ガンダムって何十種もありますが、テレビアニメの第1作は、今では「ファーストガンダム」なんて呼ばれてるみたいです。そして
ファーストガンダムは、『機動戦士ガンダム』『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士』『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙』という3作の映画にまとめられました。というわけで、この映画3本はワンセット。テレビ版も夢中になったけど、僕が本当にハマったのはこの映画3作。小学4~6年はガンダム一色だったもんで、映画版の第3作を観てすべてが完結した後は、なんだかひとつの時代が終わったと感じてしまったほどでした。
食いつきが悪かったもんで、僕がガンダムにようやくのめり込んだ頃、すでに映画の1作目の上映は終わっていました。僕のまわりでも映画1作目を観に行った友人は少なかったです。だからリアルタイムで観たのは2作目『哀・戦士編』から。テレビ版にあった合体ロボットやらなにやらの幼児向け設定は薄れ、枝葉のストーリーもざっくりカット。これが良かったです。
大人になってから観ても素晴らしいと感じるところがいくつかあります。兵站の描写、戦争の悲劇の描き出し、SFの細かいところの描写、セリフ回し、この4つです。
■兵站の描写の素晴らしさと編集の妙 兵站の描写の素晴らしさはTV版の感想に書いた通りですが、短くなったはずの映画版の方が良いと思えるところがあります。テレビ版だと、なんとなく主人公たちの乗っている戦艦だけは大丈夫だし、終盤になると序盤ほどの兵站のリアルな描き出しはなくなってご都合主義になってきたかな、と感じなくもありませんでした。ところが映画版3部作は緊張感がヤバい!序盤だと、急襲を受けて出港せざるを得なくなった戦艦が目的地までたどり着くのはすでに不可能ではないかというほどの緊張感。戦艦はボロボロ、ようやく来た補給部隊も破壊され、若いパイロットは戦死、主人公は恐怖や戦争に利用されている感覚から出撃を拒否し…こういう緊張感にフォーカスした編集と感じました。すげえ、主役が無敵で必勝の古い戦争映画や西部劇よりよほどリアルだよ。
テレビアニメの映画編集が簡単と思っちゃいけないと思うんですよね。「
あしたのジョー」なんて、テレビは素晴らしかったのに映画化されたらクソつまらなくなっちゃいましたから。編集で大幅に短縮しながらその方がスバらしいというのは奇跡的で、なにを棄てて何を取るかという明確なビジョンがあったからこそ、映画版の成功があったんじゃないかと。
■SF描写の素晴らしさ 僕たちは実際に宇宙生活をしているわけではないですし、また人類が宇宙に行ったと言っても実際に生活できているわけでも、まして飛行機が宇宙を飛び交っているわけでもありません。こういう状況の中で、「実際に宇宙に行くとどうなるのか」という描写のリアルさが、ファーストガンダムは素晴らしかったです。アニメ評論家の岡田斗司夫さんに言わせると、ガンダムが先駆けになって海外SF映画などの標準になった表現も多いんだそうで。
例えば、宇宙戦闘機が着艦する際は、ワイヤーに引っ掛けて止まります。これは実際の戦闘空母などで見る事が出来る光景ですが、それまでのロボットアニメでこんな細かい所が描かれるなんてなかった事でした。なるほどよく考えたら、宇宙空間には抵抗がないから、負荷をかけないと自然に止まる事はないのか!こういう細かいところまで描かれているんですよ!
無重力空間でのリアルな描写は、宇宙船内も同様。船内で何人もの人が移動するときに、動く丸いジャングルジムのようなものにつかまって移動する描写があるんですが、これもつかまってないと浮いてしまうとか、そういう事を考慮した表現だと思うんですよね。通路を移動する時に、動くレバーにつかまって移動して、それを離すと宮中を遊泳する形になって、仲間が捉まえて止めてあげる、みたいな描写もありました。なるほど、無重力だとこうなるのか!こういう細かい描写がことごとく面白かったです。
■戦争の悲劇の描き方に泣いた ガンダムは戦記物ですが
、戦争に巻き込まれていく個人の悲劇も大量に描かれていました。それは軍人ばかりでなく、民間人の描写まで。やっぱりいちばん心を動かされたのはここ。
親を亡くし、スパイをして収入を得ながら弟と妹を育てる少女の話。彼女が海に散る瞬間は、子どもの頃より大人になってから観た時の方が泣けてしまう…。
政争に敗れて厳しい戦地ばかりに追いやられながら、部下たちの生活向上のためにその仕事を引き受ける武官ランバ・ラルの話。軍人でも民間人でも、そこに哲学を築いている人がいる…こんなロボットアニメ、それまでにあったでしょうか。ランバ・ラルばんざい。
補給部隊に務めて、戦時中でも何かを生み出そうとしながら、無慈悲にも戦死する女性士官の話。堕落して自分の利益しか考えなくなった官僚の傲慢によって死んでいく人たち。もう、勧善懲悪もののロボットアニメなんてものではありませんでした。下手な大人向け時代劇や西部劇よりも、戦争の現実を克明に描き出した作品だったと言えるかも。しかも、ただ「戦争はひどい」というんじゃなくて、軍人の視点、官僚の視点、市民の視点…もう、あらゆる角度から戦争が描かれてるんですよね。しかも、どの視点から見ても悲劇という点もリアルでした。戦争の永久放棄という憲法を改正しようとする政治家や政党は、悔い改めてガンダムを見るがいい。
■セリフ回しが素晴らしい! セリフ回しがカッコいい!!1作目では、独裁者の息子ガルマの死因を演説する将軍の演説を聴いて、彼を嵌めて殺した張本人の少佐シャアが「坊やだからさ」とつぶやくシーンがあります。これ、「ガルマが死んだのはガルマが坊やだから」という意味と、「俺がガルマを殺したのは俺が坊やだから」という両方の意味に取れて、深いセリフ回しだと思いました。そしてもし後者だとしたら、後のシャアの行動を暗示することにも…いずれにせよハイレベルな台本だと思いました。
そのシャアは、士官学校時代からの友人だったガルマのことをどこかでずっと覚えていて、映画3作目のクライマックスで、ついに自分の両親を死に追いやった独裁者一族のひとりキシリアに復讐を果たすときに、こうつぶやきます。「ガルマ、私の
手向けだ。姉上と仲良く暮らすがいい。」これも意味がふたつ考えられて、「ガルマよ、私からの手向けとしてキシリアを送ってやるから、あの世で姉上と仲良く暮らすがいい」という意味の他に、「ガルマが死ぬまでが私の手向け(登りきったところ)だった」という意味にもとれそうです。だいたい、「手向け」なんて言葉、子供番組で使っていい単語じゃないと思うんですよね、大人だって意味を知らない人多そうですし。
まあこんな感じで、ガンダムには大人が見ても意味深と感じるセリフ回しが多くてカッコよくて、これは
ルパン三世のテレビ第1作レベル。ハードボイルドってセリフに出るんですよね。
というわけで、僕的には、ガンダムと言ったら劇場版の3作!映画版のシェイプされた素晴らしさによって、ファーストガンダムは名作として後世に名を残す事が出来たんじゃないでしょうか。ガンダムは、今となっては一般教養。大人でも「見てない」なんて許されません。何を見たらわからんという人は、この映画3部作を見ましょう!これだけ見てれば必要充分です。