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心に残った音楽♪

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コミック『コブラ』5~8巻 寺沢武一

Cobra_5.jpg コブラは「愛蔵版」とか「完全版」とか、いろんな形で何度も再版されてきた漫画なので、巻数で書くと分かりにくいですが、ここでは連載当時に発売された漫画本の巻数に統一しておきます。
 僕がコブラにのめり込むことになったのは、5巻をまるまる1冊使って書かれた「ラグ・ボール」編からでした。というわけで、この漫画を読んだことのない人にぜひお勧めしたいコブラは5巻から!以降、僕が面白いと思ったコブラの話をダイジェストでご紹介!

■ラグ・ボール編(5巻)
 ラグボールという野球とアメフトのあいのこのようなスポーツで、宇宙一の名門チームを持つとある星が、麻薬組織の温床なのではないかと疑いがかかります。しかしこの星、まるごとあるオーナーの所有物のために治外法権、銀河パトロールは捜査に踏み込むことが出来ません。そこで銀河パトロールは海賊コブラに潜入捜査を依頼します。ラグ・ボールの選手になって潜入に成功したコブラですが…
 子供の頃、あまりに面白いもんで何度も読んだ話なのですが、いま改めて読むと、この設定って『燃えよドラゴン』ですね(^^;)。まあでも、『燃えよドラゴン』のSF版がつまらないはずもなく、まるで映画を楽しんでいるようで、実に面白かったです!

■ロボットはいかが?(6巻)
 スクラップの取引でにぎわうある星で、コブラはとある小型ロボットに目をつけます。しかしそのロボットには手錠がついており、手錠の先には人の腕のようなものが。商人はこの手錠を焼き切ってコブラに小型ロボットを売りますが、その夜からこの星の機械という機械が人を襲い始めます。コブラの買ったロボットに繋がれていた腕は、敵の星に送られて、すべての機械を支配して人を殺戮する指令を出す戦争用人型兵器だったのです。これを次元の境につないで作動させなくしていたものを手錠を切ったものだから、兵器がよみがえってしまったわけです。被害は膨れ上がり、コブラですらどうすることも出来ません。そのうちに、自分の任務が何であったのかを思い出した小型ロボットは…
 これは短編ですが、実によく練られたストーリーのSF作品でした!SFの短編小説って人気ジャンルで歴史も深いので元ネタがあるのかも知れませんが、もしこのストーリーを寺沢さんが自分で考え出したのだとしたらすごい。。

Cobra_8-25.jpg■サラマンダー編 (7~8巻)
 コブラの恋人でもある銀河パトロール隊員のドミニクが、コブラに相談を持ち掛けます。しかし彼女に会いにホテルに行くと、恋人の皮膚が剥がれてホテルのガラスに張り付けられていました。恋人を殺されたコブラは復讐を誓い、事件の黒幕を探ります。黒幕は海賊ギルドの支配を狙うサラマンダー。強大な敵サラマンダーを倒すため、コブラはかつて仲間だったドク、バット、パンプキンという仲間を集めます。
 「サラマンダー編」という名前は僕が買ってにつけたものですが、実際にはいくつかの話に分けて考えられそうな話です。子供のころ、週刊漫画雑誌がたくさん置いてあるラーメン屋さんが近所にありまして、親が仕事で忙しいと、僕はそこにいってひとりでラーメンを食べていました。そこで初めてコブラと出会ったのですが、その時に読んだのがこの話。監獄となっている星から仲間を救うために仕掛けたトリック、地下プロレスの話、豪華長距離列車の話、宇宙の宗教の寺院を利用しようとする犯罪組織…子供だった僕にとっては大人向けの娯楽映画を観ているようで、漫画ってこんなに面白いのかと思わされました。見事なSFアドベンチャー作品と思います。

 5巻以降のコブラは、もうジュニア向けなんてものじゃなくて、大学生や新卒社会人が読んでも夢中になるほどの内容。いま読むと話の元ネタがいろいろと分かるのですが、SFって元ネタが何かを考えながら読むのも楽しみ方のひとつですよね(^^)。SFと言ってもハードSFでなく、スタートレックのような娯楽系のスペース・ファンタジーで、ワクワクして楽しいです。「スターウォーズ」以上のクオリティのスペース・アドベンチャー作品と思います!


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コミック『コブラ』1~4巻 寺沢武一

Cobra_3.jpg 宇宙とか未来とか、実際には行きにくい場所が舞台になっている物語にとって、漫画は得難いメディアと思います。実写映像だとセットを作るだけでも制作費がかさんで制作できるチームが限られるし、小説だと知らない世界の描写なので想像力を働かせにくいです。その点、制作費もそれほどかからず、だれも実際に見た事がないものを視覚表現できる漫画はSFにピッタリの媒体だと思うんですよね。そんなスペース・アドベンチャーというジャンルで、僕が一番好きな漫画が「コブラ」です!手塚治虫さんの「火の鳥」は最高に面白かったし感動させられたけど、スペース・アドベンチャーというより哲学/宗教に感じましたしね。作者の寺沢武一さんは、そんな手塚治虫さんのアシスタントから独立した人。僕はこの人のマンガが大好きですが、寺沢さんのマンガはどれを読んでも全部コブラの焼き直し。つまり、寺沢武一の漫画とは、コブラの事なのです!

 宇宙で海賊を働く一匹狼コブラが主人公。銀河パトロールからも犯罪組織の宇宙ギルドからも睨まれた彼は、自分の記憶を消し、顔も整形して一般人に生まれ変わって生活をしていました。しかしふとしたことをきっかけに記憶を取り戻し、元の海賊として宇宙を冒険してかけまわります。

 面白い漫画なので、アニメ映画化もテレビアニメ化もされましたが、僕はアニメは認めていません。というのは、僕が子供だった80年代にされたアニメ化はコミック序盤で、そのあたりはまだコブラがまだ面白くなる前だったと思うからです。とはいっても、凡百のSFコミックに比べればレベル違いによく出来ているし、単行本の1~3巻で、3人の女の背中に入った入れ墨の秘密をめぐるひとつの話という、当時の少年向け漫画では特例と言えるほど壮大な話。でもやっぱりまだジュニア向けといった感じでした。
 というわけで、1~4巻はコブラ序章といったところ。スペース・アドベンチャーとして本当に面白いコブラは、次の5巻から始まります!(つづく)


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久々にハイティンク&アムス・コンセルトヘボウ演奏のショスタコーヴィチ交響曲第13番《バビ・ヤール》 を聴きました

shostakovich_BabiYar.jpg 久々に、ハイティンク&COA演奏のショスタコーヴィチ13番《バビ・ヤール》を聴きました。僕にとってはショスタコに目覚めた運命のCD。このブログを始めたばかりの頃にいちど感想を書きましたが、昔の感想は今にも増して馬鹿すぎるなあ (^^;)。

 というわけで、《バビ・ヤール》に追記を加えました。マジで稚拙なもんで読んでほしくないと思う気持ちが8割ですが、これも自分の人生の記録、実名を公表しているわけでもないしこっそりアップしておきます。。

http://cdcollector.blog.fc2.com/blog-entry-57.html


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『ショスタコーヴィチ:交響曲第6番、第12番《1917年》 ハイティンク指揮、コンセルトヘボウ・オーケストラ』

Shostakovich_Sym6 12_Haitink 僕がショスタコーヴィチの交響曲にハマったのは13番《バビ・ヤール》から。そこでまずは13番近辺から漁りはじめました。僕はピアノの人だったので、協奏曲ならまだしも交響曲には縁遠くて、ショスタコですらろくに聴いてなかったんです、恥ずかしい(^^;)>。そこまで意識していたわけじゃなかったんですが、録音は感動したあのバビ・ヤールの演奏を指揮していたハイティンクのものを優先して追う事になり(西側の指揮者でショスタコの全曲録音を最初にしたのがハイティンクだった事も影響してると思います)、12番でたどり着いたのがこのCDでした。
 6番と12番がカップリングされているのは、「レーニン交響曲」とも言われた12番のひな型が6番だったからじゃないかと。コンセルトヘボウ・オーケストラとはアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の事。録音は6番が1983年で12番が82年、録音場所はもちろんアムステルダム・コンセルトヘボウでした。

 交響曲第6番 ロ短調 op.54。ドカンとハードに来た第5番の次に、静かで美しい交響曲が来ると、思わずベートーヴェンの5番《運命》と6番《田園》の関係を思い浮かべてしまいます。ただそこはロシアのショスタコ、きれいで美しいだけでなく、生真面目で暗いです(^^)。
 6番は3楽章で構成されていて、1楽章が静かで神秘的、2楽章がスケルツォ的、3楽章が派手にドカンと大団円でした。つまりこれ、1楽章を緩徐楽章と考えれば、従来のシンフォニーの第1楽章ソナタを除いたものという事になるのかも。別の見方をすると、2楽章と3楽章がそれぞれアレグロとプレストで速く、調もG~Bm(最後にB)と近い調で繋がるので、僕にはひとつながりに感じられ、そう捉えると神秘的な前半と激しく躍動する後半という2楽章交響曲にも聴こえました。
 ソナタ楽章を無くして第1楽章に繰り上がり当選した18分近いロ短調のラルゴが素晴らしかったです!僕にとってのショスタコ6番はこの第1楽章がすべてで、氷の世界の美しさと厳しさと悲しさが同居しているような神秘的な感じ。ただ、楽式がいかにも後期ロマン派的で物語を紡ぐように流れていく上に長いので、僕はこの曲の全体構造をいつもとらえきれずに終わってしまいます。仕事のBGMに聴くなんて無理でした(^^;)。

 交響曲 第12番ニ短調《1917年》op.112。このシンフォニーは長い期間をかけて書かれたそうですが、完成したのは1961年。スターリンの死後、ペレストロイカの前です。1917年というとロシア革命が起きた年で、この交響曲はその後半に起きた十月革命を扱った標題音楽だそうです。ちなみに、帝政ロシア崩壊からソ連成立までの流れは、血の日曜日事件をきっかけに1905年に起きたロシア第一革命、1917年に起きた二月革命(ロシア第2次革命)と十月革命(ソヴィエト革命、また1917年のふたつの革命を「ロシア革命」という)、そして1922年にソビエト社会主義共和国連邦が建国されました。
 全4楽章。1楽章は軍楽、2楽章は不穏で恐怖音楽と鎮魂歌の中間のよう。3楽章は勇壮、4楽章は大団円…勝ったのかな(^^)?なるほど革命をモチーフにした標題音楽なんだろうな、と思いました。
 個人的に好きなのは第2楽章。僕は不穏なムードの曲を作る時に、1~2小節の短いモチーフを作り、それを繰り返しながら発展させていく形で作ってしまう癖があるんですが、それってこの第2楽章の冒頭や、バルトークの弦チェレの影響なんでしょうね(^^;)。

 このCDに僕が感動した理由のひとつは、録音が素晴らしかった点が大きかったです。あの神秘的で透明感ある6番1楽章って、もちろん曲や演奏の素晴らしさあってのものだけど、それがあれだけ綺麗にサウンドしたのは録音もあったんじゃないかと。


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『ショスタコーヴィチ:交響曲第5番《革命》 バーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック』

Shostakovich_Sym5_Bernstein_NewYorkPhil.jpg 交響曲作家ショスタコーヴィチのシンフォニーの中でもとくに有名なのが、この第5番「革命」です!僕がこの曲をはじめて聴いたのは、松田優作主演映画『野獣死すべし』の中ででした。戦場カメラマンとして惨い戦地を渡り歩いたインテリの主人公が、日本に戻ったのちに高級なオーディオシステムでこの曲のレコードを聴くシーンはなんとも印象的でした。日本のインテリがこぞって共産主義に憧れた時代を表現したものだったのでしょうが、あのレコード針を落とした後に続く「ジャジャーン」が、この曲の第1楽章冒頭でした(^^)。

 ショスタコーヴィチって、声楽を含んでいたり単一楽章だったり伝統的な機能和声法をちょっと離れた和声法を使ったりと、シンフォニーでもいろんなものがあります。そんな中で、第5番は直球ど真ん中のクラシック交響曲。楽式も和声法も古典派時代からの王道な形式を使った4楽章のシンフォニーでした。1楽章は悲劇的かつ勇壮な曲想を持つソナタ、2楽章はおどけたスケルツォ、3楽章は悲愴的なラルゴ、4楽章は曲想が最初に戻って悲劇的かつ勇壮。もう、教科書に書いてあるシンフォニーの作り方です。ところがこのコテコテ王道が素晴らしかったです!変化球使ったり駆け引きしたりでなく、3球とも直球ど真ん中を投げ込んできて三振を取ってきた、みたいな。
 何がそんなに良かったのかというと、細かい事を捨てて大局を大事にして、とくに勢いを重視したところじゃないかと。一気に書き上げたような曲でしたが、この「細かい事はええんやで」の精神に僕はノックアウトされました。1楽章の第1主題なんて、ベートーヴェンの運命のそれを越えてるんじゃないかというほどで、しかもこういう部分をカノンにしてくるところがもう…。
 で、この迫力を見事に伝えたのが演奏と録音でした。バーンスタイン&ニューヨーク・フィルの演奏がスピード感があって素晴らしかったです!こういうアタッカの強烈な直線的な表現って、ドイツよりアメリカの指揮者やオケの方が合ってる気がします。しかもこの演奏、79年の東京文化会館でのものなんですよね。リアルタイム世代の方には、このレコードに特別な思い入れがある方もいるんじゃないかと。

 旧ソ連の作曲家で、政治に翻弄された事もあって、この曲は音楽以外のところで色々と言われる事があります。それも分かるんですが、スターリンの太鼓持ちと言って評価が下がったり、体制に対する実直さと言って評価があがったりする事には疑問を感じる部分もあります。たしかに音楽って音そのもの以外のものを指す使い方もするので、一概にそれが悪いとは言えないですが、だったら僕が「ウクライナ戦争の戦死者に捧げるシンフォニー」なんていう曲を書いたら、それだけで評価が3割増しになるとでもいうのかよ、とか思っちゃうんですよ。
 だからそういう音楽外のところに生まれる意味は横に置いといて、このシンフォニーの音楽部分だけを取り出して語るとすれば、これは間違いなく名作。むしろ、これを名作と言わずに交響曲の王道なんてあったもんじゃないというレベルと思うんですよ、奥さん。クラシックのシンフォニーって、チャイコフスキー6番「悲愴」とか、ドヴォルザーク9番「新世界より」とか、典型的な形式の中に生まれたいい曲ってあるじゃないですか。ショスタコの「革命」も、間違いなくこうしたクラシック交響曲の代表作のひとつに入るものだと思います!


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『ショスタコーヴィチ:交響曲第2番《十月革命に捧ぐ》、第10番 ハイティンク指揮、ロンドン・フィル』

Shostakovich_Sym2_10_Haitink_LondonPhil.jpg 当たり前の音楽ではまったく感じないはしたない体になっていた高校時代の僕は、「ショスタコーヴィチで一番前衛的な作風なのは交響曲第2番だ」と耳にしたものだから、がぜん2番に興味を持ちました。その時に出会ったのがこのCD、指揮はやはりハイティンクでした。もしかすると、ある時期までソ連の作曲家だったショスタコの曲って、演奏に制限でもかかってたんですかね?特に集めたわけではないんですが、僕が学生時代に買ったショスタコのシンフォニーのCDのほとんどが、ハイティンク指揮だったんですよね。このCDは、2番と共に10番も収録されていました。

 交響曲第2番《十月革命に捧ぐ》。単一楽章ですが、器楽部となる前半と合唱部となる後半の音楽がかなり違うので、まるで2楽章のシンフォニーのように聴こえました。
 僕が心を動かされたのは、ラルゴで演奏される序奏部分。冒頭に超低音(ティンパニ?)が弱音から徐々にゴーッとクレシェンド。その前でいくつかの音群が無調風の音列を奏でて交錯します。この楽器がいくつも重なる部分は13声で出来ていて、「13声のフガート」なんて呼ばれています
 で、ここが過ぎると、声楽パートに入るまでは意外と王道な音楽。あのショスタコの暗さが出ていてまたカッコいいんですけどね(^^)。
 後半の声楽パートは、音楽的には僕は面白く感じられませんでした。前半との対比はいいんですが、音楽の内容がね。。一方、アレクサンドル・べズィメンスキーが書いた詩の内容の方は、十月革命とレーニンを称えるもの。「闘争!あなた(レーニン)は我らに労働の勝利を与えた!」みたいな。この詩自体があれこれ言われる事がありますが、そもそも共産主義が立ち上がった背景(ヨーロッパの貴族支配と労働者の貧困)を考えると、あながちこれって太鼓持ちではなく本音だったのかも知れないと思いました。

 交響曲第10番ホ短調op.93。和声法や作曲技法としてはちょっと面白い事をやることがあるにしても、基本は王道の機能和声法に交響曲の形式で、4楽章制のこの10番は特にそうでした。自分のイニシャルから取ったDSCHを音型に採用したとか、スターリン云々とか、色んなことが言われるシンフォニーですが、そんなこと抜きで素晴らしい音楽だと思いました。1楽章ソナタEm、2楽章スケルツォBbm、3楽章緩徐楽章Cm、4楽章は序章つきソナタBm で、すべての楽章がマイナー、これが曲に強烈な統一感を与えているように感じました。そしてここから14番までのショスタコのシンフォニーはすべて短調で、名作揃いなんですよね。
 素晴らしく感じたのは第1楽章全体で、陰鬱な主題と暴力的なクライマックス、そしてまた陰鬱なムードに戻るさまがよかったです。
 あとは、アレグロ2/4の第2楽章でちょっとした発見が。軍楽調でキーをマイナーにするとロシア的になるという事。という事は、マーチ調でマイナーって、他の地域だとあまりないのかも。長調でアダージョにして雄大にするとみんなアメリカ調になるのと似ていますね(^^)。

 指揮者のハイティンクは、オランダのアムステルダム出身で、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ロンドン・フィルなどの首席指揮者を務めてきた人。僕はショスタコーヴィチのシンフォニーの多くをハイティンクのタウトで聴いてきたもので、なんかすごくしっくり来るようになってしまいました(^^)。オケが違ってもそう思うんだから、やっぱり指揮者の色もあるんじゃないかと。


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『ショスタコーヴィチ:交響曲第1番、第7番《レニングラード》 バーンスタイン指揮、シカゴ交響楽団』

Shostakovich_Sym1_Sym7_Bernstein_ChigagoSym.jpg 僕のショスタコーヴィチ体験は交響曲第13番《バビ・ヤール》からで、あれに圧倒的な衝撃を受ける事からはじまりました。そして13番以降を追いかけたらどれも大当たり、この人すげえ…と思ったんですが、交響曲の真ん中あたりのものをいくつか聴くと「あれ、実はすっごい保守的な人?」みたいな。ソ連のプロパガンダ作曲家なんていう話も聞いたことがあったので、スターリン存命中の作品はロシア共産党のお眼鏡に適うような作品しかないのかなと思って、交響曲も若い番号のものは追いかけなくなってしまいました。
 ところがショスタコって初期のころは前衛的な作風だったらしいんですよね。交響曲で言うと1番2番はそうらしい…というわけで、古典~ロマン派より新古典や印象派以降の近現代音楽の方が好みの僕が手を出したのが、交響曲第1番の入ったこのCDでした。録音は1988年で、迫力のある演奏と録音でした!

 交響曲第1番 ヘ短調 op.10。ペテルブルグ音楽院に学んだショスタコの卒業制作だそうです。で、先生のグラズノフに見せたら「冒頭の和声付けが斬新すぎるのでこうしなさい」と直されたものの、初演時にもともと自分が作った物に差し替えて演奏、グラズノフ先生をムッとさせたんだそうで(^^;)。
 その「斬新すぎる」という冒頭に僕の期待は高まりまくったわけですが、現代の耳で聞くと…普通(^^;)。。ホールトーン気味なところが斬新だったのかも知れないけど、楽曲全体で眺めるとそのシステムで書かれているわけではなくあくまで部分的な効果としての使用だし、そもそも減5度をそこまで強調してないのでそんなに全音階を感じないし、みたいな。
 だからといってこのシンフォニーがつまらなかったわけではなく、まったく違う所に感動しまくってしまいました。4楽章で出来ていて、1楽章が敢えて言えばソナタ形式、音楽は構造の緻密さではなく物語の流れを追うような作り方でロマン派的。こうやって活字にすれば典型をなぞっているだけに思えなくもないですが、実際にはとんでもない創造力であたり前なところなんて無し!

 交響曲第7番 ハ長調 op.60《レニングラード》。初演は1942年と第2次世界大戦真っ只中。レニングラードはショスタコーヴィチの故郷で、ナチに抗議した交響曲として知られています。考え方は色々あるでしょうが、僕は音楽の純音楽部分が好きで、音楽で音楽以外の事を積極的に語るのは好きじゃありません。それだったら音楽じゃなくて言葉で語ればいいと思っちゃうんですよね。総合芸術的なものとしてそういうものを作るのはアリだけど、その場合でも音自体の良しあしと音楽以外で語られた内容は別だと思います。たとえば、広島の悲劇を扱った曲だからと言って、それは音楽の完成度と関係ない、みたいな。
 7番《レニングラード》は、1楽章の鼓笛隊リズムは明らかに軍楽がモチーフ。2楽章のリズムもそうかも。3楽章アダージョも讃美歌的でそれは音楽自体というよりもその意味に主題が置かれているのは確実、4楽章は…というわけで、音楽の作り自体が音そのものを向いていないと感じました。そして純粋に音楽だけを取り出してこの交響曲を聴くと…僕にはそれほどのものとは思われなかったです。スマヌス。まあそれぐらい、大戦当時のヨーロッパ戦線はナチに対する憎悪が凄かったとか、音楽だけやってて良いのかという疑問があったとか、そういう面もあったのかも知れません。

 というわけで、このCDの価値は、僕にとっては曲も演奏も録音も素晴らしかった交響曲第1番。ある時期まで僕はロマン派交響曲ってマーラーシェーンベルクが切り札と思ってましたが、ある面でその先を行ったこういうものもあるんですね。パレットの数が異常に多く万華鏡のよう、1番もやっぱり純音楽ではなくロマン派的な物語音楽的で、一歩間違えると一貫性のなくなってしまいそうですがギリギリで踏みとどまって、腐る直前の桃が一番うまい状態、みたいな。ロマン派的な傾向にある交響曲の中でも出色のものだと思いました。


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『Wayne Shorter / The All Seeing Eye』

Wayne Shorter The All Seeing Eye 1965年録音(66年リリース)、ウェイン・ショーターのリーダー・アルバムです!4管のセプテットで、ショーター(t.sax)、フレディ・ハバード(tp, flg)、ハービー・ハンコック(p)、ロン・カーター(b) と、キーになるメンバーが前年に録音された『Speak No Evil』と重なるので、『Speak No Evil』の拡大版のように聴こえました。

 いやいやいや、これは『Speak No Evil』をすら凌ぐ大傑作じゃないですか?!サウンドやテーマ部分での4管のトゥッティだけでなく、作曲面やアンサンブル面での進化がスゴかったです。
 オープンパートの中に展開部を嵌めたり、曲中でリズムセクションが抜けたり、テーマとオープンパートでテンポを変えたりと、アメリカン・ソングフォームを回すだけのジャズの悪しき伝統を抜けだしていました。そういうアンサンブルのアレンジ面で「Angola」は白眉、う~んこれは唸らされます。。曲やアンサンブル面での工夫で言えば、「Angola」のほか、まるでジョージ・ラッセルのような「The All Seeing Eye」や「Chaos」、4管楽の和音が創り出す浮遊感が素晴らしい「Face Of The Deep」が素晴らしかったです。

 いや~これはカッコいい、『Night Dreamer』や『JuJu』から1年でここまで変わるんですね。。それにしても、『The All Seeing Eye』とか『Night Dreamer』とか『JuJu』とか『Speak No Evil』とか、ショーターってアルバムや曲に怪しげなタイトルをつけるじゃないですか。曲もそういうムードのものを作る時がありますし(音楽面ではこれより後が大爆発)、これって何か意図があるんでしょうかね。それとも単なる厨二病なのか。。


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『Wayne Shorter / Speak No Evil』

Wayne Shorter Speak No Evil 1964年12月録音(66年リリース)、ウェイン・ショーターのブルーノート第3弾アルバムです!なんとブルーノート録音最初の3枚はすべて64年録音なんですね。編成はメンバーを若干変えたクインテットで、メンツはショーター(t.sax)、フレディ・ハバード(tp)、ハービー・ハンコック(p)、ロン・カーター(b)、エルヴィン・ジョーンズ(dr)。ドラムを除けば、ブルーノート系ニュージャズというかマイルス・バンドというか、そういうメンツですね。

 あ、これはちょっとカッコいい…。匂いは新主流派ですが、2管のテーマがユニゾンだし、テーマを演奏したらオープンで回して最後にテーマという超オーソドックスな楽式なので、やっている事はこの前の2作どころかショーター在籍期ジャズ・メッセンジャーズともそんなに変わらないですが、メンバーが違うとここまで音楽が違って聴こえるものかと驚きました。
 最大のキーマンはハービー・ハンコックで、フロントのメロディを受けたオブリやポンピングを返すから、即興ではあるけどアンサンブル的な効果が生まれるんですね。ハンコックって、この時代のオーセンティックなジャズの最重要人物じゃないかと思ってしまいます。いや~これは見事です!
 ドラムもエルヴィン・ジョーンズも曲に見事な起伏をつけていて、「Dance Cadaverous」なんてソロを回しているだけなのに、ドラムの演奏で見事なアーチ構造が完成していました。モダン・ジャズ以降のジャズって、ソロまわしてるだけで音楽全体にベタッと平らなものが多いじゃないですか。エルヴィンが馬鹿テクなだけでなくどれだけ音楽的なドラマーだったのかがよく分かる演奏でした。すげえ。

 こういう実に音楽的な演奏の上で、様式はバップの延長だけどショーターの書く曲(このアルバムの曲は全曲ショーター作曲)のサウンドがモーダルなので、バップ系ニュー・ジャズみたいなニュアンスの出た音楽が完成しているました。ほぼ同じ様式で作られているハービー・ハンコックやフレディ・ハバードのブルーノート録音とほとんど同じ音楽で、この時代のニューヨーク周辺のジャズの最前線ってこういうものだったのかも。
 ただ、若い頃の僕は、同じジャズを聴くのでも、もうちょっと先を行っている音楽が好きだったもので、このへんの「バップ的なんだけどちょっとモーダル」なジャズは、カッコよくは感じるんだけどもう一声足りないと思っていました。でも、なにもそういう音楽と比較しなくたって、これはこれで素晴らしい音楽だと、今回改めて聴きながら思いました。だって64年と言えばビートルズローリング・ストーンズがブレイクした頃で、そういう音楽と比べると比較にならないほど大人でもあるし、作曲や演奏のレベルだって段違い。アメリカでポピュラー音楽が一番進化したのって、このへんの時代だったのかも知れません。


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『Wayne Shorter / JuJu』

Wayne Shorter JuJu 1964年8月録音(65年リリース)、ウェイン・ショーターのブルーノート第2弾アルバムです!メンバーは前作からリー・モーガンが抜けたカルテットで、ショーター(t.sax)、マッコイ・タイナー(p)、レジー・ワークマン(b)、エルヴィン・ジョーンズ(dr)。つまり、ジョン・コルトレーンのバックバンドとの共演です。

 1曲目「JuJu」はホール・トーンを感じるテーマを持っていて、2曲目「Deluge」冒頭にショーターが吹くメロディはファラ#ミレ#シラ#。どちらも減5度が鳴っていて、この不穏な感じがアルバムタイトル「JuJu」と繋がっているように感じて、何となくこのアルバムに呪術的な印象を持っていました。ジュジュつ、なんてね(^^)。他の曲でもちょっと面白いスケールが使われる事があるので、この頃のショーターはスケールから楽曲を作っていたのかも知れません。時代もモード・ジャズ全盛でしたしね。

 ただ、僕はこのアルバムを聴くと、どうしてもマッコイ・タイナーのピアノばかり聴いてしまいます。その上でウェイン・ショーターがどんなアドリブをかましても、コードトーンやスケールから外れていなければ何を吹いてもみんな同じに感じてしまうというか…。それってどういう事かというと、作曲にシンコペーションも対位法的な関係も織り込めていないという事だと思うんですよね。アンサンブル面ではメロディとコードだけがある単純なホモフォニーでしかないというか。このアルバムでショーターが書いたスコアって、実はメロディとコードだけを書いたリードシート程度のものだったんじゃないでしょうか。もしそうだとしたら、ジャズのプレーヤーがする作曲の駄目なところが音にモロ出てしまったという事だと思います。この時代のジャズって、あまりにアドリブ頼り過ぎるんですよね…。

 ショーターのプレイは、ちょいと面白い和音イメージやスケールを使って書いたものはかなりシャバラバで(^^;)、これを聴くとコルトレーンってやっぱり凄かったんだなと思ってしまいました。でも、あまり動かさない「Yes Or No」のソロはかなり軽快で、マイルスのバンドに参加した時の見事な演奏の予兆を感じました。だって、『Miles in Berlin』への参加はこの翌月ですもんね。。

 というわけで、このアルバムのなんともフワッと掴み切れない感じって、モード的な作曲を狙った事もあるだろうけど、それ以上にアンサンブルが曖昧だからというマイナスの理由から起きているのだと思います。今から思えば、マイルスのバンドで揉まれる前はまだ習作期だった…という事かも。


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『Wayne Shorter / Night Dreamer』

Wayne Shorter Night Dreamer 私が思うウェイン・ショーターの最盛期のアルバム群について書いたばかりですが、訃報をきいて感じるところがありました。ああ、一生剣舞ジャズを勉強していた頃、ショーターのアルバムはいっぱい聴いたなあ、みたいな。。というわけで、フュージョンでもインプロヴィゼーションでもなく、モダン・ジャズ視点で高評価を受けている時代のリーダー作品についても書いておこうと思います。あとから聴けば、この後に来る黄金時代の習作期で、この作曲とマイルス・デイヴィスのもとで学んだ演奏が合体して黄金期に突入した、みたいな。

 まずはトップ・バッター!1964年4月録音、ジャズ・メッセンジャーズにいたウェイン・ショーターがブルーノートからリリースしたリーダー・アルバム第1弾です!ショーターはこのアルバムより前に他レーベルからリーダー・アルバムを出していて、実際にはこれは4枚目のリーダー作。メンバーは、ショーター(t.sax)、リー・モーガン(tp)、マッコイ・タイナー(p)、レジー・ワークマン(b)、エルヴィン・ジョーンズ(dr)。つまり、メッセンジャーズとジョン・コルトレーン・カルテットの合体ですね(^^)。

 このアルバムでハッとさせられたのは、「Night Dreamer」のテーマ前に弾かれるマッコイ・タイナーの独奏でのコード・プログレッションと指さばき。以上です。…というのは嘘で、64年という事でこの曲もマイナーではあるけどエオリアンよりドリアンを感じるモード気味な曲想で、そのあたりにわずかですが色を感じました。これは他の曲にも言えて、モードであってもガッツリと独特な色を感じるんじゃなくて、「あれ?マイナーだけどちょっと違うか」ぐらいな色彩感覚。このぐらいがこの時期のショーターさんの趣味だったのかも。なにせこの後はもっとえぐいですから(^^)。
 そういう色彩は面白かったですが、全体の楽式がちょっとなおざりに感じました。2管がほぼユニゾンでテーマを吹いて、アドリブパートでソロを回して…というジャズの超オーソドックスな様式で、ハードバップの典型をなぞってるだけに思えて面白く感じられませんでした。

 演奏。ちょっと面白かったのは、ショーターの演奏がけっこうコルトレーンっぽかった事。なるほど64年だとジャズのテナー・サクソフォニストでコルトレーンを意識しない人なんていなくて、ショーターですら例外じゃなかったんだな、みたいな。曲までコルトレーンの曲そっくりなものがふたつほどありましたしね(^^;)。
 あと、ソロイストとしては、リー・モーガンが最高!彼って保守的なアプローチだけど演奏の切れがすごくて、なるほど僕みたいな革新派好きでさえなければモーガンに耳を奪われる人が多いのも当然だな、と思いました。とか言って、そんな僕ですらモーガンのリーダー作は好きなアルバムがいくつもあるので、やっぱり持ってる人だな、みたいな(^^)。突貫小僧サイコー!!でもさすがにリーダーグループではないので、あんまりソロを貰えてませんでした。

 というわけで、サウンドはコルトレーンだけど構成はメッセンジャーズな音楽でした。64年というと、ショーターのメッセンジャーズ参加最終年にして、マイルス・デイヴィスのバンドに本格的に参加するようになった年。バンドのメンバーやサイドマンではないショーターの歴史は、ここから始まったんですね。


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『藤あや子 / 全曲集』

FujiAyako_Zenkyokushuu.jpg 二葉百合子に師事した演歌歌手で僕がアルバムを聴いたのは、石川さゆりさんと藤あや子さんさんぐらいです。藤あや子さんは歌に興味があったわけでなく、仕事で一緒になった方とレコーディング・スタジオで出番を待っていた時に、その方が「この前、藤あや子の録音に参加したけど、あんなに色っぽい人にあったのは生まれて初めて、鳥肌が立った」と言っていたのを覚えていたからでした。
 それまで藤さんを美人と思った事は無かったんですが、そう言われてから妙に意識してしまって、テレビで見かけるたびに「美人と言われれば美人かも。でもそれ以上に色っぽいんだろうな。生で見たら何倍も凄いのかな」なんて思ったり。それだけの何かを放っている人の歌は、いつか聴いてみたいと思っていました。
 このCDは例によって演歌や昭和歌謡のCDのタイトルによくつく「全曲集」。16曲しか入っていないのに全曲集もないと思うわけですが(^^;)、要するにベスト盤という事かと。

 典型的な演歌が中心ながら、意外にも80年代昭和歌謡的なものがチラホラと入っていました。そういえば、石川さゆりさんも80年代は「Sayuri」みたいな名前にしてポップスを歌ってた気がするので(うろ覚えなのであんまり信用しないでください^^;)、演歌が冬の時代に入った80年代にそういう試みがあったのかも知れません。
 まったく意外な事に、知ってる曲が一曲もなかったです。あれだけ有名な人なのにヒット曲がひとつもないのか…なるほど、演歌冬の時代以降にデビューした人という事かも知れません。

 そこは仕方がないとして、残念だったのは内容。詞も曲も演奏も、僕にはまるで残るものがなかったのです。。演奏でいえば初見でパッと終わらせたやっつけ仕事レベルで、エレキベースはルート押さえるだけの簡単なお仕事、他の楽器は強弱記号も表現記号もゼロな演奏のオンパレード。作曲は心に残るものがひとつもないダイアトニック・コードのみに聴こえるほどのドミソ音楽…あ、「放浪歌」だけは曲に工夫があったかな?でも持ち上げるほどのものかというと…。
 詞も似たようなもので、「あなたと道連れ」「遠くなるだけ女道」「ほろほろと涙がこぼれるたび」…演歌にありそうな常套句をくっつけて並べただけ、みたいな。こういう詞を良いと感じる人っているんだろうか。これって、レコード会社の担当者にダメだしされない目的で作られたんじゃないでしょうか。だって、過去のヒット作と似た詞を使えば、ダメとは言いにくいですから。

 長年音楽を聴いてきて、「演歌が聴かれなくなった」「レコードが売れなくなった」なんて言われた時代も経験してきましたが、もちろん外因も色々あったでしょうが、そもそも音楽自体がつまらなくなったのが最大の原因ですよねぇ。こんなの作ってれば、そりゃ替えという方が無理があるだろ、みたいな。歌唱力やルックスを含め、藤あや子さんって、演歌界にとって得がたい救世主のひとりだったと思うんですよね。そんな才能を使いきれなかったプロダクションやレコード会社の無能さこそ、演歌衰退の最大の原因だったんじゃないかと。


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『二葉百合子 / 蔵出し浪曲名人選4 一本刀土俵入り・岸壁の母』

FutabaYuriko_KuradasiRoukyoku4_Ippongatanadohyouiri.jpg こちらは演歌ではなく浪曲師としての二葉百合子さんを聴く事の出来るCDです。と言っても、このCDを買ったころ、僕は二葉さんの事をほとんど知らず、演目「一本刀土俵入り」がどういう物語なのか知りたいだけで手にしたのでした。録音は昭和46年と47年でしたが、音が良いのでびっくり。電気楽器のスタジオ録音でさえなければ、昔でも録音って良いもんなんですよね。

 2代目広沢広沢虎造があまりに好きなもんだから、女浪曲師の声はかん高くて慣れるまでちょっと時間がかかりました。ジャズ・ヴォーカルは女性がいいけど、浪曲だと低音で唸るように語ってくれる男がいいなあ…まあ、こんなの先入観でしょうし、今は浪曲師って女性の方が多いぐらいの印象ありますし。

 話は物語なのでそれなりに面白かったです。「一本刀土俵入り」は、無一文で横綱を目指す男に、2階の軒先からお金をめぐんだ女との場面から、やくざ者に絡まれて退治するところまで。浪曲って清水次郎長伝なんかもそうですが、やくざがらみの話が多いです。「岸壁の母」は、戦争で満州に渡った息子を待って、引揚船が来るたびに迎えに行く話。でも息子は何年たっても戻って来ず、遂には母も倒れるものの、「私が死んだらあの子の帰る場所がなくなる」と…これは泣ける。。

 特徴を感じたのは、語りの中で無伴奏の歌いが入った事。僕が聴いてきた浪曲って、歌いの部分は三味線伴奏があって、そこが終わると合いの手が入る程度の語りが入るスタイル。だから無伴奏の歌は聴いた事がなかったもんで新鮮、なるほどこれは技術がないと出来ないかも。
 もうひとつ特徴を感じたのが、急にエレキベースやギターやストリングスが入って演歌伴奏調の歌が始まる事。さすがにCD独自の企画でしょうがこれは寒い、引きました…。なんだったら波音や汽笛のSEまで入ってましたし。浄瑠璃や浪曲といった歌いや語りの純邦楽って、色んなものを三味線と声だけで表現する所に芸があるわけじゃないですか。それをこんな事したら芸を殺してますよね。つまり芸を分かっていない人がディレクターを務めたんだと思います。昔の大手レコード会社のDって、仕事に対する厳しさがない人がけっこう目につきます。やめてくれ…。

 やっぱり浪曲は2代目広沢虎造、落語は5代目志ん生に限るな、と思った今日この頃でした(^^)。


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『二葉百合子 / 全曲集』

FutabaYuriko_Zenkyokushuu.jpg 石川さゆり、藤あや子、坂本冬美といった錚々たる女性演歌歌手の歌の師匠が二葉百合子さんです。二葉さんって元々は女浪曲師だったそうですが、僕は「岸壁の母」を歌った演歌歌手として知りました。というわけで、これは演歌歌手としての二葉さんのベスト盤CD、16曲入りでした。

 「母は来ました、今日も来た」で始まる「岸壁の母」は、2次大戦でソ連に抑留された日本兵である息子の帰りを待つ歌。二葉さんがオリジナル歌手ではなく、1954年に菊地章子さんが歌ったものがオリジナルなんだそうです。それはすさまじいヒットで、レコードプレーヤーもそれほど普及していない時代だというのに100万枚超えのセールスだったそうな、すげえ。ちなみに二葉さんが1972年にカバーしたものは、LPとシングルを合わせて250万枚…あ~僕がこの曲を二葉さんの持ち歌と思っていたのも、あながち理由がないわけでもないんですね(^^)。
 でもって、二葉さんの歌唱がじつに浪曲調で、あ~なるほどこういう演歌のコブシ回しって、民謡だけでなく浪曲から来たものもあるのか、みたいに思ったりして。だって、コブシをまわしまくる系の錚々たる女流演歌歌手の多くが二葉さんに師事してるんですものね。

 「岸壁の母」もそうですが、昔の日本の社会文化や語り物の伝統をある程度知っていないと、理解の難しい詞がけっこうありました。たとえば「おんな無法松」は、そのベースにある「無法松の一生」の物語を知っていないと、なんで太鼓を打つのか理解が難しい、みたいな。

 同じ理由で、「鳥辺山(とりべやま)心中」は、元になっている歌舞伎の演目を知ってると知らないでは感じ方が違うかも。歌舞伎の「鳥辺山心中」は、若侍とウブな遊女の心中ものですが、この歌の中間部に語り部分があって、思いっきり「お染」「半様」と実名が出てきちゃいますから、元を知っているのが大前提ですよね。そうそう、「鳥辺山心中」に限らず、二葉百合子さんの演歌には、間奏部分に浪曲調のセリフが入るものが多いですが、それは「歌謡浪曲」というそうで、二葉百合子さんが元祖だそうです。これがのちの加山雄三「君といつまでも」や石原裕次郎「嵐を呼ぶ男」みたいな、演歌でない昭和歌謡にまで派生していくんですね(^^)。
 「一本刀土俵入り(いっぽんがたなどひょういり)」は、そういう名の戯曲が元。破門された元力士が、行きがかり上やくざから女を救い…みたいな、まるで高倉健の任侠映画みたいな話ですが、このへんが分かってないと、やっぱり中間部で入ってくるセリフの意味が「え?え?」ってなっちゃうんじゃないかと。ちなみに、このCDに入っていた「一本刀土俵入り」は、僕が知っている曲ではなかった…と思ったら、この曲って同名別曲がいっぱいあるんだそうです。二葉百合子さんが歌ったものも有名だそうですが、これは藤間哲郎作詞&桜田誠一作曲のもの。僕が知っていたのは村田英雄さんが歌ったもので(松井由利夫&遠藤実)、他にも三波春夫さんが歌ったもの(藤田まさと&春川一夫)なんかもあるそうな。へえ、知らなかったなあ。

 というわけでコブシ回しやセリフいりの歌謡浪曲という特徴があるし、日本のうたの歴史の一端を知ることが出来た点は面白かったですが、歌は技巧ばっかりで言葉や物語を伝えるための表現には感じられなかったし、オケはいかにも初見でサクッと録音したやっつけ仕事で、あとからカラオケで歌入れしたみたいな感じ。お弟子さんたちの方が歌心があると思ったほどで、そんなに有難がるものとも思えませんでした。もしかすると、浪曲が本業であって、演歌はレコード会社に呼ばれてやっただけのバイトだったのかも。でもこの歌唱の技巧部分の技術の評価が高かったからこそ、多くの女性演歌歌手がこの序の門をたたく事になったんでしょうね。プロレスは下手だけど技術は本物のカール・ゴッチみたいなもんですね(^^)。


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WBC ワールド・ベースボール・クラシックス 日本、とんでもない超劇的なサヨナラ勝ちで決勝進出!!

WBC Jyunkesshou230321_Sayonara すげええええええ!!!WBC 準決勝の日本vsメキシコ、5-4で負けている9回裏、今まで3三振に倒れていた村上が逆転サヨナラ2ベースヒットを打って逆転サヨナラ勝ち!こんな大一番でこんな劇的な展開ってあるんでしょうか。。

 日本の先発投手は佐々木朗希。途中までいいピッチングでしたが、「あれ、けっこう甘いコースの球を投げ始めたけど大丈夫かな?」と思っていたところで3ランホームランを痛打されました。うう。
 メキシコの先発投手はサウスポーのサンドバル。1巡目は彼にピシャリと抑え込まれ、2巡目は何とかアジャストしていましたが得点には至らず。日本は6個のゼロが並ぶ展開、これはまずいぞ…。
 7回裏、日本は不振の村上に代わって4番に座っていた吉田が同点3ランホームラン。片手でスタンドまで運んでました、すげええええ。。この何球か前に、同じボールを空振りしていたんですよね。それを決め球にされたというのに、ものの見事に打ち返した吉田選手はさすが4番でした。
 ところがその直後となる8回表に2点を入れられ、5対3。ああ、これは終わった…正直そういう思いがよぎりました。でもその裏に日本は意地の攻撃。3バントというリスキーな作戦まで使って2-3塁を作り、ここで代打の山川が犠牲フライを打って1点を返しました。これが負け試合を勝ちにひっくり返す隠れた見事な攻撃。こういう戦術が日本野球はうまく、これでサヨナラがあり得る状況を用意して、運命の9回。
 9回の先頭打者は二刀流の大谷。初球を弾き返してのツーベースでしたが、負けている9回に初球を打ちにいくというのはなかなかできない事だと思います。だって、まずは同点のランナーを出す必要があるわけだし、その最初のランナーとしてフォアボールの可能性もあるわけで、ここで積極的に打ちに行ける心の準備や選択がもう凄いです。
 そして4番吉田。彼を塁に出すとサヨナラのランナーになってしまうので敬遠はあり得ないですが、吉田はこの日もスリーラン、1次リーグでも3ラン打ってましたよね。で、警戒して入ったところでスリーボールとなり、ここでメキシコは敬遠気味の球を投げてフォアボール。次の村上が大ブレーキである事もあり、あのカウントになったら村上勝負は当然じゃないかと。打順からして、9回はどのみち村上が打てるかどうかのイニングだったのではないかと。
 村上はやっぱり不調。プロは失投を2回しないなんて言いますが、初球に甘い球があったのに村上はその球を前に飛ばすことが出来ず。ああ、これは勝負あったかな、こうなったら何とか3塁までランナーを進めてもらって、6番以降でなんとか…と思っていたところで、もう1球失投が!これを村上がついにはじき返し、1塁にいた代走の周東がホームを踏んでサヨナラ勝ち!!すげえええ!!!

 メキシコは負けた瞬間まで1度も日本にリードを許さなかったのに、最後の最後で日本にやられました。ファンも選手もつらいでしょうが、素晴らしいチームでした。大拍手です。日本は、おそらく決勝で使うつもりだっただろう実質上の日本のエース・山本を2番手につぎ込んでしまったので、あしたの決勝はとうちゅのやりくりが厳しいんじゃないかと。今日勝たないと明日はないのでこれは仕方のない采配、あしたは日本は総力戦ですね。
 いやあ、スポーツって本当に素晴らしいです。思わず夢中になってしまって作曲が中断してしまいました、がんばらないと💦あしたは日本vsアメリカの決勝戦。日本がんばれー!!


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映画『ロッキー・ザ・ファイナル Rocky Balboa』 シルヴェスター・スタローン監督/脚本/主演

Rocky the Final 2006年公開、名作映画『ロッキー』の完結編です!第3作『ロッキー3』のあとにこの映画の感想に入ってしまいましたが、間に4と5があります。5はまったく見ていないので分かりませんが、評判が良くないのでビビって観れません(^^;)。4はテレビでチラッと見た事がありますが、10分も見ずにあまりのひどさにブチッと消してしまいました…スマヌス。でも、子供のころ1作目『ロッキー』に猛烈に感動して、以降10回以上は繰り返し見た大のお気に入り映画の最終作なので、けじめとして観ておきたいな、と。

 はるか昔にボクシングを引退し、妻エイドリアンを無くし、息子とも別居しているロッキー。レストランを経営し、妻の墓参りをし、思い出に生きている彼だが、自分でも言葉に出来ない思いに押しつぶされそうになる。そしてかつての親友ポーリーと話している時に、思わず涙がこぼれる。小さな町拳闘で構わないからと、ロッキーはボクシングを再開しようと考え…

 期待していなかったのですが、いい映画でした!映像や演出のクオリティも高いし、内容も良かったです!ハリウッド映画って、80年代以降は子供向けのものが量産状態となりましたが、これは50代以上の男の人向けに作られた映画なのではないでしょうか。それって、過去の作品を見た人が見る事を想定してもいるでしょうし、歳をとったスタローン自身のリアルな心境を反映したものなのかも知れませんね。

 映像やセリフのクオリティの高さ。映画は前半のうらぶれた街に生きる歳をとった一人の市民の描写、後半がふたたび情熱を燃やそうとする男の描写に分けて考えることが出来ると思うのですが、前半の絵はどこを切っても絵画のように見事。たとえばさびれた夜の路地を撮るのでも、路地をセンターにせず左に寄せ、右を暗闇にしますが、こういった構図ひとつをとっても本当に素晴らしかったです。また前半は赤を落として青を強調した絵を作っているのですが、これが妻を失い余生を過ごしているという前半のストーリーの雰囲気を強めているんですよね。
Rocky The Final_pic1 絵が奇麗なだけでなく、象徴としての使い方も素晴らしかったです。夜のバスケット・コート、遠くに摩天楼が見えるボロボロのピケット・フェンス、列車の音がこだまする高架下のトンネル…一瞬だけ映されるこういう風景すら状況や意味や心情を表現していて、無駄なシーンがありませんでした。こういう感じで、映画のクオリティが見事。

 そして、内容の素晴らしさ。僕的には最後の試合はどうでもよくて、夢を失って死んだ妻との思い出に生きて、自分が住んでいる街の郷愁だけをかみしめている中年男の目から涙がこぼれてしまうシーンは、胸に響きました。立ち上がりたくても立ち上がれない、頑張れない、それでも何とか…こういう気持ちって40歳代も後半になった男の人には共通するものな気がするんですよね。

Someteimes it's hard to breathe. This beast inside me. I jist never knew it was supposed to be this hard.
ときどき息が苦しくなる。思いを抑えられない。こんなに辛いとは思わなかった


 そして何とか自分の人生に向かい、きちんと生きていこうと自分で自分を鼓舞するところは、涙が出そうになりました。
 実は僕、歳をとったこの数年、ある事に悩まされていました。やる気が出ないんです、情熱がなくなっているんです。これはマズいと思っても頑張れない、立てない、やろうと思ってもどうすればやる気が出せるのか分からない…そんな感じ。そんなダメな僕が、この映画を見て「がんばろう、人がどうこうじゃない、世間がどうこうじゃない、自分の人生を情熱的に生きよう」と思えたんですよね。考えてみれば、子供のころに『ロッキー』の1作目を見て、やっぱり似たような事を思ったので、僕は子供のころから、ロッキーに励まされて、自分を焚きつけて頑張ってきたんですね。
 これをハリウッド映画だと馬鹿にするのは簡単でしょうが、ほんの少しの事で空しく見えてきてしまう人生に情熱を蘇らせられるなら、それでいいじゃないかと思えました。こういうのはアート・フィルムや文芸作品には出来ない芸当、見て良かった映画でした!人生に情熱を失いつつある40代以降の方はぜひ!


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EP『サバイバー Survivor / アイ・オブ・ザ・タイガー Eye of the Tiger』

Survivor_Eye of the Tiger ロッキーと言えば、こんな思い出も。映画『ロッキー3』の主題歌となった曲「アイ・オブ・ザ・タイガー」にまつわる、ちょっとだけ苦い思い出です(^^;)。

 『ロッキー3』が公開されたのは、僕が小学校高学年の時。それに合わせて映画1作目がテレビ放送され、これが僕のロッキー初体験で、もう感動したのなんのって!小学校高学年というと映画に興味を持ち始めた頃で、『ロッキー』『がんばれ!ベアーズ』『燃えよドラゴン』『大逆転』…いま思えばハリウッド映画一辺倒で恥ずかしいですが、でもどれも本当に面白く感じました。映画にあんなにワクワクした時期もなかったんじゃないかなあ。でもって、一瞬で大フェイバリットになった映画『ロッキー』の感動の一部は、間違いなく音楽でした。アポロと熱戦を繰り広げたうしろで流れていたメイン・テーマ変奏が耳に焼き付いて離れませんでした。

 とはいえ僕は小学生、お金なんて雀の涙ほどしか持っておらず、アルバムは買えずシングルを買う事に。レコード屋に走り、映画サントラのEPコーナーへ行ったものの、。「"ロッキー3” オリジナル・サウンドトラック盤」と書かれた、このレコードしかなかったんです。「なにせあの音楽は有名だから、ロッキー3だって同じ音楽なのかも。スターウォーズやスーパーマンだって同じ音楽だったしな…」と悩んだあげく、レコード屋のおじさんに確認をとる事に。「ロッキーのテーマが入ったレコードを探してるんですけど、これでいいんですか?」「そうだよ、これだよ」。というわけで買って帰ったんですが、家でこの曲を聴いて本気で落胆した事は言うまでもないっす。

 さて、有名なサバイバー「アイ・オブ・ザ・タイガー」ですが…これを産業ロックと言わずして何を産業ロックと呼ぶのかというほどの、紛う事なき産業ロックでした_| ̄|○。いくら小学生といっても、テレビや映画を通していい音楽をそれなりに経験しているわけじゃないですか。70年代生まれだと、アニメや特撮ですら「ウルトラセブン」や「ジャングル大帝」で冬木透や冨田勲あたりのスコアを経験していたわけです。それが、馬鹿みたいに単純なコードとプログレッション、月並みなツーハーフ、表現なんてゼロの平坦な演奏。こんなマーケット・リサーチの末に作ったような音楽じゃ…。サウンド・メイクだけはエンジニアや楽器の進化もあってエッジが効いていましたが、それだけを「買ってよかった」と必死に思い込む事にしていました。でもいま聴くとこのサウンドがまた裏目で、中身のスカスカさを側だけ作って「いいもの」に見せようとしているように思えてしまいました。

 サバイバー自体もたしかに産業ロックのりなバンドでしたが、でもこのバンドってチェイスのメンバーが入ってるし、もう少し気のきいた曲もあったと思うんですよね。それを考えると、もしかすると映画主題歌という事で横やりが入ったんじゃないか、なんて思ったりして。そう言えばサバイバーってこの曲がヒットするまで鳴かず飛ばずだったらしいので、背に腹は代えられない部分もあったんじゃないかとか、「アイ・オブ・ザ・タイガー」という寒いタイトルも映画のに出てくるセリフそのものだから、詞にも注文が入ったんじゃないかとか、色々考えちゃいました。そのへんの事情も含めて、「産業ロック」という事なのかも。とんでもなく安っぽいものでも「これは良いものですよ!」と言って売りつけ、あまつさえ本当にそう思ってしまう人まで生まれてしまう…80年代ってそういう時代でした。


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映画『ロッキー3』 シルヴェスター・スタローン監督・主演

Rocky3.jpg 1982年制作、ロッキーのシリーズ最終作…になるはずの映画でした。当時のチラシにも「ここに完結!」とか思いっきり書いてりましたしね(^^;)。先に書いておくと、この映画は映画好きの中ではすこぶる評判が悪いみたいです。そういわれても仕方ない部分もたしかにありますが、僕はけっこう好きです。

 ストーリーは単純。前作『ロッキー2』で宿敵アポロを倒しチャンピオンになったロッキーに、新たな挑戦者クラバー(ミスター・T)があらわれ、ロッキーはあわれKO負け。その後必死にトレーニングをしてリベンジマッチでKO勝ち!以上です。途中、ロッキーと二人三脚で歩いてきたトレーナーのミッキー(バージェス・メレディス)の死があったり、宿敵アポロがミッキーの後を継いでロッキーのトレーナーになったりと、いちおう物語に起伏は持たせてありましたが、メインとなるストーリーは本当に負けてリベンジというだけでした。逆に凄いです。

 ジャッキー・チェンのカンフー映画やアメリカの大衆向けハリウッド映画は、これぐらい単純なものもあっていいと思うんですよね。この映画が公開されたのは僕が小学生の頃だったので、そんな時期にあまり難しい事をやられてもピンと来なかったかもしれませんし、なによりどん底に落ちた主人公が最後に勝つんだから、分かっていても観ていてスッキリしましたし(^^)。荒唐無稽なところとか、ストーリーとまったく関係ないくだりとか、色々と突っ込みたくなる所は確かにありましたが、スッキリできるからそれで良し。ただ、大袈裟なパンチの音だけは笑ってしまいました。ライダーキックの比じゃないほどの凄い音なんですよ、パンチ1発で「グシャァァァァァァッ!!」ぐらいの音が響きますから(^^;)。

 小学生のころ、この映画は友だちの間で大評判になりました。「ロッキー3ってハルク・ホーガンが出てるらしいぜ」って(^^)。あの頃、ちょうどホーガンが新日本プロレスのリングに上がっている頃だったんですよ。ショートタイツに漢字で「一番」て書いてあってね。。翌年に開催された第1回IWGPで猪木をKOする頃でした。今みたいに、色んなものがあって好きな時に好きなものを見たり聞いたりできる時代ではなくて、IWGPもロッキー3も、まさに今この瞬間に起きているイベントだったんです。それだけに、僕にとってはあの時代と切り離せない映画として記憶されています。あの頃は何もかも楽しかったなあ。


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映画『ロッキー2』 シルヴェスター・スタローン監督・主演

Rocky 2 前作『ロッキー』が空前の大ヒット、それを受けて1979年に制作されたシリーズ第2作です!フィラデルフィアの露店を走り抜ける有名なシーンがあるのはこの映画です。前作と違うのは、監督もシルヴェスター・スタローンがやってしまった事でした(^^;)。

 話は前作の対アポロ戦の試合直後から始まります。試合で右目の視力が低下してしまったロッキーは引退を決意。エイドリアンにプロポーズをして結婚します。しかしボクシング以外の仕事はうまくいかず、精肉工場での日雇い労働もリストラされて職を失います。
 一方のアポロは、試合に勝利するも「本当は負けだ」と抗議の手紙をたくさん送られ、ロッキーとの再戦を望みます。ロッキーの身を案じ、彼のボクシング復帰に反対して自分がパートに出るエイドリアンですが、過労がたたって昏睡状態に。アポロとの再戦が決まるも、エイドリアンの看病につきっきりになったロッキーだが…

 前作が素晴らしすぎた事もあったのか、公開当時は不評だったらしいです。でも僕的にはけっこう面白かったです。ただ、不評だったのも分かります (^^;)。いい所がいっぱいある映画ではあるけど、突っ込みどころが多いんですよね。だから、高評価の人とそうでない人の両方を生んでしまうんじゃないかと。

Rocky2_pic1.jpg すごく良かったのは、映画前半です。ボクシング映画というよりも一市民を追った青春映画のようで、そこに現代の幸福とは何かが描いているよう。悪い事やって大金得るんじゃなくて、一生懸命生きてこういう幸福を得るのが一番いいですよね。雪の降る動物園でプロポーズしたり、大好きな奥さんのために一生懸命働いたり…ああ、こういう光景を見るだけで涙が出ちゃいそうです。そういう市民が生きている生活空間がリアルで、「生きている」って感じでジンと来ちゃうわけでございます。70年代のアメリカの風景って、都市部も田舎も僕はすごく好きだなあ。
 また、単純明快にハッピーエンドで終わるのも、見ていて気持ちが良かったです。まあこれがご都合主義でもあり演出過多でもあって、突っ込みどころにもなっちゃっているのだと思いますが(^^;)。

 突っ込みどころは…まあ色々あるんですが、僕的にはエイドリアンの描写がいちばんの残念ポイントでした。あれほどロッキーのボクシング継続に反対だったエイドリアンが突然の手のひら返しは、人物が描けていないと感じてしまいました。1作目で、シャイな女性が心を開いていく様や、自分を地味に目立たなくしている描写など、実に良く描けていただけにね。。
 他にも、ヘビー級のボクシングの試合で一発でもいいのを貰ったら即KOだろうに、それを何10発もらっても不死身。そもそもボクシングのルール上は反則なことが色々。最後は二人が倒れてロッキーだけがラスト1秒で立って勝ちというのはさすがに漫画でした…とまあ、いっぱいあるんですよ(^^;)。でも爽快だったから帳消しです。これを帳消しに思えない人にはダメ映画という事になっちゃうんでしょうね。

 まあでも、しいていえば1作目は市民の人生を描いた名画、2作目はアメリカ的なちょっと無茶なエンターテイメントという感じでしょうか。1作目に感動した人なら、1回は見てもいいんじゃないかと!


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映画『ロッキー Rocky』 シルヴェスター・スタローン主演

rocky.jpg 1976年制作のボクシング映画、シルヴェスター・スタローンの出世作にして代表作のひとつです!これは大フェイバリット、子どもの頃から何度観たことか。そして、何度観ても感動してしまいます。文芸作品でもアート作品でもない映画で、ここまで素晴らしいものを作った70年代ハリウッドって素晴らしかったと思います。ハリウッドの大衆路線の名画は70年代がひとつのピークだったと感じます。

 高利貸しの取り立て業にまで身を持ち崩した4回戦ボクサーのロッキー。かつてはボクシングに情熱を燃やした男も、今ではゴロツキになりかけています。そんなロッキーがジムの近くのペットショップで働いている内気な女エイドリアンに心を寄せ、第2の人生を考え始めます。そんな折、ボクシングでのチャンスが巡ってきます。

 夢を持てない労働者階級の悲しみが映画の前半で、これがなんとも抒情的。通っていたボクシングジムのロッカーは取りあげられ、ジムの会長からは引退を勧告され…。誰もが何かしらこういう挫折をしながら人生を送っていくと思うんですが、それがまたリアルで、見ていて胸が苦しいです。

 そして、ジムの会長ミッキーがロッキーにどなりつけた言葉に心が震えました。「いい素質を持ってるのに、二流の高利貸しの手先に成り下がった。クズの人生だ。」自分の頬をひっぱたかれたような気分になりました。Waste of life…いつしか崩れていく自分の夢と、堕落していく自分に向かって、こんなふうに叱ってくれる人がいてくれたら、なんと有り難い事でしょうか。自分だってぼんやり分かってるんですよね、これじゃダメだって。でもそれをはっきり言語化してくれると…こういう言葉に屁理屈こねて言い訳する奴はもう救われないでしょうが、自分の人生に向かう気力が残っている人にとっては、立ち上がるきっかけになりえると思うんですよね。いまみたいに権利だ平等だという社会になってしまうと、こういう言葉って、親でも教師でもなかなか言えないんじゃないかと。
Rocky1_pic1.jpg タイトル戦挑戦が決まったロッキーに対して、老いた会長がいうセリフもたまらないです。「俺は…もう76歳だ」。人生の最後の最後で巡ってきたチャンスで、自分がマネージャーになる申し出を断られた時に言うこのセリフ、切なくてたまりませんでした。

 そして、エイドリアンとの不器用な愛を描いたのも見事でした。老トレーナーとのくだりと言い、つまりこれはボクシングを題材としつつボクシング自体をテーマとした映画ではなく、人生の物語なんですよね。最後の壮絶な試合も、人生の物語という意味では一種の比喩で、「俺は一度折れて倒れたかも知れないが、もう一度立ち上がって今度は最後まで戦い抜くのだ」という意味に思えて、ジーンと来ました。また試合終盤の音楽が素晴らしくて…。

 今さら僕がどうこういう事なんて何もないほどの大名作!若い頃、こんなにいい映画に出会う事ができて幸せでした。こういう映画を観ていたから、自分でも挑戦してみようという勇気をもらえたんじゃないかと思っています。僕にとってのロッキーは、この第1作に尽きます!


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『Pat Martino / Nightwings』

Pat Martino Nightwings 1994年録音(発表は96年)、ジャズ・ギタリストのパット・マルティーノが発表したアルバムです。メンバーはアルバム『Interchange』とかなり重なっていましたが(ドラマーがシャーマン・ファーガソンからビル・スチュワートに変更)、大きな違いはこちらはテナー・サックスのBob Kenmotsu という人が参加したクインテットになっている事でした。

 これもまた、いい意味でも悪い意味でも『Interchange』に並んで90年代のアコースティック・ジャズの典型に感じました。ましてピアノとサックスが入っているから、主旋律の部分でも和音の部分でもギター以外の主役がいるわけで、余計にオーセンティックなジャズ・バンドの中にギタリストが入ってるだけに聴こえなくもない、みたいな。まあでも僕は若いころにパット・マルティーノ大好きだったし、そのバンドに入っているギタリストのソロを聴いて「う~んどれを聴いてもこの速さでアドリブ取れるのは尋常じゃないわ」な~んて思って楽しんでたんですけどね(^^;)。

 それでもこのアルバム、『Interchange』と違って、僕は心をつかまれるものがあって、それはピアノのジェームス・リドルの演奏。悪くいえば、流麗ではあるけどオーソドックスというか、個性がないというか、面白くないんですよね。ところが素晴らしいものも入っていて、「Villa Hermosa」のピアノは見事。この曲ばかりはギターじゃなくてピアノのアドリブに耳を持っていかれました。
 ジャズは、コーラスの最後にターンバックという循環なり逆循環なりのコード進行を挟むのが普通です。こうする事で、流麗にコーラスの頭に戻せるようにするんですね。これを曲の至る所に挟んだようなピアノ・アドリブをジェームス・リドルがするんですよ。しかもえらくオーギュメントするのでモーダルというか浮遊感が凄いというか、えらくモダンなサウンドで。あーこれは素晴らしいアドリブだ…これを聴いて、もしかするとリドルという人はチェット・ベイカーにとってのラス・フリーマン的な位置にいる人で、本当は素晴らしいピアニストだけどバンド・マスターを立ててバッキングに徹しているとか、そういう事なのかも知れないと思ったりもして。
 そして、以降の「I sing the blues every night」や「A love within」といったスローナンバーの、バンド全員の落ち着いた表現も良かったです。アドリブして指を動かすだけじゃなくて表情を作りに行くところが、ああ90年代のニッチなジャズじゃなくて音楽の王道を行ったな、みたいな(^^)。この2曲は夜にずっと聴いていたくなる素晴らしいアレンジと演奏でした。このムードがアルバムタイトルにつながってるのかも。

 というわけで、僕的にはパット・マルティーノよりもピアニストのジェームス・リドルに耳を奪われた1枚。パット・マルティーノも、あいかわらずの単旋律でのアドリブながら、速弾き一辺倒ではなく歌うギターを弾いていて「あ、大人だな」みたいな。ハイを極端に削ったマルティーノの音作りも、大人で好きです。ただ演奏しただけに終わりそうな危険さを持ちながらも、素晴らしいアイデアやアプローチが何曲か飛び出したいいセッションだと思いました。


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『Pat Martino / Interchange』

Pat Martino_Interchange 1994年、ミューズから発表されたパット・マルティーノのアルバムです。編成は前作と同じピアノ入りギター・カルテットでした。

 若い頃の僕がこのアルバムを買った理由は、マイルス・デイヴィスの大名盤『Kind of Blue』に入っていた「Blue in green」が取り上げられていたからで、これがなかったら買わなかったと思います。大好きな曲で、10小節で循環していく印象派の曲のような浮遊感を持つこの曲を、単旋律で弾きまくるパット・マルティーノがどうやれば料理できるんだろうかと思ったんです。逆に言うと、この曲を演奏する以上は、パット・マルティーノがとうとうコード・プログレッションのニュアンスに手をつけ始めたんじゃないか、みたいな。結果は…やっぱり単旋律で弾いてました(^^;)。。

 他のプレイヤーの演奏も決して悪いものじゃなかったですが、なんかビル・エヴァンスのアプローチそのままだし、しかも繊細な表現はビル・エヴァンスやマイルスの方が圧倒的に上、ついでに録音も50年代のマイルス・クインテットの方がぜんぜんいい音、みたいな。。『The Maker』に引き続いて、モード的なインプロヴィゼーションへの意識が強かったのかも知れませんが、こういう美しい音楽って、アドリブどうこうより先に、始まって終わるまでをドラマチックに描いて欲しかったです。

 ミューズ時代のパット・マルティーノといえば、プレスティッジ時代のようなレーベルの制約を離れてとにかく弾きまくり、曲もスタンダードやジャズのオーソドックスな形にとらわれずにモードでもフリーでも取り込んでいくという、求道者的なアーティスト性が前面に来たアルバムが多かった印象があります。このアルバムにそのニュアンスがないわけではないのですが、ともすれば90年代的なアコースティック・ジャズの上にパット・マルティーノがのっかってるだけに聴こえなくもない、みたいな。『The Maker』みたいな挑戦がないんですよね。もしかするとレーベルとの契約を消化しようとして作った裏事情があるんじゃないかと疑ってしまったりして。


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『Pat Martino / The Maker』

Pat Martino_The Maker 1994年リリース、Evidence という聴き馴染みのないレーベルからポツンとリリースされた、パット・マルティーノのアルバムです。インディーズと侮るなかれ、これが素晴らしい出来で、脳動脈瘤から復帰後のパット・マルティーノの好きなアルバムをひとつだけ選ぶとすれば、僕ならこれを選びます!あ、ビデオもありなら『Live at Ethel’s Place』がナンバーワンですが(^^;)。ブルーノート移籍以降の客に媚びたアルバムなんてダメですよ、アーティストならこういうのを作らなきゃ。編成は、ピアノの入ったカルテットで、ピアニストのジェームス・リドルJames Ridl という人がこの音楽のキーマンだと思うんですよね。この人、以降のパット・マルティーノのアルバムにちょくちょく顔を出す事になります。

 白眉は冒頭ナンバー「Noshufuru」。この曲は大きく分けて2つのセクションから出来ていて、BセクションはEマイナーのオーセンティックなジャズ・タッチですが、問題はAセクション。この曲を聴いた事がある人なら分かると思うんですが、この曲の冒頭Aセクションの宙に浮いたようなプログレッションが異様に魅力的。トーナリティの曖昧にされたピアノが2分音符14のコードを繰り返し、そのフロントでギターがクロマチックにインプロヴィゼーションする、みたいな。いやあ、こういう音楽的な挑戦を出来てしまう所がインディーズのいいところですよね。これ、プレスティッジにいた頃だったら絶対できなかっただろうなあ。
 サウンドイメージの冒頭だけを書けばC#5#9、Ddim…みたいなコードが14個連なっていくわけですが、これって進行的には半音か増五度か減五度、和音的には増五度が意識されているように聴こえました。僕はギタリストじゃないので分からないんですが、ジャズ・ギターって五度進行を弦に置き換えると、のこぎり型にジグザグを描いて2フレットの距離で下ってくるじゃないですか。それがマイナーだと♭3と♭6がツーファイブに対してフレット幅が1に減るわけで、そのイメージで中立コードを1フレットで下ってくる…みたいな、そういうギターの指板上で考えたインプロヴィゼーションのイメージで作ったセクションのように感じました。ただそれだと曲が宙に浮きっぱなしなので、BパートをEマイナーにすることで、曲が宙に浮きすぎないようにしている、みたいな。う~ん、ジャズ・ギタリストなら、「Noshufuru」が入っているというだけでも、このアルバムは買いです!

 こういう挑戦的な作風はアルバムの随所に聴かれて、3曲目「The Changing Tides」は、「Noshufuru」のAパートをもう少しモードに寄せたプログレッション。いやあ、これもメッチャかっこいい曲だわ。ついでに、このプログレッションの前でのマルティーノさんのアドリブがモードを限りなくクロマチックに扱っていて、メッチャかっこいいんですけど…

 こう書くと、ネットなんかで偉そうに理屈っぽいコード理論ばかりをつらつらと書き続ける、音楽が指板の上にだけあるようなギターオタク的な音楽を想像してしまいそうですが、実際の音楽はもっと肉感的で、見事な音楽表現もありました。まず、ギターのサウンド・メイクがメッチャ魅力的で、サウンド自体がすでに音楽。いいプレーヤーって、こういう領域に達することがあるんですよね。。アーティキュレーションは、エレキ・ギターを使っているのでデュナーミクは狭いですがでもタッチのニュアンスがついていて、またリズム面での表現力が高かったです。ジャズもそうだけど、もっとクラシックの影響を受けた高度な西洋音楽(タンゴとか)で、16分だけ遅らせてえらく切ないニュアンスを出したりするときがあるじゃないですか。ああいう表現にも達していました。16分音符弾きまくりな人と思っていちゃいけませんね、これは。

 ジャズ・バンドという限定的な編成を前提にしたアドリブという、独自のギター音楽を追求した人だと思います。パット・マルティーノのファン以外からはあまり取り上げられることのないアルバムでしょうが、ジャズ・ギターが好きならこれは必聴。単に音楽が好きとか嫌いだけでなく、ジャズ・ギターを音楽面から進化させた価値もある、隠れ大名盤だと思います!


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Video『Pat Martino / Live at Ethel’s Place』

Pat Martino_Live at Ethels Place ジャズ・ギターが好きなら絶対に観てほしい!最初に見た時にはカルチャーショックなんてものじゃない、あまりの凄さに心が全部持っていかれました。。アルバム『The Return』と同時期で同メンバーのライブを収めたビデオです。曲も重複していて、CD収録4曲のうち3曲はここでも演奏しているうえ、演奏曲数もビデオの方が多い!これはお買い得ですよ奥さん。そして、アルバムではあんなにリズムがよれよれだったのに、このビデオでの演奏は神がかりでした。いやあ、これはすごいわ。。

 ピアノと違って、ギターって弾ている指が全部見えるじゃないですか。そしてギターって、いかにも演奏が難しそうな楽器じゃないですか。その達人技を目の前で見せつけられる感じで、「うわ、マジか…」みたいな。しかも同時期のアルバム『The Return』より音はいいし演奏もいい。僕はVHSで買ったこのビデオを何度も何度も観て、普段も聴けるようにカセットにも録って、DVD-R が出た時にはDVDにもバックアップして…と、もう夢中。ピアノ引きの癖にギターばかり演奏してしまいました。ギター最高。

 僕が人にパット・マルティーノの最高傑作は何かと訊かれたら『EXIT』と答えるでしょうが、ギタリストとして最高のパフォーマンスはどれかと訊かれたらこれを推します!まず、長いソロをとることが出来るというだけでも、ジャズでは重要なことだと思いますしね。ただこれ、リリースしているのがこのアルバムでベースを弾いている人なので、さすがにブートではないんだろうけど、手に入れにくそうではあります。僕が買ったVHSも、ジャケットは何だかカラーコピーみたいだったし。DVDが売ってるのも見た事があるので、見かけたら手に入れて損はないんじゃないかと!


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『Pat Martino / The Return』

Pat Martino_The Return ジャズ・ギタリストのパット・マルティーノさんは、70年代後半からしばらくアルバムを出さなくなりました。理由は脳動脈瘤という病気で倒れてしまい、ギターの弾き方を含む記憶の一部をなくしてしまったからだとか。脳動脈瘤って…ギターどうこうじゃなく死ななくてよかったよ。。そして80年に危険極まる脳の手術に踏み込み、それを成功させ、87年に約10年ぶりにリリースしたアルバムがこれです。1987年2月のライブを収録したもので、僕がリアル・タイムでパット・マルティーノの音楽を体験したのはここからで、バンドが混然一体となって前へ前へと進んでいくメッチャクチャかっこいい音楽でした!万全じゃないんだなと思わされる所はあったものの、すごく好きな音楽。

 僕的なこのアルバム最高の価値は、ピアノレスである事。パット・マルティーノさんって、デビューから他界するまで、一貫して単旋律で弾くスタイルでした。リーダー作であっても常に鍵盤楽器なりセカンドギターなりの和声楽器の伴奏者を帯同してました。ところがこのアルバムはピアノレスのギタートリオ。マルティーノのピアノレスって、このアルバムだけなんじゃ…ギタリストとしてのパット・マルティーノの価値がこれほど問われるアルバムもないです

 でもって、その演奏は…いや~なんとも独特なもので、これで成立してしまっているのが驚きでした。何が独特って、和音の挟み方とスケールを目安に弾いているだろう演奏なんですが、そのスケールの考え方。
 僕はピアノが第1楽器なので、コードの変わり目の1拍目に左手で和音を押さえるなんて当たり前なのですが、ジャズ・ギターって、なかなかそうはいかないみたいです。ジャズ・ギターの凄い人の演奏を聴いていると、アドリブの強い人ほど「タラララジャ~ン」みたいにコード頭じゃない所に和音を挟んだりするじゃないですか。これって最初にコードを弾いてしまうと左手の指が指板から外せなくなってメロディを弾けなくなってしまうからそうするのでしょうが、こういう楽器ならではの工夫をしているのがジャズギターだと僕は思っていました。ところがパット・マルティーノは最初に「ジャン」ってコードを弾いたらすぐ左手を開放して旋律弾きまくり、みたいな。そうしたくなる理由があったのかも。
 パット・マルティーノさんはマイナー・コンバージョンという方法を使ってアドリブしていているそうですが、『Conciousness』やこのアルバムあたりは特にそれを感じるんですよね。これって素早く変化していくコード進行に合わせて旋律を弾くのが難しいギターという楽器でアドリブしやすくするシステムだと僕は思っています(詳しくは以前にチョロッと説明したのでそっちを見てね^^)。この方法を使うと旋法がコードに依拠したものではなくなってしまうので、旋律を弾いてもブロークンコードのように音で和音を暗示出来なかったりするんです。マルティーノさんのアドリブが独特な雰囲気を持ってるのは、和声構成音ではない音にダイアトニック・スケールから外れたものがちょくちょく出てくるから。それがカッコよさでもありますが、不具合が出る事もあります。常にエオリアンじゃなくてドリアンっぽい感じになったり、そもそもセカンダリーのドミナントをマイナーのまま弾くるって60年代以降のジャズ和声としてどうなのか…とか。コード伴奏者なしだと目立つようになるこういう問題を解決するために、コード頭で和音を「ジャン」って弾いてしまう必要があったのかも。

 そんな風に演奏される独自のギタートリオの演奏は、なんとも独特、そして超絶。16分どころか32分音符まで普通に飛び出してくるアドリブは強烈だし、さっき書いたような独特のシステムで弾かれるギター音楽は、これと似たものを聴いたことがないメカニカルでテクニカルなサウンド。しかもドラムのジョーイ・バロンを含めてものすごい熱い演奏をしていて、「これは鬼気迫るものがあるな…」みたいな。というわけで、単純にパット・マルティーノのギター・メソッドを使ってライブでギターを演奏できるようにしたいのであれば、和音伴奏者なしで弾き切ってしまうこのアルバムを教科書にするのが最善じゃないかと思いました。

 ただ、問題もあって…まずはこのレコード、音が悪いです。うまく言えないんですが、VHSテープで録音したような音といえば分かるかな…VHSを知らない今の人では分からないか(^^;)。編集もバレバレで、2曲目の4:45秒ぐらいとか、3曲目の9分半ぐらいとか、ブチッとはさみが入ってるのがもろばれ…これ、PAのダイレクト・ツーミックス・アウトなんじゃないかなあ。。
 演奏ではパット・マルティーノ自身もベスト・コンディションじゃなかったみたいで、弾いてる内容は凄いけどリズムがヨレヨレ。でも復帰後でかつてほどの冴えがなくなったわけじゃない事は、同年に行われたライブ・ビデオではリズムもキレッキレだったりするので(ついでに音もそっちの方がいい)、あくまでこの日のコンディションがイマイチだっただけじゃないかと。
 というわけで、良い点も悪い点も含めて、ジャズやロックのギタリストにとっては相当に学びの多いレコードじゃないかと。なにせかっこいいですしね。で、これを上回るライブ・ビデオというのは…その話はまた次回!


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『山下和仁&尚子 / シェエラザード』

YamasitaKazuhito naoko_Sheerazade 日本人クラシック・ギタリストと言えば、最初の大スターは山下和仁さんで、次に福田進一さんが続いたと思っています…まったく詳しくないので話半分に聞いてくださいね(^^;)。そんなわけで、日本人クラシック・ギタリストとしてもっとも有名だろう山下さんは、管弦楽をふくむ色々な他の楽器の曲をギター用にたくさんアレンジしていました。これは山下兄妹デュオによる、様々な管弦楽の2台ギターアレンジ集です。アルバムタイトルになっているリムスキー=コルサコフ「シェエラザード」のほか、ドビュッシー「小組曲」「パスピエ」。あとは、山下さんアレンジではないですが、フランセ「ディヴェルティメント」、シャイト編「グリーンスリーヴスによる変奏曲」、ソル「月光」を収録していました。

 う~ん、山下さんの「火の鳥」のギターアレンジには目ん玉飛び出そうになるほど感動しましたが、「シェエラザード」はよく分かりませんでした。もしかすると、僕は2台ギターが好きじゃないだけかも。そういえば2台ピアノも連弾も好きじゃないしなぁ。。

 山下さんといえば、まずはバッハ。無伴奏ヴァイオリンに無伴奏チェロの全曲ギターアレンジに演奏、そして録音は、音楽の歴史に名を遺すほどの偉業だと思っています。世界一のギタリストという評価も、バッハ演奏あってのもの。そこから山下さんは、「火の鳥」や「展覧会の絵」のギターアレンジに手を伸ばしました。そのふたつまではすごかったですが、でもこのシェエラザードは勇み足というか、こういうのばかりやってると色物的になってしまうというか、これで何がやりたいのかぼやけてしまったような印象を受けてしまいました…って、やっぱり僕がギター2重奏の良さを分かっていないだけですね、きっと(^^;)。


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『村治佳織 / カヴァティーナ』

MurajiKaori_Cavatina.jpg 今の日本の若手クラシック・ギタリストの圧倒的なレベルの高さって、日本のクラシック・ギター界の教育レベルがすごく高いからじゃないか…そんな風に思わなくもない今日この頃ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
 ある時期からのクラシック・ギター教育で大きな影響力を持ったと思われるのが村治昇ギター教室です。僕が「すげえ!」と思った若手クラシック・ギタリストが村治教室の出身者だったり、プロとしてデビューした人が村治さんの教室でギターを教えたりしていて、一時とにかくよく名前を目にしたのでした。そんな村治教室の一大広告塔となったのが、娘さんの村治佳織さん。幼いころ父親の昇さんにギターを習い、その後福田進一さんに師事…英才教育ですね。英才教育って押しつけられた子供に拒絶反応を起こすパターンも多いですが、うまくいった場合は大変なアドバンテージ。98年発表のこのアルバムは、村治さんが20才の時に発表した5枚目…20才で5枚ってすごいです。。

 このアルバムは、クラシック・ギター界のアイドルとして売り出されたんだな、みたいな。すっごいポップなんですよ。1曲目がクラシック・ギター界のポップスと名高い(僕がそう言ってるだけですけど^^;)アンドリュー・ヨークの曲、真ん中に映画主題歌、終盤にマイ・フェイバリット・シングスコーリング・ユー…あ~ダメだ、選曲の時点で負けてます。これじゃ例えギターがうまくたって…。もう少し前のアルバムでは、シェークスピア時代の音楽だけを取りあげたりと素晴らしい視点を持ったものを作っていたと思うんですが、あれって師匠の福田進一さんの力だったのかも知れません。

 選曲面での聴かせどころは、ブローウェル『黒いデカメロン』あたりなのでしょうが、なんとも奇麗に優雅に演奏していて僕にはまるでダメでした。典型的な中南米曲なんだから、もっとガシガシ弾いて聴衆を振り回すぐらいやらないと駄目なんじゃないかなあ。

 クラシック・ギターのことはよく分かりませんが、シロウト目で言えば、村治さんはうまいと思います。リズムも正確だしレガートもなめらか、なによりクラシック・ギターの命である音がすごくきれいです。ただ、どんな曲も綺麗に優雅に弾いてしまうところが、無菌室育ちな人に感じてしまいました。やんちゃ盛りにこんな飼いならされたような感性では…。中高生までに『仁義なき戦い』や『マッドマックス』、コミック版『デビルマン』猪木の格闘技戦、18過ぎたらSMや心理学やロシア・アヴァンギャルドあたりを経験していたら、もう少し違っていたかも…ムチャクチャ言ってスマヌス。でも、清廉潔白ないい子ちゃんだからこそ、アイドルとして成立できたのかも知れません。


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『山田唯雄 / 1.0 (one)』

YamadaIo_one.png ひとつ前に書いた某ギタリストさんが録音したレゴンディ全曲集を「これはもうお疲れ様でいいや」と思ってしまったのは、このCDの演奏を聴いたからでした。子供のころから日本のギター・コンクールで1位を連続受賞してきた若手ギタリストの山田唯雄さんが発表したデビュー・アルバムです!このCDで取り上げられていたレゴンディのナンバーは「序章とカプリス」ですが、何から何までレベル違い。日本ってクラシック・ギター熱が高い国だと思いますが、今ってこんなに凄いのかと驚かされました。

 1曲目の伊東彰「記憶の告白」が、いきなり作品も演奏も素晴らしくて驚かされました。ギターに出来る特殊奏法を構造化したような曲で、息をのんでしまいました。しかもこの緊張感を伝える録音がまた素晴らしくて…音の立体感というのか、ハイファイかどうかとか、そういう事じゃないんですよね。。普通、現代曲って交響曲でいうスケルツォみたいな位置に置くじゃないですか。それをデビューアルバムの1曲目に持ってくるミュージシャンもディレクターもすごいです。いやあ、すごかったです。
 以降、バロックから古典、ロマン派、近現代と、クラシック・ギターの歴史を俯瞰できるかのように曲がズラリ。しかしどれもこれも名演すぎ、セゴビアもイエペスジョン・ウイリアムズブリームも聴いてきましたが、僕の感動具合を基準にすると山田さんの圧勝です、いやマジで。今のクラシックの若手ギタリストさんってこんなに凄いのかと思わされました。中でも演奏が凄すぎて感動したのは、先述の現代曲のほか、大バッハ「ヴァイオリン・パルティータ2番」、タンスマン「パッサカリア」、ブリテン「ノクターナル」…いやいや、ひとつのアルバムにこれだけ大曲を詰め込んだら、セカンド・アルバムなんて作れないんじゃないかと心配してしまいました(^^;)。。

 でもこの感動ってもしかすると録音も大きかったのかも知れません。ほら、セゴビアやのブリームが下手だったわけがありませんが(むしろすごい)、彼らの古い録音って音がショボいじゃないですか(^^;)。逆に90年代以降だと、村治〇織さんや福田〇一さんあたりは録音が妙にポップスで「なんだこれ、デジタルリヴァーブか?」みたいに薄っぺらで、スタジオで編集しまくって作ったようなぜんぜんクラシックらしい響きじゃないものも普通にありましたし。このアルバムはギターの繊細な表現がバシッと録音されたエッジ感もありつつホールの響きが素晴らしく、ギタリストの表現と録音が一体になって「すげえ…」って感じでした(^^)。
 今の若手日本人クラシック・ギタリストって本当に凄いです。クラシック・ギターって、業界全体で表現面がピアノやオーケストラの域に届いていない発展途上の分野と思っていましたが、追いついてしまったんじゃないかなあ…。選曲、演奏、録音、すべてにおいて異次元、クラシックに限らずギター好きなら必聴、超おススメです!!


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『レゴンディ:ギター作品全集 尾尻雅弘(ギター)』

Regondi_OjiriMasahiro.jpg クラシック・ギターのロマン派時代の作曲家として有名なのがレゴンディです。こういう「クラシック・ギターの世界だけで有名な作曲家」って、いっぱいいますよね。むしろロマン派以前だと、バッハ以外はほとんどそうなのかも知れません。ソルもジュリアーニもテデスコも、ギターの世界ではやたら目にするけど、他ではまったく目にしませんし。これってプレーヤー作曲家だったという事かな?
 というわけで、これはレゴンディの作品を世界ではじめて全曲収録したとの触れ込みで買ったCDです。録音は2003年、演奏は尾尻雅弘さんという方でした。

 このCDでいちばん良かったのは、ハマダジロウさんの解説で、読んでいるだけでレゴンディについて分かった気になってしまいました(^^;)。いわく、古典期ギター音楽の有名人はソルとジュリアーニ、ロマン派時代はコスト、メルツ、レニャーニ、そしてレゴンディ。レゴンディは1822年ごろにスイスのジュネーヴに生まれたいわゆる神童で、親がそのギターの際に目をつけて練習を強制、レゴンディはイギリスで注目を浴びて以後はイギリスを中心に活動…みたいな。他にも色々書いてあって、解説がすこぶるよかったです!

 音楽ですが…音楽以前に、僕には演奏が合いませんでした…尾尻さんごめんなさい。ピアノもフォルテもない、アッチェルもリットもない、弾き倒しも溜めもせず、ぜんぶ同じようにベターッと演奏してしまう、みたいな。「俺は、俺はね、あなたのことが好きだ!」と言ってほしい所で、「ボクハアナタノコトガスキデス」と言われている気分です。でもこれって、このプレーヤーさんに限った話じゃないのかも知れません。けっこう有名なクラシック・ギタリストさんのCDを聴いても、こういう表現を抑えた演奏ってけっこう出くわします。日本だと鈴〇〇介なんていう超有名人も、海外だとジョ〇・ウイ〇〇ムズなんて言う国際的に超有名なギタリストですら、「ええ…」と思ってしまう平たい演奏をするので、クラシック・ギターというジャンル全体がそうういうものだったのかも。オーケストラやピアノといった分野に比べると表現がダメすぎ、みたいな。

 クラシック・ギターってたしかにものすごく演奏が難しくて、それは一瞬だけトライしてみただけの僕でさえ何となくわかります。指で作る形だけでも「これは無理」、ましてバスもメロも和音も一人で同時に、しかも右手と左手に役割分担させず、両手が協調してそれですから、普通は弾けませんって。。だから、そんな難しい曲を演奏できるだけで「先生、お見事!」な世界なのかも。ただ、音楽としてそれでいいかどうかはまったく別の話ですよね。。
 このCDを買った頃、僕はクラシック・ギターのロマン派の楽曲というもの自体がそういうものかと思っていました。ところが、このCDにも収録されていた、「序奏とカプリス op.23」を、ある別のギタリストが見事な表現で弾いていたのを最近聴いたのでした。それで、実はクラシック・ギターって、けっこう最近までまだプレーヤーが成熟していない段階のジャンルだったというだけではないかと思ってしまいました。今のクラシック・ギターのプレーヤーの表現力ってとんでもないんですよ…その話はまた次回!


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『Metallica / Load』

Metallica Load 今もうちにあるメタリカ唯一のアルバムは、1996年発表のこの6枚目です。当時すごいなと思ったのは、もともとスラッシュメタルだったメタリカがチャート1位になる時代になったということ…このアルバムをスラッシュとは言えないかも知れませんが(^^;)。

 ブラック・アルバム以上に普通のロックと化したアルバムですが、その中での特徴を言うと、E マイナー系の曲が多い事と、減5度や短2度みたいな音をやたら使う事。実は、ここに色んなものがあらわれてるんじゃないかと。
 Eをルートとして使いたいのは、たぶんギターの開放弦をベースにしたいというギター演奏上の都合なんでしょうが、それにしてもEマイナー系の曲だらけ(^^;)。開放弦を使いたいだけならAmでもDmでもいいのにそうしないのは、短2度や減5度を使いに行く事に理由があるのかも知れません。つまり、Eをルートとしたフォーミュラは追えるけど、他のキーになると追えないのでは…まさかね、いやでもロックバンドならありうる?

 もし減5度や短2度を使わなかったら、たぶん普通のロックバンドに聴こえたと思います。そうならないのは減5度や短2度を使って楽曲に個性を出したから。ところで、ハードロック調で短2や減5の短調系を増やすとブラックサバスと化すわけで、こうなるとこのへんのメタリカはスラッシュメタルじゃなくてドゥームメタルなのかな、な~んて思ったりして…あ、ドゥームなんて言葉を使ってみましたが、実は僕ぜんぜん分かってないです。そういう言葉が出来た頃、僕はもうロックをあまり聴かなくなっていましたしね (^^;)>。


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プロフィール

Bach Bach

Author:Bach Bach
狭いながらも居心地のいい宿で、奥さんとペット数匹と仲良く暮らしている音楽好きです。若いころに音楽を学びましたが、成績はトホホ状態でした(*゚ー゚)

ずっとつきあってきたレコード/CDやビデオの備忘録をつけようと思い、ブログをはじめてみました。趣味で書いている程度のものですが、いい音楽、いい映画、いい本などを探している方の参考にでもなれば嬉しく思います(ノ^-^)ノ

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ロシアとウクライナがほぼ戦争状態に入りましたが、僕はソ連解体後のウクライナについて本当に無知…。これは2016年にオリバー・ストーン監督が作ったウクライナのドキュメンタリー映画。日本語字幕版が出たらぜひ観たい このブログをYoutube にアップしようか迷い中。するなら作業効率としては早いほど良いんですよね。。その時にはVOICEROIDに話してもらおうかと思ってるけど、誰の声がいいのか考え中
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