
どっちがバンド名か分からないアルバムってありませんか?最近までこのアルバム、「サンデイ・オール・オーバー・ザ・ワールド」がアルバムタイトルだと思ってました。同名の曲がこのアルバムに入っているのでね(^^)。でもまさかそれがバンド名だったとは…。というわけで、これは
ロバート・フリップ参加と知って買ったアルバム、1991年発表です。トーヤという女性ヴォーカリストが中心で、バンドはロバート・フリップ(g)、トレイ・ガン(stick)、ポール・ビーヴィス(dr)。ちなみに、トーヤはフリップの奥さんなんだそうです。
簡単に言うと、80年代キング・クリムゾンが女性ヴォーカルのうしろでニューウェーヴ・ロックをやった、みたいな。だから、
ニューウェーヴとして聴くと、アレンジも演奏も信じられないほど完成度が高くて、キングクリムゾンとして聴くと軟弱この上ない(^^;)。曲もよく出来てるし、バンドもヴォーカルのバックなんていうところには収まってなくてアレンジが見事、ロバート・フリップもギターをそこそこ真面目に弾いてます。ただ、演奏やアレンジをどこまでちゃんとやっても、やってる事がポップスというところが、70年代クリムゾンのファンとしてはきつかった。。いや、ニューウェーヴとして聴けば、これほどよく出来たアルバムを聴いた事がないというほどに凄いアルバムだと思うんです。今見るとガキくさく感じてしまうジャケットデザインも、昔はすっごくカッコよく感じましたし。
90年代にこのアルバムを聴いて、ああ、ロバート・フリップはアントニオ猪木と同じなんだな、と合点がいきました。猪木は、少なくとも力士や柔道やアマレス出身者のひしめく日本プロレスの道場でナンバーワンを取るぐらいの実力があった人だそうですが、70年代は命を削るような試合を何試合もして、殺すか殺されるかの果たし合いのようなシュートマッチまで戦う事になって心身ともにボロボロ。真剣勝負としてのプロレスという神話を作りながら、そういう戦いに疲れ果てて、80年代以降はリアルな試合を一度も戦わなくなった、みたいな。フリップさんも同じで、若い頃の僕は
『クリムゾン・キングの宮殿』から
『レッド』までのキングクリムゾンに心を奪われて、以降のロバート・フリップを聴き続けてました。でもロバート・フリップにとっては、むしろそういう70年代クリムゾンのほうが例外で、演奏も毎日かなりの練習をしないと太刀打ちできないレベルのメンバーと張り合わなくては行けなくて、作曲もクラシックばりの大楽式を要求されてオーケストレーションも自分が作らないといけない、メンバーはどんどん抜けてひとりでバンド維持の責任を背負い続け、心身ともにボロボロだったんじゃないかと。これで、ロバート・フリップは音楽での真剣勝負を止めて、消耗せずに作れる「ほどほど」のものを作るようになり、80年代以降のロバート・フリップは、口ではいろんな事を言って「真剣勝負」を匂わせて人に期待させるけど、実際にやってる事はあくまでエンターテイメント。本気を見せるのもあくまでその枠内のほんの一部で、
80年代以降は心身を削るほどの真剣勝負なアルバムは2度と作らなかった、みたいな。80年代以降のロバート・フリップのアルバムがすべて70年代クリムゾンのクオリティに遠く及ばないのは、こういう事なんじゃないかと。
貧乏でいいから産業音楽界からは一歩ひいて、プロモーションやセールスなんて気にせず音楽だけに専念する生き方を選んでいたら、もっと幸せだった人かも知れませんね。贅沢さえしなければ、食っていけるだけの財は築いたんだろうし。あ、こんな事を書きましたが、このアルバム、
素晴らしいスタジオミュージシャンの力で作られた、ものすごく完成度の高いニューウェーヴのアルバムだと思っています。
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