
アーケードゲームのスーパーヒット作!
「インベーダーハウス」なる今のゲームセンターの母体となった遊技場が日本中に出来たほどの社会現象を起こしたゲームでした。僕の家のそばにも、インベーダーハウスが5つありましたし、テレビのニュースでも見た記憶があるなあ。流行がピンクレディーやTVドラマ
『ゆうひが丘の総理大臣』や『西遊記』あたりと被っていた記憶がありますが、調べてみたところ、1978年の事なんですね。
徐々に地球に近づいて来る大量のインベーダーを全部倒せばクリア、敵の弾に当たれば自機が死亡。自機を3機失うか、インベーダーに地球に侵入されるかしたら、ゲームオーバー。こうやって説明せずとも、デモ画面を30秒も見ればどうやって遊ぶゲームなのか一目瞭然。その分かりやすさが、まだ小学校低学年だった僕たちにとっては魅力のひとつでした。どうやればいいかに時間がかからず、最初からどうやればクリアできるのを考えるという、いちばんゲーム的な部分に没入できたんですよね(^^)。
当時、僕にはちょっとマセた友人がいまして、彼がどこからか「
名古屋撃ちという攻略法があるらしい」とか「左から2列目を縦に倒して、そこを自分の安全地帯にして…」みたいな情報を持ってくるんです。今みたいなネット時代ならまだしも、携帯電話すらない時代。攻略本なんてものもなかったんじゃないかなあ。そんな中、子供がこういう情報を持っている事自体が、まわりからの尊敬を集めるほどのすごい事だったのです。
すごく面白いゲームだと思いました。でも、のめり込みはしなかった…というかのめり込めない状況だったのです。僕はリアルタイムではこのゲームに出会っていなくて、僕がゲーセンに行くようになったころには、
パックマンや
ギャラクシアンなど、ポスト・インベーダーとなる名作ゲームが色々出ていたんですよね。インベーダーは、面白さとしてはそれらのゲームに引けを取るとは思わなかったんですが、長く遊べないという弱点があったのです。敵が至近距離にいる状態から始まる4面になると、攻略法を知っていなければ到底クリア不能。そんなインベーダーをやるより、実力でもっと長い時間遊べるギャラクシアンなどの他のゲームをやる方を選ばざるを得なかったのです。子供だから金がなくて、3人で「ひとり一機な」なんていって、決死の覚悟で遊ぶゲームを選んでいた状態でしたから、友人たちと1秒でも長く遊べるゲームが優先されたんですよね。
僕はもう少し大きくなってからも、色んなところでインベーダーに出くわしてそのたびに遊んでいましたが、
いまだに攻略法を知らないもんで、いつまでたっても4面が自分の限界です。小学生の頃と何も変わってないな(^^;)。。そうそう、
CG的には、筐体で遊ぶ初期モデルが、惑星と宇宙の前にインベーダーが浮き出している特殊な表現がされていて(鏡に映してる!)、見ているだけで幻惑されていた子供の頃でした。そして…うあああ、なんと今ではあの鏡写しの筐体ごと買えるのか?!すごい時代になりましたね。。
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