西村朗先生の管弦楽曲を聴いて、「刺激的な響きを鳴らしてるだけのロックな作品なんじゃないか」と疑問に思った僕は、室内楽曲を聴いてみようと思いました。これなら、音の印象だけでごまかすなんて出来そうにないですし(^^)。というわけで、これは西村朗さんの室内楽曲集。収録曲は以下の通りでした。
・弦楽四重奏曲第2番「光の波」(1992)
・三つの幻影 (1994)
・星の鏡 (1992)
・エクスタシスへの雅歌 (1984)
「光の波」、このCDで僕がいいと思ったのはこの曲だけでした。カザルスホールと
アルディッティQからの委嘱作だそうで、つまりこれがオリジナルの演奏という事ですね。この曲は録音の勝利でもある気がします。というのは、この曲、4者がそれぞれパルス状の短いフレーズを演奏して、それが全体でひとつのメロディになったり、ガムランやケチャみたいに全体でテクスチュアを作り出してる、みたいな書法がけっこう目だつんですが、このCDは定位がものすごくしっかりしていて、音が右から左にびゅんびゅん飛ぶんです!これ、コンサートよりCDで聴いた方が狙いが分かりやすいんじゃないかと。そして、この手法は特に第2楽章がすごいです。
「3つの幻影」は、高橋アキさんに献呈されたピアノ独奏曲。というわけで、これもこの演奏がオリジナル。3楽章で、それぞれ「水」「炎」「祈祷」という標題がついていました。でも、西村さんの自筆解説を読むに、標題と音楽は関係がない印象で意味はなさそうでした(^^;)。曲は恐らく完全な自由作曲。響きにしても何にしても、西村さんはショッキングな音が好きなようで、2楽章は「ガシャーン」「ドカーン」「グワ~ン」って感じ。1と3は…まあ普通に感じました。
「星の鏡」も、高橋アキさんに献呈されたピアノ独奏曲。ちゃんと分析してませんが、一聴したところロ短調のバラードに聴こえます。いい曲ですが、これはほとんどポップス。作曲の動機が「綺麗な曲を書く」ぐらいの所にしかない気がしました。
「エクスタシスへの雅歌」は、81年作曲という所に意味があるのだと思うのですが、いま聴くと、アマチュアがMAXか何かでチョロチョロっと作る電子音楽とあんまり変わらない気が(゚ω゚*)。テクノロジー系の音楽って、こういう所が恐いです。電子音を使っていても、それを元に生演奏では難しい作曲をするとか、音色合成でもそれが作曲と関連付けられていればいいんですが、単に電子音が使われているだけだと、マジでアマチュアがシンセやソフトでやってる音遊びと変わらないと感じてしまいます。
あれ?おかしいな、若い頃は好きだった西村先生の音楽が、刺激的な音を出すだけのハッタリ満載のロックに聴こえて面白くないぞ。。同じように刺激的な音でも、
ノーノや
武満徹さんは音の奥に何かあると感じるのに、西村さんは音の遊び以上のものではない気がしてきました。芸術音楽って、その音楽を通して何をしたいのかが重要で、好きな響きを作るというだけだったら本当にただの好事家になってしまうのかも。ポストモダンの難しさって、音楽を作るための色んな素材がいっぱいある中で、「何をするか」という部分なのかも。それが「面白い音」「感性に任せていい曲を」という程度だったら、それをあえて「芸術」なんて呼ぶ必要はないというか、ポップスと何が違うんだと思ってしまいます。西村さんって、けっきょくモダンの響きを使える職業作曲家以上のものではないんじゃなかろうか、もう卒業でいいや(^^;)。
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