
オルタナティヴ・ロックなんて言葉もなかった80年代初頭、ニューヨーク・インディーズに生まれたまったく新しい音楽…みたいな神話として伝わってきたロック・バンドが、僕にとっての
ソニック・ユースでした。初期からいたメンバーは、リーダー格の
サーストン・ムーアがギターヴォーカル、その彼女のキム・ゴードンがベースヴォーカル、リー・ラナルドがギターとヴォーカル。ドラムは初期はメンバーチェンジの連続だったみたいです。これは1982年発表の5曲入りミニ・アルバムです。ソニック・ユース初アルバムなのかな?
メジャーが紹介するロックがどれも似たり寄ったりの産業ロックばかりになった事もあったのか、メジャーにはない魅力を持つ音楽満載のインディーズが力をつけてきたのが80年代。そんな頃に「もっとヤバいのがありますぜ」みたいな感じで知ったのが、ハードコアやこのへんの音楽でした。中でもソニック・ユースは「アヴァンギャルドでカッコいい」と噂で、どういう音楽かも知らないまま、名前だけは憶えていたんですよね。名前も何となくカッコよく思えましたしね。
で、ついにこのアルバムを聴いたわけですが…ん?アヴァンギャルド?今ではアヴァンギャルドという言葉が指す音楽の傾向もずいぶん変わってきましたが、70年代生まれの僕にとってはアヴァンギャルド芸術というと、ロシアのあれとか現代音楽の戦後三羽烏とか、過激さと知性が同居したものを想像していました。しかしこれは過激とも知性的とも思えないぞ…
ただ、切り捨てるにしては「悪い」とは言い切れなかったんです。現音もフリージャズも聴いた後だと、たしかにかわいこちゃんに思えたけど、まだ中学生だった僕には掴みどころのない部分もいっぱいあって、「僕の方が分かっていないだけかも」みたいにも思ったんですよね。
いま聴くと、掴みどころがないどころか、けっこう特徴のはっきりした音楽と感じました。曲がアメリカン・ソングフォームを取らない事(ふたつのコードを往復するとか)、リズム・セクションがアフリカン・ビート的なものが多い事、ギターにリング・モジュレーターを噛ませたり空間系のエフェクターを使ったりして、ニューウェイヴとグランジの間を埋めるようなサウンドを作っている事、歌が音痴…。
僕が感じてしまったこういうマイナスの感覚は、聴くポイントがずれていた事で起きた気がします。アヴァンギャルドという観点から聴いてしまったら、この音楽の点数が厳しくなっても仕方がないと思うんですよね。でも
これはアヴァンギャルドなのではなく、メインストリームになっていたアメリカン・ソングフォーム一辺倒のロック/ポップスに対するオルタナティヴだったんですよね、きっと。ソニック・ユースって、いま振り返ってみるとオルタナの走りだったんじゃないかと思いますが、80年代のオルタナを支えたのは音楽が好きな大学生あたりで、そのあたりが音楽にそこまで深入りせずに産業ロックやポップスを楽しんでいた人と違ったのではないかと。なにせ、ソニック・ユースのサーストン・ムーアは大学教授の息子、リー・ラナルドは名門大学の学生。どちらも耳年増ではありそうだけど音楽に関しては素人なお坊ちゃんお嬢さんなんですよね。そういう事なら、いろいろ思う所はある&技術や音楽的な教養は追いつかない事にピッタリ説明がつくし、分かる気がする音楽でした。