないかと。

 なんだこれ、オケがひどい。。昔の日本のカラオケって、オケがシンセサイザーの打ち込みみたいな音ばっかりで超安っぽ音してたじゃないですか。あんな感じの音でした。演奏も「これ、ぜったい初見でパッと合わせただけだろ」という、ただ音符を鳴らしただけ、みたいな。

 アダモって60年代初頭から活躍していた人なので、これがオリジナルの録音とはとても思えません。原盤使用料を払いたくない日本のレコード会社が、アダモが来日した時に安くパパッと録音したんじゃないのかなあ。昔、映画音楽やプロレスのテーマソングのレコードで、買ってきたら演奏がオリジナルとぜんぜん違うものってあったじゃないですか。あんな感じです。新録するなとは言いませんが、するならもっと愛のあるいい仕事をして欲しいなあ。僕みたいなまだファンになる前の人は、こういうものを聞かされると、そこで心が離れちゃいますよ、歌手もレコード会社の人もそのへんを分かって仕事してくれ~。。


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『イヴ・モンタン / 枯葉~ベスト・オブ・イヴ・モンタン』

YvesMontand_the best of 「枯葉」で有名なイヴ・モンタンも、シャルル・アズナヴールと同じように僕の中ではエンターテイメント系男性シャンソン歌手という事になってます。そこまで興味があったわけじゃないけど聴かないで済ませるわけにいかないミュージシャンだと思って聴いた、まったく愛のない出会い方をしたCDでした。ところがこれが良かった!原盤はマーキュリーですが、日本編集盤みたいです。

 歌手じゃなくて俳優が歌ってる感じ。石原裕次郎みたいなもんで、声質は渋くて低音も出ていて魅力的なんだけど音感は悪いしヴィブラートやら何やらと色々な所が素人っぽい(^^;)。ただ、素晴らしいと思った所がいくつかありまして…

 まず冒頭6曲のバンドの演奏が見事!基本はジャズのピアノ・トリオで、曲によって部分的にトランペットやギターやヴィブラフォンなどが入ります。テンションもアドリブでのオブリも入りまくり、しかもうまい!
 そして、この6曲のバンドアレンジが見事!「枯葉」なんて、アリアから始まってヴァースに入ってコーラスに突入…いやあ、コーラス3回まわしてオシマイになってしまった今のお手軽ポップス/ロックとは違い、それ以前のヨーロッパ歌曲の見事さが残ってます。「バルバラ」もそうで、枯葉と同じようにルバートとインテンポが使い分けられて、ここぞという所でヴィブラフォンが入ってきてもの凄い雰囲気がありました。「あとにはなにもない」のイントロもⅡm7-5の後にドミナント進行にいきなり向かわずにⅠM7にいったん戻し、そしてⅤ7+5を挟んでからヴァースに入り、インテンポになってコーラス…いやあ、すばらしい。。
 さらに、曲が見事。ヴァースまで綺麗に書いてある曲が多くて、作曲者を見るとジョセフ・コスマにミシェル・ルグランにフィリップ・ジェラール…立派な作曲家ばかりじゃないか!なるほどフランスのシャンソンの楽曲の見事さは、チープな英米のロック/ポップスと違って、プロフェッショナルな作曲家がちゃんと作ってたからなんだな。この演奏とアレンジと作曲は別物じゃないです。ルバートとコーラスパートとカデンツァの見事さは、曲もアレンジもないとダメだし、またそれを演奏で表現できないとどうにもならないと思いますし。つまり、プロダクション自体がとても素晴らしかったのです。

 音楽だけでなく、詞もとても大人な内容で良かったです。戦争直後から60年代あたりまでのフランスの大衆歌謡は明らかに大人のためのものだったと思わずにはいられませんでした。これも作詞者を見ると…ジャック・プレヴェールとかいるけど、本物の詩人じゃないか。文学詩に歌をつけるって、それこそシューベルト以降のクラシック歌曲みたいです。

 他はエンターテイメントなディナーショーみたいなライブ録音とかで、あんまり好きじゃなかったですが、とにかく冒頭6曲が素晴らしかった!この6曲は録音もすごくよくて、素晴らしいバンドの演奏から察するに同一セッションに思えるので、この6曲の入ったアルバムというのがあるのかも。それともベスト盤用の新録なのかな…マーキュリーってそういう事やるんですよね。チャック・ベリーのベスト盤もチェスの音源を使わずに新録してたし。それにしてもこれは見事な歌曲集、これでイヴ・モンタンの歌さえうまかったら(^^;)。。


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『シャルル・アズナヴール / アズナヴール・ベスト40』

Charles Aznavour_best40 僕みたいなガンダム世代の日本男児にとっては、シャルル・アズナヴールよりシャア・アズナブルの方が身近なわけですが、シャルル・アズナヴールはシャアの名前の元ネタになった男性シャンソン歌手です。

 シャンソンと言っても色々ですが、アズナヴールはフェレやゲンスブールみたいなマジな方じゃなくって、オケをバックに朗々と歌い上げるエンターテイメントなムード歌謡のようなシャンソンです。雰囲気でいうと、日本の加山雄三やジャズのフランク・シナトラあたりに近いですが、アズナヴールは作詞作曲を自分でやるれっきとしたシンガーソングライター。このベスト盤に入ってる曲も、8割が自分で作詞作曲してました。

 10歳で初舞台を踏んだというし、映画にも出演どころか主演までしてるので、日本でいうと美空ひばりみたいな感じだったのかも。こういうショービジネスでエンターテイメントな方向の歌謡曲というのが苦手なもんで、僕はやっぱりシャア・アズナブル派だな、坊やだからさ(^^)。それでもこのCDを買ったのは、40曲入りなので、これだけで済まそうと思ったことと、ジャケットがカッコよかったからでした。僕みたいなニワカにはアズナブールはこれさえあればいいというぐらいの素晴らしいベスト盤でした。このシャンソンの2枚組シリーズ、ジャケットがカッコいいやつが多いんですよ!


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『Weather Report / Night Passage』

Weather Report Night Passage ジャコパス在籍時のどフュージョン期ウェザー・リポートのアルバム、1980年発表です。メンバーはジョー・ザヴィヌル(P, Synth)、ウェイン・ショーター(Sax)、ジャコ・パストリアス(Eb)、ピーター・アースキン (Dr)、ロバート・トーマスJr (Perc)。

 これも「コード進行+指先演奏+シンセなんかのエレクトリック・サウンドの色」というフュージョンの典型なんですが、『ヘヴィー・ウェザー』が3つのバランスが良く、『8:30』がプレイが強いアルバムなのに対して、これはシンセやエレキ楽器の音色の部分の印象が強く、3枚のアルバムの中ではイージーリスニング寄りに感じました。

 このアルバムにはジャコパスの書いた「Three Views of a Secret」という曲が入ってまして、これがなかなか。この曲、翌年にジャコパスがビッグバンド編成で再録音して、そっちは大傑作、ものすごく素晴らしいんです。その雛形を聴けたのはなかなか楽しかったです。

 デビュー作以外のウェザー・リポートは、ポップすぎてあんまり好きじゃなかったんです。でもいま聴くと、これはこれで「あの頃のフュージョンってこういう音楽だったなあ」って感じで、たまにはこういう音楽もいいな、な~んて思えて、楽しい時間でした(^^)。でも、やっぱり子供っぽいというか、ちょっと偏ったおたくっぽい音楽だな(゚∀゚*)エヘヘ。


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『Weather Report / 8:30』

Weather Report 830 『ヘヴィー・ウェザー』2年後の1979にウェザー・リポートが発表したライブアルバムです。これも有名な1枚。ひとつ前の日記で、「フュージョンは3つの要素で出来ている」な~んて暴論を展開しましたが(^^;)、『Heavy Weather』が3つのバランスがいいアルバムだとしたら、このアルバムはプレイ寄りな感じ。ライブ音源ですしね。

 もしフュージョンを聴く人が、ポップスやロックも聴いたうえでフュージョンに辿りついた場合、フュージョンのどこに魅力を感じたのかを考えると、たいがいはプレイ部分じゃないかと思うのです。そういう演奏志向のフュージョン・ファンの人にとってのウェザー・リポートのベスト・アルバムって、弾きまくりなこのアルバムになるのかも

 そしてその弾きまくり方に、フュージョンの特徴が出てる気がします。例えばクラシックジャズだったら?フラメンコアル・アンダルース音楽タンゴだったら?どれも、あるピークに向かってゆるくアッチェルして、ピークでフォルテなりフォルテシモなりで「ガーン!」と来ると思うんですよね。それ以外のところでは、ルバートにしたりタッチをソフトにしたり歌わせたり…まあ、色々表現すると思うんです。でもウェザーリポート以降のフュージョンで感じるのは、そういう表現はまったくなく、表現のすべてが速さに特化されて聴こえる事。速さといってもテンポの変化ではなく、音価(4分音符とか8分音符とか、音符の長さの事)限定、みたいな。もちろんこれは極端な表現ですが、他の音楽に比べると、指は速くなってもフォルテにならない、アッチェルしない、タッチは変わらない…クールなのです。だから、クラシックやジャズやタンゴやラテン音楽を聴くなり演奏するなりする人からすると、フュージョンやプログレに対する「テクがすごい」という褒め言葉にはうなづけない所もあるんじゃないかと。テクというものにスピードしか含まれていなくて、表現に使える技巧の幅がおそろしく狭い…みたいな。

 これって、何で起きてるんでしょう。ミュージシャンの資質もさることながら、エレクトリックの弊害なんじゃないかと。電子ピアノを弾いていて嫌なのは、タッチを変えてもそれが音に反映されない事。音量は変わってる気がするんですよ。でも、音色が変わってなくて、強さの差による音色が5個ぐらいしか入ってない気がするんです。似たような事を、エレキ・ギターをひかせてもらった時も感じまして、弱く弾いても音が「バーン」と出てしまって弱くならないし音色も変わらない…。つまり、エレクトリックな楽器って、ある特定の音色を作る事にやたら神経を使ってる割に、音色を変化させるタッチやら音量には実に無神経で、そういう楽器を使って演奏していればプレイヤーだってだんだんそういうものに無頓着になっていくんじゃなかろうか、みたいな。

 でもそれがある効果を生み出してる面もたしかにあって、これがフュージョンの「一生けんめい弾きまくってる割にクール」というイメージに繋がってると感じました。これをいいと思うかどうかは捉え方次第で、僕の場合、これはこれでカッコいいと思う時もたしかにあります。熱いけどクールというか。このライブ演奏を聴きながら、そんな事を感じていました(^^;)。


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『Weather Report / Heavy Weather』

Weather Report Heavy Weather ウェザー・リポート、デビュー作は感激しまくったんですが、以降のアルバムは軽いクロスオーバーという印象があったもんであまり聴かない状態でした。でもジャコ・パストリアスが参加した77年発表のこのアルバムは自然と耳に入ってきたんですよね。それぐらい、発表当時は話題になったんです。メンバーは、ジョー・ザヴィヌル(p, synth)、ウェイン・ショーター(Sax)、ジャコ・パストリアス(EB)、アレックス・アクーニャ(Dr)、マノロ・バドレーナ(Perc)。冒頭2曲が思いっきりポップス、しかも安直なムードミュージックにしか聴こえない、これはつらい…と思っても、ここでやめちゃいけない!最初の2曲を飛ばして聴けば、3曲目以降にフュージョンの大定番となった音楽が始まるのです!

 第1にジャズなまりのない循環や逆循環やモードを利用した7音音階の調音楽のコード・プログレッションとトゥッティ、第2に一歩間違えるとイージーリスニングになりかねないシンセやエレベの音、第3に音色やデュナーミクは無視して音価だけに特化したアドリブ。フュージョンってこの3つで出来ている音楽と思ってるんですが、そのステレオタイプがこのアルバムの3曲目以降ではないかと。「Palladium」なんてその典型です。
 中でもエレベが特徴的でした。ジャコパスが書いた「Teen Town」と「Havona」いう曲が入ってまして、シンセみたいな音色と、ポコポコと弾きまる動きがトレードマークです。以降のフュージョンのエレベって、音も演奏もこれが手本になったんだな、みたいな。日本のフュージョン系ベーシストだって、T-SQUAREの須藤さんも、布川さんあたりとよくつるんでいた納浩一さんも、みんなこの音でした。

 これ系のフュージョンって、商品として売られるようになったデジタルな音色、アドリブしやすい簡単なコード進行、音価だけに徹したプレイ、この3つで出来た音楽なのだと思います。このアルバムの3曲目以降は、そのバランスがうまくいった音楽と感じました。というわけで、ジャコパス在籍時のウェザー・リポートだと、これがいちばん好きなアルバムかも。


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『The Cars / Candy-O』

Cars_candyO.jpg ギターヴォーカルのリック・オケイセックがリーダーを務めていたニューウェイヴロックバンド・カーズのセカンドアルバムです。1979年発表…って、まだ80年代じゃなかったのか、てっきり80年代のアルバムかと思っていました。僕が聴いた事のあるカーズのアルバムはこれだけです。しかも、中学生の時に友達に貸してもらって聴いた1回きり。その友達はTレックスが好きだったので、なるほどそれならこういうのも好きだろうな、と妙に納得したものでした。

 パブリック・イメージを聴く前の僕にとってのニューウェイヴは、ピコピコしたデジタル音やエフェクターを使って、アンディ・ウォーホールあたりのポップアートを音楽にしたようなものと思ってました。XTC やロキシー・ミュージックやカーズはその典型で、ギターに変なフランジャーがかかって、中低域がスッカスカで、ヴォーカルにダブルがかってたりドラムにゲートかけてあったり…みたいな。ただ、オケイセックさんの歌い方がルー・リードそっくりだったので、そのへんが産業ロック一辺倒じゃなくてメッセージ性もあるのかも、とも思ったんですが、そこまで深入りする前に友達にLPを返し、いつしか忘れてしまったのでした。ニューウェーヴのバンドってたいがいヘタクソなんだけど、ちょっと変な事をしている所に何か主張があるんだろうな、みたいな印象だったんです、中坊だった僕にとっては。でも、それが何なのかを考える前に卒業しちゃいました。詞を聴くとか、もう少し深入りしたら、もうちょっと色々と感じるものがあったのかも。

 それにしても、産業音楽に片足を突っ込んでいて、音楽や音が安っぽいのは紛れもない事実だったのです。落書きにしか見えない絵を見せられて「実は深い絵なんだ」と言われても、中学生ではまだ判断がつかない、みたいなもので、「下手なのは確かなんだから、そんなこと言い出したら言ったもん勝ちじゃねえか」みたいに思ったんですよね。同じぐらいの時期のスタジオで作り込んだアルバムでも、イーグルスやスティーリーダンやスティーヴィー・ワンダー、あるいはHR/HM系の音楽は、プレイも音もすごくいいと思ったんです。でも、カーズやXTCは…。

 でも今となっては、こういう音こそMTVやらマイアミ・バイスやらで聴ける80年代周辺のアメリアン・チャート・ミュージックの質感で、時代の音だったんだなと感じます。昔、尊敬していた先輩が「流行は追うな、流行は少しすると古くさいものに感じるから。普遍的なものを信じたほうがいい」と言っていた事があるんです。その言葉に少なからず影響を受けた僕は、そういう考えを持っていたんですが、今思うと、流行を追って古くさくなったものは、良くも悪くもある時代を象徴している面もあるんじゃないかと。良し悪しやダサいダサくないじゃなくて、その時代だけにあったもの、みたいな。カーズの音楽は、音楽自体はなんでもないポップロックですが、この「80年代前後にしかありえなかったニューウェーヴな音」というのが、僕の中では記憶の奥にずっと残り続けています。そして、それは決して悪いものじゃないんですよ。何もかも懐かしい…みたいな。


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カーズのリック・オケイセックさん、逝去

Ric Ocasek 80年代にカーズというニューウェイヴ系のロックバンドで、ヴォーカル&ギター&作曲という自分中心のバンドで活躍したリック・オケイセックさんが、9月15日にニューヨークの自宅アパートで死んでいるのが発見されたそうです。

 エリート父ちゃんのボンボンで、見た目はいかにもひ弱。3回結婚して、最後の奥さんはまだ奥さんが未成年者でモデルをしている頃で、それぞれの奥さんとの間に子供がいて、作曲もギターも大したもんじゃないけどロックなファッションしていて、途中からはプロデュース業で産業音楽シーンに残って、最後はマンハッタンのアパートでひっそり死んで…なんというか、いかにもバブル時代の産業音楽シーンの内側で生きた人の人生と感じます。生粋のミュージシャンでもロッカーでもなく、おたくで優柔不断なただの音楽好きが、ずるずると産業音楽シーンの中で生き、気がついたら70歳を過ぎて人生を終えていた、みたいな。オケイセックさんの目には、世界はどんなものに見えていたんでしょうね。ご冥福をお祈りいたします。


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『チャイコフスキー:歌曲集 エリーザベト・ゼーダーシュトレーム (sop)、アシュケナージ (p)』

Tchaikovsky_Songs_Soderstrom.jpg チャイコフスキーの歌曲集です!ロシア歌曲をあまり聴いた事がなかったので手にしたCDでした。チャイコフスキーの音楽で面白くないと思ったものに出会った事がないですから、歌曲は有名じゃないけど内容は良いに決まってると思ったものでね( ̄ー ̄)。

 いつもはクールなアシュケナージの演奏がかなりエスプレッシーヴォな事もあるのかも知れませんが、すごいロマンチックじゃないか!国民楽派とかロシアとか関係ないな(「子守歌」という曲なんかはロシア民謡っぽかったけど)。歌曲と言えばシューベルトですが、シューベルトの頃はロマン派もまだまだ初期で、シンプルでどこか朴訥。でも、ロマン派も後期になると、歌曲もとんでもなく情熱的な音の使い方がされるようになって、洗練もされてるし、しかも高度になってるという印象を持ってるんですが(R.シュトラウスとか)、チャイコフスキーの歌曲も同様の印象でした。しかもチャイコフスキーは稀代のメロディメーカーですからね、いいものにならないはずがな(^^)。ハイネ詩「何故?」や、ゲーテ詩の有名な「いや、ただあこがれを知る人だけが」、それにチャイコフスキーの友人であるアプーフチン「かくも早く忘れるとは」なんて、どれもたった3分ほどの曲なのにすごく劇的なクライマックスを迎えて、グッと来てしまいました。ロマン派の音楽が心に刺さる時って、この劇性による所も少なくないと思ってますが、これは見事でした。それが劇的に聴こえるぐらいに、アシュケナージの演奏が素晴らしかったという事かな?
 上記3曲以外でいいと思った曲は、農奴出身のウクライナの詩人シェフチェンコ詩「何故に?」(さっきのハイネの詩とは同名異曲)、これはインター部分でのピアノのメロが素晴らしかったです。

 詩で心動かされたのは、ハイネ「何故?」の冒頭「何故、春に色あせたのだろう。美しく咲き誇っていたあの薔薇は」というところ。薔薇は比喩ですよね、切ない…。あ、そうそう、詩は、ロシア詩とは限らないんですがロシア語に翻訳されたものを使っていました。ゲーテやハイネの詩がロシア語になってる、みたいな。ロシアだと、トルストイの登場回数が多かったです。

 このCDの解説によると、ロシア歌曲は、ダルゴムイシスキー、ムソグルスキー、ショスタコーヴィチあたりが書いた朗誦のスタイルをとるリアリズム歌曲が有名なんだそうです。でもこのCDに入っていたチャイコフスキー歌曲は、ロシア民謡っぽいのを除けばほとんどロマン派歌曲。しかもそれが素晴らしいからロシアはすごいと思ってしまいます。地理的に遅れてきたロマン派なだけに、ロマン派の極致ってやっぱりロシアだと思ってしまうなあ。まさかこんなに良いとは思いませんでした、チャイコフスキーばんざい!


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『チャイコフスキー:《白鳥の湖》全曲 アンドレ・プレヴィン指揮、ロンドン交響楽団』

Tchaikovsky_SwanLake_Previn.jpg メロディの有名さでいえば、「くるみ割り人形」より「白鳥の湖」の方が有名かも。というわけで、チャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」を。これはプレヴィン指揮・ロンドン交響楽団による全曲演奏盤です!ただ、子どもの頃に「8時だヨ!全員集合」を見て育った僕にとっては、「白鳥の湖」というと、志村けんのやった「1ッ丁目1ッ丁目、ワ~オ!」のアレがまぶたの裏に思い浮かんじゃうんです。あの記憶は一生消えそうにないな。。

 「白鳥の湖」はクラシック・バレエの代表的な演目のひとつですが、振付が色々あるらしくて、それによって曲順も変わるらしいです。そして、クラシックバレエの演目って、オペラどころではないほどストーリーが童話っぽいガキくさいもの多くないですか?「白鳥の湖」も例に漏れず、ストーリーが途中までは子どもっぽく感じます。ただし、最期が秀逸なので、「けっ、ファンタジーかよ」と投げてしまわず、一度は最後まで観た方が良いんではないかと。

 成人を迎えた王子は、花嫁を探さなければなりません。そんな王子が湖に白鳥狩りに出かけると、白鳥オデットから「私たちは魔法で白鳥に変えられただけだから殺さないで」とか、「若者から愛を告白されると魔法は解ける」などと言われます。王子と踊る女ですが、夜が明けると再び白鳥の姿になってしまいます。
 愛し合うようになり、とうとうオデットに愛を告白しようとする王子ですが、告白時に限って、相手は王女に化けた悪魔の娘でした。王子が悪魔と自分を見分けられず、傷つくオデット。偽物だと気づいた王子は湖にオデットを追いかけ、許しを請います。抱き合うふたりですが、そこに波が押し寄せてふたりは波に呑まれます…うああ、なんというエンディング。ちょっとアンデルセン物語っぽい無慈悲ぶりだぞ。。クラシックバレエって、死をテーマにした物語が多い印象です。ただし、振付によっては、最後に魔法が解けてハッピーエンドというものもあるそうで…結末変えちゃったら別の話だと思うんですが、いいんでしょうか?

 このCD、けっこうハイ上がりな音で、僕が持ってるのはSACD。でも、SACDのプレイヤーを持ってないので、普通のCDプレイヤーで聴いてるんですが(^^;)、それでも音がいいと感じます。ところが…「白鳥の湖」って、根本的にスコアがよくないと思ってしまいます。バレエの伴奏の為だけに書いた曲みたいで、雰囲気ばかりで構造が弱くて、かなり面白くない。チャイコフスキーは大好きな作曲家のひとりですが、3大バレエの中で最初に書かれた「白鳥の湖」は、まだ作曲家が踊りに気をつかいすぎて、バレエ音楽をどう作るか手探りだった気がするなあ。


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『チャイコフスキー:バレエ音楽《くるみ割り人形》全曲 ラトル指揮、ベルリンフィル』

Tchaikovsky_NutClacker_Rattle_BerlinerPhil.jpg 世の中には映画も音楽もバレエも芝居もありますが、僕は音楽をリスペクトぎみの人間です。そんな僕なので、チャイコフスキーの事を、見事なシンフォニーもコンチェルトも描く純音楽作曲家と感じてます。でも、音楽寄りじゃない人にとってのチャイコフスキーは、バレエ音楽を書く劇伴作曲家なんじゃないかと。だって、悲愴シンフォニーやヴァイオリン協奏曲と言っても、音楽ファンですらメロディの浮かばない人が結構いそうですが、「白鳥の湖」と言ったら、音楽を聴いてない人でもみんな知ってると思うんですよね。そんなわけで、チャイコフスキーを語るにバレエ音楽を避けるわけにはいきません。チャイコフスキーのバレエ音楽の代表作がこの「くるみ割り人形」です!

 バレエはダンスの一種で、タイツ履いてポワントシューズ履いて踊る西洋のアレです。最初にロマンティック・バレエというのがあって、次にかの有名なクラシック・バレエが来ます。クラシック・バレエには「3大バレエ」といわれる演目があり、その音楽を担当したのは3作ともチャイコフスキー。この「くるみ割り人形」は、3大バレエのひとつです。ちなみに、あとのふたつは「眠れる森の美女」と「白鳥の湖」。

 バレエ音楽なので、シーンによって曲が変わっていきますが、特に有名なのは序盤に出てくる「行進曲」。でも、これは覚えやすいメロディが有名というだけで、名曲だと思ってる人なんて誰もいないんじゃないかと(*゚∀゚)アハハ。そして、これはバレエ音楽なので、あくまでバレエや物語との絡み(普通クラシック・バレエは物語の筋がある)があるので、音楽だけ取り出して聴くと冗長に感じるところも多いです。そりゃ仕方ないですよね、音楽じゃなくて物語ありきなんだから。そんな中、個人的に「ああ、これは素晴らしいな」と思ったのは、Act1 のラスト10分、前半のクライマックス部分です。CDでいうと、ディスク1の#7「クララとくるみ割り人形」の後半の煽りと、#9「冬の松林で」の情感の塊のようなクライマックスまで。これは素晴らしい、バレエ抜きにして音楽だけ引っこ抜いてもロマン派音楽の交響曲のクライマックスと言っていいほどの見事さ、大名曲だと思います。

 そして、くるみ割り人形らしいと感じるのは、これも有名曲の第2幕「花のワルツ」と、以降に続くバレエと見せ場パ・ド・ドゥの音楽でした。くるみ割り人形は、ある王子が誕生した時に、くるみ割り人形に変えられてしまった王子と、その人形を手にした少女の話。メルヘンチックなんですよね。そういう子どもの夢の世界のようなファンタジーを感じるのが、第2幕終盤のここでした。ハリー・ポッターの音楽で、チェレスタがキンコンなってる魔法の世界の不思議な感じな曲がありますが、あれはくるみ割り人形の第2幕のこのへんの曲です(たぶん…というのは、ハリーポッターをちゃんと見てない^^;)。ちなみに、パ・ド・ドゥというのは、バレエの中で男と女がふたりで踊る、クラシック・バレエの最大の見せ場の事です。

 ラトル&ベルリンフィルの演奏が素晴らしかったし、録音もすごくよかった!ラトル時代のベルリンフィルって、評判イマイチだし、時として僕もそう思っちゃう時がありますが、このCDはイマイチと思う所なんてまるでなし、それどころか「冬の松林で」みたいに「うおおお~すげええ」という所が随所にあって、見事な演奏でした。いや~これは僕の中で名演名録音、ケチのつけようがない完璧な名盤です(^^)。


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『チャイコフスキー:交響曲第4番、ヴァイオリン協奏曲 フェラス(vln)、カラヤン指揮ベルリンフィル』

Tchaikovsky_Symphony4_ViolinConcert_Karajan.jpg 僕は貧乏な庶民だし、人生の時間も限られてるので、満足の行く録音や演奏に出会ったら、以降は同じ曲で「あっちの指揮者とオケの演奏はどんな感じだろう」なんて浮気をあまりしないのです。聴き比べてるひまがあったら、素晴らしかった演奏をもう1回聴いて感動したい、まだ聴いてない曲や音楽を聴きたい…みたいな。知らない国の音楽、読んでない本、観てない絵画などなどいっぱいあるのでね(^^)。
 ところが、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は苦労しました。大好きな曲なもんだから、好きな演奏は結構あるんだけど、なかなか100点にならないのです。ついつい欲が出て「もっとあそこをこうした演奏があるんじゃないか」「もっとオケが綺麗に響いた録音があるんじゃないか」みたいな。これで浮気の旅が始まってしまった…クラシックで散在する典型的なパターンですね(^^;)。なにより、切り札と思って買ったクレーメルで滑ったのが痛かった。クレーメルがまさかの1次リーグ敗退、ミルシテインでイマイチ、アバドもマゼールもウィーンフィルも倒れたもんで、「これは変に狙わず、普通でいいんじゃなかろうか」と手を指したのがこの1枚、困ったときのカラヤンです。交響曲4番も入ってたしね(^^)。

 「ヴァイオリン協奏曲」、この盤でのヴァイオリンはクリスチャン・フェラスさんです。この人、13歳でパリ音楽院首席卒業とかいう化け物。すげえ。そして、この人の演奏も凄かった。しかし凄すぎ、弾き過ぎでした(^^;)。どうもチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲はソリストにとって相当な難曲らしく、弾けるというだけですごい事なのかも。またよく出来た協奏曲になっていて、ヴァイオリンとオケが抜きつ抜かれつですごいんですよ。もうそれで良い気がしてきました。フェラスさんとカラヤン/ベルリンフィルのこの演奏、デュナーミクの幅が広くて、すごい迫力です。有名なのは1楽章ですが、弾きまくって一気に突進していく3楽章が強烈でした。そして、猪突猛進の1楽章と3楽章に挟まれる事になるもんで、2楽章が美しく感じるったらありゃしません。音楽は抑揚ですね(^^)。

 「交響曲第4番」。今回ウトウトしながら何度も聴いてたんですが、そのうちに「あれ、この曲って、バロックのリトルネッロ形式じゃないけど同じフレーズが色んな調で繰り返されて出てくるんだな。もしかして和声進行から先に作ったんじゃないか?」な~んて思いはじめました。ウトウトしてたから、細かい所は聴いてないで、ザックリ聞いてたから、むしろ全体が見えやすかったのかも。寝ながら聴くのもいい事があるんだな(^^;)。そして、チャイコフスキーの音楽がポップに聴こえるのってなるほどそれなのか…と、今回思い至った次第です(^^)。もちろん、これはいい意味。クラシックの交響曲って、ハイドンの頃から何度聴いても覚えられないものって、僕の場合はいっぱいあるんです。感動した曲ですら、じゃあどういうメロディだったかというと口ずさめなかったり。この程度の音楽能力しかない僕の場合、これぐらい分かりやすい方がいいんですよ (^^)。そうそう、2楽章のアンダンティーノは、白鳥の湖のようでした。チャイコフスキーめ、使いまわしたな( ̄ー ̄)。。

 このCD、ヴァイオリン協奏曲でソリストがオケとのバランスを考えずに突っ走るのを認めるなら、もしかすると僕の不満は音だけなのかも。不満と言ったってそれほどじゃなくって、決して悪い音じゃないんです、むしろいい音かも。でもちょっとだけ空虚な感じ。高い方が強くて、低音が少なくて落ち着かないなと思ったら、ベルリンのイエス・キリスト教会の録音でした。やっぱり音楽専用に作られたホールというのは音の設計が凄いんだな…これはホールで録音して欲しかった、そうしたら一生モノの1枚になってたかも知れません。でも僕が聴いてきたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲では一番なので手放しません。でもまた浮気しちゃうかも(^^;)。


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『チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲、ゆうつなセレナーデ クレーメル(vln)、マゼール指揮、ベルリンフィル』

Tschaikowsky_ViolinConcert_Kremer_Maazel_BerlinPhil.jpg 以前にミルシテインとアバド/ウィーンフィルが演奏したチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を紹介した事がありましたが、これはクレーメルとマゼール/ベルリンフィルによるものです。ミルシテインに不満があったわけではないんですが、この曲はもっと劇的な演奏が出来るような気がして、浮気してしまいました(^^;)。

 ヴァイオリンって、音が出始めてから消えるまでずっと弓でコントロールするので、音色も音高も音価も強さもず~っとコントロールできてしまう優れものの楽器です。ピアノやギターを演奏してる人には死ぬほど羨ましいんじゃないかと。だって、1音でクレッシェンドやデクレッシェンドが出来てしまうんですよ、すげえ。裏を返すと下手な人が演奏すると下手がばれやすい(^^;)。一方で、うまくなるとそれはそれで何でもかんでも表現してしまって、表現過多に陥るきらいがある楽器だとも思っています。

 エモーショナルな音楽が大好きな僕は、表現力のある演奏は基本的に大好物。でも、このクレーメルはやりすぎじゃないかい?僕がチャイコフスキーのメロディが異常に好きだからそう感じてしまうのかも知れませんが、この曲の素晴らしく綺麗なあのメロディを、なんか妙な癖をつけてギザギザに演奏してしまうんです。少なくとも、その後に同じ主題をオケが引き受けて演奏するんだから、表現はオケに合わせるべきだと思うんだよお母さん。オケがノンヴィブラートでテヌートで演奏してるのに、同じ主題をヴィブラートつけて「ギュグギギギジャ~ン」みたいに入れ込むし、変な装飾音入れるし、こういうのは表現というんじゃなくて全体を見てないただのスタンドプレーだと思うなあ。

 というわけで、このクレーメルの演奏は僕的にはちょっと相性が悪かったです。ヴァイオリンって、クラシックでもタンゴでも「主題ぐらい綺麗に演奏してくれよ、まわりの演奏もよく聴けよ」って事、ないですか?僕は結構あるんですよね。。


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『Otis Redding / The Dock of the Bay』

OtisRedding_DockOfTheBay.jpg オーティス・レディングのアルバムで僕が最初に聴いたのは、死ぬ3日前に録音したという「ドック・オブ・ザ・ベイ」の入ったこのアルバムでした。なんでこの曲を知ったかというと、矢沢永吉さんの名バラード「チャイナタウン」の中に、「チャイナタウン、横浜トワイライトタイム、流れてる俺たちの好きだった”the dock of the bay”」という詞があったから。この詞ですから、きっとものすごくいいバラードなんだろうな、どんな曲なのかな…な~んて思っていたのです。そしてある時、このアルバムが再発されまして、「あ、これの事だったのか」と、迷わずレンタル!買ってないのか(^^;)。だってまだ小学生でしたからね、金なんてなかった。。

 ところが、みなさんご存知の通り「ドック・オブ・ザ・ベイ」は、泣けるスローバラードなんかじゃなくて、マッタリしたミドルナンバー。ついでに、他の曲もみんな古くさく感じました。まあ、小学生や中学生にこれを理解しろと言ったって無理な話ですよね。泥にまみれて働いても家賃程度しか稼げないとか、失恋で死ぬ所まで行ったとか、そういう人生の苦節や理不尽を味わった後じゃないと、ソウルミュージックなんて分かるはずがないのです。そしていま聴けば、「オーティス・ブルー」や「ソウル・アルバム」に比べると、曲によっては、頼みの綱のヴォーカルのクオリティも落ちて感じました。ハイトーンになると嫌なかすれ方をしちゃったりね。オーティスさんは病死ではないので、晩年に体調を崩したとかそういう事はないんでしょうが、何かしら死の影が近づいていたのかな…。でも、アルバムラストの「Ole Man Trouble」の歌は本当に素晴らしい、僕がオーティス・レディングの歌唱で一番好きなのはこれです。

 60年代後半、アメリカのいいミュージシャンが次々に死んじゃいました。ジム・モリソンジャニス・ジョプリンジミ・ヘンドリックス、オーティス・レディング。ちょっと後には、マーヴィン・ゲイも父親に射殺されちゃいますし、魂削って叫んでいるような人ほど、魂をはやく使い切っちゃうんでしょうか。こういう人たちって、燃え切らないままブスブスとくすぶってる僕たちの代わりに、燃え尽きる輝きを見せてくれて死んでくれてるんじゃないか…なんて思いながら、久々にこのアルバムを聴いていました。ダメだ、酔っぱらってますね(^^;)。。でも、あれこれ曲を解析しながら聴くような音楽じゃないですよね、こういうものって心で感じて聴いていたい音楽です。


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『Otis Redding / The Soul Album』

OtisRedding_Soul Album ソウルの大名盤「オーティス・ブルー」の翌1966年に発表された、オーティス・レディングの4thアルバムです。「オーティス・ブルー」の歌にグッと来たことのある人なら、このアルバムも絶対いけます!逆に、あれがダメだったら、これもダメかも (^^;)。

 やっぱり、ヴォーカルが素晴らしいです。1曲目「Just one more day」の冒頭4小節だけでもいいから、その歌い回しを聴いて欲しいです。「I've been missing you for so many days」なんて歌ってません。「I've been missing youuu!!! for so many daaaays」みたいな感じ。なんと感情的な歌唱でしょうか、これをソウルと言わずになんという。気づいたんですけど、オーティス・レディングを聴く時、僕はこの熱く訴えかけるような歌唱しか聴いてないのかも。「オーティス・ブルーの方がキャッチーな曲が多い」とか、「このアルバムは歌に感情が入りすぎてる」とか、色んなことが言われてるみたいですが、曲も演奏も聴かずに歌だけをひたすらに聴いている僕には、違いなんてありませんでした(^^)。同じです。まったく同じ熱さで良いです。くう~っ、グッとくるなあ。。

 それはそうと、やっぱり演奏が好きじゃないです。ソウル・ミュージックの何が苦手かというと、このダメな伴奏。特に、ホーンセクションが、せっかく抑揚のついた音を平らにしちゃって、いない方が良いと思ってしまいます。ソウル・ミュージックって、ウッドベースだけとか、アコースティック・ギターだけとかの伴奏でやったら、何倍も歌が生きたと思うんですよね。邪魔なのは管楽器隊と無神経なドラム。まったく音楽的じゃないし、またどんな歌も同じような伴奏をつけちゃうから、似たものの大量生産みたいになっちゃうのが残念。ここも演歌と同じですね。というわけで、僕は脳内で歌以外の音を全部消して聴いているのでした。そうやってきけばヴォーカルは素晴らしい、これもいい1枚でした!


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『Otis Redding / Otis Blue』

OtisRedding_OtisBlue.jpg 思いのほか長い事ブログを書いてきましたが、ソウル・ミュージックのど真ん中を取りあげた事がない事に今さら気づきました(^^;)>。というわけで、ソウルと言えばこの人、オーティス・レディングです!これは1965年に発表されたサードアルバム、オーティス・レディング最高傑作にして、ソウルの名盤の呼び声も高い1枚です!

 な~んていいながら、若い頃の僕はソウル・ミュージックの良さがよく分かりませんでした。オーティスさんだけでなく、アレサ・フランクリンもよく分からない、サム・クックもよく分からない、とにかくソウルが分からなかったのでした。同じ黒人音楽でもブルースは心に響きまくり、あんなに好きなのに。いま思うに、ニューソウル以前のソウルは、オケのショボさが問題だったんだと思います。同時代のアメリカ音楽だったロックと比べると、さながら演歌のようで、オケがやっつけ仕事っぽい。また、同じ黒人音楽だったブルースと比べると、それはさながら歌謡曲のようで、作家が作った曲を歌手が歌わされているように聴こえたのでした。歌だって、うまいと言われるけど、これはうまいのか?って感じでした。

 それから何年か過ぎてお気に入りの漫画「迷走王ボーダー」を読んでいたとき。主人公(この主人公おそらく漫画の作者自身の投影)が、ソウル・ミュージックに心をうたれたというくだりが出てきました。その漫画にえらく影響されていた僕は、「ああ、やっぱりソウルが良くない音楽なんじゃなくって、僕が良い部分に気づけてないのかもな」と思い、久々に再トライ!なんという事か、簡単に手のひらクルリで、今度はムッチャ良いと思いました(^^;)。いや、本当に良いと感じたんですよ。今度は何に感じたのか…唄い回しというか、声というか、要するに歌でした。歌がうまいんじゃなくって、切実だったのです。声や歌い回しが、その人の訴えたい事そのものというか、音楽そのものだったんです。オーティスさんの歌声は、力みます。震えます。割れます。叫びます。声が歌そのものだったんです。言葉じゃなくて、叫びとか祈りとか、感情そのもののような声に震えたのでした。ああ、ソウル・ミュージックって、こういう事なのかな…分かったなんて言う気はありませんが、少なくとも心に響いたのでした。

 でも、オーティスさんの声に感じるようになってからも、やっぱり曲も演奏もショボいという感想は変わらず。これだけ歌が熱いと、曲は気にしなければどうという事はないんですが、それでも演奏がね(^^;)。ブラック系のアメリカの音楽って、実は白人音楽以上に産業音楽という側面が強くて、オーティスさんの歌がどうこうとはまったく別のところで、曲を歌手に歌わせ、演奏はレコード会社が用意したミュージシャンがスタジオでサクッと演奏して、それをレコードにして黒人専用のラジオチャンネルで流すという、流れ作業で作られていたんだろうと思えてならなかったのです。60年代後半になっても、50年代のプレスリーと同じ音楽の作り方をしていたわけです。というわけで、曲も演奏もソウルよりいいものが簡単に聴けてしまう現在、ソウルの良さにたどり着くには、まずは演奏や曲のショボさには目をつぶって聴かないと、歌にたどり着く前に「これはダメだ」となりがちなのではないかと思う僕なのでした(^^;)。。


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『黒人教会の音楽 (世界民族音楽大集成88)』

Kokujinkyoukai no ongaku_88 ジェシー・ノーマンの歌ったスピリチャルが、プロが綺麗に整えた音楽としてのスピリチャルなら、この録音は実際の黒人教会での礼拝風景を聴く事が出来る実況録音盤です。マヘリア・ジャクソンのレコードですら実際の礼拝を録音したわけじゃないので、これこそ本物のスピリチャル!音楽好きな人だって、本物の黒人教会の礼拝の録音を聴いた人は少ないと思いますが、これはそれが聴けてしまうすごいCDでした!録音は1967年と71年の2回、場所はコネチカット州のポートランドにあるHolyness true vine 教会。

 このCDはトラックが2つしかないですが、礼拝の模様をそのまま録音してるので、トラックひとつで1曲ではなく、みんなで歌を歌う~信者が信仰の告白をする~切れ目なく自然発生的に合唱での歌に突入~説教(聖書の朗読?)が始まる…みたいな感じ。説教は30分ほどで、歌ってる曲も同じだし(礼拝の最初に歌う曲は違ってました。トラック1の曲は聴いた事あるけど、なんて曲だろう?)、礼拝の流れは2つのトラックとも同じです。

 さすがアフリカンアメリカンと思うのは、信仰告白に対して信者が「Yeah!」みたいな間の手を入れる時があるんですが、プロのミュージシャンでもないだろうに異常にリズムが良かった!驚いた。。信仰告白もまるで演説みたいで、ものすごい熱気とリズムを感じます。アメリカのコンサートで、ミュージシャンが何か喋って、客席が「Yeah!」「Woo!」みたいに答えるの、あるじゃないですか。ああ、あれって黒人教会の信仰告白の様式から来てるのかも、と思いました。そうやって信仰告白や説教のリズムがどんどん躍動してきて、いつの間にか大合唱の歌に突入、みたいな(^^)。歌の間も、みんなで合唱しているうしろで、「Woo~」とか、詞を使ってカウンターライン入れたりとか。これは礼拝じゃなくてコンサートだわ(^^)。

 コネチカット州はニューヨーク州のすぐ北東にある州で、都市でいうとニューヨークとボストンのちょうど中間ぐらい。かなり小さい州で、コネチカット州が20個あってもテキサス州より小さいんじゃないかな。というわけで、南部の黒人教会ではなくて東部の黒人教会。僕が聴くスピリチャルって、意外とこのへんのが多いです。だからかも知れませんが、歌唱法も曲も、けっこう黒人のポピュラー音楽に近く感じます。今までスピリチャルは少ないながらも聴いてきましたが、実際の礼拝風景を聴いたのは後にも先にもこのCDだけ。自分たちも歌って参加するコンサートのよう、これを日曜ごとにやってるのか、教会行くの最高に楽しいだろうな(^^)。これは超おススメの1枚です!


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『Jessye Norman / Spirituals』

Jessye Norman Spirituals 合衆国出身のソプラノ歌手ジェシー・ノーマンによる黒人霊歌集です。いくらジェシー・ノーマンがアフリカン・アメリカンだからと言ってクラシックのソプラノ歌手がニグロ・スピリチャルを歌うのって、クラシックの演奏家がジャズやタンゴを演奏する時のようなダメさ加減にならないのか…というのが、聴く前の不安。逆に、あの素晴らしいソプラノでスピリチャルを歌ったら、音楽として素晴らしいものになるんじゃないか、というのが聴く前の期待。この不安と期待の板挟みにあって、中古盤屋でCDを握りしめたまま10分ほど悩んだのはいい思い出(^^)。500円なんだから、そんな悩まないでパッと買えばいいのにね(^^;)。

 結果は大当たりでした!歌がうますぎる、コーラスが美しすぎる、そして音楽があったかすぎる。。アレンジも取ってつけたような安易なライトクラシックではなく、黒人霊歌を尊重したようで、無伴奏合唱、アカペラ、ピアノ伴奏などでした。さすがにアレンジが凝っていて、たとえば合唱は教会のシンプルな斉唱ではなく、何声にも分かれてカウンターラインまでつくものでしたが、音楽的にはこういう方が素晴らしいのは言うまでもなし。コーラスの匂いは、いつか紹介した南アフリカのレディスミス・ブラック・マンバーソに近い感じで、見事でした。それでもあんまり技巧に走りすぎず、黒人教会の匂いが残ってるのが良かったです。ピアノもアップライトだし、アフリカンアメリカンのルーツであるアフリカの熱さや土埃の香りがしてきそうな演奏でした。

 あくまでクラシックでスピリチャルを取りあげたというレコードで、これをスピリチャルと言ってはいけないと思いますが、スピリチャルの良さを残したまま、アレンジを難しくならない程度にちょっとだけ整理して、素晴らしい歌手が歌う事で、音楽として素晴らしいものになった1枚だと思います。もちろん曲によるんですが、スピリチャルって、みんなで生きてる喜びを歌ってるような感じがあると思いませんか?このCDを聴くと、僕はそんな気分になってきて、すごくあったかい気持ちになっちゃうのでした(^^)。


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『Marian Anderson / Spirituals』

Marian Anderson_Spirituals 黒人コントラルト歌手マリアン・アンダースンが歌った黒人霊歌集です。マリアン・アンダースンさんは黒人のクラシック歌手の先駆けだった人です。彼女がいたから、ジェシー・ノーマンとかも続いたんじゃないかと。録音は1936年から52年まで…という事は、スピリチャルの録音の中でもかなり古いんじゃないかなあ。日本タイトルは「深い川~黒人霊歌集」です。

 すべてピアノ伴奏のみ。そのピアノもアップライトっぽいし、小さな町の教会の隅にちょこんとおいてあるようなやつなんだろうな。そして…音を聴いているだけで、奴隷貿易で連れて来られて、綿花栽培なんかの労働力になっていた昔の合衆国のアフリカン・アメリカンの生活がブワーッと見えてしまうようでした。マヘリア・ジャクソンは「おお、思いっきりゴスペルの歌唱法だ!」って感じでしたが、マリアン・アンダーソンは、西洋の声楽の教育を受けた歌い方。黒人教会自体が、奴隷の暴動をおさえるための教育機関みたいな役割も背負っていたところなので、成立からしてヨーロッパ白人文化が入ってるんですよね。その中で、このCDにも入ってる「深い川」や「時には母のない子のように」とかの詩や曲が入ってくると、心が震える…。そして、22曲目「苦しみに心重く」…いやあ、スピリチャルでいきなり出てくる長7度!これはヤバい、こんなの泣いてしまうだろ…教会音楽、黒人霊歌、そしてモダン化していくアメリカン・ルーツ・ミュージックのいい所だけが詰まったような、祈りがそのまま音になったような、素晴らしい歌でした。

 同じスピリチャルでも、マリアン・アンダーソンのこの録音で聞く事の出来るものの方が、より実際の黒人教会の音楽に近く感じました。子どものころは、こういうのを「古くさい」「地味」と感じたもんですが、大人になってから聴くと、本当の歌ってこういうもんだよな、これは素晴らしい…と、心に染みてしまいました。むしろ、エンターテイメントの薄っぺらい音楽の方が、大人になる聴いてられなくなっちゃったなあ。それにしても、これはすばらしかったです。


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『Mahalia Jackson / The Essential』

Mahalia Jackson_The Essential ゴスペル・シンガーと言ったらこの人でしょう、マヘリア・ジャクソン!僕がこの人にたどり着いたのはふたつのルートがあって、ひとつは映画「真夏の夜のジャズ」、もうひとつは、オーティス・レディングとかアレサ・フランクリンとかのソウル・ミュージックから遡ってゴスペルにたどり着いた事でした。

 マヘリア・ジャクソン初体験は、若い頃に観た「真夏の夜のジャズ」。なんせエリック・ドルフィーやチコ・ハミルトンやジミー・ジュフリーが出てくるフェスティバルなので、「なんだ、歌がうまいって言われるけど、声張って叫んでるばっかりでテクニックはないし、音楽もスリーコードで死ぬほど単純だし、気合いばかりで大したもんじゃないな」なんて思ったんですよね。これって、マヘリアおばさんに限らず、多くのソウル系シンガーにも感じていたことでした。若いころに僕が歌がうまいと思っていたソウル系のシンガーは、ウイルソン・ピケットとかダニー・ハサウェイとかで、オーティス・レディングもアレサ・フランクリンもピンとこなかったんです。この認識はすぐに変わったんですけど…まあともかく、ジャクソンおばさんは、アレサ・フランクリンあたりのルーツぐらいに感じてました。

 時は流れ、友人に、ブラック・ミュージック系のバーに連れていかれました。その時、僕はもう40歳を過ぎていて、マヘリア・ジャクソンなんて名前も忘れかけていました。そこで流れてきたのが彼女が歌う「主はいずこに」。これはゴスペルというのかスピリチャルというのか…「真夏の夜のジャズ」で聴いたノリノリで絶叫するエンターテイメントなシンガーではなく、心の底から絞り出すかのような歌でした。それを聴いて、僕はあろう事かバーで泣いてしまったんです。胸に刺さった…酒が入ってたというのもあったんでしょうけど(^^;)。いつか、ニーナ・シモンの歌に心を震わせた経験を日記に書いた事がありましたが、ソウル系のアメリカ黒人ヴォーカル・ミュージックって、ツボに入ると本当に泣けてしまう。。

 スピリチャルやゴスペル以外の曲では、このCDのディスク2の9曲目「Part Ⅳ(Come Sunday)」の歌唱とアレンジが落涙もの。他の収録曲とは段違いの作曲技術、あまりに美しいアレンジと演奏、これは一体どういう楽団なんだ…と思ってクレジットを見たら、デューク・エリントン楽団でした。エンターテイメント楽団であろうとも、一流はやっぱり違いますね、ハートのあるアマチュアよりも技術力の高い流れ仕事のプロの方が見事な音楽を作ってしまう。。ジャズ、ゴスペル、ルーツミュージック、コープランド以降のアメリカ管弦楽などなど、古きよき合衆国音楽の集大成のような、素晴らしい1曲でした。ちなみに、エリントンとスピリチャルの関係はアメリカの音楽史にも大きな影響を与えていて、1965年にニューヨーク5番街でエリントンがジャズで礼拝をおこなった事があったそうです。これが大反響を呼んで、アメリカの黒人教会の礼拝の形式がどんどん自由になっていったそうです。

 ゴスペルやスピリチャルは合衆国の黒人の歌で、ちょっとブルースも混じってる感じです。ただ、より生活に密着していて、黒人専用のバーで聴くブルースと違って、詩がかなり教会音楽的。「死んだらエルサレムで祈る」とか、「主はいずこに」とか、そういう詞がズラッと並びます。「あの女、銃で撃ち殺してやる」とか「俺の視力は奪われた」なんて言うブルースとは、同じ文化にあるけど根っこにあるものが違う感じ。伴奏もオルガンだったりピアノだったり、合唱もいかにも黒人教会的だったり。人種差別からキング牧師やマルコムXへと続く合衆国の公民権運動や、小説やブルースあたりを通して知っているアメリカのアフリカン・アメリカンの歴史を少しだけ知っている僕にとって、この歌は生活に密着した彼らの祈りそのものに聴こえました。抑圧され、貧しく、信仰を革命や暴動を抑え込む道具として利用されて抑え込まれ、それでも生きていく彼らの唯一の救い、それが音楽に凝縮されているかのようでした。ソウルやゴスペルでいう所の「歌がうまい」というのは、技術だけの問題じゃなくて、心の中から絞り出す言葉が声を密着できているか、という所にあるんじゃないかと思いました。よく聴くと、後年のソウル・シンガーみたいに詞が終わった後にプラルトリラーやターンなどの装飾音を駆使する事はないんですが、そういう耳で聞くと、深いヴィブラートを、たしかにうまいと感じるようになるから不思議。技術は必要ですが、やっぱり最後はハートなんですね、歌は(^^)。

 マヘリア・ジャクソンの録音と言ったら、コロムビア(現ソニー)に残したアルバムの数々が有名だと思います。特に有名なのは「Live at Newport 1958」ですが、彼女のアルバムを全部集めようというのでないなら、コロムビア時代の名曲・名唱をCD2枚にまとめたこのオムニバスは最善の選択かも。僕はそのクチで、昔「Gospels, Spirituals & Hymns」を持ってたんですが、このCDを買った時にそれは売ってしまいました。ライブでの歌唱が秀逸ですが、それだけでなく、ゴスペルも黒人霊歌もギッチリ詰まっていて、全曲に日本語訳がついていて、文句なしのベスト盤でした(^^)。


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FC2ブログの管理画面の左上に広告が表示され(されてなくても)大事な項目がクリックできない!その対処法

 ブログに新しい日記を書こうと思って管理画面に入ると…ん?いつもは「新しい記事を書く」というところをクリックして書いてるんですが、その項目がなくなってるぞ?どういうことだ?…あら~、その項目の上に広告が重なっていて、この広告が消せなくなってる(- -*)。。で、リロードしたりブラウザを再起動したりしていたら広告はなくなったけど、今度はクリックできなくなってる(- -*)。まったくクソ野郎だぜ。ところで、こういう広告って効果あるんですかね?僕の場合、こんな嫌がらせみたいな事をされた以上、この広告では絶対に買いものしないと心に誓ったぐらいの逆効果なんですが(^^;)。。

 この広告の消し方です。僕はブラウザーをFirefox とGoogle Chrome とSafari あたりを併用してるんですが、今回トラブルに見舞われたのはFirefox でした。Firefox にはうざい広告をブロックしてくれる「Adblock Plus」というアドオンを入れてあるんですが、それはオフにしていたけど、これをいじる事でなんとかなるみたい。以下、その対処法です。

1. Adblock Plus を有効にする
2. Firefox の「アドオン」を選択→「Adblock plus」の横の「…」をクリックし「オプション」を選択→画面左の「詳細設定」を選択
3. 「自分のフィルターリストを作成して編集する」という所に、以下の記述をコピペして追加する。
「admin.blog.fc2.com,control.blog.fc2.com###ad_sidebody」

 すると…おお~クリックできるようになった!!同じ症状で困った事のある方はぜひ参考にしてね!



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『Art Ensemble of Chicago / People in Sorrow』

ArtEnsembleOfChicago_PeopleInSorrow.jpg アート・アンサンブル・オブ・シカゴでいちばん有名な作品じゃないでしょうか。4枚目のアルバムで邦題は『苦悩の人々』、1969年発表です!これは素晴らしかった、このアルバムでAEOCはブレイクスルーしたんじゃないかと!

 アルバムAB面を通じて1曲。傾向としてはドッカンバッカンいかずにアンサンブルや構造を大事にしていて、内省的な所からはじまり、展開部もあり、緩徐パートもあり、緩やかな盛り上がりもある見事な音楽でした。
 内省的なところは、最初、レコードを再生しても音がなかなか出てこないので、「あれ?ヴォリューム下げたままだったかな?」と思ったほど。徐々にグロッケンの音が聴こえてきて、コントラバスのソロが聴こえ、打楽器の音が聴こえ、4~5分たった頃になった所でトランペットとフルートの2本がテーマを奏でます。このテーマが独特の物悲しさがある上に、これまでのAEOCと違ってユニゾンやトゥッティではなく綺麗なアンサンブル。オープンパートも、「はい、ここからフリー」というのではなく、それまでに作ってきたムードやテーマを生かして発展させていました。ようやくアンサンブルに入るのはA面の最後からで、以降は盛り上がりがあり、あやしいリード楽器での緩徐楽章みたいのが挟まって、全体の構造が見事。フリージャズにありがちな力押しでなんとかしようとする無駄なパートがありません。アルバム1枚切れることなくつながる音楽なのに、ずっと惹きつけられっぱなしでした。これ、テーマだけでなく明らかに調や構造を先に作ってますが、それをフリージャズと呼ぶのはもったいない。アメリカン・ソングフォーム内で同じプログレッションを何度か繰り返してオシマイという普通のジャズとは違って、構造が完全に芸術音楽でした。いやあ、これは素晴らしい。。
 メンバー自身もこのアルバムでついに自分たちの音楽を掴んだ感触があったんじゃないでしょうか。意味深な音楽の構成と表現がついに一致した、みたいな。プレイも、「やってる事はいいけど楽器がコントロールできてないな」と思う所がなくなって、音楽に技術が追いついた感じ。特にトランペットのレスター・ボウイがめっちゃくちゃいい。ここがAEOCのブレイクスルーだったんじゃないかと。

 ところでこれも69年発表、僕はアート・アンサンブル・オブ・シカゴが大好きで、中古レコード屋で彼らのレコードを見かけるとせっせと買って聴きまくっていたもんで、AEOCのレコードをけっこう持ってるんですが、自分がデビューから4枚目まで全部持っていたとは知りませんでした。しかも、これら4枚のレコードがぜんぶ1969年に出ているという事にビックリ。狙ったわけじゃないんですが、面白そうに思った作品は初期に集中していたわけですね。そして69年の録音を聴くと、AEOCはデビューから1年で一気に音楽的に進化していったのが分かりました。シカゴで食い詰めてフランスに渡って活路を見出したそうですが、フランスに行って成功したいちばんのフリージャズのグループだったんじゃないでしょうか。フリージャズと呼ぶのがもったいないぐらいのジャズの中での数少ない大楽節を持つ音楽、間違いなく名盤だと思います!


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『Art Ensemble of Chicago / The Spiritual』

Art Ensemble of Chicago_The Spiritual これも1969年発表のアルバム、アート・アンサンブル・オブ・シカゴがFreedomレーベルに残したサードです。僕が持ってるのは日本盤のふたつ折りジャケットのLPで、表紙がオレンジ色のもの。当時のジャズのアルバムは国やらなにやらでジャケ違いが結構あって楽しいです(^^)。

 1曲目はアフリカ系の打楽器を皆で演奏しながら、ベースはラ・バンバみたい(^^;)。次はチェンバロでグリーンスリーヴスみたいなメロディを奏でるアダージョ。若い頃は、「AEOCってうまいなあ」って思ってたんですが、いま聴くと技術的には結構きわどい(^^;)…もう少し後になるとうまくなるのかな?でも、色々と意味深で思わず聞きこんでしまいました。そして、12分を過ぎたあたりではじめてまともな楽器の演奏が!レスター・ボウイのトランペットですが、おお~これはカッコいい…と思ったら、またリップ音だけ、みたいな。

 大体こんなような思索的な音楽が最後まで続く感じです。好きなのはB面の後半で、チェンバロやグロッケンやトランペットや声が入り乱れる実験音楽的な所でしたが、会話とかリップ音だけとかそういう所も結構あるので、ある意味でパフォーミングアーツのような音楽でした。全体的に内省的で思索的。若い頃の僕はザ・エンターテイメントみたいな音楽よりこういう方が好きでしたが、いま聴くと意味深なところはいいけど音楽はもう少しちゃんと作らないとダメだよな、な~んて思ったりもして(^^;)。でも独特の音楽でやっぱり好き、多少へたでも、普通のジャズやるより、こういうクリエイティブなものの方が僕は好きだなあ。有名な曲並べてリサイタルやってるだけのジャズやクラシックの人は見習ってほしい根性です。型通りのものしか理解できないようでは人間としてダメだと思うので、人生で1回は通過すべき類の音楽なんじゃないか…な~んてね。。
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プロフィール

Bach Bach

Author:Bach Bach
神戸住まい、奥さんとネコと暮らす音楽好きです。音大は卒業したのですが、成績はトホホ状態でした(*゚ー゚)

ずっとつきあってきたCDやビデオの備忘録をつけようと思い、ブログをはじめてみました。趣味で書いている程度ですが、いい音楽、いい映画、いい本などを探している方の参考にでもなれば、大変嬉しく思います(ノ^-^)ノ

最近気になってるCDとか本とか映画とか
intoxicateに載っていた1枚。「Vyacheslav Artyomov」、ロシアの作曲家は名前が読めなくってムズカシイ。。「ヴャチェスラーフ・アルチョーモフ」と読むらしいです。伝説の「フレンニコフの7人」のひとりとの事ですが、それって何かすら僕は知らず(^^;)。作風的には初期は新古典的、後に民族的な様式、十二音技法や、複調性、ミニマルなんかも用いたみたい。ロシアの前衛は強烈なものが多いので、聴いてみたいです。アマゾンで買おうと思ったらダウンロード版しかなかった(;_;)。 オスマン時代から現代までのトルコ音楽のガイド本みたいです。おおお~、これは絶対に読もう!!
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