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心に残った音楽♪

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『Neil Young with Crazy Horse / Everybody Knows This Is Nowhere』

Neil Young with Crazy Horse Everybody Knows This Is Nowhere 1969年に発表された、ニール・ヤングとクレイジー・ホースのアルバムです。「Neil Young」の文字のデカさに比べ、その下に小さく書かれた「Crazy Horse」の文字の小ささに力関係を感じて切なさ倍増ですが、それでもちゃんとクレジットしたところはニール・ヤングの気遣いだったのかも。ところで、クレイジー・ホースの前身はロケッツというバンドですが、6曲目のサブタイトルに「Requiem for the Rockets」とあるのは…。

 若い頃の僕は、ニール・ヤングの事を「カントリー・ロックでしょ?どうせ保守でスワンプ・ロックっぽいつまらない音楽でしょ?」なんて思ってたんです。ところが91年にリリースされたニール・ヤング&クレイジー・ホースのライブ・アルバム『Weld』のグッシャグシャなガレージ感にぶっ飛ばされ、「こういう人なの?!」と、ニール・ヤングを洗い直す事に。このアルバムは世評も高かったし、なにより『Weld』でカッコよく演奏していた「Cinnamon Girl」も入ってましたし、思い切って買ってみる事にしました。

 うわ、メッチャかっこいいんですけど…。69年時点のアレンジや演奏でも、「Cinnamon Girl」はすでにカッコよかったです。基本はスワンプ・ロックと感じますが、リフはいい、ギターの歪み方がガレージでカッコいい、コーラスがルーズで良い…なんでしょうね、要するにいい子ちゃんじゃないやさぐれ感が良いのかも。それをルーズな演奏やサウンドだけじゃなくて作曲をはじめとした音楽面にもしっかり生かしているというか。
 こういうセンスの良さは、アコースティックな曲「Round & Round」にも感じました。美しいだけでなく斬新なんですね。こういう音楽って詞が大事と思うんですが、音楽だけ聴いていても作編曲のセンスが半端じゃないです。ニール・ヤング、カッコよすぎる。

 他にもいい曲がいくつかありましたが、僕的にはこのアルバムは上記の「Cinnamon Girl」と「Round & Round」に尽きます。フォーク・ロックやカントリー・ロックにも保守的でもつまらなくもない素晴らしいものがあると思ったのは、ニール・ヤングによる所が大きかったです。バッファロー・スプリングフィールドCSN&Yの時もそうでしたが、このアルバムやこの後にリースされるアルバム『Tonight's The Night』を聴いたら、そりゃつまらないという人の方が少ないんじゃないかと。


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『Neil Young』

Neil Young 1968年発表、バッファロー・スプリングフィールドから独立し、ソロになったニール・ヤングのファースト・アルバムです。参加ミュージシャンは、バッファロー・スプリンフィールドで行動を共にしていたジム・メッシーナ、ポコでドラムを叩いていたジョージ・グランザム、他にはライ・クーダーなど。クレイジー・ホースとはまだ絡んでいなくて、同僚に協力してもらって作った作品かな…な~んて思ってぬるい作品だと舐めていたらとんでもない、これが想像以上に素晴らしい作品でした!敢えて言おう、『After The Gold Rush』よりも『Harvest』よりもこちらの方が上であると!(ジークジオン)

 この音楽を簡単に言うと、フォーク・ロックとかカントリー・ロックという事になると思います。でも、ニール・ヤングやこのアルバムを聴いてない人が、その手の言葉からこういう音楽をイメージするのは難しいんじゃないでしょうか。カントリー・ロックと言ってイメージできそうな曲なんて1曲目ぐらいなもので、フォーク・ギター弾き語りのうしろにロック・バンドがついてるだけ、なんてものじゃありません。そのへんのロック以上にガレージ感があって、曲によってはこれ以上音をつぶすのは難しいというほどにファズをかましたヒステリックなエレキギターが叫んで、でも北米の田舎の音楽の温かみや美しさがあって、そうかと思えば弦楽四重奏とフォークギターの合奏まであって…。これらが奇をてらうんじゃなくて、見事にひとつの世界をつくっているところが、もうセンスの塊だと思いました。いやあ、これは素晴らしいです。

 このなんとも言えないコンプレックスした感覚に、いつも僕はしびれてしまいます。若い頃もそうですが、今の方がむしろ良いと感じているかも。ネイティブな文化とモダンの融合とでもいうか…。
 このアルバムを聴くと、バッファロー・スプリングフィールドでのニール・ヤングの力って大きかったんだなあ、と思いました。のちのスティーヴン・スティルスのアルバムを聴いてバッファロー・スプリングフィールドを感じる事はあまりありませんが、このアルバムを聴いた第一感は、「これ、バッファロー・スプリングフィールドの未発表アルバムだと言われても信じてしまうな」というもの。それぐらい、ニール・ヤングの印象が鮮烈なんですよね。誰の音楽を追いかけても、たいがいどこかで「あ、ここからはダメだ」となってしまう僕が、ニール・ヤングに関しては魅了されっぱなし。そういうミュージシャンってそんなにたくさんいるわけではないし、ましてあまり好きではないはずのフォーク・ロックやカントリー・ロックに近い所で活躍しているミュージシャンにそういう人がいる事に驚きです。僕はニール・ヤングのアルバムのすべてを聴いたわけではありませんが、とにかく中古で見つけるたびに買い漁っていました。ソロ・デビュー作にして大名盤、保守であり革新、北米の田舎の良さと現代アメリカの闇のはざまに生み落とされた天才じゃないでしょうか。


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小説『グイン・サーガ』6~11巻(陰謀編) 栗本薫

Guin Saga_9 ギネス記録にもなっている大長編小説『グイン・サーガ』ですが、最初は「外伝が面白かったし、少しだけ本編も読んでみよう」「本編も面白いぞ、先が気になる…」な~んてズルズルやっているうちに、完全に沼に嵌りました(^^)。あまりに面白いもんで、数日で1冊読み終わるとすぐに古本屋に入って次を買う連続でした。懐かしいなぁ、そこまで夢中になれるものに出会えたのは、幸せな事でした。
 というわけで、人を近づけぬ魔の森ノスフェラトゥに飛び込み、なんとか敵国モンゴールの追撃をかわしたグイン一行様が、ついに文明圏に戻ってくるのが6巻以降です。辺境編までは物語が直線的に進んだグイン・サーガですが、6巻以降はいくつかの話が同時進行で進む大河ドラマと化していきました

 陰謀編の中心舞台は、武の国モンゴールに滅ぼされた魔法と貴族の国パロ。モンゴールはパロを属国とすべく政略結婚を狙い、結婚するや否や相手の王を殺して王位継承権だけを奪い取ろうという政略。一方のパロはそれを上回る知略を用意していて…みたいな。
 でもこの陰謀政治ショーは、僕的には好きではなかったです。女たらしの貴族ナリス様とかいうモヤシ野郎が実にいけ好かなくてね。大体、人を誑し込んだりだましたりって、読んでいて楽しいものじゃないんですよね。。
 というわけで、僕が陰謀編で面白いと思ったのは、同時進行しているグインご一行のその後でした。パロと友好関係にある国アルゴスを目指し、身分を隠しながら船を探すのですが、そこにモンゴールの追手が迫り、命からがら乗り込んだらそれは海賊船で、たどり着いた島では目がたくさんついたブヨブヨの生物に出会い…これですよこれ、未知や冒険のワクワク感あってこそのファンタジーですよ!ナリスみたいに舞踏会で知略を巡らせて女を誑し込んで、なんていう男は最低だぜ。男はイシュトヴァーンみたいに剣と野心でどん底から這い上がってこそです。

Guin Saga_11_sasie もうひとつのクライマックスは、旅を共にしてきたイシュトヴァーンとリンダの別れです。ふたりは愛を誓いますが、いかんせん傭兵と王女では身分が違い過ぎます。そこでイシュトは「王になって戻ってくるから、3年待ってくれ」と声をかけるのでした。そしてこの声をかけるのが、夕やみに浮かぶ蜃気楼を見つめながらなんですよね。80巻あたりまでグイン・サーガを読んだ僕は、未来を約束して別れる二人のこのシーンこそ、グイン・サーガ一番のクライマックスだと思っています。僕、このページをドッグイア―にしてますからね。。ちなみにこのシーンは11巻で、11巻って本当は「陰謀編」ではなく「戦乱編」に入れられています。でも話としては11巻までを陰謀編とした方がきりがいいと思うんですよね。そうしなかった理由は、愛蔵版グイン・サーガを5巻ずつの切りで製本したからだと思うんですよね。

 というわけで、6巻以降は複数の物語が同時進行する大河ドラマ。物語が進むその時その時で好きなエピソードとそうでないものがありましたが、このへんまではエピソードのどれかひとつは間違いなく抜群に面白くて、子供のころは夢中になって読んでいました。でも、僕が本当に面白いと思ったグイン・サーガはここまで。以降もしばらく面白いんですが、11巻までの高揚はありませんでした。というわけで、最初の節目が5巻だとしたら、次の節目は11巻じゃないかと。


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小説『グイン・サーガ』1~5巻(辺境編) 栗本薫

GuinSaga_5.jpg 国産ファンタジー小説の金字塔グイン・サーガ、『幽霊船』『イリスの石』が面白かったもので、僕は意を決して本編にチャレンジしました。本編は100巻以上出ている上に未完なので、読む前からゲンナリしてしまいそうですが、さすがそれだけ続いた事はあってメッチャ面白いです!本編いちばんの推薦は、1巻から5巻までの辺境編。最初の5冊でいちおう話は一区切りですので、ぜひこの5冊だけでも(^^)。このあたりを読んだのは、小学校高学年から中学1年にかけての頃で、あまりの面白さに寝る間も惜しんで読み、それでも面白さが忘れられなくて、何度も繰り返し読みました。はまりましたねぇ。

 話は森の中から始まります。記憶を失った豹の頭がついた筋骨隆々の男グインが、森で目覚めます。それを見つけたのは、敵国モンゴールから逃れた魔法の国パロの幼い王子と王女。しかし森はすぐ夜になり、亡霊や魔物に襲われますが、グインが強いのなんの。グインのおかげでなんとか夜明けまで持ちこたえますが、夜明けとともに敵国モンゴールの兵士たちがやってきて3人は捕えられ、城に幽閉。しかしこの城の城主が顔がただれた妖気発する不気味な存在で…

 上のあらすじは1巻の途中までですが、こんな感じで豹頭のグインをはじめとしたこの世界の謎を軸に物語が展開していきます。そして本編5巻までを「辺境編」と呼ぶんですが、その理由は、グイン、パロ王国の王子/王女のレムスとリンダ、そして一行を助けた傭兵イシュトヴァーン(外伝『幽霊船』の主人公です)の4人が、人を受け付けない化け物が住む辺境の森ノスフェラトゥに逃げるからです。グイン一行は、森に棲む類人猿の協力を得、知略を駆使してモンゴールの追手を撃退していくのですが、まずはこれが軍記小説のような面白さでした。また、ノスフェラトゥという土地がおどろおどろしい魅力満載で、無数の白骨死体がすべて同じ方向を向いている場所があるとか、アウラの印とかいう神器めいたものがあるとか、いかにもこのファンタジー世界の秘密のカギを握っているようで、そのチラ見せにワクワクするんですよ(^^)。

 僕的には、指輪物語やハリー・ポッターの10倍は面白いファンタジー小説だと思ってます…って、ハリー・ポッターは映画をチラッと見ただけですが。惜しいのは、グイン・サーガを書きあげらないまま作者の栗本薫さんが死んでしまった事です。僕は70~80巻ぐらいで読むのをやめてしまいましたが、逆にいうとそれぐらいまではずっと面白くて読むのをやめられませんでした。竜の騎士がどうこうとかいうあたりで、急激につまらなく感じるようになったんです。あれは実にひどくて、プロレスでいう海賊男とか、ウルトラマンでいうウルトラ兄弟の設定とか、それぐらいに引きました。残念。
 とにもかくにも、面白いファンタジー小説を探している若い人は、最初の5冊だけでも読んでみて欲しいです、面白すぎて止まらなくなること請け合いです!こんなに面白いファンタジー小説を読んでワクワクできて、グイン・サーガには楽しい少年時代を過ごさせて貰いました。栗本さん、ありがとう。


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小説『イリスの石』(グイン・サーガ外伝2) 栗本薫

Irisu no isi_Guin Saga Gaiden2 本編より先に外伝に手を出したグイン・サーガでしたが、外伝『幽霊船』のあまりの面白さに、次も本編ではなく外伝に手を出しました。それが『イリスの石』です。迷宮ものファンタジー小説で、これもすごく面白かったです。読んだのは小学校高学年の頃、以降僕は大学を出るまで国語の成績は常に良かったんですが、それってグイン・サーガで読書の習慣がついていたからだと思うんですよね、他に大した読書なんてしてなかったですし。

 死の都に迷い込んでしまった主人公ほか一行は、不死の女タニアに「イリスの石は手に入ったのか」と訊かれ、なに言ってんだこいつ頭おかしいんかと思っているうちにあれよあれよと事件に巻き込まれます。デブすぎて動けない死の王の前で「その石持ってるよ」と嘘をついて駆け引きしようとするもウソがばれて牢屋に放り込まれます。ここから、気持ち悪い音がきこえる地下迷宮の脱出劇。そして死の娘やイリスの石、そしてこの都市自体の秘密が…。

 ね?メッチャ面白そうでしょ?こういうファンタジーって中学生あたりがメイン・ターゲットだろうし、僕もその例に漏れず、けっこう早く通り過ぎてしまったもんでたくさんは読みませんでしたが、その中でも最高に面白く感じたライトノベル、ファンタジーならではのロマンあふれる名作と感じました!!
 国産ファンタジー小説ではグイン・サーガが抜群に面白いと思うんですが、本編は100巻以上でてるうえに完結しないまま作者が死んでしまった悲劇に見舞われたので、まずは外伝から読むのはいい方法じゃないかと思います。外伝の中でも『幽霊船』と『イリスの石』は本編をいっさい読んでいなくても大丈夫な上、面白さも他よりつけぬけていると感じます。大人になってから読むにはガキっぽ過ぎるかも知れませんが(なんといっても、僕がこの2冊を読んだのは小学生^^;)、僕的には下手な映画よりも面白く感じたファンタジー小説でした!


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小説『幽霊船』 (グイン・サーガ外伝3) 栗本薫

GuinSaga Gaiden3_Yuureisen 小学生の時に買った本です。「幽霊船」というタイトルに胸がときめいて飛びついたんですが、こういうファンタジーっぽいものに魅かれる所が子どもで、小さく書いてあった「グイン・サーガ外伝3」という文字なんて、まったく見えてませんでした(*゚∀゚)アハハ。この本は独立したひとつの物語だったので結果オーライでしたが、もし続きものの3巻とかだったら、僕はどうしていたんでしょうか。しかしこの本、子供だった僕の心をわしづかみにしたのでした!

 中世のスペインかポルトガルみたいな雰囲気ただよう港町が舞台。同性愛者な為政者の怒りを買った野性味あふれる不良少年イシュトヴァーンが、彼の魅力にこれまた一目置いているカメロン船長の元に逃げ込む所から、話は始まります。捕まるわけにはいかないので、間もなく港を離れる船に乗ったイシュトでしたが、なんとその船は幽霊船の調査に行く任務を帯びていたのでした…みたいな。

 これが最高に面白かったんですよ!まずは海洋冒険小説として優れていて、まだ海が未知の世界だった時代の、伝説や神話に満ちた雰囲気が素晴らしかったです。海賊船に出くわし、幽霊船が見え、嵐に見舞われ、巨大な水棲生物が一瞬だけ見えた気がして…小説を読んでいる間は、もう自分が船に乗って大冒険している気分でした。そして、船が次々に行方不明になり、幽霊船の正体や事件の真相が分かる衝撃のクライマックスは…これぞファンタジー、面白かったなあ。。

 というわけで、この小説のあまりの面白さに、僕はここから「グイン・サーガ」を大量に読む事になったのでした。けっきょく、外伝を10冊ぐらい、本編も80巻ぐらいまで読みました。しかし悲しい事に「グイン・サーガ」は物語が終わる前に作者の栗本薫さんが死んじゃったのです(゚д゙)。いや~これは100巻ぐらいまで読んだ人は可哀想だなあ…と思ったんですが、なんと今は他の小説家が続きを書き続けてるそうで。すごいですね…。


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『Roland Kirk / Now Please Don't You Cry, Beautiful Edith』

Roland Kirk_Now Please Dont You Cry これもロニー・リストン・スミスが参加したアルバムで、僕が聴いたことのあるロニー・リストン・スミスの演奏は、これがいちばん古いです。エレピではなくピアノを演奏していました。
 1967年録音、マーキュリー系のレーベルから移り、ヴァーヴからリリースされたローランド・カークのアルバムです。ヴァーヴと言えばノーマン・グランツの立ち上げた保守系ジャズ・レーベル…かと思いきや、この頃にはヴェルヴェット・アンダーグラウンドフランク・ザッパのアルバムも出していたので、すでにレーベル売却後。というわけでこの時期のヴァーヴは、ジャズでもジミー・スミスのアルバムでもクラブ・ジャズっぽいものを作ったりと、けっこうポピュラー寄りの作風が多いです。後になってみれば、ローランド・カークがこのレーベルを選択した事が、アルバムのカラーの一因になった気がしました。

 編成はワンホーン・カルテット。1曲目は古き良きアメリカな雰囲気のジャズ・ブルース、2曲目はバート・バカラック「アルフィー」をジャズバラード調に演奏、3曲目はシャレオツなジャズボッサ調…というわけで、色んな音楽を楽しませるエンターテイメントなアルバムと感じました。特にそれを感じたのは「Fall Out」で、この曲なんと8ビートでソウル/R&B調。まるでレイ・チャールズみたいでした。以降、ソウル/R&B方面にも近づいたカークの活動を見れば納得できるところでしたが、最初に聴いた時は、「え?カークってこういう事やっちゃうの?」とびっくりしました。

 音楽を聴くに、ローランド・カークってアーティスト性も強かったと思うんですが、目が不自由な事もあってそれ以上に音楽でメシを食う事を優先しなくてはいけない事情があったのかも知れません。健常者なら音楽を離れてもいろんな方法でお金を稼げるけど、カークにとってそのハードルは高く、音楽に賭けるしかない、みたいな。それが、アーティスト性を持ちながら、どこかエンターテイメント性を感じる理由になっている気がします。あ、エンターテイメントと言っても媚び媚びなアルバムというわけではなく、どの曲もよく出来たいい音楽なんですけどね。ただ、芸術音楽に肉薄した尖ったジャズが好きだった僕にとっては、「これだけ才能があるんだから、聴衆のレベルに合わせてないで突っ走ったってよかったんじゃないかなあ」な~んて思ったのも事実でした。このあとカークはアトランティックと契約し、あの独特なアフリカン・アメリカン・ミュージックを生み出していくのでした。


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『Lonnie Liston Smith & The Cosmic Echoes / Expansions』

Lonnie Liston Smith_Expansions 1975年発表、ロニーリストン・スミス&ザ・コズミック・エコーズの4枚目のアルバムです。75年というと、サイゴンが陥落してベトナム戦争が終わったり、アフリカン・アメリカンのプロボクサーのモハメッド・アリがジョー・フレイジャーを倒したりした年。アメリカの行方もアフリカン・アメリカンの行方も、これでついに上向くのではないかという期待が高まった頃だったんじゃないかと思います。そんな年に出されたこのクロスオーヴァーなアルバムは、深さとともにそういう明るさも感じるもので、僕の心に刺さりました。素晴らしい音楽なんですよ!

 1曲目「Expansions」はクラブジャズと言うかマーヴィン・ゲイやカーティス・メイフィールド的というか、そういう感じのレアグルーヴなループ・ミュージック。「Summer Days」は爽やかなクロスオーヴァー・サウンド。「Peace」はダニー・ハサウェイ化ロバータ・フラックあたりが歌いそうな本当に心に刺さるニュー・ソウル風バラード。これらは実にクロスオーヴァーで、最高に気持ちよかったです!
 ただ、そう単純に要約して済ませてしまいたくない部分があって、それが2曲目の「Desert Night」。この1曲で僕にとっては特別なアルバムになったといっても過言ではありません。この曲、方法論がファラオ・サンダースのアルバム『Thembi』でロニー・リストン・スミスがやった事と同じで、スタイルではなくメンタルな意味で本当のスピリチャル・ジャズと感じるんですよね。
 たとえばスペインのフラメンコやアルゼンチンのタンゴとかって、リズムや旋法や演奏の癖みたいなものが独特の色を持っていて、それが音楽的な印象だけでなく、背後にある色んな文化的なものも象徴してしまうように感じたりする事って、ありませんか?70年代のアフリカン・アメリカンが作り上げたクロスオーバーなスピリチャル・ジャズって、あの独特なモード感覚とループの組み合わせが、背景にある精神性を暗示しているように聴こえるんですよね。
 この曲、E♭のドリアンと、その並行調への転調の組み合わせという、いかにも当時のスピリチャル・ジャズやレア・グルーヴが好んだ構造をしていますが、それって音だけの問題には聴こえません。スピリチャル・ジャズの正体って、70年代アメリカにおけるアフリカン・アメリカンの共通観念を象徴したところにその正体があるのではないかと。

 本当に素晴らしいアルバムだと思います。クロスオーヴァーなサウンドだけに耳を傾けたとしても相当な作品と思いますが、僕はもうちょっとメンタルな部分で傑作に感じました。70年代なかばに数多く生まれた、深さと爽やかさの同居するアフリカン・アメリカンの音楽って、絶望のなかに希望を見出した彼らの思想そのものなのだと思う時があります。それって、現代にもそのまま通用すると思うんですよね。相手の揚げ足ばかり取っているネット上の書き込みを見るとウンザリしますが、今の人に足りないのは、絶望したからひねくれるんじゃなくて、絶望を知った上で愛や平和を目指すこういう思想なんじゃないかと。僕的には大名盤、こっち系の音楽に興味がない人でも、「Desert Night」だけでいいから聴いて欲しいアルバムです!


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『Lonnie Liston Smith And The Cosmic Echoes / Astral Traveling』

Lonnie Liston Smith_Astral Traveling ソウル・ジャズと言えばいいのかレア・グルーヴと言えばいいのか、とにもかくにもファラオ・サンダースのアルバム『Thembi』でのフェンダー・ローズのサウンドにノックアウトされた僕は、キーボード奏者ロニー・リストン・スミスの名前がずっと気になっていました。そして中古レコード屋でこのレコードを見つけた時、衝撃の事実を発見したのです。ええ~、ファラオ・サンダースのアルバムで猛烈に感激した曲「Astral Traveling」って、ロニー・リストン・スミスが書いた曲だったのか?!このアルバムは73年発表、71年発表の『Thembi』より2年遅れてのリリースですが、ここでロニー・リストン・スミスはセルフカバーをしたことになります。そして、これがロニー・リストン・スミス初のリーダー・アルバム。

 音楽はレア・グルーヴ系というかスピリチャル・ジャズ系というか、そちら方面の香り漂うフュージョンでした。つまり、ファラオ・サンダース『Thembi』と同じ路線。動きの少ない、でも途轍もなく気持ちの良いシンプルなコード・プログレッションがひたすら繰り返され、その上でコード・プレスなり分散和音なりスケールなりが常に上下して和声的なサウンド・イメージが特定、その上をジョージ・バロン(すみません、僕、この人のこと知りませんでした^^;)のサックスがひたすらアドリブする、みたいな。でもどのプレーヤーのアドリブも、強い自己主張があるようなものとも、そもそもそこまで重要なものとは思えず、とにかくこの和音や音色で作られたサウンド・イメージと、ひたすら繰り返されるレア・グルーヴ感がこの音楽の肝ではないかと。

 僕、こういう音楽にあまりなじみがないもんで、これを何という音楽なのか分かりません。ただ、たしかに70年代初頭に、こういうフュージョンとレア・グルーヴとソウル・ジャズとバック・トゥ・アフリカと…みたいな音楽ってありましたよね。ファラオ・サンダースやアリス・コルトレーンから、はてはオハイオ・プレイヤーズに至るまで、僕はこういう音楽がかなり好み。大概良いと思ってしまいます。ただ、比較するなら、このアルバムよりファラオ・サンダース『Thembi』の方が、演奏も出音も録音もクオリティが数段上と感じてしまったのでした (^^;)。良いレコードとは思うんですが、『Thembi』があればこれはお役御免かな…すまん。


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『Pharoah Sanders / Thembi』

Pharoah Sanders Thembi 1971年リリース、ファラオ・サンダース6枚目のアルバムです。編成は、アフリカ色の強いパーカッション・チームのほか、ファラオ・サンダース(t.sax, s.sax, fl etc)、ロニー・リストン・スミス (p, ep)、マイケル・ホワイト(vln)、セシル・マクビー(b)、ロイ・ヘインズ(dr)。ジョン・コルトレーン・クインテットや、初期のリーダー作での強烈にフリーキーなファラオ・サンダースの演奏が大好きで彼を追いかけていた僕でしたが、このアルバムでファラオのイメージが完全に変わりました。ところがそれもまた素晴らしいものだったのです。

 特にこのアルバムの色を決めたミュージシャンを挙げると、曲によってフェンダー・ローズを弾いたソニー・リストン・スミスと、アンプリファイしたアップライト・ベースを弾いたセシル・マクビー。色を決めた曲を挙げると、全6曲のうち「Astral Traveling」「Thembi」「Morning Prayer」の3曲で、これらはレア・グルーヴと言ってもおかしくないクラブ・ジャズ色を感じました。
 特に、ロニー・リストン・スミスの弾くフェンダー・ローズって、ローランド・カークのアルバムでもとんでもない存在感を発揮していましたし、この時代のアフリカン・アメリカン系ジャズで重要な役割を果たしていたんじゃないかと思う時すらあります。フェンダー・ローズの素晴らしさって、映画『ロッキー』のサントラマーヴィン・ゲイダニー・ハサウェイなどの音楽で、あの気持ちよすぎるサウンドが存分に発揮されていましたが、そうしたフェンダー・ローズで作った音楽の最高傑作ってこのアルバム収録曲「Astral Traveling」だと僕は思っています。こういう書き方をすると、なんだか特定のサウンドを指してしまうようで気が引けてしまうのですが、これが「レア・グルーヴ」とか「クラブ・ジャズ」とか「スピリチャル・ジャズ」という言葉でイメージできる音楽とはちょっと違う、独特な魅力のある音楽だったんです。
 
 でも完全にそっち方向に行くのではなく、デビュー時から自分のやっていた音楽も力強く生きていました。「Red, Black & Green」なんて、かつてないほどの破壊力を持ったフリー・ジャズ・パートがとんでもない魅力になっていましたし(でもオーバーダビングしてますけど^^;)、「Love」でのセシル・マクビーの無伴奏ピチカート・ベース・ソロなんて、僕にはファラオ・サンダースが参加していた頃の ジョン・コルトレーン・クインテットでのジミー・ギャリソンの演奏へのオマージュかと思ってしまいました。
 そして、アルバムの最後は、簡単に言えばアフリカ系の打楽器アンサンブル。これは音楽どうこうより、この音楽をアフリカと関連づける事に目的としていたように感じました。スピリチャルな音楽という印象が残るのは、こういうも所にあるんじゃないかと。

 エレクトリック・ジャズやフュージョンが全盛となった時代に、フリー・ジャズ系アフリカン・アメリカンのミュージシャンがどういう音楽を目指したのか、その裁量の例だったのだと思います。バラエティ豊かだから、これをフリー・ジャズとも、レア・グルーヴやフュージョンとも言い切れず、絶妙な所に置いていると感じました。方向性は変わってきたけど、またそれがとんでもなく魅力的なものであった、僕にとってのファラオ・サンダースのターニング・ポイントとなったアルバムです。これは必聴!


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2022W杯 日本、ドイツに勝ったあああああ!!

 何となく始まっていた2022年ワールドカップですが、日本の初戦はいつどことやるんだろう…と思い、相手がドイツと知った瞬間に観る気が失せたのは何を隠そうこの僕でした。すみませんでした。

 それでも最初はリーグさえ突破できればいいので、ドイツには負けて当たり前、なんとか引き分けに引きずり込めればリーグ突破も見えてくるかも…と思いながら観ていました。ところがボール支配率は圧倒的にドイツだし、なんかドイツのディフェンスは余裕綽々だし、さらに前半で先制された時には「ああ、終わった…」と思ってたのもこの僕です。本当にすみませんでした。

Fifa2022_1123_Ger Jpn_1 ところが後半、時間帯を見計らって選手5人を入れ替えて超攻撃的布陣に変更したところから、流れが変わりました。そこからが凄かったです!
 同点に追いつく前もドイツを崩しての見事な攻撃。惜しくも点は入りませんでしたが、その直後にまたしても波状攻撃、同点だあああ!!たまたまじゃなくてきちんと崩して入れてるのが凄いっす。興奮して大声を出してしまいました。スマヌス。

Fifa2022_1123_Ger Jpn_2 しかし日本劇場はまだ終わらず。あんな縦パスを通すこと自体が神業、そこからマークとキーパーを振り切って逆転ゴーーーール!!ディフェンダーを振り切ってゴール決めるとか、こんなの実力じゃないですか、すごい、すごすぎです。

 サッカーはW杯しか観ない僕ですが、逆に言うとW杯だけはJリーグ発足前の子供のころから見てるんですよね。。そのころを知ってるもんだから、日本がドイツに勝つなんて信じられないです。これって日本サッカー史に残る歴史的勝利じゃないでしょうか?!すごい、すごいっす。
 2022W杯は始まったばかりですが、初戦から大興奮。首相暗殺にパンデミックに戦争にと、2022年はなかなか厳しい年でしたが、年末に凄いのが待ってました。スポーツって良いですね、すごい!


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『Alice Coltrane Featuring Pharoah Sanders And Joe Henderson / Ptah, The El Daoud』

Alice Coltrane_Ptah The El Daoud 今年(2022年)の9月、テナー・サックス奏者のファラオ・サンダースが他界しました。なにせ若い頃にフリー・ジャズに心酔した事があるもので、色々と感じるものがなかったと言えば嘘になります。ただ、コルトレーンのクインテットを除けば、ファラオ・サンダースはもう何十年も聴いていなかったもので、ショックというよりも、忘れかけていた友人に街中でバッタリ出会ったような気持ちでした。
 このアルバムは、若い頃、クレジットにファラオ・サンダースの名前を見つけて手に取ったレコードでした。1970年発表、ジョン・コルトレーンの奥さんでピアニストのアリス・コルトレーン4枚目のアルバムです。アリス・コルトレーンとファラオ・サンダースはコルトレーンのバンドで一緒でしたが、コルトレーン亡きあとも互いにリスペクトしあって、互いのアルバムに参加していました。

 このアルバムはファラオ・サンダースの演奏が目当てだったもので、正直のところアリス・コルトレーンにも、その音楽にも、まったく期待していなかったんです。ところが一聴するや、あまりの素晴らしさに感動してしまいました。特に2曲目「Turiya and Ramakrishna」は、ジャズファンならずとも多くの人に聴いて欲しい音楽です。久々に聴いても、感動で涙が出そうになってしまいました…。
 学生の頃の僕は、オノ・ヨーコさんを「ジョン・レノンと付き合ったから有名になっただけでしょ?」みたいに思ってたんです、小野さんの詩集ですらろくに読んでないくせに。ところが、小野さんの『グレープフルーツ』を読んで考えが一転、すばらしい人だと思ったのです。アリス・コルトレーンもこの体験と似ていて、実際に彼女のピアノや音楽を聴いた途端に、音楽をピースフルに使おうとする姿勢や、実際にそのようなものとして感じられる音の素晴らしさに圧倒されてしまいました。コルトレーンがこの人に惹かれたのも分かる気がする…みたいな。

 テクニックとか様式ではなく、すごく精神的な面を強調した音楽。もちろん音楽なので技術も様式も出てくるんですが、例えばモーダルな曲をやるにしても、モード上でどういうソロを取るかとかではなく、アルペジオでそのモード自体のカラーを前に出してくるんです。そうすると、その音がどういう色彩を持っていて、その色彩がどういう感情を引き起こして…と、サウンドが持つムード自体がどんどん強化されていくので、その体験が精神的な音楽に聴こえてくるんじゃないかと思うんですよね。ドミソな音楽ばかり聴いていると分からなくなりがちですが、独特な和音ってそれ自体が強烈な体験じゃないですか。だからこれは聴いている側の解釈じゃなくて、本人もそういうサウンドの感触が引き起こす物自体を音楽として扱っていたんじゃないかと。
 それを特に感じるのが「Turiya and Ramakrishna」という曲です。これ、イントロだけ聴くと、この後にニーナ・シモンが歌いはじめるんじゃないかという程のソウルフルなバラード曲ですが、これが心に沁みて涙が出そうになりました。理詰めで音楽を追って来たジョン・コルトレーンが、ある時から精神性みたいなものを追いはじめた事がありましたが、技術を必死に追ってきて、ふと意味を考えた時に心にぽっかり穴が開いて、それをアリス・コルトレーンの音楽や音楽に対する姿勢が埋めてくれたんじゃないか…みたいに思ってしまいました。僕の勝手な推測ですけどね(^^)。

 このアルバムが発表された70年と言えば、時代は公民権運動にベトナム戦争のまっただ中。この頃の合衆国の黒人音楽は、ジャズよりもソウルの方で、ある種の意味の追求や精神性を求めているものが多くあったように感じます。これがジャズとソウルを、同じアフリカン・アメリカン音楽として接近させる原動力になったのではないかと思います。そして、ジャズ方面でソウルフルなものを感じさせたミュージシャンの筆頭が、アリス・コルトレーンでした。この頃、白人のジャズはエンターテイメントに走ったんですが、黒人の方は、ジャズでもソウルでも、精神性に走った人がけっこういたんですよね。マーヴィン・ゲイダニー・ハサウェイもそう。そしてそれは素晴らしい音楽を生み出していました。
 ろくに聴きもせず「ジョン・コルトレーンのおまけでしょ」みたいに思っていた自分の俗っぽさが恥かしくなるほどに素晴らしいアルバムでした。きっと、若い頃の僕みたいに、アリス・コルトレーンを食わず嫌いの人ってそれなりにいると思いますが、そういう人にこそ聞いて欲しいアルバムです。偏見は一撃で吹っ飛ばされるでしょう。少なくとも僕は本当に感動しました。それは数十年ぶりに聴いた今回も同じでした。大推薦!


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Finale PRINTMUSIC で有効なショートカット

Finale_image.jpg 楽譜作成ソフト、僕はずっとFinale 2005 を使っていました。でも、2005年ごろのFinale の楽譜ファイルは上位互換で、以前のバージョンのものは読み込むんですが、以降のバージョンの楽譜を読み込めないんです。それをごまかしごまかし使っていたんですが、今度来た新しい仕事を進めるのに何かと不便がありまして、さすがにアップデートのタイミングかな、みたいな。ところで、今はほとんどオーケストラ・スコアを作らなくなったので、ワンランク下げてFinale の簡易版にあたるFinale PRINTMUSIC でやってみる事にしました。最上位のやつ、高いんですよ。というわけで、心機一転がんばるぞ。

 いざ使い始めると、Finale2005 のツールパレットにはあったものがなくなっていたりと、操作感が意外と違っていました。ショートカットを覚えるのがメンドクサイ病に感染している僕は、いつもリアルタイム入力で済ませていたのですが、折角なのでこのタイミングで有用そうなショートカットを最低限だけ覚える事にします。以下、自分への備忘録のために、今回覚えたいショートカットを書き出しておこうかと。ついでに、今までとちょっと操作感の変わったものも。

(Finale PRINTMUSIC で覚えたいショートカット)
・休符:テンキー「0」
・楽譜の拡大/縮小:[Ctr]+[ ; ] / [Ctr]+[ - ]
・小節の挿入:[Ctr]+I、またはドラッグ
・音符を半音上げる/下げる:テンキー「+」/「-」
タイの向きを変える:[Ctr]+F
符尾の向きを変える:音符を選択してL
 *2回押さないと変わらなかった
和音全体の選択:[Ctr]+音符の下か上をクリック
和音内の1音の選択:[Ctr]+矢印の上下
・1段の小節数の変更:
 「ユーティリティ」→「小節のはめ込み」→「選択した小節を1段にはめ込む」

 こんなの、きっと超基礎ですよね(^^;)>。ショートカットから逃げてきた附けが回ってきてしまいました。今後、便利なショートカットがある度に書き加えていこうと思います。参考になりましたら!


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『矢沢永吉 / The Name Is…』

YazawaEikichi_The Name Is 1994年リリース、矢沢永吉22作目のスタジオ・アルバムです。このアルバムには、CMとタイアップした『SEA BREEZE』という曲を気に入って買ったのでした。あれから28年もたっているのか…時の流れは残酷っす。

 若い頃のエーちゃんと言えば、納得がいかなければテレビ出演拒否なんて当たり前のようにしていた人でした。30代になって『E'』や『YOKOHAMA20才まえ』というアルバムを出していた頃も、世界を飛び回って、汗かきまくって、不良中年のカッコよさ全開。まだ10代前半だった僕は、そういう矢沢さんに憧れていたし、その憧れは、東京に行った時に、わざわざ代官山にある矢沢永吉公認ショップに行くほどの加熱っぷりでした。人生でタレントのショップに行ったのはあれが唯一…代官山、お店も何にもない場所のマンションの一室みたいな所で、近くに錆びた線路が乾いて見えて、歩いていてもあまり人とすれ違う事もなく、なんだか思っていた印象と違いました。なんか、そういう乾いた印象がやけに心に残っているんですよね…そうそう、この代官山の話は、このアルバムが出た頃じゃなくて、その10年ぐらい前の話。
 というわけで、僕にとっての矢沢永吉は、音楽どうこう以上に、肩で風を切って歩く生き様が重要な人だったのです。ところがこのアルバムが出た頃のエーちゃんは、缶コーヒーのCM に出演して冴えないサラリーマン風の役を演じたり、役者としてテレビドラマに出演していたり…僕にとっては、なんとも辛い事でした。

 そして、このアルバムです。思ったより悪くないですが、かといって良くもなかったです。先述の「SEA BREEZE」も悪くはないんだけど、かといって名曲かと言われると…。
 問題は、曲やアレンジや演奏以上に、詞の世界観だったのかも知れません。なんで洋楽丸写しみたいな状態になった80年代以降の邦楽をわざわざ聴くかって、そりゃが日本語だからだと思うんですよね。ところが、『E’』や『20才まえ』の頃はあれほどカッコいいと思っていた詞に、まったくときめくことが出来ませんでした。ここに描かれているのは若者だった僕が憧れたカッコいいあの人じゃなくて、疲れてみっともなく生きている凡人。それも実像を伴っていない言葉だけの詞、みたいな。で、今さら気づいたんですが、作詞家陣のなかに秋元康の名が…テレビドラマに絡んだキャスティングだったのかも知れませんが、あんなアイドル狂いのロリコンブ〇野郎にカッコいい男性像なんて描けるわけないじゃないですか。キャスティングミスだよ。

 というわけで、中学生の頃にあれだけ夢中になったというのに、これで「もう矢沢永吉はいいや」と思ってしまい、自分で買った矢沢永吉のアルバムはこれが最後。いま思い出すのは、僕が人生一番の大恋愛をした相手と同棲をしていたアパートで、「アリよさらば」を聴いた彼女が「『わーい何故に』ってところがカワイイ」と笑っていた事。ふたりでお金出して狭いアパートに住んで、本当によく色んなところに二人で出かけました。僕は、彼女と結婚したかったし、そうなるものとも思っていたけど、新卒社会人になって生活がかみ合わなくなり…あいつ、今も元気にしてるのかな。そんな彼女の思い出がちらつくアルバムでもあります。


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『矢沢永吉 / HEART』

YazawaEikichi Heart 1993年リリース、矢沢永吉のスタジオ・アルバムです。これも『Don't Wanna Stop』と同じで、ロス録音とロンドン録音が半々でした。

 バンド・サウンドではあるんですが、なんだか演歌っぽかったです。エーちゃんのアルバムを聴いてこんな事を思ったのは初めてでした。ロック・ナンバーも遅いわ勢いは足りないわで、海外録音ではあるけど歌謡ロックというか演歌ロックというか、そんな風に感じてしまいました。この傾向は、この後に出たアルバムでも感じるようになった傾向なんですよね。

 そんな中で良いと思った曲は、「Ramblin' Rose」「東京」「黄昏に捨てて」の3曲。「東京」は、むかしガロのヴォーカルさんがライブで演奏していて、Aメロのコード進行がいいと思ったんですよね…やっぱり演歌チックですけど。「Ramblin' Rose」はこのアルバム唯一のロックらしいロック。しかしこの頃エーちゃんは40代なかば、さすがにロックは厳しい年齢になっていたかも。「黄昏に捨てて」はボッサ調の演奏がエーちゃんの曲としては珍しく、曲もいいですがそれ以上に大津あきらさんの詞が素晴らしかったです。「街角のビルボードも、いつの間にか変わったね/二人はもう遠い恋人」…いや、こんなの泣いてしまうって。。

 こんな事書いてますが、決して悪いアルバムじゃないんですよ。この前後に『Anytime Woman』『Pure Gold』『Maria』なんてアルバムも出してましたが、どれもどこかでちょっと耳にして「これはノーサンキューだわ」と思った中、このアルバムは心に残るものがありました。きっとそれって、さっきあげた3曲と、久々にカッコよくなったジャケットなのかも…エーちゃんはやっぱり共感を覚える人じゃなくて、憧れの対象であって欲しいんですよね。


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『矢沢永吉 / Don't Wanna Stop』

YazawaEikichi Dont Wanna Stop 1991 年発表の、矢沢永吉さんのアルバムです。このアルバムが発表されたころ、僕は音大に通いながら、ピアニストとしてお金を貰ってのステージにあがり始めていました。キャバレーやホテルのロビーでしたが、つらいとは思いませんでした。むしろ夢がいっぱいあった頃で、あの頃は良かったとすら思ってしまうほど。そんなわけで、勉強に練習に仕事にてんやわんやで、小学校高学年から中学生のころに大好きだった永ちゃんの事ですら、もう忘れかけていたのです。ところが昔いっしょに永ちゃんのコンサートに行った友人から、「今度のアルバムは良かったよ」とこのアルバムを手渡されて、聴いてみたら友人のおっしゃる通りでございました。エーちゃん復活です!

 クレジットを見ると、プロデューサーがアンドリュー・ゴールドとジョージ・マクファーレンのふたり。録音もLAとロンドンに分かれていました。なるほど、アメリカチームを復活させたのか…やっぱり永ちゃんはイギリスチームが気に入っていなかったんでしょうね。でも、最初からうまく行くなんて事はないし、ここでイギリスを切ってしまっては何のために大好きだったビートルズのいたEMIに移籍したのか分からなくなっちゃうので、まだ見極める所まではいかずに繋いでおくための処置だったのかも。

 単純に、このアルバムは曲が粒ぞろいでよかったです。『情事』と『永吉』は、どちらも好きな曲が2~3曲しか入っていなかったのに、このアルバムは「ラスト・シーン」「BIG BEAT」「Lonely Warrior」「Don(t Wanna Stop」と、いい曲がたくさん。次から次にキャッチーなポップロックが流れてきました。

 東芝に移籍後の矢沢永吉のスタジオ・アルバムなら、これと『共犯者』が完成度が高いと思います。ただ、音楽でも本でもそうですが、人間には年齢に見合ったものというものがあって、このアルバムがいかに良いとはいえ、あくまでそれはチャート音楽の世界での話。このアルバムを期に僕がまた矢沢さんのアルバムを聴き始めたかというと、そういう事にはならなかったんですよね。人生は卒業の連続、寂しくもあるけど、新しい出会いもそこにはあるのです。ヨロシク。


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『矢沢永吉 / 永吉』

YazawaEikichi_Eikichi.jpg 1990年発表、矢沢さんの東芝EMI移籍第3段アルバムです。プロデューサーがアンドリュー・ゴールド、ギターにスティーヴ・ルカサー、録音はLAのサンセット・サウンド…完全にアメリカですね。やっぱりEMI移籍以降のイギリスチームのアレンジやプレイやサウンドに納得いってなかったんだな、永ちゃんは(^^;)。

 良い所を言えば、このアルバムの前に作られた『共犯者』や『情事』というアルバムで聴かれた、イギリスチームによるホモフォニー過ぎるバンド・アレンジという弱点は払拭されていた事でした。アメリカ西海岸の洗練された良さも、『E’』や『YOKOHAMA二十才まえ』ほどの完成度はないにせよ(これはアレンジやプレイだけでなく楽曲のせいもあるかも)、それなりに出た気がします。
 でもアルバムの半分が、小室哲哉や織田哲郎みたいな90年前後の日本の産業ポップス的というか、工夫も面白みもないステレオタイプなチャート音楽になっているように聴こえてしまいました。スマヌス。

 久々に聴いて、このアルバムで良いと思った曲は、「“カサノバ”と囁いて」「GET UP」の2曲だけでした。1曲目の“カサノバ”が好きなもんだから印象が良かったのに、よもやこんなもんだったとは。。東芝移籍後の永ちゃんのアルバムは、『共犯者』と、次に紹介する『Don't Wanna Stop』だけ残して、あとは卒業かもしれません。さらば青春。


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ビデオ『矢沢永吉 / STAND UP '89 DOME』

YazawaEikichi_Stand Up 89 DOME そろそろ年末。年末と言えば矢沢永吉のライブですよ、奥さん!というわけで、矢沢永吉のライブの熱狂がピークに達していた頃の映像です!
 ソロになって以降の永ちゃんのライブには2回のピークがあったと思っています。最初は木原敏雄や相沢行夫などの所謂「矢沢ファミリー」でバンドを組んだ77~80年。この時期は毎年のようにライブ・アルバムを出していましたが外れなしで、逆に言えばどれもみんな似ています。2度目のピークは、エーちゃんが後期ドゥ―ビー・ブラザーズを含めたアメリカ西海岸のスタジオ・ミュージシャンと共演し始めてからしばらく経った87~89年。それぞれ良さが違いますが、今の視点でエーちゃんのライブというと、暴走族の集会めいたアレよりも、ちょい悪オヤジが集まってタオルを上にぶん投げるアレを思い出すじゃないですか。あれが始まったのが2度目のピークのころ。まさにこの映像に記録された頃のライブなのです!

 89年は、熱狂的だった僕の矢沢熱がちょっと冷めてきたころでした。それはアルバムの完成度から来るもので、84~85年の『E’』『YOKOHAMA 二十才まえ』というふたつのアルバムでピークを迎えた後、曲も完成度もちょっとずつ落ちてきたように感じていたのです。その決定打は89年のアルバム『情事』で、これで「あ、もう駄目かも」みたいな。この意識をひっくり返されたのがライブでした。ロックはライブです!

 冒頭の「CRYING FOR YOU」「CRAZY DIZZY NIGHTS」というロック・ナンバーだけで、カッコよすぎて悶絶です。終盤の「FLESH AND BLOOD」「トラベリン・バス」「止まらないHa~Ha」は、客席丸ごと熱狂のトランス状態、絶頂ものです!ネットに貼りついて人のあげ足取りなコメントばかり書いている人も、まだ若いのにがんばる前からあきらめてちゃってる人も、ぜひこのライブを見て欲しいです。エネルギーというかバイタリティというか、凄いんです。単に音楽という話じゃないんですよね、きっと。
 若い頃って好きなミュージシャンや俳優のファッションを真似したくなったりするじゃないですか。久々に観て思い出しましたが、僕はこのライブを見て、グレーのタイト・ジーンズを買ったんです…恥ずかしい思い出ですが(^^;)。でもそういうのって、もう音楽だけの話じゃないですよね。もちろん、詩や曲やパフォーマンスが良くないと感動なんて出来るものじゃないですが、そういう音楽を通して、音楽以上の何かを貰っちゃうんです。だって僕、ZZ トップグランド・ファンクのライブは最高だと思いましたが、だからといってひげは伸ばさなかったしパンタロンは履かなかったですからね(^^)。

YazawaEikichi_Stand Up 89 DOME_pic1 そのエーちゃんのパフォーマンスにある「何か」を支えているもののひとつは、たしかに熱い演奏表現であって、アメリカのミュージシャン達だと思います。同じ89年のライブに『STAND UP '89 ARENA』というものがあるんですが、そちらは演奏がショボい…メンバーが日本人なんですよね。同じ日本人なので言いたくないですが、ロックって日本とアメリカでここまで差があるのかと思わされてしまいました。エーちゃんの曲ってすごくシンプルですが、それだけにカッコよく演奏できるかどうかでまったく違って聴こえます。とはいえ、アメリカ・チームだって82年の『P.M.9 Live』 の頃はやっぱり演奏がまるで乗れていなかったので、ここまで来るのに何年もかかったわけです。だから、この87~89年ごろがアメリカ西海岸のミュージシャンと矢沢永吉のコラボレーションがピークに来た瞬間なんだろうな、と思うわけです。

 この89年12月の矢沢永吉ドーム公演は、間違いなく日本のロックのピークのひとつだったと僕は思っています。今ではもう、年末の矢沢永吉のドーム公演は、「今年も頑張ったな」みたいな、ファンにとっての忘年会みたいなものになっていますしね。洋楽ロックにだって、ここまで燃えるライブはなかなかないですよ、奥さん(^^)。。海外ミュージシャンをバックにつけるようになった矢沢永吉のライヴを映像で観るなら、これか87年の『ROCK 'N' ROLL KNIGHT2』が絶対のおすすめ。色物と思わず、まずは直接体験して欲しいっす。はっきり言って、ドゥ―ビー・ブラザーズのライブよりこっちの方が感動してしまいますから!


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『ヴィーン・モデルンⅡ タルコフスキーへのオマージュ』 アバド指揮、アンサンブル・アントン・ヴェーベルン、アルノルト・シェーンベルク合唱団

Wien Modern2 ウィーンでアバドが始めた現代音楽祭ヴィーン・モデルン。その録音シリーズの第2集は、91年公演時のものでした。取り上げられた作曲家は、ノーノ、クルターク、ベアト・フラー、リームでした。これがまたサウンド面ではカッコいい作品揃い!でもこの作品群の実際の狙いとしては、サウンド面での同時代的な課題は克服していて当たり前であって、シアトリカル・ピースという所にあったのかも知れません。

 ノーノ「進むべき道はない、だが進まなければならない…アンドレイ・タルコフスキー」(1987)。
 イタリアの作曲家ノーノ最後のオーケストラ作品は、映画監督のタルコフスキーに捧げられた曲でした。そういえば、タルコフスキーの亡命先ってイタリアでしたっけ?後期作品という事で、ピアノ寄りなサウンド、詰まり過ぎない音、でも和音は前衛で刺激的…ってこれ、音高はクォータートーンを含むG周辺の音だけ使ってるのかも。オケは7つのグループに分けられ、聴衆を囲むように配置。独特な和音が長い音価で鳴り響く中、打楽器がアクセントでドカドカっと入り、それが幾つかのセクションで展開する、みたいな。いやいや、これはカッコいい…ノーノって、派手な前衛だった時代に人気が集まっている感じもありますが、コンセプトの明確な後期も素晴らしいんですよね。

 クルターク「サミュエル・ベケット―ことばとは何 op.30b」(1991)。
 91年作曲という事は、この音楽祭からの委嘱作品でしょうか。クルタークはルーマニア出身のハンガリーの作曲家。この曲も1曲目のノーノ作品同様、オケや声がいくつかのグループに分けられていました。色々な所から声が聞こえてきて、それらはコール&レスポンスするような構造。楽器群もこの声に準じる形でしたが、声にせよ楽器にせよ点描的。ヴェーベルンっぽい音楽と感じました。いやあ、これもクソカッコいいな…。ちなみに詩は「ことばとは何/無駄な事/~に対して/ちらりと見る」みたいな感じで、かなり断片的。つまり音楽年は実に照応しているのですが、この詩は交通事故で言葉を失った女優が言葉を取り戻すまでを表現したものだそうです。

 ベアト・フラー「熱の顔」(1991)。
 僕はこの作曲家さんに関して何も知らないのですが(スマヌス)、しかし作品を人で判断しちゃいけない、刺激的な作品でした!フルートとクラリネットが主楽器で、他にいくつかの管弦セクションがグループ分けされて聴こえる音楽でした(あくまで僕の聴こえ方です)。中心はトレモロで、これが徐々に折り重なり…みたいな。良かったのは、これがアンチ・クライマックスの音楽ではない所と、サウンドが実にモダンでカッコいい所。悪い所は、サウンドは洗練されているのに、それが細かい音の単位では構造化されて聴こえない所。音量とか音の位相(機能和声法的に言えば転調的な感じ)だけで出来ているように聴こえてしまって、それにこのアーチ構造を合わせると、構造的にはサウンドの斬新さと反比例するように単純な音楽に聴こえてしまいました。デュナーミクと変化という押し引きだけで似た曲が書けてしまうと思えてしまったり。このへんが、従来の作曲技法を使わない作曲をするときの課題ですよね、今も昔も…あ、でも、サウンドの質感は本当に見事と思いました!

 リーム「像はなく/道はなく」(1990/91)。
 この曲はノーノとタルコフスキーに献呈されているそうですが、音楽はこのCDの1曲目に入っていたノーノ「進むべき道はない、だが進まなければならない」と同傾向と感じました。オケはグループ分けされているし、長い音化の和音とそれを切り裂く打楽器、そしてモード変更による展開という構造付けというのは、もう同じと言って良いんじゃないかと。終盤での声のパートに繋がるところが素晴らしかったです。しかしこれもカッコいいサウンドだなあ。現代音楽はサウンドが最高です。

 このCDの音楽を簡単にまとめると、複数のオーケストラによる現代曲集といった所だったのかも。すべてに共通するいい所は和声面での工夫で、サウンドだけで鳥肌ものの曲が多かったです。僕には難しく感じられたのは構造面で、これが時間軸へ強く引っ張る力の弱さとか、構造の単純さがこの時代の大きな課題だったのかも知れない、なんて思いました。
 第3集もそうでしたが、これも聴いて本当に良かったと思った作品群でした!いやあ、現代音楽って本当にいいな…。


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『ヴィーン・モデルンⅢ』 アバド指揮、グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団

Wien Modern 3 ヘンツェ作品は、こんなCDでも聴いた事があります。『Wien Modern III』、ウィーンでアバドが始めた現代音楽祭「ヴィーン・モデルン」をライブ録音したシリーズの第3弾です!録音は92年…ああ、モダンと言ってももう30年も前の事なんだなあ。取り上げられたのは、ダッラピッコラ、クセナキス、ペレッツァーニ、そしてヘンツェの作品でした。

 ダッラピッコラ「Piccola musica nottuna夜の小さな音楽」(1954)
 ダッラピッコラは戦後に台頭したイタリアの作曲家で、「新しいイタリア音楽の双子」という触れ込みで、よくペトラッシと並べて語られていました。イタリア人として早い段階で12音列技法を使った事でも有名です。でもこの曲は、音列技法は使われておらず、むしろ近代音楽風。「小夜曲」のタイトル通り、ひっそりとしてダークな色彩の曲想で、敢えて近い所を挙げるとバルトーク「弦チェレ」1楽章の冒頭とか、ショスタコーヴィチ「バビ・ヤール」の冒頭とか、あんな感じで、前衛というより近代音楽風。ところで僕、このCDは昔よく聴いたもんで、曲は覚えてたんですが、これがダッラピッコラの曲だという事はすっかり忘れていました。ただ音だけ聴いていたのか…海より深く反省です。

 クセナキス「Keqrops ケクロプス」(1986)
 ダッラピッコラのひっそりとした調音楽の次にドカンと来る対比が見事なものだから、「夜の小さな音楽」の第2楽章かと思ってました。海より深く反省です。近い印象で言えばヴァレーズとかノーノ「力と光の波のように」のピアノ独奏部分とか、ああいうクラスターな感じ。とはいえ音のベタ塗りではなく、けっこう曲が展開するんですが、展開部分ってクセナキスが言う明確な音の統計上のグルーピングで生まれる部分なのかな、なんて思ったりしました。知らんけど。でもそう展開できるだけの差異を感じたとしても、クラスター状のサウンドの曲ってどうしてもカンバスを墨で塗りつぶすような面があって、自分で書いてみると、どの曲もどうしても似てきて、いつも課題と感じてしまいます。クセナキス系の作曲の教科書は日本語訳が出た事があるんですが、あっという間に絶版。今の僕の財力では高すぎて買えないんですよね。。

 ペレッツァーニ「Primavera dell’anima魂の春」(1990)
 僕はこの作曲家さんを知らないんですが、いまググっても日本語ページはほぼ皆無。作品としてはグルッペン、量の作曲なのだろうと思いました。でも弦はみんなトレモロしてクレッシェンドしてディミネンドしていっせいに休符で止まって、みたいな感じなので、クセナキスよりもリゲティやシャリーノあたりにより近く感じました。こういう曲なので、各セクションが同有機的に絡むかより、全体がどう動くかを追っている自分がいました。たぶん僕はこの作曲家さんの曲をこれしか聴いた事がないんですが、これはカッコよかったです!こういう曲、死ぬまでに1曲ぐらいは書いてみたいですが、でもこれを自分の主要な音楽技法にしたいかというと、そうはならない気が…という事は、1曲も書かずに終わるんでしょう (^^;)。

 ヘンツェ「Sinfonische Intermezzi」(1953)
 歌劇『孤独大通り』の中から、間奏曲などを抜粋しての演奏。歌劇の内容はマノン・レスコーの翻案みたいです。ヘンツェの曲は前衛色の強いものから伝統的な西洋クラシック色の強いものまでありますが、これは両者の中間、やや伝統寄り。それがダメかというとそんな事はなくカッコよかったです。時にメシアン、時にストラヴィンスキー、ちょっとだけジャズ的でもあって、でも半音階がそのまま和音にもなるような部分もあって、サウンドがもう少し新しい、みたいな。自信はないですが、僕的には他の作曲家の作品の引用に聴こえた所が幾つかあったもので、そういう意図もあった曲なのかも知れません。

 ヘンツェ「Manadenjagd 狂乱の狩り」(1964~66?)
 歌劇『バッカスの巫女』の中の曲。僕は『バッカスの巫女』を観ても聴いてもいないんですが、ヘンツェは19世紀的なオペラの創作に嵌った時期があって、『バッカスの巫女』はその頂点と言われるものなんですよね。でもその中の3分の曲をひとつ聴いてもよく分からりませんでした。この曲だけで言えば、伝統的な作曲法にほんの少しだけモダンが入っている程度で、普通…かな(^^;)>?

 このCDが発表された当時、このシリーズは作曲家、選曲、録音のすべてに至るまで評判がよくて、現代音楽を追い切れなかった僕は「このシリーズで、ある程度リアルタイムの作曲状況を押さえられたらいいな」なんて思って買いました。この第3集は、ヘンツェとダッラピッコラの作品がバック・トゥ・19世紀なポスト・モダン的で、クセナキスとペレッツァーニが統計作曲的。どういうコンセプトであり、たしかにそういう時代だったな、なんて思い出したりして。それにしても、ダッラピッコラからクセナキスへの流れが素晴らしかったです!


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『ヘンツェ:歌曲集《6つのアラビアの歌》 《3つのオーデンの歌》 イアン・ボストリッジ(tenor), ジュリアス・ドレイク(p)』

Henze_Kakyokushuu_Ian Bostridge ヘンツェの歌曲集で、「6つのアラビアの歌」と「3つのオーデンの歌」収録です。歌うはテノールのイアン・ボストリッジですが、「6つのアラビアの歌」は、彼からインスピレーションを受けて書いた曲だそうです。このCD、ジュリアス・ドレイクという人がピアノ伴奏してるんですが、この人が素晴らしかったです!

 「6つのアラビアの歌」は、ぱっと聴きで「あ、新古典的なメシアンかな?」と感じました。特徴的なスケールを使ったモチーフと現代っぽい和声付け、でもモチーフが繰り返されたり他のモチーフと関係づけられたりして、それが構造の基本になってるところが新古典的。こういう曲って、音の印象だけを聴くと「ああ、また現代音楽なサウンドか」と、音にのめり込む前にサラッと印象だけ聴いて終わっちゃいそうですが、構造面を聴くと突然面白くなる印象です。僕はこういう「和声や音階は独創的で、でも構造はがっちり」っていう曲が好きです(^^)。でも、和声がちょっと現代音楽の典型という感じでもあって、自分の作曲の参考にするなら、この部分は考察の余地ありかも?好きだったのは、美しく幻想的な第2曲「カマキリ」の冒頭、第5曲の展開部、そして思いっきりメシアンな第4曲  「ツェザーリオン」。第4曲は、ピアノの演奏がムッチャクチャ素晴らしかった!
 でも、この歌曲集は音楽よりも詩を中心に作った気がしました。6曲中1曲半ぐらいは人の詩ですが(ハーフェズ「パラダイス」)、残りはヘンツェ自身が詩を書いてましたし。またその詩が「ここで私は死ななければならない」(第5曲)とか、「冷たい死をさえ、多分混乱させ」(第4曲)とか、ペシミスティックでいかにも20世紀ですし(^^;)。

 「3つのオーデンの歌」は、W.H.オーデンが書いた3つの詩に音楽をつけたもの…だそうですが、オーデンという人を知らない(^^;)>。。連続して聴いたからか、これも音楽はメシアンを感じました。詩は…暗いっす。どうも戦後のヨーロッパ現代音楽のうち、シリアスなものは、ちょっと対戦と実存主義を引きずりすぎてると思うなあ(^^;)。。

 ヘンツェは、戦後のドイツ人作曲家ではいちばん早くセリーに飛びついた作曲家だそうですが(本人がそういってる)、セリーからかなり早い段階で脱却した人でもあります。だから、形式面だけでヘンツェの作風を定義するのは不可能。新古典みたいなものもあればゴリゴリのセリーもあって、このCDの「6つのアラビアの歌」はメシアンでした(^^)。技法でなく、色々な技法の中から何を選んで何をやるのかという所が、音楽でのポスト・モダンなのでしょうね。ヘンツェの中ではまったく有名でない作品、内容もやや地味には感じましたが、音楽と演奏は素晴らしかったです!


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『ヘンツェ:交響曲第1番~第6番  ヘンツェ指揮 ベルリン・フィル、ロンドン響』

Henze_Symphony1-6_Henze.jpg 現代音楽でポストモダンといえば、僕の場合はかなり早い段階でこの人が頭に浮かびます。ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ、若くしてヨーロッパ作曲界で大きな注目を集め、生涯高く評価され続けた作曲家です!
 戦争直後のヨーロッパ作曲界のメインストリームといえば、セリーや電子音楽あたり。新しい作曲技法の分析本なんて出てなくて、作曲家を目指す人はダルムシュタットの夏期講習を受けに行くとか、そういう時代だったそうです。ヘンツェもそうやって現代の作曲技法を学んだそうですが、当時のメインストリームだったセリー音楽をそのまま鵜呑みにせず、それ以前の西洋の和声音楽と現代音楽をミックスした…音楽の教科書ならこんな感じで彼を説明するんじゃないかと(^^)。でもこの説明って、少なくとも彼の書いた交響曲を聴くに関しては、けっこう当たっているんじゃないかと。モダンのあとで何をやるかという格闘があって、たしかにポスト・モダンだったのです。

 交響曲第1番はヘンツェ21歳の時の作品。伝統的なクラシックと、2次大戦直後のドイツ前衛の和声の折衷でした。音列技法は部分的にしか使われてない気がします。ドイツ作曲界で名声を獲得していた人なので現代音楽バリバリかと思いきや、透明感あふれる第2楽章なんて「これ、シベリウスの曲だよ」と言っても通ってしまうんじゃないかというほどの調音楽。でも密かにポリトーナルだったりして(^^)。楽曲は自由形式と思われるロマン派風、ただサウンドや部分的な音列が現代音楽っぽくなるというこの折衷的な作風は、第2番第3番も同じでした。2番なんて1番以上に伝統的な西洋音楽風で、現代的な響きこそ要所にありますが基本的にロマン派音楽。3番までは若いときの作品だし折衷的という意味で、自分が身につけた色んな作曲技法をみんなやってみたかったのかも知れません。

 そんな作風が変わって聴こえたのは第4番から。9つのパートに分かれたこの曲、自由形式ではなくて構造が明確に聴こえて、サウンドこそ現代的ですが構造は古典や新古典と言っても良さそう。プレリュードから始まって、ソナタ、変奏、スケルツォ、ロンド…って、ほとんどベートーヴェンでした。これは素晴らしい、ここからヘンツェは変わったように感じます。

 そして、第5番。1~3番までの傾向と、4番の傾向が混じった作品、現代音楽というより、新古典の未来型と感じました。でもそういう構造面以上に曲想が好き!2楽章は武満徹さんの音楽のような背筋がゾクッと来るようなテンポ設定に独特の色彩感覚、そこにセリーが同居してる感じで、めっちゃいい!5番はアナリーゼしたらもっと色んなことが分かりそうな気がしました。これは傑作じゃなかろうか…。

 第6番、これが一番アヴァンギャルド!音の絡みがかなり複雑で、ふたつのオーケストラを対比させて使ってます。ソナタっぽいのを変奏していってるかんじ?自信がないんですが、ものすごい刺激的なのに統制して聴こえるのは、そういう構造があるからじゃないかと。5番に次いでこれも素晴らしい、いつか分析してみたい見事なコンポジションでした。ただこの曲、純粋にサウンドだけを見据えて作っただけじゃないみたいで、テオドラキスの「自由の歌」の引用があるそうで(僕は原曲すら知らず)、他にもキューバ音楽風のリズムなども出てきたりしますが、そういうのはブルジョワに対する市民意識の反映だそうです。そうそう、ヘンツェは社会の支配階級やブルジョワに反抗的で、毛沢東主義にだんだん傾倒していって、この6番を書いた時にはキューバに住んでいたそうです。

 ヘンツェの交響曲、3番までは何でも書けちゃう秀才肌だけど何をしたいのかよくわからない感じでしたが、4番からが凄かったです!セリーはそこまで前に出てこないで、むしろ古典的な西洋音楽の手法が構造化の原点にあるみたい。というわけで伝統的西洋音楽の作風にあって、和音だけが現代音楽風の音楽と思いました。現代的なサウンドを身にまとった従来の交響曲という感じなので、「ラヴェルバルトークあたりまでのクラシックは好きだけど、現代音楽は難しくて分からないんだよなぁ」という人には、現代音楽の入り口になるかもしれません。


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『FREE / Free Live!』

FREE_Free Live 僕にとってのフリーは、カッコよすぎたファーストと、それと対になるセカンド。だから最初の頃はサード・アルバム以降のフリーは苦手で、代表曲「All Right Now」も「Mr. Big」も、良さがわかりませんでした。
 でも高校生の頃にある大学の学園祭に行った時に、「All right now」をメッチャクチャカッコよく演奏している学生バンドを見たんです。フリーのスタジオアルバムみたいにスッカスカな音ではなく、ドラム叩きまくり!あの曲って、サビの歌詞「all right now, baby it's all right now」の「baby」が2小節目2拍裏に来るじゃないですか。この学生バンドは、1小節4拍目から2-1拍いっぱいまで手数を多くしたフィルを入れて、2拍裏をバンド全体でビタッと揃えてドカンと演奏していたんですよね。うおお、こういう風に演奏されるべき曲だったのか、メッチャかっこいいんですけど!
 というわけで、もしかしたらサード・アルバム以降のマッタリ系フリーの曲も、ライブだとカッコいいんじゃないかと思って聴いたのが、このアルバムでした。71年発表のライブ盤です。

 おお~セカンド・アルバム以降の名曲が全部入ってて、しかもこっちの方が演奏もいいし音も迫力がありました。サード・アルバム以降のフリーを聴くならライブを聴かないと良さは分からないと思った若い頃の僕だったのでした。グランド・ファンクあたりもそうですが、実力あるバンドはスタジオじゃなくてライブの方が断然いい演奏するんですよね。まあでも、持ち上げるほどのもんでもないかな。。


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『FREE / Heartbreaker』

FREE Heartbreaker 1973年発表、フリーのラストアルバムです。フリーって69年から73年までという短い活動期間の間で、7枚のアルバムを発表しました。これだけアルバムを出せたのだからレコード会社からは愛されていたのでしょうね。

 コーラスやストリングスを足したり、オーバーダビングを繰り返して音を分厚くしたり、ちょっと変わった音の処理をしてスタジオ作品っぽい仕上げ方をしてました。このアルバムで一番好きな曲「ハートブレイカー」を例にとると、ヘヴィーロックナンバーにオルガン入れて、さらにコーラスまで足したんだから、それなりに厚くはなっていました。でもそういう実際の楽器数とはちがって、印象は『ファイアー・アンド・ウォーター』とそんなに違わない薄い印象でした。
 というのも、ロックというより、フォークかポップスのような曲想のものが多いのですよね。これにスタジオ制作っぽい作りが重なるので、フリーというよりバッド・カンパニーの音楽に近い印象でした。あ、バッド・カンパニーというのは、フリーに参加していたポール・ロジャース(vo) とサイモン・カーク(dr) が作ったバンドです。

 フリーって初期はカッコいいんですが、サード・アルバム以降は明らかな弱点があって、ドラムとベースがただのメトロノーム。演奏がスッカスカ。そして「サード以降のフリー的なテンポ」というのがあって、放っておくとみんなアダージョになってしまい、このテンポゆえに曲が同じに聴こえてしまいます。実はこの弱点はバッド・カンパニーも引き継いでいたりして…。というわけで、ファーストアルバムの頃のヘヴィーにガツガツ来るブルースロックなフリーの面影はなくて、バッド・カンパニー序章という内容に感じました。サード以降のフリーは「All right now」「Mr.big」「Heart breaker」という当たり曲を持ってはいるものの、基本的にはバッド・カンパニーの方が上かな…。


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『FREE / Fire and Water』

FREE Fire and Water 1970年発表、ブルースロックバンドのフリーのサード・アルバムです。ファーストアルバム『Tons of Sobs』に比べるとブルース色が後退してポップスに近づき、静かでゆったりした曲想が主となったアルバムでした。なにせ全7曲中6曲がスローで静かですから。しかもヴォーカル/ギター/ベース/ドラムというシンプルなバンド編成で、音がスッカスカ。唯一のロックナンバー「All Right Now」ですら、ここまで音が埋まらない状態でいいのかと思うほどのスッカスカ加減でした。

 僕はハードロックのルーツとしてこのアルバムを聴いちゃったもんだから、初体験時に「果てしなく地味だ」と思ってしまいました。すんません。これはブルースロックとポップスの間ぐらいの事をやろうとしたのか、それともドラッグ禍でヘロヘロになってしまったポール・コゾフの不調か…いやいや、単純にブルース曲以外を演奏するだけの技量がないんだと思ってしまいます。。もっとサウンドがズギューンと来て、盛り上がる所ではギターはギュンギュン、ドラムにはズガガガガンと来て欲しくなりましたが、来ないっす。盛り上がる所でもドラムが「トトトトン」なんです…ファーストで叩きまくっていたサイモン・カークよどこへ。でもレイドバックした感じと言えなくもなくて、そう感じられたら、渋い音楽に感じられるかも知れません。

 でも、あの強烈なファーストを聴いた後にこれだとやっぱり物足りない…。ハードロックのルーツとしてフリーに行き着いた人も、ブルース・ロックとしてフリーに行き着いた人も、このアルバムを面白く感じるのはちょっと難しいんじゃないかという気がするんですよね。


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『FREE』

Free.jpg 1969年発表、イギリスのロック・バンドのフリーのセカンド・アルバムです。このアルバム以降の音楽の雰囲気が、一般的なフリーというバンドのステレオイメージかも知れません。

 前作『Tons of Sobs』はアート・ロックが少し入った迫力満点のハード・ブルース・ロックでしたが、このアルバムには純粋なスリーコード・ブルース曲はひとつもありませんでした。それでもブルースの知識と技術さえあれば演奏できる曲が半分ぐらいで、こういう方面の曲は演奏が迫力あってカッコよかったです。やっぱりポール・コゾフのギターを活かすなら、ハード・ブルース・ロック調なのかも。
 で、もう半分は、ファーストにはなかった特徴を持つ音楽でした。スリーコードでマイナー・ペンタトニックなブルースでは対応できない曲を作り始めていて、全9曲中8曲がヴォーカルのポール・ロジャースとベースのアンディ・フレイザーのコンビが曲を書いてました。そうそう、アンディ・フレイザーはアレクシス・コーナーのところでブルースを演奏していた少年で、ジョン・メイオール・ブルースブレイカーズからフリーへと渡り歩いた人です。
 まるでフィフティーズのようなスローナンバー「Lying In The Sunshine」のシンプルながらとても綺麗な和声進行とか、ギターとコーラスでほとんどすべてでまるでブリティッシュ・トラッドのような響きの「Mouthful of Grass」あたりは、見事な作曲。バンドがハードなブルースロック・バンドから、作曲を重視するバンドへと変わっていったのだと思わされました。でもそういう作曲作をポップと感じる事は無くて、このへんがフリー解散後にメンバー数人が結成したバッド・カンパニーとの違いでしょうか。定型に嵌める作曲じゃないんですよね。ピアノレスの上にこういう曲に慣れないプレーヤーが演奏するので、ベースとギターのアルペジオとコーラスだけ、みたいになる事も多かったです。これが渋くもあるしポップに感じない理由のひとつにもなってもいて、別の言い方をすると音がスカスカで寂しくも感じたりして。まあ、それって大なり小なり、サード以降のフリーや、フリーの後に結成されたバッド・カンパニーにも言える事ですよね。

 デビュー・アルバムで見せたハード・ブルースと、バッド・カンパニーの予兆となるようなシンプルな作曲作品が共存していて、僕的にはフリーの中で2番目に好きなアルバムです。でもこれ、シンプルなブルース・ナンバーで弾きまくって大暴れしたかっただろうポール・コゾフはストレス溜まったでしょうね、弾かせて貰えないんだから(^^;)。僕にとってのフリーは、1枚だけ選ぶならファースト、他も選ぶならファーストと好対照になるこのセカンド、ここまでで充分。ポール・コゾフという不世出のギタリストを抱えたんだから、彼のいいところを抑え込むんじゃなくてもっと引き出す方向に持っていけたら、フリーってレッド・ツェッペリンになれたんじゃないかという気もします。


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『FREE / Tons of Sobs』

FREE Tons of Sobs ギターのポール・コゾフとヴォーカルのポール・ロジャース、ふたりのスタープレイヤーを擁するブルース・ロック・バンドがフリーです。これは1969年に発表されたデビューアルバムです。僕はフリーのアルバムの中でこのデビュー・アルバムが一番好き、それもダントツです。このアルバムを聴いて、僕は好きだったバッド・カンパニーからフリーの方に興味が完全に移ってしまいました。アート・ロックに片足を突っ込んだハードなブルース・ロックの中でもトップレベルの名盤だと思ってます!

 アルバムのコンセプトがカッコいいです。最初と最後に幻想的な曲想の「Over the Green Hills」を置いて全体に統一感を出し、本編は超攻撃的な図太いブルースロックと、ほんの少しのサイケ感覚。このバランスがヤバすぎで、ブルース・イメージ『OPEN』やZZトップ『Rio Grande Mud』級のカッコよさでした。
 アルバムをサンドイッチしている「Over the Green Hills」の素晴らしさ。Eマイナー調の曲で、平歌はEとEmの交換をアルペジオで通し、サビがターンバック気味に2拍ごとにコードを変えてG→A→C→B。歌メロの最初の音はEを作る#G、でもそのすぐ後でEmを作るGが出てきます。だからサウンドとしてはEとEmの交換とも取れるし、Emの倚音であると同時にテンションとも取れます。これが浮いたような和声感を生み出していてカッコいいんです!また、トニック代理として使っただろう短6度Cがムッチャクチャよく効いていて、これだけでサビに軽い転調感を生み出していました。平歌のアルペジオもバスEに対してD→#C→♮Cとアルペジオが下降ラインを作りますが、経過ラインを作るだけでなく長6と短6の両方を満たす事になるふたつのCが転調気味にサウンドを豊かにしていて見事。どれも本当にちょっとしたことですが、この3つでスリーコードとペンタトニックだけというブルースロックの単調な雰囲気から見事にのがれ、同時にブルースロックのどれを聴いても同じ響きというところからも脱していました。
 間に挟まるこのアルバムの本編ともいえる曲もいいです!本編はブルース曲がほとんどでしたが、「Worry」とか「The Hunter」とか、やさぐれてカッコいい。

 プレイではポール・コゾフのギターが素晴らしすぎました。バンドブルースのギターって、拍を分割するんじゃなくて、音を積み重ねる感じで演奏できるじゃないですか。こうやるとメロディは歌うしリズムはある種のシンコペーション的な効果を生むし、メッチャかっこいいと僕は感じます。でもこういう弾き方をするブルース・ロックのギタリストってそんなに多くは無くて、僕の知る限りではポール・コゾフとマイク・ブルームフィールドが群を抜いていると感じます。あと、エレキ・ギターってサウンド・メイキングも重要じゃないですか。とんでもなく図太い音のファズ・ギターで弾きまくり、ヒステリックに小刻みに揺らすヴィブラート…ヤバいぐらいにカッコいいです。
 以降に参加したバッド・カンパニーでは楽に叩いていたサイモン・カークのドラムも熱かったです!「Walk in my shadow」ではライドでキープし、4拍目には絶対に返しを挟んで、パートの切れ目に入れるフィルはものすごい!いやあ、この後どこかのバンドに参加してず~とミュージシャンとして活躍するサイモン・カークのドラムは、彼のデビュー作になったこのアルバムが最強じゃないかと。
 ヴォーカルのポール・ロジャースも素晴らしかったです。昔はロバート・プラントジョニー・ウインタースティーヴ・マリオットあたりと比べてしまったので、「そこまで凄いかな?」と思ってたんですが、別に比較しなくったって聴いて素晴らしいんだから素晴らしいですよね(^^)。当時のロックのヴォーカルの中で、きちんとミックス・ヴォイスを作れている数少ないひとりですし、フェイクでも何でもロックのヴォーカルに必要な表現はすべてできるんだから、やっぱりいいヴォーカルだと思いました。

 評論家さんはフリーというと『Fire and Water』や『Heartbreaker』を推薦する人が多いけど、そんなの耳が腐ってるかレコード会社の太鼓持ちとしか思えない。フリーを聴くなら絶対に最初の2枚。超がつくほど推薦です!


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『イメージファイト』 アーケードゲーム

ImageFight_pic2.jpg 1988年リリース、アイレムが制作したシューティング・ゲームです。このゲームこそ、ギャラクシアン以来「自分はシューティング・ゲームがうまいのではないか」と思っていた僕の心をポキリと折り、僕のシューティングゲーム生活にとどめを刺す事となった重罪人でした…って、シューティング・ゲームを卒業できたんだから、むしろ救いの天使かも知れません。

 このゲームの面白かったところは、自機の攻撃方法を臨機応変に変化させられる事。そしてその武器選択の工夫がないとクリアが難しいという、数々のギミックの面白さでした。ステージごとのギミックのいい例が2面。敵の巨大戦艦の横を抜けて行くんですが、前じゃなくて横に攻撃する必要があって、これに対応した装備を揃えているかどうかで難易度が激変するんです。また、「空中に浮かんでる敵の巨大戦艦の横を抜けていく」というギミックも、雰囲気があって良かったです。

 ただこのゲーム、3面からいきなり凶悪な難しさになるのです。3面のボスに辿りつくのが至難の業で、ようやくたどり着いたと思ったらジオングみたいに無数のレーザーをいっせいに撃ち込まれ、パンクラスもビックリのスピード瞬殺。どうやれば3面のボスをクリアできるか考えたいところなんですが、そこに行けるのがまた5回やってに1度あるかないかの難易度。辿りついたと思ったらまたしても瞬殺で考えるいとまもない…これで諦めました。ただ、友人がこのゲームに嵌まっていて、大学の課題も放ったらかして3面突破、4面突破…と進んでいったのです。そして、ついに5面突破!友人の努力をたたえていると、ゲーム画面に何やらメッセージが。「練習ステージ終了、次は実践です」。ええ~ここまでは練習だったのかよ。。さすがの友人もここでギブアップした事は言うまでもありません。でもおかげで音楽に復帰できたけどね。。

 という訳で、僕はこのゲームが最後にどうなるのかを知らないのです。すっごく面白いんだけどさすがに難しすぎる(^^;)。ゲームを楽しむんじゃなくて、拷問を受けてる感じでした。これならピアノ弾いてる方がぜんぜんいいや、みたいな。


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『ガンスモーク』 アーケードゲーム

GunSmoke_movie.gif ASO同様、これも1985年に登場したシューティング・ゲームです。このゲームに惹かれたのは、舞台が西部開拓時代のアメリカだった事。グラフィックの描き込みに定評のあったカプコンだけあって、西部劇の世界観が素晴らしかったです!これに魅せられて、何度かやってみたのでした。

 シューティングゲームといえば戦闘機と相場が決まってましたが、このゲームではなんとガンマンを操作。これが斬新で、2丁拳銃で正面、右、左と撃ち分けられるんです。グラフィックが綺麗で先を見たくなるし、敵ボスも多彩でやりたくなる欲求を掻き立てられます。1面ボスは遠くから狙撃してくるライフル使い、2面はナイフ使い、その先にはインディアンの酋長、ダイナマイト使いなどなど。馬に乗れば1発までは弾を喰らっても大丈夫…面白そうで魅力的だったんですよ。
 でも僕はこのゲームに嵌まれませんでした。理由は単純、難しすぎたんです。3面の忍者を倒すのが至難の業で、こっちの弾が敵をたしかに捉えてるのに、当たってるんだか何だかよくわかりません。ようやく忍者を突破してもインディアンの集落を抜けるのは不可能。ちなみにインディアンの集落は、このゲームの目的である悪漢三兄弟に辿りつくまだ中間地点ぐらい…これは無理だ。

 というわけで、グラフィックに魅力を感じたのですが、ゲーム自体が面白く感じられませんでした。このあたりからゲーセンのシューティングゲームの難易度は上がる一方、僕はついていけなくなりました。ギャラクシアンも1942も仲間うちでは一番うまかったのに、そんなプライドもズタズタにされましたね。そして、さらに凶悪なシューティングゲームに出会いまして…その話はまた次回!


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『ASO』 アーケードゲーム

ASO.png 敵を打ち落とすビデオゲームをシューティング・ゲームといいますが、僕が学生の頃のゲームセンターはシューティングゲーム全盛。遊び方も理解しやすいし、とっさの状況判断や反射運動が問われるのでスポーツのようでもあって爽快感がありました。でもシューティングゲームは、ゲーム的な考える面白さに乏しくなりがち。そんな中、85年になるや戦略性の問われるシューティング・ゲームが次々に登場、その極めつけがASO でした。この戦略がむっちゃくちゃ面白かったんです。アタマさえ使えば、シューティングがあまりうまくなくてもかなり先まで進めるという、まさに戦略が成否を分けるゲームだったんです。

 このゲームの独創性は、宇宙戦闘機の自機がアーマーというものを装備できるようになること。アーマーはゲームを進めながら回収する必要があって、コクピット部分、左ウイング、右ウイングの3つを揃えると完成し、好きな時に装備できるアーマーとしてストックされます。アーマーは8種類あって、それぞれ特徴があります。画面上の敵をすべて瞬殺する雷を発するアーマー、ずっとバリアを張ったままのアーマーなどで、この8種類のアーマーをいつどこで使うのかが、このゲームで問われる戦略のひとつでした…あくまで「ひとつ」というところが、このゲームの奥深さなんですけどね(^^;)。

ASO_movie.gif たとえば、1面のボスです。このゲームは全12面(6面2周…といっても、2周目は似て非なる地形やボス敵)ですが、1面のボスはこちらの弾をブロックする弾を撃ってきます。だから、アーマーをつけずに戦うとこちらの弾を当てるのが至難の業で、1面にしてこのゲーム最強なんじゃないかというほど強い!ところが、「ファイヤーアーマー」という問答無用でなんでも燃やしてしまう火柱をあげるアーマーを使うと、「あれ?もう死んだの?」というほどあっけなく退治できます(゚∀゚*)エヘヘ。
 そんなわけで、僕たちは当然のようにファイヤーアーマーで1面を突破していたわけです。でも、2面、3面、4面…と進んでいくうちに敵にボコられてゲームオーバー。そんなある時、ひとりの友人がある戦略を思いつきました。「なあ、1面をシールドアーマーで突破したら、ずっとバリア張ったまま進めるんと違う?」おお~すげえ、そういう戦略があったか!早速試してみるも、シールドを張るとこちらの弾が通常弾になってしまって跳ね返されて敵になかなか届かず、あえなく死亡。これで企画倒れになったかと思いきや、この友人は自分の戦略を信じて疑わず、何度もトライして徐々に勝ちやすい攻め方を開発し、ついに突破!すると…おお~5面のボス手前までバリア張りっぱなしで行けるじゃねえか、これは楽勝だ!
 こんな風にして僕らは全員このゲームがうまくなり(作戦勝ちですね^^)、みんなして1周目はアーマーを3つしか使わずに突破できるようになりました。シールド張りっぱなしだから多少ミスしても死なないんですよ。また、1周目最後の敵は、1面で温存したファイヤーアーマーで瞬殺(^^)。

ASO_Armor.png 次なる関門は7面(2周目1面)でした。2周目だから1周目が多少パワーアップしただけかと思いきや、地形も敵もけっこう変わっています。この7面が地獄の難しさで、むしろ8面9面やラストステージよりもこっちの方が難しいのです。ここでさらに戦略が問われたのです。アーマーを使うにはエネルギー制限があるため、エネルギーを消費しにくいアーマー以外は装備しっぱなしという訳にはいきません。どうするか…1周目のラストでアーマーを使わずにエネルギーを温存して、7面のヤバいポイントで惜しげもなくアーマーを装備する!こういう戦略に出たわけです。まあこんなふうにして、次の難所の10面の中ボス、このゲーム最大の難所の11面の砲台集中エリアをクリアし、とうとう友人全員が、数回もやれば1回はクリアできるレベルになったのでした。

 これで一件落着かと思いきや、ここでゲームは終わりませんでした。いかに見栄え良くゲームできるか、僕たちはこれを競い始めたのです。アーマーには、前半戦の恋人であるシールド、ワープする強敵の5面ボスを倒す必需品サンダー、ボス戦の万能薬ファイヤーなど、使い勝手のいいものもあるんですが、「これ、使った方が不利になるんじゃないか?」と思えるものまであるのです。でもクリアが当たり前となった頃になると、「ゲーム中ですべてのアーマーを使ってそれぞれのアーマーの見せ場を作り、華麗に敵を殲滅して全12ステージをクリアする」のが目標になったのです。すると、今まで使う事のなかった核爆発アーマーを11面の要塞地帯に打ち込むようになり、2周目1面のボスはキャノンで至近距離から連射して倒すようになり…こんな風にして、ただ勝つのではなく、すべてのアーマーを華麗に披露しつつ、美しく勝つ事を競うゲームになったのでした。

 いやあ、こんな事を書いてたら、久々にやりたくなったぞ。関西のどこかにASOの置いてあるレトロゲームセンターないかな…というか、ゲーセン自体がなくなりましたよね。栄枯盛衰。


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Bach Bach

Author:Bach Bach
狭いながらも居心地のいい宿で、奥さんとペット数匹と仲良く暮らしている音楽好きです。若いころに音楽を学びましたが、成績はトホホ状態でした(*゚ー゚)

ずっとつきあってきたレコード/CDやビデオの備忘録をつけようと思い、ブログをはじめてみました。趣味で書いている程度のものですが、いい音楽、いい映画、いい本などを探している方の参考にでもなれば嬉しく思います(ノ^-^)ノ

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ロシアとウクライナがほぼ戦争状態に入りましたが、僕はソ連解体後のウクライナについて本当に無知…。これは2016年にオリバー・ストーン監督が作ったウクライナのドキュメンタリー映画。日本語字幕版が出たらぜひ観たい このブログをYoutube にアップしようか迷い中。するなら作業効率としては早いほど良いんですよね。。その時にはVOICEROIDに話してもらおうかと思ってるけど、誰の声がいいのか考え中
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