
歌舞伎浄瑠璃と言えば、僕の中では
常磐津よりも
清元の印象を持ってるんですが、実際のところはどうなんでしょうね。
浄瑠璃の流派は豊後節から分かれていったものがいくつかありますが、順序としては
豊後節→常磐津節→富本節→清元節という順で分かれていったそうで、成立は江戸時代ですが比較的新しい流派。なお、富本は次第に新興の清元に吸収されていったそうです。
純邦楽によくある事ですが、
清元って高輪派(宗家)と梅派の2派に分裂していたと思うんですが、Wikipedia で調べてみたら、21世紀に入って和解したみたい、よかったねえ(^^)。でもって、このCDの太夫を務めている
清元志寿太夫(きよもとしづだゆう)は高輪派の家元代行を務めた人で、「戦後の清元はこの人で成立している」と言われた人。人間国宝です。
このCDに入っていた演目は「神田祭」「三千歳(みちとせ)」「三社祭」の3つ。あ~なるほど、江戸文化なんですね。編成は浄瑠璃と三味線のデュオ、浄瑠璃・三味線・三味線上調子のトリオ、さらにお囃子の入ったカルテットものの3つでした。三味線は、清元菊輔と清元正寿郎。
「三千歳」は、江戸時代ではなく明治時代に作られた清元の代表作で、男と遊女の物語。遊女が病で、男は悪事がばれて高跳びしなくてはならなくて…みたいな。「僅か別れていてさえも、一日逢わねば千日の、想いに私は…」みたいな。江戸の心中物じゃないですけど、江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎に出てくる遊女って、けっこう情が深いんですよね。男を金づるとしか思ってなさそうな現代のクラブのお姉ちゃんとなんと違う事か。
「三社祭」は、祭りの様子ではなく、ふたりの漁師が観音様を釣り上げ、善玉と悪玉に操られるというもの。
浅草の三社祭の山車に二人の漁師が飾られてるらしいですが、浅草寺ってふたりの漁師が釣り上げた観音様を祭ったのが始まりらしいです。へ~。
清元の特徴は派手で粋なことだそうですが、僕の場合、新内節や小唄端唄は粋と感じたんですが、清元は正直言ってあんまり粋とは感じませんでした。しいていえば、高い声で歌うように語る所が都会的なのかな?たしかに、義太夫節みたいな太くカッコよくというものと比較すると、粋なのかも知れません。
太夫は語り物ではあるけど長唄のような謡い物のような節回しが目立って、甲高い声で振り絞るように歌う所が「あ、なるほど歌舞伎でこういうの耳にするときあるな」という感じでした。三味線は常磐津と同じ中棹。聴いていて、薩摩琵琶と同じ手が色々と出てきたんですが、日本の琵琶楽と浄瑠璃ってどういう関係なんでしょうね。
正直に言うと、義太夫節の
豊竹山城少掾や、鶯芸者の市丸さんの小唄の三味線伴奏を聞いた時のような感動はありませんでした。でも、僕にとっての浄瑠璃のステレオタイプはまさしくこれかも。あまりに王道すぎて逆に分からなくなってるのかも知れません。なんといっても、歌舞伎浄瑠璃のメインストリームという事は、今もリアルタイムで愛好されている純邦楽の大本命でしょうからね(^^)。
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