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心に残った音楽♪

おすすめCDの紹介のほか、本や映画の感想などを (*^ー゜)v

 

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『スペイン古楽集成Ⅵ エルチェの神秘劇 El Misterio de Elche』

SpainKogakuShuusei6_El Misterio de Elche 歴史うんぬん抜きにして、冒頭の無伴奏ソプラノを聴いただけで鳥肌が止まりませんでしたスペイン南東部にある町エルチェに伝わる《エルチェの神秘劇》は、13世紀には成立していたそうで、キリスト教政権が回教徒勢からエルチェの街を奪回した記念に作られたんだそうです。

 この神秘劇は、1部と2部から構成されていましたが、1部が凄かった!なにより、第1幕の序盤20分ほどの無伴奏独唱が感動的。スペインの一都市を回教徒から奪回した記念に作られた劇だと言いますが、でもどこかにアラビア音楽的な匂いを感じるのは僕だけでしょうか。序盤は無伴奏の独唱なんですが、それがキリスト教音楽というより、イスラムのアザーンとか、ああいうものに近く感じてしまうのです。
 徐々に人数が増えていく1部の構成も見事でした。キリスト教圏のポリフォニーが聞かれるのは1幕の終盤になってからで、ここからようやくヨーロッパ古楽の雰囲気になり、満を持したかのように男声の聖歌合唱。いやあ、この劇的な構成もすごい合唱もカノン状の多声でしたが、これが13世紀に書かれたとは思えないので(だって、デュファイだって14世紀末だし…)、あとから多声化されたのかも。
 というわけで、無伴奏のキリスト教音楽とアラビア音楽をミックスして壮大な音楽叙事詩を紡いだ印象です。そういうものが素晴らしくないわけないじゃないですか。途中でいろいろ変化したでしょうが、それでも13世紀に成立したというのがうなづけるほど、旋律や無伴奏の歌唱がかもし出すムードの中に、古のスペインを感じました。やさぐれて、キリスト教世界とイスラム世界が重なって、13世紀で、争いの中で祈るしかない人々がいて…もう、そういうのが全部音に出ている感じ。

 意外に感じたのは、ハープの演奏。ほぼ無伴奏ですが部分的にハープが伴奏する曲があって、そこでのハープはアルペジオせずにストローク。こういうハープ伴奏ははじめて聴いたかも。ギター的というか、ハーモニーも含めてハワイアンみたいでビックリしました(^^)。。
 音楽の素晴らしさに比べたら大した問題ではないですが、録音が一部残念。独唱は教会のエコーが凄くて見事に美しいんですが、合唱やカノン状のポリフォニー部分はどういう訳かエコーが少なくなって、狭い部屋で録音したみたいな音になってスケールダウン。エコーがないと声も混ざらなくなって、ピッチが悪い人が目立っちゃったり。なんでこうなるんだろう、マイクの位置とかなのかな、それとも声がいっぱい重なるとエコーがマスキングされて聴こえなくなるのかな…録音って難しいですね、録音のために面白くなくなってしまうレコードって、僕はけっこういっぱい聴いてきたなあ。

 これは素晴らしかったです!僕は、若い頃はロックやポップスばかり聴いてたし、ジャズにハマればジャズに夢中、古楽にのめり込めば古楽を突き進み…みたいに、ちょっと視野が狭くなる傾向があります。ひとつのものを掘り下げる事も大事と思うんですが、でも狭いのは大きな弱点だと思うんですよね。自分が知っている世界だけに閉じこもっていたら、こういう素晴らしい音楽に一生出会えなかったはずなので、掘り下げる作業とは別に、広げるさ事って絶対大事だと思うのです。
 音楽が好きな人でも、「エルチェの神秘劇」を知っている人は日本にそう多くないと思うのですが、それは単に有名じゃないだけで、いざ聴いてしまえば感動する人は相当に多いんじゃないかと。だって、古楽、声楽、クラシック、合衆国のアーリーミュージックビル・エヴァンス、ジャーマンシンセ…こういう音楽に感激できる感性を持った人が、この音楽に感動できないなんてありえないと思うのです。そんなわけで、日本では有名じゃないかも知れないけど超オススメ、素晴らしい音楽劇でした!


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『スペイン古楽集成Ⅱ 中世宮廷の単旋律歌曲(12・13世紀)/アンダルシアにおけるアラブ系音楽(13世紀)』

SpainKogakuShuusei2.jpg スペインの古楽、僕が聴いた事のあるいちばん古いものは多分このCDです。12~13世紀というと、昔聴いたマンロウ指揮の『十字軍の音楽』と同じ頃、これはすごい。
 12~13世紀のスペインというとレコンキスタまっただ中。そんなわけで、このCDにはキリスト教側の音楽と、アラブ側の音楽の両方が入っていました。演奏は、スペイン宮廷系の音楽はグレゴリオ・パニァグァ指揮アトリウム・ムジケー古楽器合奏団。アラブ系がアフデサダク・シュカラ指揮テトゥアン・モロッコ伝統楽器合唱団によるものでした。

 宮廷側の音楽としては、トゥルバドゥールの音楽、宮廷内の単旋律歌曲、マルティン・コダス作の「ガリシアの抒情歌曲」の3種類が入ってました。
 トゥルバドールというのは中世ヨーロッパの吟遊詩人の事で、オック語(*フランスで生まれたロマンス語(俗ラテン語)のうち、南部で使われたものがオック語(ラング・ドック)。ちなみに、北部で使われたものはラング・ドイルと言って、今のフランス語に繋がってるんだそうです)で作られた歌を歌っています。トゥルバドールは北フランスのトルヴェールや、ドイツのミンネゼンガーと言った吟遊詩人のルーツにもなってると言われていて、騎士道の歌や宮廷の愛の歌なんかを歌ったんだそうです。どういうわけか、愛の歌の場合は叶わぬ恋の歌がやけに多いんですが…宮廷内の音楽なので、身分の違いなど色々あって、望んだ恋がかなう方が少なかったのかも知れません。吟遊詩人なんていうと、ちょっと俗でチープな音楽をやりそうなもんじゃないですか。ところが必要最小限の楽器と歌で、とても美しく清廉な音楽を奏でていました。いやあ、これは素晴らしい…感動しました。

 レオンの宮廷の単旋律歌曲。これは1曲しか入ってなかったですが、そもそもスペインにおけるラテン語の叙事詩自体が珍しいんだそうです。で、この曲は、「フィレンツェ写本」の中の34番として記されているもので、レオン王フェルナンド2世(12世紀の人物)の死を嘆いている内容でした。テノールの独唱で、かなり宗教歌に近く感じました。

 マルティン・コダス作の《カンティガス・で・アミーゴ》(ガリシアの抒情歌曲)。コダスは吟遊詩人。そして、この作品の発見が劇的で、14世紀の写本を製本しようとしたら、その裏張りにこの曲の詩と楽譜が書かれていたんだそうです。でもって、この曲は《聖母マリア頌歌集》と並んで、楽譜化された抒情歌曲の中で最も古いものなんだそうです。すごい。これがまた素晴らしい曲なんですが(裏紙に使われちゃったけどね^^;)、意外と楽しげな曲や俗っぽい曲も入っていて(全6曲)、この歌が女性が自分の恋人を歌った歌というところも面白かったです。それにしても考古学ってすげえ。。

 最後に、アラブ系音楽。僕はアラブ系の音楽が大好物なんですが、12世紀なんていう古いものを聴いたのは他にないかも。そして、12世紀と言っても、今のアル・アンダルース音楽とそんなに変わったように聴こえませんでした。12世紀にはもう完成形にまで来ていたという事かもしれません。いつか、Ocora原盤の『モロッコの古典音楽』というCDの感想で、ジルヤーブの事を書いた事がありましたが、まさにあれです。アル・アンダルース音楽は、レコンキスタで追い出されたアラブ系民族がスペインから持ち帰ったものも混じっているので、イベリアとアラビアが混じったような独特の音楽になるんですね、きっと。スペイン宮廷の音楽とはまったく違う音楽でしたが、やっぱり良かったです。

 私が古楽好きという事もあるんでしょうが、現代に聴いても素晴らしい音楽、特にトゥルバドゥールの音楽は現代でこれほど美しい音楽を聴くのは難しいんじゃないかというほどのもので、聴いていて鳥肌が止まりませんでした。ついでにこのCD、よく聴くと鳥のさえずりも聴こえるんですよ。なんとなく、実際の宮廷で聴いてるような気分になって良かったです(^^)。僕が持ってるのは日本盤ですが、日本盤は解説もめっちゃ詳しくて秀逸、超おススメです!


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『ラ・スパーニャ:スペイン宮廷の音楽 アムステルダム・ルッキ・スターダスト・カルテット』

La Spagna_AmesterdamLockiStardustQ ポルトガルのお隣スペインの15~16世紀ごろの宮廷音楽集です。このCDはアムステルダム・ルッキ・スターダスト・カルテットというリコーダー・カルテットの演奏。15~16世紀のスペインは器楽と声楽が混然としていた時代で、リコーダーのような小さい音(バッサbassa)の楽器で声楽を演奏する事はよくある事だったんだそうです。

 曲の前に、リコーダーカルテットの演奏が素晴らしかった!ルネサンス期のヨーロッパの空気感がブワ~っと部屋に広がるようで、ちょっと感動してしまいました(^^)。リコーダーってこんなにいい音がする楽器だったのか、アンサンブルするとまるで木管製のオルガンかというような音で、とても美しかったです(^^)。

 曲はモテトゥスが入っていたりして、スペインとはいうもののけっこうネーデルランドやローマのアルス・アンティクワ~ルネサンス音楽に近いものを感じました。僕程度のニワカでは「これ、ローマ楽派の音楽だよ」と言われたら間違いなく信じてしまいそうです(^^;)>。実際、この時代のスペインの有名な作曲家は、ローマで仕事をしていたらしいです。

 作曲家は実にたくさんでしたが、僕が名前だけでも聴いた事がある人は、ペドロ・デ・エスコバールと、ヨハネス・オケゲムだけ。あれ?オケゲムはフランドル楽派の代表的な作曲家だからフランドル地方出身じゃないのかな?スペイン宮廷に出張してた事でもあるのかな?それ以外の作曲家は名前すら聞いたことありませんでしたが、素晴らしい曲が多かった!ルネサンス期は作曲技法が確立されたものがあるし、技法に精通していれば、自動的にある程度はいい曲になってしまうのかも。

 若いころ、BBCかどこかのテレビ局が作った天文学者ケプラーの紹介番組を観た事があります。そこではルネサンス期の街並みや衣装、音楽などが再現されていたんですが、音楽のあまりの美しさに感動したんです。でも、何気なく観ていた番組だったし、また音楽はBGMでかかっていたなので、作曲者も曲名もわからず。そんな感動をした事すら忘れていましたが、このCDを聴いていたら当時の感動がブワッとよみがえってきました。ルネサンス期にヨーロッパに生きていた人って、どんな気持ちで生涯を送ったんでしょうね。音楽だけでなく、医学を見ても絵画や天文学を見ても、きっと頭がいい人たちだったんだろうなあ。。


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『ポルトガルの歌 16~17世紀のポリフォニー秘曲集 ウエルガス・アンサンブル』

Porutogaru no uta_Huelgas Ensemble 昔、クラシックってヨーロッパ全域の音楽だと思ってました。でも聴いているうちに、ヨーロッパの中にも濃淡があって、この濃淡は政治権力とリンクしてると感じ始めたんです。クラシックの中心地は、もともとはネーデルランドとイタリア、それがだんだんドイツに移っていく、みたいな。これは16~17世紀のポルトガルの音楽が収録されているCDですが、このCDを見つけた時、「そういえばポルトガルの作曲家って全然知らないぞ」と愕然としたのでした。

 このCDは、16~17世紀のポルトガルのポリフォニー音楽が収録されてます。無伴奏合唱が中心でしたが、打楽器や、リコーダーとわずかな弦楽器のアンサンブルが伴奏する曲もありました。音の印象だけをいうならルネサンス音楽。とても美しく、構造美にも優れ、それでいてどこか世俗曲的な愛くるしさもある音楽の数々で、「どうせヨーロッパの周縁地域の音楽」な~んて切り捨てる事の出来ない見事な音楽でした。このCD、大ざっぱにいうと、前半が宗教的なポリフォニー音楽で、後半が世俗的なポリフォニー音楽でした。

 ポルトガルの宗教的ポリフォニー音楽は、16~17世紀が最盛期だそうです。すごい完成度の曲のオンパレードなので、きっとそうなんだろうなと納得。その先鞭を切ったのがヴィセンテ・ルジターノだそうで、このCDにも「ああ悲しや、主よ」という曲が入ってました。これはヨーロッパ周縁どころのレベルの作曲じゃないだろ…と思ったら、ルジターノさんはイタリアで活躍して、『定旋律に関する最新にしてもっとも簡明な手引き』なんて本も出してイタリア音楽の理論家と激しく論争を繰り広げたそうです。う~んこういう音楽家を知ってしまうと、政治的に力がある地域が文化の中心になっていくのは、情報の流通の交錯点がそういう地域になるからというだけであって、決して周縁地域の人たちのレベルが低いわけではないと思ってしまいます。

 一方、世俗ポリフォニーはほとんど作者不詳。でも完成度が落ちる事なし。たしかに宗教的ポリフォニーに比べるとヴォイシングがシンプルなものもありましたが、詞の内容が宗教的でないというだけで、ものすごく深みを感じる音楽でした。なんで深みを感じるのか考えたんですが、影のある音楽なんですよね。このCDについていたライナーによると、この時代のポルトガルは国民生活が危機的な状況に陥って、神秘主義的なものが浸透し、娯楽的なものが排斥される風潮になったんだそうです。そんなわけでこのCDに入ってる世俗曲も、タイトルからして「望みは失われていき」とか「その日を誰が見られよう」とか、ものすごくダウナー(^^;)。でもそれが単純なヴォイシングだけにとどまらないサウンドを生み出していました。短3度は倍音列的には長3度みたいにすぐ出てこないので、物理的にも長調よりも短調の方が深い音になる…と思うんですが、それ以外にも6度がムッチャ綺麗。不協和音も、初期のルネサンス音楽に会ったみたいな偶発的なものではなくて「これは狙ったな」という感じなのです。う~んこれは深い。

 演奏について。古楽演奏って、「ん?これでいいのか?」みたいなものに出くわす事がたまにあるんですが、これは大名演!ウェルガス・アンサンブルはオランダ人のパウル・ファン・ネーヴェルという指揮者がスイスで結成したアンサンブル。なるほど、ルネサンス音楽の本拠地オランダの出身者はさすがだな(^^)。

 15~17世紀は大航海時代ですが、その後半となる16~17世紀となるとポルトガルって意外とヤバかったのかも。貿易はスペインに抜かれ、その他ヨーロッパに抜かれという状況。国そのものだって、スペインに併合された事もありましたよね。でも、厳しい時代の方が深い音楽が生まれるというのは世の常で、アメリカのロックもベトナム戦争前後は凄かったし、現代音楽も2次大戦直後のものはすごかった。16~17世紀のポルトガルのポリフォニー音楽は、ヨーロッパ周縁なんて言えないほどに汎ヨーロッパ的な音楽で、しかもそのレベルが高かったです。これはオススメ!!


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詩集『ヴァレリー詩集』 ポール・ヴァレリー、鈴木信太郎訳

Varerii_VreriiSishuu_SuzukiSintaro.jpg ボードレール、ランボー、マラルメの流れにあるフランス象徴派の詩人ヴァレリーの詩集です。日本語訳はボードレール『悪の華』も翻訳していた鈴木信太郎さん。という事は、このへんのフランス詩の日本語訳のスペシャリストさんなのかな?この詩集はヴァレリーの詩を日本で選んで訳出したものではなく、1929年にフランスで235部限定で出された本の全訳で、「Album De Vers Anciens」「若きパルク」「魅惑」といったヴァレリーの有名な詩集がまとめられたものでした。というわけで、これさえ読んでおけば「ヴァレリーを読んだ」と人に言っても問題ないんじゃないかと(^^)。

 読んでいて、いくつか感じる事がありました。まずは、なるほど音韻やテーマの選び方、散文の場合はその構成の仕方といったところでサンボリスムの先達の影響が強いと思ったことがひとつ。特にランボーの影響が強いと感じました。例えば、「セミラミスの歌」の一節はこんな感じ。

私は見る、新しいわが殿堂が世界の中に生まれるのを、
そして我が祈願が 運命の点の住処に座を占めるのを、
殿堂自身、波動に乗って、もうろうとした諸行為の
沸騰してゐる下を、空に昇って行くやうだ。


 ランボーの『地獄の季節』を読んだ人ならそう感じるんじゃないかと思うのですが、この詩って、もろに『地獄の季節の』の「錯乱2」と「別れ」じゃないかと思ってしましました。まず音韻が「俺は見る、~を。~を。(結句となる暗喩)だ。」と、まったくのランボー調。世間から外れた自分の理想が消化されていくテーマは、『地獄の季節』の結部と同じ。でもここで言いたいのは「盗作じゃね?」みたいな事ではなく、それぐらいにサンボリスム系統のフランス詩そのものという事です。ヴァレリーは実際にマラルメと交流があったそうですし、またサンボリストの中では後進なので、それだけに音韻や修辞法が洗練されていると感じました。そうそう、ヴァレリーって、詩の内容以上に音韻の構造化に興味があった人だったそうです。さっきの「セミラミスの歌」もそうですが、たしかに内容よりも音韻に心を動かされる事が多かったです。

 内容について。難解な表現が多いですが、思い切って要約してしまえば、ヴァレリーにとってのテーマって実は大体同じなのかな、みたいな。漠然と生きている自分に対しての不安があって、それを乗り越えたいと思ってる。でももう科学の時代に突入しているので、ロマン派が希望を託すことが出来た超自然主義な方法での解決は納得いかないので、けっこうな袋小路。そうした状況自体が詩になっている…みたいな。例えば「夕暮の豪著、破棄された詩」の一節にこんなものがあります。

おお炎えている神々の間にある鋭敏な叡知よ、
―美しすぎる空間から、俺を保護せよ、欄干よ。


 というわけで、サンボリスムが洗練を極めるとこんな感じになるのかな、みたいに感じました。象徴の行き着く先だけあって難解な表現が多く、それだからかランボーみたいに「おお、すげえ分かる、これは俺だよ、俺の本心を見事に言葉にしてくれてるよ」みたいなカタルシスにまで至る事はなく、どこか衒学的に感じました。ヴァレリー自身は文学を絶対視していた人ではなく、もっと知性全般に目配りしていないと人間の問題には迫ることが出来ないと考えていたそうです。マラルメ以上に難解、でも言語を隠喩として使いつつ、音韻の構造化を狙っているという事だけはアホな僕でも何となく感じる事が出来た詩集でした(^^)。。


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詩集『骰子一擲』 ステファヌ・マラルメ著、秋山澄夫訳

Malarume_TousiItteki.jpg 読み方は「とうしいってき」、フランス象徴派の詩人マラルメが晩年に書いた有名な詩集です。ランボーが好きだったもんでフランス近現代の詩を片っ端から読んでいた時期があるんですが、はじめてこの詩集を読んだ若い頃はアバンギャルドすぎて理解できず(^^;)。というのは、この詩集は図形詩というか視覚詩というか、詩が空間的に配置されて書かれているんですよね。でもって、そうする事にどういう意味があるのか理解できず、「なんか芸術っぽい事をやって悦に浸ってるだけじゃないの?」と穿った見方をして終わったのが若い頃(^^;)>アホダネ。でも今ならちょっとは分かるようになったかなと30年ぶりのトライです!

 ああ~なるほど、この詩集は、上から下にだけでなく、言葉が色々な方向と繋がっているようでした。たとえば 序盤にこんな記述が(真ん中の縦線はページ境)。

          |    分裂を収斂して誇らしく死ぬ  ために
秘密を握る片腕 | 高くさしあげた むくろとなって
ためらう      |

 これ、縦に読んでも横に読んでもいいんでしょうね。つまり、それぞれのフラグメンツの関係構造で全体を作っていて、音楽的な構造を作り出したかった詩なんだろうなと感じました。
 でもそうすると、読み方によって意味が変わってくることになりますが…ああ~なるほど、だから「骰子一擲」(サイコロの一投は偶然を含む、みたいな意味だそうです)というタイトルなんですね。で、ある程度の偶然性と、実際に詩人が書いた言葉の必然性のバランスの中に現実がある、みたいな。

 でもって、詩の内容。たぶんこの詩集はダダのように錯乱したことをやることそのものを目的として言葉自体に意味はないとかそうではなく、具体的に伝えたい内容があるように感じられました。例えば、終盤にこんなふたつの語群が出てきました。

精神
として 数
を嵐に投げうち
  分裂を収斂して誇らしく死ぬ ために

消え去るにあたっての
  二者いずれかへの
   遺贈

 この詩集が書かれたのはマラルメが死ぬ一年前です。「死ぬ」も「消え去る」も自分の死を言っているのでしょうが、いくつもある人の人生が「数を嵐に投げうち」で、その中の一つが選ばれた自分の人生が「分裂を収斂」なのでしょう。つまりこれは、マラルメにとっての人間というパースペクティブから見た世界像であって、その中で自己をどうとらえれば人生を「誇らしく」思うことが出来るか、という事なのではないかと。でもって、偶然だったり、ある種のゆらぎが入り込む余地があるという事は、決定論/機械論的な世界観が真実ではなく、人間の意思もこの世界ではありうる範囲で影響するのであって、この行為がどちらかに遺贈されるのだ、みたいな。

 これは言葉を使っての作曲で、同時に人間観/宇宙観の本だと思いました。ある程度の偶然性も含むし、言葉のつなぎ方や眺め方によって色々な意味が生まれてきそうなので、何度も読むと面白そうです。短いですしね。そういう言葉の響きや繋がりやレイアウトも重要になる詩集である事を考慮してのことだと思いますが、思潮社版の本はマラルメ本人によるフランス語のままのコピーも載っていました。
 でも、内容を伝えたいなら詩や文学ではなく哲学や科学として提示した方が良いだろうし、構造を示したいなら言語ではなくて音楽の方が優れているんじゃないか…と思ってしまうのは、音楽好きな僕の贔屓目かな(^^;)>。それでも誰かが一度はやらないといけない実験であって、たしかに詩の歴史の中に重要な足音を残した詩集なのだと思います。


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詩集『詩と散文』 ステファヌ・マラルメ著、松室三郎訳

Malarume_Si to Sanbun ランボーと並ぶ象徴派詩人マラルメの詩集です。タイトルだけ見るとオムニバス本のようですが、マラルメ本人がこのタイトルでこの詩集を上梓したそうです。自分の仕事が俯瞰できる1冊を作ろうとしたのかも知れませんね。松室三郎さん訳の筑摩書店版は、これに松村さんによるマラルメ詩翻訳にあたっての小論を加えた構成になっていました。

 この本のマラルメの詩の部分は、韻文詩、散文詩、エドガー・ポーの詩の仏訳(この本だとそれをさらに邦訳)、この3つで構成されていました。なるほど、マラルメの生きた19世紀フランスでは、ポーの詩の翻訳は大きな仕事だったのかも知れませんね。

 一番よいと感じたのは、第2部にまとめられていた散文詩でした。中でもいいと思ったのは、具体的な物語があるものではなく(例えば「パイプ」)、抽象度の高い詩や、詩作そのものを綴ったような散文詩でした(例えば「ヴィリエ・ド・リラダン」)。フランス散文詩は、ロートレアモンやボードレールやランボーのものなどを読んできましたが、傾向が似てますね(^^)。で、この傾向が僕はすごく好きです。そして思う事は、抽象度が上がっても良い詞として成立するんだな、という事。エズラ・パウンドが詩作について「なるべく具体的に書く」「細密に描写する」なんて言っていて、たしかに具体的に書かれた素晴らしい詩を僕はいくつも知っているもんで、それはその通りだと思ってもいるんですが、どもこうやって抽象的に書いても素晴らしい詩が出来てしまうんだな、みたいな。例えば…

私の精神が快楽を求める文学はといえば、ローマのまさに滅びようとする時期の、瀕死の詩歌であろう。尤も、その詩歌が、蛮族たちの、若返りを齎す接近をいささかも呼吸せず、またキリスト教初期散文の幼稚なラテン語をたどたどしく語ることがない、この限りでの話であるけれども。(「秋の歎き」)

 韻文詩にも好きなものがありました。日本語訳している時点で韻律の半分以上は失われてるんでしょうけど(^^;)、それでも音楽的なリズムに惹きつけられる市がいくつかありました(たとえば「あらわれ」の終止形とか)。でもって、やっぱり韻文詩の極めつけは「半獣神」

俺の懐疑も 過ぎた夜の堆積か、無数の微細な枝と成り果てて (「半獣神」)

 僕がマラルメの詩で一番好きなのはやっぱりこの詩だなあ。たしか、ドビュッシーはこの詩に感銘を受けて「牧神の午後への前奏曲」を書いたんですよね。

 というわけで韻文詩も散文詩にちょっと近く感じましたが、マラルメやランボーやボードレールのこういう散文的な詩って、何かの比喩なり暗示なりになっている(少なくとも読んでいるこちらがそう感じる)ところに魅力を感じます。あ、もちろん、その比喩なり暗示なりの対象が注目に値するものである点が重要なんでしょうが、同じ近現代でもツェランやミショーより、ランボーやマラルメが扱っている問題の方がより根源的で大きなものと思えるので、僕は好きなんですよね。戦争とか個人の神経質なエゴイスティックな苦しみや、世界の美しさやすばらしさではなくて、実存と世界の問題を扱おうとしている、みたいな。で、そこまで具象を扱わないで素晴らしい詩を書いてしまうトップ2が、僕にとってはランボーとマラルメです。この詩集、20歳ぐらいの頃から何度か読み直してきましたが、年を重ねるごとに内容が分かってきた気がして、どんどん好きになっています。大げさに言うと、若い頃は修辞法の美しさにしか感動していた気がするんですよね。というわけで、機械論とか実存主義といった西洋の近現代の哲学思想や文化潮流が分かったうえで読むと、より面白く感じられる詩集なんじゃないかと。


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『Commodores / Natural High』

Commodores Natural High ライオネル・リッチー擁するファンク色強めのソウルで、アース・ウインド・アンド・ファイアーに近いけどもっとファンクでカッコいいバンド。これが僕のコモドアーズ評なんですが、80年代になるとかなりポップになったみたいです。これは78年発表の7作目で、70年代後半のチャート系ブラック・ミュージックが各種ぎっちりつまってました。「Three Times a Lady」や「Flying High」はよく耳にした曲なので、代表アルバムなのかも。

 A面2曲目「X-Rated Movie」が、スライ&ファミリーストーンかグラハム・セントラル・ステーション並みのファンクでメッチャかっこいい!!いやー、ライオネル・リッチー在籍のバンドという事で、もっと思いっきりチャート音楽か思ってたんですが、演奏もうまいしヴォーカルもいい、これは実力はバンドだわ。。70年代後半から80年代って、ロックはけっこう「マジかよ、こんな下手なの?」ってグループがけっこういましたが、ブラック・ミュージックは下手なグループがいないです。
 でも、70年代後半のブラック・ミュージックの弱点は、あまりにも商業主義に感じるところで、このアルバムもそうでした。ファンク調もディスコ調もあれば、ソウル・バラードもあったりして、何をやらせてもうまいんですが、ぜんぶどこかで聴いたことがあるようなステレオタイプの軽音楽でした。

 若い頃の僕は、合衆国の黒人ヴォーカル音楽というと、戦前ブルースが大好きだったくせに、それ以外はなかなか馴染めませんでした。それって、振り絞るような声で歌う戦前ブルースには人の叫びや肉声に感じるものがあったけど、70年代後半あたりのブラック・ミュージックにそういうものを感じる事がなかなか出来なかったからかも。気分よく聞き流す音楽より、ディープなものが好きだったんでしょうね。でも、仕事や勉強しながらBGMに流すとか、そういう聴き方をするなら、これはなかなかノリが良くていいかも(^^)。


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『Michael Wycoff / On the Line』

Michael Wycoff On the Line マイケル・ワイコフ、1983年発表のサードアルバムです。ワイコフさんが発表したアルバムは3枚で、これがラストです。これもいいアルバム!いい曲といいアレンジが多いですが、中でも一番好きなのは「Tell Me Love」、ファンクとニューソウルを混ぜたような曲で、カーティス・メイフィールドばりのストリングス・アレンジが最高です!こういうのを聴くと、70年代後半から80年代の合衆国のポピュラーは、ブラック系が圧勝だと思ってしまう…ブラック系のチャートは、なぜか上位が超チープな曲なもんだから、こういういい作品が隠れちゃうんですよね。。

 音楽はクロスオーバー色が強く、そこにファンク、ディスコ、ニューソウル、R&Bが混ざってくる感じ。それらの曲とアレンジがいい!こう書くとスティーヴィー・ワンダーあたりとかぶって感じるかも知れませんが、もっと洗練されているというか、個人的にはスティーヴィー・ワンダーの『Talking Book』よりセンスが良いと感じてしまうほどです。
 作曲やアレンジの才能だけでなく、ヴォーカリストとしてまた素晴らしいです!バラード「So Close」の歌唱力なんて、ブラコンとか関係なしに、普通にR&Bシンガーとして素晴らしいと思ってしまいます。また、アップテンポでもミディアムでもなんでも絶妙の歌唱力、これは素晴らしいなあ。

 セカンド『Love Conquers All』を先に聴くべきでしょうが、これもやっぱり素晴らしい、どっちも聴くべきです。いや~、またしても人に教えたくない隠れた傑作を教えてしまった(^^;)。あ、そうそう、A面の前半は売りに行った感じで面白くないので、最初の数曲を聴いて「なんだ、マイケル・ジャクソンの真似か」とか「普通じゃん」と思わないように気をつけて下さいね(^^)。


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『Michael Wycoff / Love Conquers All』

Michael Wycoff Love Conquers All マイケル・ワイコフ、80年代のブラコン系ミュージシャンの中で、すごく好きな人です。元々はセッション・ピアニストで、作曲もアレンジもヴォーカルもやっちゃう生粋のミュージシャンスティーヴィー・ワンダーのアルバムにも参加していて、作る音楽はあくまでブラコン系のチャート音楽ですが、センスはいいし、細かいところまで作りこまれてるし、実に玄人ごのみなミュージシャンです。これは82年に発表したセカンド・アルバムで、ジャケットのチープさとは裏腹に内容が素晴らしく、隠れたブラコン裏名盤だと思ってます(^^)。

 このアルバム、チャート狙いっぽいディスコ調の曲で始まるんですが、決してチープじゃないです。曲はいいアレンジは見事で歌はうまい、そしてなんといってもプレイが良い!2曲目の「Looking up to you」なんて、エレピとストリングスの入ったニュー・ソウルに、ディスコ調のビートが重なって、センスの塊でした。クレジットを見ると、ヴォーカルとキーボードは本人、ギターにアル・マッケイにデヴィッド・T・ウォーカー、ドラムにジェームス・ギャッドソン…錚々たるスタジオ・ミュージシャンが並びます。これって、マイケル・ワイコフ自身がスタジオミュージシャンなので、みんな本気で協力してしてくれたって事じゃないでしょうか。神輿に担がれた人じゃなくて、こっち系ではマジもんのミュージシャンという事じゃないかと。

 どう聴いたって大名盤。不幸があったとしたら、同じ年にマイケル・ジャクソンの『Thriller』が出ちゃったんですね。それでかき消されちゃったか、またはこういう質の高いものは得てして売れないのか…なぜあんまり知られていないのかが不思議なアーティストであり、アルバムだと思います。もう、超がつくほどの大推薦なんですけど。。


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『George Duke / Gurdian of the Light』

George Duke Gurdian of the Light 1983年発表、ジョージ・デュークのアルバムです。こういうのは何というんでしょう、ブラック系のAOR?フュージョン風ブラコン?僕が知ってるいちばん近い音楽でいうと、歌をうたってる頃のジョージ・ベンソンとか、アース・ウインド・アンド・ファイアーとか、ブラザース・ジョンソンとか、マイケル・ジャクソンの「Beat It」あたり。80年代のディスコっぽいノリもあって、ブラック系のチャート・ミュージックと感じました。

 ポップな音楽なので、捉え方でけっこう評価が変わるかも。マイルス・デイヴィスのバンドにいた人として聴くと「ざけんなコラ」です(^^)。でもEW&Fとか80年代のマイケル・ジャクソンあたりのイメージで聴くと、クロスオーバーなファンクとかディスコとかR&Bのいいところ取りで「いいね~」です。後者として捉えると、かなり良く出来てるアルバムだと思いました。

 とはいえ、僕には軽すぎて、BGMとして流す以上の音楽にはなりませんでした。こういう軽いブラコン系でも、マイケル・ジャクソンの『OFF THE WALL』や『Thriller』は好きなんですけどね。あれってクインシー・ジョーンズのアレンジが好きだったのかな…。あ、そういう意味でいうと、ジョージ・デュークもクインシー・ジョーンズっぽいスタンスで音楽に関わってる人ではあると思います。あくまで音楽を商売として扱ってる感じで、ね(^^)。


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『Salif Keita / papa』

Salif Keita_papa 1999年発表のサリフ・ケイタのアルバムです。2002年の『Moffou』が、アフリカ音楽と西洋の軽音楽のハイブリッドでムッチャかっこよかったので、ブックオフでこのアルバムを数百円で見つけた時は、速攻で買いました(^^)。しかし…

 ああなんてこったい、これは西洋色が強すぎて感じました。。マリの音楽に西洋音楽をとり込んでいたらマリ音楽のモダン化と思えるんですが、西洋音楽の中にアフリカ音楽色をちょっと入れるだけだったもんで、西洋音楽の亜種に聴こえてしまいました。。
 音楽の様式や表現じたいは、どういう形式でも良ければいいと思うんですよね。でもその音楽が意味しているものはどうでもいいものじゃないと思ってしまいます。自分の音楽をよくするために西洋音楽の良いところを取り込んでフュージョンしていくならいい事だけど、西洋音楽をそっくりそのままやってしまうのは…これって、異文化衝突とはどうあるべきかという非常に重要な問題と思うんですよね。

 ただ、詞が良かったです。『Moffou』は日本盤にも訳詞がついてなかったのに、こっちはちゃんと日本語訳が出ていました。アフリカの言語だから、日本語訳がないとお手上げなんですよね。歌詞には神様や祈りや迷信の類がいっぱい出てきて、マリの世界観が分かるようでした。昔の日本でいう「バチがあたるよ」とか「いい事してると福が来るよ」みたいな詞が多かったです。まあでも、わざわざ買って聴くほどのものでもなかったかな。。


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『Salif Keita / Moffou』

Salif Keita_Moffou これは超おススメ、聴いたことのない方はぜひ聴いて欲しいです!2002年にマリ出身のミュージシャンのサリフ・ケイタが発表したアルバムです。これ、サリフ・ケイタのアルバムの中では、アコースティック色の強いアルバムなんだそうです。ちなみに、アルバムタイトルの日本語での読み方は『モフー』だそうです。

 まず、西洋の大衆音楽とマリの音楽のフュージョン具合が実に素晴らしいです!これをどう表現するかは難しいですが、マリ音楽のモダン化というのがいちばんしっくりくるかも。アフリカの打楽器を使い、アフリカ的な音楽の様式も持ち込み、でもサウンドは西洋化している、みたいな感じでしょうか。いや~これは本当にすばらしい、英米ポップスのチャートに入っても最新のサウンドで通ってしまいそう。

 そして、音楽の根ざしているものが、英米ポップスの「聴いて良いと思えればなんでもいい」というものと根本的に違うと感じました。音楽には音楽の役割があると思ってるんじゃないかなあ。マリにグリオという世襲制の吟遊詩人がいる事は前の記事で書きましたが、サリフ・ケイタのミュージシャン観も、マリの伝統に基づいているのではないかと感じます。このCDの最初に、サリフ・ケイタのメッセージが載っています。

「幸福は明日のためにあるものではありません。幸福は憶測の中に存在する物でもなく、今この瞬間にこの場所から始まるものなのです。暴力、エゴイズム、絶望をうち倒し…」

 こういう音楽観って、西アフリカやアフリカ色の強い中米の音楽に強く感じる音楽観です。

 マリはかつてのフランス領で、マリの社会自体が相当に西洋化の進んだ社会みたいなので、西洋文化を拒絶して土着文化だけを貫くことのほうが難しいんでしょうが、それで日本みたいに自文化を完全に捨てて西洋一辺倒になるのではなく、自国の文化と西洋文化をハイブリッドするこのセンスは素晴らしいの一言。これはいろんな人に聴いて欲しい素晴らしい音楽。歌詞が英語じゃないので、出来れば日本語訳のついている日本盤で聴くことをお薦め…と言いたい所なんですが、日本盤を買っても対訳はついてませんでした(T_T)。いい加減な仕事すんなよ、ユニバーサル…。。


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『ジョン・海山・ネプチューン / Tokyosphere』

JohnKaizanNeptune_Tokyosphere.jpg 1988年発表のジョン・海山・ネプチューンさんのアルバムです。今度のレーベルはビクター、インスト音楽をリリースしてくれるレーベルを探して渡り歩いているようですが、もうすぐ90年代という事はインストや芸術音楽が聴かれなくなり始めた頃。インスト系や硬派な音楽を目指すミュージシャンは大変だったはずで、ジョン海山さんほど名を売った人でも、その苦労から逃れられなかったのかも。

 『ザ・サークル』も良い音楽でしたが、これはさらに良かったです!僕が聴いたアルバムでは、88年のこのアルバムではじめて、ジョン海山さんが息と楽音のコンビネーションで作る尺八独自の表現をしてきたように感じました。海山さんの音楽を聴いていた頃、僕はまだ琴古流はおろか都山流ですらまともに聴いていなかったものでよく分かっていませんでしたが、いま聴くと「はじめて海山さんが尺八らしい表現と音を出してきたな」と感じた、みたいな。
 呼ばれたらどんなジャンルの音楽にも対応して演奏するプロ演奏家って、「ここまで来たらいちおうプロ演奏家を名乗っていい」みたいな線があると思うんです。ピアノなら、楽譜初見OK、リードシートみてのアドリブOK、モードOK、表現OK、曲中でタッチとデュナーミクで起承転結をつけた構成OK、ぐらいのところまでくれば、いちおうプロと名乗って仕事を受けてもいい、みたいな。逆に言うと、ここまで出来ないとプロを名乗るのは危険すぎる、現場に行って大恥かく可能性あり、みたいな。そういう意味で、それまでは表現は音の並びだけと勘違いしていてもオッケーだったクロスオーバーの範囲だった海山さんが、ついにレベルに来たな、みたいな。言うのは簡単ですが、最近の藤〇〇山さんの演奏なんかを聴くにつけ、尺八でここに到達するのって大変なことだと思います。他流試合で相手の土俵に上がって勝負できるようになるレベルを要求されているようなものですもんね。

 ただ、純粋な芸術音楽かというとそこまでは届いていない感じで、「売れたい!」みたいな気持ちがそうさせるのか、音楽面でガキっぽいところが残っているとは感じました。デイヴ・ブルーベックのテイク・ファイブを尺八で吹き始めたりね (^^;)。。たぶん、もうやろうと思えば、気力さえあればそういう音楽を作れる技術はある所まで来ているんでしょうね。あとはそういう音楽に挑む視点に来ているかどうか、みたいな。
 実際この後、海山さんはもっといい音楽を作って、新作が出るたびに純音楽としての価値を高めていったように感じるので、来ていたんだと思います。でも海山さんの話はずいぶん長くなったので、その先の話はまたいつか(^^)。


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『ジョン・海山・ネプチューン / ザ・サークル』

JohnKaizanNeptune_Circle.jpg 1985年に尺八奏者ジョン・海山・ネプチューンさんが発表したアルバムです。東芝系のレーベルを離れて以降も海山さんは定期的にアルバムを発表していましたが、アルバムごとにレコード会社が変わるのでショット契約だったんでしょうね。このレコードのリリース元はDENON。DENON はもともとオーディオ機器メーカーだし、それを生かして高音質のクラシックや純邦楽の録音にも取り組んでいたので、音楽面でいえばいい選択だったのではないかと思います。

 これまで、海山さんのアルバムであまりいいことを書いてこなかったですが、それでもなんで海山さんのアルバムをあんなに買っていたかというと、はじめて僕が聴いた海山さんのアルバムはこれで、すごく良いと思ったからでした。海山さんがまじめに作曲や表現力ある演奏に取り組んだアルバムなのです。
 もう、制作への意気込みや準備からして81年までとは段違い、箏やタブラを使うセンスもそうですが、ミュージシャンがちゃんとリハして煮詰めてから録音に臨んだようで、本人も参加ミュージシャンも演奏表現が東芝時代とは雲泥の差。曲も西洋ポピュラーのソングフォーム一辺倒から離れ、色んな楽式を使うようになってました。これがはじめて聴いた高校生の時に「カッコいい!」と感じたんです!いま聴くと作曲はそこまで凄いものでもなかったし、演奏はあいかわらずフルートみたいな吹き方をしてましたが(ここは80年代の都山流なら仕方ないのかな?)、それでも音楽に向かっていく姿勢や、やろうとしている事には感銘を受けました!

 人生万事塞翁が馬。大資本のレコード会社と切れたのは経済的には痛手だったかも知れませんが、それで必要以上にセールスを気にせず音楽に向き合えるようになったかも知れません。逆の道をたどる人もいるわけで、チック・コリアなんて売れる前に小さなレーベルでコツコツやっていた時の方がだんぜん良い音楽をやっていたけど、RTF で売れて以降はエンターテイメントな人になっちゃったわけだし、それを考えたら海山さんの徐々に登って行く生き方の方が音楽家として正しい道筋を歩いている気がしました。ポピュラー音楽の職業演奏家ではない、アーティストとしてのジョン・海山・ネプチューンの歩みはようやくここから始まったのではないかと思っています。


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『John Kaizan Neptune / West of somewhere』

John Kaizan Neptune West of somewhere アルバム『将軍』と同じ81年発表の、尺八奏者ジョン・海山・ネプチューンさんのアルバムです。レーベルはマイルストーン。マイルストーンは60年代にリバーサイド・レコードを創設したオリン・キープニュースがニューヨークで設立したジャズ/フュージョン系のレーベルです。とはいえこのレコードのプロデューサーが日本人なので、東芝の息がかかった制作なんだと思いますけど(^^;)。ミュージシャンは日米混成、キーボードにケニー・カークランド、ギターにコーネル・デュプリー、ベースにバスター・ウィリアムスなんていう名前もありました。今までの東芝制作のアルバムとの差は、作編曲の多くが海山さん本人という点で、つまりこのアルバムで80年あたりに海山さんが考えていることが理解できた気がしました。

 女性ヴォーカル入りのクロスオーヴァーと、ジャズフュージョン寄りのアドリブ・セッションが大半でした。あまり考えずに聞いていると、ジョン海山さんじゃなくてフルートのリーダーアルバムに聴こえてしまうほど。セッションという事もあってか、どの人もあまり表現しにいかず、とにかく小ぎれいに爽やかにまとめるので、クロスオーヴァーどころかイージーリスニングに聴こえる瞬間も少なからずあったりして。

 このアルバムを聴いて、海山さん自身がクロスオーヴァーをやりたかった人で、尺八は音色面で魅せられたぐらいのものだったのではないかと感じました。というわけで、日本で売れていた頃のジョン・海山・ネプチューンさんのレコードはどれも産業音楽な軽いクロスオーヴァー。海山さんのドキュメンタリー映画の中で、「尺八の腕はナンバーワンだったのに外人だから一等を与えられなかった」なんてナレーションがまるでそれが事実かのように語っていましたが、それはあまりに海山さんびいきな意見。これだけ表現が薄いと表現8割みたいな尺八の世界で一等をもらえなくて普通と思ってしまいました。81年の時点では音楽の捉え方がフュージョン程度だったんですね、きっと。邦楽的な色を除外したにしても、デュナーミク、インターバル、アゴーギクなど、表現というものが演奏の中に感じられませんでした。

 ところがこれで終わらなかったのが海山さん。このアルバム以降に東芝はジョン海山さんと契約を切るのですが、そこからのジョン海山さんの音楽が素晴らしくて…その話はまた次回!

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『ジョン・海山・ネプチューン&無量 / 将軍』

JohnKaizanNeptune_Shogun.jpg  81年発表、ジョン・海山・ネプチューンの4枚目のアルバムです。路線は前作『バンブー』と同じで、クロスオーヴァー路線でした。

 尺八とか深い音楽だとか思って聴くからいけない、これはクロスオーヴァーの軽音楽を聴くと思って聴けばいいのではないかと前作で学んだので、最初からそのつもりで聴いたら…おおーなんか懐かしい、クロスオーヴァー調のエレピ、「探偵物語」や「西部警察」を思わせる刑事ドラマ調のブラス・セクションのサウンドとアレンジ…80年代初頭の日本の音楽シーンをそのまま聴いている気分でした(^^)。
 特に良かったのが、エレガットのギター演奏でした。これはギターのアルバムではないかと思ったほど。誰だこのギターは、なかなかいい演奏じゃないかと思ってクレジットを見たところ演奏は直居隆雄さん…つまりこのアルバムのアレンジャーでした。せっかくもらったチャンスだし、海山さんを立てるなんてお人好しな事せず、自分を売り込みに行きたくなるのは分かるなあ(^^)。

 それにしても、部分的に琴を挟んだりしてくるんですが(これはアルバム『バンブー』も同じ)、これが西洋音楽のフォーマットの上で楽器を邦楽器に入れ替えただけで、ものすごく薄っぺらかったです。楽器法とか、それぞれの楽器が持っている歴史とか、そういうのを一切無視して自分たちの価値観だけ押しつけてくる薄っぺらさがワールドミュージック系のクロスオーヴァーには多いんですよね。こういう所にこのアルバムの色んなものが出てしまっていて、要するにどこまで素晴らしいアレンジを施そうがいい演奏を止揚が、やってることが産業音楽なんだな、みたいな。

 前作『バンブー』が大ヒットしたので2匹目のどじょうを狙いに来たんでしょう。レーベルが大手レコード会社の東芝の社内レーベルEXPRESSなので、そりゃそういう考え方をしますよね。産業クロスオーヴァーと思って聴けば完成度も高いしこれはこれで楽しかったですが、わざわざ日本まで来て尺八の修行に励んだジョン海山さんは、本当にこういう産業優先な音楽をやりたかったんでしょうか…その答えの半分は、同年発表の別のアルバムで分かった気がしました。その話はまた次回!

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『ジョン・海山・ネプチューン with 荒川バンド / バンブー』

JohnKaizanNeptune_Bamboo.jpg 80年発表、カリフォルニア出身の都山流尺八奏者・ジョン海山ネプチューンさんのサードアルバムです。79年デビューで80年に早くもサードアルバム発表、81年までに6枚のアルバムを出してしまうのだから、デビューしてすぐの大ブレイクだったんですね(^^)。。ちなみにこのアルバム、文化庁芸術祭優秀賞というものを獲得したそうです。

 音楽は完全にクロスオーヴァー/フュージョンでした。そこに本当にちょっとだけ(尺八や琵琶が使われているというだけですが^^;)純邦楽が混ぜてあって、そんなわけで近いところでいえば、大野雄二さんが音楽を担当した映画『犬神家の一族』と同じ、みたいな。純邦楽が混ぜてあると言っても、4曲目「源氏」の無伴奏アドリブのパートでちょっとだけ尺八らしいゆりが出てくる以外は尺八の楽器特性なんてほぼ無視なので、尺八にサックスの代用以上の意味はないと感じてしまいました。カラオケ状態のオケトラックを作ってあとから尺八をダビングしたような完全に産業音楽仕様でしたしね(^^;)。

 というわけで、このアルバムの海山さんは担がれた神輿、音楽のイニシアチブは完全に荒川バンドが握っていました。荒川バンドは、サキソフォニストの荒川達彦さんをバンマスにしたジャズ/フュージョン系のバンドで、いつか紹介した松田優作主演映画『野獣死すべし』でも演奏してました…なるほど、ここで大野雄二さんの音楽と繋がるわけか。。その荒川バンドのブラスアレンジを含めたスコアが入魂の完成度!演奏も見事で、タイトなドラムも音楽のサウンドイメージを決定づけているジャズ・フュージョン調のエレピも見事!でした。これは荒川バンドのレコードですね。。

 このレコードのリリース元はファー・イースト。東芝の社内レーベルで、日本人ジャズを扱っていて、佐藤允彦さんや山下洋輔さんのアルバムをリリースしていました。というわけで、レーベルもやっぱりジョン海山ネプチューンさんの音楽をクロスオーヴァ―/フュージョンと見ていたんでしょうね。日本の大資本レコード会社が作ったジャズアルバムに面白いものなし、文化庁芸術祭優秀賞という響きから硬派でディープな尺八の音楽や演奏を期待すると肩透かしを食うこと必至。でも荒川バンドの作ったポップなクロスオーヴァーとして聴けばよく出来たアルバムと思いました。

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『ハイドン:弦楽四重奏曲《十字架上の7つの言葉》 ボロディン四重奏団』

Haydn Seven Last Words borodin quartet ひとつ前の記事で書いたハイドンの弦カル76~78番は「エルデーディ四重奏曲」なんて呼ばれる6曲セットの弦楽四重奏曲の一部ですが、この「十字架上の7つの言葉」は、ハイドン弦楽四重奏の50番で、弦楽四重奏曲の革命作「ロシア四重奏曲」と、傑作「エルデーディ四重奏曲」のちょうど中間。僕はこの管弦楽版を聴いた事があるんですが(でも内容を全然覚えてない^^;)、エルデーディ四重奏曲に感動した勢いに乗って弦カル版も聴いてみよう、そうしよう。

 ハイドンの「十字架上の7つの言葉」には、他にオラトリオ版もあるんですね。すべてハイドン自身の編曲なので、本人も気に入っていた曲なんじゃないかと。そして聴いてみたところ…弦楽四重奏では異例の7楽章制(実際には最後に「地震」という楽章があって8つ)、終曲を除いて他は全部ソナタ、テンポはラルゴ、グラーヴェ、グラーヴェ、ラルゴ…遅い曲ばっかりでした。宗教曲だからこういう異例づくめの事になったのかな?また、管弦楽曲のアレンジものだからか、ピアノ三重奏曲26番や弦カル76番みたいな絶妙なアンサンブルでもありませんでした。
 アンサンブルついでに演奏について書くと、ロシアのボロディン四重奏団の演奏は、かみしめるようにゆったり。歌うというより、鋭くビシッと合わせる感じ。そのビシッと言う感触は、録音にも理由があるのかも。実音が強くて、かつスタジオ録音なのか、残響がデジタルリヴァーブ(^^;)。う~んこれはクラシック録音としてどうなのか…93年録音か、たしかにあの頃こういう録音多かったなあ。綺麗な音といえばそうなのかも知れないけど、クラシックもポップスにつられるように、ライブと録音が別ものになりはじめていた頃です。

 というわけで、純音楽という側面はかなり後退していて、十字架上でキリストが言ったと伝えられる7つの言葉と音楽の関係が重要なんじゃないかと思いました。というのは、この曲から音だけを取り出して楽しもうとすると、すべてが遅い曲で、しかもマイナー調にして緊張感を出すという事も、楽式を多彩にして聴衆をひきつけるという事もしていないので、だれて聴こえてしまったんです。でもそういう聴き方自体が間違っていて、本当は、7つの言葉のひとつ目「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(うちにある新約聖書刊行会の「新約聖書」のルカ伝23章)という言葉をかみしめながらソナタⅠを聴く、みたいに作られた音楽だと思うんです。だからきっと十字架上の7つの言葉が分かっているキリスト教圏の人には、まったく違って聞こえるんでしょうね。キリスト教のニュアンスが分からない僕には、文化の壁を感じた音楽でした(^^;)。もう少しキリスト教のテキストを理解出来てから再チャレンジしたい音楽でしたが、そんな日は来ない気がします。人生って短いなあ。。


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『ハイドン:弦楽四重奏曲 76番《五度》、77番《皇帝》、78番《日の出》 アルバン・ベルク四重奏団』

Haydn_StQ 76 77 78_AlbanBergQ ハイドンのピアノ三重奏曲に続いて、伝説の弦楽四重奏曲に挑戦!いや~ハイドンの室内楽がこんなに良いなんて知りませんでした。なんで今まで知らなかったんだろう、食わず嫌いや自分の好き嫌いだけで音楽を簡単に片付けちゃうから損をしちゃうんだな。分からない時も「どこか自分に理解できてないところがあるんだろう」ぐらいの謙虚な気持ちがないと、いつまでたっても狭い自分の檻の外には出られないと痛感。自分の好き嫌いなんて、単に自分が分かってないだけの事が多いんでしょうし(^^;)。

 ハイドンは弦楽四重奏曲を83曲(!)書いてますが、そのうちの75~80番の6曲はエルデーディ四重奏曲と呼ばれて、傑作の呼び声高いそうですが、いやあこんなに見事な構造美を持つ作品だったとは。。常に何かと何かが関係づけられているドイツ音楽の横のつながりの見事さを体験させられました。ハイドンの交響曲や弦楽四重奏曲って、この後モーツァルトベートーヴェンと続くソナタ形式の基礎を確立したなんて言われてますが、なるほどです。ソナタって始まって終わるという音楽の形を、もっとも美しいフォルムとして表現できる形式なのかも知れませんね。展開して再現部を作るという大きな構造は、人間があとづけしたものじゃなくって、始まりがあって終わりがあるという人間の根本的な欲求にも合ってれば、再現部や変形が出る事でそれ以前のとの形式的なつながりに強いつながりを持たせられるという感じなのかも。

 音楽って言葉に似てる所があって、ある所から先の音楽になると、音楽という言葉が分からないと理解できないんでしょうね。4~5分で何度も同じフレーズを繰り返す単純なロックやポップスだったらそんなのは知らなくても楽しめるけど、もう少し複雑で高度なものになると、聴くだけでもけっこう知的な作業。ラテン文学の素晴らしさに触たければ最初にスペイン語を勉強しないといけないように、音楽もある程度以上のものを聴こうと思ったら、多少は音楽という言語の勉強をしないと理解が難しい…みたいな。僕の場合、それが少し分かった気がした先からが本当の喜びの始まりでした。「ああ、これが本当の音楽だな」みたいな。21世紀にハイドンを聴いて、印象だけ聴いていいと思うなんて事はまずないと思うんですが、構造を追う事さえ出来ればそれは相当に素晴らしいものと感じるんだなあ…と。でも、それって、ソナタやロンドといった楽式を知ってなかっら厳しかった気がします。

 ハイドンの弦楽四重奏、いいと言ってもベートーヴェンの後期四重奏曲には届かないだろうと思ってましたが、そういう問題ではありませんでした(^^)。僕はウィーン古典派の貴族趣味な舞踏会か会食会のBGMみたいな雰囲気は今でも苦手ですが、ハイドンのピアノ三重奏曲や弦楽四重奏曲は、そんな所よりも古典派言語で編まれた構造の見事さに舌を巻きました。それに、ここが分からないと、ロマン派はともかく新古典派や現代曲の理解なんてとうてい無理ですしね。ソナタ形式という音楽言語を分かりやすく理解させてくれて、素晴らしい西洋音楽の世界の入り口になってくれそうでもある見事な作品と感じました。これはおすすめです!


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『ハイドン:ピアノ三重奏曲 第12, 26, 28, 30番 シフ(p)、塩川悠子(vn)、ペルガメンシコフ(vcl)』

Haydn_PianoTrio 12 26 28 30_Schiff ハイドンの交響曲に何度も挫折した僕ですが、縁あってこんなCDが家に舞い込んできました。さて、室内楽はどうか…おお、最近モーツァルトばかり聴いていたからか、メッチャいい!いや~40代後半になって初めてハイドンを良いと思いました(^^)。。

 ハイドンは18世紀から19世紀初頭に活躍した人で、時代はチェンバロからピアノへの過渡期です。ハイドンのピアノ三重奏曲は、11番まではチェンバロを意識して書いていたけど、12番からはピアノを意識したそうで、このCDもチェンバロでなくピアノで演奏しています。ピアノ3重奏曲は、ピアノ、ヴァイオリン、チェロの三重奏の事ですが、ハイドンの頃はこの三者が対等というわけではなく、ピアノがメインで、他のふたりはピアノに対メロを当てたり、追奏したり、バスを補強したりという感じ。しかしそれでもヴァイオリンとチェロが抜けたり入ったりしながらの三者のアンサンブルが実に見事!ついでに、主役がピアノから動かないので、複雑に絡んでいる割には構造が分かりやすいです。このCDに入ってる曲はほとんどが3楽章形式でした。

 12番ホ短調、これはどの楽章も素晴らしい!1楽章の1主題こそ古典派の短調曲というムードですが、全体は長調的。2楽章は緩徐楽章でアンダンテのワルツ。3楽章のロンドは、最高にワクワクする感じです。全体として古典派の曲想ガチガチですが、しかしアンサンブルが見事で聞き惚れてしまいました。この12番が素晴らしくって3回も4回も聴いてしまい、先に進めません(^^;).

 26番嬰へ短調、第1楽章の主題が美しい、いいメロディだなあ。そしてこれは変奏曲。僕が持っている楽譜だと、主題2回、変奏2回演奏するのですが、このCDは主題2回変奏1回の演奏です。たしかにこの方がまとまりがいいかも。2楽章は12番と同じように緩徐楽章、これも効果抜群です、うっとりしてしまう(^^)。3楽章はモチーフをひたすら使い倒す感じ…なのかな?アナリーゼ出来ませんでした、今度ちゃんとアナリーゼしてみよう(^ㇿ^;)。

 28番ホ長調、このへんまで来るとけっこう色彩感というか、構造だけではないところにも意識が向き始めたのかな?って感じがしました。第3楽章は拡大ロンドかな?

 演奏は文句なしです!いや~3者のアンサンブルのシンクロ率がヤバいです、クールすぎずエスプレッシーヴォすぎず、絶妙の品格という感じ。そして、さすがにシフは良いですねえ。元々はシフを信頼していたからこのCDを聴いたんですけどね。

 録音は…なんというんでしょうか、すごく残響が多く録音されてるんですが、これだけワンワン鳴ったらそれだけで邪魔でうるさいと感じそうなもんですが、そういう事がなくて、むしろものすごく心地よく感じます。このCDの裏に、「This recording was made using B & W Loudspeakers」なんて書いてありました。僕はB&Wのスピーカーを持ってないので制作者の意図通りの音で聴く事は出来ませんが、要するに「ちゃんといいスピーカーで聴いてね、ヘッドフォンやチャチなスピーカーで聴いても意味ないよ、そういうレコーディングじゃないから」という事なんじゃないかと。いやあ、プロの録音の世界ってすごいです。
 というわけで、緻密なアンサンブル、それでいて耳に難しく感じる事がなく優雅とすら感じてしまう凄さ。素晴らしい音楽と演奏、録音でした!個人的には12番と26番が好きかな?いや~ハイドンは交響曲作曲家と勝手に思い込んでましたが、室内楽曲がこれほどいいとは思いませんでした。このCDを聴いてなかったら知らないまま死んじゃうところでした、あぶなかった。。


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書籍『アントニオ猪木の証明』 木村光一

Antonio Inoki no Shoumei アントニオ猪木関連の本、これも素晴らしかったです!猪木関連の本で僕が人に推薦するなら、これと『1976年のアントニオ猪木』の2冊です。プロレス好きのライターさんが猪木さんにトピックごとの質問していく形で話が進んでいく作りでした。トピックのほとんどは猪木の対戦相手レスラーなんですが、「新日本旗揚げ」「異種格闘技との出会い」みたいに、レスラーがトピックでないものもありました。

 最初に「へえっ」と思ったのは、質問者の木村さんが、猪木さんをプロレスラーというよりも、リアルファイトを戦う技術を持った格闘家として見ている所。それもあってか、インタビュー内容の多くが異種格闘技戦がらみだったり、猪木が身につけてきた格闘技術への質問が多くて、ここが良かったです。こういう質問って、猪木さんや佐山さんには出来そうだけど、鶴田や馬場や長州には出来なそうですものね。。僕はまったくのシロウトですが、猪木さんって格闘家として一定以上の水準にある人なんだろな、と思わせる発言も色々ありました。

 例えば、構えについて。「最近のレスラーは立ってる時の構えがノーガードだけど、ビル・ロビンソンみたいな基礎もあればリアルファイトも戦ってきた昔のレスラーは、脇をしめて、脇のところの隙間をどれだけ小さくするかを意識してた」、みたいな。ウイリー・ウイリアムス評は、もちろん強かったけど未完成ったという評価で、理由はバランス。人間には「丹田」と呼ばれる重心の中心がお腹のあたりに来て、ここを中心に身体意識を…みたいな。
 音楽でいえば、とんでもないピアノの達人が、技術的な質問に対して「肘に重心があって、それを重力で落とすように…」みたいに答えるときがあります。そういう達人の発言にそっくりなんですよね。だから、もうそういう領域にいた人なんだろうな、みたいな。だいたい日プロの道場で、最後には力道山ですら猪木に敵わなくなっていたと言いますし、北沢さんは「ある程度強くなった後のセメントで僕が関節を決められたのは猪木さんだけ。あの人は恐ろしく強い」と発言していましたし。日プロ~新日時代の格闘技のレベルがどれぐらいであったのかは別にして、アマレスや力士や柔道家が集まっていた日本のプロレスという世界でトップに立った事は間違いないな、みたいな。

Inoki vs Gotch もうひとつ面白かったのは、人生訓になるような金言の多さです。猪木さんはプロレスの技術的な職人であるだけでなく、組織の長でもあり、いろんな災難にも巻き込まれ、歴史的なイベントを仕掛け…と、普通の人なら一生体験しないような事を大量に経験した人。その並々ならない経験から得た金言が素晴らしかったです。
 僕がこの本でいちばん印象に残っているのが、猪木の師匠のひとりカール・ゴッチに対する猪木評。「プロレスはこうあるべきである」という哲学や技術を教わったのがゴッチだったとする一方、「ゴッチは常に批判する側に立っていて、与える側に立ってない」というんですよ。いやあ、このひと言から色んなものを教わったなあ。。
 長州力に関する発言も含蓄がありました。「長州はトップレベルに登りつめた男だよね。なんでもそうなんだけど、あるレベル以上に立った人間は怖さも知ってるんですよ」。自分を裏切って猪木が力道山の日本プロレスから追放される原因になった上田馬之助にたいする発言も素晴らしかったです。「私憤というのは、全体からながめて判断すると、そういう個人的なものは消えてしまう」。これが上に立つ人の器量というものなんでしょう。これも心に残ってます。

 というわけで、プロレスといって馬鹿に出来ない、大変な時代を渡って、業界のトップにまで駆け上がり、そこからどん底まで転落した人が至った見解は学ぶものが多くありました。まあ、ここに書いた事だけでなく、猪木の名勝負と言われるものの裏側が色々語られている所もメッチャ面白いんですけどね(^^)。


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書籍『1976年のアントニオ猪木』 柳澤健・著

19786nen no AntonioInoki プロレスのドキュメントとして最高に面白かった本です!猪木が現役時代に戦った3試合のセメント・マッチ(ヤラセではない真剣勝負の試合)の背景を、きちんと取材して書いてありました。子どもの頃はプロレス雑誌の脚色された情報を鵜呑みにしていたもんで、「ああ、本当はそういう事だったんだ」と腑に落ちて本当に面白かったです(^^)。

 最初に、セメントに至るまでの猪木の心情の経緯が書いてありました。簡単に言うと、全日本プロレスの様々な妨害に対して、猪木(=新日本)の対抗策が「俺たちは本物で、本当に強い」という事を標榜する策に出たという事みたいです。猪木のこうした反骨精神は日プロ時代からあって、知名度で勝てないなら実力でナンバーワンになろうと、メインイベンターになってからも若手に交じってゴッチの下で真剣にレスリング技術の習得に没頭していたそうです。Numberというスポーツ誌に掲載されたゴッチの証言「将来性のあるのは猪木だけだとすぐに分かった(中略)猪木に『もうやめろ』と言っても、倒れるまでやめない。明日という日がないみたいにやるんだから、こっちは参ってしまうよ」という言葉が引用されてました。実際に、日プロの道場ナンバーワンは猪木だったそうですね。日本プロレスと言えば関取出身が大量にいて、他にも柔道日本一の坂口やアマレス強豪マサ斉藤までいたのに、その中で道場ナンバーワン取ったんだから凄いです。で、馬場の妨害をはねのけるために猪木がやった事は、努力以外にもプロモーターとして凄くて、悪訳レスラーのシンに実際に街中で自分を襲わせて社会事件として報道させ、その決着をリングでつけるという事までやってしまう狂気ぶり。猪木が社会現象になったのもうなづけます。

Inoki vs Luska 以降は、柔道重量級世界一となったウイリエム・ルスカ戦、ボクシング現役ヘビー級チャンピオンのアリ戦、韓国プロレスのパク・ソンナン戦、パキスタンのアクラム・ペールワン戦について、それぞれが1章を使う形で書いてありました。対戦相手の状況や試合のアングルが細かく書いてあって、これは読み物として最高に楽しかったです。ルスカなんて、当時総合格闘技があったらと思わずにはいられない逸材に思えました。スタミナがなく、柔道に心酔しすぎて他のものを吸収するのをはねつけていたらしいので、そこさえ克服したら本当にすごかったんでしょうね。でも実力を発揮する場所がなく、柔道世界一になっても娼婦のひもだったルスカには仕事が来なくて、それで猪木との戦いに挑んだらしいです。

Inoki vs Ali モハメッド・アリ戦。アリは素晴らしい人でした。この本によると、アリは台本ありのプロレスやるつもりで来たのに、猪木にシュートマッチを仕掛けられ、それが分かっていてもリングにあがったそうです。猪木が寝たまま蹴るアリ・キックに徹したのは、ルール上立ったまま蹴る事が禁止で、足払いはOKという事だったからで、あれは足払いという事らしいです。で、猪木不利のルールだったという事はまったくなく、まだ異種格闘技の公平なルールがどういうものか模索状態だった時期のルールにしては、「ボクサーは殴って勝て、レスラーは組んで勝て」という比較的公平なものだったそうです。アリが殴る間合いに入らなかったのも、猪木が組みつきに行けなかったのも、真剣勝負だったからどちらも怖くて踏み込めなかった、というのが真相みたいです。それにしても猪木、アリにマジで勝てるつもりだったんですかね(^^;)。いくらなんでもボクシングの現役ヘビー級チャンピオンに挑戦とか、死ぬ気かよと思ってしまいます。

 パク・ソンナン戦は、韓国側プロモーターの思惑が外れ、猪木が敗戦を拒否した事からシュートマッチに発展したとの事。パクはあくまでアメリカン・プロレスなショーレスラーだったので猪木の前で何もできず、フェイスロックで歯が唇を突き破り、目に指を入れられ、リンチ同然であっという間に終了。いま、ビデオで見る事の出来る猪木vsパク戦はこの試合じゃなくて翌日の試合だそうです。パクさんがすげえビビってるのが分かるビデオですが、前日に目に指突っ込まれたんだったらそれも仕方ないですね。猪木こわい。

Inoki vs AclumPaleOne ペールワン戦。格闘家としての猪木の株をあげた有名な試合ですが、これはアリ戦の逆で、プロレスをしに行ったらシュートマッチを仕掛けられたんだそうです。因果応報ですな(^^;)。ペールワンの誤算は猪木をショーレスラーだと思っていた事で、いざシュートを仕掛けたら猪木はゴッチなどから教わった危険な技をいっぱい持っているシュートレスラーだった、みたいな。どちらも打撃技がないグラップラーなので、アリ戦と違って試合がかみ合ったんでしょうね。1ラウンドですでに猪木がダブルリストロックで勝負を決めていますが、猪木は確実な勝ち方を選んで無理に勝負に行かなかったそうです。ビデオを観ると自分から外しているので、まだ本当にセメントなのかどうか疑心暗鬼みたいに見えました。でも、2ラウンド以降は完全に相手を仕留めに行っていて、マウントを取ったりバックをから押さえたりしながら相手の急所にくるぶしを押し当ててスタミナをロスさせ、ラウンドが進んだ所で目に指を突っ込み、最後にダブルリストロックからアームロックという猪木の必殺パターンでペールワンの腕を粉砕して試合終了。ヴォルク・ハンやルーテーズや猪木の試合を見てると、ダブルリストロックって、相手の指を捻って入ると防ぐのは相当に難しい技に見えます。つまり、ダブルリストロックの使い手に対して、手を手で防ぎに行くとヤバい、みたいな。それにしても猪木、平然と相手の目に指を突っ込むんですね、怖い。。藤原喜明さんが「笑って相手の腕を折れるのは猪木さんと佐山だけ」なんて言ってましたが、分かる気がします。

 この本の最後は、この3試合を終えた猪木は、シュートマッチはリスクが高すぎると判断、以降はシュートを戦わなくなり、でもこの3試合がのちの総合格闘技のルーツになっていったというしめくくり方でした。う~ん、確かに僕なんかは猪木の異種格闘技戦から佐山、前田、シューティングやUWFやリングスやパンクラスというルートをたどって総合格闘技を見たので、たしかにそうかもしれません。

 いくつか勉強になった事が。まず、何をやるのでも本物の技術がないとダメという事。上っ面だけじゃダメなんですね、音楽に例えれば、馬場じゃせいぜい産業ロック程度のものしか作れない、猪木や佐山みたいな技術があってはじめて『太陽と戦慄』みたいなものを作れるという事。次に、何かをやる時はルールを突き破る過剰さが必要という事。逮捕覚悟でシンに凶行をさせるとか、自分の名をあげるためにだましてでもアリをリングに上がらせるとか、普通じゃないけどそれぐらいやる覚悟がないと、という事ですね。そして最後に、本業以外の事をやってはいけないという事。ああ、猪木が事業なんかに手を出さずプロレスや格闘技だけを考えていれば…。いずれにしても、最高に面白い本でした!


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書籍『猪木イズム』 アントニオ猪木・著

InokiIIZM.jpg プロレスラーのアントニオ猪木が現役を引退した時に出版された猪木名言集です。猪木さんのキャリア・ハイは日本プロレス出戻りの時期から、新日本プロレス立ち上げ、格闘技世界一決定戦あたりまででしょうが、その時代の猪木をリアルタイムで見ていた男子にとって、猪木はプロレスのみならずあらゆるジャンルでのスーパースターに見えていたのではないかと思います。友達の年の離れたお兄さんが「クラスの男子で猪木のファンじゃない奴なんていない」なんて言っていたので、長嶋茂雄クラスだったんでしょうね。ショーとしてのプロレスが形骸化していく中で、総合格闘技に繋がるプロレスへの道を切り開いた人…みたいな。

 もう成人してプロレスも見なくなったころ、「猪木も引退か、青春のひとつが終わった気分だな」なんて何となく買った本だったのですが、よもやプロレス本に感銘を受けるとは思っても見ませんでした。この本に書いてあった言葉が今も自分の人生に生きてると思えるほどです。人を楽しませるエンターテイナー猪木の言葉じゃなくて、絶望の淵を歩いた現代人の言葉なのです。育てた後輩たちから見捨てられ、自分が作った会社から追放され、想像もできないほどの負債を抱えて自殺を考え…そういう世界を観たプロ&事業主の言葉でした。これはプロレス好きが読む本じゃなくて、社会に出て辛い壁にぶち当たっている人こそ読む本じゃないかと。
 というわけで、心に残って言葉を、備忘録として残しておこうかと。

・金の価値なんてものは、しょせん人間の欲望の果てにあるものであり、人間が生きてい行く根本ではない。

・みんないろいろな物差しを持っているけど、同一の自分の物差しでしか他人のことを見れないやつは悲しいよね。

・本当に革命を始める人間は口だけじゃダメだ。自分が身をもってやらなければ何も変わらない。思い切った一歩を踏み出す勇気もなく、目先の勝ち負けにこだわっていては何も変わらない。

人間の誇りや尊厳は、誰かが無条件で保障してくれるものでも、守ってくれるものでも、断じてない。今の日本人はそのことをすっかり忘れてしまっている。

・レスラーの夢がいまだにキャデラックに豪邸じゃ寂しすぎる。これからのヒーローは、ズタズタになって、いろんなものを引きずりながら、必死になって歩いていく、そんな生き方が出来る人じゃないか。

死に際して、やり残したものがあったり、悔いがあって、もっと生きたいというような生き方を、俺はしたくない

・俺にもどうしても好きになれない人間がいる。しかし、その人間がどういう情報を与えてくれるか、その人間を一度飲み込まなければ、それは得られない。人を飲み込むこのとのできる器というのは、人を包み込める大きさがなければできない。

・本当に自分が追い込まれて、世間から叩かれた時に、本気で自分の支持に回ってくれる人。信じてくれる人が何人いるか。一生で5人もいないですよ。

 何にもまして、死を意識した上での人生観であるように感じます。その上でどう生きるか、これらの言葉はそういう事なんだと思います。成功者の言葉ではなく、頂点にも立ったけどどん底にも落ちて、自殺まで考えるほどの苦難の連続だった人の言葉に感じました。苦しい人は、もしかするとこの本が本当に救いになるかも。辛い人は、馬鹿にしないで読んでみてください。前を向けるようになるかもしれませんよ!


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書籍『燃えよ闘魂 アントニオ猪木自伝』 猪木寛至

MoeyoToukon_InokiJiden.jpg 今はもう手元にないんですが、プロレス狂だった小学生の頃に読んだ本です。『新・燃えよ闘魂』みたいなタイトルの本もあったけど、内容はこの本とかなりかぶっていたもんで、写真がド迫力だったこっちの本を買いました。迫力があったのは表紙だけでなくグラビアページの猪木のファイティングポーズも凄い形相をしていて、「マジで怖え、こんな人と会ったら殺される…」と思ったほどでした(^^)。

 今でも印象に残っているのは、プロレスラーになる以前の話です。横浜に住んでたけど家業が傾き、一家そろってブラジル移民。ところがブラジルに向かう船の上で、おじいちゃんが青いバナナにあたって死亡。行った先のブラジルではコーヒー農場での過酷な労働で、着ていたシャツが汗をかきすぎて塩で固まり、脱ぐとそのまま立ってしまうほど。1年目は先に来た移民に騙されて収入がほとんどなし。これが本当に現代の話なのか、こんなのローマ時代の奴隷の話じゃないか…というのが、子どもの頃の驚きでした。

 以降で覚えているのは、日本プロレスでの過酷な練習の話、力道山の話、カール・ゴッチの話、海外武者修行時代にヒートアップした客にナイフで刺されそうになった(刺された?)話。倍賞美津子が不良少女で、猪木の持ってた車に傷をつけて、それが知り合うきっかけだったみたいな話もあったかな?意外と覚えてないのがプロレスの話。まだ異種格闘技戦を戦う前で、シンと流血の抗争を繰り広げ、ストロング小林との日本人団体トップ対決をしたりしていた頃に書かれた本なので、格闘術への言及があまりなかったのかも。

 前田日明や矢沢永吉の自伝を読んでも同じことを感じたのですが、みんなこれが本当に現代日本の話なのかというほど過酷な生活を送っていた事。それを跳ね返そうとするバイタリティーが凄くて、そこに感激して、子どもの頃に影響されまくりました。猪木さんって、皆が悲鳴をあげて逃げようとするゴッチのトレーニングで、ゴッチが「猪木、もう止めろ」というまで練習を続けていたそうです。ここでトップになれなかったら死ぬしかない、ぐらいの覚悟で挑んでたんと思うんですよね。子供が読むにしてはけっこう厚い本でしたが、小学校低学年だった僕が夢中で何度も読みました。ああ、もう一回読んでみたいなあ。


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『Poco / Deliverin'』

Poco_Deliverin.jpg ポコもバッファロー・スプリングフィールドから分裂して出来たカントリーロック・バンドで、同バンドを脱退したリッチー・フューレイとジム・メッシーナが結成したそうです。これは1971年発表のライブ・アルバム。僕は中学生の頃に名盤ガイドでこのレコードの事を知り、中古屋で安く見つけて買ってきたのでした。最近そのレコード屋の近くを通ったので行ってみたら雑貨屋になっていたんですが、ビル自体は残っていて懐かしかったです(^^)。

 基本はロックバンド編成ですが、カントリー・ミュージックっぽいコーラスが常に入っていました。CSN&Yはフォークロックと呼びたくなるのに、ポコはカントリーロックと呼びたくなるのは何でだろう、ちょっとブルーグラスっぽいところがあるからかな?とはいえ、やってる音楽は、カントリーとロックと軽快なポップの中間ぐらい。エレキのスライド・ギターがリードギターの役割を果たしていて、うしろでうっすらとアコースティック・ギターのストローク、それに上品なオルガンの音が聴こえました。

 この編成でロックっぽい事をやっても妙に田舎くさくて、若い頃はあんまり好きじゃなかったんですが、でもこの田舎っぽさがいい人にはいいのかも。良いと感じたのはロックっぽいアップテンポな曲じゃなくて、バラード。「Kind Woman」なんて、ロッキー山脈が瞼の裏に浮かびそうなぐらい、ゆったりとしてよかったです。でもこれ、ロックバンド編成じゃなくて、フォークギターだけで聴いたらもっと良かったんだろうな。コーラスは奇麗で音楽は泥くささたっぷり。カントリー・ロックが好きな人にはたまらない1枚じゃないかと!


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『Stephen Stills』

Stephen Stills 1970年、スティーヴン・スティルスがクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングでの活動と並行して発表した自己名義のアルバムです。アルバム名から推測すると、初のソロアルバムなのかな?このアルバム、ジミ・ヘンドリックスが参加した事でも有名です。

 へえ~、クロスビー・スティルス・ナッシュのコーラスがすごくきれいだったから美声の持ち主かと思っていたんですが、けっこうだみ声なんですね。音楽も、CSN から想像できるようなフォークやフォークロックよりも、スワンプ・ロックに近いと感じました。なんでそう感じるんだろう、アコースティック・ギターは入っているけどバンド・サウンドの中の一要素ぐらいの感じだし、ロック・バンドの演奏がけっこういなたいからかな?それともコーラスが南部くさいからかな?どっちもですね、きっと。というわけで、雪が積もってるジャケットの雰囲気だけで言えば美声の男性が愛を囁いてそうですが、実際にはハスキーな男がけっこう暑苦しい音楽をやってました(^^)。

 メロコード譜だけ作って、ギターはコード押さえてジャカジャカやって、あとはミュージシャンを集めてセッションしたロックのアルバムで、僕はいい音楽に出会ったことがない気がしますが、これはそういうアルバムでした。ジャズも同じですが、アレンジって大事なんだなとあらためて痛感した1枚でした(^^;)。おかしいなあ、名盤と言われてる一枚なのに。


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『Crosby, Stills, Nash & Young / Déjà Vu』

Crosby, Stills, Nash Young_Deja Vu 素晴らしいグループながら2年で解散したバッファロー・スプリングフィールド、解散の原因はスティーヴン・スティルスとニール・ヤングの不仲だったそうです。ところがこのふたり、また一緒にグループを作るのでした…解散に巻き込まれたほかのメンバーはいい迷惑だな (^^;)。。新たに出来たバンドが、フォークロック・グループのクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングで、残りのふたりは同じくフォークロックで有名だったバーズ出身のデヴィッド・クロスビーと、ホリーズ出身のグラハム・ナッシュです。これは1970年発表、このグループでいちばん有名なアルバムじゃないでしょうか。

 スチール弦のフォークギターをジャカジャカ弾き、コーラスは見事なハーモニーを聴かせ、曲はフォークやカントリーより少しモダンで途中で曲が展開したり、ハモンドオルガンやエレキギターが重なったり。もちろんそういう曲ばかりじゃなくて、バンド形式の曲もあればもろにフォーク調の曲もあるんですが、ベースはそんな感じでした。なるほど、フォークロックのプログレなんですね、さすがはバッファロー・スプリングフィールドから発展したグループです(^^)。
 そういうプログレッシブ・フォークな意味でいい音楽だと思ったのは、1曲目「Carry On」と、サイドB1曲目「Deja Vu」。どちらも途中でリズムが変わって音楽が展開していくんですが、これをアコースティックに近い編成でやるのはカッコよかったです!他の曲想では、ギターのアルペジオが美しいミディアムバラード「4+20」は、和声進行を含め、詞を聴かせるこういうジャンルの良さが思いっきり出ていると感じました。

 そして、フォークギターをコード押さえてジャカジャカやるスタイルが、いかにも「スチール弦で~す!」という音の抜け方で気持ち良かったです。若い頃に聴いた時には感じなかった事ですが、なるほどフォーク居酒屋に登場するおじさんたちが、やたら高そうなギターを何本も買い揃えているのはこういう音を欲しいからなのかな、と思ったり。

 カントリーやフォークやフォークロックって、若い頃はちょっと敬遠していたジャンルでしたが、いま聴くと違った聴こえ方がしました。あくまで詞ありきで、特にこのアルバムは音楽的に大衆向け&保守だったジャンルを一歩前に進めた音楽だったんだな、みたいな。いいアルバムだと思いました!


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『Buffalo Springfield / Again』

Buffalo Springfield Again バッファロー・スプリングフィールドは、スティーヴン・スティルス、ニール・ヤング、リッチー・フューレイ、ジム・メッシーナという、後に大活躍するミュージシャンが大量に参加していたカントリー/フォーク系のロック・バンドです。これは1967年発表のセカンド・アルバムで、名盤の誉れ高い1枚。なつかしいなあ、中学生の時に買ったんですよね、このアルバム。。

 カントリーロックやフォークロックって、バンドでやってるというだけで音楽はフォークやカントリーそのもの、みたいなバンドもいっぱいいるじゃないですか。でもバッファロー・スプリングフィールドは、テープの逆回転は使うわ、メロトロンっぽい楽器は使うわ、曲もえらくロックなものや幻想的なものなど多彩で、なかなかロックでプログレでポップ。とても保守的なジャンルなんて思えない相当に面白いバンドです…って、僕はこのアルバムしか聴いたことがないんですが、少なくともこのアルバムはそうでした。もちろん、いかにもカントリーロックな曲も入ってるんですけどね。
 このバンドのカントリーやフォークに収まりきらないロックな部分って、ようするにニール・ヤングなんじゃないか…と感じるようになったのはずいぶん後の事でした。ニール・ヤングのアルバムや、他のメンバーのアルバムを色々と聴いた後で、そう思うようになったんですが、はじめてこのアルバムを聴いた時は、そういうことは分かりませんでした。このニール・ヤングな部分がなかったら、若い頃の僕はこのアルバムを面白いとは思わなかったかも。

 久々に聴き直して、カントリーとロックのバランスがいいんだな、と感じました。伝統的な音楽の良さと新しい事へのチャレンジのバランスの良さ、みたいな。
 1曲目の「Mr.Soul」がファズの効いたロック、2曲目「A Child's claim to fame」がカントリー・ミュージックの農場の幸福感にあふれ、3曲目「Everydays」と9曲目「Rock and Roll Woman」が途中で拍子を変える作曲の新しさ、4曲目が弦とメロトロンを使ってリヴァーブの効いた幻想的なサイケ、7曲目「Sad Memory」はフォークギター弾き語りのたまらなく美しい曲、10曲目「Broken Arrow」は編集を含めていくつかの曲がメドレーしていくヴァン・ダイク・パークスやビートルズ『Abbey Road』B面のような曲…この音楽性の広さが素晴らしいし、これだけ違う音楽をやっておきながらいい曲が揃っているところもすごいです。

 カントリーっぽいところがあるというだけでも、今の日本人が聴くにはちょっといなた過ぎる音楽かも知れませんが、でもこれだけ音楽としてよく出来たアルバムが保守性の強いフォークやカントリーに近いところから出てきたのが驚きです。僕も、いつも「カントリーやフォークロックは、保守過ぎてちょっとなあ」なんて思ってなかなか聴かないアルバムなのですが、いざ聴くといつも「こんなに良いアルバムだったっけ」と思い出すんですよね(^^)。懐かしさも込みで、いいアルバムでした!


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『富士松菊三郎 / 新内三味線 すみだ川』

FujimatuKikuzaburo_Sinnaijamisen sumidagawa 新内三味線の富士松菊三郎さんのCDです。このCDの解説で、上調子(うわじょうし)と替手を務める富士松菊次郎さんと富士松菊子さんは、菊三郎さんの子供という事が判明。新内流しの場合、太夫が地(主旋律みたいなもの)を、三味線が上調子を担当するんだそうですが、このCDでは菊三郎さんが地、お子さんが上調子を担当して演奏していました。やっぱり歌はなし。

 新内三味線で太夫なしって、かなりイレギュラーだと思うんですよね。そういう中でこうやって三味線だけのインスト作品を発表し続けるのは、菊三郎さんが新内三味線を器楽化したいと望んでいるのかも知れません。津軽三味線だって元々は歌いりだったものが、高橋竹山さんあたりが器楽化を進めたおかげで、今では器楽曲もあるようになったのですしね(^^)。
 そういう試みは立派と思いますが、このCDは演奏がイマイチに感じてしまいました(^^;)。『新内三味線 富士松菊三郎の世界』ではいい演奏だと思ったんだけどなあ…。浄瑠璃にしても端唄にしても、唄と三味線でやる音楽って、三味線にしなやかさがあって、独特のルバート感で地に絡んでいくじゃないですか。でもこのCDの2重奏や3重奏は、互いをあわせるためか、ビッチビチのインテンポに聴こえてしまって、なんだか三味線音楽の良さがなくなってしまったよ卯に感じました。花街で育った新内節は粋でいなせな部分が肝というか、そこがないとちょっとな…みたいな。

 でも、新しい朝鮮って失敗も含めてのものですよね。保守に走りがちな純邦楽の中で、立派な試みなのだろうな、と思いました。


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プロフィール

Bach Bach

Author:Bach Bach
狭いながらも居心地のいい宿で、奥さんとペット数匹と仲良く暮らしている音楽好きです。若いころに音楽を学びましたが、成績はトホホ状態でした(*゚ー゚)

ずっとつきあってきたレコード/CDやビデオの備忘録をつけようと思い、ブログをはじめてみました。趣味で書いている程度のものですが、いい音楽、いい映画、いい本などを探している方の参考にでもなれば嬉しく思います(ノ^-^)ノ

最近気になってるCDとか本とか映画とか
ロシアとウクライナがほぼ戦争状態に入りましたが、僕はソ連解体後のウクライナについて本当に無知…。これは2016年にオリバー・ストーン監督が作ったウクライナのドキュメンタリー映画。日本語字幕版が出たらぜひ観たい このブログをYoutube にアップしようか迷い中。するなら作業効率としては早いほど良いんですよね。。その時にはVOICEROIDに話してもらおうかと思ってるけど、誰の声がいいのか考え中
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