
色んなピアニストの武満ピアノ作品集をとりあげておきながら、ピーター・ゼルキン演奏のものを取りあげていないとは、なんていい加減なブログなんでしょう(^^;)。
クラシックの作品の出来上がり方のパターンのひとつは、オケなりプレイヤーなり公演主催者が作曲家に委嘱するというものです。武満さんにとってピーター・ゼルキンが特別なのは、ゼルキンさんが武満さんに作曲依頼をしたからです。たしか
「閉じた眼Ⅱ」あたりはゼルキンさんの委嘱作品だったはず。ピアノはモーツァルトから現代までレパートリーがズラリと揃っている楽器なので、その状況で自腹を切って新作を委嘱するんですから、これはメッチャ意識が高い行為だし、立派な事と思います。だって、新曲ゼロで、ありものの有名曲を並べるだけのリサイタルってあるじゃないですか。古楽の特集をするとか特別な事情があれば別ですが、一定レベル以上の演奏家がリサイタルでそれをやるのはインチキだと思うんですよね。
そして、作曲家って委嘱してきたプレイヤーと色々やりとりしながら作品を完成させるのが常なので、武満さんのピアノ曲の一部には、間違いなくゼルキンさんの色が入ってるはずなのです。そういう意味で、ゼルキンさんや高橋アキさんの武満作品の演奏は、他の人の演奏とはちょっと意味合いが違うのです。
さてこのCD、録音が4回に分かれていて、場所も時代も違います。ただしホール録音はなく、すべてスタジオ録音。それでも音質や演奏に統一感があって、寄せ集めに聞こえませんでした。また、半分以上の曲が、武満さん本人立ち合いで録音したとの事で、そういう意味でも特別な録音じゃないかと。
どの曲にも共通して感じたのは、響きがあたたかく、テンポが遅め、
高橋アキさんのようなアタッキーな演奏ではなくて、タッチがソフトな事でした。ゼルキンさんのタッチのソフトさは、鍵盤をおさえる力自体はむしろ高橋さんや藤井さんより強く感じるので、指を落とす速度の問題な気がしました。結果どうなったかというと、音の混ざり方が強く、中域の膨らんだ音色になるので、余韻も温かみが増す、みたいな。一方、犠牲になっているのはアタック感で、これが武満音楽の非人間的な感触から離れた原因かも。
比較でいうと、いちばん人間的なぬくもりを感じる演奏がゼルキンさん、抜群にうまいのが高橋さん、スコアの意図を綺麗に汲み取ったのが(というか、現代的な解釈をした演奏が)
藤井さんやウッドワードさん、みたいな。ウッドワードさんと藤井さんの演奏を聴き分けるのは難しいですが、それ以外はブラインドでも演奏者を当てられるぐらいに演奏が違います。これはもう色の違いなので、どれが優れていてどれが劣っているという事ではなく、聴く人の好みじゃないかと。
クラシックのピアニストを目指し、途中で無理と断念して作曲科に移って現代音楽の勉強をした日本人の僕にとって、武満さんのピアノ曲は、演奏面から見ても作曲面から見ても、自分の求めてるものが何もかも入った音楽。好き過ぎるのです。そんなわけで、気がつくと武満さんのピアノ曲の録音をいっぱい持っていたのでした。今回武満さんのピアノ曲のCDをまとめて聴いた目的のひとつは、聴き比べて数を減らすつもりだったんですが、これだけ色が違うと決断がむずかしい(^^;)。ただ、ゼルキンさんは他の凄すぎる演奏に比べると少し見劣りするかも…いや、やっぱり捨てがたい(^^;)。それにしても、あらためて素晴らしい音楽と感じました。武満さんのピアノ曲、絶品です。