ザクとグフ、ゼッツーとゼファー、原田芳雄と
松田優作みたいなもので、
郷ひろみさんの後釜に見えたのが、80年にデビューした田原俊彦さんです。歌はちょっと苦手だけど踊れるアイドル歌手で、ジャ〇ーズ出身で、ジャ〇ーズ事務所をやめるなり激しい横槍が入り…う~ん似ている(^^;)。これは、トシちゃんがデビューした80年から86年あたりまでのシングルA面を集めたオムニバスCDです。アマゾンを見てびっくり、けっこうプレミア化してるんですね。アイドルのLPやCDって、僕が若い頃は数百円でたたき売り状態だったけどなあ。
70年代前半生まれという僕の世代的な問題でそう感じるのかも知れませんが、まだガキだった僕から見ても、1980年は日本のアイドルの交代劇となった年と感じました。ここで何かが始まり、なにかが終わった感じ。79年までは、演歌、フォーク、そしてフォークから徐々に入れ変わっていったニューニュージック、これが流行歌の真ん中であって、その中に
西城秀樹、沢田研二、山口百恵、ピンク・レディーといったアイドルがポツポツと混じっている印象でした。
ところが80年になると、このパワーバランスが逆転したように感じました。山口百恵は引退しピンク・レディーは消え、西城秀樹は売れなくなります。入れ替わるように松田聖子と田原俊彦がデビューしたのですが、このふたりの爆発力がすさまじく、気がつけばチャートから演歌が消えてチャートの中心はアイドル、その中にポツポツとミュージシャンが混じっている状態。チャートがAKBとジャニーズとエイベックスしかいなくなる状態になった時期があったじゃないですか。あれの走狗が80年だったと思います。ここが実は日本のチャート音楽のターニングポイント、パワーバランスが入れ替わった瞬間だったんじゃないかと。
そんな当時のアイドル文化を、まだ小学生だった僕はどう思っていたんでしょう。
トシちゃん登場直前の男性アイドルというと、西城秀樹に沢田研二…歌がうまかったんです(^^;)。自分が小学校低学年という事もあり、70年代のアイドルは憧れる事の出来る存在でした。ところが入れ替わって出てきたト〇ちゃんやマッ〇は、小学生の男子が口をそろえて「音痴だよな」と鼻で笑う状態(^^;)。そろそろ早めの第2反抗期で悪ガキ寄りのグループにもいたので、僕に人を小馬鹿にする傾向があったのは確かですが、それにしたってト〇ちゃんが激しい音痴だった事は事実。しかもナヨナヨして思えたから、男の子からするとジュリーや秀樹のような憧れの対象にするのは無理な話でした。
ところが世間の反応は違って、松田聖子もトシちゃんも売れまくったのです。昔だから宣伝もステマも効きやすかったんでしょうけど、それにしたってこれが売れるとは僕には理解不能。これがきっかけとなり、アイドル文化が嘘くさい子供だましの商売に見えてきて、僕がアイドルに嵌らない大きな理由になった気がします。

ところが、トシちゃんに関しては、その後に思う事が出てきました。当たり前のことだけど、踊りがメインなんだから歌で評価してはいけないっすね(^^;)>。そして、歌唱力はともかく曲はいいものが幾つもあると思いました。
80年代前半デビューのアイドル歌手の持ち歌って、デビューからしばらくはやっつけ仕事な曲が多く、いい曲を持っている人の方が少ないです。これ、曲を書く側に回ると分かるんですが、自分が精魂込めて書いたものを、まだ売れるかどうか分からない新人にあげるのってイヤなものなんですよ(^^;)。松田聖子も河合奈保子も小泉今日子も、デビューからしばらくのシングルを聴くと、それはもうアレじゃないですか。それって実は、山口百恵や桜田淳子や西城秀樹や郷ひろみといった70年代アイドルも同じです。
だから、作曲家がある程度本気で取り組んだり、温めていた曲を提供するのは、ある程度売れた人に対して。これをアイドル側から見れば、世間の反応を見ながら自分をセルできるポイントが分かってからが、本当の勝負と思います。売れなきゃそこでおしまいの世界、自分のセルできるポイントは何か、それを具体的な形にしてくれる作家は誰か、これを作れるかどうか、みたいな。ここに成功したのがキャンディーズや松田聖子、失敗したのが河合奈保子。松田聖子にとってのそれが松任谷由実や尾崎亜美であり、山口百恵にとっては影あるクール・ビューティーを演出した阿木燿子&宇崎竜童。河合奈保子はあっち行ったりこっち行ったりとフラフラして、それを作る前に消えてしまいました。トシちゃんは両者の中間ぐらいに感じます。
こうした面から見た、トシちゃんの個性化のチャンスは、83年末発表「エル・オー・ヴイ・愛・N・G」だった気がします。ポップで、ダンスを披露できて、大量生産品の子供だましやチープさから脱却できる曲が、これ。この曲って、ブラス・アレンジやコード進行を聴くに、ブロードウェイ・ミュージカルを意識したものだったと感じるんですが、なぜそこに持っていったかは偶然ではなく、子供だましやチープさから脱却する道具立てというとが明確にあったのだと思います。理由は、それがこの曲だけじゃないから。次のシングル「チャールストンにはまだ早い」も近い路線なんですよね。でもこの大チャンスをトシちゃんはものにし切れなかったように感じました。その最大の理由は、トシちゃん自体が大人ではなかったんでしょう。
意外に詞が素晴らしいと感じたのが、デビュー曲「哀愁でいと」。平仮名のところがとってもトシちゃんですが(^^;)、実は詞がすごくて、「その日だけの恋ならば、優しさもない方がまし」などなど。子供のころはまったく詞の意味するところに気づいていませんでしたが、これはもう少し大人の雰囲気を持った歌手が歌うなり、トシちゃんが良い男になってから歌えていれば、さらに良く感じたかもしれません。
郷ひろみと田原俊彦、似たような売り方をされ、似たようなコースを歩みながら、大きな差がついてしまったように思います。どこが違ったのか…バー〇ングと田〇エージェンシー…じゃなくて、郷さんは、自分の長所だけでなく短所も分かっていた気がするんですよね。自分のウィークポイントを知り、それを認めたうえで何が出来るかを考えるのは重要な事で…アイドルのベスト盤を聴いて、そういう所にばかり目が行くって、僕はもうそういう年齢なんだなあ。まとめると、
トシちゃんの私的おススメ曲は「哀愁でいと」「エル・オー・ヴイ・愛・N・G」「チャールストンにはまだ早い」の3曲、これに尽きます。これだけ放言しておいてなんですが、たしかに小学生時代の楽しい時間のBGMとして、トシちゃんや松田聖子の音楽は流れていたように思います。このCDを聴いていると、音楽や歌がどうこうじゃなくて、80年代の楽しさが確かにつあっているように感じたんですよね。戦争おきたり、憲法変えて戦争できる国にしようとしたり、その首謀者がバンされたりしている今と違って、あの頃は楽しかったなあ。