
プリンスつながりで、白人の匂いがするブラック・ミュージックを。マイケル・ジャクソンです(ベタだなあ)。しかもバッド(ミーハーだなあ)。懐かしいなあ、これ。アルバムが発売されたのはCDが出たての頃。友達が買って、友達の間で皆で回し聴きしてました。で、「CDって、やっぱ音が良いね」なんていってました。
この音楽のヒットしていた頃、アメリカの商音楽系のブラック・ミュージックは、リズムがプログラミングでオケも要所要所がシンセサウンド、そしてヴォーカルだけがやたらと上手いという、完成されたシステムでした(それが良い音楽かどうかは別として)。あのスティービー・ワンダーですら、そんな感じでした。で、マイケル・ジャクソンというのは、プリンスやスティービー・ワンダーのような、自分自身で音楽を作る人とはちょっと違っていて、いってみれば担がれた神輿。人の作った音楽を歌う歌い手さんのわけで、音楽の実際の主役は別の人。「マイケル・ジャクソン」という看板のつけられた商品なんですよね。しかし本人がその役割を見事に演じ切るというか、受けるための努力を惜しみません。歌はどんどん熟練していくし(いい方向に熟練しているかどうかもまた別の話として^^;)、楽しめるステージにするためにステージパフォーマンスもどんどん磨きをかけていくし、顔はどんどん整形してカッコよくしていくし、肌の色まで白くなっていく(p゚ω゚*)。ジャケットのヘアースタイルなんかも、一歩間違えば恥ずかしい野郎になりそうな気もしますが、格好いいところに踏みとどまっているようにも見えます。そういう意味では、郷ひろみに通じるところがある。やっぱりこれも、僕にしてみればアメリカ的な安っぽさと資本主義の奴隷文化の象徴、しかしそこがいい、という感じに思えたのです。
今、こういうサウンドの新作なんかないでしょうね。でも、今は無くなったというだけで、実にプロフェッショナルなサウンドメイクだと思います。で、ビートを強調したマイケル独特の歌い回しも、恥ずかしくなる一方で、一緒に「チャッ!!」とか口ずさんでる自分もいたりして。音楽そのものは、リズミックでもあるし、「リべリアン・ガール」みたいなエキゾチックな曲想のものも入っていたりとバラエティに富んでいるし、かなり楽しいです。結構好きだなあ。
で、AMAZONを見てビックリ!今は、25周年記念盤とかいうのが出てるんですね!こういう同じものにリミックスを追加とかで何度も売ろうとする事を、恥ずかしいとも思わないところも、僕のアメリカ観のひとつなんです。で、それも悪くないかな、と。
- 関連記事
-
スポンサーサイト