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心に残った音楽♪

おすすめCDの紹介のほか、本や映画の感想などを (*^ー゜)v

 

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『Lolita Torres, Ariel Ramirez / Recital』

Lolita Torres Ariel Ramirez_Recital 1977年発表、歌手で女優のロリータ・トーレスのアルバムです。ピアノと音楽監督がアリエル・ラミレスで、基本はピアノ伴奏ですが、他にベース、打楽器、弦セクションが入っている曲もありました。

 実は僕、このアルバムをラミレスが書いた歌曲集だと思って買ったんです。ところが聴いてみると「Over the Rainbow」とか「My Way」なんていうスタンダード曲が普通に出てきて、そのへんはただの歌謡ショーっぽくて期待通りではなかったです。タイトルがスペイン語で書いてあるもんで、気がつかなかったんですよね。
 ところが、アリエス・ラミレス作曲「Zamba de usted」(訳せば「あなたのサンバ」)がヤバいぐらいに良くって、鳥肌が立ってしまいました。タイトル通り3拍子系のリズムなんですが、最初はルバート、すこしずつリズムが出てくるもののコーラスの最後でリタルダントして、そこからアルペジオ主体のピアノが間奏を作って、またルバートで歌が来て…いやあ、これは本当に素晴らしい。

 また、このルバートが実に綺麗で驚きました。ルバートを奇麗に歌える歌手って決して多くないですがこれは見事、女優が趣味で歌ってる歌なんてもんじゃない、ちゃんとした歌手だぞ…。
 僕はアリエル・ラミレスからこのアルバムにたどり着いたもんで、ロリータ・トーレスという人を知りませんでした。女優兼歌手というところから、なんとなく美空ひばりや松坂慶子あたりをイメージしてたんですが、これは歌がうまいわ。。まあ、向こうの俳優さんって、日本みたいに単なる職業で、干されるのにビビりまくりのいいなり人形じゃなくて、自分の主張や意見をガッツリぶつけてくる文化人みたいな所ありますしね。。

 あくまでステージ上の歌音楽、半分は歌謡ショーだしアリエル・ラミレスも歌伴の仕事をこなした感じでしたが、そうでない曲でのロリータ・トーレスが素晴らしくて、ある意味で60年代のフランスのシャンソンみたいな匂いも感じる大人な歌でした。少しは本でも読めよと言いたくなるような子どもじみた歌ばっかりの今の日本の歌に触れると、うらやましく感じたりもして。

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『Ariel Ramirez / La Zamba』

ArielRamirez_LaZamba.jpg 1967年リリース、アルゼンチン・フォルクローレの世界で知られる作曲家/ピアニストのアリエル・ラミレスによるピアノ・ソロ録音です。タイトルからして、サンバ曲集ではないかと。

 ここでいうサンバはブラジル音楽のSamba ではなく、アルゼンチンのカップル・ダンスのZamba。3拍子と6/8拍子が混ざったようなリズムをしていて、僕は自分の趣味もあってインストばかり聴いてきましたが、実際には歌がつくものが多いのかな?このレコードに収録されていた12曲も、すべて6/8系のリズムでした。Zamba の名曲といえば、アタウアルパ・ユパンキ「Luna tucumana」(トゥクマンの月)とか、本作の主人公アリエル・ラミレス作曲「Alfonsina y el mar」(アルフォンシーナと海、メルセデス・ソーサの大名盤『Mujeres Argentinas』収録)に「La Tristecita」(悲しみのサンバ)あたりの曲が有名です。で、このアルバムはサンバの大有名曲「La Tristecita」が収録されていたので手にした次第。高かったよ。。

 アルゼンチン音楽のうえに元々が舞曲なわけだから、ものすごいリズミカルだったり激情の演奏なのかと思いきや、かなりソフトな演奏でビックリ。へえ、こんなしっとりした音楽なんだ、みたいな。ただ、たった1枚のレコードを聴いて一大ジャンルを形成しているアルゼンチン・フォルクローレの民族舞曲の傾向を分かった気になるのは危険ですよね。だいたい、Zamba って本当はギター中心の音楽だって僕は思ってましたし。
 ここまでソフトになるのは、アリエル・ラミレスさんがピアニストより作曲家という面の強い人だからかも知れません。クラシックの世界もそうですが、作曲家の自作自演って、演奏がマッタリするものが多いですが、あれってそういう音楽にしたいわけじゃなくて、劇的なスパーンとくる演奏をできないだけの気もします(^^)。まあでも、こういう抑制した表現のうしろにも人の感情を表現しようとした音楽に感じたのもたしかで、南米音楽のうちでも、南米的な感情や気質を西洋音楽の書法で仕上げたものに感じました。西洋音楽チックなものを作ろうとすれば出来るんだろうけど、あくまでアルゼンチンの民間音楽にこだわるところが、いかにも南米の人のアイデンティティらしく感じました。

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『Ariel Ramirez, Félix Luna / Los Caudillos』

Ariel Ramirez Felix Luna_Los Caudillos 1966年発表、音楽をアリエル・ラミレス、詞を詩人のフェリックス・ルナが担当したレコードです。このコンビによる作品といえば、メルセデス・ソーサのアルバム『Mujeres Argentinas』がありますが、あれよりも早くこんなアルバムを作ってたんですね。

 曲はアルゼンチンのフォルクローレに使われる楽器と管弦をミックスした伴奏、これに教会合唱が加わり、フロントに男性歌手が歌うものでした。フロントで歌っているのはラモン・ナヴァーロ Ramón Navarro。これがいかにも戯曲的な展開で、詞の内容を知りたいと思ったんですが、スペイン語で歌われるもんでぜんぜんわからず、うう。。アルバムタイトルの「カウディーリョ」とは、中南米のヨーロッパ植民地で、現地のボスになった権力者の事。曲想がけっこう劇的で悲劇的なものが多いので、カウディーリョがもたらした悲劇とかが歌われてるのかな?

 ちょっとチープな表現になってしまいますが、映画音楽みたいな感触でした。いちばん近いところで言うとエンリオ・モリコーネの書いたマカロニ・ウエスタンの映画音楽が相当に近い感じ。イタリア繋がりとは言えるので、同じルーツにある音楽があるのかも知れません。モリコーネの西部劇の音楽に歌や物語までくっつけたようなカッコいい音楽でした!

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『Ariel Ramirez / Misa Criolla』

Ariel Ramirez Misa Criolla メルセデス・ソーサの大名盤『Mujeres Argentinas』(訳せば「アルゼンチンの女」)で全曲を作曲していたのがアリエル・ラミレスさん。この人はローマやウィーンにも行ってクラシックの勉強をして、アルゼンチンでフォルクローレのモダン化に大きく貢献した人です。69年発表の『Mujeres Argentinas』はいまやフォルクローレを聴くにしてもアルゼンチン音楽を聴くにしても間違いなく超重要作に入る大名盤ですが、ラミレスさん自体はそれよりもっと早く音楽家としてブレイクしていたのでした。それがこの作品、ミサ・クリオージャです!

 このアルバム、A面はソリスト、合唱、オーケストラのための「Misa Criolla」、B面はソリスト、合唱、オーケストラのための「Navidad Nuestra」(日本語で言えば「私たちのクリスマス」)が入ってました。ミサにクリスマスですから、どちらもキリスト教文化が題材ですね。
 「Criolla」がどういう意味なのか分かりませんが、クレオールだとしたら植民地とかだし、クリオーリョぐらいの意味だとしたら中南米の植民地生まれのスペイン人の事(by『音楽の原理』)。大体そのへんの意味と捉えて訳せば「植民地のミサ」「クリオーリョのミサ」となりそうですが、音楽を合わせて聴くと、まあ大体それで合ってるんじゃないかと。だってこれ、カトリックのミサ合唱と南米フォルクローレのフュージョンみたいな音楽だったのです。あ、ちなみにアルゼンチンはイタリア移民が多い事もあるんでしょうが、カトリック優位の国です。「Misa Criolla」はちゃんとミサの典礼文を使ってました。で、4曲目のサンクトゥスなんて、チャランゴにベースにラテン・パーカッションの伴奏で歌っちゃったりするんですよ!

 この音楽自体が僕にとって面白いものだったかというと、それは微妙。ただ、自分たちが思いっきり影響を受けたヨーロッパ文化をそのままやるのではなく、その影響を受け入れながら自分たちの文化に塗り替えるという作業は素晴らしい事だと思いました。だって日本なんて西洋の音楽を持ってきても、そ子に日本音楽を衝突させて新しいものを生み出すんじゃなくて、それをそのままやるだけじゃないですか。これじゃ文化的な奴隷ですよね。こういうところのアルゼンチンや南米の人たちの強さって素晴らしいと思いました。


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メルセデス・ソーサ『Mujeres Argentinas』を聴きなおしたらまたしても感動してしまった

MercedesSosa_MujeresArgentinas.jpg 仕事で、アルゼンチン・モダン・フォルクローレのアリエル・ラミレスの作品をさらう事になりました。がんばるぞ、これから毎日朝練だ!僕、昔にこの人を追いかけかけた事があるんですが、当時はアルゼンチン音楽のレコードなんてマジで手に入らなくて、買いたいなら雑誌『ラティーナ』の通販を利用するしかないほどの状況。結局、そういう物理的な制約で追いかけきれなくなったのでした。

 今回演奏を依頼されたのが「アルフォンシーナと海」という曲だったんですが、これが僕が持ってるラミレスさんのアルバムには入ってなくて、でも聴きなれた曲ではあって、これってどこで聴いたんだっけと記憶をたどると…おお、メルセデス・ソーサのアルバムじゃないか!そんなわけで、あのアルバムを聴きなおしたんですが、またしても感動してしまいました。いやあ、素晴らしすぎるだろ。。

 そんなわけで、以前に感想を書いた『Mercedes Sosa / Mujeres Argentinas』に追記を行いました。良かったら読んでみてくださいね!

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『フェルドマン:コプトの光 ティルソン・トーマス指揮、ニュー・ワールド・シンフォニー』

Feldman_Copt no Hikari トライアディック・メモリーもそうですが、フェルドマンの作品は静かで音が少なく、長いものが多いです。「Coptic Light」(コプトの光)は、1986年作曲なのでフェルドマン最晩年の作品。僕がこれまでに聴いたフェルドマンの作品では、この曲が一番好きです。このCDは、「コプトの光」を含む、以下3曲が入っていました。

・Piano and Orchestra
・Cello and Orchestra
・Coptic Light

 たしかこのCDが、3曲すべての初録音だったはずです。そしていずれも、演奏時間20分ほどの単独楽章からなる管弦楽曲。雰囲気がけっこう似ていて、ゆったりして神秘的。この3曲でひとつの作品だと言われても信じてしまいそう。

 「ピアノとオーケストラ」は1975年の作品。最初の音から神秘的で息をのんでしまいました、これは引きこまれる…。決してアヴァンギャルドなサウンドではなく、静謐で、かといって月並みな和音ばかりには還元しないので環境音楽にはなりません。3つの曲の中ではいちばんフェルドマンっぽく感じたんですが、それってピアノとオケが対立したり煽りあったりという、いわゆる古典派やロマン派の協奏曲な感じはなく、両者が平行して、時には溶け合って進んでいくからかも。そして、フェルドマンにしてはクライマックスがあって驚いた!

 「チェロとオーケストラ」は1973年の作品。これも音の印象は近くて、神秘的で茫洋とした音の海のなかをたゆたう感じ。でも、ソロ楽器とオケの関係は「ピアノとオーケストラ」とは対照的で、かなり近現代協奏曲的。そういえば、メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」の中の1曲が、まさにこういう感じだったな…。冒頭のチェロは音列技法を使ってるようにも聴こえましたが、フェルドマンはあんまりそういう人ではないので、無調的なアプローチをすると、どうしてもこんな感じになるのかもしれません。こうしたチェロパートがいくつかに分割されていて、チェロがいるとオケは和声で独特な雰囲気を形成、チェロが抜けるとオケはチェロに返答します。こうした前半を踏まえ、中間部で音楽を発展させたところから緩やかにドラマが動きました。やっぱり、変化もしないし長時間だし音も少ないし実験ばかりより、程よく変化してくれたり、意識的に音楽を動かしてくれた方が良いものになるに決まってるし、人間の感覚にもあってると思います。「サイコロ振ったて音をえらんだ」とか「20分音が出てこない」なんて言うのはニュースにはしやすいけど、それが音楽として素晴らしいものかどうかはまったく別ですよね。そういう意味で、この曲は「良い音楽」でした!

 「コプトの光」。コプトというとエジプトのあるキリスト教の一宗派コプト教を思い浮かべてしまいますし、この音楽はたしかにそれを感じさせる静謐さや神秘さに満ちていました。でも実際には、この「コプト」はコプト織という織物を指しているようです。なんでも、ニューヨークで活動していたフェルドマンが、美術館で古代のコプト教の細密な織物を見たのがきっかけだったそうで。つまり、それまでは引き伸ばされて音数の少ない作品ばかり書いていたのが、「もっとこの織物みたいに細密に重なる作品を作ってみよう」みたいな。とはいっても、これが「織物のように細密」かというと、他の作曲家の作品に比べれば、10倍は簡素。緻密さではなくて、何度も同じパターンが積み重なっていくという意味で、織物という事なんじゃないかと。最初から同じフレーズの積み重ねで、それが徐々にひとつの建造物となっていく感じでした。
 僕が良いと思ったのはそこではなく、この神秘的で、同時に無生物的な響きでした。聴き始めた瞬間から引き込まれ、不思議な気分のまま、時間があっという間に過ぎていきました。古代の秘密がすべて記された地下神殿への長く暗い廊下を一歩一歩下っていってる…みたいな。

 このCDに入っていた3曲は、どれも20分ほどとコンパクトなので(フェルドマンの作品は1時間超えなんて当たり前、演奏時間4時間とか平気であるんです^^;)、すごくまとまって聴こえます。やっぱり、極端に音数を減らしたり極端に長いより、最適の状態で作曲するのが自然ですよね(^^)。いずれも素晴らしかったです。演奏自体は難しくないと思うので、指揮と録音だけが問題だと思うんですが、これもパーフェクト。音楽の内容が内容だけに、オケや指揮の技量にはまったく耳がいかなかったんですが、それって音楽がまったく違和感なく鳴っている証拠だと思うので、素晴らしい演奏だったんじゃないかと。現代音楽といっても、響きは素晴らしいし調をしっかり感じるし難しくもないので、現代曲やクラシックを聴かない人にもオススメの1枚です!


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『フェルドマン:トライアディック・メモリーズ 高橋アキ(piano)』

Feldman TriadicMemories_TakahashiAki アメリカの現代音楽作曲家モートン・フェルドマンは、クリスチャン・ウルフやアール・ブラウンらと合わせて、ニューヨーク楽派なんて呼び方をされています。傾向としては、図形譜の使用に見られる実験性や偶然性の導入などでしょうか。フェルドマンは世界ではじめて図形譜を書いた人と言われていて、それがジョン・ケージに評価され、一気に世界レベルで名が知られる作曲家になりました。「トライアディック・メモリーズ」は、ピアノ独奏の作品。たぶんフェルドマンの作品で演奏される機会がかなり多い曲なので、代表作のひとつといっていいんじゃないかと。
 
 このピアノ独奏曲は、抑揚も音数も少なく、リズムもゆったり。独特ながらシンプルな響きで、音型の繰り返しで作られています。僕がはじめてこのCDを聴いたのは音大生の頃で、その時は「たいくつな曲だな」と思ったんです。音型は単純に思えたし、それに輪をかけて反復がメインなので退屈に感じたんです。CDをききはじめて、いつの間にかうたた寝をして、ハッと目覚めるとまだ同じような事をやってる、みたいな。キング・クリムゾンのムーンチャイルド現象です(^^)。ところがこの音楽、数年おきに聴き直すたびに、どんどん良くなって聴こえてくるのです。まず、録音と響きが絶品。アキさんのハーフペダルが絶妙。そして、緩やかな変化が実に心地良いです。
 そして…リズムがヤバいです。若い頃は気づかなかったんですが、似たような繰り返しのようでいて、聴いていて緊張感が途切れないのはなぜなんだろうかと思ったんですが、音価を微妙に変化させるんですね。2回目ぐらいの繰り返しなら追えるんですが、3回目あたりから音価がの違いが知覚できるレベルにまで広がるので、「あ、また繰り返しだ」とならないんですね…。大きく分けるとひとつの群に対して2度の変形が行われて聴こえますが、そうしてできた群がつながっていく感じ。あと、右手と左手のリズムが少し変わって聴こえるところがありますが、現代のピアニストで世界超一線級の高橋アキさんがそう演奏しているので、これは本当にこういう音価なんじゃないかと。本当に微妙なんですが、たとえば連譜に付点をつけて独特なインターバルを作ってるとか、そういう事なんじゃないかと。右手と左手のリズムが、三つの反復するセグメントの間で反行してるところとかもありました。

 というわけで、似たようでいながら同じものひとつとしてない砂漠の風紋の変化をゆったりと眺めているかのような音楽。これ、どういうスコアか分かりませんが、これだけ具体的な反復があると少なからず五線譜は使用してるはずで、この微妙な変化と折り重なるリズムを、コンピュータでなく人に演奏させるのは過酷でございます(^^;)。聴いてる側はぼんやりと宙に浮かぶような気分を味わってられますが、自分では絶対に演奏したくない、というか出来ない。。これは、ある程度クラシック音楽の素養のある人が聴かないと、イージーリスニングのように聴こえてしまって面白くないかも。退屈だと思った方は、ゆったりと模様が変わっていっている感じだけでも掴んで聴けば、聴こえ方がかなり変わるんじゃないかと。


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『Iggy And The Stooges / Metallic 'KO』

Iggy And The Stooges Metallic KO 1976年リリース、ストゥージズのライブアルバムです。ギタリストのジェームズ・ウィリアムソンが参加してからの録音で、バンド全体の粗暴な音がいかにもガレージ・ロック、悪そうです(^^)。こういう音楽を先に聴いていたから、あとから出てきたグランジとかシューゲイザーあたりが、単にだらしないだけのかわいい子ちゃんにしか思えなくて物足りなかったんですよね。結局、金持ちがグレたところで精神はお坊ちゃんで「大人は~」みないに駄々をこねてるだけだよな、せめてヴェルヴェッツMC5やストゥージズぐらい噛みついてから言ってくれ、みたいな。

 ただ、このカッコいい粗暴さはいい所ばかりではなくて、ロックンロールというこれ以上ないほどシンプルな音楽をえらく粗野に演奏しているだけと言えなくもないかも。僕はMC5にはハマったけどストゥージズにはハマり切れなかったんですが、その理由はここ。演奏にしても作編曲にしても大雑把でラフなこの感じを、「粗野で暴力的でカッコいい」と感じるか「雑で下手だよな」と感じるかは、若いころの僕の耳にとっては紙一重。正直に言うと後者に感じてたかな(^^;)>エヘヘ。そのへんはローリング・ストーンズっぽくもあって…そういえば、イギー・ポップの歌い方って、ミック・ジャガーに似てることに、いま気づきました(^^)。
 このアルバムを聴いた後、演奏をマジメに学ぶにつれて、実はロックでもジャズでもクラシックでも、爆発力のある演奏をしても本当に飛びぬけている人は、実はメッチャクチャ演奏をコントロールできているのだと学びました。ジャズでいえばセシル・テイラーエリック・ドルフィー、クラシックでいえばリパッティやアルゲリッチあたりがいい例で、ものすごい爆発力だけど雑になんて演奏してません。ラフにいくのは、勢いを出したいけど技術が追い付いてないから。たしかに「演奏にはうまい下手よりも勢いが必要なときがある」という所に気づいているのがストゥージズやガレージ・ロックのおかげ。でもそれを「雑でもいい」と帰納をしてしまったところが僕にとっては肌に合わないところでした。

 ストゥージズのファーストアルバムにあったあの「うまくはないけど、このヤバさには何かある」という作りって、プロデュースやヴィオラを担当したジョン・ケイルによるところが大きかったのかも。ジョン・ケイル解雇後は、デヴィッド・ボウイと絡もうが上手いギタリストを入れようが、そのヤバさを「勢い」「ポップさ」みたいな所にしか還元できなかったわけで、それがこのバンドの限界だったんじゃないかと。まあでも、そうやって聴く音楽じゃないですね、ガレージ・ロックって。デトロイトという貧困化が進んで荒廃していく工業地帯に生きる若者たちが、やり場のないフラストレーションの代弁者のように感じた音楽だったんでしょうしね。


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『Iggy And The Stooges ‎/ Raw Power』

Iggy And The Stooges ‎Raw Power メンバーみんな麻薬でヘロヘロになってエレクトラから契約を打ち切られたストゥージズは、新たにコロンビアと契約。これはプロデューサーにデヴィッド・ボウイを立てて制作された73年発表のサード・アルバムです。このレコード、元々はデヴィッド・ボウイがミックスしたらしいんですがすこぶる不評(^^;)、のちにイギー・ポップ本人がミックスしなおしたレコードが出回ったそうで、僕が聴いたのはたぶん後者です。ボウイのミックスは、彼のアルバムを知っているとたしかに聴きたくないな(^^;)。。

 おっ、曲がワンコードじゃなくなってる。ギターもうまくなってるぞ…と思ったら、ギタリストがジェームズ・ウィリアムソンという人に変わってました。なるほど、ギタリスト交代でこういうコード進行の曲を演奏できるようになったのかも。このアルバムの聴きどころは間違いなくギターのジェームズ・ウィリアムソンで、この人ひとりで音楽を支えているといっても過言じゃないです。ルー・リードのバンドにいたロバート・クワインやシーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠さんなみの弾き倒しっぷりでした。パンク系のバンドってギターがひとりでオーケストレーションを受け持っちゃうバンドって少なくないですが、その伝統はこのへんから始まってるのかも。

 でもそれで良くなったかどうかは、聴く人によって意見が分かれそう。音楽的には普通のロックンロールになっちゃったというか、無個性になったと感じてしまいました。唯一の救いはけっこう際どいノートにまではみ出してぶっ壊す「Raw Power」や「Shake Appeal」の中のギターソロ…やっぱり良くも悪くもギターがキーマンと感じます。

 ストゥージズ初期のアルバムを聴いた時には「これがパンクロックに繋がるって、反体制とかステージ・パフォーマンスの過激さという意味なら分かるけど、音楽的には違うよな」と思ってたんですが、なるほどこのアルバムのあたりだとたしかにパンクのルーツと言われてもうなづけるかも。僕的には、イギー・ポップ&ストゥージズではなく、ジェームズ・ウィリアムソン&ストゥージズと呼びたいアルバムです(^^)。


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『The Stooges / Fun House』

The Stooges Fun House 1970年発表、イギー・ポップ擁するストゥージズのセカンド・アルバムです。僕のストゥージズの初体験はこれ、高校生の時でした。僕がストゥージズに興味を持ったのは、ロックの写真集の中で、ライブのステージで血まみれになって倒れているイギー・ポップを見たから。なんだこのヤバい感じは…でもって、そのヤバさに一番近いジャケットがこのアルバムだったのです。このジャケット、カッコいいですよね。ジャズやクラシックや純邦楽にこのジャケットは作れません。ベトナム戦争泥沼状態の病んだアメリカの象徴のよう。

 久々に聴き直したら、録音がファーストアルバムとは雲泥の差のいい音!でも音楽はサックスが入ったこと以外は前作と同じで、あいかわらず演奏がもうひとつだし曲も単純。完全にフリージャズやってる曲もあるけど、フリージャズって演奏が下手だったり楽式が統制しきれないと子供のデタラメ演奏に聴こえちゃうんですよね(^^;)。プログレもニューロックも通り過ぎてフリージャズも聞いちゃっていた血気盛んな高校生のころの僕にとっては、匂いは好きだけど単純すぎて物足りなく感じたアルバムでした。
 それが今聞くと、ぜんぜん違う聴こえ方をするんだから音楽って分かりません。コード進行しない単調な曲だと思っていたものは、曲全体をドローン化した地下のライブハウスで演奏されている反体制ロックという儀式めいたものに聴こえてきました。演奏も似たような感じで、起伏のないアンチ・クライマックスな演奏は表現力のなさと思っていたのに、いま聴くとクラブ・ミュージックや仏教音楽のように意識低下を狙っての延々と繰り返されるリフのように聴こえてきたりして。

 煮え切らない熱さとか、ほの暗い明るさとか、そういう印象を僕はストゥージズに対して持ってるんですが、このアルバムなんてまさにそんな感じ。絶賛まではいかないけど、なにかグツグツしたヤバいものを感じて、そこが魅力のガレージ・ロック。このヤバさはロンドン・パンクには感じられなかったもので、ガレージは聴くけどロンドン・パンクは聴けない僕の感性の境には、音楽が根源的に持っていて欲しいものの有無なのかも。このヤバさを保ったままバンドがうまかったら、ドアーズ以上にベトナム戦争下のアメリカの闇を表現できたバンドになっていたかも知れません。でもバンドメンバーはドラッグで本当にヤバい事になっちゃって、ここでバンドはいったん活動休止に陥ってしまったという…あ~、そういうのも音に出てるなあ(^^;)。


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『The Stooges』

Stooges.jpg MC5と並んで語られる事の多いアメリカのガレージ・ロック・バンドがストゥージズです。どちらもパンクを先駆したバンドなんて言われるのも共通項ですね。これは彼らのデビューアルバム、1969年発表です。プロデューサーはヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイル…なるほど、スタッフ込みでポスト・パンクです(^^)。

 このアルバムで有名な曲といえば、パンク・バンドがこぞってカバーした「1969」とか、タイトルにヴェルヴェッツ並みの性的倒錯を感じる「I wanna be your dog」とか、ファズの歪み方が半端じゃない「No Fun」あたりが有名かと思いますが、そういうロック・ナンバーは、あの凄まじい勢いとエネルギーのMC5に比べるとショボい、ショボすぎる…というのが若いころに聴いた第1印象でした。グランド・ファンクキャプテン・ビーフハートZZトップ同様、60~70年代前半のアメリカン・ロックのスタジオ録音ファースト・アルバムの音のショボさがストゥージズにも当てはまってしまった、みたいな(^^;)。演奏も決してうまい方じゃないから、なおさらショボく感じてしまって…ロックって圧力が重要だと思うんですよね。

 でもこのアルバムがダメかというと、そういう有名なロックンロール・ナンバーじゃない曲に独特な面白さがあって、その面白さこそストゥージズの色だったんじゃないかと僕個人は思うほどでした。その面白さは、それこそガレージやパンクと形容したくなるものです。
 たとえば録音。プレート・エコーが過剰にかかった(聴きようによってはヘタクソな)録音が、別の聴き方をすると独特のガレージ感やサイケデリック感を醸し出していました。メロトロンとワウギターのはるか彼方でプレートエコーまみれのヴォーカルが聞こえる「Ann」なんてその典型で、ガレージが裏目に出た時のこの安っぽいミックスが半周まわって意味深に聴こえたり。
 こういうガレージ感やサイケデリック感を通して感じる「ヤバさ」は、曲作りやアレンジにも感じるものがありました。10分ほど続く「We will fall」はドローンに乗った鎮魂歌のよう。なるほどこれは50年代の明るくぶっ飛んだアメリカの楽観主義ロックンロールとは違う、完全に泥沼化したベトナム戦争の通して変質した病んだロックだな、みたいな。この病みは意図した節もあって、「Real cool time」「Not right」「Little Doll」というロックナンバーは、いわゆるコード進行というものをさせず、リフなり何なりで曲想を作ったら、それを延々に続けてドローン効果を生み出し、その上にワウやファズを過剰に聴かせたギターを這いずり回らせ…ね、いかにも「あ、これはヤバいな」と感じさせる意図を感じますよね。

 というわけで、ソニックスやMC5のような荒っぽくも爆発力ある演奏能力に裏打ちされたパワーは感じないものの、実はサイケでガレージな魅力満載のアルバムだと思っています。今の耳で聞いたら演奏や音のショボさに耳が行ってしまって、そこに気づく前に終わっても普通だと思うので、もしこのアルバムを聴いてダメだと感じた方は、いちど3曲目から聴いてみたら面白いかも。2周もすればショボさに慣れてきて「あ、これはヤバかっこいいわ」と思えるかも…久々に聴いた僕はまさにこれでした(^^)。


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2022冬季五輪 女子カーリングすばらしかった!

2022WinterOlympic_carling_LocoSolare.jpg スポーツの採点競技は不正くさい判定が多すぎて、僕はずいぶん前から見なくなりました。日韓ワールドカップやフィギュアスケートでの不可解な判定や競技マナーを見て、東アジアの国が主催するスポーツの国際大会も見なくなりました。今のオリンピックは平和の祭典でも何でもなく、政治利用や利権に群がる人間のクズっぷりばかりが目立つ金儲けイベントに成り下がったように見えて超オワコン。こんなオリンピックの放映権料に馬鹿みたいな大金を払って持ち上げるテレビメディアもどうかと思うし、今さらこんなの観るなんて…と思ってはいるんですが、カーリングだけは昔から好きなんですよね。頭脳ゲームとスポーツのバランスが最高に面白くて、戦略スポーツとしてアメフトとカーリングと野球は本当に面白いです。カーリング中継は、プロ野球中継やバレーボールみたいに変なジャニーズタレントが偉そうに口出ししたりせず、選手だった人がちゃんと解説してくれるのも素晴らしい(^^)。

 前回大会に続いて女子日本代表となったロコ・ソラーレが素晴らしくて、やっぱりカーリング面白かったです! 10チームでの総当たりとなった1次リーグ戦、前半戦はなんとカナダを破り、デンマークに逆転勝ちをして、逆転の連発で2位につける見事な戦い!でも後半戦の出だしの韓国に負けて調子を崩し、特にスキップの藤澤五月ちゃんがナイスショットもするけどダメダメなショットもけっこう出す不調。ラスト2試合は大差負け、特に最終戦の今大会最強のスイス相手の試合は実力差を感じさせる試合結果。これで1次リーグ敗退…かと思いきや、5勝4敗が3チーム並び、これが3すくみの成績のため、ベスト4選出はドローショットチャレンジという成績差での判定となり、これで首の皮一枚つながっての準決勝進出!いやーおめでとう。そういえば、日本が優勝した第1回ワールド・ベースボール・クラシックもこういう勝ち上がり方だったなあ。
 4位通過なので準決勝は1位が相手…って前日に大差負けしたスイスじゃねえか。ここは勝てる見込みなし、勝負は3位決定戦だな…と思ったら、ここにきてスイスのサードの調子が悪く、逆に調子を崩していた日本のエース藤澤五月さんがスーパーショット連発!ファーストの吉田夕梨花さんもすげえ。他のふたりも本気で凄い。それにしても、日本はスイーパーの頑張りがすごい、ミリ単位の調整を要求されるような超難しそうなダブルテイクアウトを連続で成立させちゃってましたが、これってスイーパーの力も半分ぐらいありますよね、きっと。
2022_JoshiCa_vsSwiss.gif 胃が痛くなるような試合展開のなか、第5エンドで日本が4点を挙げる超ビッグエンドを作り出し均衡が破れました。そして第9エンドの最後2投での五月ちゃんが凄かった。相手のストーンだけが4つ残った超ピンチの状況から、ダブルテイクアウトで相手のストーンふたつを出しつつ、自分のストーンをナンバーワンに残すスーパーショット!さらに次でもスイスに大量得点チャンスを作られるも、またしても難しいダブルテイクアウトを決め、後攻スイスの得点を1点に抑え込みました。この劇的な第9エンドで勝負あり、日本は大金星を挙げて決勝進出!

 決勝は、残念ながら敗退。でも決勝で日本を破ったイギリスは、4年前に3位決定戦で日本に敗れてメダルを逃した国。4年がかりでつかみ取った金メダルであって、ここにも大きなドラマがあったと思います。

 今回の女子ワールドカップで、ロコ・ソラーレには5回も6回も感動させられました。スポーツってこういう感動が素晴らしいです。素晴らしいスポーツマンシップを見せてくれた2019年ラグビーワールドカップ、弱小球団ヤクルトが戦略や戦術を駆使して優勝となった2021年プロ野球日本シリーズに続いて、本当に清々しい感動を味わわせてもらいました。ロコ・ソラーレ、メダル獲得おめでとうございます、そして感動をありがとうございました!


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『日野皓正 / ライヴ・イン・コンサート』

HinoTerumasa_Live in concert ジャズ・トランぺッターの日野皓正さんのライブ盤、こちらは日野さんの渡米を見送るために行われた1975年のさよならコンサートの録音です。11人編成でエレピやエレベの入ったエレクトリック・バンド。でも軟弱フュージョンではなく、いわゆるエレクトリック・ジャズ、カッコよかったです(^^)!

 エレクトリック・マイルスっぽかったですが、マイルスのエレクトリック・バンドよりは、曲(というか、長いアドリブ用のコード譜?)がしっかり書いてあって、アコースティック・ジャズのいくつかの楽器をエレキに差し替えた感じ。モード通過後のジャズがよくやった循環を使いながら色んなテンションで味付けした和声楽器をバックにアドリブしていく曲、4コースのセクション・アレンジとファンク・リズムからアドリブに突入していく曲、そしてラウンド・ミッドナイトのトランペット独奏。オープンパートのアドリブで言えば、ヒノテルさんもいいけどテナーサックスの宮田英夫さんが熱かったです!

 僕が最初に聴いたのがこういうフュージョンだったら、僕はフュージョン嫌いにならずに済んだかも…出会いって大事ですよね。でもやっぱり同時代のアメリカ音楽を一生懸命追いかけている感があって、日本のジャズってフリー以外はどうしても風下に立った音楽だったのかもなあと思ったりもして。このへんって音楽だけじゃなくて戦後のアメリカ支配が生んだ日本人のメンタリティそのものなのかも知れません。


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『Terumasa Hino / Taro's Mood』

Terumasa Hino Taros Mood 1973年にドイツで行われた日野皓正さんのライヴ録音です。レーベルはドイツのenja、純然たる日本人ジャズマンによるアコースティック・バンドで、ワンホーンのクインテットでした。

 日野さんの初リーダー・アルバムのタイトルにもなったバラード「Alone, alone, and alone」が冒頭曲。最初の増田幹夫さんのピアノで音楽の中に引きずり込まれ、ヒノテルさんがアドリブを継ぎつつ、その中からフェイク気味に吹かれるテーマが出てきたときにはもう涙が…。
 続く「Taro's Mood」はフリージャズっぽい出だしからヒノテルさんがテーマを吹くと一気にインテンポになって軽快に飛ばすご機嫌な演奏!もう、この冒頭の2曲で僕のハートはわしづかみにされました。
 CDのみの収録曲だと(LPは1枚、CDは2枚組になって4曲追加)、増田さんオリジナル曲「Black Daffodil」はフリジアン気味のモード曲でカッコよかったです。
 ただ、この頃のヒノテルさんってフリージャズ寄りの曲や演奏をライブに混ぜるんですが、演奏は熱いんですが曲がどうしても単調になってしまって、僕にはどうも面白く聞こえませんでした。このアルバムだと「Predawn」や「Cycle Circle」がそれなんですが、ずっと押しっぱなしで引くところがないし、構成づけもできてなくて曲をコントロールできてない感じなんですよね。自由即興の状況で構造を生み出すのって、ジャズの人より即興の人の方がうまい人が多いですね。ジャズの人だと、なんかジャズ的なアドリブソロを吹きまくるだけになってしまう事が多いです。

 このレコードはドイツでのライブだし、この後に日野さんはアメリカに活動の拠点を移したし、日本人ジャズのトップランナーだった日野さんは、このあたりでヨーロッパやアメリカで認められ始めたのかも。 まあ、認められようがられまいが、日野さんの実力は音を聴けば一目瞭然です(^^)。


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『日野皓正クインテット / ライヴ!』

Hinoterumasa Quintet_Live 1973年録音、ジャズ・トランぺッター日野皓正さんのライブ録音です!クインテットとはいっても2管ではなく、コンガ入りのアコースティックな5重奏団。リリースはスリー・ブラインド・マイス。このレーベル、ジャズに愛があるというか、いいレーベルですよね(^^)。

 アルバム通して全3曲。この頃の日野さんは曲より演奏重視で、元曲が分からないぐらいにアドリブが拡張してる感じ。このレコードに入っていた「ステラ・バイ・スターライト」なんて、言われなければ何の曲か分からないほどです。20分ぐらいあった最後の曲なんて、部分的にはかなりフリー寄りになってましたし、アリス・コルトレーン的なモードっぽくもありました。でもそういうフリーやモード的なアプローチはあくまで曲の一部分のギミック的な扱い、中心にあるのはあくまである調の中でアドリブ演奏、それで自分を表現する事が音楽の目的のように感じました。

 そういう意味で言うと、60年代のニュージャズ的な雰囲気でもあって、音楽的にはこのへんの時代のヒノテルさんが一番芸術的な事をやっていたように思います。ただ、こういう音楽は日野さんには合わないというか、むしろ自由な空間を与えられると考えなくちゃいけない所がいっぱい出てきて、むしろペットを思う存分吹けないで考えてしまっているようにも感じました。でも、この後の軟弱フュージョン時代よりは全然いい…と思うのは、たんなる自分の趣味なのかな(^^;)>。。


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『日野皓正・菊地雅章 / 日野=菊地クインテット』

Hino Kikuchi Quintet 1968年録音、日野皓正さんと菊地雅章さんの双頭リーダー・アルバムです。編成は2管クインテット、メンバーは日野皓正(tp)、菊地雅章(p)、村岡建(ts)、稲葉国光(cb)、日野元彦(dr)。ベースはアップライトだけどアンプから出したような音、そしてプーさんはこの時からすでに唸りまくってました(^^;)。音楽は正統派のハードバップ調。演奏にしても編成にしても、マイルス・デイヴィスのクインテットを意識していたのかも。

 ペットのヒノテルさんとドラムのトコさんがうまい!ヒノテルさんは初リーダー作発表から2年目ですが、サウンドもプレイもすでに完成品といってよいほどの素晴らしさでした。この兄弟、この時点でニューヨークに行ってもトップレベルのプレーヤーとして通用したんじゃないでしょうか。でも68年でハードバップ調だと古く思われたかな…。
 ただ、いま聴くと、アメリカ音楽の完コピな所が気になりました。アメリカ音楽の良いところを取り入れて自分の音楽を作ったんじゃなくて、完コピ。アフリカン・ポップスなんかを聴くとたまに感じる事ですが、洋楽の影響を受けてアフリカ音楽とフュージョンしているものは楽しめるんですが、完全に洋楽そのままだと「だったら洋楽聴くよ」と思っちゃうんですよね。これはその日本版。時代的に、まだアメリカ音楽の学習期だった事もあるのかも。

 この後、菊池さんは洋楽の丸コピーじゃない独特な表現に到達しましたし、日野さんも自分のアドリブ自体が音楽であるような形の音楽に挑戦するようになっていったりしていきました。というわけで、いま聴くと日本のジャズ史の中での習作期と感じた作品…と言いたいところですが、いまだに洋楽丸コピが日本の音楽文化のど真ん中にいる所を見ると、ある意味で戦後日本の文化傾向を映した作品といえるのかも知れません。


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『日野皓正カルテット / アローン・アローン・アンド・アローン』

HinoTerumasa_Alone Alone and Alone 異論をはさむ人は誰もいないだろう、日本を代表するジャズ・トランぺッター日野皓正さん。僕が日野さんの生演奏をはじめて聴いたときには既に90年代に入ってましたが、音にしても演奏にしても本当に凄くて、ベテランにこんなはつらつとした音を出されたら若手はたまったもんじゃないな、と思わされました。これは1967年にリリースされた日野皓正さん初リーダー・アルバムです。ピアノはなんと大野雄二さん。67年当時はまだアコースティック・ジャズのステージに立ってたんですね。大野さんはフュージョンに行く前の方が圧倒的に好きだなあ。

 翌68年録音の日野=菊池クインテットがとてもオーソドックスなハードバップだったので、デビュー・アルバムもそんな感じかと思ってたんですが、これがなかなかバラエティ豊か。ほとんどワンコードでアドリブする曲とか、独特なリズム・フィギュアを作ってスタンダード・ナンバーをフォービートで無くす曲とか、アコースティック・ジャズの中に色んな工夫がありました。全曲とも日野さん作曲で、並々ならぬ意気込みで録音に入ったのかも知れません。

 プレイは、いかにもモダン・ジャズの王道トランぺッター的で素晴らしかったです。僕が思う王道ジャズ・トランぺッターって、ルイ・アームストロングディジー・ガレスピークリフォード・ブラウン、こういった人です。マイルス・デイビスはちょっと違う。。つまり、あまり考えず、迷うことなく音をパンパンと紡いでいく人、みたいな。この瞬発力が素晴らしくて、「soulful」なんて、ひとつのモチーフを作ったら、そこから発展させるスピードといったら。。これ、他の楽器の人だったら「このモチーフを変奏して、次の主題を提示して、つなぎ目はスケールアドリブで…」とか、考えると思うんですよ。でも、ジャズ・トランペットだけは独特の伝統があって、考えてないわけじゃないんでしょうが、感じた瞬間にはもう音を出してるぐらいに速いです。日野さんは出音もパーンと来てすごいですが、このスピード感が一番の凄さと思います。逆に言うと難しい音楽には向かない性格というか、いい意味でジャズ・トランペットの申し子みたいな性格なんじゃないかと。本当に素晴らしいです。

 うーん、初リーダー作にしてすでに凄いです。そして、アルバムタイトルにもなったバラード「アローン・アローン・アンド・アローン」の切なさと言ったら…。ジャズ業界内では色々と言われていた人ですが、僕は本当に尊敬するなあ。。


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『McDonald and Giles』

McDonald and Giles ジャイルズ・ジャイルズ&フリップがキング・クリムゾン結成前のレコードなら、1971年発表のマクドナルド&ジャイルズは、イアン・マクドナルドとジャイルズ兄弟がキング・クリムゾンを抜けてからのレコードです。大名盤『クリムゾン・キングの宮殿』を聴くと、ドラムとフルートが驚異的にうまいと感じて、御大ロバート・フリップは音楽を見事にまとめてるけど演奏は他のメンバーほどの超絶までは行ってないと感じてました。フリップさんにとって彼らの脱退は精神的にも実際の音楽面でも大ショックだったでしょうね。

 B面は始まってすぐ、ゆったりとした牧歌的な音楽。これはジャイルズ、ジャイルズ&フリップみたいなもんか残念…と思いきや、徐々に盛り上がり、展開し、そのままジャズ的なアドリブ・パートになだれ込み…うわーメッチャうまい!ジャズ・ロックなんて言葉がありますが、あれは悪い方に出るとジャズをやりたいけど技術が足りないだけとか、フュージョンみたいにアドリブしてるだけで表現も曲の構成もない音楽になっちゃう事がありますが、いい方に出るとジャズより曲の個性も構成もしっかりしてカッコよくなることがあるんですよね(^^)。これはそんな感じ、強烈なアドリブの最後でムッチャ綺麗な叙情パートに戻って来た時の快感は半端なかった!

 でもA面はやりたい事がよく分からかったりして(^^;)。フォークっぽい曲、ジャズっぽいパート、ポップス、とつぜんドゥーワップ、アナログディレイで遊ぶ…散らかってます(^^;)。つまり彼らは素晴らしいプレイヤーではあるけど、作曲家やアーティストやバンドマスターではないんですね。作曲家やアーティストやバンドマスターって、「何をやるのか」という音楽のコンセプトがしっかりしていて、捨てるものをしっかり捨てる仕事だと思うんですが、こういう出来る事やりたい事を考えなしに片っ端からやってしまうのは、気質としてプレイヤーなんじゃないかと。プレイヤーってある程度になれば、クラシックだってジャズだってロックだってフォークだって、形だけなら大体なんでも出来るんですよね。その中で何をやるのか、どういうものを生み出すのか、ここを決定できなければプレーヤー以上のものではない、みたいな。

 というわけで、間違いなくうまいし、いいところはすごくいいんだけど、方向が絞りきれてないように聴こえたところがちょっと残念でした。そう考えると、優秀なプレーヤーと全体を構成できる作曲家の揃っていたキング・クリムゾンって、やっぱりいいバンドだったんだなあ。


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『King Crimson / March For No Reason』

King Crimson March For No Reason 初期ラインアップでのキング・クリムゾンが一体どれぐらいのライブをこなしていたのか知りませんが、僕が今までに聴いたファースト・ラインアップのキング・クリムゾンのライブで一番すごかったのは、1969年9月8日プランプトン・フェスティバルでの演奏(昔はブート『The court of the schizoid man』で聴くしかなかったけど、今は公式に発表されたのかなあ)。「初期キング・クリムゾンってスタジオワークで音楽を完成させるバンドかと思ってたのに、ライブの方が凄いじゃねえか!」と度肝を抜かれました。
 以降、ファンクラブ限定で出されたCDやブートで、初期のライブ音源が出るたびに買って聴いていたのですが、69.9.8プランプトンを超えるものなし。そんな時、プログレ専門の中古屋でプランプトン前日の9月7日にヴィクトリア・ボールルーム・ジャズクラブというところで行われたライヴ音源を発見!それがこの2枚組ブートCDでした。こんなの買うしかないじゃねえか…こうやって若い頃の僕は必死に貯めたバイト代をキング・クリムゾンに吸われていったのでした(^^;)。

 このCD、恐らく9月7日のライブをフル収録しようとして2枚組となり、でも2枚組にしたら今度は時間が余ったので69年のBBCセッション全4曲を追加。それでも時間が余ったので9.8プランプトンのうち2曲も追加、みたいな感じで作ったのかな?さすがブート、発想が凄い(^^;)。BBCセッションは『Epitaph』に、プランプトンは『The court of the schizoid man』に感想を書いたので、9.7ヴィクトリア・ボールルーム・ジャズクラブの感想だけ書こうかと思います。

 オーディエンス録音の音はあまり良くなく、最初の方なんて音が小さくなったり大きくなったり(^^;)。でもブートに慣れた人なら許せるレベルかな?曲ではライブで「Talk to the wind」をやってるのは珍しいです。「Improvisation」と記載されている30分に及ぶパフォーマンスは、他のCDだと「Mantra」「Travel Wearly Capricorn」なんて言われてる中間部の即興演奏前提の曲と、セカンド・アルバムに入っていたホルスト…じゃなかった「Devil's Triangle」のメドレー。

 69年というキング・クリムゾンのファースト・ラインアップにショボい演奏なんてひとつもないと確信させられました。唯一の弱点を挙げるなら、キング・クリムゾンでリーダー的な役割を果たしたロバート・フリップのギター・ソロ。フリップさんはこのバンドではオーケストレーション担当の色が強いというか、あんまりアドリブを取らせてもらえませんが、そんな彼のアドリブの見せ場になるのが「21世紀の精神異常者」の間奏部分。これはキング・クリムゾン最初の解散までずっと続いていて、74年のライヴともなると「これ以上のレベルのギター・アドリブを弾けるロック・ギタリストって、フランク・ザッパぐらいしかいないんじゃないか」と思うほど凄いんですが、この時代はちょっとショボい(^^;)。ところが「Drop in」のタッピングを軸に組み立てたジャズ的なギターソロはすごい。う~ん意味が分からないっす。69年時点のロック・ギターで言うと、アドリブ以外はクラプトンジミヘンでも出来ない事を平然と弾いちゃう凄腕ギタリストでもあるんですよね。

 でもやっぱり耳が行くのは、作曲の素晴らしさ、バンドメンバー個々の演奏能力の高さ、そしてバンドとしてのアンサンブルの素晴らしさでした。単に上手というんじゃなくて迫力がすごいし、演奏に鬼気迫るものを感じる時すらあります。あまりに素晴らしくて、こんなに音が悪いブートでも聴き入っちゃいますからね(^^)。

 なんというのか、サードからフィフスまでのソフト・マシーンや69年と73-74年のキング・クリムゾンは、プレーヤーがジャズ・ミュージシャンなので他のロックバンドとは演奏レベルが違い過ぎるというか、反則という気がします。他のバンドだって高校野球で甲子園に出てくるぐらいの立派なレベルなのに、彼らはプロ野球選手級なんですもの。僕がブートですら追いかけたバンドは、70年代までのキング・クリムゾンとフランク・ザッパだけですが、久々にこの録音を聴いて、若い頃の自分が熱狂したのも当然だと思わされました。クラシックばりの大楽節、ジャズ即興、前衛性、ポピュラー音楽の域を超えた文学詩、ロック独特のノイズ性、これらすべてを共存させるという、ロックには以降2度とあらわれる事のなかったスーパーグループであったと思います。初期メンバー全員に感謝。

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『King Crimson / Epitaph』

KingCrimson_Epitaph.jpg 結成するやいなや、ロックの歴史にさん然と輝く驚異の音楽『クリムゾン・キングの宮殿』を作り上げ、そしてあっという間にメンバーが脱退して空中分解した初期メンバーのキング・クリムゾン。最初の解散までのキング・クリムゾンの音楽の素晴らしさ凄まじさに魅了された僕は、それがブートだろうがオーディエンス録音だろうが、60~70年代のキング・クリムゾンの演奏とあらば夢中で聞きかじっていた時期がありました。
 とにかくメンバーチェンジの激しいバンドでしたが、マイケル・ジャイルズ、グレッグ・レイク、イアン・マクドナルド、ロバート・フリップという初期ラインアップと、デヴィッド・クロス、ジョン・ウェットン、ビル・ブラッフォード、ジェミー・ミューア、ロバート・フリップという最終ラインアップのふたつは、ロックの歴史の中でも異常といえるレベルのすごいバンドでした。これは初期ラインアップでのライブ録音で、CD2枚組。この時期のライブはブート以外ではリリースされていなかったので、リリースされるやいなや飛びつきました(^^)。

音源はひとつのライブを丸々というものではなく、以下の音源を収録していました。
・69.5.6と8.19収録の2つのBBCラジオ・セッション
・69.11.21フィルモア・イーストのライブの一部
・69.12.14フィルモア・ウエストのライブの一部
・12.16フィルモア・ウエストのライブの一部

 音楽は例によってロックとジャズとクラシックのとんがったところをみんな取り込んだ凄さ、演奏はクソうまい、でも録音はもう一声という内容でした。なるほど、録音が良くないからずっとリリースされなかったんですね、きっと。
 ただ、驚異のメンバーが揃った初期ラインアップ時のキング・クリムゾンにはひとつだけ弱点がありまして、まだロバート・フリップが単旋律のロックなギター・ソロがうまくない事。たぶんクラシック・ギターやジャズ・ギターの練習はしていたようで、そっち系の演奏はうまいんですが、とにかくロック的なギターソロが弱いです。面白いですよね、ロックのギターの方が簡単そうなものなのに。でも、数年後にはとんでもないロック・ギターのソロを弾いちゃうので、単にロックの練習が間に合ってなかっただけじゃないかと。まあこんな事も、以降のロバート・フリップのギター・ソロの素晴らしさを知ってるからそう思うのであって、69年時点のロック・バンドのギターでここまで弾けたら相当なもんじゃないかと。
 他のメンバーの演奏は、とんでもないレベルでした。特にイアン・マクドナルドのサックスと、マイケル・ジャイルズのドラムの凄さといったら、大名盤『クリムゾン・キングの宮殿』での演奏ですら控えたものだった事が分かる凄さでした。60年代後半のブリティッシュ・ジャズのミュージシャンのレベルの高さはヤバいです。しかもクリムゾンの音楽はジャズ訛りがないから民族音楽にならずに芸術音楽に向かうのがカッコイイです。

 そんな演奏でジャズをやるのではなくて、クラシックのような構造美を持つ曲を演奏するんだから、やっぱり凄いバンドだったんだと思います。初期ラインアップのキング・クリムゾンは、ライブでスタジオ盤未収録の曲をやるんですが(「Get Thy Bearing」「Travel Weary Capricorn」「Drop In」など)、これがまたものすごい演奏と素晴らしい完成度の作編曲。この初期ラインアップでメンバー脱退が起きなければ、この3曲はセカンド・アルバムに収録されていたと思うし、このメンバーと3曲が入ってセカンドが作られていたらあんなショボい事にならなかったと思うので、つくづくあっという間のメンバー脱退が残念です。

 僕はこのCDを日本盤で持ってるんですが、そのライナーには1996~7年に行ったメンバーへのインタビューが載っていました。それを読む限り、「ああ、キング・クリムゾンって、本当はこの初期ラインアップの音楽をいうんであって、これが崩れて立て直すのに数年かかって、ようやく立て直せたのが解散前のメンバーだったんだな」と思いました。そのぐらい、この初期メンバーの音楽はスタジオでもライブでも強烈。いかんせん録音が良くないので、初期ラインアップ唯一の公式録音『In the court of the Crimson King』を聴いてない人は、先にそっちを聴く事を推奨しますが(そうしないと録音のショボさにずっこけるかも^^;)、もしあれを聴いているなら、このブート盤より音の悪いCDも聴く価値があるかも。僕が最初に初期キング・クリムゾンを聴いた時、そのロックの範囲を大きく超えたクラシカルな作曲技術に度肝を抜かれたんですが、初期のライブ録音を聴けば、実は初期ラインアップの凄さって、ライブで実力を発揮する演奏技術にもあった事が理解できると思います。


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『Giles, Giles And Fripp / The Cheerful Insanity Of Giles, Giles And Fripp』

Giles, Giles and Fripp_The Cheerful Insanity Of Giles, Giles And Fripp 1968年発表、キング・クリムゾン結成前のロバート・フリップとマイケル・ジャイルズ、そしてピーター・ジャイルズが組んでいたバンドのレコードです。ゲストにイアン・マクドナルド…完全にキング・クリムゾンですね(^^)。というわけで、このレコードを聴く人の99%は、キング・クリムゾンからたどり着くのでしょうが、僕もそのひとりでした。

 ところが音楽はキング・クリムゾンと似ても似つかぬものでした。キング・クリムゾンより、初期ソフト・マシーンに近いかな?あれよりさらにポップで、ユーモアとシニカルさたっぷりという感じ。クリムゾンのガチなシリアスさなんてかけらもないです。というわけで、クリムゾンを期待するなら絶対に買ってはいけません。

 じゃあ、ウィットとシニカルなポップスとしてどうかというと…僕にはよく分かりませんでした。ただ、フォービート叩いてるしテンションも普通に織り込んだバッキングしてるので、ドラムとギターがジャズをかじってるのは分かって、伝説のプレイヤーの修業時代を覗き見するような楽しさはありました。日プロ時代の猪木の映像を見るとか、高校野球部だった頃のイチローのプレイを見るとか、そんな感じ。でも、よほどのクリムゾンファンか、60年代のブリティッシュ・ポップの研究家でもない限りは、わざわざ聴かなくてもいい1枚かも。でも聴く前って知らないから、クリムゾンやロバート・フリップやマイケル・ジャイルスやイアン・マクドナルドが好きな人は一度は聴かざるを得ないんですよね。。


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イアン・マクドナルド逝去

IanMcdonald_pic.jpg 2022年2月9日、キング・クリムゾンやフォリナーといったロック・バンドで活躍したサックス/フルート奏者のイアン・マクドナルドが逝去しました。享年75歳。

 僕にとってのイアン・マクドナルドは、キング・クリムゾンでのサックスとフルートの素晴らしい演奏でほとんどすべて「クリムゾン・キングの宮殿」でのフルートなんて、69年時点のロックバンドなんかにいていいレベルじゃなかったですし、69年のキング・クリムゾンのライブで聴けるサックス・ソロは、マイケル・ジャイルズのドラムと相まって当時のブリティッシュ・ジャズのレベルの高さを思い知らされる凄さでした。それは出戻ってゲスト扱いで演奏したアルバム『レッド』収録の「One more red nightmare」や「Starless」でも同じ。
 そんなキング・クリムゾンを脱退して作ったマクドナルド・アンド・ジャイルズのアルバムは、キング・クリムゾンとはぜんぜん違う音楽性のアルバムで、ほっこりした音楽性は若い頃の僕の趣味ではありませんでしたが、音楽や演奏が素晴らしかったのはあいかわらずでした。
 少したって、77年に結成されたロック・バンドのフォリナーではギターやキーボードを演奏してた記憶がありますが、いかにも産業ロックな安易な音楽だったので、僕はほとんど聴かずじまいでした。

 キング・クリムゾン脱退が、あまりのハードワークに疲れ、恋人と結婚してあたたかい人生を送りたかったからだと、プログレ専門誌『マーキー』で読んだことがあります。本人がどう思うのかは分かりませんが、イアン・マクドナルドがもっともレベルの高い音楽を作ったのは、23歳の時のキング・クリムゾン参加時。人間なんてせいぜい80年も生きれば御の字な生き物なので、音楽家として最高の成果、それとはおそらく両立できないだろう心休まる日常、またどう生きればよいかを考える時間、こういうものをバランスよく生きるしかないと思うのですが、音楽ファンの我がままとしては、ミュージシャンとして燃えたのが69年だけではいかにももったいないと思ってしまいます。せめて5年、出来れば10年ぐらいそういう時期があって欲しいミュージシャンだったなあと、キング・クリムゾン参加時の演奏を聴くにつけ思ってしまいます。いずれにしても青春時代に素晴らしい感動を与えてくれたミュージシャンでした。ご冥福をお祈りします。


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『R.シュトラウス:《家庭交響曲》 《交響詩マクベス》 マゼール指揮、ウィーンフィル』

RStrauss_KateiKoukyoukyoku_Maazel.jpg マゼールがタクトをふったR.シュトラウスの管弦楽曲では、こんなCDも持ってます。「家庭交響曲」と「交響詩マクベス」のカップリングで、演奏はウィーンフィル!このCDの演奏も録音も、僕にとっては不満なところがひとつもありませんでした(^^)。やっぱり世界に冠たる指揮者やオケは素晴らしい。。

 「家庭交響曲 op.53」は1903年作曲の標題音楽。シュトラウスの奥さんは勝ち気な人で、マーラーの証言から想像するに、高嶋ちさ子ばりの人だったんじゃないかと(^^;)。シュトラウスは恐妻家だったそうですが、この交響曲はそんなシュトラウス家を音楽化したものみたいです。このCDではトラック5つに分けてありましたが、音楽は切れ目なく続いて、トータル44分ほど。
 最初に主人シュトラウスの主題が登場、次に妻の主題が登場、さらに子供の主題…と、登場人物がひと通り登場。揃ったところで、子供が遊んで寝て…という平和が描かれ、次には仕事をする主人、妻との愛の情景。そして夫婦げんかが起きて荒々しくなり(^^;)、最後に和解しておしまい。
 中盤のアダージョに入ってからしばらくが、ロマン派音楽特有の和声進行の情感が存分に生かされていて、ものすごく好きです(^^)。この標題も、生き生きとした人々の生活があったかくのほほんと音で描かれているようで、なんだかほっこりしました。深く感動するのでも大曲でもないかも知れないけど、音楽で幸福や平和や生命力を実感させるって、すごい事だと思うんですよね(^^)。

 「交響詩マクベス op.23」は、シュトラウス初期の作品で、単一楽章で演奏時間18分ほどの作品でした。持ってるのに、内容を全然覚えてなかった(^^;)。僕の音大時代の友人に「一度聴いた音楽は全部覚えている」という強者がいましたが、全然覚えられない自分がマジで恥ずかしいです(^^;)。それってソルフェージュ能力の差なんでしょうね。。
 主調はニ短調っぽいですが、シーンによって調を変えていくので、短調曲という感じがあまりしませんでした。音楽はいかにもロマン派で、すごく優雅なワルツになったり、不穏で荒々しいムードになったりと、ドラマが移り変わっていくのが分かるんですが、マクベスを読んでないもんで、それぞれのシーンと物語の関連が理解できず(^^;)。これは、マクベスを読んでから再挑戦したいところですが、マクベスを読むことは一生ないかも知れない…。ロマン派的な和音と和声進行を持ったシュトラウスの交響詩って、いま聴くとちょっとよく出来た映画音楽みたいです。シュトラウスの交響詩というと「死と浄化」や「ツァラトゥストラかく語りき」が有名ですが、「マクベス」はそれらに比べるとけっこう普通だった…かな?

 いや~、ロマン派音楽っていうのは音そのものの構造じゃなくて、音で情景を描き出してドラマを作り出すという構造を取るものですが、それにしてもR.シュトラウスの音楽は実に絵画的だと感じずにはいられません。若い頃は暗くハードでエキセントリックなものが大好きだった僕なので、家庭交響曲の良さなんてまったく理解できなかったですが、齢を取ると日常の幸福が実に胸に響いちゃって困ります(^^;)。シュトラウスの作品の中で、家庭交響曲は優先順位の高くない作品だと思いますが、僕はすごく好きだなあ。。


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『R.シュトラウス:《ツァラトゥストラはかく語りき》 《ばらの騎士組曲》 《ドン・ファン》 マゼール指揮、バイエルン放送交響楽団』

R Strauss_Zarathustra_Maazel 後期ロマン派の代表的作曲家といえば、2人あげるならワーグナーとマーラー、3人ならそこにリヒャルト・シュトラウスが加わる感じでしょうか。この3人の中で僕が一番すきなのは、3番手のはずのシュトラウスなんです。あとのふたりは、饒舌すぎて長い長い。1曲2時間とか、全部聴こうと思ったら四夜連続じゃないと聴き通せないとか、良い悪い以前に、時間も体力もあるときじゃないと聴くこと自体が無理。また、あちこち連れ回されすぎて、まとめきれてない気がするんですよね。その点、R.シュトラウスの音楽はまとまってる感じがします。しかも「変容」みたいに、構造や響きでも面白い事するときがありますしね!

 R.シュトラウスといえば交響詩ですが、マゼール指揮バイエルン放送交響楽団が演奏したこのCDは、有名な「ツァラトゥストラはかく語りき」に交響詩第1号「ドン・ファン」、そして有名なオペラ「ばらの騎士」の演奏会用短縮編曲版が入ってました。

 「ツァラトゥストラはかく語りき」は、もともとはニーチェの書いた哲学書のタイトルです。僕はこの本を読んだ事があるんですが、哲学書っぽくないんですよ。哲学っていうと、「私とは考えているその当人のこと」とか「人間は言語によって世界を書き割っている」とか、言葉や思考で真理を捉えようとする分野というイメージがあるんですが、ニーチェのこの本はかなり寓話っぽいです。ある標題に対して「ピエロが1本のロープを渡っていって…」みたいな話が書かれてたりして、これは何かの例えなんだろうな、みたいな。そんな本を音楽化するなんて当然無理、というわけでこの曲は本と切り離して聴いたほうが無難だと思います。
 そしてこの曲といえば…やっぱり「2001年宇宙の旅」ですよね(^^)。有名なあのメロディは知ってる人も多いと思うのですが、以降どうなるかというと…色んなシーンを機能和声で作ってあっちこっちへと引っ張りまわされます、いや~後期ロマン派です。サウンドや作曲技法的には「浄化」みたいな挑戦的な事はしてなくって、映画を見てるような音楽。
 それは「交響詩ドン・ファン」も同じ。僕、ドン・ファンって、あらすじぐらいしか知らないんですが、本をちゃんと読んでたらもっとシーンが分かったりして、面白く聴けるのかな?でも、まとまっているとはいえ大衆映画のような後期ロマン派の音楽なので、音や構造は今の耳で聞くとけっこう保守的かな?

 RCAのクラシックCDというと、音はアナログっぽくてリッチなんだけど音がつぶれちゃってダイナミックレンジも狭くて…という印象があったんですが、これは音は太くて迫力がある上にそれぞれのパートがはっきり聴こえて、めっちゃ音がいい!演奏も僕レベルの人間にとっては非の打ち所なし、素晴らしい!最近、指揮者やオケのクオリティって、世間や批評家の格付けを信用しすぎちゃいけないなと思う事がよくあります。マゼールさん、めっちゃよかった(^^)。というわけで、シュトラウスの代表作の半分が一気に聴けるこのCD、かなりいいんじゃないかと!


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『R.シュトラウス:《ばらの騎士》演奏会用組曲、交響的幻想曲《影のない女》、交響詩《マクベス》 ドラティ指揮、デトロイト響』

RStrauss_BaranoKisi KagenonaiOnna_Dorati アンタル・ドラティ指揮、デトロイト交響楽団演奏のR.シュトラウスの管弦楽曲集です。マゼール&バイエルン放送交響楽団とのかぶりは「ばらの騎士」組曲ですが、それ以外はかぶりなし。この両者と「アルプス交響曲」「変容」「死と浄化」あたりを揃えればいちおうシュトラウスの代表的な作品はひととおり聴く事が出来るんじゃないかと(^^)。

 ばらの騎士」は、元々はワーグナーの作品に匹敵するほど長大なオペラですが、オペラが苦手な僕はいまだ見てません(T_T)。いつか観たいなあ。。このCDではドラティが編纂した演奏会用組曲版。演奏会用の「ばらの騎士」は、シュトラウス本人が「ワルツ1番」「ワルツ2番」のふたつを作っているのですが、ドラティはこのふたつが扱ったシーンの音楽に的を絞って組曲を構成しています。そして、ドラティ編の「ばらの騎士」は、1940年代に数多く演奏され、大変な人気だったそうで。たしかに、これは良かったです!古典派からロマン派とつながっていくドイツの音楽は、色が薄いです。でも後期ロマン派になると機能和声の中にありながらも色彩を増していて、シュトラウスとなると絵画を見ているかのような素晴らしい色彩感覚(^^)。このCDに入っていた「ばらの騎士」組曲も、元のオペラがあるなんて思えないぐらい実にうまく組曲化されてるし、なんといっても見事な色彩でした。

 「影のない女」も、もともとはオペラですが、これはその音楽から作られた管弦楽曲です。編曲はシュトラウス本人で、楽章を分けずに単楽章で演奏されるドラマ、これも見事でした。

 ワーグナー、マーラー、R.シュトラウスといったドイツ後期ロマン派の音楽は、実に劇的だし色彩は見事ですが、なんせ長いしあっちこっち行くし、また標題音楽的で音楽そのものだけとして楽しめないのが、僕にとってはちょっとつらい所です。まあこれは、音だけじゃなくて物語も絡むからなんでしょうけど…。ところが、こうやって綺麗に20分ぐらいでひとつの作品にまとめてくれると、起承転結もしっかりするし、すごくいいと思います。というわけで、僕はドイツ後期ロマン派の3偉人の中では、シュトラウスの交響詩や組曲が好きです。いや~、これもいいCDでした!


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書籍『性的虐待を受けた少年たち』 アンデシュ・ニューマン/ベリエ・スヴェンソン著

SeitekiGyakutai wo uketa SHounentachi もともと心理学系の本が好きという事もあったんでしょうが、リチャード・ガートナーの書いた『少年への性的虐待』を読んで、あまりに面白かった(というと、ちょっと語弊があるかも…)ものだから、勢いあまってこんな類書も読んでしまいました。スウェーデンには国際NGOが運営している少年専用のクリニックがあるそうで、そこでの研究をまとめた本です。それにしても、性的虐待を受ける少年ってこんなにいるんだな、そりゃ太宰治も病みますよね。。

 類書だけあって内容は、ガートナー『少年への性的虐待』とあまり変わりませんでした。見解の食い違うところもなかったので、この分野の研究はおおむね一致しているという事かも。
 そんな中でも興味深かった点がいくつか。虐待者が近親者であった場合、子どもの中ではその虐待者をふたりの別人として認識する事がある事(p.76)。たとえば父親が虐待者の場合、虐待をしている人と普段の父親は別の人、といったぐあいです。
 子どもたちが虐待を受けて子供同士がお互いを求めあって性的なまでに親密になる場合がある事(p.125)。これをヘンゼルとグレーテル症候群と呼ぶんだそうです。

 内容がほぼ丸かぶりなので、『少年への性的虐待』と『性的虐待を受けた少年たち』は、どちらか一冊を読んでおけば問題ないかと思います。で、どちらが詳しいかというと、治療まで踏み込んでいるという意味で前者が圧倒的。でもあっちはけっこう専門的なので、大学生以上じゃないと読むのは大変かも。難しい本を読んだことがないという人は、こっちの方が分かりやすいかも知れません。


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書籍『少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療』 リチャード・B・ガートナー著、宮地尚子ほか訳

Shounenheno Seitekigyakutai 太宰治『人間失格』を読んでいて引っかかったのが、主人公が幼少期に受けたという性的虐待。サラッと流されて細かくは書かれていないのですが、それは自己否定という人格を形成した重要な契機のひとつで、とても書けなかったか、解離(トラウマになるほどショッキングな出来事を、自分の体験ではない事として切り離してしまう精神の働き)を起こして記憶の彼方に握りつぶしてしまっているのか…な~んて思いました。そんな精神科医みたいな感想を持ったのは、この本を読んだから。
 この本の筆者は心理的トラウマを専門にする精神分析の専門家さんで、訳者も精神科医で医学博士。ともすればエロそうな本にも見えますが(実際のところ、性犯罪が関連するので、見ようによってはちょっとエロい)、480ページを超える立派な専門書でした。

 この本の構成は、おおむね以下の通りでした。この分野のこれまでの常識や用語の紹介(1章)、被害者の少年がそれを性的な通過儀礼と捉える傾向について(2章)、男が性的虐待を受けるというところから生じる男性性をめぐる苦悩(3~4章)、虐待の家族や文化的な背景(5~6章)、抑圧や解離や多重自己状態といった虐待から引き起こされた精神障害について(7章)、不信やサディズム/マゾヒズムといった性格への影響(8章)、医者の性別や、医者が患者から受ける影響など、治療一般に関する注意点や問題点(9~11章)、という章立てでした。

 祖父や実父からフェ〇チオを強要されるとか、年長の同姓数人にマワされるとか、そりゃトラウマにならない方がおかしいだろうといった実例が次々に出てくるので、耐性がない人は読まない方がいいかも(^^;)。女教師など年上の女性に関係を迫られるのは「おおっ!」と思いもしましたが、もし自分が小学生の時に担任のあのクソばばあと関係を持ったとしたら…うああああああ絶対に嫌だわ、想像するだけでもたしかにトラウマだ!
 というわけで、実際に被害体験をしていない僕は(まったくないわけじゃないんですけどね^^;)、ついついある種の偏見をもってしまうのですが、実際に性的虐待を受けた少年はそんなものじゃないとつくづく思わされました。

 そんでもって、そのトラウマになる心理過程が実に興味深かったです(ここを読みたかった)。恐怖や苦痛だけでなく快感でもあった事で自責の念に駆られる。信頼できるはずの大人を信頼できなくなって、以降の人生でまともな人間関係を築く事が出来なくなる。ショックな出来事を処理しきれず、「あれは僕が実際にした体験じゃないんだ」とその体験を切り離す事で、解離とか多重人格といった症例を引き起こす。男性から被害を受ける事で「僕は男なのに男らしくないんじゃないか」とジェンダー意識に深い傷を負ってある種の自己錯誤に陥る。う~ん、人間の精神の構造ってつくづく面白いです。

 僕は精神医学は学生時代から興味があったので、こっち系の本を何冊か読んだことがありますが、読むたびに発見があって驚きです。人間のマインドってこういう風に出来ているんだと思わされるというか。これはメッチャクチャ面白かった、500ページ近くあるというのに、2日で読み切ってしまいました。精神医学に興味がある人はおすすめです!

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小説『人間失格』 太宰治

NingenSikkaku_DazaiOsamu.jpg 1948年発表、太宰治の晩年の小説です。この小説を脱稿してすぐに太宰治は愛人と心中。その内容と相まって、太宰治の自伝か遺書のような本とも言われてます…よね?僕は学生の時に、国語教師にそう教わりました。今はどうか知りませんが、僕の学生時代は太宰治を信奉する若者が多かったと記憶しています。僕のクラスメイトにも、いま一緒に仕事をしている若い女の子(と言っても20代後半)にもダザイストがいます。

 小説は、ある男の手記を読む形で書かれています。手記の書き手は、豪商の大家族の末っ子で、頭も顔もいいが人の気持ちが分からず、自分を表現できず、女中や下男に性的虐待を受けて育った男。自分の本意を隠し、人に気に入られるよう振る舞って生きるようになります。社会人になってからは女と心中未遂を起こし、薬物中毒になり、最終的には脳病院(現在の精神科や心療内科?)に入院、自分を人間失格と自覚するに至ります。

 ファースト・インプレッションを正直に言うと、主人公がアスペルガー症候群気味、自意識過剰、シャイ、そして頑固であると感じました。独立心の強い社会なら、強烈な心的外傷を負っているなどのよほどの事情でもない限りは、生きていくのに邪魔になるような気質ぐらい自分で直せ、な~んて思わなくもなかったです。程度はともかく、心的外傷なんて誰だって負うものでしょうし、そこから立ち直って得するのは自分なんだから、自分でがんばって直そうぜ、みたいな。それを自分でも分かっているけど出来ないから「人間失格」なのかも。

 それに関連して思ったのは、「僕はダメなやつなんだ」「僕は死ぬんだ」という所につながっていく心理の背景には、独立心が弱く甘えの構造がある日本文化があるのかな、な~んて思いました。自意識過剰、シャイ、何らかの精神的外傷…子どもの頃は大なり小なり、社会的人間として弱点となりうる何らかの特徴や傾向や経験をみんな持ってると思うんですよね。それを克服していくのが大人への過程だと思うんですが、それを気に病むばかりで修正には行かない・出来ない態度の裏に、甘えの文化があると感じました。マッカーサーが日本に来て、日本人の精神年齢が12歳程度に見えたという話がありますが、まさにそんな印象。どこまでが個人の権利で、どこからが社会規範に従うべきかの線引きは難しい場合もありますが、さすがに「赤信号でも俺は渡りたいんだ」というのは、自分より社会を優先すべき事ではあるじゃないですか。

 ただ、こうした印象の次に感じたのは、『人間失格』の主人公(おそらく太宰自身)には、「強烈な心的外傷を負っているとかのよほどの事情」がある可能性があって(だって明らかに病的だし^^;)、赤信号で渡ってはダメという事が判断できないほどなのかも知れない、そうだとしたら話は変わってくるのかも、と思い直しました。というのは、幼少期の描写で、サラッと「女中や下男に性的虐待を受けた」みたいなことが書いてあるんですよね。
 最近、少年が受けた性的虐待に関する精神分析治療の専門書を読みまして、その中で太宰治が例として取り上げられていました。自殺願望や自分の思った事を言えないなど、この本の主人公の特徴を取り上げて、海外の精神分析医たちがみな「幼少時に虐待を受けた人間の傾向に一致する」と判断したそうなのです。そうであれば、自殺を企図するほど自分の性格に悩んでいる人の心の声を伝えたもの、ぐらいの意味を帯びた小説なのかな、みたいな。

 いずれにしてもそういう小説なので、問題はこの小説がどう消費されるかじゃないかと。僕は学生時代、こういう日本の近現代の文学を読んで、「辛さを分かってくださいみたいなのが多くて、文学って本当に読む人の為になるものなのかな」と疑問に思ったんですよね。外国文学は「問題を特定して、それをどう乗り越えるか」というものが多く感じたので、余計にそう感じました。訴えること自体は意味ある事と思うんですよ、問題はその先。もし読んだ結果が「うんうん、わかる」とか「こんな事があるんだ」だけで終わって、最後の「ではどうするか」や、実際の行動に結びつかなければ、結局本は本でしかなくなってしまいます。あるいは、これと同じような心境を覚えているまだ大人になり切れていない人が「私と同じ人がいるんだ」と感じて、それが何かの心の支えになったとしたらそれはいい事だけど、それ以上のところまで進んで自殺の連鎖につながったりしたら、恐らくあまりいい事じゃないですよね(自殺が解決策として最善かどうかは、ここでは保留)。

 というわけで、このぐらいだったら「それは個性」とするだろう現代(このレビューを書いたのは2022年)に、この本を正しく消費するとしたら、素晴らしい文学として扱うのではなく、「強者は弱者をいじめるな」「自分が病んでいると思ったら泥沼で辛く感じている状態を続けず、解決策を見出せ」「それが出来ない状態なら医者やハローワークや警察の相談センターなど、しかるべきところに行って何とか解決してもらおう」といった事を元気なうちに心がけておく、あたりじゃないかなあ、なんて思ったりして。そうそう、太宰治の精神分析医の立場から書いた本は『少年への性的虐待』という本なのですが、その本についてはまた次回!


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『Buddy Guy / I Was Walking Through the Woods』

Buddy Guy I Was Walking Through the Woods 発表は1970年ですが録音は60~64年、つまりバディ・ガイのチェス初アルバムとなった『Left My Blues in San Francisco』よりも古いバディ・ガイのチェス録音集です。そういう事はまったく知らなかった若いころの僕でしたが、このジャケットにしびれて買ったんでした。

 デビュー・アルバムより古い録音とはいえ、デビュー・アルバムにはないバディ・ガイのルーツが聴けるというわけでもなくて、この時点から同じような音楽をやっていました。ブルースだけでなく、R&BもR&Rもやるバンドブルース、みたいな。ビートに合わせてメロディが裏から入る「Watch Yourself」なんて、思いっきりカッコいいR&Bでした。変わり種では、思いっきりマイルス・デイヴィスの「Freddie Freeloader」までやってました…詩をつけて、作曲者がバディ・ガイという事になってましたけど(^^;)。
 とはいえ、本筋のスロー・ブルースの比率がたしかに高かったです(アルバムの6割ぐらい?)。さすが本職、スローブルースも良かったです。スローブルースでは間違いなく単旋律でチロチロとギターで合いの手を入れていましたが、「キュイーン」みたいなチョーキングが入って、スケベオヤジっぽくてエロカッコよかったです(^^;)。

 マイナス面は、ホーンセクションがうまくない事と、ヴォーカルが僕の趣味にどうしてもあわない事でした。ホーンセクション、2管だしスコアも冴えないのでプレイヤーだけを責めるのは酷ですが、50~60年代あたりのR&Bやソウルに入っているホーン・セクションってたいがい下手ですよね…。これだったら入れないほうが良いと思っちゃうなあ。「I got a strange feelin’」ではブルースハープが入っていて、こっちは表現力抜群なので、ホーンセクションじゃなくてハーモニカにしておけばいいのに、と思ってしまいました。これはステージ上の音圧を稼ぎたいとか、ステージ栄えの問題なんでしょうか。
 バディ・ガイのヴォーカル、叫ぶように歌うスタイル自体はカッコいいんですが、いかんせん声がかん高くて(^^;)>。なるほど、頭の中でヴォーカルをマディ・ウォーターズやサニー・ボーイ・ウィリアムソンに差し替えたら、文句なしにカッコよくなりました!ヴォーカルって大事だなあ。

 なんだかんだ言って、聴いていてすごく楽しかったです。なんだろ、聴いていると60年代初頭のシカゴで賃金労働している黒人になった気分、夜にバーやビリヤード場に寄ったような空気感というか。シカゴブルースはファーストフードや演歌と同じで、いい所はあるけど露骨な弱点もあれば似たもののキンタロー飴でどれも60~70点ぐらいと感じますが、一度ハマると次々に聴きたくなっちゃう魅力があります。チャック・ベリーリトル・リチャード登場後のブラック・ミュージックは、ブルースもロックに寄せていったんだな、なんて思いました…あ、それがR&Bなのかも、いま初めて理解出来た気がしました!ブルース、R&B、R&R までをフォローした60年代初頭の黒人音楽を目の当たりにした感じで、とても楽しかったです。


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『Buddy Guy / Left My Blues in San Francisco』

Buddy Guy Left My Blues in San Francisco 1967年発表(録音は65~67年)、バディ・ガイのチェス・レコード初アルバムです。60年代後半のシカゴのバンド・ブルースでは、バディ・ガイは主役のひとり。ジミヘンが嬉しそうにニコニコしながらバディ・ガイの演奏を聴いているビデオを観た事がありますが、それぐらいにイケてる人だったんでしょうね。

 マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフといった50年代のシカゴ・ブルースというと、トッポくてもあくまでブルースと感じるものがほとんどでしたが、バディ・ガイやオーティス・ラッシュマジック・サムの活躍した60年代後半のシカゴ・ブルースとなると、ブルースだけでなくR&Bやロックも混ざった音楽が多いと感じます。このアルバムなんてまさにそうで、ロックな2曲目「Crazy Love」を聴いてブルースだと思う人なんていないんじゃないかと。サックス入りの「Buddy’s Groove」や「She Suits Me To A Tee」だって、R&Bかロックかという味わいで、とてもブルースなんてもんじゃないです。
 とはいえ、ブルースがないかというとそんな事は無くて、スローブルース「When My Left Eye Jump」や「Mother In Law Blues」なんて、さすがの味わいでした…それでもオルガンやホーンセクション入りで、新しい感じでした。というわけで、進化系ブルースというよりは、ブルースもR&Bもロックもやるアフリカ系アメリカ人の音楽、みたいに感じました。

 久々に聴いたこのアルバム、メッチャかっこよかったです。でも若いころは実は好きなアルバムじゃなかったんですよね。なんで若いころはダメだったのかを考えてみると、ジミヘンが憧れたというバディ・ガイにギターのスーパープレイを求めていたとか、ディープで暗いブルースを求めていたとか、そういう事だったのかも知れません。高い声でシャウトして、演奏は基本的にバックバンド任せで自分は単旋律のソロをチョロッッと弾くぐらいで、聴くべきはバラエティに富んだ曲想だったんじゃないか、みたいな。いやあ、50年代シカゴブルースは苦手、60年代後半のシカゴ・ブルースなんてもっと性に合わないと思っていたんですが、よもや自分がこの音楽をこんなに良いと思うようになるとは思ってもみませんでした(^^)。バディ・ガイばんざい!


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プロフィール

Bach Bach

Author:Bach Bach
狭いながらも居心地のいい宿で、奥さんとペット数匹と仲良く暮らしている音楽好きです。若いころに音楽を学びましたが、成績はトホホ状態でした(*゚ー゚)

ずっとつきあってきたレコード/CDやビデオの備忘録をつけようと思い、ブログをはじめてみました。趣味で書いている程度のものですが、いい音楽、いい映画、いい本などを探している方の参考にでもなれば嬉しく思います(ノ^-^)ノ

最近気になってるCDとか本とか映画とか
ロシアとウクライナがほぼ戦争状態に入りましたが、僕はソ連解体後のウクライナについて本当に無知…。これは2016年にオリバー・ストーン監督が作ったウクライナのドキュメンタリー映画。日本語字幕版が出たらぜひ観たい このブログをYoutube にアップしようか迷い中。するなら作業効率としては早いほど良いんですよね。。その時にはVOICEROIDに話してもらおうかと思ってるけど、誰の声がいいのか考え中
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