
小学3年の頃からゲームセンターにちょこちょこ行くようになりましたが、70年代から80年代初頭ぐらいのアーケードゲームは、子供ではなく大学生ぐらいを対象に作られていたものが多かったように思います。特に海外のゲームはそうで、小学生ではゲームのルールを理解するのですら難しかったり、面白さが理解しにくい、さらに大人びたCG表現も多かったです。このゲームは1980年に米アタリ社が発表したアーケードゲームです。最初、このゲームがまったく理解できなかったんですよ。ただ、分かってくると、実によく出来たゲームでした。
80年というと冷戦まっただ中、核戦争がいつ起きるかと世界が戦々恐々としている状況で、実際に世界各地で米ソの代理戦争が起きて、ミサイルや銃弾が飛び交っている状況。このゲームは、画面上部からミサイルが大量に降ってきて、それを地上から迎撃ミサイルを撃って落とすというもの…洒落にならないっす(^^;)。迎撃ミサイルの発射基地は3カ所にあり、それぞれ保有しているミサイルに限りがあります。そして、地上にある都市を敵ミサイルにすべて破壊されてしまうとゲームオーバーです。
独特なのはグラフィックと操作。まず、グラフィックス。もし自分がゲームデザイナーだったら、ミサイルの形のキャラクターをドット絵で作り、それを動かすと思うんですよね。ところがこのゲーム、ミサイルを1本の線で表現しているんです。ドット絵は漫画やアニメという領域により近い表現だと思うのですが、直線や変化する色のグラデーションといったものは、CGに優るものがない表現。今思えば、この
グラフィックのコンセプトが日本のゲームメーカーが作るゲームとは比較にならない美的センス!大人のデザインだったのです。いやあ、これは見事だわ。。
そして、操作。なんとこのゲーム、自分が操作する迎撃ミサイルの照準をトラックボールで操作するんですよ!そんなゲーム、僕はそれまで見た事がなかったんですが、これもデザインセンスの塊。やっぱり当時のアメリカは日本の上を行っていたのだと思います。
ところが、ビデオゲームは次第に低年齢層向けのものに支配され始め、大学生あたりが中心ターゲットだったゲームセンターは、次第に中高校生の溜まり場へと変化。理由のひとつは、日本のビデオゲームのデザインが子供向け(デパートの屋上なんかに置く事を想定していた?)だった事、またそのゲームデザイン自体が幼稚で、アメリカのクリエイターたちの作るものには遠く及ばなかったためではないかと。
クリエイターとファンの関係って、ファンがクリエイターのレベルを超える事はまずないので、まずはクリエイターのレベルがその文化のレベルを決定する構造になるんですよね。ファンのレベルが決めてしまうのは、それが大衆化する時にファンのレベルが低いと、本当に良いものや新しいものの価値をファンが理解できずに切り落としてしまう時。要するに、クリエイターと消費者の両方のレベルが高くないと、文化としてハイレベルのものを残せないんですよね。。音楽なんてまさにそれですが、政治なんかもそうですよね。。映画や音楽や文学と言った種の日本の文化が、常に子供向けのところに推移してしまうのは、まだ賢い消費者ではない子供をターゲットにした方が良いからというだけではなく、単純にクリエイターのレベルが子供で、消費者のレベルも低いからなのではないかと思う事があります。
というわけで、このゲームは、僕が子供の頃に体験した、
大人の匂い満載の素敵なゲームでした。なにせ大人な匂いがするゲームだったので、まだ小学3年生だった僕には理解すら出来ませんでしたが、「うわあ、なんかすげえ」と魅了されたのも事実。そして、大人になってからレトロなゲーセンでこのゲームをちょっと遊んだら、その面白さにドはまりしたのですが、それだって2~3回遊んだだけ。一度じっくり遊んでみたいと思っているゲームのひとつですが、そんな日は来ないんだろうなあ(^^;)。
スポンサーサイト