
思いのほか長い事ブログを書いてきましたが、ソウル・ミュージックのど真ん中を取りあげた事がない事に今さら気づきました(^^;)>。というわけで、ソウルと言えばこの人、
オーティス・レディングです!これは1965年に発表されたサードアルバム、
オーティス・レディング最高傑作にして、ソウルの名盤の呼び声も高い1枚です!
な~んていいながら、若い頃の僕はソウル・ミュージックの良さがよく分かりませんでした。オーティスさんだけでなく、アレサ・フランクリンもよく分からない、サム・クックもよく分からない、とにかくソウルが分からなかったのでした。同じ黒人音楽でもブルースは心に響きまくり、あんなに好きなのに。いま思うに、
ニューソウル以前のソウルは、オケのショボさが問題だったんだと思います。同時代のアメリカ音楽だったロックと比べると、さながら演歌のようで、オケがやっつけ仕事っぽい。また、同じ黒人音楽だったブルースと比べると、それはさながら歌謡曲のようで、作家が作った曲を歌手が歌わされているように聴こえたのでした。歌だって、うまいと言われるけど、これはうまいのか?って感じでした。
それから何年か過ぎてお気に入りの漫画「
迷走王ボーダー」を読んでいたとき。主人公(この主人公おそらく漫画の作者自身の投影)が、ソウル・ミュージックに心をうたれたというくだりが出てきました。その漫画にえらく影響されていた僕は、「ああ、やっぱりソウルが良くない音楽なんじゃなくって、僕が良い部分に気づけてないのかもな」と思い、久々に再トライ!なんという事か、簡単に手のひらクルリで、今度はムッチャ良いと思いました(^^;)。いや、本当に良いと感じたんですよ。今度は何に感じたのか…唄い回しというか、声というか、要するに歌でした。
歌がうまいんじゃなくって、切実だったのです。声や歌い回しが、その人の訴えたい事そのものというか、音楽そのものだったんです。
オーティスさんの歌声は、力みます。震えます。割れます。叫びます。声が歌そのものだったんです。言葉じゃなくて、叫びとか祈りとか、感情そのもののような声に震えたのでした。ああ、ソウル・ミュージックって、こういう事なのかな…分かったなんて言う気はありませんが、少なくとも心に響いたのでした。
でも、オーティスさんの声に感じるようになってからも、やっぱり曲も演奏もショボいという感想は変わらず。これだけ歌が熱いと、曲は気にしなければどうという事はないんですが、それでも演奏がね(^^;)。ブラック系のアメリカの音楽って、実は白人音楽以上に産業音楽という側面が強くて、オーティスさんの歌がどうこうとはまったく別のところで、曲を歌手に歌わせ、演奏はレコード会社が用意したミュージシャンがスタジオでサクッと演奏して、それをレコードにして黒人専用のラジオチャンネルで流すという、流れ作業で作られていたんだろうと思えてならなかったのです。60年代後半になっても、50年代のプレスリーと同じ音楽の作り方をしていたわけです。というわけで、曲も演奏もソウルよりいいものが簡単に聴けてしまう現在、ソウルの良さにたどり着くには、まずは演奏や曲のショボさには目をつぶって聴かないと、歌にたどり着く前に「これはダメだ」となりがちなのではないかと思う僕なのでした(^^;)。。
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